秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

「日本国憲法2.0開発部」

0159/阪本昌成の憲法九条論の一端-ジュリスト1334号。

 ジュリスト1334号(有斐閣)における阪本昌成の「武力行使違法視原則のなかの九条論」を要約又は抜粋するのは論文の性質上困難だが、最後に結論ふうに述べられているのは、つぎのようなことだ。
 すなわち、<「1.国家として「自衛権」をもつこと、そして、2.国際紛争の緊急時・異常時には、当面、国家として「自衛の措置」を採り得ること」の二つは、法理論的かつ実践的にも「直結し得る命題」で、「確立された国際法規」にもなっている。これら二つと「3.異常時・緊急時に備えて、国家としてどの程度の戦力または実力部隊をもつべきか」の「政治的決断」は「各主権国家の憲法及び法律によって定められるべき事項」で、1.や2.と「論理必然の関係にはない」。
 しかるに、3.に関する「憲法解釈」が1.2.と「関連付けられてきた」、例えば、「国際法上の法理が、国内法における戦力または実力部隊の在り方を左右する」かの如く説くのは問題だ
 「”自衛隊は、国際法上主権国に法認されている自衛のための実力であって、戦力ではない”というロジック」は、「国際法」上の合法性を基準に「憲法」上の限界を説く強弁だ
。>(p.58)
 
必ずしも理解しやすい内容ではないが、九条をめぐる従来の通例の?議論の仕方を批判すること、つまり国際法上の問題と日本国家の問題である「憲法」上の議論とを単純に結合させるな、という趣旨だろうと思われる。
 とすると、憲法のみならず国連憲章等の国際法に関する標準的な知識と素養が必要なわけで、課題がまた増えたような気がしてやや鬱陶しい。
 それはともかく、上の結論ふうの部分からは阪本の現九条についての評価を窺えないが、次のような部分は多少は関係しているだろう。理解しやすい二部分のみを抜粋的に紹介して、終えておく。
 1.<
「平和主義」ではなく「国家の安全保障体制」と表現すべき。九条は「主義・思想」ではなく国防・安全保障体制に関する規定だからだ(p.50)。
 「平和主義」という語は「結論先取りの議論を誘発」するが、「平和主義」はじつは「絶対平和主義」から「武力による平和主義」まで多様だ。

 ここで阪本昌成は「非武装による平和主義」を自分は「9条ロマンティシズム」と呼んでいると注記している。これは、「非武装による平和主義」に対する皮肉だと思われる。吉永小百合様や「日本国憲法2.0開発部」には心して読んでいただきたい。
 2.<九条は私人(国民)が何をなすべきか、なし得るかを何ら定めておらず、「自衛権」の行使につき「私人の抵抗活動」まで含める解釈は「無謀」だ。なぜなら、国際法は自衛権の行使主体として私人を想定しておらず、私人の主体性を認めれば私人(一般国民)を他国による「攻撃対象」としてよいことを承認することに等しく、また、私人に「ゲリラ戦や郡民蜂起」を要請又は期待することは「過酷」で国家として無責任だ。
 ここで阪本はカール・シュミットの次の文章等を注で引用して「絶対平和主義者」を実質的には批判している。
 <「個々の国民が、全世界に友好宣言」し又は「武装解除」することで「友・敵区別を除去」できると考えるのは「誤り」。「無防備の国民には友だけがいると考えるのは、馬鹿げた」ことで、「無抵抗」が敵の「心を動か」すと考えるのは「ずさんきわまる胸算用」だ。
 カール・シュミットという人の議論を一般的に信用してよいかという問題はあると思うが、上の部分は適切だろう。吉永小百合様、「日本国憲法2.0開発部」、そして社会民主党の皆様には心して読んでいただきたい。

