秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

教育

2703/池田信夫のブログ031—大学・リベラルアーツ。

 一 池田信夫の昨秋あたり以降のブログマガジンは、興味深いまたは刺激的な内容が多かった。
 逐一の言及はしていない。Richard Dawkins の書物を使った又は基礎にした<利己的遺伝子>や<文化的遺伝子>等を扱っていた頃に比べて、むしろinnovate され、verbessern されていると思われるので、感心している。
 大きな流れからすると些末な主題だが、つぎの論定はそのとおりだと感じた。
 「リベラルアーツは、インターネットでも学べる陳腐化した知識にすぎない。
 実験や研究設備の必要な理系の一部を別にすると、現在の多メディア環境で『大学』という入れ物でしかできないことはほとんどない。」
 池田信夫ブログマガジン/2023年12月11日号—「近代システムの中枢としての大学の終焉」
 「別にすると」をそのまま生かして、最後の「ほとんどない」は「ない」でもよいと思える。
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 だが、今の日本で「大学」信仰はまだ強く残っているようだ。
 なぜか。どうすれば、打開できるか。これが、問題だ。
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 残っている理由の大きな一つは、戦前・戦後と基本的には連続するところのある日本の「学校教育」制度、「大学」制度によってそこそこに、あるいはそれなりに「利益を受けてきた」と意識的・無意識的に感じている者たちが、今の日本の諸「改革」論議を支えているからだ、と考えられる。
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  さて、適菜収、早稲田大学第一文学部卒。この適菜収を月刊誌デビューさせたと見られる元月刊正論編集代表・桑原聡、早稲田大学第一文学部卒。この桑原聡は同編集代表としての最後の文章の中で、「天皇をいただく国のありようを何より尊い」と感じる旨書いた。だが、一貫しているのかどうか、産経新聞社退職後は母校・早稲田大学で非常勤として「村上春樹」について講じているらしい。
 そして、西尾幹二、東京大学文学部「ドイツ文学」科卒。「哲学」科卒ですらない。
 ほんの例示にすぎないが、この人たちが何となく?身につけた「リベラルアーツ」は日本にとって、日本社会と日本国民のために、必要だったのか。
 しかし、「実験や研究設備の必要」でない、文学部の中での「文学」や「哲学」の専攻者と彼らの前提として必要な肝心の「文学」・「哲学」の大学教員は、何も「研究」していなくとも、当面は存在し続けるのだろう。
 おかしい、とは思う。だが、「おかしい」ことでも「現実」であり続ける。
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2668/西尾幹二批判071—全集第8巻②。

 西尾幹二全集第8巻(2013)の「後記」の第一頁(p.787)には、前回に触れたいくつかの点以外に、注目を惹く文章がある。
 第一に、1980-90年の約10年、「思想家としても、行動家としても、限界までやったという思いももちろんないではない」、とある。
 これは2013年時点の感慨なのか、1990年初頭にすでに抱いたものなのかは明確ではない。
 しかし、少なくとも2013年の時点ですでに、自らのことを「思想家」かつ「行動家」だと書いている。
 秋月瑛二は、2019年1月の文春オンライン上で(私には)「『日本から見た世界史の中におかれた日本史』の記述を目指し、明治以来の日本史の革新を目ざす思想家」としての思いがある(だから椛島有三と妥協できなかった)と語った部分が、最初かと思っていた。
 2013年に、何の限定も付けずに、かつ自らの文章で「思想家」(かつ「行動家」)と称していたのだ。
 なお、いつの時点であれ、西尾を本当に「思想家」だと見なしている人は何人いるのだろうか。
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 第二に、「人生で一番よいものの書ける、体力もある充実した歳月に私は教育改革のテーマに集中していた」約10年が経った後について、こうある。一文ずつ改行する。
 「フッと憑きものが落ちたかのように、この世界から離れてしまった。
 そのあと二度とこの種の教育論は書いていない
 日本の教育の行方に絶望したからだともいえるし、教育を考えること自体に飽きたからともいえる。」
 これは、じつに驚くべき文章だ。1990年前半での述懐ならばまだ分かる。
 しかし、西尾幹二はその後、「教育学」研究者の藤岡信勝と出会い、1996-1997年に〈新しい歴史教科書をつくる会〉を設立し(記者会見は1996年12月)、自分が「初代会長」になったのではないか。
 この「つくる会」とその運動は、名称上も「歴史教科書」に関係するもので、日本の「歴史教育」を正面から問題にしていたのではないか。当然に、「教育改革」と関連する。
 それにもかかわらず、いかに「会」とは直接の関係がなくなっていたとは言え、2013年に、1990年初頭以降は「日本の教育の行方に絶望した」または「教育を考えること自体に飽きた」、という旨(こうとしか読めない)を書けるとは、いったいどういう<神経>のもち主なのだろうか。
 この人にとっては、「教科書」も「教育」も大した問題ではなく、これらとは別の次元の「思想」・「精神」または「歴史哲学」に、あるいは自分が「会長」として目立っていて〈有名〉であることに、最も大きな関心があったのかもしれない。
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 第三に、「人生の重要な時間を費やした貴重な体験からもパッと離れ、たちまち遠くなってしまう」ことについて、こうある。
 「ある意味で悪い癖で、私は感動だけを求めていて、これはその後の人生でも繰り返されたパターンである」。
 これは、西尾が「その後の人生」や自己の「癖」について語っていて、興味深い文章だ。
 そして、最も気になる重要な言葉は、「私は感動だけを求めてい」た、という部分だと思われる。
 西尾がそれだけを求めていた(その後でもそうだったとする)「感動」とは何か
 「真実」でも、「正義」でもない、「感動」だ。
 この「感動」は、教育改革に自分の見解が採用された、それに影響を与えた、というものではないだろう。
 そして、教育改革(そのための「臨教審」・「中教審」答申等)をめぐって(当時は2013年時点よりも多様な全国紙を含む)諸情報媒体から、西尾幹二個人の発言または原稿執筆が求められ、西尾の名前が知られ、注目され、〈有名になった〉こと、これこそがこの人にとっての「感動」であったように思われる。
 すでにこの欄に書いたことだが、「真実」、「正義」、「合理」性は、西尾幹二が追求してきたものではない〈有名〉・〈高名〉な「えらい人」と多数の人々に認知されるという「陶酔感」、「感動」を得ることこそが、この人が追求してきた最大の価値だった、と考えられる。
 もちろん、そうした「願望」が実現されたかは、別の問題になる。
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 つづく。

2657/日本の教育②—学歴信仰の悲劇の例。

 伊東乾のブログ上の記事の一部や、伊東乾・バカと東大は使いよう(朝日新書、2008)の一部を読んだ。後者は、第二章・76頁まで。いずれ言及するだろう。
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 2021/04/06に、→「2334/『知識』・『学歴』信仰の悲劇—山口真由」と題する投稿を行なっている。
 当時の山口真由に関する知識からすれば、修正の必要を感じない、
 但し、2年以上経過した現時点でのこの人に関する論評として的確であるかは、別の問題だろう。
 こう断ったうえで、2021年4月の文章を、(当時もそうだったが)山口ではなく<日本の教育>に関するものとして、以下に再掲する。
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 (以下、再掲)
 ネット上に、山口真由の興味深い述懐が掲載されている。週刊ポスト(集英社)2021年4月9日号の記事の一部のようだ。おそらく、ほぼこのまま語ったのだろう。
 「東大を卒業したことで“自分はダントツでできる人間だ”との優越感を持ってしまったのだと思います。その分、失敗をしてはいけないと思い込み、会議などで質問をせず、変な質問をした同期を冷笑するようになった。東大卒という過剰なプライドが生まれたうえに、失敗を恐れてチャレンジせず自分を成長させることができませんでした」。 
 山口真由、2002年東京大学文科一類入学とこのネット上の記事にはある。
 別のソースで年次や経歴の詳細を確かめないまま書くと、2006年東京大学法学部を首席で卒業、同年4月財務省にトップの成績で入省、のち辞職して、司法試験に合格。
 上のネット記事によると、同は「財務省を退職して日本の弁護士事務所に勤務した後、ハーバード大大学院に留学。そこで『失敗が許される』ことを学び、『東大の呪縛」を解くことができたという」。
 山口真由、1983年年生まれ。ということは、2021年に上の述懐を公にするまで、ほとんど38年かかっている。
 2016年にハーバード大・ロースクールを修了したのだとすると、ほとんど33年かかっている。
 33-38年もかかって、「失敗を恐れてチャレンジせず自分を成長させること」ができなかったことに気づいた、というのだから、気の毒だ。
 東京大学入学・卒業までの年月は除外すべきとの反応もあるかもしれない。しかし、一冊だけ読み了えているこの人の書物によると、この人は大学入学まで(たぶん乳児期を除いて)<東京大学信仰>または<学歴信仰>を持ったまま成長してきている。つまり、少年少女期・青春期を、<よい成績>を取るために過ごしてきていて、「東大卒という過剰なプライド」を生んだ背景には間違いなく、おそらく遅くとも、中学生時代以降の蓄積がある。
 読んだ本は(手元にないが、たぶん)同・前に進むための読書論—東大首席弁護士の本棚(光文社新書、2016)。
 「知識」・「学歴」信仰の虚しさ、人間はクイズに早くかつ多数答えたり、難しいとされる「試験」に合格したりすること<だけ>で評価されてはならない、ということを書くときに必ず山口真由に論及しようと思っていたので、やや早めに書いた。
 正解・正答またはこれらに近いものが第三者によってすでに用意されて作られている問題に正確かつ迅速に解答するのが、本当に「生きている」ヒト・人間にとって必要なのではない。「知識」や「教養」は(そして「学歴」も)、それら自体に目的があるのではなく、無解明の、不分明の現在や未来の課題・問題に取り組むのに役立ってこそ、意味がある。勘違いしてはいけない。
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 付加すると、第一。テレビのコメンテイターとして出てくる山口の発言は、全くかほとんど面白くないし、鋭くもない。
 <キャリアとノン・キャリアの違いがあることを知ってほしい>との自分の経歴にもとづくコメントとか、サザン・オールスターズの曲でどれが好きかと問われて、<そういうのではなくて、論理・概念の方が好きだったので…>と答えていたことなど、かなり奇矯な人だと感じている。これらの発言は、2016-2020年の間だろう。
 第二。一冊だけ読んだ本での最大の驚きは、「試験に役立つ・試験に必要な知識」を得るための読書と、その他一般の読書をたぶん中学生・高校生のときから明確に区別していたこと。
 大学入学後も、受講科目についての「良い成績」取得と国家公務員試験の「良い成績での合格」に必要な知識とそれらと無関係な(余計な?)知識とを峻別してきたのではないか。
 これでは、<自分の頭で考える>、茂木健一郎が最近言っているようなcreative な頭脳・考え方は生まれない。
 山口真由だけに原因があるというのではなく、その両親や友人、出身高校等、そして「戦後教育」の全部ではないにせよ、重要な一定の側面に原因があるに違いない。
 よってもちろん、こうした<信仰>にはまった人々は、程度や現れ方は違うとしても、多数存在している。
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 (以上で再掲終わり。以下、2023年夏での秋月瑛二の言葉。)
  学校での成績は、そもそもその人間の全体や「人格」とは関係がない。
 「いい高校」入学・出身、「いい大学」入学・出身。これらでもってその個人の「えらさ」が判断されるのではない。
 正答のある、限られた範囲の、第三者が作った「試験」にうまく対応しただけのことだ。
 正解・正答のない、または複数の「解」があり得る現実の社会に役立つことのできる、何の保障にもならない。
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 特定の大学に入学しただけでは、何の意味もまだない。
 特定の大学・学部を「首席」で卒業したとしても、それだけではまだ何の意味もない。
 むつかしいとされる中央省庁にトップの成績で採用されたとしても、まだ何の意味もない。
 この人は、何かの社会的「痕跡」を何ら残すことなく、その中央省庁を辞めてしまった。
 むつかしいとされる司法試験に(外国も含めて)合格しただけでは、まだ何の意味もない。
 この人は、「法曹」資格をどのように社会・世界のために生かしているのだろう。
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  ときにテレビ番組でこの人を観る機会が2021年以降もあったが、「知識人・専門家」枠か、「弁護士」枠か、それとも「女性」枠か。いずれにしても、大したことを語っていない。
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  上に再掲したようなこの人の「読書歴」を読んだときの衝撃は、今でも覚えている。
 女子・男子にはこだわらない方がよいだろうが、私の同世代の女性たちは、全員ではないにせよ、<アンの青春>シリーズとか、M・ミッチェル「風とともに去りぬ」あたりを熱心に読んでいた。後者は高一のときに私も読んだ。
 <人生論>、<青春論>の類を、この人はその「思春期」に読んだのだろうか。
 <学校の勉強や試験に必要な>読書と、それらには役立たない<その他の(無駄な?)>読書に分けることができる、という発想自体が、私にはとても理解できない。
 この人は、大学生時代もそうだったのだろうか。教科書と講義ノートだけ見ていると、他の読書はできなくなるし、サザンの音楽に関心を持つこともできなくなるだろう。
 やや書きすぎの感があると思うので、一般論にしておくが、「合格」すれば」目標を失い、資格・試験に関するつぎの「目標」をさらに求める、という人生は、いったい何だろうか。<合格するという目標>がなくなれば、「生きがい」もなくなってしまうに違いない。
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  山口の生年からして1950年代生まれなのだろうか、この人の両親も<学校に毎日まじめに通い、かつ学校での成績が(とても)よい>といことで満足し、子どもに助言したり注文をつけることをしなかったのだろう。この人の<読書傾向>が問題視されなかったのは、おそらくはその両親を含む大多数の「戦後の親」、広くは「教育環境」に背景があるのだろうと思われる。
 伊東乾とは相当に異なる山口の成育ぶりに、種々の感慨を覚える。
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2647/伊東乾のブログ001—「正しい解答」なき問題の思考—日本の教育①。

 一 伊東乾の文章は、ネット上のJBpressで興味深く定期的に読んでいる。
 私よりかなり若くて、参考にもなる刺激的な文章を書く。「学歴」等々の無意味さを<日本の教育>に関して述べたいのだから矛盾してはいるが、この人の経歴と現職には驚かされる。
 東京大学理学部物理学科卒業、現職は東京大学教授で「情報詩学研究室/生物統計・生命倫理研究室/情報基礎論研究室」に所属。作曲家・指揮者でもあり、『人生が深まるクラッシック音楽入門』(幻冬社新書、2012)等々の書物もある。
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  比較的最近のものに、2023年6月29日付「タイタンの乗客をバラバラにした深海水圧はどれほど脅威か」がある。
 これによると、水深2.4キロで240気圧が乗員・乗客を突然に襲ったとすると、「ぺちゃんこになる」どころか、おそらく「瞬時にしてバラバラ」になり、「海の藻屑となって四散した」だろう、という。
 関連して想像したくなるのは、その死者たちは自分の「死」を意識する余裕があったのかだ。たぶん、意識する「脳・感覚細胞」すら、「瞬時に」破壊されたのだろう。
 マスメディアでは報道されないが、「死」または「死体(遺体)」については、楽しくはない想像をしてしまうことが多い。
 だいぶ前に御嶽の噴火で灰に埋まった人々がいて、中には翌年以降に発見された遺体もあったはずだが、その遺体はどういう状態だったのだろう。
 知床半島近くの海に船の事故のために沈んでまだ「行方不明」の人々もいるはずだが、彼らの「遺体」はどうなっているのだろう。同じことは、東日本大震災のときの津波犠牲者で、まだ「行方不明」の人々についても言える。
 まだ単純な家出と「行方不明」ならばともかく、ほとんどまたは完全に絶望的な「行方不明」者について、「遺体」またはせめて「遺品」でも見ないと、「死んだという気持ちになれない」というのは、理解することはできても、生きている者の一種の「傲慢さ」ではなかろうか。
 2011年春の東日本大震災のあと一年余りあとに、瓦礫だけはもうなくなっていた(そして病院・学校の建物しか残っていなかった)石巻市の日和山公園の下の海辺を、自動車に乗せてもらって見たことがある。このときの感慨、不思議な(私の神経・感覚の)経験は、長くなるので書かない。
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 三 2023年6月23日付は「東大程度が目標の教育なら日本は間違いなく没落する」という、種々の意味での「東大」関係者には刺激的だろう表題だ。
 伊東乾が言っているのは、おそらく、正解・正答のある問題への解答ばかり学習して身につけた「知識」では役に立たない、あるいは「1945年以降の戦後教育が推進し、ある意味、明治~江戸幕藩体制期に先祖返りしていま現在に至る先例墨守、前例遵守の思考停止で共通の唯一正解しか求められないメンタリティ、能力とマインドセット」に落ち込んではダメだ、ということだ。
 そして、「正解がない問題ではない複数の正解がありうる問題に、より妥当な解を目指して漸近していく、そういう知性」が求められる。「19世紀帝国大学的な唯一解教育の全否定」が必要だ。「人々の意識の底に潜む唯一の正解という亡霊を一掃」する必要がある。
 このような旨の主張・指摘は、東京大学出身者である茂木健一郎がしばしば行なっている。特定大学名を出してのテレビ番組や同じくその番組類での出演者の「学歴表示」を、この人は嘲弄している(はずだ)。
 同じく東京大学出身者である池田信夫の印象に残った言葉に(しごく当然のことなのだが)、<学歴は人格を表示しない>旨がある。
 また、池田は<学歴のシグナリング機能>という言葉を、たぶん複数回用いていた。
 これらに共感してきたから、伊東乾の文章も大きな異論なく読める。
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  だが、「学歴」または「出身大学」意識は、日本社会と人々に蔓延していそうだ。いずれ書くが、「早稲田大学(第一)文学部卒」というのを、一つの重要な価値基準とする者も(とくに出版業界隈には、桑原聡等々)いるらしい。
 しかし一方で、「大学教育」というものはほとんどの大学と学部で「すでに成立しなくなっている」こともまた、多くの人々にとって(大学教員にすら)自明のことだと思われる。 
 その「大学教育」を形だけは目指して、高校(・中学校)や予備校・塾での「教育」と「学習」が行なわれているのだから、こんなに「無駄」、「人的・経済的資源の浪費」であるものはない。
 「大学授業料」無償化と叫ぶのは結構だとしても、そのいう「大学」での教育・学習の実態を無視した「きれいごと」の議論・主張では困る。
 とりあえず、第一回。
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2504/西尾幹二批判056—電気通信大学。

