秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

評論家

1983/池田信夫のブログ006。

 池田信夫ブログマガジン6月17日号「『ブログ経済学』が政治を変えた」。
 池田のおそらく意図ではない箇所で、あるいは意図していない態様で、その文章に「引っかかる」ことが多い。「引っかかる」というのは刺激される、連想を生じさせるという意味なので、ここでは消極的で悪い意味ではない。
 「物理学では学界で認められることがすべてだが、経済理論は政策を実行する政治家や官僚に認められないと意味がないのだ」。
 十分に引っかかる、または面白い。
 後の方には、こんな文章もある。
 「主流経済学者が…といった警告を繰り返しても、政権にとって痛くもかゆくもない。そういう批判を理解できる国民は1%もいないからだ。」
 学校教育の場では各「科目」の性質の差違、学術分野では各「学問・科学」の性質の差違は間違いなくあるだろう。
 理系・文系の区別はいかほどに役立つのか。自然科学・社会科学・人文科学といった三分類はいかほどに有効なのか。
 文系学部廃止とか人文社会系学部・学問の閉塞ぶりの指摘は、何を意味しているのか。
 経済学(・-理論、-政策)に特化しないでいうと、近年に感じるのは、<現実>と<理論・記述>の区別が明確な、または当然のものとして前提とされている学問分野と、<現実>と<理論・記述>のうち前者は遠のいて、<理論・記述>に該当する叙述が「文学」または「物語」化していく学問?分野だ。
 文学部に配置されている諸科目・分野でいうと、地理学・心理学は最初から別論としたい。ついで、歴史学は理系ないし自然科学に関する知見も本来は!必要な、総合的学問分野だろう。<歴史的事実>と<歴史叙述>が一致しないことがある、ということは古文献にせよ、今日の学者・研究者が執筆する文章にせよ、当然のことだろう。
 法学というのは「法規範」と「現実」は合致するわけではないことを当然の前提にしている。規範の意味内容の「解釈」を論じてひいては何がしかの「現実」に影響を与えようとする分野と、法史学とか法社会学とかの、直接には「法解釈」の議論・作業を行うのではない分野の違いはあるけれども。
 池田信夫もおそらく前提とするように、「経済」に関する「理論」とそれが現実に「政策」として政権・国家によって採用されるかは別の問題だ。さらには、特定の「理論」が「経済政策」として採用されても、それが「現実に」社会または国民生活にどういう影響を与えるかは、さらに別の話、別に検証を要する主題だろう。
 なお、日本では法学部内に置かれていることが多い政治学は、少なくとも<法解釈学>よりは経済学に近いような気がする。もちろん、「政治」と「経済」で対象は異なるけれども。よって、「政経学部」という学部があるようであるのも十分に理解できる。
 上に言及したような文学部内の科目・分野を除くと、<現実>と<物語化する記述>が曖昧になってくる傾向があるのは、狭義での「文学」や「哲学(・思想)」の分野だろう。
 そして、こうした分野で学部や大学院で勉強して、大学教授・「名誉教授」として、または種々の評論家として文章を書いたり発言をしたりしている者たちが、戦後日本を「悪く」してきた、というのが、近年の私の持論だ。
 なぜそうなるのだろうか。「事実」ないし「経験」によって論証するという姿勢、「事実」・「現実」にどう関係しているかという問題意識が、もちろん総体的・相対的にかもしれないが、希薄で、<よくできた>、<よくまとまった>、<読者に何らかの感動を与える>まとまりのある文章を作成することを仕事としている人々の基礎的な学修・研究の対象が「文学」だったり哲学者の「哲学書」だったり、本居宣長等々の「作品」だったりして、そしてそれら<著作物>の意味内容の理解や内在的分析(むろん書き手・読み手両方についての「他者」との比較を含む)だったりして、直接には<事実>・<歴史的現実>を問題にしなくとも、あるいはこれらを意識しなくとも仕事ができ(報酬が貰え)、評価もされる、ということにあるだろう。
 適切な例かどうかは怪しいが、「狭義」の文学とはいったいいかなる意味で「学問」なのだろう。
 ある外国(語)の「文学」に関する論考が大学の紀要類に掲載されていて、それを読んだとき、これは「学問」か?と強く感じたことがある。
 その論考は要するに、ある外国(語)の「文学」作品を原外国語で読んで、邦訳し(日本語化し)、そのあとでコメントないし「感想」を記したものだった。
 こんな作業は、中学生・高校生が日本語の「文学」作品について行う「読書感想文」の記述と、本質的にいったいどこが違うのか。
 外国語を日本語に訳すること自体が容易でないことは分かるが、翻訳それだけでは一種の「技術」であり、あるいはせいぜい「知識」であって、とても「学問」とは言い難いのではないか。
 唐突だが、小川榮太郎が産経新聞社系のオピニオン・サイトに昨2018年9月28日に、書いていたことが印象に残った。表題は、「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」。
 毎日新聞に求められて原稿を書いたが、掲載されなかった。その内容は、以下だった、という。以下、引用。一文ずつ改行。
 「署名原稿に出版社が独断で陳謝コメントを出すなど言語道断。
 マイノリティーなるイデオロギー的立場に拝跪するなど文学でも何でもない。
 …に個の立場で立ち向かい人間の悪、業を忌憚なく検討する事も文学の機能だ。
 新潮社よ、『同調圧力に乾杯、全体主義よこんにちは』などという墓碑銘を自ら書くなかれ」。

 この文章は昨年夏の新潮45(新潮社)上の杉田水脈論考をきっかけとし生じた「事件」の当事者によるものだ。
 きわめて違和感をもつのは、どうやら小川榮太郎は自分の「文学」の仕事として、杉田水脈を応援し?、防衛?しようとしたようであることだ。
 杉田水脈論考は国会議員の文章で、「政治的・行政的」なものだ。
 そして、小川榮太郎がこれを支持する、少なくともリベラル派の批判に全面的には賛同しない、という立場を明らかにすることもまた、「政治的」な行動だ。
 執筆して雑誌に掲載されるよりも前にすでに、新潮45編集部からの(一定の意味合いの)執筆依頼を受諾したということ自体が、「政治的」行動だ。
 小川榮太郎は「文学」と「政治」の二つの「論壇」で自分は活動していると思っているらしく、これもまたきわめて怪しい。
 主題がやや別なのだが、「論壇」人とは要するに、少なくとも現在の日本にとくに注目すれば、いくつかの何らかの雑誌類への執筆という注文を受けて、文章という「生産物」を販売し、原稿料というかたちで対価を受け取っている、「文章執筆自営業者」にすぎない。
 大学・研究所その他ら所属していれば、副業かもしれないが、小川榮太郎のような者にとっては、「本業」としての「文章(執筆)請負・販売業」なのだ。
 企業である出版業者が<経営>を考慮するのは当然のことで、新潮社の社長の権限や内部手続の点はよく知らないのでともあれ、小川榮太郎が<表現の自由>の剥奪とか新潮社の<全体主義>化とかと騒いでいるのは、根本的に倒錯している
 元に戻ると、小川榮太郎が新潮45に掲載した論考が彼の「文学」だとは、ほとんど誰も考えなかったのではないか。
 今回に書きたかったことは、強いていえばここにある。つまり、「文学」と「政治」の混同・混淆で、自分の文章を「文学的」に理解しようとしないとは怪しからん、自分の「文学亅を理解していない、などという開き直りの仕方の異様さだ。
 もともと小川榮太郎は「文芸」評論の延長で「政治」評論もしているつもりなのだろう。
だから、文学・政治の両「論壇」で、などと書くにいたっている。
 そして、安倍晋三に関するこの人の「作品」は「文芸」評論の延長で「政治」にも関係した典型のもので、ある種の感動・関心を惹いたのだとしても、その内容は「物語」だ。
 現実・事実を最初から「物語」化してはいけない。あるいは「文学」化してはいけない。
 それらの基礎にある、何らかの「思い込み」、「妄想体系」の<優劣>でもって勝負あるいは<美しさ>、<作品の評価>が決まってしまう、というようなことをしてはいけない。
 それは狭い「文学」の世界では大切なことなのかも知れないが、事実・現実に関係する世界に安易に、あるいは幼稚に持ち込んではならないだろう。
 というわけで、ひいては、「文学」の<学問>性や他人の文章ばかり読んでいる「哲学研究者」なるものの「哲学」性を、ひどく疑っているわけだ。
 池田信夫の文章に関連して、さらに書きたくなること、連想の湧くことは数多いが、今回はここまで。

1896/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」②。

 まず、前回の余録。 
 杉田水脈は語る-「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する」という「旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデル」。
 たしかに、たぶんレーニンではなくスターリンのもとで、子どもに両親(二人またはいずれか)の「ブルジョア」的言動を学校の教師とか党少年団の幹部とかに<告げ口>させるというようなことがあったようだ。
 どの程度徹底されたのかは知らない。しかし、東ドイツでも第二次大戦後に、夫婦のいずれかが片方の言動を国家保安省=シュタージに「報告」=「密告」していることも少なくなかったというのだから、現在日本では<想像を超える>。
 しかし、「ブルジョア」的言動か否かを判断できるのは日本でいうと小学生くらい以上だろうから、「保育所」の児童ではまだそこまでの能力はないのではないか。
 これはそもそも、産まれたヒト・人間を「社会」・「環境」がどの程度「変化」させうるのか、という基本問題にかかわる。だが、ともあれ、「保育所」の児童の「洗脳」を語る場合に、杉田水脈は具体的にどういうことを想定したのだろうか。
 さる大阪府豊中市内の保育園か幼稚園で、子どもたちにそのときの総理大臣に感謝する言葉を一斉に連呼させていた例も平成日本であったようだから、スターリン(様?)に対してか共産党体制に対してか、感謝を捧げ、スターリン・ソ連万歳!と言わせるくらいの「洗脳」はできるだろうが、杉田水脈はそれ以上に、何を想定していたのだろう。
 保育所児童がマルクス=レーニン主義を理解するのはまだ無理で、<歴史的唯物論>はむつかしすぎるのではないか?
 そうだとすると、ソ連が日本でいう小学生程度未満の「子供を家庭から引き離し」た目的は、その母親を労働力として利用するために「家庭」に置かない、「育児」のために「家庭で子どもにかかりきりにさせる」のではなく「外」=社会に出て、男性(子どもにとっての父親を含む)と同様に「労働」力として使うことにあったのではないか、と思われる。
 1917年末の立憲会議選挙(ボルシェヴィキ獲得票24%、招集後に議論なく解散)は男女を含むいわゆる普通選挙で、かつ比例代表制的な「理想」に近いほどの?方式の選挙だったともいわれる。
 したがってもともと、「社会主義」には男女平等の主張は強かったのかもしれないが、その重要な帰結の一つは、「(社会的)労働」も男女が対等に行う、ということだったと考えられる。
 かつまた、当時のソ連の経済状態からして、男性を中心とする「労働」だけでは決定的に足りなかった。囚人たちも「捕虜」たちも、労働に動員しなければならなかった。
 そのような状況では、子どもを生んだ女性たちの力を「家庭内で育児にほとんど費やさせる」余裕など、ソ連にはなかった、と思われる。
 100人の女性が多く見積もって200人の幼児・児童の「子育て」に各家庭で関与するよりも、20人の「保育士」が200人の幼児・児童を世話をする方が、5倍ほども「効率」がよい。-各家庭または母親等の「個性的」子育て・しつけはできないとしても。
 以上のようなことから、「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設」で受け入れる必要がまずあったのであって、「洗脳」は、幼児や保育園児童については二次的、三次的なものでなかっただろうか。
 私はソ連史、ヒトの乳幼児時期や育児論、に詳しくはないし、上の数字も適当なものだ。
 しかし、女性の「労働」環境がソ連と現在の日本とでは出発点から異なることを無視してはいけないように思われる。
 多数の女性が「社会」に進出して?「工場」等で「労働」するようになると、それなりの(女性の特有性に配慮した)「女性福祉」の必要が、ソ連においてすら?必要になる。
 一般的にソ連または社会主義体制は「福祉に厚い(厚かった)」という宣伝を、資本主義諸国の状況と単純に比較して、前者を「讃美」・「称揚」することはできないのだ。-このトリックをいまだに語る日本人は少なくない。
 ともあれ、杉田水脈の「思考」はまだ不足しているのではないか、ということだ。
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 かつて、つぎの本があり、上下二巻を私は面白く読んだ。
 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫 1945-1970/上・下(麗澤大学出版会、2010)。
 文学または文芸分野の著作かにも感じられるが、しかし、著者は法学部出身で政党活動にも関係していたからでもあろう、タイトルの二人の言説の比較、経緯等をときどきの「政治」の世界とその歴史の中で位置づけ、論述していたのが興味深くて、かなり一挙に読み終えた。当時の自分の関心にも適合していたのだろう。
 だが翻って感じるのは、この遠藤浩一(故人)の仕事・著作は、いったいいかなる性格の知的営為であって、無理やり分けるとしていかなる<ジャンル>のものなのだろう、ということだ。
 日本戦後史の一部の「歴史研究」という意図があるいはあったかにも見える。「文芸」も「文芸評論」も作家の「小説」類も、歴史的叙述の対象に、それらを対象に限ったとしても、なりうる。しかし、著者は正面からその旨を謳ってはいなかった。
 むしろ、記憶に残る印象は、二人の文芸・文学「知識人」を素材にした、戦後の「政治」とその歴史の一端についての、遠藤による<物語>または<作品>だった、ということだ。
 最近までも含めて、「歴史」に関する書き物での、いったいいかなるレベルの叙述なのかが曖昧なものがきわめて多いように見える。
 単純に二分すると、歴史「研究」書又は歴史「研究」を基礎にした一般向け書物なのか、それとも歴史に関する「お話」、個人的に思いつきや思い込みを含めて書いた「物語」、あるいは後者を含む意味での、要するに歴史叙述に名を借りた「作品」か。(これらとは、最初から歴史「小説」と明言されているものはー「時代小説」も含めてー、史料を踏まえていても、もちろん区別され、別論だ。)
 むろん、このように単純化はできない。前者を歴史「学界」または「アカデミズム」の一員によるものに限るのもおそらくやや狭すぎる。
 井沢元彦の<歴史研究>をアカデミズムは無視するかもしれないが、単なるマニア、歴史好きのしろうと(私のような)では、この井沢はないだろう。
 しろうとよりは多数の知識をもっていて「専門家」とすら自己認識している可能性すらあるようにも見える八幡和郎は、しかし、日本史の「専門家」では全くないだろう。歴史好きの平均的なしろうと(私のような)よりは「かなりよく知っている」程度にとどまると思われる。
 長々と余計なことを書いているようでもあるが、「歴史」に関する話題に収斂させたいのではない。
 小川榮太郎の文章を読んでいて興味深く思うのは、「文論壇」とか「文・論壇」とかのあまり見たことがない言葉が用いられていて、どうやら「文壇と論壇」を合わせたものを意味させているようであることだ。
 小川はどうも主観的には、「文壇」と「論壇」の両方で活躍??しているつもりらしい。
 先に遠藤浩一の著について感じた、これはいかなる性質の、どの分野の言述なのか、が小川榮太郎についても問題になりうる。
 いかほどに深く、この点を小川榮太郎が思考しているかは、疑わしい。
 <文学的に政治を語る>のは、より正確には<文学・文芸評論家の感覚で政治そのものを論じようとする>のは、そもそも間違っているのではないか。
 いや、小林秀雄も、福田恆存も、あるいは三島由紀夫も、とか小川は言い出すかもしれない。しかし、あくまで現時点での個人的な印象・感覚だが、これら三人は、<文学・文芸>の分限とでもいうべきものを弁えており、<政治そのもの>に没入はしなかった。
 むろん三島由紀夫の自衛隊・市ヶ谷での1970年の行動は、<政治そのもの>であって、<文学・文芸>の分限を超えるものであることを三島自身は深く自覚・意識していたに違いない。このような意味で、同じ人間が時機や特定の言動について、二つの異なる世界を生きることはあるが、同じ人間が同じ時機と同じ言動によって異なる二つの世界を生きることを(三島由紀夫はかりに別論としても)、小林秀雄も福田恆存も慎重に避けていたのではないだろうか。
 小川榮太郎が<文学的に政治を語る>のは、より正確には<文学・文芸評論家の感覚で政治そのものを論じようとする>のは、間違っているのではないか。
 むろん、「文学・文芸評論家」ではなく、「政治評論家」あるいはさらに「政治活動家」として自分は言動している、と言うのであれぱ、それでよい。それで一貫はしている。
 (つづく)

1895/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」①。

 2018年9月の新潮45<騒動>の出発点となったのは杉田水脈の文章で、それを大きくして決着をつけた?のは、小川榮太郎の文章。
 2年近く前の小林よしのり、ちょうど1年前の篠田英朗。タイミングを失して、この欄に書こうと思いつつ果たしていないテーマがある。
 新潮45問題に関して気になっていたことを、ようやく書く。時機に後れていることは、当欄の性格からして、何ら問題ではない。
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 原書・原紙で読んだわけではないが、杉田水脈はこう書いている。ネット上で今でも読める。
 産経新聞2016年7月4日付、杉田・なでしこリポート(8)。
 「保育所を義務化すべきだ」との主張の「背後に潜む大きな危険に誰も気づいていない」。
 「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしている」。
 一部かと思っていたら「数年でここまで一般的な思想に変わってしまう」とは驚きだ。
 「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」。
 「これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、…『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。…保育所問題もその一環ではないでしょうか」。
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 2018年の「生産性」うんぬんの議論の芽は、ここにすでに見えている。
 この言葉とこれに直接に関係する論脈自体は別として、秋月瑛二は上のような議論の趣旨が分からなくはない。また、一方で、「保守」派はすぐに伝統的「家族」の擁護、<左翼>によるその破壊と言い出す、という<左>の側からの反発がすぐに出るだろうことも知っている。
 戦後日本の男女「対等」等の<平等>観念の肥大を、私は懸念はしている。
 しかし、上のようなかたちでしか国会議員が論述することができないということ自体ですでに、「知的」劣化を感じざるをえない。
 第一に、現在日本での「保育所」問題あるいはとくに女性の労働問題と「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデル」とを、あまりに短絡に結びつけているだろう。
 百歩譲ってこの「直感」が当たっているとしても、その感覚の正当性をもっと論証するためには、幾十倍化の論述が必要だ。旧ソ連の「子育て」・労働法制(または仕組み・イデオロギー)と日本の現下の保育所を含む児童福祉・労働法制等の比較・検討が必要だ。
 そのかぎりで、杉田水脈は一定の「観念」にもとづいて、「思いつき」でこの文章を書いている。
 第二に、唐突に「コミンテルン」が出てくる。これはいったい何のことか。
 杉田水脈が「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」と明記するには、それなりの根拠あるいは参照文献があるに違いない。
 いったい何を読んでいるのだろうか。また、その際の「コミンテルン」とはいかなる意味か。
 「コミンテルン」を表題に使う新書本に、この欄でまだ論及するつもりの、以下があった。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 この本で江崎は戦争中の「コミンテルンの謀略」を描きたかったようだが、そして中西輝政が本当に読んだのかが決定的に疑われるほどに(オビで)絶賛しているが、江崎自身が中で明記しているように、「コミンテルンの謀略」とはつまるところ「共産主義(・マルクス主義)の影響」の意味でしかない。タイトルは不当・不正な表示だ。
 「謀略」としてはせいぜいスパイ・ゾルゲや尾崎秀実の「工作」が挙げられる程度で、江崎自身が、無意識にせよ、客観的にはソ連・共産党を助けることとなった言論等々を含むときちんと?明記している。
 上の本は正式には<共産主義と日本の敗戦>という程度のものだ。しかも、延々と明治期からの叙述、聖徳太子に関する叙述等々があって、コミンテルンを含むソ連の「共産主義者」に関する叙述は三分の一すらない。
 さて、杉田水脈における「コミンテルン」も、何を表示したいのだろうか。
 しかも、これは「弱体化したと思われていた」が「息を吹き返しつつあ」るもので、しかも、「一番のターゲットが日本」なのだとすると、本拠?は日本以外にあり、かつ日本以外にも攻撃対象になっている国はある、ということのようだ。本部は中国・ペキンか、それともロシア・モスクワか。ひょっとしてアメリカ・ニューヨークにあるのか。
 これは、「コミンテルン」=共産主義インターナショナルという言葉に限ると、<デマ>宣伝にすぎない。この人の「頭の中」には存在するのだろう。
 左にも右にもよくある、<陰謀>論もどきだ。
 ロシア革命が「原因」でヒトラー・ナツィスの政権奪取があったとする説がある。なお、レーニン・十月革命(10月蜂起成功)ー1917年、ヒトラー・ミュンヘン蜂起失敗ー1923年。
 両者の<因果関係>は、間違いなくある。ほんの少し立ち入ると、両者をつなぐものとしてリチャード・パイプス(Richard Pipes)もかなり言及していたのは<シオン賢人の議定書>だ。記憶に頼って大まかにしか書けないが、これは当時に刊行のもので、ロシア・十月革命の原因・主導力を「ユダヤの陰謀」に求める。又はそのような解釈を積極的に許す。かつ、その影響を受けたドイツを含む欧州人は「反ユダヤ人」意識を従来以上に強くもつに至り、ヒトラーもこれを利用した、また実践した、とされる(なお、いつぞや目にした中川八洋ブログも、この議定書(プロトコル)に言及していた)。
 理屈・理性ではない感情・情念の力を無視することはできないのであり、中世の<魔女狩り>もまた、理性・理屈を超えた「情念」あるいは「思い込み」の恐ろしさの表れかもしれない。
 現在の日本の悪弊または消極的に評価する点の全てまたは基本的な原因を、存在してはいない「コミンテルン」なるものに求めてはいけない。もっときちんと、背景・原因を、そして戦後日本の政治史と社会史等々を論述すべきだ。
 <左翼>は右翼・ファシスト・軍国主義者の策謀(ときにはアメリカ・CIAも出てくる)を怖れて警戒の言葉を発し、<右翼・保守>は左翼の「陰謀」に原因を求めて警戒と非難の言葉を繰り返す。
 要するに、そういう<保守と左翼>の二項対立的な発想の中で、左翼またはその中の社会主義・共産主義「思想」を代言するものとして、おそらく杉田水脈は(まだ好意的に解釈したとしてだが)、「コミンテルン」が息を吹き返しつつある、などと書いたのだろう。
 産経新聞編集部もまた、これを簡単にスルーしたと思われる。産経新聞社もまた、江崎道朗と同様に?、「コミンテルンの陰謀」史観に立っているとするならば、当然のことだ。
 共産主義あるいはマルクス主義・社会主義に関心を寄せるのは結構なことだが、簡単にこれらを「観念」化、「符号」化してはならない。
 歴史と政治は多様で、その因果関係もまた複雑多岐で、「程度・範囲・濃度」が様々にある。
 幼稚な戦後および現在の「知的」議論の実態を、杉田水脈の文章も、示しているように思われる。

1855/「ポピュリズム」考-神谷匠蔵の一文から②。

 ポピュリズムとは字義からして、人種とか民族には関係がないと漠然と感じてきた。
 神谷匠蔵が2017年に「人種差別」や「排外主義」をも要素とするものだと「左翼」が意味を転倒させたとして嘆き又は批判しているのは、アメリカや欧州(とくにルペンのフランス)を意識してのことだろう。
 おそらく1年以上前にドイツに関する日本での報道特集的なものを見ていたら、ドイツ・メルケルの難民政策に批判的な活動をしている中年男性ドイツ国民を取り上げていて、同時に、その国民の話しかけに対して‘Schweine!’と吐き捨てた若い夫婦らしき二人のうちの男性も映像に捉えていた。
 邦訳されていなかったが、Schweine!とはたぶん、<ブタ野郎!>とかの意味だ。
 ドイツ政府の難民政策の見直し要求・批判をする者を侮蔑する国民も、一方にはいる、ということだ。
 欧米でのポピュリズムなるものが、各国での「難民」政策にかかわっており、したがってそれに関する議論が人種・民族に関連している、ということなのだろう。
 アメリカのトランプ(大統領)やフランスのルペン(この当時に大統領候補)を批判した(している)「左翼」の側が、この人たちを支持し、難民政策の変更または移入制限を求める人々や運動をポピュリズム(・ポピュリスト)とか称したのだろう。
 関連して思い出すのは、NHK等の日本のテレビ・メディアが、フランス・ルペンやドイツの政党・AfD(ドイツのための選択肢)を明瞭に「極右」と表現していたことだ。
 フランス社会党の候補が大統領決戦投票の二人の中に存在しなかったという状況で、二人の候補の一人を「極右」と形容したのは、フランス国民に対して失礼だっただろう。
 共・社・中道左派・中道右派そして「極右」という時代のままの、すでに古くさい図式に日本のメディア関係者は嵌まったままだと感じたものだ。しかも、日本にこそある、日本的な外国人移民・労働政策への真摯な検討の姿勢を新聞も含めた日本のメディアにはあまり感じないような状態であったにもかかわらず。
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 日本でポピュリズムという語を使った批判があることを知ったのは、橋下徹に対する佐伯啓思による批判によってだっただろうか。その後に昨年も小池百合子に対する批判の中で、「ポピュリズムに陥ってはならない」というようなことが説かれていたように思う。
 日本での議論・評論の特徴の一つは(あるいはどの国でもきっとそうなのだろうが)、意味不分明なままで言葉がすでに何らかの評価(ポピュリズムの場合は批判的・蔑視的評価)を持ったものとして使われることだ。
 一年ほど前だろう、天下の読売新聞が「ポピュリズム」についてこれをとくに「大衆迎合主義」と言い換えて、言葉・概念の説明する小さい欄を設けていた。
 これもどとらかと言えば、批判的・消極的な評価を伴うものだったが、違和感を感じた。
 神谷匠蔵によると「大衆の熱狂」の喚起又はその利用がこの言葉の中核要素らしいのだが、そこまで進まない「大衆迎合」くらいは読売新聞社もどの新聞社も行っていることで(そうでないと販売できないだろう)、他人事のごとく大新聞社が「大衆迎合主義」と訳して解説していたのが奇妙で、あるいはむしろ面白かった。
 厳密には違うと訂正されそうでもあるが、民主主義とは民衆主義・大衆主義でもあるのであり、もともと「大衆迎合主義」の要素を含んだ概念ではないのだろうか。Democracy のDemo とは「大衆」であり、あるいは「愚民」のことだろう。
 「大衆迎合」を批判できる民主主義体制など存立し得るのだろうか。
 これは言葉の意味・射程の問題で、少なくとも、決まり切った答えはないだろう。
 しかし、この言葉になおこだわって想念を働かせると、新聞や雑誌の販売部数もテレビ番組の視聴率も、あるいは全ての(物やサービスの)商品の売れ行きも「大衆に迎合」してこそ高くなるのであって、「大衆迎合はけしからん」などとは、ほとんど誰も口にできないのではないか。
 にもかかわらず「大衆」を何となくバカにする、ポピュリズム=「大衆迎合主義」批判はどうも偽善的だ。本音では、販売部数を、視聴率を、販売額等々を読者・視聴者・消費者大衆との関係で「上げたい」はずなのに。
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 ところで、佐伯啓思は2012年かその次の総選挙の際に、<ポピュリズムがどう評価されるか、それが今回の選挙の争点だ>と投票前に何かに書いていた。選挙後にこれについての総括をこの人はたぶん何も行っていなかったはずだ。
 今日に捲っていた本の中で原田伊織が「学者」と「物書き」の区別をしていた。
 佐伯啓思の新聞や雑誌での文章はたぶん学者・研究者の「論文」ではなく評論家という「物書き」の仕事としてのものなのだろう。この人は一年くらいからは「死に方評論家」にもなったらしく、また西部邁逝去後には西部に関連して「右か左かなどはとるに足らない問題だ」とか某雑誌に書いていた。佐伯啓思に全く限りはしないのだが、「学者」の議論は専門家すぎるか全体・大局を見ない議論・主張であることも少なくなく、たぶん「評論家」なるものも含まれるだろう「物書き」は玉石混淆だが「玉」は滅多にいなくて、アホらしくて読めないものがや多い。
 この感想に圧倒的に寄与した大人物は、佐伯啓思ではなく、月刊正論(産経)毎号執筆者・江崎道朗。第三者には理解し難いかもしれないが、とりわけ日本会議系「保守」論者の低レベル、いやそういう高低の評価自体になじまないほどの悲惨さ・無残さには唖然とした。こんなヒドさでも、平気で出版できる日本のアマさ、ユルさは相当の程度に達している。
 あまり意味のない、退屈な文章を書いてしまった。