0143/日本に「軍隊」があれば、北朝鮮の日本人「拉致」はどうなっていたか。

 月刊雑誌・正論6月号(産経)の荒木和博「なぜ拉致被害者救出に自衛隊を投入しない!」(p.144-)を読んで、この中には書かれていないが、こんなことをふと考えた。
 憲法九条の存在によって日本の平和は守られたなどとの愚劣な言を吐く人がいる。しかし、真の事態は逆であり、憲法九条二項によって、日本が正規の「軍隊」をもちえなかったからこそ、北朝鮮当局による日本人拉致という<侵略>を許してしまったのではないか
 荒木は上の一文の中で「北朝鮮による拉致は戦争である」を見出しの一つにしている。そのとおり、北朝鮮にとっては日本人の拉致はかりに散発的であっても軍事行動の一つであり、<侵略>であり、対日<戦争>そのものの一部なのではなかろうか。
 しかるに、政府も拉致をテロとか主権侵害とか言っているが、日本国内から容易に日本国民が実力行使によって<さらわれる>という事態を、日本の防衛問題、安全保障問題の一つと考える思考が些か弱いのではなかろうか。
 北朝鮮の工作員たちが一様に言うのは、日本ほど<侵入>しやすい国はない、ということらしい(むろん不法入国である)。
 荒木は、日本の海岸に突如外国の軍隊が上陸してその地域一を占領し、住民を殺傷し又は拘束して人質にした仮定した場合、「まず敵を制圧して、国民の生命財産と領土を保全」しなければならないが、「警察には許されない」、「軍隊であればこそ許される」と書いている(このあたりは「日本国憲法2.0開発部」とやらの人々に読んでほしいものだ)。
 実際の北朝鮮による日本人拉致は上のような軍事行動よりは小規模だが、不法上陸・日本国民の人身略奪であることに変わりはない。いつぞや北朝鮮の「不審船」が日本の領海内で逃走しつつ自爆して沈下したのち引き揚げたら、相当の重装備の船だった筈だ。拉致被害者を運んだ船も当然に何らかの「武器」で装備されていただろう。
 日本人の拉致に対して、自衛隊が何をしてきたのか、何をできるのか、に関する詳細な知識はない。自衛隊ではなく正式に憲法上も認知された<海軍>・<陸軍>・<空軍>があれば何ができたのかを詳細・正確に述べる能力もない。
 しかし、正規に「軍隊」を持っていれば、あれほど簡単に侵入を許し、女子中学生を含む日本国民が<略奪>されることはなかったのでないか。
 むろん、「軍隊」の行動規範は基本的には法律によって定められるだろうから、「軍隊」という呼称のみから具体的な結論を導くことはできない。
 上のことは承知で再び言うのだが、九条二項によって正規の「軍隊」扱いされない自衛隊があり、<専守防衛>という(相手が明確に攻撃するまで何もするなという)安保政策をとっていたからこそ、北朝鮮の日本人拉致が生じ、少なくとも、被害者の数は増えたのではなかろうか。
 継続的に「軍隊」が領海上を監視し、場合によっては領海内の「不審船」を堂々と攻撃できるような法制であれば、北朝鮮当局も日本人拉致にはより警戒的、より消極的になったのではなかろうか。
 憲法九条二項があるがゆえに、つまりは50年代又は60年代に憲法が改正されて「国軍」・「防衛軍」が正規に誕生するということが無かったがゆえに、北朝鮮による日本人拉致が起きた、と単純化するつもりはない。
 だが、とっくに日本が正規の「軍隊」を持ち、安全保障(「拉致」阻止を当然に含む)に関する政治家や国民の意識が実際とは異なっていれば、70年代以降の日本人「拉致」もまた、その様相は実際に起きたのとは異なっていた、と間違いなく言えるのではないか、と思う。