 西尾幹二から2017年刊の『保守の真贋』(徳間書店)を贈呈配布してもらったことがあった。礼状は出さなかった。
 さすがに今年2022年の年賀状は来なかったが、2021年の年賀状は来た。それにはハガキにしては長い文章が活字印刷されていて、<「バイデン」によってアメリカは<「法治国家」でなくなった>旨が書いてあった。情報源はどこに?、と感じたものだ。
 さらに数年前の年賀状には<「歴史教科書」が変われば日本も変わると思っていた>と書いてあった。本当にそう思っていたとすれば、幼稚さが甚だしいと感じたものだ。上のいずれの年も、当方からは新年挨拶状を出してはいない。
 というわけで(というほどに単純ではないかもしれないが)、西尾幹二は「秋月瑛二」の本名やどういう人物であるか(あったか)を知っている。
 したがって、〈ハンドル・ネーム〉で批判するのは卑怯だ、少なくとも好ましくない、という秋月に対する批判は、西尾幹二との関係では的確ではない。
 それに、10年以上使っているこの欄用の名前を変えるのは忍び難いが、少なくともこの数年間は、本名または「正体」が誰に分かってもかまわない、というつもりで書いている。
 それより前に書いていたことだが、秋月瑛二はいかなる組織にも個人にも、政治的にも私的にも、従属していない。 
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  西尾幹二は2006年1月に、「つくる会」名誉会長辞任の挨拶文を会員あてに送った(ようだ)。「名実ともに同会から離れ…」とあるから会員でもなくなる、ということだろうか。
 その文章の中で、こう書いている。同全集第17巻・歴史教科書問題(2018年)、p.709。
 「私は研究上の場所とした日本独文学会を六十歳で退会した。
 私は『個人』として生まれたのだから『個人』として死ぬ。
 どんな学会にも属する必要はないと思ったからである。
 これに続けて、「つくる会」に参加したのも離脱するのも「個人」としてであって、それだけのことだ、と書いて、名誉会長辞任(かつ退会?)の理由としている。
 この文章は、奇妙だ。
 西尾幹二がどの学会に加入しようと退会しようと、自由勝手だ。
 しかし「個人」として生まれて死ぬということは、「どんな学会にも属する必要はない」ということの論理的な理由にはならない。
 かりにこれを一貫させるつもりならば、遅くとも「六十歳で」、つまりは1995年の翌年1996年3月までには、「全ての」組織・団体への加入・帰属をやめなければならない
 西尾幹二は、自分のうちにある「矛盾」に気づいていなかったのだろうか。
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  西尾幹二の詳細な「経歴」・「年譜」を本人自身が明確にしてほしいものだが、「帰属」団体・組織に着目すると、おおよそつぎのことが分かる。
 1958年03月、満22歳、東京大学文学部独文学科卒。
 1961年03月、満25歳、同大学院修士課程修了。
 同年04月、同、(国立)静岡大学人文学部講師。
 ここで区切ると、修士課程の標準は二年だが三年を要したことの理由は、もちろん知らないし、当面の問題とは関係がない。
 後期(博士)課程に進学せずして就職先を得ているのは、のちに現天皇と雅子皇后(当時、皇太子・同妃)の結婚自体について、西尾幹二が<「天皇家」と「学歴主義」の結合>とわざわざ指摘する、その「学歴」または「学歴主義」が背景にあることは明らかだろう。
 西尾個人は当然と思っていたかもしれないし、東京大学の教員・研究者として残れなかったことが不満だったかもしれない。だが、のちには「教育制度改革」問題で批判的に書きもする「学歴主義」の恩恵を、この人自身が相当に享受している。
 また、余計ながら、当時の大学では複数の外国語履修が要求され、第二外国語としてドイツ語かフランス語が選択されやすく(「ドイツ文学」というより)「ドイツ語」の教師の需要が近年よりも高かったことも、背景にあっただろう。
 1964年04月、満28歳、(国立)電気通信大学助教授。のち教授となる。
 1999年03月、満63歳、同大学退職。同時期か不明ながら、「名誉教授」に。
 さて、先に記したことを、もう一度書こう。
 「個人」だから「どんな学会にも属する必要はない」と言うのならば、西尾幹二は、遅くともその学会の退会と同時かそれ以前に、すなわち「六十歳」までには=1995年の翌年1996年3月までには、「全ての」組織・団体への加入・帰属をやめなければならなかったはずだ。
 しかるに、1998年度まで、特定の国立大学の教員だった。これは、当時の国立大学の定年だった満63歳(但し医学部と東京大学の少なくとも法学部は違っていた)と符号している。その年度まで(国立)電気通信大学に帰属し、何らかの職務と多額の?俸給があったはずだ。
 その権利・義務は、特定の学会の会員であるのか否かとは質的に異なっている。学会員には大会・集会出席義務すらなく、所属の意思と会費の納入さえあれば会員であり続ける。
 ともあれ、西尾幹二は60歳以降は「個人」にすぎないのではなかったか?
 なぜ、「学会」はやめても、大学教員ではあり続けたのか?
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  西尾幹二は1996年12月か1997年1月の「つくる会」の設立の重要メンバーで、初代会長にもあった。「日本独文学会を六十歳で〔1995年度中に〕退会した」したというのは、これと関係があると推察される。
 しかるに、1997年度と1998年度は、「つくる会」会長と電気通信大学教授を「兼ねて」いたわけだ。
 後者だけですでに、たんなる「個人」ではない。
 したがって、私は「日本独文学会を六十歳で退会した」、「個人」だから「どんな学会にも属する必要はないと思ったからである」という文章はきわめて奇妙なのだ。
 瑣末な問題かもしれないが、西尾幹二という人物とその文章は信用し難い例として、書いている。
 その場、その場で適当に書いている例が少なくない。いつまで自分が大学教員であったかをうっかりと?失念していたか、あるいは失念するほどに電気通信大学での義務・負担が軽かったかのどちらかだろう。
 電気通信大学等の国立大学は当時は、現行法(国家行政組織法)で言うと「施設等機関」の一つで、国立病院等とともに国家行政組織機構の中にあり、当然にその教職員の法的地位は国家公務員そのものだった(広義の独立行政法人・国立大学法人となっている現在と異なる)。西尾が文部省関連の中央教育審議会の委員として一時期に任用されていたのも、国立大学教員だったことも大きな理由だっただろう。
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  ドイツ文学で出発した「文科系」の西尾がなぜ、「理科系」の単科大学に35年ほども在職し続けたのか。
 いまただちに参照できないが、たしか同全集のいずれかの巻の「後記」の中で、具体的な大学名を明記して、誘われたけれども、世俗的な有名さよりも電気通信大学の「自由」を採ったとか長々と書いていた。西尾幹二という人の「心理」にも関係するので、手元で参照し得たときに再び言及しよう。
 関連して不思議に思うのは、西尾は電気通信大学で学生に対して、いったい何を教えていたのか、だ。「名誉教授」には勤続年数さえあれば誰でも?なれるとはいえ、1964年度〜1998年度の35年というのは、おそらくは基準年数を超えて、じつに長い。
 古田博司は、筑波大学の大学院の某専攻長になって…とか、所属大学の職務に関係することもけっこう書いていた。だが、西尾幹二は、電気通信大学での職務等について、些細なことも含めてきわめて冗舌な人であるにもかかわらず!、全くといいほど触れていない(皆無ではない)。学生に対する「教育」内容については、おそらく一切触れたことがない。
 天下に著名な西尾幹二がニーチェでもShopenhauer でもなく、ドイツ文学でもドイツ哲学でも、ましてや日本史についての「権力・権威二分論」でもなく、まさか35年間以上も初学の学生たちに、ドイツ語の発音や文法の基礎から教えていたとは、想像したくないことだが。
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2416/知識・教養・「学歴」④—東京大学大学院教育学研究科。

 だいぶ前のことだが、10年もは経っていない。
 4月初日、ある大学で、新任の教員と職員との合同の会合があった。
 当該大学の理念・歴史とか身分取扱い・福利厚生等の共通する部分について、当局からの説明があったわけだ。
 そのとき、冒頭だったか、休憩を挟んでの最初だったか、出席者たち各自の自己紹介が行われた。
 教員から始まり、数の上では少数の事務職員へと移って数人め、一人の女性が起立して、真っ直ぐ前を向いて(誰にも視線を向けることなく)一気に、こう喋った。
 「〜(氏名)です。東京大学大学院教育学研究科前期課程修了、修士論文題目、〜。…」
 ほとんどそれだけ言って、彼女は着席した。
 少しは異様な印象を本人以外は受けたのではないか。私も、呆気に取られた感があった。
 教員も職員も、この女性を除いて誰も、自分の学歴(出身大学等)までは語らなかったし、自己紹介前にそうするよう要請されてもいなかった。
 すっくと立って、一人だけ一気に「東京大学大学院教育学研究科前期課程修了、修士論文題目、〜。…」
 この人は、いったい何を言いたかったのだろう。
 自分は、そういう<高学歴>なんですよ、と言いたかった、あるいは自慢したかった、あるいはそれゆえの特別視を求めた。
 しかし、当該大学の事務職員としての仕事をするに際して、とくに新人教員たちに自分の「学歴」を明言しておくことに、どういう意味があったのだろう。それに、その学歴のゆえに当該大学の職員に採用されたのだとは、(証拠はないが)到底思えなかった。
 24歳か、25歳。この人にとって、自分の学歴は誰もが認める輝かしいもので、誇らしいものだった、のだろう。
 しかし、空気を読めないという以上に、バカだ。
 まだ若いからよかった。30歳をすぎ、40歳をすぎ、<私は(オレは)〜大学・大学院出身なんだぞ>と知り合う人ごとにわざわざ言っていたのでは、狂人だと思われかねない。
 だが、そのような人物の存在が全く皆無だとは思えないところに、日本の現在の異様さの一面がある。そして、健全な物事の推移と議論の進行を妨げる原因の一つになっている。

2334/「知識」·「学歴」信仰の悲劇①ー山口真由。

 ネット上に、山口真由の興味深い述懐が掲載されている。週刊ポスト(集英社)2021年4月9日号の記事の一部のようだ。おそらく、ほぼこのまま語ったのだろう。
 「東大を卒業したことで“自分はダントツでできる人間だ”との優越感を持ってしまったのだと思います。その分、失敗をしてはいけないと思い込み、会議などで質問をせず、変な質問をした同期を冷笑するようになった。東大卒という過剰なプライドが生まれたうえに、失敗を恐れてチャレンジせず自分を成長させることができませんでした」。 
 山口真由、2002年東京大学文科一類入学とこのネット上の記事にはある。
 別のソースで年次や経歴の詳細を確かめないまま書くと、2006年東京大学法学部を首席で卒業、同年4月財務省にトップの成績で入省、のち辞職して、司法試験に合格。
 上のネット記事によると、同は「財務省を退職して日本の弁護士事務所に勤務した後、ハーバード大大学院に留学。そこで『失敗が許される』ことを学び、『東大の呪縛」を解くことができたという」。
 山口真由、1983年年生まれ。ということは、2021年に上の述懐を公にするまで、ほとんど38年かかっている。
 2016年にハーバード大・ロースクールを修了したのだとすると、ほとんど33年かかっている。
 33-38年もかかって、「失敗を恐れてチャレンジせず自分を成長させること」ができなかったことに気づいた、というのだから、気の毒だ。
 東京大学入学・卒業までの年月は除外すべきとの反応もあるかもしれない。しかし、一冊だけ読み了えているこの人の書物によると、この人は大学入学まで(たぶん乳児期を除いて)<東京大学信仰>または<学歴信仰>を持ったまま成長してきている。つまり、少年少女期・青春期を、<よい成績>を取るために過ごしてきていて、「東大卒という過剰なプライド」を生んだ背景には間違いなく、おそらく遅くとも、中学生時代以降の蓄積がある。
 読んだ本は(手元にないが、たぶん)同・前に進むための読書論—東大首席弁護士の本棚(光文社新書、2016)
 「知識」・「学歴」信仰の虚しさ、人間はクイズに早くかつ多数答えたり、難しいとされる「試験」に合格したりすること<だけ>で評価されてはならない、ということを書くときに必ず山口真由に論及しようと思っていたので、やや早めに書いた。
 正解・正答またはこれらに近いものが第三者によってすでに用意されて作られている問題に正確かつ迅速に解答するのが、本当に「生きている」ヒト・人間にとって必要なのではない。「知識」や「教養」は(そして「学歴」も)、それら自体に目的があるのではなく、無解明の、不分明の現在や未来の課題・問題に取り組むのに役立ってこそ、意味がある。勘違いしてはいけない。
 ーー
 付加すると、第一。テレビのコメンテイターとして出てくる山口の発言は、全くかほとんど面白くないし、鋭くもない。
 <キャリアとノン・キャリアの違いがあることを知ってほしい>との自分の経歴にもとづくコメントとか、サザン・オールスターズの曲でどれが好きかと問われて、<そういうのではなくて、論理・概念の方が好きだったので…>と答えていたことなど、かなり奇矯な人だと感じている。これらの発言は、2016-2020年の間だろう。
 第二。一冊だけ読んだ本での最大の驚きは、「試験に役立つ・試験に必要な知識」を得るための読書と、その他一般の読書をたぶん中学生・高校生のときから明確に区別していたこと。
 大学入学後も、受講科目についての「良い成績」取得と国家公務員試験の「良い成績での合格」に必要な知識とそれらと無関係な(余計な?)知識とを峻別してきたのではないか。
 これでは、<自分の頭で考える>、茂木健一郎が最近言っているようなcreative な頭脳・考え方は生まれない。
 山口真由だけに原因があるというのではなく、その両親や友人、出身高校等、そして「戦後教育」の全部ではないにせよ、重要な一定の側面に原因があるに違いない。
 よってもちろん、こうした<信仰>にはまった人々は、程度や現れ方は違うとしても、多数存在している。