1837/2018年8月-秋月瑛二の想念③。

 一 「知」的作業は何らかの「価値」をもち得るので、対価を受けることは当然にあり得る。そのこと自体を問題視しているのではない。
 ただ、指摘しておきたいのは、対価という「金」は自分自身や自分に頼る「身内」が食って生きていくための資力そのものなので、<食って生きて>ゆくために「知」的表現内容を微小とも(または大きく?)変えるというのは、十分にあり得る、ということだ。
 この原稿のままでは編集者は「いい顔をしないかもしれない」、この雑誌の読者には支持されそうにない、この新聞の読者層が関心をもってくれるだろうか、反論・批判が山のように編集部に届くとイヤだなあ、等々。
 こういうことを一切考慮しないで、日本の<言論人>・<評論家>たちは「自由」に、「独立」して、「知」的表現活動を行っているだろうか。
 誰でも最低限度<食って生きる>ことを考えるだろうから、このこと自体もまた、一概に非難することはできないだろう。
 しかし、読者としては、そういう考慮もして原稿を書き、「知」の作業をしている論者もいる、ということを意識しておくべきだろう。
 固有名詞は挙げないが、私にはつぎの趣旨の文章の記憶があって、印象に残っている。
 一つ。ある人が、某新聞紙上で<~と私をネットで批判する人がいるが、その当時は、これの他に見解発表媒体はなかったのだから、仕方ないではないか、という旨を書いていた。
 二つ。別のある人が、既発表のものを集めた某単行本の中で、この当時はこれが発表できるギリギリの線でした、という旨を書いていた。
 要するに、発表媒体を何とかして持ちたい「言論人」もいること、「知」的作業の発表内容を雑誌によって<自主規制>している「言論人」も明瞭に存在している、ということだ。
 そうした「言論」の内容が、完全に<自由>なものになっているはずはないだろう。
 関連して、前回に触れた、自己を<差別化>するための言論という例も思い浮かべることができるが、固有名詞を挙げるのがこの稿の目的ではない。
 別に「知」というものの虚像性には触れたい。
 ともあれ、現に世俗の世界で行われている「知識」や「理解」あるいは「評論」の作業は、生きているヒトの行動として、人間・ヒトの本能や限界から全く自由というわけではない。少なくとも、この秋月瑛二の書きものとは違って、「金」=対価や「名誉・顕名」と関係があるかぎりは。
 二 議場での議長席や演壇・演説者台から見るとたしかに、議場の「左翼」と「右翼」(およびその中間)という感覚が先立つだろう。
 だが、前回の述べ方には不十分さがある。すなわち、ヒトは二本脚を持ち、左右の二本の腕を(ふつうは)持つので、そうでなくとも<右と左>の感覚は本能的にあるだろう。
 そして、第一に、脚で地上に立つということ自体、下へと働く強い「引力」とそれがない「上」の区別の意識もまた、本能的に内在させていると思われる。
 第二に、脚で歩くのは「前を向いて」だから、人間の眼が前方しか見えない(真後ろが見えると怪人だろう)結果として、見えない「うしろ」の感覚も、要するに「前と後」を区別するという意識も、本能的に持つものと思われる。
 この第二の点は、重要なことだ。つまり、<前進と後退>、<進歩と退却>という意識は相当に強く人間に根ざしていて、前者をこそ、つまりは<前進>や<進歩>を後者と違って「良い」ものとする思考は、かなり本能に近いように見える。
 「前進」と題する機関紙をもつ政治団体もあるようだし、日本共産党中央委員会の月刊雑誌は「前衛」と題する。
 逸れかかるのかは止めるが、こうなってくると、<進歩>か後退・保守または反動かは、そもそも言葉の上で最初から勝負がついているようなものだ。
 もともと、「前進」は、前へと「進む」のは、ヒト・人間にとって必要不可欠で、「良い」ものにほとんど決まっているのだ。
 元に戻って、さらに続けよう。
 こうして、少なくとも三次元(左右・上下・前後)の意識を人間は本来有しているはずなのに、<右か左か>、<(共産主義を含む又は容認する意味での)民主主義かファシズム・軍国主義か>という左右線的、二項対立的思考がなおも強いように思われるのは、いったいどうしてだろうか。最も単純な「発想」を選びたいのかもしれない。
 <アベ政治を許さない>のか否か、<安倍政権の敵か味方か>(産経新聞社『月刊正論』のある号の目次・冒頭)という発想も全く同じのようなものだ。
 もっとも、月刊正論編集部はたぶん2016年末か2017年初頭に、公式に?四象限からなる「思想」チャートを示したことがあった。ヨコ軸とタテ軸を使う、線的思考ではない、平面的(二次元的)思考での整理だと言える。
 その内容の欠陥にいささか驚いて、私なりの四象限チャートをこの欄に示したこともある。
 それぞれを確認するために、ここで区切ろう。
 別の論脈だが、「自分」と「他者」、「自分たち」と「それ以外」、<内と外>、<味方と敵>。
 これらはかなり本能に根ざしているだろう。しかし、<内と外>や<味方と敵>という二分を狂熱的に意識してしまうと、いったいどうなるだろう。こんなことにも触れたい。

1836/2018年8月-秋月瑛二の想念②。

 一 「知識」や「思考」の作業やそれを発表する作業もまた、<食って生きて>いくことと無関係ではありえない。綺麗事や理念のために「知的」営為が行われてきたとは全く限らない。
 こう前回に書いた。ではこのブログ欄はどうなのかが問題になる。やはり昨年に何度かつぎのように書いていた。
 大海の深底に棲息する小さな貝の一呼吸が生じさせる海水の微少な揺れのようなものだ。
 全ての個人・組織(・団体)から「自由」であり、「自由」とは孤立している、孤独だ、いうことでもある。
 というわけで、かりに「知的」営為だとしても(少なくとも、単にうまい、きれい、かっこいいとだけ何かに反応しているのではない)、私の場合は<食って生きて>いくことと何の関係もない。生業・職業ではないし、何らかの経済的利益を生む副業でもない。誰かに命じられて書き込んで「小遣い銭」をもらっているわけでもない。
 しばしば何のためにこの欄を、と思ってきて、途中で止めようと思って放置したこともあった。せいぜい読書メモとしてでも残していこうかと思って1800回以上の投稿になったのだが、このブログ・サイトというのは自分が感じまたは考えたことを時期とともに記録し、検索可能なほどにうまく整理してくれる便利なトゥールだと徐々に明確に意識したからだろう。
 このような<自分のための>という生物の個体固有のエゴイズム以外に、この「知的」営為の根源はないだろう。
 ときに閲覧者数が数ヶ月にわたってゼロであれば(数字だけはおおよそ分かるが、かなり早くから-日本国憲法「無効」論者から「どアホ!」と貼り付けられてから-、コメント・トラックバックを遮断している)止めようかと思ったりする。それでもしかし、つまり読者ゼロでも、上の便利な機能は生きているので、やはり残して、気がむけば何かを表現しようとし思っている。
 最近はこういう秋月瑛二のような発信者も多いかもしれない。
 しかし、新聞・雑誌に活字になる文章やテレビ等で発言される言葉には「知的」作業そのものだったり、その結果だったりするものの方が多いだろう(政治・社会に直接の関係がなくとも)。
 二 そのような「知識」や「思考」の作業あるいは「知的」営為は、いかなる<情念>あるいは<衝動・駆動>にもとづいてなされているのだろうか。近年は従前よりも、こうしたことに関心を持つ。
 だいぶ前にJ・J・ルソーの<人間不平等起源論>を邦訳書で読み終えて、この人には、自分を評価しない(=冷遇した)ジュネーブ知識人界(・社交界?)への意趣返し、それへの反発・鬱憤があるのではないか、とふと感じたことがあった。
 ついでに思い出すと(この欄で既述)、読んだ邦訳書の訳者か解説者だった「東京大学名誉教授」は、その本の末尾に、「自然に帰れ!」と書いたらしいルソーに着目して、ルソーは自然保護・環境保護運動の始祖かもしれない旨を記していた。「アホ」が極まる(たぶんフランス文学者)。
 戻ると、「知的」文章書き等のエネルギーの多くは、①金か②名誉だろう。
 別の分類をすると、A・自分が帰属する組織(新聞社等)の仕事としてか、またはB・フリーの執筆者として(対価を得て)、「知的」文章書き等をしているのだろう。
 後者には、いわゆる評論家類、「~名誉教授」肩書者、現役大学教授や大手研究所主任等だが本来の仕事とは別に新聞や雑誌等に寄稿している者も含む。
 これらA・Bのいずれの場合でも、①金の出所にはなる(義務的仕事の一部か又は原稿料としてか)。
 また、Aの場合でも、自分が帰属する(何らかの傾向のある)組織の中で目立って社会的にはかりに別としても組織内で「出世」することは、つまるところは金または自分の生活条件を快適にする(良くする)ことにつながるだろう。組織・会社の一員としての文章であっても、<名誉・顕名→金>なのだ。
 Bの場合には、<名誉・顕名→金>という関係にあることは明確だろう。
 そして名誉又は顕名、要するに<名前を売って目立つ>ためには同業他者と比べて自分を<差別化>しなければならない。あるいは<角をつける>必要がある。
 そのような観点から、敢えて人によれば奇矯な、あるいは珍しい主張を文章化する者もいるかもしれない。
 但し、この場合、a文筆が完全に「職業・生業」であるフリーの人と、b別に大学・研究所等に所属していて決まった報酬等を得ているが、随時に新聞・雑誌等に「知的」作業またはその結果を発表している人とでは、分けて考える必要がおそらくあるだろう。
 食って生きる-そのための財貨を得る、ということのために、a文筆が完全に「職業・生業」の人にとっては、原稿等発表の場を得るか、それがどう評価されるかは直接に「生活」にかかわる。なお、おそらく節税対策だろう、この中に含まれる人であっても「-研究所」とかの自分を代表とする法人を作っている場合もある。
 櫻井よしこ、江崎道朗。武田徹、中島岳志の名前が浮かんできた。
 四人ともに、それぞれに、上に書いたことに沿って論じることもできる。
 それぞれについて、書きたいことは異なる。しかし、書き始めると数回はかかるだろう。

1704/谷沢永一・正体見たり社会主義(1998)③など。

 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998/原1994)。
 メモ書きをつづける。マルクスについて要領のよいと思われる批判が並ぶ。
 「国家なき社会の運営のプラン」はマルクスになく、レーニンにも「何もなかった」。p.164。
 「レーニンは、プロレタリア-トの独裁によって過渡的な形でできる国家は、勝利獲得後、ただちに死滅しはじめると考えた」。
 レーニンは「マルクス主義とアナーキズムには類似性があると認めるところまでいっていた」。「国家の代わり」の「実務のみの社会」は「人間の善意のみで運営」される村役場あるいはバザールで、「極端な復古主義」だ。p.166-7。
 レーニンは当初は「プロレタリア-トの党については、考えていなかった。革命さえ起こせば、すべてが解決する」はずだった。<国家と革命>には「党のことはほとんど触れられていなかった。これは歴然たる事実なのである」。p.168-9。
 上の最後はほとんど同趣旨が、L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1974、英訳1976)の中にある。他の部分も、L・コワコフスキが叙述していることと似たようなことを書いている。
 谷沢はL・コワコフスキ著をある程度知っていたかとも思わせるが、党については、革命直前の<国家と革命>研究書・論評書は多かったりするので、常識的なことなのかもしれない。
 但し、革命前の運動期の<何をなすべきか>では独自の、職業家から成る意識的・純粋な党の像を語り、メンシェヴィキと対立した。革命後の党の役割、国家と党の関係等には熟考のないまま、「革命」=権力剥奪に進み切った(好機があれば逃さなかった)のだろう。権力奪取の後の政治・行政の<付け焼き刃>。
 何が根拠なのか、レーニンに「甘い」部分もある。
 「レーニンが考えた党の独裁とは、合議制による運営」で、「レーニン個人による独裁」でなかった。スターリンがこれを踏みにじった。p.192。
 「独裁」の意味にもよるが、ソヴェトの内部での一党支配、ソヴェト自体からの自立、を経ての国家=一党支配体制におけるレーニンの位置は、<立法・行政>権ともに持ちかつ<司法権>を下部に置く「人民委員会議の議長(首相とも紹介される)」かつ党中央委員会委員長だ。その人民委員会議や中央委員会が「合議制」というのは全くの建前で、レーニンの意思・意向に反することは決められていない。
 但し、スターリンは党内部の政敵・意見対立者を「殺した」が、レーニンはそこまではしなかった(反面では、党「外部」者、例えば左翼エスエル指導者、対しては行なった)。
 スターリンによる<大テロル>(1935-38年又はより短くは1936-38年)は、今日では日本共産党すらが大々的に批判している。
 谷沢p.203によると、1935-38年の4年間に、10月「革命」時の名のある指導者たちの「ほとんど全部が、トロツキストの汚名のもとに逮捕投獄された」。しかも「その多くが」「処刑されていった」。1934年党大会で選出された中央委員・同候補のうち「7割の98人」、同大会代議員の「過半数」が「処刑ないし追放された」。p.203。
 逮捕・拘束-「自白(強要)」-刑法典等による「処刑」もあれば、陰に陽にの「暗殺」=不意打ちの突然の殺戮もあった。スターリンの「意」をうけた殺戮者グループがいた。
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 ところで、この本については、10年以上前に、この欄の前のサイトで言及していた。
 2006年9月下旬にすでに。ぼんやりとある程度読んだ記憶があるだけで、書き込んだことまではすっかり失念していた。こんなことは他にもしばしばあるので、イヤになる。 №--0044・2006年09/23付でこうある。谷沢関係部分の全文。
 「谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)を2/3ほど読んだ。
 平易な語と文章で解りやすい。この本は同・『嘘ばっかり』で七十年(講談社、1994)の文庫化で、題名どおり日本共産党批判の書だ。
 今でいうと「…八十年」になるだろう。もっとも終戦前10数年は壊滅状態だったので、1945年か、実質的に現綱領・体制になった1961年を起点にするのが適切で、そうすると『嘘ばっかり』の年数は少なくなる。
 それにしても谷沢は日本近代文学専攻なのに社会主義や共産党問題をよく知っている。戦前か50年頃に党員かシンパだったと読んだ記憶があるが、『実体験』こそがかかる書物執筆の動機・エネルギ-ではなかろうか。」
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 谷沢永一の没後、昨年に、二巻選集が刊行された。
 浦安和彦編・谷沢永一・二巻選集/上・精撰文学論(言視舎、2016.01)。
 鷲田小弥太編・谷沢永一・二巻選集/下・精撰人間通(言視舎、2016.09)。
 とくに後者を一瞥したが、鷲田小弥太の解説・解読も読む価値がある。また、谷沢のすさまじい知識ぶりにも感心する。
 もっとも、誤っていると思われる事実認識や論評も散見される。
 こうした「知識人」が存在したことについて、種々、感じることもある。
 ①戦後日本の「大学」というもの、「大学教授」というものの存在。谷沢永一の生活を支え、こうした「自由」な言論ができたのも、「大学(教授)」という制度が存在したからだ。
 ②関西と東京(または首都圏)。中西輝政ですら、京都・関西と東京(首都圏)の言論人・論壇人(?)との<距離>について、何かで語っていた。
 東京集中のメディアと出版業界も関係する。京都よりさらに東京から「遠い」大阪にいたことも、<谷沢永一>を生んだに違いない。
 司馬遼太郎についてもまた、この観点を無視できないだろうと思われる。
 ③上に関係があるのかどうか、谷沢永一は<新しい歴史教科書をつくる会>の教科書を批判した。まだ生ぬるい、あるいは<左翼的・自虐的>だ、というのがおおよその理由だったかと思う。
 日本の<保守>論者、<保守>的言論の歴史も複雑だ。
 ④上の「下」に収載の<日本通史>(別に単行本になっていて、所持している可能性が高い)は、一人でここまで書ける<文学評論家>がいたのかと驚かせる。
 だが、反・非マルクス主義的であるものの、<天皇・皇室>を肯定的な意味で重視したり(なお、「天皇制」という語をマルクス主義概念だとして拒否する)、昭和天皇を称えたりと、ある意味では、1990年代までの(今もつづく?)「左翼・自虐史観」に反対するがゆえだと思われる、明治維新以降に関する歴史叙述があるのも印象的だ。
 この「知識人」もまた、時代の制約から全く「自由」ではなかった、と思われる。
 全く「自由」だった人、全く「自由」な人、はいるのか、と問われると、皆無と答えるしかないのかもしれない。
 個々の人間が、時代環境、所属する国家、思考するために使う言語、成長過程も含めて学校教育あるいは文献読書で入手した知識・情報から「自由」でないはずはない、ということだろう。
 上の③や④は別に触れるかもしれない。

1699/門田隆将8/6ブログの「ファクト」無視と「夢見」ぶり。

 門田隆将は「ファクト」重視の「リアリスト(現実主義者)」か。どの程度に?
 出所の特定が最近はむつかしい。援用、二欄以上にほぼ同時に掲載、などによる。
 門田隆将が8/6のどこかのブログサイトで書いている。
 第一。つぎは、「ファクト」無視だろう。
 いわく。-「森友や加計問題で、“ファクト”がないままの異常なマスコミによる安倍叩きがやっとひといき…」。
 「異常なマスコミによる安倍叩き」があったことは、私も「ファクト」だと思う。
 しかし、「“ファクト”がないままの」と断じるのは、ファクトを無視している。
 何らかの<違法>とか明らかな<裁量権逸脱>のレベルだけが、議論の際に考慮されていた「ファクト」ではないだろう。
 森友にさしあたり限る。門田隆将さん、以下は、「ファクト」ではないのか?
 ①森友の籠池某氏は、「日本会議」の会員か役員だった(現在どうかは別として)。
 ②安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園の「名誉校長」だった。
 ③安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園で講演をしている。(謝礼受領の有無・金額はともかく)。
 ④安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、籠池某氏の妻(法人役員)と、今年になって、<電子メール>のやりとりを数回した。
 ⑤籠池某氏は、<安倍晋三記念小学校>と命名することを考えていた(安倍晋三が断った、固持したからといって、この事実は消えないだろう)。
 ⑥竹田恒泰は数回、この森友関係学校・学園で講演をした(本人が語った)。
 上は、「ファクト」だろう。もっと他に、このレベルのものはあるに違いない。
 むろん、⑥は安倍晋三とは無関係。しかし、産経新聞派的「保守」派の竹田の行動は、①とともに、籠池某氏の、少なくともかつての、申請時や行政折衝の時代の<政治信条>を推認させうる。もとより<政治信条>によって法廷で裁かれてはならない(法的な「優遇」もいけないが)。
 ②、③、④は、安倍晋三ではなく、安倍昭恵のこと。安倍晋三そのものではない。しかし、そのようには切り離せないことは、門田隆将も理解できるはずだ。安倍晋三は妻・昭恵の行動をどこまで放任、容認、了解していたのか、という疑問が出てきても<やむをえない>。
 以上は、何の犯罪でもないし、補助金適正化等々の違反でもない。
 しかし、「ファクト」ではあるだろう。
 第二。門田隆将は書く。-「用意周到な計算の末に改造され、“リアリズム内閣”となった安倍政権が、対『石破茂』戦争という明確な方針を示し、かつ、憲法改正問題や、都民ファーストとの戦いを念頭に動き出すことで、永田町はこの夏、『新たなステージ』に進んだのである。」
 美しい応援、激励の言葉だ。「リアリズム内閣」は意味やや不明だが、これから明確になるのかもしれない。
 対石破茂論あるいは「『決められない都知事』小池氏は、これまで書いてきたリアリズムの“対極”にいる政治家であろう」という小池百合子観も、まあよいとしよう。産経新聞・「日本会議」派的評価だが。
 しかし、以下は、門田隆将がリアリスト(現実主義者)ではなく、ドリーマー(夢想主義者)であることを示している。「6月に、私は当ブログで『やがて日本は“二大現実政党”の時代を迎える』というタイトルで、民進党の『崩壊』と、自民党に代わる新たな現実政党の『出現』について」書いたとし、民進党や小池新党はそういう現実政党ではない旨を述べたあとで、こう書く。
 いわく-。「しかし、国民は『二大現実政党』時代を志向し、実際に政局がそういう方向に向かっているのも事実である」。
 何だ、これは。最後の「…事実である」という断定は、何を根拠にしているのか。
 国民の声、多数の声なるものを紹介するふりをして自説を主張する、というレトリックはよく見られる。しかし。
 ①「国民は『二大現実政党』時代を志向」しているかは、実証されていない。
 ②「実際に政局ががそういう方向〔=おそらく二大現実政党の方向〕に向かっていることも、実証されていない。
 「ファクト」を大切にするはずの門田隆将にしては、えらく単直な、安易な「断定」だ。
 秋月瑛二は、日本共産党とそれを支持する国民が全有権者、正確には投票者の最高でも5%以下にならないと、絶対に二大政党制にはならないと、確信的に想定している。
 二つのうちの一つの大政党が完全な<容共>政党であれば、そんな二大政党制など形成されてほしくない。
 一方でまた、10%程度、500-600万票も日本共産党が獲得していれば、その票を欲しくなる政党が絶対に出てくる。
 二大政党制を語る前に、日本共産党を国会での議席がせいぜい2-3程度の、零細政党にしてしまわないとダメだ。
 小林よしのりが最近簡単に、二大政党制が日本の「民主制」のためにもよい、民進党頑張れ、との趣旨でつぶやいておられることにも、承服しかねる。
 以上の門田隆将に対する批判的コメントは、上のブログの内容に対するものであり、この人のこれまでの全仕事に対するものでは、当然に、ない。
 ---
 加計問題については、安倍晋三首相は、7/24に国会・委員会で、こう語ったとされる。 
 「友人が関わることですから、疑念の目が向けられるのはもっともなこと。」
 (「今までの答弁でその観点が欠けていた。足らざる点があったことは率直に認めなければならない。」)
 内閣改造の日、8/3の記者会見の冒頭で、安倍晋三首相は、こう言ったとされる。
 「先の国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設、防衛省の日報問題など、様々な問題が指摘され、国民の皆様から大きな不信を招く結果となりました。/そのことについて、冒頭、まず改めて深く反省し、国民の皆様におわび申し上げたいと思います」。
 これら「発言」があったこと自体は、「ファクト」になっている。
 門田隆将によると、こんな言葉はいっさい不要だったのか? 安倍晋三は心にもないことを「口先」だけで言ったのか?
 門田隆将は、民進党や共産党(+小池・自民党内非安倍)だけを批判しておきたいのか?
 「ファクト」重視の「現実主義」とは、そういう姿勢を意味するか??
 


 

1673/谷沢永一・正体見たり社会主義(1998)②。

 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)
 ←原著、谷沢永一・「嘘ばっかり」で七十年(講談社、1994)。
 谷沢永一によるとレーニンの特徴は「徹底した現実主義、機会主義」で、「理論は否定しないが、即応もしない」というもの。そして、①既成理論に囚われず、②目的のためなら手段を選ばず、③「共産主義実現ためならすべてが許される」を方針とする。
 これはネップについても現れていて、「一時的に国内を鎮めるためなら、共産主義からの逸脱も厭わない」という考え方を象徴するものだ、とする。p.184-6。
 ネップ導入=「共産主義からの逸脱」との理解はおそらく適切なものだ。
 L・コワコフスキを参考にしていうと、ネップ導入は共産主義経済政策の失敗の是認だった。
 さらに言うと、「共産主義」経済自体が人間の本性に反するものであって、そもそもが成功する見込みがないものだった。
 食べて生きていく、そのために必要な物をまずは自分(・家族)のために得ようとする、という人間の本性を、「共産主義」は無視している。もともと、理論上・観念上の想定の失敗=非現実性がある。
 人間の本性を、イデオロギーや「独裁」あるいはテロルによって変えることができる、と考えること自体に欠陥があり、恐ろしさがある。
 元に戻ると、谷沢は、ネップについての日本共産党・不破哲三らの立論に言及していない。つまり、<市場経済を通じて社会主義へ>という路線の発見・明確化という(私に言わせれば)歴史の偽造に言及していない。
 また、この本の出版の前にあった1994年日本共産党大会での、<ソ連はスターリン以降は社会主義国ではなかった>論の珍奇極まりない登場についても、触れていない。
 広くよく知ってはいると思うが、継続的な、詳しい、日本共産党ウォッチャーではなかったようだ。マルクス、レーニン、スターリンを知ることも大切だ。日本共産党のときどきの主張や政策について知っておくことも重要だ。

1671/谷沢永一・正体見たり社会主義(1998)。

 原著、谷沢永一・「嘘ばっかり」で七十年(講談社、1994)
 → 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)
 読んだ痕跡があった。傍線からすると、間違いなく半分は読み終えている。
 1990年代半ば、まだ「つくる会」発足前。
 一冊全部が、反マルクス主義、反共産主義、そして反日本共産党という書物が刊行されており、そういう書物を一人で執筆できる人がいたのだ。
 谷沢永一、1929-2011。 
 上の「嘘ばっかり」で七十年、というのは、1922年創立の日本共産党が1992年に70年めを迎えたことを指すことは間違いない。
 広く知られてよいと思うので、内容構成をそのまま紹介する。文庫本による。//
 第Ⅰ部・世紀末、政治の転換点で考える。
  第1章・社会党終焉の構図。
  第2章・共産党に見る人間性の研究。
 第Ⅱ部・共産主義に躍らされた二十世紀。
  第3章・マルクスの「情念」。
  第4章・レーニンの「独創」。
  第5章・スターリンの「特性」。
 第Ⅲ部・二十一世紀へ向けての見方・考え方。
  第6章・現実対応の実証主義の時代。
 人間性を見つめて考える。//
 この人は、関西在住で、司馬遼太郎との交友も長かった。司馬や同著に関する書物も多い。
 何よりも、マルクス主義等々について、じつによく知っている。
 産経新聞社取材部編・日本共産党の研究(2016)などは、及びもつかない。
 猪木正道らの先行研究も、読んで踏まえている。
 一般的には常識でないか、知られていない、秋月瑛二が最近に読んだリチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキの本の一部と、まるで同じことをこの書物は書いているところがある。
 だが、「特定保守」あるいは「観念保守」あるいは「保守原理主義」の人たちは、きっと不満だろう。 
 なぜ、不満だろうか。そう、この本には<天皇>が出てこない。
 <天皇>中心主義は反共産主義と同義だと考えたら大間違いだ。
 <天皇>中心主義者は、そのいう観念・理念としての<天皇>を護持できるならば、共産主義者とも仲良くするだろうし、反共産主義の運動の先頭に立つことは決してない。
 その意味で、健全な反共産主義=私のいう「保守」への道筋を妨害している。あるいは、別の方向へと<流し込もう>としている。

1413/日本の保守-正気の青山繁晴・錯乱の渡部昇一。

 多くはないが、正気の、正視している文章を読むと、わずかながらも、安心する。
 月刊Hanada12月号(飛鳥新社)p.200以下の青山繁晴の連載もの。
 昨年末の慰安婦問題日韓合意最終決着なるものについて、p.209。
 「日韓合意はすでに成された。世界に誤解をどんどん、たった今も広めつつある」。
 p.206の以下の文章は、じつに鋭い。最終決着合意なるものについて、こういう。
 「日韓合意のような嘘を嘘と知りつつ認める……のではなくて嘘と知りつつ嘘とは知らない振りをして、嘘をついている相手に反論はしないという、人間のモラルに反する外交合意」。
 青山繁晴は自民党や安倍政権の現状にも、あからさまではないが、相当に不満をもっているようだ。そのような筆致だ。
 できるだけ長く政権(権力)を維持したい、ずっと与党のままでいたい、総選挙等々で当選したい、という心情それら自体を批判するつもりはないが、それらが自己目的、最大限に優先されるべき関心事項になってしまうと、<勝つ>ためならば何でもする、何とでも言う、という、(1917-18年のレーニン・ボルシェヴィキもそうだったが)「理念」も「理想」も忘れた、かつ日本国家や日本人の「名誉」に対して鈍感な政治家や政党になってしまうだろう。
 今年のいくつかの選挙で見られるように、自民党もまた<選挙用・議員等当選用>の政党で、国会議員レベルですらいかほどに<歴史認識>や<外交姿勢>あるいは<反共産主義意識>が一致しているのか、はなはだ疑わしい。
 二 月刊正論2016年3月号(産経)の対談中の阿比留瑠比発言(p.100)、「今回の合意」は「河野談話」よりマシだ旨は、全体の読解を誤っている。産経新聞主流派の政治的立ち位置をも推察させるものだ。
 三 すでに書いたことだが、昨年末の日韓最終合意なるものを支持することを明言し、「国家の名誉」という国益より優先されてよいものがあると述べたのが渡部昇一だった。
 同じ花田紀凱編集長による、月刊WiLL4月号(ワック)p.32以下。
 この渡部昇一の文章は、他にも奇妙なことを述べていた。
渡部昇一によると、かつての「対立軸」は<共産主義か反共産主義か>だったが、1991年のソ連解体により対立軸が「鮮明ではなくなり」、中国も「改革開放」によって「共産主義の理想」体現者でなくなり、「共産主義の夢は瓦解した」。
 このように書かれて喜ぶのは、日本共産党(そして中国共産党と共産チャイナ)だ。ソ連解体や中国の「改革開放」政策への変化により<共産主義はこわくなくなった。警戒しなくてよい> と言ってくれているようなものだからだ。
 長々とは書かない。基本的な歴史観、日本をめぐる国際状況の認識それ自体が、この人においては錯乱している。一方には<100年冷戦史観>を説いて、現在もなお十分に「共産主義」を意識していると見られる論者もいるのだが(西岡力、江崎道朗ら。なお、<100年冷戦史観>は<100年以上も継続する冷戦>史観の方が正確だろう)。
 また、渡部昇一が<共産主義か反共産主義か>に代わる対立軸だと主張しているのが、「東京裁判史観を認めるか否か」だ(p.37)。
 これはしかし、根幹的な「対立軸」にはならない、と秋月瑛二は考える。
 「東京裁判史観」問題が重要なのはたしかだ。根幹的な対立の現われだろう。しかし、「歴史認識」いかんは、最大の政治的な「対立軸」にはならない。
 日本の有権者のいかほどが「東京裁判」を意識して投票行動をしているのか。「歴史認識」は、最大の政治的争点にはならない。議員・候補者にとって「歴史」だけでは<票にならない>。
 ついでにいえば、重要ではあるが、「保守」論壇が好む憲法改正問題も天皇・皇室問題も、最大の又は根幹的な「対立軸」ではない、と考えられる。いずれまた書く。
 渡部昇一に戻ると、上記のように、渡部は「東京裁判史観を認めるか否か」が今や鮮明になってきた対立軸だとする。
 しかし、そもそも渡部昇一は、昨年の安倍戦後70年談話を「100点満点」と高く評価することによって、つまり「東京裁判史観」を基本的に継承している安倍談話を支持することによって、「東京裁判史観」への屈服をすでに表明していた者ではないか。
 上の月刊WiLL4月号の文章の最後にこうある。
 「特に保守派は日韓合意などにうろたえることはない」。「東京裁判史観の払拭」という「より大きな課題に」取り組む必要がある。「戦う相手を間違えてはならない」。
  ? ? ーほとんど意味不明だ。渡部昇一は、戦うべきとき、批判すべきときに、「戦う相手を間違えて」安倍70年談話を肯定してしまった。その同じ人物が、「東京裁判史観の払拭」という「より大きな課題に」取り組もう、などとよくぞ言えるものだ。ほとんど発狂している。
 四 天皇譲位問題でも、憲法改正問題でも、渡部昇一の錯乱は継続中だ。
 後者についていうと、月刊正論2016年4月号(産経)上の「識者58人に聞く」というまず改正すべき条項等のアンケート調査に、ただ一人、現憲法無効宣言・いったん明治憲法に戻すとのユニークな回答を寄せていたのが、渡部昇一だった(この回答集は興味深く、例えば、三浦瑠麗が「たたき台」を自民党2012年改憲案ではなく同2005年改憲案に戻すべきと主張していることも、「保守」派の憲法又は改憲通 ?の人ならば知っておくべきだろう。2005年案の原案作成機関の長だったのは桝添要一。桝添の関連する新書も秋月は読んだ)。
 探し出せなかったのでつい最近のものについてはあまり立ち入れないが、つい最近も渡部昇一は、たしか①改正案を準備しておく、②首相が現憲法の「無効宣言」をする、③改正案を明治憲法の改正手続によって成立させ、新憲法とする(②と③は同日中に行う)、というようなことを書いていた。同じようなことをこの人物は何度も書いており、この欄で何度も批判したことがある。
 また書いておこう。①誰が、どうやって「改正案」を作成・確定するのか、②今の首相に(国会でも同じだが)、現在の憲法の「無効」宣言をする権限・権能はあるのか。
 渡部昇一や倉山満など、「憲法改正」ではなく(一時的であれ)<大日本帝国憲法(明治憲法)の復活>を主張するものは、現実を正視できない、保守・「観念」論者だ。真剣であること・根性があることと<幻想>を抱くこととはまるで異なる。
 この人たちが、日本の「保守」を劣化させ、概念や論理の正確さ・緻密さを重んじないのが「保守」だという印象を与えてきている。