0073/幼稚かつ論理矛盾を含む「軍備放棄徹底化」憲法改正案と遊んでみた。

 「夢想」で終わればいいのだが、仮の話として、日本がつぎのような状態になったら、どういう事態が起きるだろうか。
 第一に、「軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊」を保有しなくなる。これは現実的には、現在の自衛隊、および防衛省がなくなることを意味する。なお、すでに上のことの意味に含有されることだが、「軍隊、自衛隊」等が「民間または外国民」によって構成されることもありえなくなる。すなわち、「民間または外国民による軍事力の保持」や「民間、外国民または無国籍者への軍事の委託」もできない。
 第二に、「国連により決議され構成された国連軍」を除いて、「外国の軍隊、軍事設備および武器弾薬の、領海、領空を含む日本国内への移動および設置」が禁止される。これは現実的には、現在の日米安保条約が廃棄され、米軍の日本国内(領海・領空を含む)への駐留がなくなることを意味する。米国による日本の「安全保障」の義務などはいかなる意味であれ、一切なくなる。
 じつは、以上のことは「日本国憲法2.0開発部」なるものが構想している日本国憲法改正案の一部が本当に憲法の一部になってしまえば生じることだ。
 現憲法のもとで、自衛隊や米軍という軍隊の日本駐留が9条2項に違反しないか、という解釈問題があり、一部にはいずれも違憲とする下級審判決もあるようなのだが、上による「新」憲法のもとでは、解釈の問題は生じない。憲法条項の明文に違反して、明らかに違憲だ。かりにこのように改正されれば、すみやかに自衛隊・防衛省を解体させ、日米安保条約(および付随の協定等)を廃棄し、在日米軍を「追い出す」必要がある。
 それでは、現憲法でも理念的には否定されていないと解釈されている「自衛権」、日本という国家と日本国民を外国(の軍隊)からの攻撃あるいは「侵略」から守るための、国家に固有の権利とされる権利とその行使はどうなるのだろうか。
 上の第一点ですでに明らかではある。「軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊」を保持しないのだから、少なくとも「武力保持部隊」による「自衛」又は「防衛」はありえない。
 念のためにか、意味が重複している部分があるとは思うが、上の「2.0」は、「日本は、戦争およびテロを、理由と形態にかかわらず行ってはならない」と書き、さらに次のようにも明瞭に書く。「たとえ、自衛、集団自衛、共同防衛、先制攻撃、先制防御、外国への協力、外国からの協力要請、外国の治安維持、多国籍軍、国連平和維持活動、国連平和維持軍、抑止、報復、対抗、懲罰、局所的事態、緊急事態または人道支援等という名分をもっても、次の各号を直接または間接に行ってはならない。/1 戦争またはテロとしての武力行使/2 武力による威嚇/3 戦争のための役務/物資、武器、資材、弾薬、燃料、食料、飲料、日用品または医薬品の提供、補給または運搬/4 戦争のための情報処理および通信/5 その他戦争の後方支援に属する活動」。
 要するに、「自衛」のためであっても一切禁止されるのだ(「戦争」のためなら日用品等の運搬も後方支援も一切禁止される」)。
 ということは、外国(の軍隊)による攻撃あるいは「侵略」から守るための日本国家の措置は全て禁止されることになる、と言ってよい。残るのは、国家によるとはいえない、国民個人個人による「自衛」又は「防衛」のみが許されることになりそうだ。だが、原則として銃砲刀剣類の所持すら禁止されている国民が(この点を法律改正すれば多少は異なるかもしれないが)、はたして自分や家族の生命を守るためにどれだけの「自衛」措置を採れるだろうか。