2306/松岡正剛·佐藤優ら・宗教と資本主義·国家(2018)。

 <宗教>という概念はむつかしい。
 西尾幹二らに倣って曖昧にさせたまま始めると、これについて、少なくとも次の二つは言えると思われる。
 第一。かつては、「哲学」や「学問」そのものだった、またはこれらの一部だった。
 神道でも仏教でもないと(明治以降に?)される陰陽思想・陰陽五行思想(説)というのも「宗教」であり「哲学」・「学問」だったようだ。
 時間・日々ををどのように区切るかをヒト・人間はずっと昔から考えてきたようで、その中に年・月のあとに「週」がある。
 これを7日とするのは古代からあったようなのは不思議だが(例外的にフランス革命暦では10日、ソ連暦では5日だったようだ)、これを今の日本のように、日・月・火・水・木・金・土の各曜日に分けるのは、正確には各曜日にこういう名称を付けるのは何故なのか。
 「日」曜と「月」曜は英語・ドイツ語でも同じだが〔これも不思議だ)、残る5つは、太陽・月・地球を除く可視的な惑星の数によるともされる。火星・水星・木星・金星・土星。
 だが、そもそも各惑星をこう呼称するのはどうしてなのか。日・月以外については欧米と同じではきつとないだろう(確認しない)。
 素人的発想なのだが、<陰陽五行説(・思想)>と関係がある。
 「陰陽師」・安倍晴明を祭神とする晴明神社〔京都市)の鳥居の額には<五芒星>と全く(かほとんど)同じ<晴明紋>が堂々と?掲げられている。
 欧米でもあるという五芒星紋と晴明紋(とされるもの)が同じだというのも不思議だ。先端が五つとなる星形で中央に逆正五角形が残る。
 この五つは、<陰陽五行説>のいう五つの要素だろう。強い〔後者を弱める)順に、水→火→金→木→土→水→…、弱い(後者を強めて発生させる)順に、木→火→土→金→水→木→…。
 しかし、またそもそもだが、何故、この五つ、つまり、「火」、「水」・「木」・「金」・「土」なのか。火(炎)・水・樹木・金属・土(土地・土壌)なのか。
 素人的発想だが、昔の中国大陸や(いまでいう)日本の人々は、<世界>またはヒト・人間を中心とする(これを主体として除外する)<自然界>・<外界>は、これら5要素で構成されている、と理解・認識したのだ、と思われる。世界・自然界・外界は(人間以外に)、火・水・木・金・土でできている、構成されている。これら五つに、分類される。
 これは、むろんその当否は別として、立派な世界観・自然観だ。「学問」であり、「科学」(だった)だろう。
 第二。ヒト・人間の「生と死」を問題にすること。
 ヒト・人間は生まれてやがて死ぬことを大昔から人々は当然に知っていて、<どこから来て、どこへ行くのか>と、生きていくのに忙殺されることはあっても、ときには思い浮かべただろう。「死生観」だ。
 生前・死後に関心が及ぶと、当然に、いまをどう生きるかという<生き方>を考える人も出て来たに違いない。
 この点では「仏教」は明らかに<宗教>だが、はて日本の「神道」において人間の「生と死」とは何か。どのように説かれているか、が気になってくる。
 だが、そもそも神道には明確な「教義」がないとされるのだとすると、神道における「生き方」以外を詮索しても無意味かも知れず、立ち入らない。
 以上のようなことをふと考えたのも、以下の書物から受けた刺激によるかもしれない。直接の内容的な関係はない。
 —— 
 松岡正剛·佐藤優ら・宗教と資本主義·国家(角川書店、2018)。
 5名による共著だが、シンポか研究会の記録のようで、「開会の辞」を松岡正剛が述べ、出版に際しての「おわりに」を佐藤優が書いているので、二人の名だけを挙げた。
 全体にわたって「宗教」が関係している。その中で、佐藤優が面白い(興味深い)ことを述べている。
 「宗教」の意味に立ち入らないが、途中で佐藤優は、「拝金教」(貨幣・信用にかかわってマルクスも出てくる)、「出世教」、「お受験教や学歴教」、「国家主義教」に触れている。p.37〜p.40。これらの<宗教>だ。
 佐藤優は「おわりに」では、つぎの三つに整理?している。p.195。
 ①「拝金教」、②「出世教」、③「受験教」。
 これらのうち、秋月が近年もっとも関心を持って来たのは、③「受験教」、あるいは途中に出てきていた「学歴教」だ。これは他者と無関係ではなく、大まかには、③→②→①という関連があるかもしれない(この部分は佐藤の説ではない)。
 なぜ関心をもつかというと、日本の現代または現在を覆っている「空気」、現在の日本の人々における<自己認識>(<他者認識・評価>)、あるいはA·ダマシオのいう「自伝的(歴史的)自己」、これと少し異なる意味での「アイデンティ」に、「受験」やその結果としての「学歴」は大きく関係している、と感じているからだ。
 見えない「空気」が、意識しつつも大っぴらにはあまりされることのないかもしれない、人々の「意識」がある。それは「学歴」であり、明治維新以降の「知識」教育、換言すると西欧(・欧米)「文明」の急速な吸収過程から始まって戦後も一貫して培養されてきた、と考えている。むろん<仮説>だ。
 その現在の「知識」教育、ひいては「学歴」意識(・<宗教>)は、本当は衰亡していかなければならないのではないか。戦後・現在の学校・教育制度や教育内容に関係する。これらにおける「知識」の扱い方を問題にしたいのであり、一般に「知識」・「知性」・「知」を排除するつもりはない。

1825/日本の教育・大学制度-池田信夫7/6ブログを契機に。

 池田信夫の7/06ブログ掲載の資料によると、大学入学について「一般入試」、たぶん紙等での競争試験を受けて限定的な数の合格者が決定される方法、による入試方式での入学者数は、国立大学で83.1%、公立大学で71.6%、私立大学で47.9%らしい(2017年、旺文社調べとされる)。
 人数的に私立大学総計の方が多いとすると、「一般入試」以外で入学した学生の方が多いだろう。
 しかし、この「一般入試」以外は全て<裏口入学>というわけではないだろう。
 池田によると、「日本のように裏口入学が犯罪扱いされる国は珍しい」のだそうだ。
 そして、いかに「裏口入学」が日本でも多いかを示す資料として、上の資料を示している。
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 これは言葉・概念の問題だ。
 池田によると、「世界的にも一流大学は有力者や金持ちの子供が寄付金で入学するものというのが常識で、裏口入学は犯罪とは思われていない」。
 これはこれで興味深い、知見が豊かになる情報だ。
 しかし、「犯罪」=「悪」だとかりに前提にすると、日本で、一般入試以外=「裏口入学」=犯罪=悪だとは意識されていないと思われる。
 「裏口入学」という言葉・概念の使い方による。
 一般入試以外に、池田の資料によると、①公募制推薦入試、②指定校制推薦入試、③付属校・系列校推薦入試、④AO入試、がある。
 これらを「裏口入学」と観念するのは自由だが、私はそういう言葉遣いはしない。
 現行法制上許容されている入学方法だと思われ、情実・コネ等を一切排除できないのかもしれないが、これらによる入学は「悪」ではないだろう。
 そういう意味では、文部科学省前局長にかかる近日の<増収賄>とされる事例とは分けなければならない。
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 池田信夫にクレームをつけるのが、今回の元来の趣旨ではない。
 そのあとの文章のかなり多くは、共感する。一文ずつ改行。
 「日本の(特に文系の)大学は、教育機関としての機能をほとんど果たしていないが、その取り柄は、すべての受験生が同じ条件で競争する大学入試によるシグナリングの客観性だった。
 非裁量的なペーパーテストが、労働者の質を示す情報生産機能を果たしていた。
 その点数が『人格』をあらわしている必要はない。//
 企業からみると、終身雇用で採用する労働者に専門知識は必要なく、常識と忍耐力が大事だ。
 一流大学の卒業生には天才はいなくても常識があり、退屈な受験勉強を長期間やる忍耐力がある。
 人格やコミュニケーション能力は面接でみるので、大学入試は学力(学習能力)だけをみればいいのだ」。
 以上について、「一流大学の卒業生には天才はいなくても常識があり」を除いて、ほとんど全く同感する。
 これについて発展させたいが、とりあえず措いて先に進む。以下、抜粋的引用。
 池田によると、これを文科省が「改革」しようとした。
 しかし、①「入試が『人物本位』になり、面接のうまい学生が推薦で偏差値の高い私立大学に合格するようになった。彼らは人当たりがいいので営業には使えるが、学力がないので研究開発などのむずかしい仕事ができない」。
 一方、②「国公立大学は裏口が少ないので人事の評価が高いが」、③「私立文系の大部分はもはや学歴の意味をなさない」。
 この部分にはやや違和感がある。
 第一に、国立大学と私立大学の単純な二分があるように見える。たしかに、③では「大部分」とされているが。全私立大学と全国立大学について、このように簡単には言えないだろう。
 第二に、(ペーパー→)人物本位→人当たりよし→研究開発は困難、というのも、こう単純ではないだろう。
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 かねて感じてきたのは、国公私立を問わず(これらによってあるいは傾向的な差違はあるかもしれないが)、池田信夫もかねてから指摘している「日本の大学」、「特に文系の」大学や学部のひどさだ。
 これは立ち入らないが、「文系」大学・学部の教師=教授たちがいかに生産されるかにもかかわる。
 50%近くの進学率となって、いまさら旧制高校的<教養教育>に郷愁を感じるのは時代錯誤だ。
 「文系」といっても、大きくは人文系と社会系に分けることができるだろう。
 秋月によると<歴史学>はむしろ<社会系>だ。文学部に今あるかもしれない<心理学>や<地理学>は理系と人文系の両方がまじる。
 <教育学>だけは迷う。
 要するに、経済・経営・法学・歴史は<社会系>で、狭義の文学・哲学・外国語は<人文系>だ。
 むろん教育学のほかに、<法哲学>や<経済思想>等々、分類がむつかしいのはありうる。
 <社会系>に問題がないわけでは全くないが、私が感じてきたのは、相対的には、狭義の文学・哲学・外国語という<人文系>の方がひどい、ということだ。日本での英文学、独文学、仏文学、ドイツ哲学、フランス哲学、あるいは英語学、ドイツ語学、フランス語学、等々々。
 唐突だが、現在のマス・メディア、出版系の企業、つまりは情報産業の(技術または経営の観点からではなく)表舞台に立っているのは、狭義の文学・哲学・外国語という<人文系>学部の出身者ではないか。
 「文学・哲学・外国語」関係学部出身者こそが、戦後日本を奇妙なものにしてきて、きちんとした政策論・制度論をできにくくし、<精神論・観念論>的な論議を横溢させてきたように感じられる。
 もちろん、総体的かつ相対的な話として書いている。
 渡部昇一、加地伸行、小川榮太郞、江崎道朗、花田凱紀、長谷川三千子。全て、歴史以外の文学部出身だろう(外国語学部を含める)。桑原聡を含む月刊正論の代々編集代表者、月刊WiLLの編集者の出身学部を知りたいものだ。
 <歴史学>は社会系学部として位置づけられず、<文学部>の中に多くは吸収されているために、その他の狭義の文学系等の悪い影響を受けているようだ。典型例は、歴史系だとかりにしても、平川祐弘。元々、この人は狭義の文学・哲学系かもしれないが。
 上に限らない。例えば、以下の者たちは、東京大学文学部仏文学科出身だ。大江健三郎 1935年生、鹿島茂 1949年生、内田樹 1950年生。
 <左翼系>メディア・雑誌の編集者にも、圧倒的に文学部出身者が多いように推察される。
 彼らは、教育公務員試験を除いて国・地方の公務員試験をほとんどは(たぶん)目指そうとはせず(司法試験はもちろん)、企業のトップ「戦士」にもなりたくない(または、企業の方が経済学部や法学部系を優先する)。
 かくして残るは<マスコミ>(放送・新聞のほか文藝春秋・講談社等々を全て含む)だった、という人たちも多いのではないか。
 かくして、かなり単純化しているのは承知のうえだが、日本の<マス・メディア、出版系の企業、情報産業>はおかしくなっている。
 あまり書く機会または契機がないのだが、この点はより実証的に書いてみたい。
 ともあれ、<文系>といっても、多様なのだ。
 なお、法学・経済系は立派だ、などとは一言も言っていない。このことは、法学部出身官僚の劣悪化らしき様相を見ても感じられる。
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 より大きな問題は、日本の大学制度、ひいては教育制度そのものだ。
 戦後にいろいろと変わってきた。
 例えば、1990年にあった諸銀行のうち、とくに都市銀行と言われたもののうち、今もなお名をとどめているのはきっとないのだろう。
 唐突ではあるが、しかし、小・中・高校・大学という<6・3・3・4制>は、なぜ変わっていないのだろうか。
 むろん、工業専門学校、短大、大学院、中高一貫校など、これに含めることができないものはある。
 しかし、基本的な部分は変わっていない。種々の(大学入試制度も含む)「改革」がなされてきたが-ゆとり教育?、道徳の科目化?、小学校から英語?-根本的なところは変わっていないし、根本的なところから考え直そうという議論があることも、寡聞にして知らない。
 なぜか、それは戦後の<教育制度>または大学を含む<教育制度>によって「利益を受けた」と感じている者たちの方が多いからだと思われる。
 少なくとも、制度変更およびそのための議論に参画する者たちのほとんどは、戦後の<6・3・3・4制>と大学制度に「利益を受けた」と無意識にでも感じているからだと思われる。
 意識することもしないで、当然の<所与>と感じてしまっている可能性が高いかもしれない。
 国立大学と私立大学の違いも、池田信夫も言及している「偏差値」や「ランク」も、今ある大学制度、ひいては戦後の教育制度・学校制度を前提にした話だ。
 既存の基本制度を超えて構想することのできる大人物は、日本にはいないのだろうか。
 

1049/「教育」界の「左翼」支配。

 〇石原慎太郎だったか、岡崎久彦だったか、見知らぬ人からこのままで日本は大丈夫なのでしょうかと話しかけられることが多くなったというような旨を昨年あたりに書いていた。
 あえて主観的願望を抜きにした客観的な(と私には見える)状況判断をすると、すでに日本はダメになった、日本はダメになってしまっている、と思える。少なくとも、もはや元に戻れない限界点を超えている、と感じている。つまり、<保守>に勝利の見込みはもはやない。ゆるやかに(緩慢に)わが愛する日本は「日本」でなくなっていっており、その基本的な流れはもはや変えようがない。すでに41年前、三島由紀夫が予見したとおりになっている。
 但し、国内状況はそうだが、中国共産党による中華人民共和国の支配の終焉=社会主義中国の崩壊が辛うじてでも時間的に先にくることがあれば、少しは希望がある。これは、日本国民、日本の政治だけではもうダメだ、ということをも意味する。こんな思いをもって晩年を生きるのは、つらい。
 〇中西輝政のいう、教育・マスコミ・論壇という「三角地帯」のうちの「教育」が「左翼」に支配されていることは明らかで、むしろそれは自然のことかもしれない。
 高校以下の学校教育で教えられているのは、「個人」主義・「平等」(男女対等を含む)、「民主主義」・「平和(反軍事)」等々の基本理念だ。
 これらは日本国憲法の基本理念でもあり、大学教員以外の学校教育の担当者になるために必要な「教員」免許を取得するためには、「日本国憲法」は必修科目であり、実際にどの程度、どのような問題が出題されているのかは知らないが、当該免許を取得しようとする者の全員が「日本国憲法」を学習していることは間違いないだろう。
 しかして、「日本国憲法」の基本理念は何か。一口で言えば、上記の如き「左翼」的理念だ。

 かつまた、彼らが学習する日本国憲法に関する教科書・参考書類はいったいどのような者たちが執筆しているのか。日本共産党員を含む「左翼」的憲法学者に他ならない。日本の憲法学界は今日に至るまでずっと、圧倒的に「左翼」に支配されている、と言ってよいだろう。
 そのような「憲法教育」を受けた教師が、確信的「左翼」か、少なくとも「何となく左翼」になってしまうのは、自然の成り行きだ。そして、彼らは、自分たちが年少の頃に受けたような「左翼」的教育を、次の世代の子どもたちへと引き継いでいく。
 日教組・全教の組織率は低いなどと言って安心するのは愚かなことだ。あるいはまた<保守的>教科書の採択率が何倍増かしたといって喜ぶのもまだ愚かなことだ。その<保守的>教科書ですら、私には「自虐的」・「進歩的」と感じられる部分があるが、それは別としても、たかが5%程度の採択率になって喜んでいるようではダメで、まだ5%程度にすぎないと嘆く必要があるものと思われる。