1377/日本の「左翼」-青木理。

 何日か前に<民主主義対ファシズム>等の図式の「観念世界に生きている」朝日新聞や大江健三郎の名を挙げるついでに、青木理の名前も出した。
 その青木理が7/24夜のテレビ番組(全国ネット)に出ているのをたまたま見て、さすがに正面からは「左翼」的言辞は吐かないだろうのだろうと思っていたら、最後の方で「歪んだ民主主義からファシズムは生まれるとか言いますからね」とか言い放った。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。テレビの生番組(たぶん)に出て、<民主主義対ファシズム>史観の持ち主、民主主義=反ファシズムという図式に嵌まっている者、であることを白状していた。その旨を明確に語ったわけではないが、「左翼」特有の論じ方・対立軸の立て方を知っている者にはすぐに分かった。
 その青木理は、毎日新聞7/25夕刊(東京版)にも登場していた。
 同紙第2面によれば、青木は、今次の東京都知事選に関して、鳥越俊太郎の元に「野党4党が結集したことが、どういう結果をもたらすか」、「一強状態の安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築けるか、否か」という「視点でもこの選挙を見ています」と言ったとされる。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。野党4党の結集が「結果」をもたらしてほしい、「安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築」いてほしい、と青木が思っていることがミエミエだ。
 青木理の名前は、月刊Hanada2016年9月号(飛鳥新社)誌上の青山繁晴の連載のp.209にも出てくる。
 青山によれば、6/30発売の週刊文春7/07号の中で青木理が「元共同通信社会部記者」と紹介されつつ、青山を「中傷」しているらしい(週刊文春は購読せず、原則として読まないので、直接の引用はできない)。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。青山繁晴の考え方・主張を知っているだろうし、青山が自民党から参議院議員選挙に立候補したとなれば、ますます批判したくなったとしても不思議ではない。
 青山によれば、青木は「朝日新聞の慰安婦報道を擁護する本」を出しているらしい。これを買って読んだ記憶はまるでないことからすると、私の青木理=「左翼」という判断は、その本の刊行以前に生じていたようだ。
 青木理は<日本会議>に関する本も最近に出したようだ。菅野完の扶桑社新書も気持ち悪いが(産経新聞の関連会社で育鵬社の親会社の扶桑社がこういう内容の新書を刊行することにも、日本の「保守」派の退嬰が現れている)、青木理による<日本会議>本がもっと気持ちが悪く、「左翼」丸出しの本になっているだろうことは、想像に難くない。


1364/日本の「保守」-水島総という勇気ある人、月刊正論(産経)誌上で。

 中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)から再び引用する。
 ・「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」(p.97)。
 ・「心ある日本の保守派」が、「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして」、意味ある批判・反論をしないことに「大きな衝撃を受けた」(p.109)。
 こうした中で、水島総という人物は、勇気がある。
 月刊正論(産経)3月号p.106で水島は言う。「時が経つにつれ、安倍政権が歴史的大愚行を犯してしまったことが明らかになりつつある」。
 このあと2007年のアメリカ下院決議に当時の第一次安倍晋三政権は「反論も抗議も」せず、安倍総理も「残念」だとしたにとどまるという経緯等を、批判的に述べている。
 この2007年7月米国下院決議については、秋月も当時、警戒しなくてよいのか、放置してよいのか等を(たぶん直前に)記していた。その過程で、岡崎久彦が<じっと我慢するしかない>旨を書いていることを知って(正確な文章は最近の中西輝政論考の中にある)、改めて確認しないが、当時、そんなことでよいのか旨の疑問を示したこともあった(はずだ)。
 また、水島総は、2015.12の日韓慰安婦問題「合意は、我が国の安全保障体制にも重大な痛手を与える可能性がある」として、「人心」・「自衛隊員の士気」への影響等に論及している(p.108-9。異なる観点からの安全保障の観点からの疑問・批判は、後出の西尾幹二論考にもある)。
 そして水島総は、安倍政権「打倒」は主張しないが、安倍政権「不支持」を宣言する(p.110-1)。
 同じ3月号の西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」は、最後にこう述べていた(p.81)。
 「日本人の名誉と運命を犠牲にしてこのような決断をあっという間にしたことが成功だったと言えるかどうかは、本当のところまったく分からない」。
 「言論界はいま、この問題で政治的外交的に過度に配慮する必要はなにもない。日本人の名誉を守るために、単純にノーと言えばよい」。
 「政治と言論、政治家と思想界とは立場が違うのだ。…。こちらから政治家に歩み寄るのはもってのほかである。安倍シンパの協力者たちには、そうあえて苦言を呈したい」。
 この言からすれば、水島総は同時期に、西尾幹二の言うような姿勢を示していたことになる。
 一方、別の雑誌の翌4月号で、2015.12日韓慰安婦問題「合意」を擁護、支持していた<保守>派らしき者もいたわけだ。この人物はいつから<安全保障・軍事>評論家になったのだろう。この分野の専門知識はほとんどないはずだが。また、いつから「政治評論家」になったのだろう。
 水島総月刊正論2016年8月号(産経)では、いわゆるヘイトスピーチ法に反対して、「だから言ったじゃないか、一体なぜ…こんな思いを第二次安倍政権樹立以来、もう何度も味わってきた。ざっと思い出しても、…」と書き始める(p.274)。そして言う。
 「『左ウィング』を拡げようとしたとき、安倍政権の根幹が崩壊する」(p.279)。
 成立してしまったこの法律に秋月も反対だ。この法律が責務法・理念法としてあるならば、在日本の「本邦外出身者に対する」<不当な優遇>を解消するための基本法があってもよいだろう。ここでまた?「歴史」とか「謝罪」を持ち出してはならない。
 それはさておき、上のような水島総の主張も、勇気がある。この論点を、産経新聞や月刊正論(産経)はいかほどに取り上げてきたのだろうか。
また、水島総は、上の法律の背景に<外国>があることを指摘しつつ、つぎのように締めくくる。p.279-280。
 「冷戦終結で、ソ連共産党は消失したが、共産主義は依然として、形を変えて生き残り続けている。それを私たちは夢々忘れてはならない。その中心が中国共産党である」。安倍政権を打倒したいのは、「国内の野党勢力だけではない」、「中国共産党政府」だ。「スパイ天国と言われる我が国に、様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透しているのは公然の秘密である」。
 秋月は<保守派>の中でもごく少数派に属していると自覚しているのだが、このような、 (中西輝政、西岡力、江崎道朗らと同様の)明確な<反・共産主義>の主張を読むと、少しは安心する。もっとも、「様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透している」としても、それは決して「公然の秘密」と言われるほどにはなっていないように見える。具体的な指摘と具体的な<暴露>が必要だ。
 なお、以上は、2016年参院選における投票行動をまったく意識しないで書かれている。
 そう言えば、ネット上で、安倍晋三の実際の言葉かどうかは確認していないが、つぎの面白い表現を見かけた。
 <いいですか、皆さん。民進党には、必ず共産党が付いてくるんですよ。

1308/中西輝政の憲法<改正>論。

 中西輝政・中国外交の大失敗 (PHP新書、2014.12) の最終の第八章のタイトルは「憲法改正が日中に真の安定をもたらす」であり、その最終節の見出しは「九条改正にはもはや一刻の猶予もならない」だ。そして、「九条改正という大事の前では、集団的自衛権の容認など、取るに足らない小事」で憲法九条を改正すれば「集団的自衛権の是非などそもそも問題にはなりえない」等ののち、「日本人はいまこそ一つの覚悟を固めて」、「日本国憲法の改正、とりわけ第九条の改正」にむけて「立ち上がらなければならない」等と述べて締めくくられている。
 このように中西輝政は憲法「改正」論者であり、<改正というべきではない、廃棄だ>とか<明治憲法に立ち戻ってその改正を>とか主張している<保守原理主義>者あるいは<保守観念主義(観念的保守主義)>者ではない。
 ではどのような憲法改正、とくに九条改正を、中西は構想または展望しているのだろうか。中西輝政編・憲法改正(中央公論新社、2000)の中の中西輝政「『自己決定』の回復」の中に、ある程度具体的な内容が示されている。
 すなわち、「九条の二項を削除し代わりに、自衛のための軍隊の保有と交戦権の明示、シビリアン・コントロールの原則と国際秩序への積極的関与に、それぞれ一項を立てる、というのが私の提案である。そして慎ましい『私の夢』である」(p.98)。
 そして、このような「九条二項の逐条改正を『最小限目標』とすべきである」ともされている(p.96)。
 この中西の案はいわば九条1項存置型で、同2項削除後の追加条項も含めて、基本的には、自民党改正案(第二次)や読売新聞社案とまったくか又はほとんど同じもののようだ。
 注目されてよいのはまた、「一括改憲」か「逐条改憲」かという問題にも言及があることで、「戦略」的な「現実の改憲」の容易性(入りやすさ)が意識されている。
 中西によれば、私学助成、環境権、プライバシー権など(の追加による逐条改憲)は「入りやすく」とも「『自己決定』の回復」とは到底いえず、一方、一括改憲は「改憲陣営の分裂を生じさせる」可能性があり、「何よりも時間がかかる」(p.96)。
 昨年末に田久保忠衛の論考(月刊正論(産経)所収)を読んで、ただ憲法改正を叫ぶだけではダメで、どの条項から、どういう具体的内容へと改正するのかを論じる必要がある、<保守派の怠惰>だと書いたのだった。しかし、中西輝政はさすがによく考えていると言うべきで、上のような議論を知ると、中西輝政を含めた<保守派>全体にあてはまる指摘ではなかったようだ(この中西編の著も読んだ形跡があるのだが、少なくともこの欄で取り上げたことはなく、-よくあることだが-中西論考の内容も忘れていた)。
 なお、上の2000年の中西論考は、中西輝政・いま本当の危機が始まった(集英社、2001)p.214以下、およびその文庫版(文春文庫、2004)p.196以下にも収載されている。
 とくに中西輝政と西尾幹二の諸文献、諸論文を、読む又はあらためて読み直すことをするように努めている。この稿はその過程でしたためることになった。

1291/幻想・妄想と正気-門田隆将・西尾幹二。

 一 もう1カ月以上前になったが、産経新聞4/19付の門田隆将「新聞に喝!/本当に『右傾化』か、いまだ左右対立をいう朝日」はほとんどそのとおりだと感じさせ、かつ示唆に富むものだった。
 統一地方選の結果を受けての朝日新聞4/13社説を素材にしているが、今日(現在・現代)についての一般論的叙述でもある。
 門田によれば、もはや「左右対立」の時代ではない、対立しているのは「空想と現実」だ。あるいは、「空想家、夢想家(dreamer)」と「現実主義者(realist)」の対立だ。
 したがって朝日新聞がいまだに「右傾化」という論評の仕方をするのは、「時代の変化に取り残され」ている、という趣旨でまとめられている。
 門田が「1989年のベルリンの壁崩壊以降、左右の対立は、世界史的にも、また日本でも、とっくに決着がついている」とか、自社両党による「55年体制」的思考の時代ではもはやない(旨)とか書いているのは、とくに前者はそのままでは支持できないことは何度も書いた。
 しかし、対立は<左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」にあるのではない、という基本的な趣旨は、最近はとくに共感するところがある。
 門田が「空想家、夢想家」と「現実主義者」の対立を“DR戦争”とも言えるとしているのは、熟していない概念・用語だ。それはともかく、現在の日本での議論の基本的な対立は、かなりの部分、<考え方によっていろいろ>、と割り切れる又は理解してよいものではなく、「空想・夢想」と「現実(直視)」の違いが表れているものだ、と理解して差し支えないように思われる。
 「空想・夢想」は、ここでは<幻想・妄想>と表現したい。一方、「現実(直視)」あるいは「現実主義」は、他に適切な語はないだろうかと感じられる。最終決定?ではないが、とりあえず、<正気>とでも表現しておこう。となると、<幻想と妄想>=<狂気>と<正気>の対立になってしまい、陳腐な用語法ではある。しかし、<狂気>と<正気>の違いという把握の仕方は、存外、本質を衝いているようにも思われる。
 集団的自衛権行使容認の政府解釈に反対する憲法学者たちの声明を読んで、私は<幻想と妄想>に陥ったままである、と感じる。学者さまたちだからより丁寧に言えば、<正しさが論証されていない観念に嵌まったまま>だ、と感じる。そして、言葉はきついが、<幻想と妄想>を抱いたままの人たちは、<狂気>の持ち主である、と表現することができる。すでにこの声明はこの欄で紹介しているが、批判的コメントは別に記述する予定だ。
 二 <左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」の問題ではない、というイメージを形成したきっかけは、どうやら、西尾幹二全集第14巻(2014、国書刊行会)を一瞥したことにあるようだ。
 <保守>の論客としての政治的・文化的な書物や論考に接してきたのだったが、上の本の内容におそらく明確に示されているように、西尾幹二は<左右>・<左翼と保守>とかの「イデオロギー」を<超えた>人物だ。そのことに初めて気づいたような気がした。西尾幹二のものはかなり読んできたようにも思っていたのだが、そして全集もすべて購入はしてきたのだが、全集の中を丁寧に読んでみる時間的余裕がなかった。
 上の著の全体は簡単に「人生論集」と題されているが、そこで種々に語られている、人生や人間についての洞察は、(あくまで凡人による論評ではあるが)深く、鋭い。その内容は直接には政治にも<左右対立>にも関係しておらず、基礎的でかなり普遍的だ。
 これまでこの欄に記してきたようなこととは性格をかなり異にするので、西尾幹二「人生論」の内容への言及はこの程度にする。
 西尾幹二の名前を知っている「左翼」は、すぐに「右派」、あるいは「右翼」の評論家というイメージと評価をしてしまうのかもしれない。だが、上に言及した「左翼」憲法学者たちも含めて、「左翼」論者たちは(但し、教条的日本共産党員を除く)、自らの考え方に自信を持っているならば、西尾幹二の上の著も読んで自らの感覚と思考方法の適切さを試してみよ、と言いたい。
 念のために付記しておくと、かつての<雅子皇太子妃問題>をめぐる議論でも示したように、西尾幹二の諸主張・見解のすべてに同意してきたわけではない。この問題については、西尾幹二を批判し、竹田恒泰に基本的には同調していた(「東宮擁護派」というレッテルを貼られたこともあった)。原発問題も、率直にいってよくは分からない。とはいえ、上に記した西尾著についての感想等を変えるつもりはない。
  

1280/倉山満は「憲法改正」を「恥の上塗り」等と批判する。

 〇 渡部昇一が日本国憲法無効論者であることはすでに触れてきたし、彼が依拠している書物のいくつかにもすでにこの欄で言及して批判してきた。
 あらためて、渡部の主張を、渡部・「戦後」混迷の時代に-日本の歴史7・戦後篇(ワック、2010)から引用して、確認しておこう。
 ・「…帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」との昭和天皇の上諭は、連合国軍総司令部長官に「嘘を言わされた」ものだ(p.118)。
 ・日本政府は独立時に「日本国憲法を失効とし、普通の憲法の制定か、明治憲法に復帰を宣言し、それと同時に、その手続に基づき明治憲法の改正をしなければならなかった」。
 ・「…日本国憲法をずるずると崇め、またそれを改正していくということをすべきではないのである」。
 ・新憲法の中身は日本国憲法と同じでもいいが、「今の憲法は一度失効させなければならない」(以上、p.119)。
 ・日本国憲法96条の「改正条項だけで日本をあげて何年も議論している」のは「滑稽極まりない」(p.119-120)。
  <失効>させる方法(手続)・権限機関への言及は上にはない。ともあれ、渡部昇一が憲法「改正」反対論者であることは間違いない。彼が、美しい日本の憲法をつくる国民の会の「代表発起人」等の役員になっていないのは、上のような見解・主張からして当然のことだろう。
 〇 最近に名前を知った倉山満は、いかなる見解のもち主なのか。先月に、田久保忠衛が起草委員会委員長だった産経新聞社案「国民の憲法」に対するコメントをする中で、日本国憲法無効論の影響をうけているのではないかという疑問を記し、倉山満の考え方をつぎのように紹介した。勝谷誠彦=倉山満・がんばれ!瀕死の朝日新聞(アスペクト、2014)の中で語られている。
 「日本国憲法の廃止」を「本当にできるなら」それが一番よい。そして、それをするのは「天皇陛下」のみだ。議会には廃止権限はない。憲法を廃止するとすれば「一度天皇陛下に大政奉還するしかない」、「本来はそれが筋」。日本国憲法改正手続によって「帝国憲法を復活」することは「論理的には可能」だ。
 「論理的には」とか「本来は」とかの条件又は限定が付いていたし、その他の倉山の著を読んでいなかったので最終的なコメントは省略していたのだが、彼の見解をほぼ知ることができたと思うので、以下に紹介しつつ批判しておく。
 まず、上ですでに語られている「天皇陛下」による日本国憲法の「廃止」は、「政府」あるいは「国会」による<無効>・<失効>・<廃止>決議・宣言を主張する考え方に比べて目新しいし、少しはましなようにも思われる。しかし、残念ながら論理的にも現実的にも成立せず、かつ現実的にも可能であるとは言えない。
 倉山が「天皇陛下」という場合の天皇とは、日本国憲法を「公布せしめ」た、日本国憲法制定時(・明治憲法「改正」時)の昭和天皇であられるはずだ。自らの名において御璽とともに現憲法を「裁可」されたのは昭和天皇に他ならない。そして、その当時の「天皇陛下」である昭和天皇が、渡部昇一の言うように「嘘を言わされた」ものでご本意ではなかったとして、主権回復時に<無効>・<失効>・<廃止>の旨を宣言されることは論理的にはありえないわけではなかったと思われる。しかし、昭和天皇は薨去され、今上陛下が天皇位に就いておられる。今上陛下が(血統のゆえに?)昭和天皇とまったく同じ権能・立場を有しておられるかについては議論が必要だろう。また、今上天皇は天皇就位の際、明らかに「日本国憲法にのっとり」と明言されている(「日本国憲法に基づき」だったかもしれないが、意味は同じだ)。天皇位はたんに憲法上のものではない、憲法や法律とは無関係の歴史的・伝統的なものだという議論は十分に理解できる。しかし、今上天皇に、現憲法を<無効・失効・廃止>と宣言されるご意向はまったくない、と拝察される。渡部昇一は、あるいは倉山満も、今上天皇も<騙された>ままなのだ、と主張するのだろうか。
 さて、日本国憲法<無効>論者によると、現憲法に対する姿勢は、<無効>と見なすか、<有効>であることを前提とするかによって、まず大きく二分される。こちらの方が大きな対立だと見なされる。ついで、<有効>論の中に「改正」=改憲論と「改正反対」=護憲論の二つがあることになる。後者の二つは<有効>論の中での<内部対立>にすぎないことになる。倉山満は、どの立場なのか?
 倉山満・間違いだらけの憲法改正論議(イースト新書、2013.10)は、以下のように述べている。
 ・安倍晋三内閣の政治を支持するが、「憲法論だけは絶対に反対」だ。自民党の改憲案は「しょせんは日本国憲法の焼き直しにすぎない」のだから「戦後レジームそのもの」だ(p.239)。
 ・日本国憲法「無効」論は、「法理論的には、間違いなく…正しい」。これによると、日本国憲法を「唯々諾々と押し戴いていることが恥なら、その条文を改正することは恥の上塗り」だ(p.244)。
 ・講和条約発効時に「無効宣言をしておけば、なんの問題もなかった」のだが、:現在の国会議員や裁判官は現憲法のもとで選出されているので、(これらが)「いまさら無効を宣言しようにも自己否定になるだけ」だ(p.244-5)。
 ・「天皇陛下が王政復古の大号令を起こす」か、「国民が暴力革命」を起こして現憲法を「否定するしかなくなる」が、いずれも「現実的」ではない(p.245)。
 このように「法理論」と「現実」の狭間で揺れつつ?、倉山はつぎのように問題設定する。
 「本来なら無効の当用憲法〔日本国憲法〕を合法的に改正するにはどのような手続きが妥当なのか」。
 論の運びからするとしごくもっともな問題をこのように設定したのち、倉山は「本書での回答は、もう少しあと」で述べる、としている(p.245)。
 だが、「どのような手続きが妥当なのか」という問題に答えている部分は、いくら探しても見つからない。
 むしろ、「憲法改正」は現実には不可能だ旨の、つぎの叙述が目を惹く。
 ・護憲勢力が一定以上存在するので、「憲法改正は戦争や革命でも起こらないかぎり、不可能」だ。いまの状況で「憲法の条文だけ変えても、余計に悪くなるだけでしょう」。「死ぬまでに…憲法改正を見たい」と「実現不可能な夢を見ても労力のムダ」だ(p.259)。
 そして、つぎの三点を「憲法典の条文を変える」ために不可欠の重要なこと、憲法の条文より大事なこと、として指摘してこの書を終えている(p.260-2)。これらは「手続」というよりも、憲法についての<ものの見方>あるいは<重要論点>だ。すなわち、「憲法観の合意」、「憲法附属法」(の内容の整備-「憲法典の条文だけ変えても無意味」だ)、「憲法習律」(運用・憲法慣行)。
 上の三つは、第一のものを除けば憲法改正に直接の関係はない。むしろ、憲法改正をしないでよりマシな法状態を形成するための論点の提示にとどまると思われる。
 つぎに、倉山満・保守の心得(扶桑社新書、2014.03)は上の書よりも新しいもので、倉山が日本国憲法の「改正」を批判し、それを揶揄する立場にあることを明確に述べている。以下のとおりだ。
 ・「自民党案も産経新聞案も、戦後の敗戦体制をよしとするならばよくできた案」だが、「戦後七十年間の歴史・文化・伝統しか見ていない」という問題点をもつ(p.179)。
 ・「日本の歴史・文化・伝統に正しく則っているのは、日本国憲法ではなく大日本帝国憲法」だ。
 ・「私の立場」は、「改憲するならば、日本国憲法ではなく帝国憲法をベースにすべきだ」にある。
 ・「少なくとも、…〔日本国憲法という〕ゲテモノの手直しなど、何の意味があるのでしょうか」。「恥の上塗り」だ(以上、p.180)。
 上掲の2013年の書では「無効」論に立てば現憲法改正は「恥の上塗り」だとしていたが、ここでは明確に自らの見解として同旨のことを述べている。
 上のあと、「実際に生きた憲法を作る」ために必要なものと表現を変えて、先の著でも触れていた「憲法観の合意」・「憲法習律」・「憲法附属法」の三つを挙げて、前著よりは詳しく説明している。
 憲法改正との関係では、「憲法観の合意」のところで次のように主張しているのが注目される。
 ・「まず、日本国憲法を改正するという発想を捨てる」。「もう一度、帝国憲法がいかに成立したかを問い直す」。「これが出発点」だ。
 ・「強硬派は日本国憲法を破棄せよとか、無効宣言をしろという論者もいますが、実現不可能にして自己満足の言論」だ。
 ・護憲派が衆参両院のいずれかにつねに1/3以上いたが、「今後、それを変えられる可能性がどれくらいあるの」か。「マッカーサーの落書きを手直ししたようなものを作ったところで、何かいいことがあるの」か。
 ・「日本という国を考えて」制定されたのは「帝国憲法」だ。「なぜ国益を損なう日本国憲法をご丁寧に改正する必要があるの」か(以上、p.182-6)。
 以上で、倉山満という人物の考え方はほぼ明らかだろう。とはいえ、先に示した分類でいうと、この人の立場はいったいどこにあるのかという疑問が当然に生じる。
 上記の紹介・引用のとおり、単純な日本国憲法「無効」論ではない。では憲法改正を主張しているかと言うとそうではなく、「恥の上塗り」等として批判し、(客観的には)<揶揄・罵倒>している。そして、憲法改正は現実には不可能だとの諦念すら示す。かといって、現憲法護持派に立っているわけでもない。
 じつに奇妙な<ヌエ>的な見解だ。
 「強硬な」<無効・破棄>論は「実現不可能にして自己満足の言論」だと倉山は言っているが、では倉山のいう「憲法観の合意」は容易に達成できるのだろうか。日本国憲法の改正ではなく明治憲法の改正という発想から出発すべきだという主張は、それこそ「実現不可能にして自己満足」の議論ではないか。
 また、憲法改正は現実には不可能だと想定しているのは、憲法改正運動に水をかける<敗北主義>に陥っていると言わざるをえない。この人物は、この点でも、地道な「憲法改正」の努力をしたくないのであり、現在の最も重要だとも考えられる戦線から、最初から逃亡しているのだ。
 倉山満とは、護憲派が「左翼」から憲法改正運動に抵抗しているのに対して、「右翼」からそれを妨害しようとしている人物だ、といって過言ではない。
 読んでいないが、倉山は産経新聞の「正論」欄にも登場したことがあるらしい。そこで、上に紹介したような見解・主張を明確にはしていないとすれば、原稿依頼者の意向に添うことを意識した<二枚舌>のもち主だろう。
 むろん、倉山満の<気分>を理解できる部分は多々ある。しかし、その主張の現実的な役割・機能を考えると等閑視するわけにはいかない。<保守派>らしい、ということだけで、警戒を怠ることがあってはならない、と断言しておく。

1241/宮崎哲弥が「リベラル保守」という偽装保守「左翼」を批判する。

 宮崎哲弥が週刊文春1/16号(文藝春秋)で「リベラル保守」を批判している。正確には、以下のとおり。
 「最近、実態は紛う方なき左翼のくせに『保守派』を偽装する卑怯者が言論界を徘徊している」。「左派であることが直ちに悪いわけではな」く、「許し難い」のは、「『リベラル保守』などと騙って保守派を装う性根」だ(p.117)。
 宮崎は固有名詞を明記していないが、この批判の対象になっていることがほぼ明らかなのは、中島岳志(北海道大学)だろうと思われる。
 中島岳志は自ら「保守リベラル」と称して朝日新聞の書評欄を担当したりしつつ、「保守」の立場から憲法改正に反対すると明言し、特定秘密保護法についてはテレビ朝日の報道ステ-ションに登場して反対論を述べた。明らかに「左派」だと思われるのだが、西部邁・佐伯啓思の<表現者>グル-プの一員として遇されているようでもあり、また西部邁との共著もあったりして、立場・思想の位置づけを不明瞭にもしてきた。だが、「左翼」だと判断できるので、西部邁らに対して、中島岳志を「飼う」のをやめよという旨をこの欄に記したこともあった。
 「リベラル保守」または「保守リベラル」と自称している者は中島岳志しかいないので、宮崎の批判は、少なくとも中島岳志に対しては向けられているだろう。
 適菜収も、維新の会の協力による憲法改正に反対すると明言し、安倍晋三を批判しているので、月刊正論(産経)の執筆者であるにもかかわらず、「実態は紛う方なき左翼」である可能性がある。但し、宮崎哲弥の上の文章が適菜収をも念頭においているかは明らかではない。なお、産経新聞「正論」欄執筆者でありながら、その「保守」性に疑問符がつく政治学者に、桜田淳がいる。「保守」的という点では、さらに若い岩田温の方にむしろ期待がもてる。
 ところで、宮崎哲弥は「自らのポリティカルな立ち位置」を明確にするために、「リベラル保守」を批判しており、自らは「保守主義者」を自任したことはなく、「あえていえばリベラル右派」だと述べている。そして、安倍政権を全面的に支持するわけでは全くないが、特定秘密保護法に対する(一定の原理的な)「反対論には到底賛同できない」とする。単純素朴または教条的な?「保守」派論者よりは自分の頭で適確によく考えているという印象を持ってきたところでもあり、自称「保守主義者」でなくとも好感はもてる。また、「仏教」・宗教に詳しいのも宮崎の悪くない特徴だ。もっとも、彼のいう「リベラル」の意味を必ずしも明確には理解してはいないのだが。
 同じ「リベラル」派としてだろう、宮崎は護憲派でありながら特定秘密保護法に賛成した(反対しなかった)長谷部恭男(東京大学法学部現役教授)に言及している。この欄で長谷部は「志の低い」護憲論者(改憲反対論者)としてとり上げたことがある。長谷部が特定秘密保護法反対派に組みしなかったのは、この人が日本共産党員または共産党シンパではない、非共産党「左翼」だと感じてきたことと大きく矛盾はしない。長谷部恭男が特定秘密保護法に反対しなかったことは、憲法学界で主流的と思われる日本共産党系学者からは(内心では)毛嫌いされることとなっている可能性がある。その意味では勇気ある判断・意見表明だったと評価しておいてよい。
 宮崎哲弥が長谷部恭男の諸議論をすべてまたは基本的に若しくは大部分支持しているかどうかは明らかではない。
 ヌエ的な中島岳志を気味悪く感じていたことが、この一文のきっかけになった。

1173/スメタナ「わが祖国」と新保祐司と私・秋月瑛二。

 「新憲法が『歴史的かなづかひ』で書かれ、建国記念の日に発布されれば、それだけでも新憲法の精神の核心は発揮されている」(産経新聞昨年5/08「正論」)というユニ-クな新憲法論(憲法改正論)を、戦前の条文のままだった刑法典や民法典(の財産法部分=家族法部分以外)が近年に「歴史的かなづかひ」を捨てていわゆる平文化されていることを知らず、従ってそれらの法律改正作業に反対しないままで書いていたはずの新保祐司は、産経新聞昨年3/29の「正論」欄では次のように述べていた。
 「スメタナの連作交響詩『わが祖国』は、とても好きな曲で」、「祖国愛というものに思いを致すとき、この曲はますます深い感動を与える」。
 私はウィ-ン(南駅)からプラハ本駅までの「スメタナ」号と冠した特急電車の中の後半に、スメタナ「わが祖国」を携帯プレイヤ-とイアフォンで聴きながら、外の景色を観ていた経験を持っている。

 新保祐司はなかなか想像力が豊かだ。私はチェコのまっただ中でスメタナの曲を聴きながらも(この曲はチェコ国民にとって重要で、一年に一度の記念式典でも演奏されるという知識は有していたが)、「祖国愛」には思い至らず、チェコと日本の違いをむしろ強く感じていた。
 スメタナ「わが祖国」が嫌いなわけではないし、その中の「モルダウ」(ヴルタバ。ドイツのエルベ河の上流)は河川のさざ波をも感じさせる美しい、いい曲でもある。
 だが、海を持たず、モルダウという大河一本に基本的には貫かれ、日本のそれとは異なりなだらかな山々の麓にボヘミア高原が広がる、という、日本と異なる、かつ日本と比べれば変化・多様性に乏しいチェコの自然環境をむしろよく表している音楽だと感じていた。
 国家の、あるいは国民・民族の代表的な曲も、自然や民族性の差異によって異なるものだ、という印象を強く持ちながら、プラハ本駅に到着するまでに最後の直前までを聴いていた。
 とりたてての主張があるわけでもない、新保祐司とは異なる、スメタナの曲についての感想だ。