 もっとも、「武力保持部隊」の中に、あるいは「武力行使」の中に、<警察>組織あるいは同組織の実力行使は含まれないと解釈できれば、<警察>組織にある程度は頼ることができそうでもある。
 そして、上の「2.0」もこう書く-「外国からの武力攻撃またはテロが生じたとき、国民を守る専管機構は、警察である。警察は、領空、領海を含む国内でのみ、犯罪者または攻撃勢力を鎮圧することができる」。
 「鎮圧する」するためには何らかの実力行使が必要だと通常は(常識的には)考えられる。しかし、「2.0」によれば「武力保持部隊」・「武力行使」はいかなる目的でも一切禁止されるのだから、「鎮圧する」するための組織と実力行使は「武力保持部隊」・「武力行使」ではない、と<解釈>されることになるのだろう(このあたりにすでに「2.0」の頭の中の破綻が表れているのだが、次に進む)。
 そして、「2.0」は念を入れて、「警察を、憲法の禁止している軍隊にしてはならない」とする(ここで、「軍隊」のみが記載されているのは「軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊」の保持の禁止と齟齬しており、本当は、「警察を、憲法の禁止している軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊にしてはならない」と書いてこそ論理一貫するはずなのだが、こう書かない点にも、「2.0」の頭の中の曖昧さと綻びが見られる)。さらには、「警察は、領空、領海を含む国内でのみ、犯罪者または攻撃勢力を鎮圧することができる」とされる。つまり「鎮圧する」するための実力行使も国内でのみ許され、日本「国民が外国において犯罪、テロまたは戦争により危険な状態になった場合の救助」も「当事国または国連と協力して」行うのであり、かつ「外国軍隊、外国警察」等々のための「護身用武器を使用することは禁止」される。言ってみれば、外国滞在の日本国民の保護のために実力行使が必要であっても外国の軍隊・警察任せであり、その外国の組織員が危険になっても自らのための「護身用武器」使用して助けてすらもいけない、というわけだ。
 この「2.0」については過日すでに触れて、「単純・素朴・幼稚かつ狂気の教条的平和主義」とのみ簡単に評したのだが、改めてそのときよりはじっくりと条文を読んで見ても、「狂気」に充ち満ちている。
 それはともかく、冒頭に書いたことに戻って、かかる「新」憲法になって上述のような状態になり、「警察」の役割も上述のとおりだとすると、どういう事態が起きるだろうか。
 端的にいえば、外国(どことは書かないが、二又は三国を現実的に想定できる)による日本の軍事占領であり(その直前の政権は解体・崩壊する)、その後の、当該外国の「軍事力」の脅しを受けての所謂「傀儡」日本政権の誕生か、日本の当該外国の一部化(「併合」と称するのかもしれない)。後者の二つが日本の地域によって分かれて、一部は直接に某外国の領土の一部に、残り一部は「日本」国という名だけは残した某外国の事実上の属国に、ということも考えられる。
 日本国内に「軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊」が友好的外国のそれも含めて一切なくなって、このような事態が生じるだろうということを想定できないというのは、すでにそれ自体が「狂っている」と思う。丸裸・丸腰になった、こんな豊かな、インフラの整備された、秀れた工場等も沢山ある国をどの外国も「狙う」ことなどありえない、と本当に考えているとすれば、あるいは、日本(と米国)だけが「軍国主義」化の危険があり、近辺の諸外国は「平和愛好」国で軍事力を日本に対して行使するはずはないと考えているとすれば-戦後教育の、又は従来の「社会主義」宣伝の成果かもしれないが-、幼稚で、莫迦、としか言い様がない。