 「日本国憲法」から離れて、教育学に目を向けても、この学問分野が「左翼」に支配されてきていることは、竹内洋が月刊諸君!(文藝春秋)や月刊正論(産経)の連載で示してきた。手元に置いて再確認はしないが、戦後当初の東京大学教育学部は「三M」とやらが支配し、日教組を指導した(研修集会等の講師陣を担当した等を含む)といったことも書かれてあった。
 かつて日本共産党系全学連委員長で民青同盟の幹部だった(かつ「新日和見主義」事件で査問を受けて党員権停止。その後かなり遅れて共産党を離脱した)川上徹は、東京大学教育学部出身だった。
 川上徹の自伝ふうの本は読んでいないが、彼が共産党の活動家になっていくことについて、彼が所属していた大学と学部の雰囲気は、容認的・促進的であったに違いない。
 大学を除く高校までの教員は圧倒的に教育学部系の学部出身で、「左翼」的教育学を学んでいる。彼らのほとんどが「左翼」あるいは少なくとも「何となく左翼」にならないわけがない。
 (高校・中学の)日本史の教師については、大学で学んだ「日本史」(国史)、とくに近現代史がどのようなものだったかが問われなければならず、そして、日本近現代史学は「左翼」、そして講座派マルクス主義の影響がきわめて強い。日本史の教師は、そのような「左翼」またはマルクス主義歴史学者のもとで勉強して教師になり、生徒たちに教えているのだ。
 <保守>派の教科書採択に現場教員たちの根強い抵抗があるらしいのもまったく不思議ではない。
 日本史を高校等での「必修」科目とすべきとする主張がある、あるいはすでにそれは一部では実現されているらしいが、いかなる内容の「日本史」教育、とくに明治以降の歴史教育、であるのかを問題にしないと、現状では、逆効果になる可能性もあると考えられる。「左翼」的、マルクス主義的教師担当の科目が「必修」になったのでは目も当てられない。
 政経・公民等の科目の教師については、主としては大学の法学部での教育内容および担当大学教員たちの性向が問題になる。憲法学については上記のとおりだが、全体としても、社会あるいは世間一般と較べれば、「左翼」、そしてマルクス主義の影響力が強いことは明らかだろう(「人権派」弁護士はなぜ生じてくるのかを思い浮かべれば、容易に理解できる)。
 
〇以上は、思いついた一端にすぎない。こうした「教育」現場の実態、「左翼」支配、を認識することなく、「保守」論壇・「保守的」団体という閉ざされた世界の中で、「そこそこに」有名になり、「そこそこに」収入を得て、いったいいかほどの価値があるのか、と問い糾したいものだ。<大河の一滴から>とか<塵も積もれば…>という意味・価値をむろん全否定するつもりはないが。
 例えば40万部売れたなどと自慢しているあるいは宣伝している「売文」家や出版社があるが、かりに倍の80万人に読まれたとしてもその全員が内容を支持したことにはならず、また、全員が支持したとしても、日本の選挙権者のわずか1%程度でしかない。
 雑誌や単行本の影響力は執筆者たち等がおそらく考えているよりはきわめて小さく、圧倒的多数の国民・有権者は日々の大手マスメディア、とくに大手テレビ局のニュースと一般新聞の「見出し」によって、現在の日本(・日本の政治)のイメージ・印象を形成している、と思われる。狭い世界の中で「自己満足」しているのは愚かしいことだ。

1020/国歌斉唱起立条例と日弁連会長・「左翼」宇都宮健児。

 産経新聞7/01付に、いわゆる大阪府国歌斉唱起立条例につき、賛成の百地章と反対の日弁連会長・宇都宮健児のそれぞれの発言が載っている。
 語ったことが正確に文字化されているとすれば、宇都宮健児は、「左翼」週刊紙・週刊金曜日の編集委員を務めていることからも明らかな、明瞭な<左翼>だし、論理・概念も厳密でないところがある。
 ①国歌の起立斉唱を「義務」とすることと「強制」することを同義に用いている部分がある。
 「強制」は行きすぎだ等のかたちで使われることがあるが、「左翼」の使う<強制>概念には注意が必要だ。すなわち、この条例問題に即していうと、条例によって「義務」とすることは、実力をもって起立させ、(口をこじ開けて?)歌わせることを意味するわけではないので、(もともと罰則もないのだが)「強制」概念には含まれないものと考えられる。より悪いまたはより厳しいイメージで対象を把握したうえで批判する(そして同調者を増やす)のは「左翼」活動家の常道だ。
 ②「戦前と同じ国旗国歌だから、軍国主義とか天皇制絶対主義といった社会のあり方と強く結びついている、と考える人もいるし、……」。
 ここでは、宇都宮が「天皇制絶対主義」という語(概念)を何気なく使っていることに注目したい。
 「天皇制絶対主義」とは、講座派マルクス主義(日本共産党ら)による戦前の日本の性格に関する基本認識・基本用語ではないか
 お里が知れる、というか、宇都宮はどういう歴史学を勉強してきたか、どういう歴史認識をもっているかを、はからずも示したものだろう。
 ③「起立・斉唱を強制するということは、その人の思想・良心の自由を侵害することになるから憲法違反ということだ」。
 何という単純な<理屈>だろう。すでに最高裁の三つの小法廷ともで起立・斉唱職務命令の合憲性を肯定する判決が出ており、もう少しは複雑で丁寧な論理を展開しているのだが、宇都宮はこれらの判決を知らないままでこの発言をしているのだろうか。
 といった批判的コメントをしたいが、問題なのは、かかる発言者が、日本弁護士連合会のトップにいる、という怖ろしい事実だ。
 戦前の日本を<天皇制絶対主義>と簡単に言ってのける人物が、弁護士業界のトップにいて、弁護士(会)を代表しているのだ。
 おそらくは長年にわたってそうだが、「弁護士」の世界(・組織)の中枢・最上級部分は「左翼」に握られ続けている。怖ろしいことだ。
 宇都宮は、誰にまたは誰の教科書で憲法を学習して司法試験に合格したのだろう。宮沢俊義だろうか、日本社会党のブレインでもあった小林直樹(かつて東京大学)だろうか。専門法曹、とりわけ弁護士は、特段の(司法試験以外の)勉強をしたり、一般的な本を読んでいないと、自然に少なくとも<何となく左翼>にはなっている。そして、宇都宮健児のごとく、日弁連の会長にまでなる人物も出てくるわけだ。再び書いておこう、怖ろしいことだ。
 ところで、月刊正論8月号(産経)の巻頭の新執筆者・宮崎哲弥は、思い切ったことを書いている。賛成・反対の議論のいずれにも物足りなさ・違和感を感じるとし、次のように言う。
 「いま問われ、論じられるべきは、ズバリ『愛国心を涵養するため、学校で国旗掲揚、国歌斉唱を生徒たちに強制してはならないか』ではないのか」(p.48)。
 日本の国旗国歌の沿革(それがもった歴史)を度外視して一般論としていえば、まさに正論だろう。また、沿革(それがもった歴史)がどうであれ、国会が法律で特定の国歌・国旗を決定している以上は、度外視しなくても、今日、少なくとも公立学校の「生徒たち」への「強制」(この語は厳格なまたはきちんとした「教育」・「指導」・「しつけ」等の別の表現にした方がよいが)がなされても何ら問題はないし、むしろすべきだ、という主張も成り立つ、と考えられる。

0997/中川八洋・国が滅びる(徳間書店、1997)の「教育」篇。

 一 たしか西尾幹二が書いていたところによると、日本の「社会学」は圧倒的にマルクス主義の影響下にあるらしい。歴史学(とくに日本近現代史)も同様と見られるが、「教育学」もまた<左翼>・マルクス主義によって強く支配されていることは、月刊諸君!、月刊正論に<革新幻想の…>を連載している竹内洋によっても指摘されている。戦後当初の東京大学教育学部の「赤い」3Mとかにも論及があったが振りかえらない。狭義の「文学畑」ではない<文学部>分野および<教育学部>分野には(にも?)、広くマルクス主義(とその亜流)は浸透しているわけだ。
 二 中川八洋・国が滅びる―教育・家族・国家の自壊(徳間書店、1997)p.48-によると、日本の「狂った学校教育」は、①「反日」教育、②「人権」教育(「人間の高貴性や道徳」の否定)、③「平等」教育(「勤勉や努力」の否定・「卑しい嫉妬心」の正当化)、を意味する。

 生存・労働権を中核とする「人権」のドグマは人間を「動物視」・「奴隷視」する考えを基底にもち、ロシア革命後にも人間の「ロボット」改造化が処刑の恐怖(テロル)のもとで進められた。さらに、「人権」のドグマは、①地球上の人間を平等に扱うがゆえに「民族固有の歴史・伝統・祖先」をもつことを否定し、②「善悪(正邪)の峻別を原点とする道徳律や自生的な社会規範」を否定する(p.50-52)。

 ①の魔毒は「反日キャンペーン」となり、日本国民ではなく「地球人」・「地球市民」に子供たちを改造しようとする。②の魔毒は「生存」の絶対視を前提として「どんな悪逆な殺人者に対する死刑の制度」も許さず、殺された被害者は「すでに生存していない」ので「人権」の対象から除外される。「人権」派弁護士とは生存する犯罪者に動物的「生存」を享受させようとする「人格破綻者」だ(p.52-53)。

 かかる「教育」論に影響を与えている第一はルソーの、とくに『エミール』だ。日本の教育学部で50年以上もこれを必読文献としている狂気は「日本共産化革命」を目的としている。ルソーは、『社会契約論』により目指した全体主義体制を支える人間を改造人間=ロボットにせんとするマニュアルを示すためにこれを執筆した。ルソーは『人間不平等起源論』に見られるように「動物や未開人」を人間の理想とするので、『エミール』を学んだ教師は生徒を精神の「高貴性」・高い「道徳観」をもたない「動物並み」に降下させる(p.55-59)。

 第二はスペンサーで、その著『教育論』は「人間と動物に共通する」普遍の教育原理を追求し、人間を野生化させる「自然主義・放任主義」を是とし、「道徳律の鍛錬」や「倫理的人間のへ陶冶」を徹底的に排除した(p.59-60)。

 第三は戦後日本教育を攪乱したデューイで、スペンサーの熱烈な継承者、実際の実験者だった。

 これら三大「悪の教育論」を排斥しないと、日本の教育は健全化しない(p.60)。

 以上は、中川八洋の上掲書の「Ⅰ・教育」のごく一部。
 三 八木秀次「骨抜きにされる教育基本法改正」(月刊正論3月号(産経)p.40-41)は安倍内閣時の教育基本法改正にもかかわらず、教育実態は変わらないか却って悪くなっていると嘆いているが、教育「再生」のためには、多数の教師が学んできた戦後日本の「教育学」・「教育」理論そのもの、そしてそれを支えた(中川八洋の指摘が正しいとすれば)ルソー、デューイらの教育「理論」にさかのぼって、批判的に検討する必要もあると強く感じられる。教育基本法という法律の改正程度で「左翼」・「反日」(<「国際」化)教育が死に絶えることはありえない。 

0873/山内昌之・歴史の作法(文春新書、2003)中の「アカデミズム」。

 山内昌之・歴史の作法-人間・社会・国家(文春新書、2003)を何となく捲っていると、面白い叙述に出くわした。
 「一般(純粋)歴史学」・<歴史学者>の存在意義にかかわるような文章だが、社会・人文系の<学>・<学者(研究者)>にも一般にあてはまりそうだ。
 「アカデミズムとは、職人的な『掘鑿』に頼りながら『専門家』であることを根拠に、現在と過去から超然とし、人びとや社会に向かって客観的な評価を下せると妙な自信をもたせる制度といえるかもしれません。『権力』の場とは別に『権威』の場ができたわけです。反『権力』を自負する学者たちが専門家としての『権威』を自明のものとし、自分たちの閉ざされた世界で『権力』を誇示する現状に無自覚なのは、あまりにもアカデミズムの環境にどっぷりと浸っているからでしょう。/…によれば、『専門家』であることは『公平』であるという事実を意味せず『仕事に対して報酬を受けている』だけの事実を意味するとのことです」(p.164-5)。
 アカデミズムとは耳慣れない言葉だが、要するに、<学問・学者の世界>またはそれを<世俗(俗世間)>よりも貴重で、超然として優越したものとする考え方(「主義」)もしくはそのような考え方にもとづく「制度」を指すものと思われる。
 そのような<アカデミズム>からの「人びとや社会」に対する影響力は、かつてと比べると格段に落ちているだろう。だが、それにもかかわらず、上に使われている表現を借りれば、「『専門家』であることを根拠に、現在と過去から超然とし、人びとや社会に向かって客観的な評価を下せると妙な自信」をもっている学者・研究者(要するに、大学教授たち。但し、社会・人文系を念頭に置いている)はなおも多いのではないか。
 また、閉ざされた<アカデミズム>内部での「権威」が「権力」をもちうることは、教育学の分野に関する竹内洋の(生々しい?)叙述でも明らかだろうと思われるが、その「権威」・「権力」は必ずしも一般社会(俗世間)の、または<客観的>な評価にもとづくわけではないことを知らず、その「権威」・「権力」的なものに(無意識にではあれ)追従し、依存して生きて(学問研究なるものをして)いる学者・研究者も少なくはないと思われる。
 やはり指摘しておくべき第一は、日本の<アカデミズム>(社会・人文系)内部での「権威」・「権力」は(現在でもなお)コミュニズム・マルクス主義または親コミュニズム・親マルクス主義、あるいは少なくとも反コミュニズム・反マルクス主義=<反共>ではないという意味で「左翼的」な彩りをもっていることが多いと想定されることで、意識的・自覚的にではなくとも、学界内部に入った者は自然に少なくとも「左翼的」になってしまうという仕組み・制度があるのではないか、ということだろう。
 そして、そのような「左翼的」学者・研究者(大学教授たち)によって教育され指導を受けた少なくない者たちが例えば高校・中学等の教師になり、官僚になり、マスメディア等へと輩出されてきている、ということに思いを馳せる必要があろう。
 現在の民主党政権の誕生とその後の愚劣さ(または現実感覚から奇妙に遊離していること)は、戦後のそのような「左翼的」学問・研究にもとづく教育の<なれの果て>でもあるように考えられる。
 第二に、かつてほどの影響力はなくとも、マスメディアあるいは政治の世界は何らかの目的をもって「学者・研究者(大学教授たち)」を利用しようとすることがあり、現にそうしている。そして、上に書かれている(または示唆されている)ように、「学者・研究者(大学教授たち)」・「専門家」たちの発言・コメント類は決して「公平」でも「中立的」でもない、ということだ。言うまでもなく、朝日新聞に多用されているような<識者コメント>は信頼できない。そうでなくとも、大学教授・何らかの専門家(社会系・人文系)というだけで社会的な権威があるものと見なしてはいけない。
 以上のとくに第二は、当たり前のことを書いてしまったようだ。

0815/家族間の殺人の増大-戦後日本<個人主義>の行き着くところ。

 「亀井静香金融・郵政改革担当相は5日、東京都内の講演で「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(企業が)人間を人間として扱わなくなったためだ」と述べた。その上で日本経団連御手洗冨士夫会長と会談した際に「そのことに責任を感じないとだめだ」と言ったというエピソードを披露し、経団連を批判した」。以上、MSN産経ニュース。
 亀井の認識は誤っている。