1127/文芸批評家・新保祐司のユニークな憲法改正(新憲法制定)論。

 〇産経新聞5/08の「正論」欄で「文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司」の「憲法と私/日本人の精神的欺瞞を問いたい」を読んで、かつて文章のヒドさを指摘したことのある文芸評論家兼大学教授らしき者がいたが、誰だったのだろうと思い返した。1000回以上も書いていると、自分の文章であっても少なくとも詳細・細目は忘れてしまっているのがほとんどだ。
 調べてみると、やはり、批判した文章(「正論」欄)は新保祐司のものだった。
 1年も経っていない、昨年の8/09に、新保の産経新聞7/05の文章を批判し、8/17に簡単にポイントを再述している。
 後者によると、こうだ。引用する。  「新保祐司の産経7/05『正論』欄は、『戦後体制』または『戦後民主主義』を『A』と略記して簡潔にいえば、大震災を機に①Aは終わった、②Aはまだ続いている、③Aは終わるだろう(終わるのは「間違いない」)、④Aを終わらせるべきだ、ということを同時に書いている。レトリックの問題だなどと釈明することはできない、『論理』・『論旨』の破綻を看取すべきだ(私は看取する)」。
 こういう批判を受けながらも、大学教授先生、文芸評論家様は、依然として、産経新聞で「正論」をぶっていたようだ。あるいは、産経新聞は、そのような機会を、よく読めば訳の分からないことを書いている人物に与えていたようだ。
 〇今年5/08の上記の新保の「正論」には、文章ではなく、内容的な疑問を大いに持つ。
 新保の主張の要点は、新憲法の「本質を左右する根本的な」のは「形式に関わる問題」で、①新憲法は「歴史的かなづかひ」で書かれるべき、②新憲法は2/11の紀元節(建国記念日)に発布されるべき、ということだ。
 上の②にとくに反対はしないが、強く拘泥する問題でもないだろうと私は考えている。なお、現憲法は昭和天皇によって「公布せしめ」られたものであり、現憲法7条1号によれば、憲法改正は天皇によって「公布」される。新憲法制定が現憲法改正のかたちをとるかぎりは(その可能性がきわめて高いだろう)、「発布」ではなく「公布」という語が選ばれるだろう。これくらいのことは、知っておいた方がよい。
 問題なのは上の①だ。この点にこだわり、「歴史的かなづかひ」の条文でないと憲法改正または新憲法制定を許さない、という主張を貫徹するとすれば、憲法改正・新憲法制定はおそらく不可能になるだろう。なぜなら、もはやほとんどの国民が「歴史的かなづかひ」を読めないか理解できない可能性が高いからだ。いわゆる現代かなづかいの新憲法案と「歴史的かなづかひ」の同案を同時に示されれば、条文内容が同じであれば、ほとんどの国民が現代かなづかいの方を選択するのではないか。
 それではだめなのだ、ということを新保は主張したいのだろうが、その主張を貫きたければ、何年先の将来になるのか分からないが、新保には、現代仮名遣いの憲法改正・新憲法制定案に、その点を根拠とする「反対」の清き一票を投じていただく他はないだろう。
 新保の主張はもはや時代錯誤的で、現代仮名遣いによる教育が半世紀以上続いた、という現実を(頭の中で)無視している。頭の中・観念のレベルではいくらでも<元に戻せる>が、現実はそう旨くはいかない。
 それに、最近に自民党の新憲法改正案等が出され、いずれの案も「現代かなづかい」によっていることは、新保も知っている筈だ。上の文章を書くに際して、何故、自民党等の案が「歴史的かなづかひ」によっていないことを、強く批判しないのか
 また、「歴史的かなづかひ」が学校教育で教えられておらず、学んでいない国民が今やほとんどだという現実を、新保も知っている筈だ。新保は何故、学校教育(>義務教育)における「歴史的かなづかひ」教育導入の必要性や成人に対する「歴史的かなづかひ」教育(・研修?)の必要性を、具体的に強く主張しないのか
 ただ自己満足的に言っておきたいだけで、現実に少しでも影響を与えるつもりがないのならば、わざわざ「正論」欄に書くな、と言いたい。
 もともと興味深いのは、新憲法(憲法改正)の内容よりも、新保は「形式」が重要だ、と主張していることだ。より正確には、新保は最後にこう書いている-「逆にいえば、新憲法が『歴史的かなづかひ』で書かれ、建国記念の日に発布されれば、それだけでも新憲法の精神の核心は発揮されているというべきである」。
 きわめてユニークな主張だ。
 <「戦後民主主義」という「日本人の精神的欺瞞」こそまずは徹底的に問われるべきで、その厳しい過程を経ない限り、憲法の自主制定はできない。「議論百出の果てに、せいぜい、現行憲法の一部(例えば9条とか)の改正にとどまってしまうのではないか」>という観点から、「精神的欺瞞」を克服して新しく「内発的」に新憲法の制定をするためにも、上の二つの「形式」が重要だ、と新保は言う。
 気分・情緒は理解できなくはないが、この主張を推し進めると、例えば、現憲法九条二項の削除・国防軍の設置といった現九条の改正がなくとも、新保のいう二つの「形式」さえ満たせば、「それだけでも新憲法の精神の核心は発揮されている」ということになってしまう。
 上の①は現実的には不可能と見られる(実現されそうにない)主張なのだが、それをさておいても、いかなる内容の改正(新憲法制定)かを問題にしない憲法改正・新憲法制定議論は、今日的にはほとんど無意味だと思われる。
 新保祐司にどのような「文芸評論家」としての実績があるのかを全く知らないのだが、さすがに「文芸」畑の人は、面白い憲法論を(まじめに)展開するなぁ、というのが率直な感想だ。

1116/憲法・「勤労の義務」と自民党憲法改正草案。

 〇憲法や諸法律の<性格>について、必ずしも多くの人が、適確な素養・知識をもっているわけではない。
 憲法についての、「最高法規」あるいは<最も重要な法>・<成文法のうち国家にとって重要な事項を定めたもの>といった理解は、例えばだが、必ずしも適切なものではない。
 また、憲法に違反する法律や国家行為はただちに無効とは必ずしもいえない(そのように表向きは書いてある現憲法の規定もあるが)。そして、国民間(民間内部)の紛争・問題について、憲法が直接に適用されるわけでも必ずしもない。これらのことは、おそらく国民の一般教養にはなっていないだろう。
 塩野七生・日本人へ/リーダー篇(文春新書、2010)は「法律と律法」について語り(p.42-)、憲法はこれらのうちいずれと位置づけるのかといった議論をしているが、ボイントを衝いてはいないように思われる。失礼ながら、素人の悲しさ、というものがある。
 保守系の論者の中に、現憲法は国民の権利や自由に関する条項が多すぎ、それに比べて「義務」(・責務)に関する規定が少なすぎる、との感想・意見を述べる者もいる。櫻井よしこもたしか、そのような旨をどこかに書いていた。
 宮崎哲弥週刊文春5/17号の連載コラムの中で、「憲法の眼目は政府や地方自治体など統治権力の制限にあり、従って一般国民に憲法に守る義務はない」と一〇年近く主張してきたと書いている。この主張は基本的な部分では適切だ。
 もっとも、憲法の拘束をうける「統治権力」の範囲は、少なくとも一部は、実質的には「民間」部門へも拡大されていて、その境界が問題になっている(直接適用か間接適用かが相対的になっている)。
 上の点はともあれ、国家(統治権力)を拘束することが憲法の「眼目」であるかぎり、<国民の義務>が憲法の主要な関心にはならないことは自明のことで、「義務」条項が少なすぎるとの現憲法に対する疑問・批判は、当たっているようでいて、じつは憲法の基本的な性格の理解が不十分な部分があると言えるだろう。
 〇その宮崎哲弥の文章の中に、面白い指摘がある。この欄ですでに言及した可能性がひょっとしてなくはないが、宮崎は、現憲法27条の国民の「勤労の権利」と「勤労の義務」の規定はいかがわしく、「近代憲法から逸脱した、むしろ社会主義的憲法に近い」と指摘している。宮崎によると、八木秀次は27条を「スターリン憲法に倣ったもの」と断じているらしい(p.135)。
 現憲法24条あたりには、「個人」と「両性の平等」はあるが「家族」という語はない。上の27条とともに、現憲法の規定の中には、自由主義(資本主義)諸国の憲法としては<行きすぎた>部分があることに十分に留意すべきだろう。
 自民党の憲法改正草案の現憲法27条対応条項を見てみると(同じく27条)、何と「義務を負ふ」が「義務を負う」に改められているだけで、ちゃんと「勤労の義務」を残している(同条1項)。
 もともとこの憲法上の「勤労の権利・義務」規定がいかなる具体的な法的意味をもちうるかは問題だが、<社会主義>的だったり、<スターリン憲法>的だとすれば、このような条項は削除するのが望ましいのではないか。
 旧ソ連や北朝鮮のように<労働の義務>が国家によって課され、国家インフラ等の建設等のための労働力の無償提供が、こんな憲法条項によって正当化されては困る(具体化する法律が制定されるだろうが、そのような法律の基本理念などとして持ち出されては困る)。また、女性の子育て放棄を伴う<外で働け(働きたい)症候群>がさらに蔓延するのも―この点は議論があるだろうが―困る。
 自民党の憲法改正意欲は、九条関係部分や前文等を別とすれば、なお相当に微温的だ。<親社会主義>な部分、<非・日本>的部分は、憲法改正に際して、すっぱりと削除しておいた方がよい。

1092/佐伯啓思は「的確な処方箋を提示」しているか。

 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)に、佐伯啓思・現代文明論講義(ちくま新書)の書評が載っている。
 この本を概読したかもしれないが、きちんと憶えていない(憶えられるはずがない)。それはともかく、先崎彰容という1975年生まれの人物は書評の冒頭で、佐伯啓思の「作品の魅力」を次の二つにまとめている。
 一つに「『近代文明』が抱える問題を、その根本にまで遡り解明しようとすること」、二つに「その原理的・根本的な問題意識を携え、現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示しようとする姿勢」(p.175)。
 上の第一点にはほとんど異論はない。そのとおりで、「近代(文明)」を懐疑して、批判的に分析した諸業績(「反西洋」かつ「反左翼」の主張を含んでいるはずだ)は大いに参考になると思われる。
 だが、上の第二は「仲間褒め」の類で、いかに年配者への敬老?精神によるとしても、とても納得できない。
 なるほど「提示しようとする姿勢」が全くないとは言えないが、「現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示」してきたとはとても思えない。
 佐伯啓思は所詮は(といっても侮蔑しているわけではない)「思想家」なのであり、多様な「現代日本の政治・経済・文化」の諸問題を論じているわけではないし、ごく一部を除いて、「的確な処方箋を提示」などはしていない、と思われる。
 憲法改正の方向を論じたことはないだろうし、そもそもが現在の改憲論議に言及することさえほとんどないだろう。<少子化問題>への処方箋を示してはいないし、これと無関係とは思われない<フェミニズム>に論及したことも、ほとんどなかったと思われる。
 「現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示しようとする姿勢」がそもそもあるのかどうか自体を、私は疑問視している。そして、お得意の経済(政策・思想)問題を除けば、佐伯啓思が「現代」について「的確な処方箋を提示」しているとは言えないのではなかろうか。橋下徹警戒論もその一つだ。
 一人の人間にできることには限界がある。怜悧な「思想家」に多様な現代問題を的確に論じることは期待しない方がよいだろう。
 但し、「思想家」としての佐伯啓思に完全に満足し、その主張内容にすべて納得しているわけではない。別の回に、いずれ書くだろう。

1079/藤井聡と加地伸行と「西部邁・佐伯啓思グループ」。

 〇産経新聞1/24の「正論」欄、藤井聡「中央集権語ること恐るべからず」は、大阪維新の会・橋下徹・上山信一を批判している。
 だが、揚げ足取りと感じられる部分、橋下らの真意を確定する作業をしないままで批判しやすいように対象を変えている部分が見られ、まともなことを書いている部分が多いにもかかわらず、後味が悪い。
 藤井は「『中央政治をぶっ壊す』とはいかがなものか」として上記のタイトルの旨を指摘し、『』内の上山の記述に依拠しているという大阪維新の会や橋下徹の主張を疑問視している。
 上山の著を読んではいないが、藤井の文章中に「現状」という語があるように、一般論として中央政府の破壊・解体を主張しているのではなく、<現在の日本の>中央政府(中央政治)を上山・橋下が問題にしているのは明らかなことだろう。
 また、藤井は、中央(政府・政治)の重要性や中央・地方の相互補完・適正な協調を主張しているものの、その主張・指摘はそのとおりではあるとしても、上山らにおける「ぶっ壊す」が中央(政治・政府)全面的な破壊を意味していることが何ら論証されていないかぎり、橋下徹らに対する有効な批判になっているとは思えない。「ぶっ壊す」とは大きな改革または変革を意味しているだけで(実質的にはそのような趣旨で)、これを「全面的破壊」を意味していると藤井が理解しているとすれば、ひょっとすれば、悪意が素地にあるのではないか。あるいは、批判してやろうという感情の方を優先させている可能性があるのではないか。
 上山信一の著が正しく読まれているとすれば、藤井の、「現下の喫緊の政治課題は教育、医療、福祉の充実だけではない」以下の叙述にはほぼ同感だ。但し、上山が地方政治・地方行政に焦点をあてて「日本における政治の課題は今や社会問題の解決、つまり教育・医療・福祉の充実が最大のテーマ」である、と書いているのだとすると、上山には、藤井のような批判には反論または釈明したいところがあるに違いないと思われる。常識的にいって、災害対応・外交・軍事等における「国」(中央)の役割を否定する公共政策学・行政学等の「総合政策」学部所属の学者がいるはずはないのではないか(上山信一は国家公務員試験を経た運輸省官僚でもあった)。
 というようなわけで、藤井は国・地方関係等についてとくに奇妙なことを書いているわけではないが、それを大阪維新の会・橋下徹らに対する批判として用いるのは疑問で、その点に奇妙さ・不思議さを感じる。
 産経新聞1/29の連載コラム中の加地伸行のタイトルは「『破壊的改善』望んだ民意」で、橋下徹に好意的だ。
 例えば、加地伸行いわく-「橋下市長は偽悪的に<破壊>と言うが、それが実は<改善>であることを大阪府民は百も承知。あえて言えば<破壊的改善>であろう」。
 同じ「破壊」あるいは「ぶっ壊す」についても、このように、つまり藤井聡と加地伸行のように、理解または寛容性?が異なるのは面白い。
 前々回と同じ表現を使えば、こういう違いが同じ産経新聞紙上で見られるのは興味深いことだ。そして、加地伸行の感覚の方が、私はまっとうだと思っている。
 〇ところで、さらに興味深いことがある。
 藤井聡とは、<西部邁・佐伯啓思グループ>(雑誌・表現者の編集顧問はこの二人とされているので、こう称して誤っていないと思われる)の一員と見られ、前回に言及した書物(NTT出版・「文明」の宿命)においても9人の執筆者の一人だということだ。
 この書物の9人の著者のうち(編者は西部邁・佐伯啓思ら三人)、これで、中島岳志、東谷暁、藤井聡と、じつに3人が、橋下徹(維新の会)を批判的に見ていることを明らかにしていることになる(中島岳志は「批判的」どころか真正面から攻撃している)。
 じつに興味深いことだ。再び、西部邁らは本当に「保守」派なのか、という疑問が首をもたげてくる。
 橋下徹を厳しく批判・攻撃している上野千鶴子、(先日某テレビ番組の中で中島岳志らとともに「現場・現実を知らない学者」と橋下徹に揶揄されていた)山口二郎香山リカ野田正彰、日教組、自治労そして日本共産党等が「左翼」だとすれば、藤井聡をも含む<西部邁・佐伯啓思グループ>は、じつは、少なくとも「左翼」と通底しているのではないか? 極端にあえていえば、「保守」のふりをした「左翼」、あるいは「左翼」心情をもった「保守」なのではあるまいか。
 西部邁、佐伯啓思、そして上記グループの全体について断定することはむろん避けるが、そのように指摘したい人物(「雑菌」)が含まれているのは、ほとんど間違いのないことのように思われる。
 このように指摘して愉快がっているのではない。深刻に憂慮しているのだ。 

1070/花田紀凱・橋下徹・東谷暁・西部邁(「表現者」)。

 〇前回に続いて花田紀凱の産経新聞連載「週刊誌ウォッチング」に触れると、12/17付(341回)は2011年前半の各月平均雑誌販売部数を紹介している。それによると、以下(100以下四捨五入)。
 ①週刊文春47.7万、②週刊現代38.4万、③週刊新潮38.4万、④週刊ポスト30.3万。
 私は週刊文春よりも同新潮派だったし、週刊現代よりも同ポスト派だったので、世間相場からすると<少数派>であることをあらためて(?)実感する。
 その他では、⑦週刊朝日15.1万、⑨アエラ9.5万、⑩サンデー毎日7.7万。
 これらの中間で経済誌が奮闘?していて、①日経ビジネス23.5万、②プレジデント17.5万、③週刊ダイヤモンド10.5万、④週刊東洋経済7.5万、らしい。
 月刊誌では月刊文藝春秋が42.1万とされる。
 なお、この欄の10/26で触れたが、撃論3号は、月刊WiLLは19万、月刊正論(産経)は実売2万以下、としている。

 〇人口あたりの読者数でいうと、大阪府や大阪市では週刊文春や週刊新潮は全国平均よりは多く読まれたとは思うが、これら二誌の橋下徹批判は選挙結果(当選者)に影響を与えなかった。

 だが、例えば大阪市長選での対立候補は前回よりも絶対得票数は増加させたらしいので、これら二誌の記事や日本共産党を筆頭とする「独裁」批判(あるいは自・民・共の共闘)は、ある程度は効を奏したというべきだろう。換言すれば、これらがなければ、橋下徹と平松某の得票数との間には、もっと差がついていたことになる。
 阿比留瑠比の最近の11/27の
文章(新聞記事に世論・社会を誘導する力はなく、逆に世論・社会の動向が新聞記事に反映されるとかの旨)にもかかわらず、マス・メディアの力を無視・軽視してはいけないと考えられる。書店・キオスク等で並ぶ週刊誌・新聞の表紙・一面等の見出しだけでも<雰囲気>・<イメージ>はある程度は変わる、と言うべきだ。
 〇橋下徹・大阪維新の会の主張・政策を無条件に支持しているわけでは、むろんない。
 <大阪都>構想自体曖昧なところがあるし、また曖昧ではなかったとしても議論・検討の余地は十分にあるものと思われる。<大阪都構想>という語自体にミス・リーディングを生むところがあり、より正確には<新大阪府・市関係構想>(全国一般論でいうと<新都道府県・政令市関係構想>)とでも言うべきなのだろうと思われる。
 また、すでに指摘があるように、大阪都構想は現在の都道府県制度を一つの前提にしているはずなのだが、橋下徹が次の総選挙の争点は<道州制>だ、というのも趣旨がはっきりしない。広域自治体としての都道府県制度を道州制に変えることを目指しているのだとすれば、<大阪都構想>とは矛盾していることになるだろう。
 もっとも、<大阪都構想>を実現したあとで<道州制>を、という時系列的な差異がイメージされているのだとすると、両立しないわけではない。
 だが、ともあれ、橋下徹を公務員労働組合や日教組・全教(教員の職員団体)がそろって攻撃し、労組(・連合)の支持を受けた民主党幹部(の例えば平野博文や輿石東)の橋下対応が他の政党幹部に比べて冷たかった、と報じられているように、橋下徹が反「左翼」の人物・政治家であることは疑いえない。そのことは、訪問先に社民党や日本共産党を選択していないことでも明らかだ。
 また、<地方主権>を謳っていた民主党支持を表明したことがあったり、民主党・小沢一郎と親しそうに?対談をするなど、教条的な<反左翼>主義者でもない柔軟さを持ち合わせていることも肯定的に評価されてよいものだろう(最後の点は無節操・融通無碍と批判する者もいるかもしれないが)。
 〇東谷暁は産経新聞12/14付で「地域独裁がもたらす脅威」と題して、実質的に橋下徹を批判している。あるいは、橋下徹を危険視して警戒すべき旨を書いている。
 東谷暁は、文藝春秋の「坂の上の雲」関係の臨時増刊号で年表作りを「監修」しているなど、器用?な人物だ。
 だが、そのことよりも興味深いのは、東谷暁とは、中島岳志と同じく、西部邁らを顧問とし、西部邁事務所が編集している隔月刊・表現者(ジョルダン)にしばしば登場して執筆している、「西部邁グループ」の一人だと目される、ということだ。
 中島岳志が(一面では朝日新聞・週刊金曜日と関係をもちつつ、「保守」の立場からとして)橋下徹を批判していたことはすでに言及した。
 この中島岳志という得体の知れない人物と同じく、東谷暁もまた橋下徹を(少なくとも)支持・歓迎できないことを明瞭に述べているわけだ。
 雑誌「表現者」または「西部邁グループ」は<保守か?>と題した文章を書いたことがたぶん数回あるだろう。
 あらためて思わざるをえない。雑誌「表現者」グループは(佐伯啓思も一員のようだが)はたして<保守なのか?>、と。
 西部邁はかつて共産党宣言を読むこともなく、東京大学入学後にすみやかに日本共産党入党を申込みに行ったらしい。
 そんなことは関係がないとしても、一般論として言うのだが、「保守主義」に関する知識を十分にもち、「保守」思想を上手に語れる<左翼>もいる、と考えておかねばならない。
 かつてコミンテルンのスパイだった者、あるいは二重スパイと言われたような者たちは、コミュニズムを信奉しつつも、その他の種々の思想・主義・考え方にも通暁していたものと思われる。
 だからこそ、相手にコミュニスト(共産主義者)だと微塵も気づかれることなく接近し、信頼を獲得でき、情報を入手・収集できたのだ。
 似たようなことは、現代の日本でも生じている、行われているはずだ。西部邁グループについて断定するつもりはないが、警戒・用心しておくにこしたことはない。

1065/竹内洋・大学の下流化(2011)を半分程度読む。

 竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社)は加筆・補筆があるようだが、雑誌上で一度は呼んでいるので、未読だった、竹内洋・大学の下流化(NTT出版、2011.04)を<ウシロから>読み始める。小文をまとめたものなので、これでも差し支えないはずだ。
 ・大学の「下流化」は、用語法はともあれ、間違いないだろう。50%ほどの大学進学率があり、「一八万四千人」も大学教授がいれば(p.251。准教授・講師は除いた数字か?)、かつてと比べて「落ちる」のは自然だ。
 竹内によると、たんにこれらだけではなく、現代日本の「大衆化」圧力(正確には「フラット化」圧力)と、「ポピュリズム」かつ「官僚主義的」大学改革がこれを加速している(p.252)。
 ・詳細な紹介はしないが、「あの戦争へののめりこみ」についてのp.218のような理解・感想は単純すぎるのではないか、と気になる。

 東条英機に関する書物の「読書日記」中だ。他に正規の「書評」欄に書かれた書評・感想も掲載されているが、たいていこの種の小文は、「持ち上げ」がほとんどで、かりに感じていても、消極的・批判的な論評・感想は書かないものだろう。この点は読者としても留意が必要だ(と思いながら読む)。
 ・竹内は、「一九八〇年代」の滞英中に、「封建制=諸悪の根源」との理解(思い込み)に疑問をもつようになった、という(p.205)。
 1942年生まれのこの人は1961年に京都大学に入学して「社会科学系の講義」や「たくさんの本」に接したらしい。
 とすると、1980年代というのは、ほぼ40歳代前半になる。この年代の頃までは「封建制は悪の元凶」というイメージをもち続けていたことになる。
 批判するつもりはないし、よくありそうなことだが、しかし、興味深い。それまではおそらく、専門の「教育学」または「教育社会学」の研究のために、広い?視野を持てなかったのだろう。
 関連して、「四十代半ばくらいから、新聞などに寄稿する機会が増えてき」て、「愉快になった」との文章もある(p.220)。
 ・菅直人民主党内閣の参与だった松本健一の本の書評中で、「民主」は西洋近代の理念だがアジアこそ「共生」理念を作り出せるとの指摘に「目から鱗が落ちる」、と書いている(p.202)。
 アジアこそ「共生」理念を作り出せるとは、いったいいかなる意味で、どの程度の現実性があるのだろう。欧米をモデルにする必要はない程度ならば理解できるが、「目から鱗が落ちる」とまで表現するのは、いささか甘いのではなかろうか。
 ・今のところp.136までしか遡っておらず、ほぼ半分の読了にすぎない。
 その範囲内では、清水幾太郎に関する文(p.153-158)のほか、「うけねらい」という表現(p.204)が面白い。
 「うけねらい」とはかなり一般的に使える表現だ。その点で、記憶に残った。
 学者の中にだって、「うけねらい」で、目新しい<概念>や<命題>や<理論>を考え出している者もいるのではなかろうか。
 ニュー・アカとか言われた連中や、最近の内田樹(「日本辺境論」)などは、これにあたりそうな気がする。ついでに、内田樹は、珍奇な憲法九条護持論者。
 マスメディアもつまるところは「うけねらい」産業ではなかろうか。
 テレビの「視聴率」とは、どれだけ「うけ」たか、の指標だろう。それと、善悪・正邪などはまったくの関係がない。
 週刊誌記者・新聞記者もまた、(「特オチ」怖れに次いで)どれだけ<話題>になったか、を競っているのではないか。
 話題になればなるほど嬉しいという心情は、換言すると「うけて」くれると嬉しいという感情でもあろうが、そこには、善悪や正邪や、そして日本の将来にとってどのような意味をもつか等の観点はほとんど欠落しがちだ。
 週刊誌記者にとっては、「話題」になること、そして「売れる」ことがおそらくは最大の喜びなのだろう。読者が善悪や正邪・日本の行く末とは無関係の関心または好奇心でもって週刊誌を読む(買う)とすれば、そんなこととは無関係に「うけ」るかどうかも決まってしまう。読者大衆の下劣なあるいは醜い(と言えなくもない)関心・好奇心に対応しようとしているのが週刊誌だとすると、週刊誌も、週刊誌記事執筆記者も、とても立派な雑誌・人物とは言えない。その程度の自覚は、ひょっとすれば、怖ろしいことに、ほとんどの週刊誌関係者がすでにもっているのかもしれない(同じことは「テレビ局」関係者についても、もちろん言える)。
 この本については、機会があればまた続ける。
 

1043/屋山太郎は「恥を知れ」と指弾されるべき。

 民主党「たらい回し」野田政権成立にかかわって書きたいことも多いが、とりあえず書きやすいテーマでごぶさたを埋めておこう。
 産経新聞9/02の「正論」欄で岡崎久彦は「官僚を使えなかった教訓学ぶ」という見出しを立てて、こう書いている。
 「官僚の使い方を知らなかったことに気付いたということも大きい。〔中略〕/日本人は誰も任務をサボろうなどとはしない。そんな時に上から、思い付きで、チョロチョロ小知恵を出すのが一番いけない。政治家の決断は必要であるが、決断の必要は、緊急事態ほど、応接に遑ないほど後から後から、下から上がって来る。その都度、果断な決断を下し、その責任を取るのが上に立つ人の任務である。/事件が起きてから有識者の意見を求めるなどは本末転倒である。意見は普段からよく聞き、有事には決断しなければならない。忙しい時に有識者会議など人選して招集するなどは、部下に余計な事務の負担を強いることになる。/その点、今や全て反省されている。民主党政権ができて以来、現在までに国民が被った損害、負担は少なからぬものがあるが、それで教訓を得たというならば、将来の二大政党体制にとってはプラスとなったといえよう」。
 同じく産経新聞8/24に但木敬一(元検事総長)はこう書いていた。
 「わが国の危機を深めたのは、政治主導という無意味なスローガンによって官僚機能を破壊してしまったことである。憲法上も法律上も、行政権は内閣に属しており、各省の権限は大臣に集中している。政治主導はわが国の基本的システムであり、これをことさらに提唱することは、自らの統治能力のなさを独白するに等しい。/それによって何が起こっているか。大臣が壁となった省庁間の情報の切断と省庁を超えた官僚による解決策の模索の放棄である。極端な大臣は、省の重要な政策決定の場から官僚を排除し、副大臣、政務官とだけ協議するという手法を用いた。そこで決断できないときは、いわゆる有識者の意見で政策を決定することになった。官僚たちは、官僚の出すぎと叱責されることを嫌い、以前にも増してリスクをとることを避け、自主的に判断することを躊躇し、待ちに徹することになる。行政の意思決定は明らかに遅くなり、外交・内政を問わず、頓珍漢な大臣コメントが出され、朝令暮改されるケースも珍しくなくなった」。
 岡崎久彦のように将来のための良い教訓になったと楽観的に?見てよいかは疑問なしとしないが、民主党政権のもとで、<政治主導>(=官僚支配の打破)のかけ声の下で生じたことを、上の二人は、適確に述べていると思われる。外務・検察官僚OBで、より一般的な官僚OBではないが、さすがに事態を適切に把握している。
 一言でいえば、民主党内閣は、行政公務員を(行政官僚を)うまく使いこなすことができなかったのだ。それは自らの行政(・関係行政法令)に関する知識の足りなさを自覚することなく、議員出身というだけで行政官僚よりも<すぐれた>知見を持っている、というとんでもない「思い上がり」によるところが大きかっただろう。そんな、行政官僚に実質的には軽視・侮蔑される副大臣や政務官が何人いたところで、適切に行政(多くは法令の執行)がなされるはずはない。
 ところで、再述になるが、「政治主導の確立と官僚主導の排除」の問題を「公務員制度改革」の問題へと次元を小さくし、さらに<天下り禁止>の問題に矮小化しているのが、屋山太郎と櫻井よしこだ。
 最近に書いたように、屋山太郎の意見を紹介しつつ、櫻井は、菅政権のもとで<以前よりも官僚が強くなった(以前よりも「勝手を許」した)>のが問題だ、という事態の把握をしている。
 屋山太郎は産経新聞8/16の「正論」欄でこう書いていた。
 2009総選挙の際に(民主党が)「最も人心を捕らえたのは『天下り根絶』の公約だっただろう。〔中略〕/民主党は『天下り根絶』と『わたり禁止』を標榜(ひょうぼう)した。天下りをなくすということは肩たたきという役所の慣行を変えることである」。
 これが実践されなかったと嘆いた?のち屋山は、「『天下り根絶』の旗降ろすな」という見出しを立てて、こう続ける。
 「代表選に当たって、民主党はあくまで、『天下り根絶』の意思があるかどうかを争点にすべきだ。/公務員制度を改革し、政治主導の司令塔としての国家戦略局、独法潰しのための行政刷新会議を設置(立法化)できるかどうかで、民主党の真価が決まるだろう」。
 この屋山太郎という人物によると、現今の政治課題で最重要なのは、行政官僚の<天下り禁止>を実現するか否か、にあるようだ。
 同じようなことを月刊WiLL等々でも書いている。
 どこかズレているか、同じことだが焦点の合わせ方が違っているか、政治課題全体を広く捉えることができていないことは明らかだ。
 この人物によると<天下り禁止>さえできれば世の中はバラ色になるが如きだ。
 <政治主導>〔官僚支配の打破)なるかけ声の問題性は、上の二人が述べているように、<天下り禁止>の問題に矮小化されるようなものではない。
 やや離れるが、上の産経新聞「正論」で屋山太郎は「蠢く『小鳩』よ、恥を知れ」という見出しで小沢一郎らを批判している。しかし、屋山太郎こそ「恥を知れ」と言われなければならないだろう。
 2009年総選挙の結果について<大衆は賢明な選択をした>と明言し、自民党を批判しつつ民主党に期待したのは他ならぬ屋山太郎だったことを忘れてはならない(この点は当時に正確に引用したことがある)。
 そのような民主党への期待が幻想にすぎなかったことはほぼ明確になっているが、二年前の自らの期待・評価・判断が誤っていたということに一言も触れず、読者等を民主党支持に煽った責任があることについて一言も詫びの言葉を述べていないのが、屋山太郎だ。
 屋山は自らを恥ずかしいと思っていないのか? 無責任だと思わないのか? こんな人物が「保守」派面をして産経新聞等々の「保守」派らしき新聞・雑誌に登場しているのだから、日本の「保守」派もレベルは低いと言わざるをえない。
 政府の審議会の委員を何年か務めたくらいで、政治・行政、政権・行政官僚関係をわかったような気がしているとすれば大間違いだろう。冒頭の二人のように(佐々淳行もそうだが)、実務経験の長かった行政官僚OBの方が、はるかに、政治と行政公務員の関係をよく理解し、適切に問題把握している、と見て間違いはない。