 手元に情報資料はないが、中川昭一・自民党政調会長は現に、将来某外国の属国又は属州になってしまう可能性に言及している。そしてそれは決して荒唐無稽なことではない、と考えられる。ときどき日本の「軍国主義」化を非難している某外国は、戦後の建国後に、ソ連ともベトナムともインドとも「戦争」を実際に行った(チベット「侵略」、フィリピンとも関係する南沙諸島の「軍事力」による「実効支配」化という事実もある)。別の某国は、もう50年以上前だが、「統一」を目指して別の国家に先に「侵入」して「戦争」を始めた。両国ともに日本より遙かに「軍事」を重視している国家だ。
 現実を直視できず、外国の「脅威」を言い立てたら本当に「脅威」になってしまうと考えるが如き平和教「言霊」主義者かもしれない人々は、もう少し現実的・建設的な方向に頭のエネルギーを使った方がよろしいだろう。
 という程度で、「絵空事」の案に付き合って「頭の体操」を少しして、もう無意味なおつきあいはやめようと思ったのだが、もう一度「2.0」のサイトに入って見ると、こんな文章があった。
 「近隣諸国が攻撃してくる可能性があるのに国が無防備でいるわけにもいかないでしょう、という意見があります。/まあ警察や海上保安庁があるのですから、領土侵犯、テロ、武力攻撃を国内で鎮圧したり、飛来するミサイルやテロ予防の対策をとる位は憲法に書かなくても任務のうちでしょう」。
 本当に狂っているか、本当の莫迦ではないか。「2.0」の改正案は、「軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊」に含まれない警察(・海上保安庁)の、「武力行使」とはいえない国内での実力行使のみを許容している。「自衛」のためでもこれ以外は許していないのだ。
 しかるに、「領土侵犯、テロ、武力攻撃」や「飛来するミサイルやテロ予防」のための実力行使は一切、上の例外的な実力行使に含まれない「武力行使」になることはあり得ない、とでも言うつもりだろうか。言葉の常識的な使い方だと、「飛来するミサイル」への対処、例えば迎撃は、「軍隊」又は少なくとも「武力保持部隊」がすることであり、自衛のためとはいえ「武力行使」だ。それでも、「軍隊」等の「武力保持部隊」による「武力行使」にならないと言い張るなら、それは要するに、(正式の)「軍隊」等の「言葉」・「概念」を絶対に使いたくないだけのことで、実質・本質に変わりはない。
 (この「軍隊」等の概念に関係する問題は、現憲法9条2項に即していえば、同項で目的を問わず保持が禁止される(と所謂芦田修正語句に限定的な法的意味を与えない多数説や政府が採っている「戦力」に「自衛隊」は含まれず、「自衛隊」の存在は合憲だ、との憲法解釈の微妙さ・苦しさ、人によれば、「大ウソ」(だから改正すべき、につながる)に似ている。ここでは、現憲法の解釈の問題にはこれ以上は立ち入らない)。
 「まあ警察や海上保安庁があるのですから、領土侵犯、テロ、武力攻撃を国内で鎮圧したり、飛来するミサイルやテロ予防の対策をとる位は憲法に書かなくても…」と書いた時点で、「2.0」の案は完璧に破綻している。「飛来するミサイル」の迎撃は「軍隊」等の「武力保持部隊」による「武力行使」に該当するのでそれも禁止する(着弾し被害が出るままにする)、というのでないと、「教条的平和」憲法としてすら、一貫していないのだ。お解りかな?
