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第3節。
(1)ようやく2013年、かなり完全なシャラモフの作品集がロシアで(7巻本で)出版された。
彼は外国ではドイツで最もよく知られていて、6冊のうち4冊が翻訳されており、近刊の書物として出版された。
コルィマ・ストーリィの一部分の信頼できる英訳書は1980年に、John Glad の翻訳で<コルィマ物語(Tales)>として出版された。
1994年に、のちの書物からのその他の物語の一部が、<コルィマ物語>に追加された。
現在の総巻とその姉妹篇は、英語で読めるシャラモフの作品の量の、二倍以上になるだろう。
不幸なことだが、英語によるシャラモフの伝記や彼の作品の研究書は、まだない。
ドイツ語を読める人々は、Winfried F. Scholler の<生きるか書くか—語り手・Warlam Schalamov>を利用できるだろう。//
(2)一方で、シャラモフを翻訳するのはむつかしくない。
彼は、一切の文体による効果を避けている。ほとんどの物語は故意に「粗っぽく」書かれ、同じ形容詞を繰り返すのを恐れておらず、隠喩も最小限にとどめている。
しかしながら、ある面では翻訳者を苦しめるに違いない。これが、悪漢たち、つまり政治的受刑者をもっと地獄に追い込んだ、親譲りで職業的な泥棒や殺人者たちの言葉遣い、<fenia>または<blatnoi yazyk>の言葉遣いだ。
<fenia>は、オデッサ・イディッシュ、多様なスラヴ語由来の、トルコ語起源すらもつ方言だ。そして、たぶんこの200年の間に定着してきた。
しかしながら、英語での犯罪者用語は、数年ごとかつ全ての都市で変わっている。
ただ18世紀のロンドンでは安定した犯罪者用語があったが、今日にそれを理解できるのは数人の専門家だけだ。
このような理由で、この英語版では、シャラモフが登場させる犯罪者たちは、僅かばかりのよく知られた俗語とともに、誰とも似たように語る。
興味深いことだが、シャラモフは、コルィマにいた間はわずか一つの散文しか書いていない。化学実験室の責任者だった収監技術者のPodosinov のための、犯罪者用語に関する600語の辞書だ(近刊の「Galina Pavlovna Zybalova」の物語を見よ)。
Podosinov は通過するトラックに轢かれて死に、この辞書の原稿は失われた。—ロシアで犯罪者俗語の辞書類が増加しているにもかかわらず、このことが犯罪者用語の解釈を容易にしなかった。//
(3)妻のAnna がこの訳書の初版を読んでくれて、間違いや不適切表現、遺漏から救ってくれたことに大いに感謝している。
その仕事は、彼女の父親のDmitri Vitkovsky がシャラモフのように収容所で人生の半分を過ごしたことを考えると、彼女にはとくに困難だった。
Susan Barba の如才がなくて綿密な編集についても感謝したい。また、ロシア国立人文資料館のNatalia Efimova に対しても、公刊されている文章に誤植があると(間違って)疑ったときにシャラモフの草稿を点検してくれたことに、感謝する。//
(4)「私が収容所で見て理解したこと」の最後の項目での主張にもかかわらず、シャラモフは、自分の素材を完全に分かっていた。そして、誰もが理解することができるように、書いた。
—Donald Rayfield
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序文、終わり。シャラモフの本文(の英語訳)を試訳する予定はない。