0990/<保守派>論客を出自・元来の専門分野から見ると…。

 〇西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)という本は、その構成・編集の仕方が分かりにくい。渡辺望という目慣れない人の「はじめに」が延々と27頁も続くが、この本の趣旨・成り立ち等を西尾に代わって書いているわけではない。冒頭に、いわば<西尾幹二論>があるのだ。最後の方に唐突に「ブログ管理人/長谷川真美」による西尾幹二のブログの「歴史」が語られたりする。残りは西尾幹二のブログ(インターネット日記)の内容だとは推測されるところだが、ブログ内容に対する読者または知名人の感想等が挿入されていたり、西尾自身の出版直前のコメント等が挿入されていたりするので、いつの時点の文章のなのかもすこぶる分かりにくい。

 それでも、内容自体は興味深いテーマを扱っているので、読む人は読むだろうが、それにしても読者には不親切だ。関係する文章を時系列に関係なく、本文と解説等に分けることもなくごったにしてホッチキスで止めたような感じ。こんな本も珍しい。売れるとすれば、西尾幹二の名前によるところがほとんどではないか。

 〇上の渡辺望「はじめに」は、西部邁についてこう書いている。

 「福田恆存、江藤淳、竹山道雄、林健太郎、渡部昇一」らが「保守派」の論壇に存在していたが、「保守」という言葉を「現代日本に定着させた」のは西部邁の「論壇的功績」で、西部邁の1980年代の登場以降、「保守」という言葉を多くの人が使うようになった(p.19-20)。

 この西部邁論について大きな関心はないし、論評できる能力もない。興味を惹いたのは、そこで挙げられている「保守派」の論客の<出自>あるいは<(元来の)専門分野>だ。

 西部邁は経済学(・思想・歴史)だが、上の5人のうち林健太郎は歴史学・西洋史(とくにドイツ)で、あとの4人はいずれも<文学>畑だ。正確に確認しないが、渡部昇一は英語・英文学、そして西尾幹二もまた独語・独文学(・ドイツ思想・ドイツ哲学)という具合だ。

 福田恆存は英文学科卒、竹山道雄は独文学科卒、江藤淳は文学科英米文学専攻卒。

 このような<文学畑>または<文学部出身者(この場合は「歴史学」も含まれる)>によって<保守派>の論壇が形成されてきた、ということは、日本の<保守論壇>に独特の雰囲気・発想をもたらしているようにも見える。そしてそれは、必ずしもよいものばかりではないように見える。

 経済学部出身の西部邁、佐伯啓思、法学部(但し政治学系)出身の中西輝政あたりはむしろ少数派で、上記のような<文学畑>がなおも多数を占めているのではないか。櫻井よしこはハワイ大学で「歴史」を専攻したはずで、日本の大学でいうと文学部出身になる。

 どのような独特さをもたらしているかについて多少は書きたいこともあるが、ややこしいので別の機会にしよう。いつか言及した三島由紀夫と福田恆存の対談の中にも法学部出身者と文学部英文学科出身者の違いを感じさせる部分があった。

 <保守派>とはいえない屋山太郎は政治・行政に口を出しているので法学部出身かと思っていたら、文学部出身。経済についても法制についても<ドしろうと>なわけで、信頼できないことを書いている理由の一端も理解できる。政府の審議会委員をしていて見聞きして経験したことくらいで、政治・行政を「分かって」いると思っているとすれば、とんでもない勘違いだ。この人はまだ、民主党を1年半前に支持した不明を恥じる言葉を書いていない。

 〇先日の夜と翌朝にかけて、竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を全読了。2/26~27に月刊WiLL4月号(ワック)の中のいくつかをすでに読了。

0978/西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号)を読む②。

 西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号、ワック)から、のつづき。
 ・規制緩和あるいは「秩序からの解放とか、規制からの解放」→市場「活力」、というのは「エコノミストたちの…ひょっとすると戦後六十五年に及ぶ」大誤解だ。これは「戦後始まった歴史感覚乏しきアメリカニズム」の結果。「秩序を作る活力を持たずに、競争の活力がつくわけもない」(p.232-3)。
 -なるほど。だが、前回に紹介したように、西部邁によると規制と保護の間には<絶妙なバランス>が必要で、一方に偏してはいけないのだ。
 ・日本人が平成の22年余「毎日叫んでいた構造改革がもしも必要だとしても」、歴史を忘れた「合理主義」に舞い上がり、「抜本改革だ、構造改革だ、急進改革だ」などと叫んではいけない。このことは「保守思想の見つけ出した知恵」だ。

 -なるほど。だが「構造改革」一般を否認しているわけでもない。その具体的内容、規制と保護の間の<絶妙なバランス>の問題なのだろう。

 ・世代交代により戦前を知っていた、「歴史の知恵を少々は身につけていた」者たちが消え、敗戦後に育った世代が平成に入って以降、「一斉に各界の最前線に立ち改革を唱え始めた」。その「最大の犠牲者」でもあるのが「今の民主党にいる東大出の高級役人であり、弁護士であり、松下政経塾出身者であり、労働組合の幹部出身者たち」だ。その意味で民主党を「クソミソ」に言う気はない(p.234-5)。

 -戦前・戦中の実際を知っていて単純に<日本は(侵略戦争という)悪いことをした>のではないと実感として知っていた者たちがいなくなり(あるいはきわめて少なくなり)、占領下のいわゆるGHG史観・自虐史観の教育を受け、素朴に<平和と民主主義>教育を受けてきた世代が政界でも「最前線」に立つようになった。鳩山由紀夫、仙谷由人、菅直人、みんなそうだ。このほぼ<団塊の世代>は1930年代前半生まれの「特有の世代」の教師あるいは先輩によって、教育・指導されてきた。その結果が現在だ、という趣旨だと理解して、異論はない。

 なお、「東大出」ととくに指摘しているのは、月刊WiLL3月号の巻頭の中西輝政「日本を蝕む中国認識『四つの呪縛』」の一部(p.36、p.39)とも共通する。中西輝政は<団塊>世代に限定しておらず、固有名詞では、藤井裕久、与謝野馨、加藤紘一、谷垣禎一、仙谷由人らを挙げている。

 ・「民主党のような人間たちを作り出したのは、ほかならぬ戦後の日本」だ。月刊WiLL・週刊新潮・産経新聞に寄稿する「保守派のジャーナリストのように、単に民主党の悪口を言って」いて済むものではない(p.235)。

 -上の第一文はそのとおりで、そのような意味で、民主党内閣の誕生は戦後日本の<なれの果て>、あるいは戦後<平和と民主主義(・進歩主義・合理主義)>教育の成果だと思われる。従って、民主党政権の誕生は戦後日本の歴史の延長線上にあり、大きな<断絶(・「革命」)>をもたらしたものではない、というのが私の理解でもある。また、上の趣旨は、「民主党のような人間たち」のみならず、民主党を「支持した」人間たち、民主党政権誕生を「歓迎した」人間たちにもあてはまるだろう。そういう人々を「ほかならぬ戦後の日本」が作ってしまった。

 上の第二文はそこでの雑誌類に頻繁に登場する「保守派」論者たちへの皮肉だ。櫻井よしこを明らかに含んでいるだろう。渡部昇一佐伯啓思まで含めているのかどうか、このあたりにまで踏み込んでもらうと、もっと興味深かったが。
 ・民主党の「大、大、大挫折」は日本人が戦後65年間、「民族国民として、緩やかな集団自殺行為をやっていたことの見事なまでの証拠」だ(p.233)。
 -そのとおりだと思うが、この点を自覚・意識している者は、到底過半に達してはいない。

 ・今や「ほとんどすべての知識人が専門人」となり、「局所」・「小さな分野」にしか関心・知識のない人間が「膨大に生まれている」。新聞記者、雑誌記者、テレビマン、みんな「その手合い」で、民主党の醜態と併せて考えて、「ほとんど絶望的になる」(p.235)。
 -昨今の気持ちとほとんど同じだ。なんとまぁヒドい時代に生きている、という感覚を持っている。西部邁はこのあとで、退屈な老人にとって「絶望ほど面白いものはない」、「民主党さんありがとう」と言いたい、と書いているが、どの程度本気なのかどうか。一種のレトリック、諧謔だろう。ひどい時代を生きてきたし、生きている。マスメディアのみならず、「その手合い」に毒され、瞞されている有権者日本人に対しても、「ほとんど絶望的になる」。この欄にあれこれと書いてはいるが、ほとんど<暇つぶし>のようなものだ。あるいは、時代への嫌悪にじっと耐えて生きている証しのようなものだ。

0974/屋山太郎のいかがわしさ、再び。

 櫻井よしこの、週刊ダイヤモンド2009年7/25号、つまり2009年8月末総選挙の一ヶ月余前に出された週刊誌の連載をあらためて読んで見ると興味深い。
 とりあえずは、櫻井よしこが、総選挙の日程が決まって「自民党政権の終焉と民主党政権の誕生の間近さが予定調和のように示された」等としつつ、民主党の政策の明確化を望む、ということを基本的な主張としている、ということに目が向く。
 最初の方で、「民主党政権誕生を前にして気になるのが同党の政策である。党内の考え方は多くの点、特に外交・安保問題で統一されていない」と述べ、最後のまとめの文は、「こうして見ると、民主党の政策は本当に見えてこない。もはや自民党への反対だけではすまないのは明らかだ。政権を取ってどんな政策を実施するのか。選挙までの日々にマニフェストの発表を望むものだ」となっている。
 民主党への懸念は示されているが、批判はない、と理解して誤りではないだろう。むろん、<民主党(中心)政権断固阻止>という気概は全く示されていない。

 上のこととともに興味深いのは、櫻井よしこが紹介している、国家基本問題研究所理事の屋山太郎の(当時の)考え方だ。
 櫻井よしこは、屋山太郎の言葉を次のように紹介している。-以下の内容に誤りまたは不備があれば櫻井よしこの文章に原因がある。そうであれば、屋山は桜井にクレームをつけられたし(といっても一年半ほど前の古い文章だが)。
 ①「民主党政権が誕生するとして」、重要政策に党内一致がなく、憲法改正への姿勢も不明瞭だが、「政治評論家で民主党事情に詳しい屋山太郎氏は、しかし、楽観的である」。/「大胆に安全運転、これが政権奪取時の民主党の基本でしょう。外交・安保問題についても、従来の政策から大きくはずれることはないと思います。極論に走り、国民の信を失うような選択をするはずがないのです」。
 ②「屋山氏は、民主党と自公の最大の違いは外交・安保問題ではなく、国内政策に表れると予測する」。/「自公政権は公務員制度改革を事実上葬りましたが、民主党は本気です。国家公務員33万人、ブロック局など地方に21万人。彼らの権益擁護のために政治が歪められ、国民の利益が失われてきました。〔一文略〕麻生政権の終焉で同法案が廃案になるのは、むしろ、歓迎すべきです。民主党が真っ当な改革をするでしょう」。
 ③「屋山氏はさらに強調する」。/「教育についても、民主党政権下で日教組路線が強まると心配する声があります。輿石東参議院議員会長が山梨日教組出身だから、そう思われるのでしょう。しかし、民主党の教育基本法改正案は自民党案よりまともでした。加えて、教育では首長の影響が非常に大きい。民主党政権イコール教育のねじ曲げではないと思います」。
 このような予測が正鵠を射ていたかどうか、屋山太郎はもちろんだが、櫻井よしこもまた紹介者として<反省>し、屋山の見識に疑問を持つべきではなかろうか。

 普天間基地問題、尖閣諸島問題等々、民主党政権は<外交・安保問題>について実際に「従来の政策から大きくはずれることはな」かったのか? 「公務員制度改革」なるものを民主党政権は「本気」で「真っ当に」行ったのか、あるいは行おうとしているのか(「公務員制度改革」の内容自体も問題だが)?
 いちいちこの欄で取り上げていないが、屋山太郎の主な論説類はフォローしてきている。
 2009年7月段階のみならず、その後も一貫して、屋山太郎は、<自民党が再び政権を手にすることはない>旨を断言しつつ、民主党を支持・擁護してきている。批判的にコメントをすることがあっても、朝日新聞とほとんど同様に、こうすれば支持(率)が高まるよ、といった<叱咤激励>がほとんどだ(最近では<仙石由人切り>を勧告?していた)。

 民主党が「左翼」政権だとすると、屋山太郎もまた「左翼」論者(・「評論家」)だ。そのような者が産経新聞の「正論メンバー」なのだから、産経新聞の<品格>に傷をつけているのではないか?

 もっとも、櫻田淳が産経新聞「正論メンバー」であるとももに朝日新聞の<ウェブ論座>とやらの執筆者でもあるのだから、屋山太郎は櫻田淳とともに、<産経新聞はいうほど「右翼」・「保守(・反動)」ではありませんよ。安心して読んで(購読して)下さい>というための広告塔として用いられているのかもしれない。
 屋山が国家基本問題研究所の理事を務めているという不思議さ及びこの研究所自体について生じる疑問はいつか述べたので、今回は省略。

0897/内田樹は高橋哲哉にはついていかない。

 内田樹は「卑しい街の騎士」と題する2005年の文章の中で、1995年の高橋哲哉の文章に言及している。
 高橋哲哉は1995年に簡単にはこう(も)書いたらしい。
 ・<自国の「汚れた死者」(日本人戦死者)の哀悼よりも(アジア諸国への)「汚辱の記憶」を引き受けることが優先されるべき。
 ・「侵略者である自国の死者」への責任とは「哀悼や弔い」でもましてや彼らを「かばう」ことではなく、「彼らとともにまた彼らに代わって」、被侵略者への償い=「謝罪や補償を実行する」ことだ。
 内田樹は、高橋の「理路は正しい」、しかし思想とは「こんなに、鳥肌の立つようなものなのか」とコメントしている。
 「鳥肌の立つような」とは、感動したときにも用いられる、好意的・賛同的な意味での表現でもありうるが、内田によると、「…高橋自身が日々ゆっくりと近づいている『結論』に私の身体が拒否の反応をした」ということを意味するようだ。つまり、拒否的・消極的な反応の表現として使っている。
 つづけて、内田は高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書、2005
)に言及する。高橋のこの本は読まないままでどこかに置いているのだが、高橋は、この書の結論部でこう書いているらしい。
 ・国家によるそのために死んだ者(戦死者)の「追悼」は、つねに「尊い犠牲」・「感謝と敬意」のレトリックが作動して、「顕彰」にならざるをえない。
 ・国家は「戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、…戦死の悲哀を名誉に換え、国家を新たな戦争や武力行使に動員していく」 。
 内田樹は次のようにコメントする。
 ・高橋の主張は「正しい」が「正しすぎる」。すなわち、これは「現存するすべての国民国家」等に適用されねばならない。つまり、「靖国神社を非とする以上、世界の共同体における慰霊の儀式の廃絶を論理の経済は要求する」。
 ・だが、中国も韓国もイスラム過激派もアメリカも欧州諸国民も受容しないだろう。それは「倫理的に十分に開明」的でないためかもしれないが、「世界中の全員を倫理的に見下すような立場に孤立」することが政治への実効的なコミットだとは思えない。
 ・「高橋哲哉の論理はそのまま極限までつきつめると、いかなるナショナリズムも認めないところまで行きつく」し、すべての民族等の否定にまで行きつく。例えば、①アジア諸国への日本の謝罪もそれを「外交的得点」とすることをアジア諸国政府に禁じる必要がある。それらの国の「ナショナリズムを亢進」させるから。②謝罪等をすることにより「倫理的に高められた国民主体を立ち上げた」という意識を日本人がもつことも禁じる必要がある。「ナショナルな優越感の表現」に他ならないから。
 高橋哲哉の原文を読んではいないが、なかなか鋭い分析と批判だ。
 だが、むろん、高橋哲哉の見解・主張の「理路は正しい」のか、「正しすぎる」のか、高い<倫理>性をもつものかは、本当にそうなのか、レトリックだけの表現なのか、という疑問が湧く。
 それに、そもそも、上の一部だけ問題にするが、高橋哲哉は本当に「いかなるナショナリズムも認めない」のか否かは検討されてよいだろう。論理的にはそうならそざるをえない、という指摘は重要だが、高橋哲哉がそのことを意識しているかどうかは別問題だとも思われる。
 すなわち、高橋哲哉は、日本国家についてのみ「ナショナリズム」の否定を要求しているのではないか。日本国家についてのみ、戦没者「慰霊」施設の廃絶を要求しているのではないか。それが高橋の本音ではないか(そして朝日新聞の若宮啓文も同様ではないか)。
 その意味で高橋はきわめてご都合主義的であり、きわめて<政治的>なのではないか。さらにいうと、論理・理論の世界に生きているようでいて、じつは(日本とその国家に対する)何らかの怨念・憤懣を基礎にして言論活動をしているのではないか(さらにいえば、それは日本「戦後」のインテリたちの基底にある心情ではないか)。
 以上は、内田樹批判ではない。内田は次のように文章をまとめている。
 「高橋哲哉の説く透明な理説」が一基軸として存在しえ、「思想的には重要」であることは認めるが、「私はこの『案内人』にはついてゆくことができない」。
 前段部分は褒めすぎのように思えるが、内田が結論的に高橋哲哉の議論を支持していないことは明らかだろう。
 内田樹の上記の題の文章は、加藤典洋・敗戦後論(ちくま文庫、2005)の「(文庫)解説」として書かれたもの(p.353-362)。
 内田は、加藤典洋は「熟練の案内人」、「正しい案内人」として肯定的に評価している。そして、高橋哲哉という「『案内人』にはついてゆくことができない」と結んでいるわけだ。
 加藤典洋の書の本体も読みたいものだが、はたして閑があるかどうか。

0870/山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)。

 山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)は、著者の各種書評類をまとめたもの。
 新聞や週刊誌等の書評欄という性格にもよるのか、批判的コメント、辛口の言及がないことが特徴の一つのように読める。

 1.寺島実郎・二〇世紀から何を学ぶか(新潮選書、2007)は民主党のブレインとも言われる寺島の本だが、好意的・肯定的に紹介している(p.63-64)。これを私は読んでいないし、寺島の別の本に感心したこともあったので、まぁよいとしよう。

 2.関川夏央・「坂の上の雲」と日本人(文藝春秋、2006)については、「楽天的な評論」と形容し、「プロの歴史家たる者」は関川の「司馬ワールドの解析」を「余裕をもって」眺めればよいと書いて、おそらくは「プロの歴史家」の立場からすると疑問視できる叙述もある旨を皮肉含みで示唆している。だが、全体としては好意的な評価で抑えており、これもまぁよいとしよう。
 3.だが、中島岳志・パール判事(白水社、2007)について、この書の基本的趣旨らしきものを全面的に肯定しているように読めるが(p.180-1)、小林よしのりの影響によるかもしれないが、この評価はいかがなものだろう、と感じる。いずれ、所持だけはしている中島著を読む必要があるとあらためて感じた(こんな短い、字数の少ない、研究書とはいえないイメージの本でよく「賞」が取れたなという印象なのだが)。

 4.渡邉恒雄=若宮啓文・「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の書評部分には驚いた。

 山内昌之自身の言葉で、次のように書く。
 「…分祀は不可能と断定し日本の政治・外交を混迷させる現在の靖国神社の姿には、大きな疑問を感じざるをえない」(p.182)。

 以下もすべて、山内昌之自身の考えを示す文章だ。

 靖国神社に「戦争の責任者(A級戦犯)と戦死した将兵が一緒に祀られている。これは奇妙な現象というほかない。…兵士を特攻や玉砕に追いやったA級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」。
 小泉首相の靖国参拝は「近隣諸国から抗議を受けるから」ではなく「日本人による歴史の総括やけじめにかかわるからこそ問題」なのだ(p.182)。

 このような自身の考え方から、渡邉恒雄と若宮啓文の二人の主張・見解を好意的・肯定的に引用または紹介している。

 山内は<神道はもっと大らかに>との旨の若宮啓文の発言に神道関係者はもっと耳を傾注してよいとし、二人の「新しい国立追悼施設施設」建設案を、批判することなく紹介する(p.182)。さらには次のようにすら書く。

 「良質なジャーナリズムの議論として、日本の進路とアジア外交の近未来を危惧する人に読んでほしい書物」だ(p.183)。

 何と、渡邉恒雄と若宮啓文の二人が「良質なジャーナリズムの議論」をしていると評価している。

 前者はうさん臭いし、後者は日本のナショナリズムには反対し、中国や韓国のナショナリズムには目をつぶる(又はむしろ煽る)典型的な日本の戦後「左翼」活動家だろう。

 この書評は毎日新聞(2006.04.23)に掲載されたもののようだ。まさか毎日新聞社と読売・朝日新聞におもねったわけではないだろう、と思いたいが。

 また、そもそも、「A級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」との言葉は、いったい何を言いたいのだろうか。

 第一に、山内昌之も知るとおり、東京裁判が「日本人による歴史の総括やけじめ」ではない。A級戦犯を指定したのは旧連合国、とくに米国だ。かつ、とくに死刑判決を受けた7名の選択と指定が適切だったという保障はどこにもない。山内昌之は「戦争指導」者は「A級戦犯」死刑者7名、またはA級戦犯として処罰された者(のちに大臣になった者が2名いる)に限られ、それ以外にはいないと理解しているのだろうか。かりにそうならば、東京裁判法廷の考え方をなぜそのまま支持するのかを説明する義務があろう。

 そうではなくもっと多数いるというならば、山内がいう「開戦や敗戦の責任」をとるべき「戦争指導」者の範囲は、山内においてどういう基準で決せられるのだろうか。その基準と具体的適用結果としての特定の人名を列挙していただきたいものだ。
 これは日本国内での戦争<加害者>と<被害者>(山内によると一般「兵士」はこちらに属するらしい)の区別の問題でもある。両者は簡単にあるいは明瞭に区別できるのだろうか? 朝日新聞社等の当時のマスコミには山内のいう「責任」はあるのか、ないのか?、と問うてみたい。また、<日本軍国主義>と<一般国民>とを区別する某国共産党の論と似ているようでもあるが、某国共産党の議論を山内は支持しているのだろうか?

 第二に、「A級戦犯」とされた者は「開戦や敗戦の責任」を東京裁判において問われたのか? この点も問題だが、かりにそうだとすると、「A級戦犯」全員について、とくに絞首刑を受けた7名について、各人が「開戦」と「敗戦」のそれぞれについてどのような「責任」を負うべきなのか、を明らかにすべきだ。「開戦」と「敗戦」とを分けて、丁寧に説明していただきたい。

 新聞紙上で公にし、書物で再度活字にした文章を書いた者として、その程度の人格的(学者・文筆人としての)<責務>があるだろう。

 第三に、山内昌之は「責任」という言葉・概念をいかなる意味で用いているのか? 何の説明もなく、先の戦争にかかわってこの語を安易に用いるべきではあるまい。

 ともあれ、山内昌之は「靖国神社A級戦犯合祀」(そして首相の靖国参拝)に反対していることはほとんど明らかで、どうやら「新しい国立追悼施設施設」建設に賛成のようだ。

 5.山内昌之といえば、昨年あたりから、産経新聞紙上でよく名前を目にする。

 産経新聞紙上にとくに連載ものの文章を掲載するということは周囲に対して(および一般読者に)一定の政治信条的傾向・立場に立つことを明らかにすることになる可能性が高く、その意味では<勇気>のある行動でもある。

 だが、上のような文章を読むと、確固たる<保守>論客では全くないようで、各紙・各誌を渡り歩いて売文し知識を披露している、ごくふつうの学者のように(も)思えてきた。

 1947年生まれだと今年度あたりで東京大学を定年退職。そのような時期に接近したので(=学界でイヤがらせを受けない立場になりそうだから)、安心して(?)産経新聞にも原稿を寄せているのではないか、との皮肉も書きたくなる。

0859/筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。

 筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。
 目次等でわかる共産党員の悩み事・相談事は「赤旗」拡大の悩みとか党中央文書を読む必要性とかで、すでに共産党員ではなくなっている筆坂に尋ねても、また筆坂が回答しても無意味のようなものばかりだ。
 ただ、―筆坂・日本共産党(新潮新書)は発刊後すみやかに全読了しているが―彼が除籍される直前( 2004年頃)までの日本共産党内部の実態は改めてよく分かるところもあり、興味深い部分もある(今回は省略)。
 そもそも日本共産党員が悩むべきなのは、日本共産党という政党の存在意義、換言すれば、「社会主義」(→共産主義)を目指すという目標を設定することが<正しい>のか、だろう。コミュニズム、マルクス主義または日本共産党のいう「科学的社会主義」は<正しい>のか、でもよい。
 とりわけ、冷戦終結(と私は考えていないが)をもたらしたとされるソ連共産党・ソ連の解体・崩壊は「社会主義」理論に、および「社会主義」運動に、いかなる影響または意味をもつかを、誠実な日本共産党員であれば、深刻に<悩み>、思考するのが自然だろう。
 そのような「悩み」事は筆坂には寄せられなかったようだが、<「共産党」という名前に拘泥する必要はないのでは?>という趣旨の「相談」に対して、筆坂は相当に興味深い、思い切ったことを書いている。以下のごとし(p.184-187)。
 ①党指導部に「党名を変えろ」と主張するより、「もっと本質的な問いかけをすべき」だ。つまり、「マルクスから離れることは決定的な間違いなのか」、だ。
 ②日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言う。
 だが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られました」。「大きく道を踏み外す」、その「淵源は、マルクス、エンゲルスにもあった」。
 「すべてをスターリンの責に帰す議論は、まったく公正ではありません」。
 ③「しかも」、日本共産党自身が「スターリン時代のソ連」を「社会主義だと規定」してきた。「計画経済や国有化、集団化に社会主義の姿を見てきたからこそ」のはずだ。
 そういう「規定」を「そうではなかった」と「覆したのは、ソ連とソ連共産党が崩壊してから」だ。
 「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか。人権抑圧も大量弾圧も、大国主義・覇権主義も、官僚主義も、ソ連崩壊以前から周知のことでした」。
 ④そういう理由で(「真の社会主義」ではなかったとして)「旧ソ連を切って捨てたのであれば、なぜいまの中国を日本共産党は批判しないのでしょうか。一党独裁、チベットなどへの侵略、人権弾圧、政治的民主主義の抑圧、大国主義など、その体制は旧ソ連と何ら変わりません」。
 それなのに日本共産党は、「何一つ批判しないどころか」、「中国共産党はマルクス主義の立場を真面目に追求している」と「評価さえ」している。
 ⑤「科学的社会主義」と言ったところで「実態は単なるご都合主義」だ。資本主義→社会主義は「歴史的必然」という論も「現実を見れば仮説でしかなかったことは明瞭でしょう」。マルクス主義から「離れる」ことで「良い社会」ができればいいのではないか。それを日本共産党ができれば、「政党名云々などは瑣末な問題にすぎません」。
 筆坂がどの程度正確に日本共産党の主張・見解を紹介しているかは、厳密には疑っておいてよい。例えば、日本共産党は、ソ連の「大国主義・覇権主義」に対する批判はソ連共産党・ソ連の解体・崩壊前から行っていた、と反論するかもしれない。
 しかし、気になる点はないことはないが、上の②と③は私がこの欄に書いてきたことと基本的趣旨に変わりはなく、まことに堂々と筆坂は日本共産党を批判している、と感じる。
 日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言うが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られ」たのではないのか?、「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか」?と、心ある、まともな神経のある日本共産党員ならば<悩む>べきだ。そして、党中央の主張・見解を疑い、可能ならばすみやかに離党すべきだ。一度しかない人生、大ボラの体系の、一種の<宗教>の信者として過ごすのは一刻も早く、止めた方がよい。
 上の④は、強くは意識していなかったが、なるほどと思わせる。
 日本共産党は中国共産党との関係の再修復を歓迎し、それを党中央の「成果」だと評価している。そして、現在の世界情勢を語る場合、大人口をもつ中国も含めて(その他、ベトナムやキューバ等を加えて)、社会主義または親社会主義の国々は世界の1/3か1/4を占めている(日本共産党の文献で確認することを省く)と「豪語」して、<社会主義>勢力が衰退していないことの証拠としている。
 日本共産党は<自主・独立>の党のはずだが、今や、中国共産党とその支配する中華人民共和国は、その存在・存続自身が、日本共産党の存在にとっても不可欠になっているようだ。
 ソ連が崩壊し、中国まで共産党支配国でなくなってしまったら、いくら再び<毛沢東(あるいは鄧小平?)以来ずっと、中国は「真」の社会主義を目指す国ではなくなっていた。日本共産党だけは「正しい」社会主義を追求する>などと後から言ったところで、党員も含めて誰も(一部の幹部を除いて?)信じないだろう。
 こうした状況では、筆坂が指摘するように、日本共産党は中国(共産党)の悪い側面を指摘・批判することができないようだ。そういう面を知ってはいても、とりわけ中国の<社会主義的市場経済>の進展・発展ぶりに期待する文章を志位和夫か不破哲三が書いていたのを読んだことがある。
 <屈中・媚中・親中>は、日本共産党にも(日本共産党こそが?)あてはまる。
 その意味では、上のように書く筆坂は、小沢一郎や鳩山由紀夫、民主党よりも、まっとうな感覚を持っている。チベット問題は「内政」問題だとしてコメントを避ける岡田外相よりも優れている。
 筆坂が離党したのは2005年7月で(57才になる年で)、それまでは、日本共産党と「科学的社会主義」の諸文献を読んで生きてきたに違いない。したがってそれまでは、<日本>という国家の特性、<日本>の歴史・文化・伝統等に関心をもったことはほとんどなかっただろう。
 したがって、筆坂が天皇・皇室に関して、どういう考えを持っているかも知ることはできない。離党してから、小泉信三「共産主義批判の常識」(p.181~で言及)以外にどんな本を読んだだろうか。
 だが、私とほとんど同い年で、長くはないがまだ<人生>はあるだろう。たくさんの本に目を通しつつ、日本共産党員であり続けていれば不可能だったように、彩りと潤いと、美しさと静穏さと、様々なものを感受しながら、残りの人生を全うしてしていただきたいものだ。

