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神仏混淆(・習合)や神仏分離について学校や家庭でとくに教えられないままで育った。歴史教科書の明治維新の項に書いてあったかもしれないが、記憶していなかった。
だから、この15年ほどの間に神社仏閣、とくに寺院を訪れて、驚き、また興味深く感じることもあった。
談山神社(奈良県桜井市)を訪れて、拝礼のときに、ここは寺だったか神社だったか一瞬迷ったことがあったことは、だいぶ前にこの欄に書いた。小ぶりの十三重塔の存在は原因の一つだった。豊川稲荷(愛知県)は今は寺院だと訪問時に知って驚いた。そのうちに、今は寺院だが、境内や本堂のすぐ前に「鳥居」があるのにも慣れてきた。「聖天」と付く寺院はそうだろう。宝山寺(奈良県生駒市)、世義寺(伊勢市)など。
今年になって、神社本庁が「本宗」としている神宮(伊勢神宮)にもかつては一体だった寺院があった、五十鈴川を挟んだ丘陵の中腹にかつてはあって今は破壊されたままだ、と書いてある文献を読んで、驚いた。伊勢神宮にすら、江戸時代には、ペアとなる仏教寺院があったのだ。
今年2023年の6月に特段の大きな期待なく木山寺(岡山県真庭市、高野山真言宗)を訪れてみて、神仏が物理的にも一体になっている、正確には仏教的本堂のすぐ後ろに神道的建物(「鎮守社」)がくっついて存在しているのをこの目で見て、驚くというよりも、感心した。神仏混淆そのままだ、と。
下の写真のように、仏教上の本尊は薬師如来と観音菩薩、「鎮守社」の祭神は「木山牛頭天王」と「善覚稲荷明神」。本堂・鎮守社の建物の他に、境内には四つの「稲荷大明神」を祀る「末社」の祠等々もあった。
この寺院はもともと現在もある木山神社と一体だったようで、山の上の方の木山寺に対して、下の方に今の木山神社の本殿等がある。
しかし、かつては神社の本殿(正殿)だったらしい現在の「奥宮」は、一つだけ道を隔てて、木山寺のすぐ近くにある(下の写真の8枚めが「奥宮」)。
木山神社の現在の本殿の祭神は「須佐之男命」で、その隣の別の大きい木造建物は「善覚稲荷神社」とされている。両者のあいだに「天満宮」(菅原道真が祭神)もある。牛の石像が前にある。
「牛頭天王」とは現在の京都・八坂神社の祭神と同じで、元々は中国・朝鮮半島由来の「神」だったところ、諸説があるようだが、日本的に「素戔嗚」に転じることがあるらしい。そして、アマテラス系の神を祭る神社(全国の数の上では少ない)とは別のグループの神社群を形成している。スサノオ(>牛頭天王)系を祭神とする神社に限っている、八坂神社を含む<朱印帳>がある(正確には、かつて八坂神社の朱印が捺されたその朱印帳を所持していた)。
京都・八坂神社(祇園社)の境内には、かつて薬師如来を本尊とした仏教建築物もあるはずだ(確認しない)。
牛頭天王・蘇民将来命は「疫病」から人々を守ってくれる神だったはずなのに、昨年までコロナ禍の数年間、「祭り」である「祇園祭り」自体が挙行されなかったのだから、その「ご利益」は本当は信じられていないのではなかろうか。最も健康のための仏神であるはずの(左掌に薬壺を乗せる)薬師如来を本尊とする京都の著名寺院も、数年間は「拝観」停止にしていたのだから、似たようなことが言えるだろう。
肝心のときに祭りが行われず、拝礼も遠慮させるとは、いったい何のための宗教なのか、と問題にしたくもなる。本格的に立ち入るつもりは全くない。比叡山延暦寺と北野天満宮の僧侶・神職者は、同日・同場所で<ご霊会>を開催したり(2020年9月4日、500年以上ぶり)、関西薬師霊場(49+α)構成寺院は同日に一斉に<祈願法要>をした(2020年5月2日)、といったことはあったのだけれども。逸れてしまったので、元に戻ろう。
木山寺の「鎮守社」の造形は見事だ(と素人には感じさせる)。かつて見た、高千穂神社(宮崎県)の本殿を思い出した。それが寺院の本堂に接続して後ろにひっそりと?存在しているわけだ。これほど明確に、神仏混淆の名残りを感じさせられたことは、これまで他にない。
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