 「北朝鮮の特殊部隊が壱岐や対馬を占領するというケースが考えられます。/その場合現地警察だけでは防衛は無理で、空軍力、海軍力による敵補給の阻止、そして制海権を保持し、地上軍による奪回作戦が必要になります。/それを警察でやることができますか?/それだけの軍事力を警察に持たせるということでしょうか」との質問に対して、肯定の回答をし、「軍拡論よりよいのは、他国を攻めるような余計な軍備や軍人をもたないことです」なんて書いているようではダメだ。目的を問わず禁止しているはずの「軍事力」あるいは「武力行使」を警察が持つことを認めてしまっている
 また、細かすぎる憲法案を作っておいて、かかる重要なことを「まあ…をとる位は憲法に書かなくても…」とのたまうとは、呆れてしまう。
 他にも、ボロボロと妙なことを書いている。全てを挙げないが、例えば、「軍拡憲法によって軍隊が過度に強化されてしまう方が、国中に軍備や軍人が溢れかえることになり、それが国民に向かってこないかむしろ心配です」。このグループは日本の軍事力が日本「国民」に向けられることを懸念している。「軍隊は(市民の)敵だ」との、もう消失したかと思っていた考え方が心底には残っているようだ。
 また、「宗教、宗派、人種、国籍などによる偏見を排除した公明正大な活動を日本が行えば、日本が狙われることはより減る」、「日本は国として「良心的兵役拒否」をし、国連に守ってもらう」なんていうのは、少なくとも現時点では、幼稚な願望で、現実的ではない。
 長くなったが、最後に、この「2.0」グループはどういう人たちなのだろう。
 「(平和・)無防備地域条例」制定運動をしている非・又は反・日本共産党の(と思われる)「左翼」の人たちがいるが、この国連憲章上の「地域」に何ら言及していないことからすると、この運動とは無関係のようだ。
 また、日本共産党党員又は少なくとも同党系の日本史学者・大江志乃夫の本を推薦しているところからすると、日本共産党員又はそのシンパで法学部出身の、かつ「ヒマ」な人々かもしれない。さらに、学生時代に「平和憲法」教育に熱心だった法学部の憲法学教授(又は大学によっては「平和学」教授)の元ゼミ生たちが、その教授の指導・示唆を受けて「趣味的」に作業しているのかもしれない(日本共産党系というのと矛盾はしない)。
 改正案の内容はもういいが、背景にだけは関心をまだ持っておこう。

0056/本日も6万アクセスの「きっこの日記」の無惨さと異常さ。

 「さるさる日記」というサイトの中の「きっこの日記」は、4/09に「きっこの音楽日記」閲覧を勧めたあとで、以下のようなことを書いている。
 「引き続き、「核兵器の保有」を謳い、戦争ができるように憲法を変えようとしてる人間がつとめることになったってワケだ。
 「人間同士が殺し合う戦争を「感動的」だと賞賛し、「日本も優秀な戦闘機を作ってどんどん海外に輸出すればいい」なんて言ってる人でも、東京都知事を続けられる…」
 「多数決で勝ちさえすれば、「平和」よりも「戦争」が「正しい」ってことにもなっちゃうワケで、あたしたち「平和」を願う少数派は、また4年間もガマンしなきゃなんない…」
 この人は、福島瑞穂的、社民党的、「日本国憲法2.0開発部」的な、空想的・教条的・観念的な「平和」主義者のようだ。いや「…主義」なるものはない。「「核兵器の保有」を謳い、戦争ができるように憲法を変えようとしてる人間…」という表現には完全な事実誤認がある。事実をきちんと認識できていないのだ。
 また、「「平和」よりも「戦争」が…」という二項対立的発想は、まるで、戦後当初の社会科教科書を学んだ中学生のようで、おそらくは、水島朝穂、「日本国憲法2.0開発部」、福島瑞穂等と同様に、北朝鮮・中国の軍事的脅威は頭の中に入っておらず、米・日の軍備の危険性にばかり目が行っているのだろう。
 このような認識や感覚は、ふつうの生活をし、種々の新聞や雑誌を読んでいると通常は形成されないものだ、と思われる。ということは、「きっこ」?氏の精神・意識の環境(情報・意見形成のソース)は「ふつう」ではない「特殊」なものである可能性が十分にある。
 「きっこの日記」の4/09は、またこうも書く。「「石原さん、おめでとう!」ってメールも紹介したいんだけど、これまた不思議なことに、ただの1通も届いてない。でも、「残念だ」「理解できない」「都民の良識を疑う」ってメールは、この日記を書いてる時点で、すでに300通以上も届いてる。