0858/週刊現代4/10号の山内・立花の対談と青木理の「歪狭」な論。

 週刊現代4/10号(講談社)。表紙に「小沢は害毒である」、「何をしてんだか、民主党。」とあって、前号よりも<反民主党>的だ。
 表紙の前者と「ソ連共産党と化した民主党政権。この国はいま危ういところにいる」を見出しにつけた、立花隆=山内昌之の対談がある(p.36以下)。
 ソ連共産党うんぬんは、山内昌之の次の発言から取っているようだ。
 思い浮かぶのは「ソ連共産党」。「民主集中制のソ連共産党、つまりボリシェビキ最大の特徴は、書記長に全権が集中するシステム…」。「スターリンの権限が集中した書記局のアパラチキ(機関員)が、歯車のように決定をふりかざして…新参ボリシェビキを完全支配する」。これが「スターリン支配政治体制を成立させる土壌」にもなった。民主党幹事長室・周辺議員は「民主党を変質させるアパラチキのように見えて仕方がない」(p.39)。
 民主党の権力構造、そして国家全体の政治構造が一党独裁の「社会主義」国に似ているところがあるのは、私もかつて指摘したとおり。だが、本当の「民主集中性」・「共産党一党独裁」は今の民主党のような程度ではないことも言うまでもないだろう。前原や枝野はまだ小沢批判的な発言を公にできている。本当の「社会主義」だと、かつてのソ連共産党だと、そんな自由はなく、前原らは地位を失うか、<粛清(流刑または殺戮)>されている。
 この対談で立花隆は、「民主党が官僚をうまく使わないことが国家を危うくしている」(p.41)、「政治家主導のお題目は唱えるが、官僚を主導できるだけの政治家が少なすぎる…」、「司を動かせば官僚機構は動くのに、事務次官なんかいらないみたいなことを言うから…国家機構全体が糸が切れたタコ状態になっている」、「財政破綻もひどいが、官僚無視による国家のシステム破壊、アイデンティティ破綻の方がずっとずっとひどい」(p.42)と、まともなことを言っている。<護憲・左翼>の立花隆にしてすでにそうだ。
 国家基本問題研究所理事・屋山太郎は、<官僚主導>か<議会制民主主義>かなどを先の総選挙の最大の争点に見立てて、民主党を応援し、その政権誕生を歓迎し、何度でも書くが、<大衆は賢明な選択をした>とまでのたまった。
 2010年4月時点でもそう思っているのかどうか、どこかで書いてほしいものだ。なおも<政治家主導>第一主義は正しいと考えているならば、上記の理事はやめた方がよい。あるいは、櫻井よしこらは屋山を理事から<解任>すべきだ。
 対談は全体としては、山内昌之のペースで、こちらの口数の方が多い。ほとんどかつての蓄積にのっかっただけの立花隆の老いをやはりある程度は感じる。
 そういう週刊現代だが、4/03・4/10号によると、魚住昭、森功、岩瀬達哉、青木理によるリレー連載欄があり、日垣隆の連載があり、斎藤美奈子が登場し、井筒和幸の映画批評があったりで、明確な<左翼>な分子を含む売文業者等をたくさん抱えているのが分かる。
 4/10号で、青木理は、高校授業料無償化に関する「朝鮮学校外し」を、次のように批判している。
 「酷い感情論だ。いや、…社会が最低限守るべき理念を根本から腐らせる、単なるレイシズムではないのか」、「これほどに歪狭な愚論がもっともらしく語られてしまう日本のムードも、酷い憂鬱を禁じ得ない」(p.61)。
 何とも「酷い」、凝固した「左翼」が、こんな<感情論>をそのまま活字にできる<日本のムード>に「酷い憂鬱を禁じ得ない」。
 週刊現代・講談社の編集部の心底を見た思いもする。<反民主党>で今は売れる、と全体としては判断しているのだろう。しかし、青木理のような文章もちゃんと載せておく、ということを忘れない。
 青木理は「現在、国公立大学のほとんどが朝鮮学校出身者の受験資格を認めている」ことを根拠の一つとしている。
 だが、このこと自体に問題があることを想像はしないのだろうか。国公立大学(私立も基本的には同様だが)の受験・入学資格は基本的・原則的に日本の高校卒業者(・予定者)に限られる。おそらくは<その他、日本の高校卒業と同等程度の学力をもつと認められる者>という例外があり、これをタテにとった朝鮮(高級)学校側の運動と圧力(?)によって、個別的にではなく概括的に、朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者の受験資格を認めてきているのだろう。ここには、面倒なことは避けたい、とか、あるいはひょっとして北朝鮮に「寛大」な措置をして「友好」的・「進歩」的に見られたいとかの、日本の国公立大学の弱さ・甘さが看取されるように思われる。
 彼ら朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者はいわゆる<大検>に合格しているわけではない。とすると、本当は事前に個別に試験をして、受験資格があるかどうかを見極める必要があると思われる。しかるに、「朝鮮学校出身」というだけで例外的な受験資格を認めていることの方こそが本当は問題にされてよいように思われる。
 下らないことを書く「左翼」分子に、講談社は原稿料(これはひいては読者・購入者も負担する)を支払うな、と言いたい。 

0857/週刊現代4/03号(講談社)の山口二郎の言葉。

 サピオ=小学館=週刊ポスト、かつての月刊現代=講談社=週刊現代、という対比もあって、週刊ポストよりも週刊現代の方がより「左翼的」という印象があった。だが、最近は、表紙からの印象のかぎりでは、週刊現代の方が<反民主党>・<民主党批判>の立場を強く出しているようだ。
 もっとも、NHKを含むマスメディアの<体制派>は、民主党を批判しても、決してかつての自民党政権時代には戻らせない(とくに安倍晋三「右派」政権の復活は許さない)という強い信念・姿勢をもって報道しているように見える。
 上の点は別にまた書くとして、週刊現代4/03号(講談社)。
 山口二郎「私は悲しい。鳩山さん、あなたは何がしたかったのですか」(p.40以下)がある。
 「民主党政権・生みの親」とされる北海道大学教授が民主党・鳩山政権を辛口で批判している。
 批判はよいが、「…25%削減を打ち出した温暖化対策は鮮烈だったし、八ツ場ダムの凍結も画期的でした」(p.41)、通常国会冒頭の鳩山の「施政方針演説は、まことに立派なものでした。官僚の作文ではない、血の通った言葉だった」(p.43)とか書いているのだから、山口二郎はまだ大甘の、頭のピントが外れた人だと思われる。「小沢さんは日本政治を最大の功労者の一人であると、今でも信じています」とも言う(p.42)。
 「八ツ場ダムの凍結」はたまたま民主党の選挙用「マニフェスト」に具体名が挙げられていただけのことで、特定の案件について、いかなる基準で公共工事の凍結・継続が決められたか、およびその判断過程は明らかにされていない、と思われる。そのどこが「画期的」なのか?
 「最初の民主党ができた頃から、民主党政権を作ることが夢でした」と真面目に(?)語っている山口の心理・精神構造には関心が湧く。こんな人がいるからこそ、マスメディア(のほとんど)も安心して自民党叩き・民主党称揚の報道をしたのだろう。
 山口二郎は、北海道大学関係者にとって、<恥>なのか、それとも<誇り>なのか。
 その山口も、まともなことも言っている。
 ・民主党の「政治主導」の諸措置により「政務三役だけやたらと忙しく、他の議員はヒマ…」、「格好だけ政治家が前へ出て…その実、まともな政策論議ができていない」(p.41)。
 ・小沢一郎が「幹事長室に陣取って……自民党的な利益誘導政治をしている」(p.42)。
 これらは、<保守>派評論家とされ、国家基本問題研究所理事の屋山太郎よりもまっとうだ。屋山の判断力が、山口二郎・旧社会党ブレインよりも劣っているとは、情けない。

0849/生業(なりわい)としての「保守」派。いや、「保守」派ではない「売文業者」-屋山太郎。

 屋山太郎の文章について、好意的・肯定的に言及したこともあった。
 2007.06.26付「社保庁職員の自爆戦術-屋山太郎の二つの文」。
 だが、昨年の総選挙前あたりから、屋山の主張・見解を疑問視し、選挙後の論評を読んで、この人は決して<保守>派ではない、と感じている。以下の3つを書いた。
 ①2009.08.06「屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙」。
 ②2009.09.21「屋山太郎が民主党を応援し『官僚内閣制』の『終焉』を歓迎する」。
 ③2009.10.31「屋山太郎は大局を観ていない。これが『保守』評論家か」。
 この③では屋山の1.産経新聞8/27付「正論」、2.月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25、3. 産経新聞9/17付「正論」、4.月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23の4つに言及し、「価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある」、「かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない」等々とコメント(批判)した。
 何と言っても、屋山太郎は昨年の総選挙の結果につき、「大衆は賢明だったというべきだ」(上記月刊WiLL12月号)と明記した人物だということを銘記しておく必要がある。自分自身は「大衆」に含まれているのか、それとも「大衆」とは次元の異なる世界に住む<エリート>だと自己意識しているのかは知らないが。
 その後、屋山太郎は民主党政権(鳩山由紀夫・小澤を含む)につき批判的なことも書いている。
 だが、そのような民主党(中心)政権の誕生を応援しかつ歓迎したことについての自己反省・自己批判の言葉は、その後いちども目にしたことがない(屋山太郎の文章のすべてを読んでいるわけではないので見落としのある可能性はある。だが、おそらくそのような言葉を公にはしていないのではないか)。
 屋山太郎が誠実でまともな感覚の持ち主だったら、<見通しが甘かった>、<こんな筈ではなかった(のに)>くらいのことは書いたらどうか。
 逆に、1月末発売だから昨年末か今年初めに執筆されたと思われる月刊WiLL3月号(ワック)p.22-23では、屋山はまだ性懲りもなく、こんなことを書いていた。
 ①昨夏の「総選挙」は「官僚内閣制」から「議会制民主主義」に「体制」を変えた選挙で、「今、議会制民主主義にふさわしい体制変革が進行」しており、「次の総選挙」こそが「政権交代」選挙になる。
 ②「日本の(議会制)民主主義」はおかしい、「実はニセモノ」だと感じてきた。「民主党政権四年の間には『議会制民主主義』が定着するだろう」。
 -そして、以下の諸点を肯定的に評価している。
 ③A「官僚の政治家への接触を禁止」、B「官僚の国会答弁を禁止」、C「省の方針」の「政務三役」による決定、D「事務次官会議を廃止」。E「陳情を幹事長室に一元化するのも、政治家と業界の癒着防止のためだろう」。
 最後に、こんな文章もある。
 ④「体制変革」の方向〔「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ〕は「間違えていない」。「この『変革』は、民主主義体制確立のためには不可欠」だ。
 唖然、呆然とせざるをえない。これが少なくともかつては<保守>評論家と位置づけられた者の書くことか?
 逐一詳細なコメントはしないが、上の③のAは一概には評価できないもの、Bはむしろ国会による行政(行政官僚)監視・統制のためには必要な場合もあるもの、Dも一概には評価できず、
「事務次官会議」による閣議案件の実質的決定はたしかに問題だが、それによる各省間の<調整>のために必要または有益な場合もありうるもの、と思われる。
 ③のEに至っては笑止千万。それほどまでに民主党(・小沢一郎)を応援したいのか。昨年末にはすでに、「社会主義」国における共産党第一書記(または書記長)による政治(・立法)・行政の一元的「支配」または「独裁」体制に似ている、という鳩山政権の実態に対する批判は出ていたはずなのだが。
 私も2009.11.29に、「そこまで大げさな話にしなくてもよいが」と遠慮がちに(?)付記しつつ、次のように書いた。
 「国会(議会)・行政権の一体化と、それらを背後で実質的に制御する政党(共産党)、というのが、今もかつても、<社会主義>国の実態だった」。
 (「『行政刷新会議』なるものによる『事業仕分け』なるものの不思議さと危うさ」) 
 すでに書いたことだが、「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない。また、屋山太郎があまりにも単純に「議会制民主主義」や「民主主義」を素晴らしい、美しいものとして想定しているようであることにも驚く。
 どうやらこの人も占領下の「民主主義」教育に洗脳された人々のうちの一人らしい。
 このように「(議会制)民主主義」の徹底・確立を説くのは、こちらは<とりあえず>だけにせよ、日本共産党の主張と全く同じではないか。屋山太郎は、重要な点でいつから日本共産党と同様の主張をするようになったのか。
 屋山太郎の近視眼さ、視野の狭さもすでに指摘したことがある(上記の書き込み参照)。
 佐伯啓思は隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)で、端的にこう書いている(p.55)。
 <民主党のほか、自民党・マスコミを含む「今日の日本の政治的関心」にとっての「もっとも重要な課題」は「民主主義の実現」とされている。「政治主導」とは官僚から国民に政治を取り戻す「民主政治の実現」であり、「民主政治の進展こそが、民主党政権の存在意味」なのだった。
 「しかし、状況はもっと危機的であることを認識すべきである。この十数年の間に日本がおかれた状況は、脱官僚政治、というような議論で片付くようなものではない」。> 
 また、佐伯啓思は民主党について次のように書くが(p.56-57)、私は屋山太郎にも同じ言葉を向けたいと思う。
 <民主党の「あまりに浅薄で聞こえの良い政治理解・民主主義理解に虫酸が走る」。>
 それにしても、ウェブ情報によると、櫻井よしこを理事長とする国家基本問題研究所は理事長・副理事長に次ぐ(と思われる)「理事」13名の中の一人として、なおも「屋山太郎」を選任(?)し続けている。
 屋山太郎が「理事」をしているような団体は、少なくともまともな「保守」派の団体ではなさそうに見える。櫻井よしこ・田久保忠衛や評議員等を含めて、少なくとも大きな疑問を感じる人物はいないのに(各人の主張内容を詳しく知っているわけではない)、屋山太郎だけは今や別だ。
 何が「保守」かはここでは議論しない(上記の隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)には、具体的論点については本当に「保守」派なのかと疑われる中島岳志が「私の保守思想1-人間の不完全性」というのを書いているが(p.132以下)、そこでの「保守」の意味内容はなおも基本的、常識的すぎる)。
 明らかなのは、屋山太郎は「保守」派あるいは「保守(主義)」思想に依拠している人物ではない、ということだ。他にもいそうだが、「保守」派(的)と一般的にはいわれている雑誌や新聞に文章を書くことを「生業(なりわい)」にして糊口を凌いできている「売文業者」にすぎないのではないか。

0831/<保守>言論人・<保守>論壇の不活発さも深刻だ。

 一 民主党政権の成立による<左翼・売国>政策実施の現実化の可能性が高いことは、じつに深刻な事態だ。
 とこれまでも書いたが、深刻な事態の第二は、あるいはさらに深刻なのは、朝日新聞やテレビ朝日等の報道ぶりにもよるのだろう、多くの国民が現政権の「危険性」を理解していないことだ。
 先日、たしか10/31の夜のNHKスペシャルの中で、御厨貴・東京大学教授は、古い55年体制を打破しようと小沢一郎は1993年に行動を起こしたが、当時は多くの者が小沢のスピード感に従いていけず、細川政権崩壊・自社連立政権成立を許したが、自社両党は55年体制の利得者だったところ、ようやく時代に即応しない55年体制が2009年総選挙で崩壊した旨をのたまい、もともとは日本社会党のブレインだった山口二郎・北海道大学教授も反論していなかった。
 NHKが収集した各「証言」自体は興味深いものもあったが、上のような御厨貴の簡単な総括でぶち壊しになった。1993年・1994年政変と2009年「政変」(政権交代)を上のようにしかまとめられない御厨貴は政治学者か、しかも東京大学所属の政治学研究者か、と問いたい。
 民主党御用学者ぶりはいい加減にしてもらいたい。また、小沢一郎の1993年の行動を素晴らしいものと積極的に評価しているが、小沢らの離党は、自民党内部、とくに旧田中派内部での「私憤」にすぎないとの見方があるくらい、政治学者ならば知っているだろう。田中-金丸の「金権」体質を継承しつつ、のちには彼の「自由党」は自民党と連立したという事実もまた、政治学者ならば記憶しているだろう。小沢が1993年以降は終始一貫して<古い55年体制>との闘争者だったなどとは、とんでもない話だ。
 今や明瞭な「左翼」の立花隆ですら、小沢離党・新生党設立の際に、小沢が<改革(・清潔)>派ぶるのは「ちゃんちゃらおかしい」と朝日新聞に書いた。理念なき選挙・政局好みこそ小沢の体質・政治感覚だろう。御厨貴はいったい何を観ているのか。それこそ「ちゃんちゃらおかしい」。
 こんな人物にまとめらしき発言をさせるのも、NHKらしいとも言える。
 二 深刻な第三、あるいはさらに深刻なのは、民主党<左翼・売国>政権にとって代わるべき政党が存在するかが疑わしいことだ。
 自民党に期待できそうにない。衆議院の予算委員会(第一日め)での質問者に、党内<リベラル左派>で有名な、安倍政権を(「右寄り」で)「危ない」とマスコミを前に語った加藤紘一や、同じ傾向の、<日本国憲法のどこが悪いんだ>とやはりマスコミの前で公言した後藤田正純を起用するようでは、まともな「保守」政党ではない。だからこそ、鳩山由紀夫のブレ等々にもかかわらず、少なくとも来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想が出てくる。
 現政権もダメ、自民党にも大きな期待をとてもかけられないそうにない、ということこそ、じつに深刻な事態だと認識すべきだろう。
 三 深刻な第四、あるいはさらに深刻なのは、<保守>言論人または<保守>論壇において、現状を打破するための建設的で具体的な議論が、ほとんどか全く、存在しないようにみえることだ。
 自民党が頼りなくとも、しっかりとした言論が小さくとも存在していれば、それを手がかりにして、多少は明るい未来を展望できそうなものだが、それもなさそうであることが、じつに深刻だと思われる。
 ①隔月刊・表現者27号(ジョルダン)、佐伯啓思「『民主主義の進展』による『政治の崩壊』」(p.52-)。
 「民主党を批判することはきわめて容易」、自民党に<保守>再生能力があるとは言えない(p.53)、等々、佐伯啓思の主張の趣旨はよく分かる。
 だが、ではどうすればよいのか。佐伯は、「プラトンの政治論に立ち返るのが適切」だとし、「善き国家」=市民が「善き生」を送れる国家の実現を説き、かかる国家は「民主」政では生まれない旨を書く。民主主義は目ざすべき「価値」とは無関係との旨は佐伯が繰り返し書いてきている。
 しかし、「われわれは、仮に民主主義者でなくとも、民主政治の社会秩序のもとで生活していることは事実である。とすれば、…できることはと言えば、あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすことであろう。保守とは古典の精神に学ぶことにほかならないからである」、との文章だけで結ばれたのでは、何の慰めにもならず、何の建設的で具体的な展望も出てこないだろう。
 なぜプラトンかとの疑問はさて措くとしても、「あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすこと」をしていれば、民主党政権を打倒することができ、「保守」再生政権を生み出すことが可能になるのか。この程度の抽象性の高い主張では、ほとんど何の役にも立たないと思われる。<思想家>・佐伯啓思に期待しても無理なのかもしれないが。
 なお、上掲誌同号の諸論考は(西部邁「保守思想の辞典/役人」も含めて)、民主党批判と現状分析が中心で、<保守>派の現在と今後の具体的あり方については説き及ぶところがほとんどないようだ。
 ②月刊・文藝春秋11月号(文藝春秋)、中西輝政「英国『政権交代』失敗の教訓」(p.94-)。
 1994年の自社さ連立内閣以降の自民党は「政権にしがみつくこと自体」を自己目的化した、という御厨貴に近いニュアンスの批判(p.96)はまぁよいとしよう、また、鳩山・菅直人「団塊世代」の対米屈折心理の存在の指摘(p.98)やフランス・イギリスを例にしての、<脱官僚>等の民主党政権への懸念・不安もそれぞれに参考にはなる。
 だが、それらは民主党政権継続を前提とする議論だ。そして、「民主党による政権奪取は、より大きな日本政治の大移行期の『第一幕』に過ぎないのかもしれない。今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運が、そこにかかっている…」(p.103)という結びだけでは、建設的で具体的な展望は何も出てこない。「今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運」がかかっているとは、すべての(基本的な?)政治事象について言えることではないのか?
 執筆を依頼されたテーマが「日本政治の大移行期」の具体的な展開内容の想定・予想あるいは<あるべき移行の姿>ではなかったためかもしれないが。
 なお、文藝春秋同号の立花隆の文章(p.104-)はこれまでとほとんど同じ内容の小沢一郎批判で、御厨貴よりもマシかもしれないが、新味に乏しい。立花隆、ますます老いたり、の感がますます強い。
 ③西村幸祐責任編集・撃論ムック/迷走日本の行方(オークラ出版)の中の、西村幸祐=三橋貴明=小林よしのり=城内実(座談会)「STOP!日本解体計画―抵抗の拠点をどこに置くのか」(p.6-)。
 これの方がまだ将来の具体的なことを語り合っている。
 しかし、小林よしのりが「『伝統保守』という理念の再生」の必要を語りつつ、「地道なやり方をつなげていって、大きな流れにするしかない…。一人二人が四人五人になる。そういう核が全国各地でいくつもできて、それがやがて大きなうねりになる。…」と(p.23)、日本共産党・民青同盟の拡大あるいは「九条の会」会員拡大の際してと似たような話ではないかと思われる程度の発言しかできていないのは、やはりなお大きな限界と歯がゆさを感じる。
 むろん抽象的には上のとおりかもしれないし、小林よしのりは一人で「『伝統保守』という理念の再生」のために数十(数百?)人以上の仕事をしているので、引き続いての健闘を彼には期待しておくので足りるとは思われるのだが。
 この座談会で城内実は、将来はA「日本の国益と伝統を大事にする保守主義の政党」、B「個人主義や新自由主義を打ち出す自由主義政党」、C「平和主義のリベラル政党」に「分かれていくのではないか」と発言している(p.21-22)。
 これ以上の詳細な展開はないが、この辺りを、その具体的な過程・方策も含めて、<保守>言論人または<保守>論壇には論じてもらいたいものだ。
 他人のことをとやかくいう資格はないかもしれないが、民主党(政権)を(厳しく?)批判しつつ、将来については何となく<様子見>の議論が多すぎるような気がする。その意味では、<保守>言論人・<保守>論壇にも大きく失望するところがある。  

0829/屋山太郎は大局を観ていない。これが「保守」評論家か。

 一 屋山太郎の発言を記録に残しておく。
 8/30総選挙の投票日前、産経新聞8/27付「正論」で次のように書いた。
 ①「今回の総選挙の意義は官僚が政治を主導してきた『官僚内閣制』から、政治家が政治を主導する『議会制民主主義』に変われるかどうかに尽きる」。「…より熱心に脱官僚政治、天下りの根絶を主張している民主党が政権をとったときの方が期待できる、と私は考えていた」。「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
 同じく投票日直前発行の月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25でこう書いた。
 ②「今回の選挙の最大のテーマはこれまでの官僚内閣制をやめて、正真正銘の議院内閣制を確立できるかどうかである。重ねていうが、官僚内閣制の存続を許すかどうか、議院内閣制を選ぶかの『体制選挙』なのである」。「『体制選択』のバロメーターは『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心かである」。
 民主党政権成立後の産経新聞9/17付「正論」欄でこう書いた。
 ③「民主党政権誕生によって、明治以来続いてきた『官僚内閣制』がいよいよ終わろうとしている。官僚内閣制は官僚が良かれと思う政治が行われることで、民意を反映した民主主義とは根本的に異なる。民意を汲み上げることを日本ではポピュリズムと非難する。しかし民意とほとんど無関係に政治が行われていることを国民が実感したからこそ、自民大敗、民主圧勝の答えを出したのではないか」。「民主党の『官僚内閣制』から『議会制民主主義』へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている」。「日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ」。
 同じく、月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23でこう書く。
 ④「鳩山政権誕生とともに…事務次官等会議が廃廃止された」。「明治の『官僚内閣制』を象徴するシステム」の存続は「日本は純然たる民主主義国ではなかったこと」を意味する。「自民党支持者のほとんどはそもそも国家経営の基本が間違っているという自覚がなかった。大衆は賢明だったというべきだ」。
 

 二 屋山は、総選挙の最大争点は(平たくは)「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと書き、あるいは「官僚内閣制」か「議会制民主主義」かだ、と主張してきた。そして、民主党勝利・民主党政権誕生を歓迎し又は当然視し、「大衆は賢明だったというべきだ」とする。
 この近視眼的な争点設定・評価に対する批判はすでに書いた。
 あらためて別の書き方をすると、第一に、この人は、「政治」の一端には詳しくても<政治思想・哲学>・<社会・経済思想>に関する教養・知識は乏しいのではないか。第二に、そもそも、コミュニズム(共産主義・社会主義)あるいは中国・北朝鮮(の存在)をどう評価しているのか、不明だ。そして、第三に、この人が現在目指す最大の価値は「民主主義」になっていると見られる。それでよいのか。
 屋山において、価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある、と感じる。
 屋山は、だが、こう書いていた。-「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
 民主党の政策には「外交・安保」等々多くの問題があるが、最優先されるべきは、「議会制民主主義」の確立だ、と言うのだ。
 以下、この点に論及する。
 三 民主党(政権)が自民党(政権)と異なり、「議会制民主主義」の確立に向かう、と観るのは、幻想だと思われる。
 第一。この概念は議会(国会)と政治・行政の関係に関するものだ。したがって、<政治・行政>の内部でいかに「政治(家)主導=官僚排除」となっても、それは議会制民主主義の基本問題ではない。副大臣・政務官は、国会議員が同時に広義の<行政官僚>になった、と理解すべきものだ。 
 「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない
 第二。民主党政権下における<議会制民主主義>の軽視・無視の徴候はすでに見られる。
 ①「議員立法」を(民主党議員については)廃止するとか。これは、憲法に違反すると解される。
 ②衆議院では(参議院でも)民主党は政府に対する「代表質問」をしなかった(参議院では与党社民党の質問はあった)。これは、政治・行政(=広義の「行政)」の中に民主党議員(政治家)が入っているので無意味という趣旨なのだろうが、国会と政府(政治・行政)間の良好な緊張関係をなくすもので、国会軽視だと考えられる。
 その他、<議会制民主主義>の問題ではなく、「政治(家)主導=官僚排除(脱官僚)」の問題だが、次の現象も―周知のとおり―生じている。
 すなわち、屋山太郎は争点は「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと説いたが、日本郵政(株)の社長人事は、「天下り」した元(財務省)官僚の「渡り」そのものではないか
 屋山に問いたいものだ。
 ①「天下り」・「渡り」禁止は退官後いつまで通用するのか。まだ5年では禁止され、15年経っているともう適用されないのか?
 ②退官後の期間の長短にかかわらず「有能」で「適材適所」ならよいのか。客観的資料(報道)を引用できないが、鳩山由紀夫(首相)か平野博文(内閣官房長官)は「民主党の政策を支持する(=~に服従する)」元官僚ならばよい、とも述べていた。これでは、せっかくの<「天下り」・「渡り」禁止>も泣く。実質的な基本政策放棄だろう。
 ③日本郵政(株)はかつての公社・公団等、今日の独立行政法人等々に比べて<公的>性格の弱い会社だから、今回の人事は許されるのか? だが、民営化方針を見直し、今後は<公的>性格を高めるというのだから、この理由は成立し難いのではないか。
 おそらくは、屋山太郎の期待・願望に反する事態がこれからも発生してくるだろう。
 <「天下り」・「渡り」禁止>問題自体になお議論すべき余地があるが、この問題はいずれにせよ、まだマイナーな問題だ。
 四 民主党政権下で生じそうなのは、<議会制民主主義>の確立・充実ではなく、国会と政府の一体化、つまりは、ますますの<行政国家>化ではないかと思われる。「行政国家」概念を屋山が知らなければ、政治学・行政学の辞典・教科書でも参照されたい。この現象は、(あいまいな言葉だが)民主党(小沢?)「独裁」につながっていく可能性がある。
 あるいは、鳩山由紀夫(首相)は<市民参加>を肯定的に評価し、推進したい旨を喋っているが、これは議院内閣制=議会制民主主義=代表制民主主義とは矛盾しうる、<直接民主主義>の要素の拡大を肯定することでもある。
 かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない。

0826/長部日出雄・「君が代」肯定論(小学館101新書)の一感想。

 長部日出雄・「君が代」肯定論(小学館101新書、2009)はずっと前に、概略は読んだ。タイトルはテーマではなく(あるいは一つにすぎず)、「世界に誇れる日本美ベストテン」として、伊勢神宮・出雲大社・古事記・法隆寺五重塔・東大寺大仏・明治神宮・「羅生門」・「釈迦十大弟子」・「お伽草紙」・「君が代」を挙げて、それぞれにつき叙述する。
 書物の趣旨・内容に大きな不満はないし、むしろ肯定的に読まれるべきだろう。
 しかし、気になることもある。
 第一。伊勢神宮を語るのに、カント→カントの墓のあるカリーニングラードで成育した建築家ブルーノ・タウト、という外国人二人からなぜ始めるのだろう。
 出雲大社を語るのに、ラフカディオ・カーンという外国人の経歴からなぜ始めるのだろう。
 古事記を語るのに、外国人作家C・S・ルイスの作品からなぜ書き始めるのだろう。
 東大寺大仏に関する叙述はなぜ、マックス・ウェーバーから始まるのだろう。
 文章の書き方の趣味・作法の一つと言われれば、そうだというしかないかもしれないけれども。
 第二。かつて何であったか忘れたが、長部日出雄の文章の内容に感心・共感するともに、「左翼臭」を感じたこともあった。
 長部が伊勢神宮を初めて訪れたのは「なんと還暦をすぎてから」らしい(p.24)。「敗戦直後」の「いちばん多感な少年期」のために、「皇国史観アレルギー」が「骨髄まで徹して」、伊勢神宮を含む高校の修学旅行への参加を拒否し、「以後もずっとそこを敬して遠ざける人生」だった、という(同上)。
 同書の著者経歴欄によると、長部日出雄(1934~)は大学中退後、「週刊誌記者、フリーライター」を経て「作家」活動に入っている。
 「皇国史観アレルギー」が「骨髄まで徹して」、伊勢神宮を「敬して遠ざけ」てきたのが正確にいつまでなのかは分からないが、中高年になっても、少なくとも「還暦」の頃までは、上のような心情・態度だったと推察される。「還暦をすぎて」、「生まれて初めて鳥居をくぐって、…一回りしたとたんに、いっぺんに宗旨変えし」た、と書いている(p.24)。
 伊勢神宮のもつ不思議な力については共感する。
 だが、気になるのは、とくに「週刊誌記者、フリーライター」の時代に、「皇国史観アレルギー」を抱きつつ、いかほど<進歩的>・<左翼的>な文章を書いてきたのだろう、ということだ。そして、読者にいかほど<進歩的>・<左翼的>な影響を与えてきたのだろう、ということだ。そのような文章を、今では<自責>とでも称しうるような感覚で振り返っているのだろうか。
 他人の、しかも「作家」様の人生経路を、とやかく言う資格はないかもしれないけれども。