 「日本で家族間の殺人事件が増えている」とすれば、それは第一に、日本国憲法が「家族」に関する規定を持たないことにもよる、<家族>よりも<個人>を大切にする、戦後日本的<個人主義>の蔓延によるところが大きい。
 第二に、もともと<家族>を呪い、解体を目指す<左翼>(容共)勢力が幅をきかし、現在でも根強く残っていることにある。マルクス主義者にとって、国家・私有財産とともに<家族>なるものもいずれ消滅すべきものなのだ(エンゲルス「家族、私有財産および国家の起源」参照)。
 この考え方は、(マルクス主義的)フェミニズムに強く刻印されており、そのような考え方の持ち主が閣僚になってしまっている、という怖ろしい現実も目の前にある。<個人>、とくに<女性>こそが<家族・家庭>のために差別(・「搾取」)されてきた、と彼ら(彼女ら)は考える。
 上の二つは重なり合う。要するに、<個人>が<家族・家庭>のために犠牲になってはならず、各<個人>は<家族・家庭>の中で<対等・平等>だという一種のイデオロギーが、今日の日本にかなり深く浸透している。
 このような意識状況において、親の<権威>を子どもが意識するはずもない。親は<権威>を持とうともせず、<友だち>のような、子どもを<理解してあげる>親がよい親だと勘違いしている。
 子どもが親等の<目上>の者をそのためだけで<尊敬する>わけがない。
 こんな状況においては、<家族>であっても、<個人>に辛くあたったり、自分<個人>の利益にならない者は、血縁に関係なく、容易に殺人の対象になりうる。
 以上は主として子どもによる親殺し・祖父母殺しについて書いた。逆の場合も同様なことが言える。
 <子育て>が愉しくなく、自分<個人>が犠牲になっている、と感じる女性は昔より多いはずだ。
 女性の中には、自分が産んだ子どもが、自分の睡眠時間と体力を奪ったり、自分の若さを奪っていると感じて邪魔に感じたり、あるいは他の子どもと比較して何らかの点で劣っているのではないかと感じることによって他の母親との関係での自分<個人>のプライドが傷つけられている、と感じたりする者たちもいる。
 似たようなことは父親にもあるかもしれないが、母親の方に多いだろう。
 このような親たちを生んでしまった戦後日本社会とは何だったのか。<個人の尊厳>が第一、と憲法学者さまたちが説き、それを<左翼>的教師たちが小学校・中学校・高校で教育実践している間に、<家族・家庭>(・地域・国家)よりも、いびつに肥大化した自己を大切にする<個人主義>の社会になってしまった。
 ついでに。内容につき言及したことはないが、関連文献として、林道義・母性崩壊(PHP、1999)がある。じつに衝撃的な本だ。
 亀井静香はこの本でも読んで、経団連・御手洗などにではなく、閣僚仲間の福島瑞穂や千葉景子に対してクレームをつけてみてはどうか。

0787/資料・史料-2001.05.08「歴史教科書」田中真紀子外相コメントほか。

 資料・史料-2001.05.08「歴史教科書田中真紀子外相コメント

 
//田中外務大臣コメント
 
わが国の歴史教科書検定結果に対する韓国政府の公式の立場の伝達について

 平成13年5月8日

 1.18日午前、韓昇洙(ハンスンス)韓国外交通商部長官より寺田輝介駐韓大使に対し、平成14年度より使用されるわが国の中学校歴史教科書の検定結果につき、韓国政府の公式の立場の伝達があった。
 本件に関する韓国国内での厳しい雰囲気と懸念については、従来よりも累欠にわたりわが国に対し様々な形で寄せられており、外交を司る者として、これを重く受け止めてきている。わが国の歴史認識および教科書検定制度等については、従来より韓国側に対し説明してきているところであるが、今般伝達された韓国側の立場は、そのような日本側の立場を踏まえた上で韓国政府において真剣かつ慎重に検討されてきたものと認識している。わが国政府としても、これを真摯に受け止め、十分に吟味する必要があると考えている。 
 2.明年は、日韓国民交流年という歴史約な事業が予定されている。過去を直視し未来志向の日韓関係を構築していくため、日韓の政府および国民が手を携え、日韓関係をより一層発展させるべく協力していくことが重要であると考える。//
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 資料・史料-2001.08.03「歴史教科書」外務報道官談話

 //外務報道官談話
 歴史教科書問題に関する韓国政府の見解発表について
 平成13年8月3日
 1.昨日(2日)、韓国政府は、教科書問題にかかわらず、日韓の人的交流は継続して推進していかねばならないとの見解を発表した。この点については、このような時こそ日韓関係の大局を損なうことのないよう、冷静かつ誠意ある努力が必要であるとのわが国の認識とも軌を一にするものであり、歓迎している。
 2.わが国としても、現在の日韓間には種々の困難な懸案はあるが、相互理解と相互信頼の精神に基づき、日韓友好協力関係の発展のために努力していきたいと考えている。//

0777/資料・史料ー1982.08.26「歴史教科書」宮沢喜一内閣官房長官談話。

 資料・史料-1982.08.26「歴史教科書」宮沢喜一官房長官談話

 //「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話
 昭和57年8月26日
 一、 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミニュニケの中において「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国については日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。
 二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。
 三、 このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それ迄の間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。
 四、 我が国としては、今後とも、近隣国民との相互理解の促進と友好協力の発展に努め、アジアひいては世界の平和と安定に寄与していく考えである。//

0772/中学歴史教科書の分析・評価。

 西村幸祐責任編集・撃論ムック/世界を愛した日本(オークラ出版、2009.06)の<中学歴史教科書2009年版徹底比較>(p.42-。編集部執筆)によると、計8種の中学歴史教科書(自由社と扶桑社は一つと見ている)の順位と点をつけると、良い方から、①自由社(扶桑社)80、②東京書籍53、③大阪書籍48、④日本文教出版45、⑤教育出版42、⑥帝国書院38、⑦清水書院35、⑧日本書籍26。
 叙述・評価の細部に立ち入らない。自由社(・扶桑社)も「近代至上主義から自由ではない」とし、「近代に対する懐疑の念が僅かなりとも存在していない」、西欧文明至上の意味で「自虐的」だと批判しているのが注意を惹く(p.64-65)。
 次の「司馬史観」批判には俄には賛同しかねる。
 明治維新により輝かしき明治日本を築き上げた、というのは「司馬史観とでも呼ぶべき、俗悪で通俗的な歴史解釈に過ぎない」。「実は、司馬史観とは左翼的な進歩史観と殆ど違うことのない歴史観にほかならない」(p.62)。
 司馬遼太郎の「史観」、とくに昭和の日本軍に対する見方について問題がないとは思わないし、井上ひさしがしゃしゃり出ているように「左翼」に利用される面がないとは思っていないが、上のような「司馬史観」の単純化と司馬遼太郎にレッテルを貼って<敵に追いやる>ような論述はいかがなものか。疑問だ。

 上のような各教科書分析・点検(?)活動は、小山常実・歴史教科書が隠してきたもの(展転社、2009.06)でもなされている(これも2009年版を対象にしていると見られる)。
 小山によると、分析項目(40件)ごとの評価の合計点(満点200)は、良い方から順に次のとおり(p.204)。
 ①自由社154、②清水書院93、③帝国書院90、③大阪書籍90、⑤東京書籍86、⑥日本文教出版81、⑦教育出版79、⑧日本書籍59。
 上の撃論ムックの評価と同じでないが、<最悪>とされるのは日本書籍(新社)のものであるのは共通している。
 この本によると、2006年度の各教科書採択率(%)は、高い方から次のようだ(p.206。カッコは1997年度)。
 ①東京書籍51.2(←41.2)、②大阪書籍15.4(←19.3)、③帝国書院14.2(←1.9)、④教育出版11.8(←17.8)、⑤日本書籍3.1(←12.9)、⑥清水書院2.4(←3.5)、⑦日本文教出版1.4(←3.5)、⑧扶桑社(0.4←未)。
 東京書籍の優位化、帝国書院の増加、日本書籍の減少(そして扶桑社の極小さ)といったところが特徴だろうか。
 より古い版を対象とする、三浦朱門・全『歴史教科書』を徹底検証する/2006年版教科書改善白書(小学館、2005)という本もある。

 以上を通覧して感じることは、大きく三つある。
 第一に、扶桑社・自由社版で採択率が計1%にも満たないのでは、中学生段階における<歴史認識>での勝敗は明らかだ。憂うべき状態。かりに1980年代から<より左傾化>したのだとしても、多くの日本国民・有権者が「左翼」的な土壌の<歴史認識>を持って成人している。これが、行政官僚・専門法曹・マスコミ人を含む社会人の意識や政党選択等に影響を与えていないはずはない。
 「左翼」は~適当な数字を使えば~+50から出発し、「保守」は-50から出発しなければならない状態なのではないか。国民が成人した段階で、両者にはすでに100の差(ハンディ)がついているのではないか。<全体主義>化しつつある「左翼」の渦中で、「保守」を堅持しかつ拡大するのは容易ではない。
 第二に、中学用歴史教科書ではなく、高校用教科書を、「歴史」(日本史・世界史)のみならず「政治」や「倫理」も含めて<徹底分析・評価>すべきではないか。
 高校卒業者の割合を考慮すると、日本国民にとって、高校時代の、「歴史」(日本史・世界史)、「政治」、「倫理」教科書こそが、成人して以降の基礎的な意識・知識・イメージを形成させる決定的な役割を果たしているように見える。前回触れたように、鳩山由紀夫の基礎的な「歴史」・「政治経済」の知識・イメージは高校卒業までに形成されていると見られる。
 第三に、各教科書を執筆しているのは誰かというと、上掲のような出版社の社員であるわけではむろんない。多くは、少なくとも代表的な執筆者は、大学教授だ。上に紹介したような会社名ではなく、執筆者(便宜的には代表執筆者、複数いる場合には筆頭の代表執筆者)によって教科書を区別すべきだと思われる。また、書物ならば一度くらいは執筆者全員の氏名(・所属)を明記しておくべきだろう。
 例えば、まだ言及をし終わっていない、実教出版の高校用「政治経済」教科書だと、<宮本憲一ら・高校用「政治経済」>とでも書いて執筆者を特定すべきだ。そして、本文中のどこかに執筆者全員の氏名(・所属)を記しておくべきだ。
 執筆内容は各出版社に実質的な責任があるのではない、と思われる。執筆者こそが実質的な責任主体だ。執筆者である大学教授等が「左翼」又はマルクス主義者だからこそ、教科書の内容がマルクス主義的又は「左翼」的(あるいは<反日・自虐>的)になっていることは明らかだろう。
 いわば無機質な出版社名によって特定すべきではない。執筆者・代表執筆者・筆頭代表執筆者を明記し、その違いによってこそ区別し、特定すべきだ。

0760/実教出版の高校教科書・世界史B(2007、鶴見尚弘・遅塚忠躬)を一読。

 実教出版高校/世界史Bの教科書(2006.03検定済み、2007.01発行)。執筆・編修代表者(表紙掲記者)は鶴見尚弘遅塚忠躬
 ・「フランス革命の意義」をこう書く(p.238-9)。
 「旧体制を打倒」して「資本主義に適合した社会をもたらしたという意味で」、「市民革命(ブルジョワ革命)の代表的なもの」だった。イギリスとは異なり「広範な民衆や農民が積極的に革命に参加」したので「自由の実現」だけでなく「社会的な不平等」の是正の努力がなされた。「そのような意味で、…民主主義をめざす革命」で、「民主主義」理念は19世紀以降の「革命運動」に大きな影響を与えた。「しかし…深刻な問題もあった」。「反対派を暴力で排除しようとする恐怖政治がうまれた」からだ。同じ状況は「20世紀のロシア革命でくりかえされる」。(以下の6行分省略)
 基本的には「市民革命」と位置づける従来型と変わらない。「社会的な不平等」の是正を目指したという意味で「民主主義をめざす革命」だった、という叙述は、「平等(主義)」と「民主主義」の関係がよく分からない。あるいは、「民主主義」をいかなる意味で用いているのかがよく分からない。
 但し、「恐怖政治」という「深刻な問題」があったこと、それがロシア革命で繰り返されたこと、をきちんと書いている点は積極的に評価できるだろう。
 執筆・編修者に私の知るようなマルクス主義者はいないことも、上のような叙述につながっているのかもしれない。但し、この教科書に限らないと推測されるが、マルクス主義や社会主義国「ソ連」等に対する批判がやはり弱いままだし、日本にとっての<自虐的>な叙述もなお多く残ったままだ。
 ・マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」、前者の「資本論」は、「労働運動と社会主義」の項の中で、「後世に大きな影響を与えた」ものとして記述される(p.253)。
 肯定的評価をしているように読めるし、少なくとも後世にとっての<悪い>大きな影響だった可能性を考慮していないかの如き書きぶりだ。
 ・「現代の文化」、多くの潮流のある「20世紀の思想」等として明記されるのは、つぎの4つ(p.391)。①「レーニンらが発展させたマルクス主義」、②「ベルクソンに代表される生の哲学」、③「サルトルらの実存主義」 、④「フロイトの精神分析学」。
 ・ソ連解体と東欧諸国の変化に当然に触れてはいるが、その原因らしきものとして書かれるのは、「社会主義体制下での政治的自由の欠如、経済の停滞」のみ(p.375-6)。
 これでは「世界史」は理解できないだろう。一方ではマルクスらの著や「レーニンらが発展させたマルクス主義」を肯定的に叙述しているが、これらの<誤り>こそが<ソ連解体>等の基本的原因ではないのか?。
 ・「全体主義」との概念はいっさい用いられていない。ドイツ・ナチスとイタリア・ファシスト党が「ファシズム」の担い手として語られている(p.334。日本は?)。
 ・「日本軍」による1937年の「市内外での多数の捕虜・民衆など」の「虐殺」を「南京大虐殺事件」と表現して、事実として書いている。注記では「女性・子どもを含む非戦闘員や武器を捨てた兵士も虐殺…。犠牲者は20万人以上といわれるが…他の説もある。中国ではその数は30万人以上としている」と記述(p.338)。
 これでは、被「虐殺」者数が20~30万人と読まれてしまうだろう。
 ・「日本の植民地支配」につき、朝鮮で「徹底した日本への同化政策をおしすすめた」とし、「台湾でも同様の政策を強行した」とする(p.344)。
 また、「日本は、太平洋戦争遂行のために植民地・被占領地の人的、物的資源を収奪した」との一文のあと、「70万人に及ぶ朝鮮人が強制的に…連行され」、少なくない人が「従軍慰安婦として戦場に送られた…」等と書く(p.344)。受動態になっていて隠されているが、主体は「日本」(国家)としか読めない。
 さらに、日本軍は中国で「三光政策」を採ったと書く(p.345)。
 朝鮮や台湾はかつて日本の「一部」であり、そうなったことは合法的という意味でも(非難されるいわれのない)正当なものだった。そうした地域について、なぜ「収奪した」などという表現が使えるのだろうか。
 こうした、日本や日本軍に関する叙述は、この教科書が突出して「左翼的」あるいは「自虐的」だからではないだろう。おそらくはほとんどの教科書が同様なのだろう。ここにむしろ、恐ろしさがある。
 こんな教科書を読んでいると<反日・自虐>は、当然の<マナーとしての心情>になってしまうに違いない。
 じわじわと形成されているのが感じられる<左翼全体主義>は、こうした教科書による学校教育によるところも大きいと考えられる。
 NHKの濱崎憲一らもこうした教科書を学んだのだろう。また、自民党の国会議員の中でも(相対的に若手の)相当数の者が、学校教育の結果として、こうした<反日・自虐>「史観」に嵌っていると思われる。推測だが、石原伸晃山本一太片山さつき佐藤ゆかりも。稲田朋美は異なると思われるが。

0756/「左翼」人士・<子どもと教科書全国ネット>結成の呼びかけ人リスト-1998.06時点。

 ネット上の情報による。
 全文は省略する。「憲法・教育基本法・子どもの権利条約に基づき、…教育・教科書づくりをすすめる」、「学習指導要領の押しつけによる教育・教科書の画一化をやめさせる。その他、教育・教科書の内容をゆがめるいっさいの政治的・行政的な介入をやめさせる」等々を目的とする<子どもと教科書全国ネット>結成の呼びかけ人リストは、次のとおり。
 最近言及した高嶋伸欣小牧薫もいる。松井やよりの仲間だった(・後継者の)西野瑠美子もいる。元朝日新聞の超著名人・本多勝一もいる。朝日新聞系(お抱え?)作家の三浦綾子もいる。実教出版「高校・政治経済」教科書執筆者の一人(筆頭掲記)・宮本憲一もいる。こんなところにも山田洋次(映画監督)は名を出している。
 実教出版労組委員長(寺川徹)、大日本図書労組委員長(牧野勝文)、帝国書院労組委員長(石井輝男)、日本書籍労組委員長(上島善之)等々、教科書出版会社の労組代表がいるのも興味深い。
 特徴はやはり大学関係者(教授等)の多いことだろう。弁護士も少なくない。
 憲法学の浦田賢治(早稲田大学)、森英樹(名古屋大学)、渡辺治(一橋大学)がいる。日本史学が多くて当然だが、家永三郎をはじめ、江口圭一、大江志乃夫、直木孝次郎、永原慶二、藤原彰らの「常連」がいる。教育学も少なくない。
 「非」日本共産党系の「左翼」グループがあっても不思議ではないが、れっきとした日本共産党員も含んでいると見られる。本多勝一も西野瑠美子も、非組織員だとしても、いざというときには、あるいは<共産主義>=共産党か空想上の<(右翼)ファシズム>かの選択を迫られれば、躊躇なく共産主義を採るに違いない。
 高嶋伸欣・小牧薫らとともに名前を出すほどに<落ちぶれたくはない>と思う人は、その後、いないのだろうか。
 11年前の1998年6月現在であることをとくに注記しておく。
 *呼びかけ人一覧/1998年6月現在