 この4年間に石原がやって来たことに対してヘキエキとした人たちがそれだけいたってワケで、この東京にも、それだけ「良識」のある人がいたってワケだ」。
 この人が「特殊な」人々に取り囲まれていること、「良識」という言葉の意味を知らないほどの幼稚な人物であることを、これらは示している。

0023/「日本国憲法2.0開発部」は単純・素朴・幼稚かつ狂気の教条的平和主義。

 安倍首相は憲法改正を目指しており、自民党は憲法改正案を既に発表しているが、ほぼ60年も前に施行された憲法を「自分たちの手」で書き直す、「改正」するのは当然のことだ。
 その際、全くの白紙ではなく現憲法から出発するとしても、9条2項以外にも議論の必要がある条項がある。
 しかし、九条2項をどうするかが最大の争点になることは間違いないだろう。
 すでに日本共産党は「九条の会」に結集する、又は職場・地域等で「九条の会」を新設する旨の指示を出し、将来の憲法改正にかかわる「決戦」(具体的には国民投票の場になるだろう)に準備を進めているようだ。
 ネット上には改憲・護憲と種々のサイト又は意見が溢れているが、むろん現在以上に日本の軍事力(軍事的防衛力)を減殺する方向での改正案もありうるし、「市民」の立場からの憲法改正案も発表されている。
 後者の代表は、ネット上ではなくきちんとした本になっている、江橋崇・市民主権の憲法理論(生活社、2005.11)だろう。
 前者の例が、
http://blog.goo.ne.jp/nihonkoku_kempou/e/6a8833880d11ebd1fae76eabea76e725
 このサイトは「改憲か護憲か?」 を一番大きなサイト名の一部にし、トップページの中に「護憲派」の人も「改憲派」の人も「ぜひご検討下さい」などと書いて、さも、又は一見中立的に装っているが、トップページの上の方にはちゃんと「今の憲法第9条を守っていた方がいいよね」と書いてあるように、9条2項については紛れもなく「護憲派」=変えないという意味では「保守派」のサイトだ。
 もっとも全く変えないのではなく、現在よりも日本の軍事力を弱める、又は一切無にする方向での改正条文を作っている。そして、その条文は、戦争一般、軍備一般を「悪」と見る単純・素朴・幼稚な観念にもとづくもので、結果としては狂気に満ちたものになっている。
 目にするのもイヤな方々も多いと思うが(私もそうだが)、その狂気ぶりを示すために、こんな連中もいることを知っておくために、引用しておこう。
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「第8章 戦争の防止
 第62条【軍隊、軍備の禁止】
 日本は軍拡競争に参加せず、自ら体験した悲惨な戦争の再発を厳重に防止するため、また、国際的緊張を緩和するため、人、機械、ロボットもしくはヒト以外の生物からなる軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊を持ってはならない
 (2)(イ)国民の徴兵(ちょうへい)制度および一時入隊制度、(ロ)民間または外国民による軍事力の保持、および、(ハ)民間、外国民または無国籍者への軍事の委託、は、あってはならない。
 (3)国連により決議され構成された国連軍を除き、外国の軍隊、軍事設備および武器弾薬の、領海、領空を含む日本国内への移動および設置は、禁止する。これに反する同盟および条約を廃止および禁止する
 (4)日本は国際社会に、軍事力以外しか提供することはできない。これに反する同盟および条約を廃止および禁止する
 (5)日本は国際社会に対して、日本が締結(ていけつ)した条約および確立された国際法規にしたがって、たとえば、次の各号を特色とした貢献を率先して行う。
  1 国家間の対話および和平交渉の提案と仲介 2 軍縮の呼びかけと推進 3 本憲法のような平和憲法の研究と推奨 4 暴力によらない紛争解決の呼びかけ 5 災害救助、開発、生活環境改善、教育、疾病予防、疾病治療、リハビリテーション、地雷除去・汚染除去等戦争後始末、戦後復興、被災復興、防災、防犯、武装解除および戦争防止を支援するための人材、資金、物資および技術の提供 6 寄付金および寄付物品の募集、管理、運搬および配布 7 人権擁護と世界の協調を進めるための平和的国際機関活動および諸国との連帯(れんたい) 8 人権活動 9 平和のための教育、報道および情報発信