0730/吉川元忠=関岡英之・国富消尽(PHP、2006)の中の関岡発言は正確か。

 〇吉川元忠=関岡英之・国富消尽-対米隷従の果てに(PHP、2006)はp.174まで進んでいる。
 佐伯啓思・大転換(NTT出版、2009)もまた、日本の(小泉・竹中)「構造改革の失敗」について語る。その事例として、「所得格差」・「労働の不安定さ」・「金融市場の不安定化」・「食料・資源価格の不安定化」・「IT革命という虚妄」といった「今日の事態」を挙げている(p.195)。
 たが、その「失敗」又は「誤り」の原因を基本的に<対米隷従>に求めることは適切か、という問題がある。吉川元忠=関岡英之の上掲書よりも、佐伯啓思の上掲書の方が、より複合的・総合的に考察しているように見える。
 上掲書の中で、関岡英之は次のように言う(p.123)。
 <民にできることは民で・官から民へ>は「歴史的必然」でも「唯一絶対の真理」でもない、むしろ「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」にすぎない。「それはアダム・スミスを源流とし、ハイエクやフリードマンが復活させ、レーガンやサッチャーが国是としたアンクグロ・サクソン流のいわゆる市場原理主義」だ。
 「いわゆる市場原理主義」と称するのは仮によいとしても、「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」の先頭にアダム・スミスを持ってくるのはいかがなものか。また、アダム・スミスからレーガン・サッチャーまでを一括りにして「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」と見るのは適切なのか。
 小泉・竹中(近年の自民党)「構造改革」路線を批判する「左翼」ならばともかく、あるいは「市場原理主義」に「社会主義」を対置させる社会主義者(・共産主義者)ならばともかく、上のように簡単には言うべきではないのではないか。
 関岡はまた、「いわゆる市場原理主義」をこう説明する。
 「『小さな政府』とマーケット・メカニズムの絶対視、政府の役割を否定して、民間企業の経済活動を自由放任し、市場の見えざる手に委ねるべきだというドグマ」。これは「米国の民間企業の利益、ひいては米国の国益を極大化する戦略にも直結している」。
 「米国の国益を極大化する戦略」に賛成するつもりはない。だが、「いわゆる市場原理主義」なるものに関する上の説明が正しいとすると「市場原理主義」自体をやはり問題視しなければならないことになるだろう。
 またそもそも日本政府(小泉・竹中「構造改革」路線)はかかる「主義」を採用して「政策」化・現実化してきたかというと、きわめて疑問だ。
 <規制緩和>の方向にあったことは間違いないように思われる。だが、日本政府はかつて、「政府の役割を否定」したことがあっただろうか。「小さな政府」とマーケット・メカニズムを「絶対視」しただろうか。「民間企業の経済活動を自由放任」しただろうか。
 例えば、現実には諸銀行に対して税金が投入された。合併への<誘導>もなされた。郵政「民営化」と言ってもまだ政府が全資本をもち社長の人事権(認可権)を総務大臣がもっていることは周知のとおり。「民間企業の経済活動」の規制にかかわる金融庁・証券取引委員会等の新しい行政機関もでき、かつ「経済活動」を「自由放任」にはしていない関係法律はいくらでもある。
 一種のレトリックだと釈明・反論されるかもしれないが、物事は単純にではなく、もう少し厳密に語るべきだと思われる。現象あるいは問題は、つまるところは、<公・私>・<官・民>・<国家と市場>の役割分担の<程度>・<あり方>であり、かつそれらは、<部門・分野ごとに>別々に論じられなければならないと思われる。

 関岡は「アダム・スミスを源流とし、ハイエクやフリードマンが復活させ…」というが、上記のとおり、アダム・スミスまで批判すると、「国家(計画)経済主義」(=社会主義)に対する市場経済主義(=資本主義)自体を批判することになりかねない。
 また、佐伯啓思によると、「構造改革」論者はミルトン・フリードマンとともにその師・フリートリッヒ・ハイエクの名を挙げることが多いが、たしかにハイエクの「思想」は「新自由主義」(注・佐伯が使っている語。「市場原理主義」でも「市場万能主義」でもない)の「教義」の「もと」になり、そしてアメリカ経済学の中心・シカゴ学派もハイエクの大きな影響を受けてはいる。しかし、「ハイエクの基本的考え方と、シカゴ学派のアメリカ経済学の間には、実は大きな開きがある」。ともに「市場競争を擁護」したが、「基本的な論理は、ある意味では、まったく違っている」。
 (このあとのより詳しい説明は省略。p.185-188とけっこう長い。)
 長い研究歴のある経済(・社会)思想の<専門家>と法学部出身の関岡とでは、前者の佐伯啓思を信頼しておいた方が無難だろう。<ハイエク→(アメリカ)→日本政府の政策>という二つの右矢印が適切かどうかも-少なくとも100%の影響力を示すとすれば-きわめて疑問なのだが、左端に「ハイエク」がくるかどうか自体も疑問なのだ。

 〇ルソー(・フランス革命)・辻村みよ子について中途休憩?している間に、阪本昌成・新・近代立憲主義を読み直す(成文堂、2008)の中に、ルソーについてかなりの(批判的な)叙述があるのに気づいた。最初と最後(「はしがき」と「あとがき」)はいずれもルソー・人間不平等起源論の引用から始まっている。
 いずれこの本にも言及したいが、この本は「新」版で(かなり書き直したようだが)、旧版はすでに読了しており、2年前にこの欄で少なくとも5回は言及していた(以下を参照)。あらためて似たようなことをルソーについて指摘するかもしれない。

0679/福田恆存「私の保守主義観」(1959)を読む。

 福田恆存評論集第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)の中に収載されている「私の保守主義観」、初出は「読書人」1959年6月19日号、はたった5頁だが(p.126-)、興味深い。以下、要約又は引用。
 ・私は「保守的」だが「保守主義者」とは考えていない。「保守派」は「保守主義」を「奉じるべきではない」。
 ・「保守派」は眼前の「改革主義」という「敵」を見て自らが「保守派」であることに気づく。「保守主義」はイデオロギーとしては「最初から遅れをとっている」。それは、「本来、消極的、反動的であるべき」ものだ。
 ・「保守派がつねに現状に満足し、現状の維持を欲している」とは、「革新派」の誤解。「保守党」が自分たち支配階級の利害しか考えず、「進歩や改革を欲しない」との「革新派の宣伝」は、日本では「古すぎるし、効果もない」。
 ・「保守派」と「革新派」の差異は、「進歩や改革」を前者はただ「希望する」だけなのに対して、後者は「義務」と心得ることにある。前者における「私的な欲望」は後者において「公的な正義になる」。「進歩」は前者において自然な「現実」・人間活動の「部分」・「手段」だが、後者においては最高の「価値」、生存の「全体」・「目的」になる。
 ・「保守派が合理的でないのは当然」。「進歩や改革」を嫌うのはその「影響や結果に自信がもてないから」。一部の改革が全体の総計に与える不便に関する見通しがつかないから。
 ・「保守派」は「態度によって人を納得させるべきで」、「イデオロギーによって承服させるべきではない」。「保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分としたとき、それは反動になる」。「大義名分」は「改革主義」のもの。
 ・「保守派は無智といわれようと、頑迷といわれようと、まづ素直で正直であればよい。…。常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。
 以上。今や死語になったかの「革新(派)」という語が出てくるなど、時代を感じさせる。だが、「まづ素直で正直で」、「常識に随い」…とは、<左右>を問わない、人の生き方そのものだと思える。無理をする必要はない。イデオロギー闘いを挑み、「左翼」を論難するのも本来は「保守派」ではないかもしれない。
 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)というような問いかけも、少しは肩肘が張りすぎているのかもしれない、と思ったりする。「常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。このくらいの神経を持っていないと、今の時代を精神の安定を保って生きるのはむつかしいのかもしれない。
 ところで、保守又は「保守主義」を論じるとき、イギリスのE・バークはフランス革命に際して…と始める論者も多いように見えるが、福田恆存はその「保守派」の考え方をどのようにして形成したのだろう。バークを読んだから、ではないことは確かなのだが。 

0674/福田恆存「平和論に対する疑問」・「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」を読む。

 一 清水幾太郎の剽窃ではないかと疑った者もいたらしい福田恆存「平和論に対する疑問」は中央公論1954年12月号公刊で、(再?)刊行中の福田恆存評論集の第三巻(麗澤大学出版会、2008.05)に収載されている(p.135-155)。
 現時点で読むと特段に斬新なことが書かれているわけではなく、こんな論考が当時では話題になるほどの(進歩的)「文化人」の意識状況だったということに、感慨をもって驚かされる。
 福田恆存は「平和論に対する疑問」を5点挙げている(p.149-。おそらく本意には反するだろうが、原文の旧字体等は改めている)。
 ①「二つの世界の平和的共存」を「どういう根拠で…信じられるのか」。日本の「平和論」は世界的には力はなく、「知っているのは、おそらく共産圏の指導者たちだけ」。それは、「若い青年たち」を「平和か無か」という「極端な思考と生活態度に駆りやる作用」をもっている。
 ②「平和か無か」は「共産主義か資本主義か」の問題につながることを承知しているのか。「平和論者」はこんな問いを発しないし反対の印象すら与え、「ただちに共産主義との間に二者択一を迫る」ようには見えない。だが、「平和論」をまじめに受け取ると、「資本主義国はすべて悪玉」に映じてくる。
 ③「平和論者たち」は本当にイギリスを信頼しインドに範を仰ぎ「スイスに羨望」しているのだろうか、等々。
 ④「平和論者たちは、ソ連が二つの世界の平和的共存を信じ、その努力をしていると信じているのでありましょうか」。
 ⑤「インドのネールへの憧憬の正体」が分からない。「ほんとうにネールのような政治家を、日本の指導者としてもちたいのでしょうか」。
 二 杉村春子「女の一生」中国迎合「改作」問題に直接にかかわる(杉村への手紙ではない)論考は「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」というタイトルで芸術新潮1960年10月号に発表され、福田恆存評論集の第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)に収載されている(p.102-125)。
 「政治的な、あまりに政治的な」と題する節の中で紹介されている「改作」の具体的例(一部のみ引用)。
 「清国へ渡って馬賊になろうと…」→「中国へ渡ってあの広い大地で労働をしたいと…」。
 原作にはない追加。-「…。世界は金持と貧乏人に分けられるってことは言うまでもない。…」、「…いい世の中になるために、幸福な生活になるために、貧乏人も金持もない世の中をつくること、そういうことを考えている…」。
 終幕部分の全面改定(ほとんど追加)。-「…そういう連中が、まるで気違いのように戦争を呼び起こし、そして戦争は彼等を罰しました。…」、「…ほんとうにはずかしいことだと思います。多くの戦争犠牲者に、とりわけ私達の家に最も縁の深い中国の人民の方達に、心からお詫びをいいたいと思います。…」
 こういう「改訂」(改作)は、日本での60年安保闘争を背景にして、中国(共産党)当局の<示唆>によって、文学座(杉村春子)側が「自発的」に行ったらしい。
 村山富市、社民党、週刊金曜日編集人たち、戦時「性犯罪」補償法案提出者たち、そして朝日新聞社内の多数派「左翼」等々の先輩たちは、むろん1960年段階ですでに立派に育っていたのだ。今まで続く対中<贖罪>意識、ひどいものだ。これも、GHQ史観の教育・宣伝の怖ろしい効果。

0672/諸君!(文藝春秋)が廃刊。6月号(5月初旬発売)で終わり。

 (株)文藝春秋の月刊諸君!が6月号(5月初旬発売)で廃刊になることが決まったようだ。
 前回・前々回に言及した櫻田淳論考は諸君!4月号のもの。
 2月号を買って竹内洋の連載ものにあらためて興味をもち、数号を古書で買い求めた(従って文藝春秋の利益になっていない)のは諸君!だった。それ以前の諸君!は昨年初めくらいまではほぼ毎号新規購入して読んでいたが、昨年途中からどうもおかしいと思い始めた。
 記憶するかぎりでは、①「左翼」・保阪正康の連載を延々と続けさせている、②皇室問題につき<興味>を優先させる(対立を煽り立てるような)編集をしていると感じた、③文藝春秋本誌(月刊文藝春秋)もそうだが、田母神俊雄論文問題につき、完全に<傍観者>の位置に立った
 文藝春秋本誌では「左翼」・保阪正康の「秋篠宮が天皇になる日」とやらの論考が最大の売りであるかの如き編集・宣伝をしていた(そんなこともあって昨年末以降、文藝春秋本誌も購入していない)。
 諸君!は最近部数が落ちていたらしい。昨年平均は6万数千部に落ちた、という。これが多いか少ないかは判断がつきかねるが、自分自身が昨年途中から定期的購入者でなくなったのだから、同様の人が少なからずいても不思議ではない。
 西尾幹二は何かの雑誌上で、左傾化(・朝日新聞化?)する「文藝春秋」を批判・分析する文章を書いていた。
 廃刊の理由は様々あるだろうし、(株)文藝春秋の経営的判断・分析の正確な内容は分からない。
 ただ、他の「保守」系月刊誌(論壇誌)とは異なり、上記の如く、<左にもウィングを拡げようとした>ように感じられることが本来の読者層をある程度は失ったのは確かだと思われる。
 田母神俊雄論文をバッシングするか擁護するか、この雑誌と(株)文藝春秋は、明確な立場を表明できなかったのだ。また、諸君!に限っての記憶によると、「左翼」・保阪正康の論考(連載ものでなかったかもしれない)が大変よかった旨の読者投稿をあえて掲載したこともあった。そうした編集方針が部数減につながったのだとすると(その可能性は十分にある-講談社・月刊現代の廃刊の原因の一つも(こちらの場合はより明瞭な)「左傾化」だと思う)、「編集人」・内田博人の責任は少なくないだろう。「左傾化」又は「大衆迎合」化に舵を切りつつ、中西輝政、西尾幹二(あるいは4月号では長谷川三千子)あたりで巻頭を飾ってもらえば「保守」層は離れないだろうと判断していたとすれば(仮定形をとらざるをえないが)、読者を馬鹿にしていたとしか言いようがないものと思われる。
 40年続いた雑誌が休刊という名前の廃刊。保阪正康の名を見る機会が減るのは嬉しいが、竹内洋らの優れた、連載ものの論考・文章はどうなるのだろう。6月号で無理にでも終焉させるのだろうが、その点は残念なことだ。

0671/福田恆存に関する二つの連載もの(竹内洋・遠藤浩一)と再び櫻田淳。

 一 偶然なのかどうか、福田恆存に論及する連載ものが二つの雑誌で数ヶ月続いている。月刊諸君!(文藝春秋)の竹内洋「革新幻想の戦後史」(4月号は17回「『解ってたまるか!』と福田恆存」)と月刊正論(産経新聞社)の遠藤浩一「福田恆存と三島由紀夫の『戦後』」(4月号で31回)だ。
 前者の4月号も面白い。①金嬉老事件(1968)にかかわっての、中嶋嶺雄、鈴木道彦、日高六郎、中野好夫、金達寿、伊藤成彦ら(当時の)「進歩的文化人」の<右往左往>も、その一つ。
 ②朝日新聞の顕著な<傾向>を示す次の叙述も。-福田恆存が発表した論文が朝日新聞「論断時評」欄でどう扱われたか。「昭和四一年まで」は比較的多く言及されたが、昭和26年~昭和55年の間での「肯定的言及」数は福田恆存は28位で肯定的言及数でいうと中野好夫・小田実・清水幾太郎の「半分にも達していない」。一方、総言及数のうち「否定的言及」数は福田恆存の場合31%で、林健太郎(21%)、清水幾太郎(15%)を上回り、三一名中のトップ。「昭和四二年あたりから」は、福田恆存論文への言及そのものが「ほとんどなくなる」(p.234。竹内は辻村明の論考を参考にして書いている)。朝日新聞「論断時評」欄のこの偏り・政治性は、今も続いているだろう。
 なお、月刊WiLL4月号(ワック)の深澤成壽「文藝春秋/福田恆存『剽窃疑惑』の怪」(p.236~)は「左傾」?メディアの一つ・文藝春秋批判という位置づけなのか、この竹内連載中の福田恆存・清水幾太郎「剽窃」問題のとり挙げ方を批判している。そうまで目くじらを立てるほどではあるまいと感じたが、当方の読みが浅いのかもしれない。
 一方、後者(月刊正論の遠藤浩一)の4月号では、文学座の杉村春子の暴走、「女の一生」の中国迎合改作(改演)の叙述(p.269-273)が興味深い。演劇界にも戦後<進歩主義・対中贖罪意識>は蔓延したようで、「札付きの左翼劇団」だった民芸や俳優座だけでなく、政治と一線を画してきた文学座も「昭和三十代」に入ると「反安保」・「日中友好」を通じて「左翼観念主義」・「左翼便宜主義」に取り憑かれた(p.269)。
 滝沢修も日本共産党員らしき者(少なくとも70年代に「支持者」以上)だったが、どの劇団だったか、すぐには思い出せない。仲代達矢もそうした傾向の劇団を経ていたのかもしれないが(「左翼」五味川原作の「人間の条件」の主役もした)、そうした<傾き>をほとんどか全く感じられないのは(実際にも<傾き>がないのかもしれないが)好印象をもつ。
 杉村春子(1906-97)といえば、意外に知られていないかもしれないが、大江健三郎が受賞を拒否した翌年に文化勲章受章をやはり拒否した人物でもある。こじつけ理由の差異はともあれ、少なくとも拒否の点では、大江健三郎のエピゴーネン。
 二 ところで、櫻田淳は福田恆存につき、戦前の「古き良き日本」を思慕した言説主だとの前提に立っているようだ(月刊諸君!4月号p.52-53)。そうした面はあっただろうが、はたしてそう単純に福田恆存を概括してよいのだろうか。杉村に対する福田恆存の「助言」を読んでも、<昔(戦前)は良かった>を骨子とする<保守・反動>ではないことは明らかだ。
 櫻田には三島由紀夫や福田恆存の世代とは異なるんだという意識が透いて見える。それはよいとしても、-前回に記し忘れているが「戦後の実績」を「明確に肯定する」ことを前提にしてこそ「保守・右翼」言説は「拡がりを持つ」だろうとの指摘(p.53)には唖然とした。これは、「保守・右翼」言説の<左傾化>を推奨しているようなものだ。<左傾化>すれば「拡がり」を持つだろうが、もはや「保守」言説でなくなっている可能性が大だ。
 むろん、何が「戦後の実績」かという問題はある。<日本国憲法体制>あるいはGHQ史観・東京裁判史観の(基本的に)肯定的な評価までも含意させているとすれば、この人は「真正保守」どころか、「保守」だとも思われない(なお<日本国憲法体制>=1947年体制への私の疑問・批判は、同憲法無効論を前提としてはいない)。
 三 さらに前回記し忘れたことだが、産経新聞2/26「正論」欄の櫻田淳「『現在進行形の努力』と保守」の中には、一部、大きな過ちがある。すなわち、櫻田は、「定額給付金」は減税の一種だと理解し、<定額か定率か>つまり<定額減税か定率減税か>が問題だったはず、等と述べている。
 「定額給付金」は減税ではなく、所得税・住民税の非課税者(減税があっても利益にはならない人たち)にも給付される。このことは常識だと思っていたが、櫻田は理解できていない。まさに「右か左かはどうでもいい」(月刊諸君!4月号、櫻田p.55)基礎的知識レベルの問題なのだが。この人は信頼してはいけないように思える。

0667/「秋月映二」ではなく「秋月瑛二」。撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(2009.02)を一部読む。

 一 西村幸祐責任編集/撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(オークラ出版、2009.02)は10日ほど前に入手し、気を惹いたものはすでに読んだ。
 民族問題の特集のようだが、佐藤優批判がいくつか揃っている。若杉大のもの(p.114-)は小林よしのり対「言論封殺魔」佐藤優論争の紹介・整理だが、櫻井よしこ「『国家の罠』における事実誤認」、高森明勅「佐藤優『護憲論』のトリック」(各々p.118-、p.126-)は明らかに佐藤批判だ。
 櫻井よしこによると(初出は2005)、佐藤優の上の本が新潮社・ドキュメント賞の候補作になったとき、事実誤認を理由としてゼロ採点した、という。むしろ興味深いのは高森論考で、佐藤優は、天皇制度擁護のための護憲派なのだ、という。つまり現憲法1~8条改悪(削除)阻止のために「護憲の立場」を採るのが「真の保守」だ、と佐藤優は言っているらしい。
 高森明勅はあれこれと1~8条死守と9条改正は矛盾しない旨等を述べているが、なかなか面白い、聴くべき<護憲論>だ。天皇制度の歴史に無知・無関心の圧倒的多数の国民(主権者)は、皇室に何か大きな不肖事でもあると、もともとひそかに天皇・皇室制度解体を目論んでいる朝日新聞等のマスメディアの煽動しだいでは、天皇は多忙でお気の毒、天皇・皇族にも人権を、皇室に対する国費支出額が大きすぎる、皇居を国民公園に、等々の理屈に納得して天皇制度廃止(憲法1~8条削除)の提案があれば、過半数の賛成票を与えてしまいかねないのではないか、という不安を私はもつ。そのような国会議員の構成にならなければよいのだが…。
 そのような憲法改正に対して私は反対の<護憲>派になるだろう。
 上のように、当たり前のことだが、何をどう変えるかが問題で、一般的な改憲論・護憲論の対立などは存在しない。現在<護憲論>とふつうの場合には言われているものは、憲法9条改正(とくに2項削除)に反対して9条を護持する、という意味での護憲論なわけだ。
 憲法9条改正と憲法1条以下改正と、どちらが先に国会で発議されるか、といった心配をしなければならないことになるとは、情けない。中国(共産党)は究極的には、天皇制度解体を望んでおり、神社神道も邪魔物と感じているだろうということは間違いないと思われる。日本国内には今でも、そのような中国(共産党)に迎合する<売国奴>団体・個人が絶対にいる。
 三浦小太郎「ハーバーマスとその誤読」(p.140-)も、短いが興味深く読んだ。
 二 ところで、「匿名コラム/天気晴朗」(p.179)を読んでいて最後の三段めに入って驚いてしまった。
 「秋月映二というブロガー」が「闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性」というエントリーで八木を「こき下ろしている」、「まさに秋月の言うの通り…」。
 これはこの欄での私の文章のことであるに違いない。私は秋月瑛二で「映二」ではないのだが。上のエントリーは今年1/08のものだ。
 さらにところで、「秋月瑛二」で検索すると-検索サイトによって違い、異様と思える並べ方をするものもあるが-、中身を読まず、冒頭又はタイトルを見ただけだが、①「秋月瑛二」を産経新聞記者と誤解している人がいる。私は産経新聞社とはいっさいの組織的関係がない。②私を「媚東宮派」と呼んでいる者がいる。皇室問題での西尾幹二批判がそのような呼称になっているのだろう。何と呼ぼうと勝手だが、「媚東宮派」という語を使うからには、それとは異なる「派」の存在を想定しているに違いない。それは「反東宮派」だろうか、「親秋篠宮派」だろうか。どちらにせよ、そういう対立を持ち込み、拡大しようとすること自体が、天皇制度の解体につながっていく可能性・危険性を孕んでおり、朝日新聞等の「左翼」が喜んでいそうなことだ、ということくらいは感じてほしいものだ。

0662/月刊諸君!3月号(文藝春秋)を一部読む。

 久しぶりに月刊諸君!3月号(文藝春秋)を買う。以下、読んだもの。順不同。
 ・西尾幹二「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」
 西尾幹二は皇室論以外では、至極まともだし、視野が広く、鋭い。
 ・佐伯啓思(聞き手・片山修)「<アメリカ型=自動車文明>の終焉」
 上の西尾論考と併せて、昨今に始まったことではないが、大きな変化の時期にあることを感じる。そこから何がしかの希望も出てくる筈なのだが、本質的・基礎的なところに立ち入らないマスメディア等に冒された人々が大多数では、日本の未来は決して明るくない。
 ・山村明義「いま、神社神道が危ない」
 由々しきことだ。中国による日本占領又は日本の中国の属国化により(「天皇」制度とともに)神道・神社が否定され、物的にも神社の施設が(チベットにおけるチベット仏教のように)破壊されるという<悪夢>を空想したことがある。それよりも先に、自壊してもらっては困る。
 ・山際澄夫「宮崎駿監督、どさくさ紛れの嘘八百はやめてください」
 宮崎駿が「左翼」らしいことはすでに他の何かで読んだ。この人の年齢くらいのインテリ又はインデリぶった人や芸術関係者には、新聞は朝日という人、そして単純素朴な「左翼」(・護憲主義者)が多いようだ。
 ・竹内洋「革新幻想の戦後史16/剽窃まがいは福田恆存か清水幾太郎か」
 標題の福田・清水問題は2月号を読んでいないため、やや分かりにくい。
 福田恆存は月刊・中央公論1954年12月号に「平和論の進め方についての疑問」を書いた。当時の<進歩主義>言説の「思考様式と行為様式をえぐった」もの(p.240)。これに対する批判的反応の大きさが興味深い。<論壇>がまだ成立していた時代なのだろう。
 福田論考を批判・攻撃したのは、竹内の言及によると、平野義太郎、新村猛、花田清輝、中島健蔵、佐々木甚一、(推測で)中野好夫。佐々木を除き、少なくとも氏名は知っている。また、この論考のあと、「民藝と俳優座」という二つの劇団との「交流も途絶えた」。福田恆存支持=「右翼」で、竹内ら当時の大学院生の間ではそれは「バカ」に近い意味だったとか。戦後いつまで、かかる<左翼・進歩主義>知識人・文化人の「論壇」支配は続いたのだろう。
 今日でもそうだろうが、月刊の<論壇>誌を読むような者がエラいとは限らない(私も含めて)。とくに月刊・世界(岩波)の読者であることを「インテリ」・「良心的知識人」の一つの証拠と思っているような者たちは、本当は<バカ>に違いない。
 その他は、余裕と気まぐれいかんによって読むかも(保阪正康の連載を除く)。

0643/月刊正論2月号(産経、2008.12)を一部読む-花岡信昭・潮匡人・高池勝彦。

 月刊正論2月号(産経、2008.12)。次の順で読んだ。ふつうの人の読み方とは違うかもしれない。
 1 花岡信昭「『朝まで生テレビ』出演者が明かすお茶の間に届かなかった真実」(p.75-)。前々回に書いたことの関心のつづき。録画しておけばよかった。
 自衛隊の憲法上の明記につき、80%が賛成だったとか。だが、「世論は確実に変わりつつある」(p.79)と言ってよいのかどうか。
 田原総一朗が月刊WiLLの中西輝政論文を褒めていたらしい(p.76)。但し、田原は揺れ動いている人だし、具体的メディア・番組・出演者に調子を合わせることができるような人の印象があり、とても<保守>派とは思えない。かつてはいい本も書いていたのだが。
 読んだ順番どおりではないが、ペラペラ捲っていると、「セイコの『朝ナマ』を見た朝は」(p.158-)、中村粲「NHKウォッチング」(p.176-)の初め部分、も上の『朝ナマ』(11/28)を扱っていた。視聴者によって感想・印象点は同じではないのが面白い。
 平沢勝栄を含めて、辻元清美を代表とする国会議員のレベルはひどいものだ。産経本紙でもそうだったが、元自衛隊関係者・森本敏はいったい何を考えているのか。ナマで観ていたとすると精神衛生に悪かったような気もする。
 2 潮匡人「リベラルな俗物たち/高橋哲哉」(p.208-)。高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書)は所持していていつか読むつもりだったが、その気が失せた。潮匡人の紹介・分析だと、高橋哲哉とは、哲学者・大学教授の上衣だけを纏った、<左翼・反日>の政治活動家そのものではないか。ここまで<反右派・親北朝鮮>ぶりを明言する知識人?は今や珍しいのではないか。姜尚中和田春樹らとともに「コリアNGOセンター」専門委員。北朝鮮系新聞・朝鮮新報に「東京朝鮮第九初級学校」の講演会で(反日)講演をした旨の記事が載ったこともあった。
 <左翼>ビラをまじめに読むつもりはない。ちくま新書の筑摩書房とはかなりの<左翼>傾向の出版社であるらしい。樋口陽一の新書も出している。NHKブックスにも高橋は書いているらしい。高橋もNHKも気持ちが悪い。
 この高橋は東京大学大学院総合文化研究科教授でもある。東京大学所属の教授たちにはなぜへんな<左翼>活動家が多いのか。
 東京大学といえば、月刊正論(上掲)の石川水穂「マスコミ走査線」p.171によると、東京大学法学研究科(と思われる)の日本政治外交史担当の北岡伸一も朝日新聞紙上(11/13)で田母神俊雄論文を批判したという。東京大学は(法学部をはじめとして)「戦後的なるもの」あるいは「戦後民主主義」の守護神として、今日の<翼賛>体制を支えているようだ。さすがに<体制べったり>だ(とは言えない教授たちもいるとは思うが)。
 3 高池勝彦「ケルゼンを知らねばパール判決は読み解けないか」(p.278-)。このタイトルは、この欄で既述の私見と同じ。
 東谷暁や八木秀次のパール・ケルゼン関係の文章よりもはるかに私には腑に落ちる。法実証主義の問題もそうだが、また、被告人は個人だが結果としてはパールは「日本」無罪論だったというのも納得がいく。法的に個人を無罪としつつ、道義的には国家・日本を批判していた、などという(<左翼>体制派・東京裁判(多数意見)史観に都合のよい)コジツケ論は信頼できない。中島岳志は政治的・政策的な、又は(左翼)ジャーナリズムに媚びた本を書いたのだ。
 あとは時間的余裕に合わせて、今後に。巻頭の安倍晋三=山谷えり子(対談)「保守はこの試練に耐えられるか」くらいは読んでおきたい。
 それにしても、月刊正論の最初の方の二頁コラムの執筆者5人の中に八木秀次と兵頭二十八がいるのは、重みに欠け、正統「保守」らしくないなぁと感じるのだが、これはごく少数の感想か。