 青木一 教育評論家 青木宏治 高知大学 浅井基文 明治学院 浅川清栄 教科書訴訟長野県連 浅羽晴二 教科書訴訟東京都連 浅羽千之助 元教科書編集者 浅見定雄 東北学院大学 浅利香津代 俳優 新井章 弁護士 荒井献 恵泉女学園大学 荒井純二 教科書訴訟全国連事務局長 荒牧重人 山梨学院大学 家永三郎 東京教育大学名誉教授 伊ヶ崎曉生 富山国際大学 井口泰子 作家 池内了 名古屋大学 石井輝男 帝国書院労組委員長 石川文洋 フォトジャーナリスト 石坂啓 漫画家 石原昌家 沖縄国際大学 伊志嶺善三 弁護士 石山久男 歴史教育者協議会事務局長 市川絹代 東京都 伊藤悦裕 三省堂労組委員長 伊藤定良 青山学院大学 伊藤成彦 中央大学 伊藤文子 教科書訴訟練馬地区連事務局長 伊藤誠 経済学者 今井一雄 出版労連委員長 今井克樹 川崎・市民フォーラム 入江一恵 大学講師 岩井忠熊 立命館大学名誉教授 上島善之 日本書籍労組委員長 上西仁 明治書院労組委員長 上松文雄 開隆堂開隆館労組委員長 丑山修 教科書編集者 臼井嘉一 福島大学 梅田欽治 宇都宮大学名誉教授 浦田賢治 早稲田大学 浦野東洋一 東京大学 江口圭一 愛知大学 江口季好 日本作文の会 大石芳野 フォトジャーナリスト 大江志乃夫 歴史研究者 大川隆司 横浜教科書訴訟弁護団副団長 大田堯 東京大学名誉教授 大谷猛夫 足立区中学校教員 大槻健 早稲田大学名誉教授 大貫正一 弁護士 大森典子 弁護士 大山早苗 教科書訴訟全国 沖村民雄 高校教員 奥西一夫 奈良県歴教協副 小山内美江子 脚本家 小原大喜男 元教科書編集者 小浜健児 鹿児島県中学教員 尾山宏 弁護士 甲斐道太郎 京都学園大学 加賀谷いそみ 秋田県 柿沼昌芳 全国高等学校教育法研究会 笠原十九司 宇都宮大学 梶村晃 元福岡県教組委員長 梶原公子 静岡県高校教員 片岡照美 中野区小学校教員 桂敬一 立命館大学 加藤文也 弁護士 鹿野政直 早稲田大学 嘉松喜佐夫 弁護士 神山征二郎 映画監督 亀井淳 ジャーナリスト 川合章 埼玉大学名誉教授 川村善二郎 日本近代史研究 神田修 山梨学院大学 菅野守 神奈川高校教員 菊池実生 教科書訴訟練馬地区連 木澤進 弁護士 岸本重陳 横浜国立大学 北野弘久 日本大学 君島和彦 東京学芸大学 金城重明 沖縄キリスト教短大名誉教授 金城睦 弁護士 儀我壮一郎 大阪市立大名誉教授・元日本学術会議会員 楠本一郎 教科書訴訟支援和歌山地区連 工藤英三 教科書訴訟日野地区連 国貞昭治 教科書労組共闘会議議長 國弘正雄 前参議院議員 小出昭一郎 東京大学・山梨大学名誉教授 小佐野正樹 足立区小学校教員 小澤浩 教科書訴訟支援富山県連 越田稜 民衆法廷準備会 小中陽太郎 中部大学 小林汎 筑波大学附属駒場中高教員 小林和 民主教育研究所事務局長 小林志夫 一橋出版労組委員長 小牧薫 大阪歴教協委員長 近藤創 歴史研究者 後藤武司 教育出版労組委員長 斉藤一幸 日本労働弁護団会長 佐伯静治 弁護士 早乙女勝元 作家 酒井浩二 東京書籍労組委員長 榊達雄 名古屋大学 坂田明 音楽家 坂本敏夫 教科書訴訟天草地区連 佐久間美弥子 千葉県高校教員 佐倉康 埼玉県平和遺族会 佐々木潤之介 早稲田大学 佐藤宗諄 奈良女子大学 佐藤司 神奈川大学 沢田允茂 汐見稔幸 東京大学 柴田健 横浜教科書訴訟事務局 柴田徳衛 東京経済大学名誉教授 柴田義松 成蹊大学 渋谷淳 元中学校教員 島田ばく 東京都 下重暁子 作家 城丸章夫 千葉大学名誉教授 新海寛 信州大学名誉教授 新屋英子 俳優 寿岳章子 言語学者 鈴木英一 名古屋大学名誉教授 鈴木慎一 早稲田大学 鈴木三喜 教科書訴訟西牟婁地区連 鈴木芳夫 全国農業教育研 鈴木亮 歴教教 芹沢克明 学校図書労組委員長 祖父江孝男 放送大学 高木仁三郎 原子力資料情報室 高嶋伸欣 琉球大学 高橋勲 弁護士・憲法会議代表 高橋竹夫 清水書院労組委員長 高原良治 元教科書編集者 高柳信一 東京大学名誉教授 滝川洋二 国際基督教大学 竹内照 教科書訴訟茨城県西地区連 武田逸英 不戦兵士の会代表 田所竹彦 宇都宮大学 田中孝彦 北海道大学・教育科学研委員長 田港朝昭 琉球大学名誉教授 俵義文 出版労連教科書対策部事務局長 茶谷十六 わらび座民族芸術研究所 津久井正勝 教科書訴訟練馬地区連 土田嘉平 弁護士 槌田劭 京都精華大学 都築忠七 一橋大学名誉教授 坪井由美 愛知教育大学 寺川徹 実教出版労組委員長 暉峻淑子 埼玉大名誉教授 徳武敏夫 教科書問題研究家 床井茂 弁護士 冨森叡児 政治評論家 富山和子 立正大学 外山雄三 音楽家 豊田誠 弁護士・自由法曹団団長 鳥山孟郎 歴教協 土井治 コラムニスト 直木孝次郎 大阪市立大学名誉教授 中塚明 奈良女子大学名誉教授 中村哲 福井県立大学 中村博 日本子どもを守る会会長 中森孜郎 みやぎ教育文化研究所所長 中山千夏 作家 中山弘正 靖国国営化反対の集い 永原慶二 一橋大学・和光大学名誉教授 夏堀正元 小説家 浪本勝年 立正大学 成田伸世 教科書訴訟秋田県鹿角地区連 成島隆 新潟大学 西岡幸子 教科書訴訟中野地区連 西野瑠美子 ルポライター 西村汎子 白梅学園短期大学 西山茂 教科書訴訟宮崎県南地区連 野上麻吉 教科書訴訟岩手県連 野田秋生 教科書訴訟大分県連 灰谷健次郎 作家 羽賀克己 東京都 橋本聰 社会教育推進全国協議会 秦恒平 作家・日本ペンクラブ理事 羽田澄子 記録映画作家 浜林正夫 一橋大学名誉教授 林光 作曲家 林英夫 立教大学名誉教授 林博史 関東学院大学 原口清 名城大学名誉教授 原田慶子 教科書訴訟世田谷地区連 原誠 私立大学教員 針生一郎 和光大学名誉教授 彦坂敏尚 弁護士 土方和雄 名古屋大学名誉教授 姫田忠義 民族文化映像研究所所長 平沢直義 教科書訴訟杉並地区連 平原春好 神戸大学名誉教授 廣田健 民主教育研究所所員 広田寿子 女性労働問題研究家 深山正光 身延山大学 藤木香代子 神奈川県 藤木久志 立教大学 藤沢法暎 金沢大学 藤原彰 歴史研究者 藤原信 宇都宮大学名誉教授 舟橋健一 教科書訴訟愛知県連事務局長 古田足日 児童文学者 星野朗 地理教育研究会常任委員 星野慎一 独文学者・詩人 星野紀治 教科書訴訟香川の会事務局長 堀井登志喜 新潟大学 堀内孝 教科書訴訟青森県連 堀尾輝久 中央大学 本多勝一 ジャーナリスト 本田創造 一橋大学名誉教授 前田朗 東京造形大学 槙枝元文 元日教組委員長 牧野勝文 大日本図書労組委員長 牧柾名 駿河台大学 増田れい子 ジャーナリスト 松井幹夫 元自由の森学園長 松井康浩 弁護士 松島榮一 歴史教育者協議会委員長 松永育男 教科書訴訟静岡県連事務局長 松村高夫 慶応大学 丸岡玲子 家庭科教育研究者連盟会長 丸木政臣 和光学園園長 美見昭光 教科書訴訟大阪府連 三浦綾子 作家 三上昭彦 明治大学 三津橋彬 弁護士 峰岸純夫 中央大学 宮川秀一 教科書訴訟兵庫県連 宮城喜久子 元小学校教員・元ひめゆり学徒 三宅和子 元教科書問題を考える市民の会 宮原武夫 千葉大学 宮本憲一 大阪市立大学名誉教授 宮脇達 新興出版社啓林館労組委員長 三好泰祐 弁護士 三輪定宣 千葉大学 向井章 教科書訴訟秋田県大館地区の会 村田靜子 歴史研究者 村田正夫 京都府高校教員 村山廣樹 教科書訴訟秋田県本荘由利地区連 室井修 和歌山大学 室井力 名古屋経済大学 目良誠二郎 海城中高校教員 茂木俊彦 東京都立大学 望月由孝 千葉県高校教育法研究会会長 持永伯子 中国人戦争被害者の要求を支える会 本島等 元長崎市長 本山政雄 名古屋大学名誉教授 森川金寿 弁護士 森川文人 弁護士 森田俊男 平和・国際教育研究会会長 森英樹 名古屋大学 森村誠一 作家 八木健三 北海道大学・東北大学名誉教授 矢口五郎 教科書訴訟三鷹武蔵野地区連 安井三吉 神戸大学 安井俊夫 愛知大学 柳田節子 歴史研究者 山川宗秀 沖縄県歴教協 山北孝之 教科書訴訟全国連常任委員 山口慶一 増進堂受験研究社労組委員長 山口啓二 歴史研究者 山口光昭 全日本教職員組合委員長 山住正己 東京都立大学 山田朗 明治大学 山田哲雄 信州大学名誉教授 山田洋次 映画監督 山根勝 教科書訴訟山口県連 山本茂 大学教員 山本博 弁護士 山領健二 神田外語大学 由井正臣 早稲田大学 弓削達 東京大学・フェリス女学院大学名誉教授 油野誠一 画家 吉田晶 岡山大学名誉教授 吉田典裕 出版労連教科書対策委員会議 吉田ルイ子 フォトジャーナリスト 吉見義明 中央大学商学部 米沢純夫 音楽教育の会委員長 米田佐代子 女性史研究者 渡辺治 一橋大学 渡辺賢二 法政二高教員 和田茂 埼玉県 

0745/「社会契約説」等、なぜ外来思想が必要なのか、等。

 一 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七七名が表紙に明記されている「執筆・編修」者(全て大学教授又は名誉教授)である実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)p.8以下は、「民主政治」のもとになる理念は「社会契約説」で、その代表的な思想家はホッブズ、ロック、ルソーだとし、「とくに市民革命による民主政治の誕生」に影響を与えたのはロックとルソーだとする。
 この「民主政治」(又は「近代民主主義」)の考え方は日本国憲法に採用され、日本にも基本的に妥当する、と考えられていると思われる。
 だが、かねて感じてきたのだが、「近代」国家にせよ、国家一般にせよ、その成り立ちを「社会契約説」によって説明するのは、日本には馴染まないのではないか。
 言語の異なる多「種族」又は「民族」がいてかつ地続きだった欧州諸国を風土的前提とする「社会契約説」は、ほぼ単一民族で方言はあってもほぼ同じ言語をもつ人々が集団で生きていた島国・日本の「国家」の成り立ちにはあてはまらないのではないか。
 さらにいうと、「社会契約説」などを説かなくとも、日本「国家」は(天皇とともに)古くから存在しており、人々にとって、「国家」の存在は、論じるまでもない所与の前提だったのではないか。
 マルクス主義も含めて、「国家」を外国・外来の<思想>で語る必要はないのではないか。

 二 高坂節三・経済人からみた日本国憲法(PHP新書、2008)には、全部を読んでいないが、興味深い指摘がある。
 1.孫引きになるが、法哲学者・長尾龍一は、日本国憲法につき、「上半身は啓蒙期自然法論、下半身は功利主義」だと表現した。<啓蒙期自然法論>の中にルソーらの社会契約論も入ってくる。
 著者・高坂節三(正顕の子、正嶤の弟)は「現在の国民感情は、上半身がぴったり収まらず、下半身が異常に発達した結果」ではないか、とする(p.224)。
 少なくとも<啓蒙期自然法論>のみで説明するのは無理がある。それを試みるのは、一種の<大嘘>か<偽善>だと思われる。
 2.孫引きになるが、岡崎久彦は某著の中で、クロムウェル時代の英蘭戦争の前の時期の<オランダは「平和主義の国」で、グロティウスを生み、画家たちも「戦争を呪い、戦争の悲惨さを訴える絵画」を描いた。「問題はオランダが、その国是ともいうべき平和主義のために戦争の危険に直面しようとせず、迫る危険に眼をつぶっていたことである」>と書いた(p.219)。
 社民党の福島瑞穂、「戦争の悲惨さを訴える」番組作りに熱心なNHKの関係者等々に読んでもらいたい。

0744/実教出版・高校/政治・経済〔新訂版〕-日本共産党・マルクス主義・「左翼」の浸透2。

 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七の7名を表紙明記の「執筆・編修」者とする実教出版・高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)の一部の内容紹介のつづき。
 4.引用はほとんど省略するが、日本国憲法の称揚。とくに-「日本国憲法は、これらのいずれよりも徹底した軍備廃止を宣言している点で、まさに世界史的意義をもつ画期的なものである」(p.26)。
 5.p.33-他にも類似の文章はあるが、ここでは以下の次の如し-「日本国憲法の平和主義の理念は、まさしく人類共通の指針とされるべき…。…平和主義の理念を全世界の国民の共通財産としてひろめていくことこそが、国際社会における日本の重要な役割のはずである」。
 恥ずかしくなるような空虚な言葉の羅列。美しい「理念」が雑多な諸国に簡単に「ひろめ」られるとよいのだが。
 6.住民基本台帳ネットワークにつき、「個人情報が一元管理することで、プライバシー侵害の危険を指摘する声も強く、住基ネットに加わらない自治体もある」(p.48)。
 これでは、「住基ネットに加わらない自治体」(なお、この態度は法律違反。法律が違憲でないかぎり従うべき)を応援しているようなものだ。「…の危険を指摘」しない「声」は小さかったのか?
 7.引用はほとんど省略するが、①「直接的な住民参加」・②「活発な住民運動」・③「住民投票」制度の称揚。③につき「地域からの民主主義の新しい動きとして注目される」(p.66)。
 これらはイデオロギーとまでは言わなくとも、ありうる「見解・主張」の一つの表明。<直接>民主主義がお好きであるのは、ルソー、ロベスピエールの「人民主権」論、紙の上だけのフランス1793年憲法の影響だろうか。いつか述べたように、<代表>民主主義よりも<直接>民主主義の方が国民・住民にとって<より正しい>・<より合理的な>・<より利益となる>決定を導く保障は全くない。
 他にもまだまだ「左翼」教条的叙述はある。別の回に。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七よ。君たちは、あなたたちは、こんな教科書を作成して成長過程の高校生に特定の「思想」あるいは少なくとも特定の「見解」を注入しようとしていることにつき、<良心の呵責>は感じないのか。広く多様な見解に言及することなく、あるいは触れてもいずれかの見解を支持して誘導することを「教科書」で行ってよいのか。マルクス主義者は「厚顔」なので、心には届かないかもしれないが。

