その加藤の本を、久しぶりに見つけた。
加藤哲郎・東欧革命と社会主義(花伝社、1990年3月)。
この本全体のハードカバーの中にある表紙のそのつぎの頁に、L・コワコフスキの文章(?)が二頁分で引用されて掲載されている。
「東欧革命」の途上での既存?社会主義に対する鋭い批判を諧謔をもって表現したものとして、加藤は採用したのだろう。
もっとも加藤が英語訳にせよ直接にL・コワコフスキの文章に接したのではないようで、以下からの再引用・掲載だとされている。
全集/現代世界文学の発見・第11巻-社会主義の苦悩と新生 (学芸書林、1970)。
これの原物はいま手元にないが、購入し所持していて、確認はしている。
加藤哲郎は「ポーランドの哲学者・コラコフスキー」と執筆者を示している。
これは私も最初はそのように読んだところで、L・コワコフスキの初期の作品の珍しい邦訳書である以下も、著者を「コラコフコフスキー」と表記していた。
小森潔=古田耕作訳/L・コラコフスキー・責任と歴史-知識人とマルクス主義(勁草書房、1967)。
この著はL・コワコフスキがまだ完全にはマルクス主義者でなくなっておらず「修正主義者」とかマルクス主義正統派(スターリン派=ポーランド統一労働者党)から批判されていた時期のものだと見られる。そして、邦訳者たちもまた、反マルクス主義または反共産主義という観点からではなく、反スターリニズム(反日本共産党?)の観点から関心をもって、邦訳書を刊行したのだと推察している。
その後、東欧の「お伽ばなし」・「怪談」とか哲学一般に関する書物の邦訳はあるが、L・コワコフスキの中心著作と評して欧米学界・論壇でも誤りはないと見られるつぎの著の邦訳書は決して?刊行されなかったことは何度も書いた。
Leszek Kolakowski・マルクス主義の主要潮流(原語1976、英語訳1978)。
さて、加藤哲郎が引用・掲載している文章(?)は「はしがき」のつぎの「目次」欄の右端にも、表題が「なにが社会主義でないか」と記されている。
L・コワコフスキ自身の発表年は、1956年。この人が29歳の年。
以下の中に収載されている。
Leszek Kolakowski, Is God Happy ? -Selected Essays. (2012年)。p.20-p.24.
レシェク・コワコフスキ・神は幸せか?-小論選集(2012)
これによると表題は、What is Socialism ? で、「なにが社会主義でないか」ではなく「社会主義とは何か」だ。もっとも、原作時点以降に変更された可能性はあるし、その文章?自体は「なにが社会主義でないか」を語ることから始め、「社会主義とは何か」をこれから語ろうと書いて、ほとんど終わっている。
これまで「文章?」とか「文章(詩?)」とか記したように、L・コワコフスキの1956年の「社会主義とは何か」は「社会主義でない」国家・政体のスローガンもどきの列挙であって、美しいものでも、じっくりと味わえる文章でもない。むしろ、乱雑だ。よって、ここに書き写すつもりもない。
しかしそれでも、その内容が当時のポーランド当局には危険なものだったのだろう。
ポーランド共産党(統一労働者党)の党員だった、ワルシャワ大学の研究者・教育者が書いたものだったのだから。
上の2012年の著の原文のあとに、つぎのような注記がある(p.24)。一文ごとに改行する。
「この小論(essay)は検閲に引っかかり、これが書かれた学生雑誌は閉鎖させられた。
そして、すみやかに当局が除去するまで、ワルシャワ大学の告知板に貼り出された(pinned up)、。
そのとき以降、地下で複写版が回覧された。
共産主義が崩壊するまで、ポーランドでは公刊されないままだった。」
この注記はかつてからL・コワコフスキが記していた可能性もあるが、2012時点でのAgnieszka Kolakwskaya (L・コワコフスキの娘)によるものかもしれない。少なくともこの選集では、L・コワコフスキが英語で執筆していないものは、この人が(原文を)英訳したとされている。
最後に、加藤哲郎に戻らなければならない。
加藤は1990年時点でポーランドに「コラコフスキー」という名の現存?社会主義に批判的な哲学者がいることを知った筈だが、その後にL・コワコフスキに対する関心をいかほど持ち続けたかは疑わしい。
1990年前後に欧米に滞在していたとすれば、何かのおりに、とくにポーランド関連では、Leszek Kolakowski の名を重要な人物のそれとして知ったとしても、またマルクス主義・共産主義・社会主義との関連で彼のMain Currents of Marxism という大著の存在を知ったとしても不思議ではないが、そのようなことはなかったのかもしれない。
いったい何が日本から<マルクス主義の主要潮流>を遠ざけたのか、関心を引き続けることだ。