0640/田母神論文問題に見る「アホ、バカ文化人・言論人」-潮匡人・月刊WiLL2月号。

 一 月刊WiLL2月号(2008.12、ワック)。広告を見て最初に読もうと思っていたのは、潮匡人「防衛音痴のアホ、バカ文化人・言論人」(p.198~)。
 潮匡人が上記の「アホ、バカ」として挙げているのは、順番に、みのもんた(某番組で田母神俊雄を「懲戒免職にしろ」と主張・公言)、同を採用している日本テレビ、大谷昭宏小宮悦子(テレビ朝日の某番組)、御厨貴(TBS某番組司会)、加藤紘一(同番組)、朝日新聞11/02社説、読売新聞同日社説、日経同日社説、五百旗頭真(とくに毎日新聞11/09)、渡辺淳一(週刊新潮11/27号)、秦郁彦田岡俊次(週刊朝日11/28号)、保阪正康(朝日新聞11/11)、若宮啓文(朝日新聞12/01コラム)、NHK12/09クローズアップ現代。
 上のうち、NHKクローズアップ現代(12/09、国谷裕子)と五百旗頭についてはこの欄でもある程度すでに触れた。
 二 朝日新聞11/12社説中でも高く評価?されたようである五百旗頭真(防衛大学校長)の言動は問題にされるべきだ、と改めて感じる。

 潮が参照要求している条文を念のため見てみたが、自衛隊法61条第一項は「…のほか、政令で定める政治的行為をしてはならない」と書き、これを受けた自衛隊施行令(政令・最近改正2008.09)は同86条が列挙する「政治的目的」をもった同87条が列挙する「政治的行為」をしてはならないと具体的に定めている。この禁止違反には罰則がある(自衛隊法119条第一項1号-「三年以下の懲役又は禁錮」)。

 潮によると防衛大学校長も「自衛隊員」であり、上の規制を受ける。
 上の「政治的目的」の中には次のものが例えば含まれる(政令86条)。「四 特定の内閣を支持し、又はこれに反対すること」、「五 政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対すること」。
 上の「政治的行為」には例えば次のものが含まれる(政令87条第一項)。「一 政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用すること」、「十三 
政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し、若しくは配布し、又は多数の人に対して朗読し、若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し、又は編集すること」。

 特定の「目的」をもつ特定の態様の「行為」が、全体としての(法律のいう)「政治的行為」として禁止されている。
 しかして、自衛隊員(国家公務員法上は「特別職」の行政公務員)としての五百旗頭真はこの規定を遵守しているのか?
 潮匡人は「自衛隊法違反」と明記しているが、五百旗頭は朝日新聞2005.01.07でイラク戦争を批判したのち、2006.08に防衛大学校長に就任して以降の中央公論2006.12号で「イラク戦争に疑念」は間違っていなかったと書いた。さらには小泉内閣メール・マガジン2006.09.07付で首相の「靖国参拝」を批判した。
 これらは、ほとんど明らかに上の「政治的目的」(特定の内閣の支持・不支持、又は「政治の方向に影響を与える意図」での「特定の政策を主張」若しくは「反対」)をもった、「官職」の「影響力」の「利用」、又は「署名の文書」等により「多数の人に対して」読んでもらうべく「著作」するという、法律(・政令)が禁止している「政治的行為」ではないのか。
 疑いは、毎日新聞11/09の署名文章についてもある。この文章は、「 政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張」する目的をもって、新聞全国紙に投稿する(又は依頼に応じて執筆し公表する)という「政治的行為」そのものなのではないか(「官職」の「影響力」の「利用」に該当するかもしれない)。田母神俊雄は「精神の変調を引きずる人」だと強く示唆するなどして、「政治の方向に影響を与える意図」で現内閣・現防衛大臣の「政策」を支持したものではないか。
 それに五百旗頭は、田母神論文について「官房長に口頭で論文を書き応募することを伝えたのみで、原稿を示すことなく」政府見解に反する主張を発表したとし、「即日の更迭」を「意義深い判断」だと評価しているが、五百旗頭真自身は、上の①月刊雑誌・中央公論での見解表明等、②小泉メールマガジンでの見解表明等、そして今回の③毎日新聞への論文(文章)寄稿を、「官房長に口頭で論文を書(く)ことを伝え」かつ「原稿を示すこと」をした上で、行ったのか??
 潮匡人が示唆するように、きわめて疑問だ。法令が内閣や特定の政策への支持か反対かを問題にしていないように、支持するものならばよく反対するものならばダメ、ということにはならない(五百旗頭は①・②では反対、③では支持だ)。
 こうした行政公務員たる五百旗頭真の言動は、公務員法、正確には自衛隊法・同法施行令に照らしてもっと問題にされるべきだ。前大学教授・学者だった、ということが法的には何の関係もないことは言うまでもない。なぜ、マスメディアは、田母神俊雄を問題にして、れっきとした行政公務員(防衛大学校長)である五百旗頭真の文章の「政治的行為」性を問題にしないのか。心ある国会議員は、国会(関係委員会)で、防衛大臣等に対して質問くらいしたらどうなのか。今後も看過され続けていくとすれば、まことに異様な事態だ、と感じる。
 少なくとも田母神への対応との不均衡・不公平は指弾されるべきだ。五百旗頭真は、まともな感覚をもつ人間ならば、<疚しさ>を感じないか?
 三 ア 渡辺淳一が週刊新潮連載コラム欄に幼稚かつ単純なことを(大した根拠もなく-そこで示されていた「実体験」からいかほどのことが言えるのか?)「左翼」教条的に書いていたことは知っていたが、この欄では触れなかった。きちんと勉強せず、かつて受けた教育での知識のみであとは朝日新聞等を読み続けていれば、こんな人物の、程度の低い文章も出てくる、と思ったものだ(他の回でも、元厚生事務次官等殺傷事件に関して、何故「銃刀法」違反容疑なのか(殺人でないのか)、犯人と判っているのに何故「容疑者」なのか、などという、じつに幼稚で無知な内容の文章を書いていた)。
 渡辺淳一のまともに読めるコラムはかつて医者だったことによる医事関係と恋愛(・女性)心理関係の文章だけではないか。あとは凡庸かつまらないか、無知暴露の文章だけだ(週刊新潮編集部は、いい加減に切るべきだと思うが、渡辺作品で新潮社は儲けさせてもらっているために、そうはいかないのだろうか)。
 イ つぎに、現役の東京大学教授のはずの御厨貴の近時の発言は知らなかったが、情けない。東京大学にはなぜこんなに<左翼>が多いのか。<体制(大勢?)順応>タイプがきっと多く残るのだろう。
 ウ やはり朝日新聞の若宮啓文も<参加>しているようだ。書く種(素材)ができて、若宮は内心で大いに喜んだのではないか。

 四 上掲誌の秦郁彦「陰謀史観のトリックを暴く-中西・渡部論文に反論」(p.187~)も興味深かった。
 諸史料の信憑性・意味等について評価が異なるのはやむをえないし、私には介入できる能力はない。
 だが、秦郁彦が次の趣旨を述べているのは疑問だ。
 秦は、「陰謀史観」にかかわって、「だました方が悪人で、だまされたのは善人」だと簡単に言えるのか、それで日本は「免罪」されるのか(p.188-9)、「蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた」との言い方(形容)は「泣き言」にもならない(p.194)等と主張している。
 しかし、今回の論争主題は日本は<侵略国家だった>か否かだ。<だまされた>結果の「侵略」、<引きずり込まれた>結果の「侵略」というのはあるのだろうか。「侵略」とは、意図的・積極的(・計画的?)に行う行為ではないのか? そうだとすれば、「だまされた」とか「引きずり込まれた」というのは、<侵略>性のなかったことの(全面的ではないにせよ)有力な論拠になるのではないか。
 <だまされた>ことや<引きずり込まれた>ことの<責任>問題はもちろんあるだろう。しかし、そうしたことをいくら論証しても「泣き言」にしかならず、かつての日本を「免罪」することにもならない、との秦の言い方は、田母神が言いたい問題提起を正面からは受け止めておらず、論点をズラしているように感じられる。

0621/東谷暁はひょっとして<恥ずかしい>ことを月刊正論に書いたのではないか。

 一 東谷暁が、月刊正論(産経新聞社)12月号で妙な、恥ずかしいことを書いている。
 「論壇時評・寸鉄一閃」の最後から二つめの文にいわく-「そもそも、パールに政治的意図がなければ『意見書』として提出している文書に『判決書』と記すわけがない」(p.165)。
 東谷はパールは日本語で「意見書」を書き、日本語でタイトルを付けたとでも錯覚しているのだろうか。そうだとすれば「恥」だ。次号には登場しないでいただきたい。
 小林よしのりもサピオ誌上で明記しているし、某ネット書籍等販売サイト上でも表紙写真が出ているが、パール意見書(判決書)は、Dissentient Judgement という表紙題名が付けられている。実際の所謂東京裁判の際にどのような言葉(英語)で表現したのかは知らないが(本来はそれを確認しておかなければならない)、上の英語は「反対の(同意しない)判決」が一番の直訳だろう。だが、裁判官一人が「判決」を書けるはずはなく多数意見が「法廷意見」、すなわちその事件についての「判決」になるのだから、パールの「Dissentient Judgement」は―小林よしのりもサピオのどこかに書いていたと思うが―戦後の日本の通例の用語法によれば、実質的には「少数意見書」又は「反対ー」というのが適切な訳になるものと思われる。「意見」とか「少数意見」・「補足意見」とかの日本の用語法に東京裁判が拘束されるいわれはないとも言えるのだが、しかし、少なくともパールの長い文章を「判決書」と訳すのだけは誤りで、<パール判決(書)>という言い方は便宜的な、一般的・慣例的用語にすぎないのは常識的なことにすぎないのではないか。
 ちなみに、東京裁判研究会・共同研究パル判決書(講談社学術文庫、1984)p.142-3は、一又正雄の次の文を載せる‐「このJudgementには二種の意味があ」り、一つは普通の理解での「判決」で、もう一つは「その裁判に参加した判事が、その判決について述べる『意見』」だ。パル判事のそれはまさに「後者の意味」だ。
 従って、『意見書』を『判決書』と書いて提出したという前提自体に誤りがあると思われる。ああ、恥ずかしい。なお、Judgementの訳は「判決」だけではない。「判断」も「決定」も(そして上の説明にもあるように「意見」も)入りうるものだ。
 なお、「意見書」=政治的、「判決書」=法的、という理解の仕方を(も)東谷はしているようにも読めるが、これも誤り。こう理解しているのだとすると、ああ、恥ずかしい。
 二 その東谷と八木秀次が、<パール判決書>は(少なくとも「法理」を示した文章は)法的文書か「政治文書(思想書)」かで論争をしているようだ。
 これについては、
10/06に、「さほど重要だとは思われない」、「この議論の意義自体が判りにくい」と書いておいた。
 現在でも変わりはなく、お二人はエネルギーと時間と雑誌誌面を無駄に費しておられる。
 そもそも一般論として、「法」と「政治」はいちおう別の概念であり別の対象をもつが、厳密に区別できないことは常識的なところだ。対大江・岩波名誉毀損訴訟にかかる判決はむろん「法的」なものだろうが、それは別の観点からすれば「政治」的文書でもあるだろう。少なくない裁判と判決が、何らかの意味で「政治」性をも持ちうるのではないか。ちなみに、第一法規という出版社から、1980年に、『戦後政治裁判史録』全5巻が出ている。扱われている対象はすべて(事件の経緯と)「判決」だが、何らかの「政治」性を認めるからこそ「政治裁判」という語も使われるのだ(扱われているか確認していないが、ロッキード事件判決、リクルート事件判決に「政治」性がないはずがないだろう。民事事件でも当事者が政治家や著名な「政治的」作家や出版社だと、当然に「政治」性を持ちうる)。
 従って、「法理」の提示か「政治文書」かという問いかけ自体がナンセンスだ。とりわけ、何が「法」か自体が不明瞭な戦争、そして国際法にかかわる裁判と判決に「政治」性が紛れ込まないと考える方がどうかしている。
 なお、上の東谷の文章によると、八木秀次は、<パール判決書>における「法理そのもの」には「政治性」がなく、「事実認定」が「政治性を帯びていた」と、東谷に対する回答として説明したらしい(その雑誌も所持はしているが確認の労を厭う)。
 私は、上の八木の説明も正しくはない、と考えている。いかなる「法理」を発見(又は創出)し、事案に適用するかは、(事件によっては)十分に「政治」性をもちうる、「政治」的機能を果たす、と考える。そして、パール「判決書」もまた「政治」性を帯びざるを得ないものと理解している(だからといって、私は「法理」の提示がない、法的文書ではない、と主張しているのではない)。
 要するに、ほとんど生産的ではない議論を東谷らはしている。ほとんど、恥ずかしいレベルだ。<保守>論壇の「衰退」の一例だろうか。
 二 ところで、東谷暁の先月号の文章について10/06に「もともとケルゼンを持ち出して議論を始めたのは西部邁・中島岳志だった。だとすると、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解が適切かどうかにも論及しないと、『論壇時評』としてはアンフェアなのではないか。東谷暁は、だが、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解については一言も触れていない」と書いた。
 今でもこう思うが、小林よしのりがサピオ誌上で、東谷暁について、「西部邁グループ」とか「親分を守るため」とか書いているのを見て(後者はサピオ11/12号p.62)、謎(?)が解けた。ヘーゲル理解の真否を問題にしていったい何の役に立つのだろうと怪訝に感じていたのだが、東谷が西部邁の仲間又は「弟子」?だとすると、西部邁を擁護することとなる文章を書いているのも納得がいく。
 <保守派>評論家たちは、いったいいくつに分解しているのだろうか。嘆かわしい。もっとも、小林よしのりによると、西部邁は「左翼」に回帰している。
 三 さて、もともとのパールにかかわる論争は、「パール判決(書)」の理解の仕方にある。中心的論争は中島岳志と小林よしのりの間で行われている。そして、この論争は、いずれかが正しく、残る一方は誤っている、という性格のものだろう。つまり、「パール判決(書)」はいろいろな読み方ができる、いろいろに解釈できる、というものではない、と考えられる。
 要するに、いずれが原文のテキストを正確に理解しているか、という勝負だろう。
 この点については、西部邁ですら最初の関係論文で小林よしのりに「分がある」ことを認めていた(月刊正論の今年の2月号だったかな)。
 パールの原文を読む余裕はないので断言できないが、直感的には、小林よしのりの勝ち、だろう。
 そうだとすると、小林が明示的に列挙しているアカデミズム(バカデミズム?)界の大学教授たち、中島の本を肯定的・積極的に評価又は紹介した者たちの<責任>が当然に問われる。
 中島岳志(北海道大学)本人はもちろん、御厨貴(東京大学)、加藤陽子(東京大学)、赤井敏夫(神戸学院大学)、原武史(明治学院大学)、長崎暢子(龍谷大学)は戦々恐々として日々を送るべきであるような気がする。

0618/公務員制度改革基本法の具体的実施への姿勢は総選挙の最大の争点か-屋山太郎。

 一 櫻井よしこ・いまこそ国益を問う(ダイヤモンド社、2008)の本文末尾p.318は、「追記」として208.06.06に公務員制度改革基本法が国会で成立したことを書き、この「基本法の成立に関して、私は福田政権に高い評価を与えたい」と述べる。この法律の骨子は櫻井によると、①「官僚主導から政治家主導政治への立て直し」、②「縦割りの各省人事の弊害の打破」、③「キャリア制度の廃止」で(p.313)、<過去官僚>たちが成立に抵抗した、という。
 この法律の成立と着実な実施に私も反対はしない。
 だが、この法律の具体的実施への姿勢は<政権選択>の唯一の判断基準ではないだろう。
 二 屋山太郎はまるで上のようなことを書いている。
 産経新聞11/11「正論」欄の屋山太郎の文章の見出しは「公務員改革に消極的な麻生政権」。中見出しだけ挙げると「政官癒着理解しない首相」・「民主党顔負けのバラ撒き」・「無知ゆえの消費税引き上げ」の三つ。消費税問題とも絡ませて、官僚制度の刷新・無責任解消、政官利権構造の絶滅をしないと「国民は増税話に耳を傾けるわけがない。麻生氏や与謝野氏にはその自覚が全くない」と締め括っている。
 ここではとくに総選挙との関係は書かれていないが、月刊諸君!12月号(文藝春秋、2008)の屋山「目標はただひとつ。官僚支配の打破」(p.58-59)は、<任せていいのか、小沢一郎に>という特集の中の一つの論稿であり、かつまた内容的に見ても自民党(麻生政権)を批判し、民主党・小沢一郎に期待するものになっている。小沢一郎には任せられないという結論の執筆者の方が多いだけに、<保守派>(のはず)の屋山の主張はおやっと思わせる。
 要約的・断片的紹介だが、屋山はいう。・「小沢氏の行動原理は一貫している。…目標は一つ。政権交代のできる政治状況を作ること」だ。
 ・小沢は「政府委員制度の廃止と副大臣、政務官設置」に固執し、実現させた。
 ・小沢は「先の国会では公務員制度改革基本法を民主党主導で成立させた」。この法律は「明治以来の官僚内閣制にとどめをさそうというもの」だ。
 ・「二大政党による政権交代、官僚内閣制からの脱却という目標に向って小沢氏はこの二十年間、一直線に歩いてきた」。
 ・小沢は、「とにもかくにも、官僚内閣制の打破、自民党打倒の旗のもとに勢力を結集することに成功している」。「一般国民」の「期待も高まっている」。
 ・「天下分け目のこの時節に」麻生首相は奇妙なことを言っている。「麻生氏の時代になって、突如、政治は後ろ向きになった。だからこそ麻生氏は人気が上がらず選挙を打つに打てなくなった」。
 このように、小沢一郎を批判する・疑問視する部分は一つもなく(むしろ褒めることだけをして)最後に麻生首相を批判するとあっては、近い?総選挙では自民党にではなく、小沢一郎・民主党に投票しよう、と主張しているに等しい。
 ちょっと待て、と言いたい。公務員制度改革基本法の具体的実施への姿勢は<政権選択>の唯一の判断基準なのか。
 屋山は「官僚内閣制」というやや抽象度の高い概念を用いているが、かりにその実態があり弊害があるとして(そのことを一般的に否定はしない)、小沢一郎政権によって本当にそれの打破は具体的に実現されるのか。今でも<過去官僚>たちは「人事局」設置等に反対し又はその権限に制限をかけようとしている。小沢・民主党政権ならば必ずできる、と言い切れるのか。
 さらにもともと、「官僚内閣制」なるものの打破は次期選挙の、唯一の(又は最大の)争点なのか。
 三 
・「バラ撒き」政策度は、農家への「所得補償」も含めて、民主党の方がよりヒドい。一方、消費税率上げの明言はないようだ。
 ・民主党の1998年の基本政策によると「社会のあらゆる分野で男女の固定した役割分担や差別、不平等な状態の解消を促す。多様な生き方を可能にする家族法の整備、女性のからだと健康、性と生殖に関する権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)の保障、性的ないやがらせや暴力を防止する諸施策、女性政策を強化するための総合的な立法措置などによって、男女共同参画社会を実現する」とある。これは多分に<(左翼)フェミニズム>の影響を受けている。こうした影響の受け方の程度は自民党よりも民主党の方が「ヒドい」だろう。

 ・上記基本政策によると、「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」ともある。
 
・民主党2007年マニフェストには、<人権擁護法案>の成立をめざす旨が、「内閣府の外局」として「中央人権委員会」を設置する等と書かれてある

 ・中国・北朝鮮に対する姿勢は、民主党の方が自民党よりも<甘い>のはよく知られているとおりだ。民主党のHPには、2007年12月の(民主党・中国共産党間の)日中「交流協議機構」第2回会議(北京)の胡錦涛・小沢を含む写真が大きく載っている(多数参加のため一人一人は小さいが)。 
 ・民主党の安全保障政策に不明なところ・問題なところのあることも周知のとおり。

 以上の他にもあるだろう。公務員制度改革基本法に対する姿勢が(かりに屋山の指摘のとおりだとしても)唯一の又は最大の争点となって総選挙が行われるべきだ、とはとても思えない。
 四 自民党を100%支持しているわけでは全くない。

 西尾幹二は月刊WiLL12月号(ワック)p.101で、自民党議員の「三分の一ぐらいは福島瑞穂と同じじゃないか」と書いている。加藤紘一・河野洋平・後藤田正純ら、民主党か社民党へ出ていけ、と言いたい者もいる(河野は今期で引退)。片山さつきも大臣をした猪口某女史も「保守主義」に関する知識はあっても「保守主義」者だとはとても思えない。だが、西尾は同頁で、「民主党に至っては九割が『福島瑞穂』化している」のではないか、とも書いている。1/3も9割も感覚的な数字だろうが、親コミュニズム・親「社会主義」(あるいは「容共」)の程度において、民主党の方が高い、つまり<より左翼>であることに間違いはないものと思われる。
 近時の防衛省(航空自衛隊)高官論文<事件>との関連でいえば、そもそもが、日本社会党委員長・村山富市が首相になり、客観的とは言い難い<自虐的>談話を発表したこと自体を問題にする必要がある。社会党を政権につかせたことの弊害が、現今にも(おそらく近い将来にも)禍根を残しているわけだ。その日本社会党の「血」を最も引いているのは社民党よりもむしろ民主党だ。
 民主党系活動家は国家・地方の公務員労組のかなりの部分を支配している。そのような公務員活動家が支持する政権が出来れば、その政権はかりに上級官僚には厳しい人事政策を採っても、一般公務員にはきっと<やさしい>政府になるだろう。
 また、日教組(部分的には日本共産党系・全教?)が支持する政党が政権を担えば、再び文科省・日教組は<癒着>し、日教組が教育行政に影響を与えそうだ。
 政党の数に限りがあるかぎり、いずれが<よりまし>か、で判断せざるを得ない。民主党が<最もまし>又は<よりマシ>とは思わない。
 また、民主党に一度やらせた方が<政党再編>が早まる、という議論があるかもしれないのだが、<政党再編>が今よりましな政党状況になる保障はないし、また<政党再編>の可能性がより高くなるという根拠も何もないのではないか。
 五 以上、屋山太郎には、もっと<大局>を見ていただきたい。岩波書店の月刊雑誌・世界12月号の表紙にはたしか、大きく「政権交代選挙へ」と書かれていた。誘導・煽動以外の何物でもないだろう。岩波や朝日新聞の主張どおりに日本が動くとロクなことはない、というのはほぼ確立した歴史的教訓なのだが…。
 なお、屋山は月刊WiLL12月号(ワック)にも似たようなことをやや穏便に書いていることに気付いたが、言及は省略する。

0594/勢古浩爾・いやな世の中―<自分様の時代>(ベスト新書、2008)を読了。

 二夜ほどかけて一昨日(15日)に、勢古浩爾・いやな世の中―<自分様の時代>(ベスト新書、2008.04)を全読了。この人のものはたぶん初めて。
 8割程度に異論はない。あるいは、8割程度の叙述に同感する。
 <ミーイズム>と表現した者もいたが、―著者・勢古浩爾(1947年生)は明確に論じているいるわけではないものの―「戦後民主主義(個人主義)」の生み出したのは、<自分教>・<自分病>・<自分様の時代>だったと思われる。
 勢古が「権利と自由」との関係に言及しているのはおそらく次の部分だけだ。
 <「弱肉弱食」の時代になっている。「『食う』弱い者は、自分病の人間である。『食われる』弱い者はまともに暮らそうとする人間…。近代的権利と自由が、前近代的人情と和を求めるこころを食うのである。自分様はのさばり、まともな人間はうつになる…」>(p.121)。この部分は「近代」(主義)批判とも読める。
 こんな文も「あとがき」の中にある。
 「筋金入りの『自分様』たちは、信用や信頼など歯牙にもかけない。それゆえ怖いものなし…。かれらの行動原理は自分の感情の快不快とごね得と損得勘定である」(p.207)。
 かかる「自分様」たちを大量に生み出したのは、憲法学者・樋口陽一が現憲法上の最大の価値理念だとする「個人の尊重」→「個人主義」に他ならないだろう。
 繰り返しているように、樋口陽一を代表者とする戦後の「民主(主義)的」・「進歩(主義)的」憲法学者たちの<罪>はきわめて大きい。そのような憲法理念を学んだ者たちが学校教員になり児童・生徒を教育しているのだ。公務員もまた「戦後憲法学」を学んで仕事をしているのだ。マスコミ人間も同様。

 もっとも、勢古浩爾は、「自分」中心主義→「自分の家族」・「自分の会社」中心主義の「果ては『自分の国』にまで広がる」と書いているが(p.37)、最後の点は留保が必要だ。
 『自分の国』意識=ナショナリズムの希薄さこそが戦後日本の特徴だ、とも言えるからだ。
 但し、必要な国際協力をしない、<自分の国さえよければ(平和であれば)よい>という考え方の広がりも<自分病>の一種だと言えるのかもしれない。

 なお、ついでに書くと、「思い上がった」、「八ケ岳南麓」に「60m2ワンルームの生活空間」たる「仕事部屋」をもつ、単著「おひとり様の老後」で「老後の資金はまたさらに潤沢になった」、「女森永卓郎」らしき(p.78~p.83)、「自分様」上野千鶴子に対する皮肉と批判をもっと多くかつ体系的に叙述してほしかったものだ。

0591/月刊正論9月号の潮匡人・石波茂の対談、所功・花田紀凱等が出たテレビ番組等。

 一 月刊正論9月号(産経新聞社)p.108~は、潮匡人石波茂(前防衛相)の対談。
 その中で潮匡人は、「私も、最近の『WiLL』を代表格とするマスコミの煽情的な皇室バッシングに疑問を感じております…」と語る(p.110)。
 録画していた日テレ/読売系の日曜午後の番組を一昨日視てみると、ゲストの所功も同旨を述べていた。司会者の一人・辛坊治郎も<こうして騒ぐこと自体が「敵」(左翼)を喜ばせるのではないか>旨を示唆していた。
 おそらくは月刊WiLLに始まる特定皇族等への<攻撃>について、私のような感想を持つ人たちは決してごく一部ではないように思われる。
 上の番組に出ていた、話題の仕掛け人でもある月刊WiLL編集長・花田紀凱の発言内容の一部は、「左翼」と同じですらある。また、雅子皇太子妃殿下が「公務」欠席中にどこで何をしていたかは<ちゃんとウラを取っている>という言い方などはジャーナリズム界で生きている者の感覚丸出しで、皇族の一人に対する多少の畏敬の念も感じられない。ジャーナリストやその出身の大学教授らは一般的庶民レベルと比べて、皇室・皇族に対する取材対象感覚・対等者感覚が強いようだ、ということは最近の諸君!7月号(文藝春秋)の特集でも感じたことだった。
 あまり話さなかったが、「憲法改正」の限界の問題に言及するなど、宮崎哲弥は問題をよく理解しているようだ。田嶋陽子は相変わらずバカをさらけ出しているが、<皇族にも人権を>と主張しつつ、国民の「総意」によって天皇制度は廃止できる旨を言っていた。<皇族にも人権を>→天皇制度解体、という<左翼>教条言説をちゃんと語っているから面白い。
 所功が憲法解釈としては通説又は多数説と見られる、憲法改正(天皇条項の削除)によって天皇制度の廃止は可能との説を支持していなかった(又は明瞭には肯定しなかった)ことも印象に残った。また、所功は限定的な女系天皇容認論者なので、その方向での皇室典範改正に期待する旨を述べていたことも印象に残る(番組ではほとんど議論されなかったが)。
 私は今のところ、限定的な旧皇族の皇族化(明確な「皇統」としての位置づけ)を考えているが(個人的にどう考えようと力にならないのだが)、その範囲について、別の機会に書こう(竹田恒泰は入らない)。
 二 ところで上の潮匡人・石波茂の対談によると、石波は渡部昇一に月刊WiLL誌上で「国賊」とかと非難された(叱られた)らしい。渡部昇一の文章を読む気は失せているので知らなかった。
 石波が対談中で語るところによれば、A級戦犯靖国合祀には反対で、A級戦犯を合祀した靖国神社には参拝しない、という考えらしい。潮匡人はこれを批判しているが。
 軍事(防衛)オタクとか言われているらしい人物ですらこうなのだから、自民党の国会議員の多数派の雰囲気が判ってしまう。
 だが、石波茂の言動には奇妙なところがある。石波は「毎年八月一五日に、地元の護国神社への参拝を欠かしたことは一度もない」と明言している(p.111)。
 かりにA級戦犯の出身県でなければ「地元の護国神社」にA級戦犯は祀られていないだろうが、しかし、B・C級戦犯は(靖国神社とともに)「地元の護国神社」の祭神ともなって祀られているのではないか。そして、A級戦犯もB・C級戦犯も、<東京裁判>等(中国での裁判もあった)の諸判決によって犯罪者とされたのではないか。
 石波茂は(その厳密な意味はともかく)<東京裁判は受け容れるべきだ>と主張しているとすれば(p.113)、その法的根拠や手続が正当な「裁判」と言えるかがやはり疑わしい(しかし受け容れるべき?)判決によってB・C級戦犯とされた人々を祀る「地元の護国神社」に参拝するということは、その主張・見解と矛盾する行為にはならないのだろうか。
 要するに、靖国神社と護国神社を石波茂のように明確に分別できるのか、という疑問だ。
 三 西尾幹二国家と謝罪(徳間書店、2007)で記憶に残るのは(今手元に置かないで書く)、八木秀次・岡崎久彦等々の多数の評論家等を西尾は批判しているが、櫻井よしこは批判の俎上に乗せていない(むしろ肯定的に評価している)、ということだ。
 ネット情報によると、櫻井よしこが理事長となっている国家基本問題研究所(副理事長は田久保忠衛)の理事・評議員の中に、西尾幹二も八木秀次も(岡崎久彦も)入っていない(中西輝政は理事)。上に言及した潮匡人は評議員・企画委員とされている。理事の中にはあの稲田朋美(自民党国会議員・弁護士)もいる(城内実松原仁も理事)。
 何よりも、八木秀次と西尾幹二を除外している点に好感をもつ(この二人の多数の仕事等、とくに西尾幹二のそれらを全面否定するつもりは全くないが。なお、「思想家」佐伯啓思は名前を出さない)。反北朝鮮・反中国の明瞭な人々(その活動実績のある人々)が中心になっているようでもある。相対的にマシな<保守派>の団体として、この辺りに期待してみようか。

ギャラリー
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