 第63条【戦争禁止】
 日本は戦争の生んだ悲劇をふまえて、暴力の不毛(ふもう)さと非暴力による平和の重要性を世界の人々そして次世代の子供達に常に訴え、世界の国々と人々の良識を信じて、暴力によらない紛争解決を率先垂範(そっせんすいはん)しなければならない。
(2)日本は、戦争およびテロを、理由と形態にかかわらず行ってはならない
(3)日本は、たとえ、自衛、集団自衛、共同防衛、先制攻撃、先制防御、外国への協力、外国からの協力要請、外国の治安維持、多国籍軍(たこくせきぐん)、国連平和維持活動(PKO、Peacekeeping Operations)、国連平和維持軍(PKF、Peacekeeping Forces)、抑止、報復、対抗、懲罰(ちょうばつ)、局所的(きょくしょてき)事態、緊急事態または人道(じんどう)支援等という名分をもっても、次の各号を直接または間接に行ってはならない。
  1 戦争またはテロとしての武力行使 2 武力による威嚇(いかく) 3 戦争のための役務(えきむ)、物資、武器、資材、弾薬、燃料、食料、飲料、日用品または医薬品の提供、補給または運搬
  4 戦争のための情報処理および通信
  5 その他戦争の後方支援に属する活動
そして、国際紛争解決のための手段として、日本は次の各号の行為を直接または間接に行ってはならない。
  1 殺傷(さっしょう)  2 逮捕監禁(たいほかんきん) 3 爆撃 4 自爆 5 抑留および拘禁 6 拷問 7 虚偽の宣伝 8 虚偽に基づく提訴 9 精神的暴力 10 マインドコントロール 11 その他暴力
 (4)国が国民の平和的生存権を犯す行為を行うとき、国民は、裁判所にその行為の差し止めを求めることができる
 第64条【警察の軍隊化の禁止】
 警察は、日本の内外の脅威(きょうい)から国民を守り安全を維持する。警察を、憲法の禁止している軍隊にしてはならない。警察には、国際法上も軍隊の条件を備えさせない
 (2)警察は、消防と協力して、国内外の災害救助、事故救助を行う。国外に派遣される警察は、護身(ごしん)を超えた殺傷(さっしょう)能力のある重火器(じゅうかき)等の武器または武器を内蔵する機器を持ち出さない。
 (3)外国からの武力攻撃またはテロが生じたとき、国民を守る専管(せんかん)機構は、警察である。警察は、領空、領海を含む国内でのみ、犯罪者または攻撃勢力を鎮圧することができる。国民が外国において犯罪、テロまたは戦争により危険な状態になった場合の救助は、警察が、本憲法、日本の国内法規、確立した国際的な法規および批准した条約に基づき、当事国または国連と協力して、行う。
 (4)警察が、外国軍隊、外国警察または国際機関の要員の保護または外国軍隊、外国警察または国際機関の要員への攻撃への報復のために、護身用武器を使用することは禁止する
(5)<略>
第65条【武器所持、使用】<略>
第66条【核、生物、化学兵器の禁止】<略>
第67条【有事例外の禁止】
 本憲法を破る国家権力の行き過ぎの行使から国民の人権を守るため、たとえ国に武力攻撃、重大テロ、重大事故、重大災害、その他非常事態または非常事態につながる懸念のある事態が生じたとしても、本憲法にも本憲法下の法にも基づくことなく、本憲法および本憲法下の全部または一部の法の、(イ)効力停止、(ロ)廃止、(ハ)読み替え、または、(ニ)恣意的(しいてき)な解釈変更、をすることを、厳重に禁止し、それらは無効とする
----------
 真面目に考えているようにも見えるが、この人たちは狂っている。最小限度、莫迦、と言っておこう(立法技術上の欠点も見受けられる)。憲法改正および9条2項関係の問題については、いずれもっと詳しく論じる予定だ。

ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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