0743/「左翼」的歴史教科書と愛国心・自国への誇り。

 西村幸祐責任編集・世界を愛した日本(撃論ムック、2009)の「中学歴史教科書2009年度版徹底比較」を読むと、自由社(・扶桑社)のものは問題もあるがおおむね合格点とされているのに対して、それ以外の教科書は厳しく批判されている。採点結果が最低なのは清水書院発行のものだ。
 前回書いたような関心からすると、出版社ではなく、執筆・編修者(の代表者)名も記してほしかった。
 上の点はともあれ、「左翼」的なひどい教科書で殆どの中学生が「歴史」を勉強していることを知り、背筋が寒くなった。
 戦後64年、現在75-70歳以下の者たちは戦後「平和と民主主義」教育を受けてきた。すでに人口又は有権者の大部分になっている。
 教科書検定にかかる<近隣諸国条項>の付いた検定基準ができたのは1982年末だった。
 いちおう1983年を基準とすると、この年に中学生になった者の多くは1970年生まれ、高校三年生になった者は1965-66年生まれで、現在それぞれ38-39歳、44-45歳になっている。従って、<近隣諸国条項>のある検定基準にもとづく教科書で教育を受けたのは、おおよそ現在40歳代前半以下の者たちだ。
 40歳代前半とはもはや<中年>に近い。そのような者たち以下の若い世代は、「団塊」世代よりもいっそう<自虐的>・<反日>的な教育を受けたようだ。
 学校教育、正確には学校教育のための教科書がこれでは、狭くは<思想>戦、甘く言っても<イメージ>戦略で、「保守」派・「愛国」派はとっくに敗北している、と言ってよいような気がする。
 成人になってから、かつて刷り込まれた<自虐>・<反日>意識を変えさせるのは(努力の意義を否定はしないが)相当に困難な作業だ。大学の「社会」系・「人文」系学部に進学することによって、ますます<自虐>・<反日>意識に磨きをかける?(=親マルクス主義的になる)者もいるに違いない(そして官界・マスコミ界・法曹界等に入っていくのだ)。
 田母神俊雄・田母神塾(双葉社、2009.03)p.188-191によると(他の本でもよく引用されていると思うが)、某調査(アンケート)では、<戦争の際に「国のために戦う」>と答えたのは、中国76%、韓国72%、米国63%、フランス52%、そして日本15%
 <自国民であることに「誇り」を感じる>と答えたのは、米国・イタリア・韓国89%、フランス84%、中国76%、そして日本57%
 日本国民の日本国家に関する「意識」は異様だ。かかる意識の形成に間違いなく、中学校や高校の教育(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の教科書)は影響を与えている。怖ろしい。
 このままではきっと、「日本」はなくなるだろうと、半分は諦め気味だ。
 ところで、上の撃論ムック(オウク・ムック284号)では、「編集部」名による独特の「歴史認識」又は「歴史観」が展開されている部分があるように感じた。とくに<近代日本の「哀しみ」>の部分。機会・余裕があればいつか取り上げよう。

0742/日本共産党・マルクス主義・「左翼」の浸透-1。

 書き写すのは面倒だし、精神衛生にも悪いが、以下の叙述を含む本がある。
 1.「ナチスによるユダヤ人大量虐殺は、ファシズムの非人道的、反民主主義的な性質を示した惨劇であった。日本軍国主義の中国・朝鮮への侵略、南京事件での中国人虐殺や朝鮮人の強制連行なども同じような非人道的行為である」(p.18)。
 第一に、ドイツ・ナチスによる「ユダヤ人大量虐殺」=ホロコースト・ジェノサイドと、「日本軍国主義」によるとされる後段の諸行為は、いかなる意味で「同じような非人道的行為」なのか。ここにはドイツ・ファシズム(ナチズム)と「日本軍国主義」を、同様の「罪」を犯した、似たようなものだった、という印象を与えようとする<大嘘>がある。
 第二に、「日本軍国主義」による①「中国・朝鮮への侵略」、②「南京事件での中国人虐殺」、③「朝鮮人の強制連行」は事実なのか。
 ③は意味不明なところもあるし、①の「朝鮮への侵略」とはいったい何を意味しているのか。<植民地化>という表現自体にも疑問をもつが、<朝鮮侵略>とはいったい何のことか。むろん、中国「侵略」との呼称についても「南京事件での中国人虐殺」という事実についても、異論はある。上のようになぜ断定できるのか。
 2.「こんにちのテロリズムは、…世界の富が一部の国に集中して、イスラム世界やアフリカに貧困や飢餓がひろがり、文化的にも西欧的な価値観や信仰がイスラム文化に破壊的な作用をもたらしたことに対する、恨みの結果だという見方もある。だとすれば、テロを武力だけで封じ込めることはむずかしい。国際社会に寛容や信頼をとり戻すことが、最も基本的な課題だともいえる」(p.20)。
 2001年09.11のテロその他の「自爆テロ」に関係する叙述だが、第一に、テロにも<それなりの根拠>があり、「国際社会」の「寛容」さが「最も基本的」だと主張しているのだから、<テロリズム>に対する<優しさ>が甚だしく、異様だ。
 第二に、福島瑞穂(社民党)か田嶋陽子の言葉の如く、「国際社会」の「寛容と信頼」を「とり戻す」ことが重要なのだという。そのためにどうすべきかを語らないと、美辞麗句を<言うだけ>にすぎない。また、「とり戻す」までに繰り返されるテロによって失われるかもしれない多数の生命については、執筆者はどう考えているのか。
 3.A「憲法改正問題/…『改憲』論議では、憲法9条を『改正』して自衛隊の存在と活動を憲法上明確に位置づけることが一つの大きな争点とされ、また…全面改定を前提とする議論が行われている。一般に、憲法の『改正』とは現行憲法の存在を前提としてこれに部分的な変更を加えることと理解されており、憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定や、憲法の全面改正は、『改正』ではなく、『新憲法の制定』とみなすべきとされる。こんにちの『改憲』論は、この観点からからすると、『憲法改正』論ではなく『新憲法制定』論だということになる」(p.25)。
 例を自民党憲法改正案に採ると、同案は現憲法の「全面改定」・「全面改正」案ではない。<白紙>の出発点に立って一から条文自体を変えていくことも「憲法改正」に含まれうると私は考えるが、その点はともかく、上の指摘は自民党憲法改正案にはあてはまらない。とすると、「改正」論ではなく「新憲法制定」論だとの指摘が適切であるためには、「憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定」論・案であることを示す必要がある。しかし、例えば現憲法9条が「憲法の基本的な原理」であるとの叙述も説明も何らなされていない。かつまた、現在の憲法学の通説又は多数説において、「改正」できない「憲法の基本的な原理」として憲法9条のいわゆる「平和主義」(の具体的規定内容。当然に第二項を含む)は挙げられていない。
 上の主張は不備・不十分さを含み、かつ憲法学の通説・多数説に反する見解を前提にしていると考えられる。
 3.B(上に続けて)「新憲法の制定は、政治体制の重大な変更をもたらすことになるが、はたしていまの日本でその必要があるのか、そしてなによりも、『新憲法』によってどのような国をつくろうとするのか、といった点についての慎重な議論の積み重ねが要請されよう」(p.25)。
 「新憲法の制定」という表現の問題性は上で述べた。ここでは実質的には「改憲」反対論が明確に主張されている。
 その理由として語られるのは①「その必要があるのか」と②「どのような国をつく」るのか「慎重な議論」が必要、ということで、これでは理由になっていない。改正の「必要」性自体が改憲・護憲の争点なのだから、前者は問いに問いで答えている。
 また、改憲・護憲について(改正の内容も含めて)「慎重な議論」をすればよいのだから、後者もまた何も言っていないに等しい。
 他にも問題のある叙述があるが、別の回に移す。
 とりあえず以上の三点(A・Bを分けると四点)に限る。これらの叙述は、ふつうの何らかの本に書かれていても、とり挙げて批判したくものだ。
 だが、「ふつうの何らかの本」に書かれている叙述ではない。文科省の教科書検定に合格した高校用の「政治・経済」の教科書に書かれている。
 実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)で、表紙に明記されている「執筆・編修」者七名(全て大学教授又は名誉教授)は次のとおり。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七。上の三A・Bは「憲法学者」の浦部法穂(東京大学卒・名古屋大学教授)の執筆だろう。
 誰とは書かないし、書いても推測になるが、これらの中にはほぼ明らかに複数の日本共産党員がいる。そうでなくとも、日本共産党シンパの者であり、マルクス主義者又は親マルクス主義者であり、そして全員が間違いなく「左翼」だ。
 上の1.2.は一つの「イデオロギー」表明であり、3.も公正な叙述ではなく、「改憲」反対という見解の明確な表明だ。
 こうした内容を含む教科書が高校生に「教科書」として読まれている。慄然とする。中学生・高校生の段階で、「左翼」的主張・思想の注入が行われている。
 日教組(民主党系)や全教(共産党系)やこれらに属する教員の活動を問題にしてもよい。だが、より問題にすべきなのは、彼らが教育する<内容>そのものだろう。
 また、より問題にすべきなのは、日教組(民主党系)や全教(共産党系)・これらに属する教員の活動を<指導>している(指導してきた)、大学教授であることが多い<進歩的・「左翼的」>知識人だろう。大学教授たちの活動には<教科書執筆・作成・刊行>も含まれる。
 日教組・山梨県教組出身の輿石某の言動を問題にするのもよいが、より構造的には、「左翼」大学教授による教科書・「教育理論」指導→組合幹部活動家→一般活動家→一般教員という流れのあることを意識しておくべきだ(戦後ずっと基本的には変わっていないともいえる)。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七よ。君たちは、あるいはあなたたちは、上のような叙述を含む教科書の執筆又は作成に関与して、人間として、学者として、恥ずかしくはないのか。人間として、学者としての<良心>はないのか。マルクス主義者は<厚顔>なので、こんな言葉が心に届くとは思っていないが。
 別の回にもさらに言及する。

0683/奇妙な東京地裁2009.03.12判決と朝日新聞、東京弁護士会・岩井重一、山田洋次・斉藤貴男。

 一 奇妙な判決が3/12に東京地裁で出たようだ(東京地裁2009.03.12判決)。
 産経新聞3/14社説によると、東京都日野市の都立七生養護学校で「性器の付いた男女の人形やコンドームの装着を教えるための男性器の模型などの教材」を使っていたことを視察して知った(確認した?)東京都議会議員が都議会で批判し、視察に立ち会った都教委が上記のような教材を没収した。
 「これに対し当時の教員ら31人が性教育の内容を批判され、教材を没収したのは不当として都と都議のほか、この視察を報じた産経新聞を相手取り計3000万円の賠償を求めた。判決は産経新聞への訴えは棄却し、都教委による教材没収などについても却下した」。だがこの判決は、「都議が教員を威圧的に批判した」などとして「旧教育基本法が定めた『不当な支配』にあたる」との判断を示し、一部訴えを認めた」。つまり、関係都議は原告らに対し、何がしかの損害賠償金を支払え、というわけだ。
 上記の教材につき、読売新聞3/16社説は「性器の付いた人形」としか書いていない。朝日新聞3/14社説もほぼ同様で、「性器がついた人形などの教材」としか書いていない。
 この判決の評価は、上の三紙でいうと、判決を批判する読売・産経と支持する朝日に分かれる。
 朝日新聞社説は、教育は「不当な支配」に服してはならないと教育基本法(改正前)が定めたのは「『忠君愛国』でゆがめられた戦前の教育への反省からだ。その意味を改めてかみしめる司法判断が示された」と大上段から振りかぶって書き始め、(判決の紹介か社説子の見解か不明だが、同じなのだろう)都議が「高圧的な態度で…難じた」、「これは穏当な視察ではない」、「不当な支配」にあたる、と断定する。そして「きわめて妥当な判断」と東京地裁判決を持ち上げている。その中で、「都議らは『政治的な主義、信条』にもとづいて学校教育に介入、干渉しようとした」と明記していることも注目しておきたい。また、「外部の不当な介入から教育の現場を守るべき教育委員会が、逆に介入の共犯だと指摘されたに等しい」とも書いている。
 朝日新聞社説の、歴史に残る大弁舌の一つとして長く記録されてよいだろう。
 養護学校という特有性があるとしても、小学校・中学校で、上記のような教材を使う「性教育」行うことが適切であるかは当然に問題にされてよい。
 読売新聞社説は「当時は、『男らしさ』や『女らしさ』を否定するジェンダー・フリーの運動とも連携した過激な性教育が、全国の小中高校にも広がっていた」と書いている。あえて指摘しておく必要はないかもしれないが、上のような性教育は<ジェンダー・フリー>論・運動を背景にしている。読売社説は続ける-「小学校2年生の授業で絵を使って性交が教えられるなどした。/性器の付いた人形が、都内80の小学校で使われていたことも明らかになり、国会でも取り上げられた。文部科学省が全国調査し、自治体も是正に取り組んだ。/都議の養護学校視察は、こうした過激な性教育を見直す動きの一環として行われたものだ」。
 読売社説も産経社説も指摘又は示唆しているように、かかる(性)「教育」方法を批判することが「不当な支配」にあたるとされ、視察時の都議発言が名誉毀損とされて不法行為責任(損害賠償責任)を負わされるようでは、地方公共団体の議会議員がその職責の一つとして「教育行政」を監視することは不可能になる。
 読売はいう-「政治家が教育現場の問題点を取り上げて議論し、是正していくこと自体は、当然のことと言えるだろう」。産経はいう-「同校の当時の性教育には保護者の一部からも批判が寄せられていた。保護者の同意、発達段階に応じた教育内容など性教育で留意すべき内容から逸脱したものだ。/これを是正しようとした都議らの行動を「不当」とするなら議員の調査活動を阻害しかねない」。
 朝日は、「都議らは『政治的な主義、信条』にもとづいて学校教育に介入、干渉しようとした」と書いた。これを読んで、思わず、「笑っちゃう」という気分になった。特定の「政治的な主義、信条」にもとづいて「性教育」をしていたのは、原告ら教員たちそのものではないか。
 朝日新聞社説子という常識・良識とは異なる基準を持っている者にとっては、自己の見解、主義・主張と異なるそれらだけが「政治的な主義、主張」となり、そのような「主義」にもとづくものだけが「不当な支配」になるのだろう。原告ら又はその教育方法(教材選択等)と「外部」又は「上部」の組織(日教組・自治労・市民団体等)との関係は定かでないが、原告らは、「外部」又は「上部」の組織によってこそ「不当な」支配・介入を受けていたのではないか。そうだとすれば、朝日新聞社説の主張とは逆に、都教委は「不当な支配」から教育を守ったことになる。
 どのような主張のやりとりがなされたかはほとんど知らない。だが、一部にせよ(つまり原告らが請求した額より少ない)「損害賠償請求」を認容した東京地裁の裁判官たちはいったいどういう感覚・良識の持ち主なのだろう。裁判官たちもまた「戦後民主主義」教育・「男女対等」教育の子であり(しかもその中での優等生であり)、放っておけば自然に<左傾化>していることを、この判決も示していると思われる。この判決の裁判長の氏名は矢尾渉
 二 怖ろしいと思うのは、原告団長は日暮かをるという元教諭であるらしい、こうした原告らの訴訟を弁護士団体が応援していたようであることだ。
 「2005年1月24日」に東京弁護士会は東京都教委・同教育長あてにつぎのような文章を冒頭におく文書を発している。
 「東京弁護士会 会長 岩井重一
  警 告 書
 東京都教育委員会(以下「教育委員会」ともいう。)は、2003年9月11日東京都立七生養護学校(以下「七生養護学校」という。)の教員に対して行った厳重注意は、『不適切な性教育』を理由にするものであって、このことは子どもの学習権およびこれを保障するための教師の教育の自由を侵害した重大な違法があるので、これらを撤回せよ。
 教育委員会は、同委員会に保管されている七生養護学校から提出された性教育に関する教材一式を、従来保管されていた七生養護学校の保管場所へ返還し、同校における性教育の内容および方法について、2003年7月3日以前の状態への原状回復をせよ。
 教育委員会は、養護学校における性教育が、養護学校の教職員と保護者の意見に基づきなされるべき教育であることの本質に鑑み、不当な介入をしてはならない。」
 裁判官以上に弁護士たちは<左傾化>していることは、「人権派弁護士」なる呼称がかなり一般化していることでもわかる。
 法的な専門職集団の一つが、「子どもの学習権およびこれを保障するための教師の教育の自由」を侵害するとして、都教委の側のみを一方的に批判しているのだから、この国(日本)はすでにかなり危うくなっている。この文書の責任者、「東京弁護士会 会長 岩井重一」の名前も永く記憶されてよいだろう。
 なお、東京弁護士会の2004年度の副会長・橋本佳子はその一年を振り返って、「とても楽しく充実した1年でした。イラク自衛隊派遣反対の会長声明、……、都の国旗国家〔ママ-正しくは「国歌」だろう〕強制や七生擁護〔ママ-「養護」〕学校性教育処分問題その他いくつもの意見書や警告書などなど、委員や職員の皆様と取り組んだ思い出がいっぱいです」と書いている。
 さらに、東京都議・都教委と原告らの対立に関しては、後者の側に立った<運動>もあった、ということも指摘しておく必要があるだろう。
 詳細には知らないが、上の東京弁護士会の「警告書」は、「当会が受理した2004年1月7日付申立人山田洋次、小山内美江子、斉藤貴男、川田悦子、堀尾輝久、蔦森樹、朴慶南ほか総数8125名にかかる『子どもの人権救済申立』」をきっかけにして発せられている。
 誰かが又は何かの組織・団体が、8125名の氏名を「集めた」又はそれだけの人数を「組織」したのだ。
 「山田洋次、小山内美江子、斉藤貴男、川田悦子、堀尾輝久」は<左翼>の有名人だから明示されているのだろうか(蔦森樹、朴慶南の二人は私は知らない)。山田洋次は日本共産党員又は積極的支持者と見られるご存知の映画監督、元日本共産党員とも言われる川田悦子は薬害エイズ訴訟原告だった国会議員・川田龍平の母親、堀尾輝久は「著名な」左翼・教育学者(岩波新書あり)。
 こうしてみると、この訴訟は石原慎太郎東京都知事を先頭とする?東京都の教育行政とそれに抵抗する「左翼」の闘いの一つで、根っこは、君が代斉唱拒否・不起立問題、それらを理由とする教員に対する懲戒処分に関する訴訟等と共通するところがあることが判る。
 そうだとすると、当然に、そうした<闘い>・<運動>を知って、あるいは背景にして、上記の朝日新聞の社説も書かれていることになる。
 あらためて書いておく。朝日新聞は「ふつうの」新聞ではない。朝日新聞(社)とは、「新聞」の名を騙る<政治(運動)団体>だ。

0590/西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)を読む-つづき。

 一 西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)は「つくる会」問題でのみ八木秀次を批判しているわけではなく、安倍内閣の「教育再生会議」に対応した民間版応援団体?「教育再生機構」の理事長に八木秀次が就いたことについても、政治(家)と民間人(ブレイン)の関係等に注意を促し、「八木氏は知識人や言論人であるには余りに矜持がなさすぎ、独自性がなさすぎ、羞恥心がなさすぎる」(p.150)などと批判したりしている。
 そういえば、福田内閣になり<教育>が大きな政治的争点でなくなった後、この「日本教育再生機構」はいったい何をしているのだろう。
 月刊正論9月号(産経新聞社)によると、「日本教育再生機構」は某シンポの主催団体「教科書改善の会」の「事務局」を担当しているらしい(p.272の八木発言)。「教科書改善の会」という団体の「事務局」が「日本教育再生機構」という団体だというのは、わかりにくい。組織関係はどのように<透明>になっているのだろうか(ついでに、このシンポは、あの竹田恒泰とあの中西輝政・八木秀次が同席して「日本文明のこころとかたち」を仲よく?語っているのでそれだけでも興味深い)。
 二 西尾幹二対八木秀次等という問題よりも本質的で重要なのは、西尾が「あとがき」の副題としている「保守論壇は二つに割れた」ということだろう。
 何を争点・対立軸にして「割れた」かというと、小泉内閣が進めて安倍内閣も継承した<構造改革>の評価にあるようだ。これはむろん、アメリカの世界(経済)戦略をどう評価し、日本の経済政策をどう舵とるべきか、という問題と同じだ。この点で、小泉内閣等に対して厳しく、アメリカに批判的だったのが西尾幹二で、小泉内閣・安倍内閣、とくに後者にくっつき?、そのかぎりで<より親米的>でもあったのが八木秀次等だ、ということになる。
 西尾幹二と八木秀次はどうやら、西尾が小泉純一郎についての『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を出版した頃から折り合いが悪くなったようだ(上掲書p.82-83)。
 西尾によると八木秀次は「権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人」で、八木は、安倍晋三が後継者として有力になっていた時期での小泉批判を気に食わなかった(戦略的に拙いと思った?)らしく思われる。
 個人的な対立はともあれ、上記の問題に関する議論は重要だ。「保守論壇は二つに割れ」て、<保守>派支持の一般国民が迷い、方向性を失いかけるのも当然だろう。
 八木秀次は<より親米>の筈なのだが、中西輝政との対談本では中西輝政の<反米>論に適当に相槌を打っている。もともと、佐伯啓思が論じてきたような<アメリカニズム>あるいは<グローバリズム>についての問題意識自体が、おそらくはきわめて乏しかった、と思われる(法学者とはそんなものだ)。
 今日の混迷、見通しの悪さも上記の問題について「保守論壇」に一致がないことを一因としている。はたして「保守」とは何か。あるいは<より適切な保守>とは、現実の政策判断(とくに経済・社会政策)について、<アメリカ>とどう向き合うべきなのか? 日本の<自主性・国益(ナショナリズム)>と対米同盟(友好)関係の維持(反中国・反北朝鮮というナショナリズムのためにも必要)はどのように調整されるべきなのか。

0450/大阪府・門真市立第三中学校「国歌」集団不斉唱事件。

 週刊新潮4/10号(新潮社)のp.42~p.43が「たった一人の『君が代斉唱』-門真市立中学の『異様な卒業式』」を取り上げている。
 この記事による、同中学の「教頭」は、「君が代は天皇を称える歌で思想的に問題があるという考え方を教えると同時に…」うんぬんと答えたらしい。「どちらか一方だけということはありません」と結んで、<公平中立な>教育をしています(してきました)と言っている如くだが、、「君が代は天皇を称える歌で思想的に問題があるという考え方を教える」ということ自体(そういう考え方「も」ある、ということであっても)、公立(あるいは日本の)中学校の教育として適切なことなのだろうか。
 日本国と国民の統合である世襲の(以上すべて日本国憲法)天皇を称える歌」がなぜ「思想的に問題がある」のか、この<教頭>先生には答えてほしいものだが、それよりも、法律によって国歌と定められた歌について、かかる「批判」があることを教えること自体が、すでに異様であり、適切ではなく、あまり使いたくない言葉だが<偏向>しているのではないか。組合・教員運動が強いと言われる大阪府、その<空気>の中でこの<教頭>も棲息しているようだ。
 上の記事でも言及されてはいるが、産経新聞4/02は、明確に、門真市立第三中学校の卒業学年(昨年度の三年生)の担任全員(5人)が「君たちには内心の自由がある。君が代を歌わなくてもいい」などと「指導」したと認めている、と報道している。その結果が、出席卒業生160人のうち着席したままで不斉唱159人、起立斉唱が1人だったわけだ。
 異様な事態だ。担任たちは「指導」の<成果>を誇っているかもしれないが。
 さて、「内心の自由がある。君が代を歌わなくてもいい」という「指導」は適切か。「起立や斉唱をしない自由もあるといっただけで、強要はしていない」などという担任たちの<釈明>は適切か。
 いずれれも適切とは思えない。
 「内心の自由」が持ち出されると憲法上の思想・信条の自由の問題になるので簡単には論じ切れない。教育委員会(・教育長)又は校長からの職務命令を受けた教員と生徒・児童とは区別されなければならない。ただ、一点だけ述べると、それは、「指導」される相手は<まだ中学生>だ、ということだ。(公立)小学校でも君が代(国歌)は歌われているのだろうが、6~7歳の子どもの「内心の自由」とは何かが問題になるのと同様に15歳くらいの中学生の「内心の自由」なるものの意味が問題にされなければならない。要するに、成人した、一人前の大人と同様の「内心の自由」を語ってはならない、ということだ。彼ら中学生はまだ、「心」も含めて、<教育>される過程にあるのではないのか。
 担任たちは「強要はしていない」、<不起立は指導してない>などと言っているらしいが、その「指導」の効果・結果は上記のとおり。
 上のうち、<不斉唱でもいい(歌わない自由もある)と言っただけで、不起立は指導してない>というのはヘリクツであり、詭弁だ。不斉唱でもいいと「指導」したのなら、斉唱が起立して行われるかぎり、<起立しなくてもよい(不起立の自由もある)>と「指導」したのと同じことだ。
 つぎに、担任たちが主観的には「強要」ではない、と思っていても、生徒たちがどのように受けとるかはまた別の問題だ。この件での今回の「指導」は、状況関係的に把握すると、明らかに、<歌わなくてよい>という<誘導>的効果をもっている。そして、その<誘導>的効果は、「強要」(あるいは「強制」)の効果に相当に近いものになりうる。
 朝日新聞は「広義の強制」という概念を使うのが得意だった。また、「関与」という概念も、そうだった。
 こうした朝日新聞の論法・概念用法を採用すれば、今回の担任たちの「指導」は<広義の>又は<事実上の>「強制」ではないのか。そして生徒たちの不起立・不斉唱に、担任たちの「指導」は(先日の朝日新聞社説の一文章を真似れば)「深くかかわっていた」のではないのか
 かかる<広義の強制>性あるいは<関与>を、論理的には、朝日新聞記者も、朝日新聞を講読しているかもしれない今回の事件の学級担任たちも、素直に肯定すべきだと思われる。
 そして、<広義の強制>性あるいは<関与>が認められるとすれば、それは同時に、生徒たちの「内心の自由」を侵害していることを強調しておきたい。
 すなわち、<左派>教員たちが「内心の自由」でもって自分たちの主張を貫徹し又は自分たちを防御しようとしていることをふまえて、「内心の自由」を持ち出してあえて言えば、生徒たちには歌おうという意思を形成する「内心の自由」もあった筈なのに、担任たちの「指導」は、「歌いたい」・「歌おう」という「内心」を形成することを妨害しており、「内心の自由」を侵害している、と考える。
 「内心の自由」については、別に考える機会をなお持ちたい。

0397/朝日新聞2/16社説と新学習指導要領。

 新学習指導要領の内容が発表された。よりよき方向への改正であり、多くの教師たちの努力によって現実化してもらいたいと思う。
 関連していえば、かかる改正の契機の重要な一つは前安倍晋三内閣による教育基本法の抜本改正(の提案と国会による議決)だった。
 マスメディア・論壇の一部にすでに<安倍政治>の全面否定(その証左又は援用材料としての2007参院選の自民党敗北)を当然視する論調もあるが、彼のしたことの意味・評価は、少なくとも将来の歴史的判断に俟つべきだろう。
 朝日新聞2/16社説はいう-「忘れてならないのは、教育基本法が改正されて初めての改訂だということだ。改正基本法に「愛国
心」が盛り込まれ、今回の指導要領には道徳教育の充実が定められた。/教育再生会議が強く求めていた道徳の教科化はさすがに見送られたが、道徳教育推進教師が学校ごとに指定され、全教科を通じて道徳心を教えることになった。武道の必修化もその流れにある。/道徳心を子どもに教えることは必要だが、特定の価値観を画一的に押しつけるようになっては困る。どのように教えるかは教師たちにまかせた方がいい。
 改正基本法上の「愛国心」(正確にはかかる語ではない)涵養を批判する観点から、「道徳教育推進教師」「学校ごと」「指定」を批判し、「武道の必修化もその流れにある」という。さすがに<朝日>らしい、で済ませておくが、「道徳心を子どもに教えることは必要だが、特定の価値観を画一的に押しつけるようになっては困る。どのように教えるかは教師たちにまかせた方がいい」の部分は、いちゃもんを付けるに値するだろう。
 これまでの公教育は「
特定の価値観を画一的に押しつける」ことはなかったのか?。朝日新聞の虚報・誤報・捏造記事が、「特定の価値観を画一的に押しつける」公教育を推進したことはなかったのか。このことに反省の気持ちを示すことなく「特定の価値観を画一的に押しつける」ことを批判するのは欺瞞だ。
 有り体に言ってしまえば、朝日新聞が支持する「特定の価値観」は画一的に広く教えられる(=押しつける)べきだが、「愛国心」・「道徳心」といった朝日新聞が支持しない「特定の価値観」の画一的押しつけには反対だ、と主張しているのだ。
 朝日新聞において珍しくも何ともない。これをダブル・スタンダード(二重基準)とか「ご都合主義」という。

0391/産経2/11・2/12より。

 産経2/12夏目誠「若者に多い『叱責への免疫力低下』」は「若者の『注意、しかられることへの免疫力』が低下している」とし(「注意」されると逆ギレする、登校・出社拒否になる)、「少子高齢化、長男・長女社会で大事に育てられ、親や学校の先生にしかられることが少ない。地域社会の人も注意することが減った」と続ける。
 適切な?叱責の方法は次回らしいが、上の「若者」の現象はそのとおりで、現代日本と日本人の状況と深く結びついている気がする。
 教師-学生・生徒、親-子という「上下」関係も、<平等>教育・<みんな対等>教育とそのような意識・心理の前では霞んでしまっていることが少なくないようだ。
 教師も親もまた、殆どが、<戦後民主主義>のもとでの<みんな対等>教育を受けてきた。また、確固たる社会・国家目標とそれを前提とする<規範>がなくては、個人主義(個人の尊重)・多様な「個性」重視の前で怯えて、<叱責>することができなくなる。
 上の文章の中の「大事に育てられ」は「甘やかされて…」の方が正しいだろう。15~20歳ほど上の世代からは、「団塊」世代もまた、「甘やかされて…」という皮肉・批判を受けてはきたのだが。
 生徒を正しく「叱責」できない学校の教師の中には日教組や全教の組合員又はそのシンパも多いだろうが、産経2/11曽野綾子の週一連載のコラムは、「日教組がどうしてそんなに高価な会場費の要るホテルで集まるのか」と皮肉っている(ホテルとはグランドプリンスホテル新高輪らしい)。
 なるほど。日教組も贅沢になってきたものだ。毎年のように話題になる日教組関係の集会会場問題だが、自前の会場くらい持っていないのだろうか。あるいは日曜日又は夜間に利用を認めてくれる(日教組シンパ教授の多い)大学の一つくらいありそうに思えるのだが。

0245/朝日新聞6/22社説の無知と不的確。

 久しぶりに朝日新聞社説を覗いてみると、相変わらず妙なことを喚いている。6/22の「教育3法―現場を画一的に縛るな」だ。
 タイトルからしても文句を言いたい。教育現場は少なくともある程度は<画一的>でないと困る。一部の教師だけが、学習指導要領に添わず、朝日新聞社説を教材にした親中国教育をしてはいけないのだ。
 冒頭の第一文は「文部科学省がこれまで以上に教育現場に口をはさみ、画一的な考え方を押しつけることにならないか」。この社説の執筆者は改正法の中身をきちんと読んでからこんなことを書いているのだろうか。そうだとしたらとんでもない「ウソ」つきだし、そうでないとしたらとんでもない職務怠慢だ。それに一般論としても「文部科学省がこれまで以上に教育現場に口をはさ」むことを一般に非難することはできない。「画一化」については既に述べた。
 「法律が成立したとはいえ、どのように運用するのか、あいまいなところが多い」、「しかし、今後、どのようなときに指示などを出すのかははっきりしない」。これは法律(案)を批判するときの常套の論法だ。いわく、不明確な点がある-、曖昧だ-。
 法律の定めの不明確性が合憲性の法的論点になりうることは承知のうえだが、運用事項の具体化、「指示」の要件のさらなる詳細化・具体化を要求していれば、法律という一般的・抽象的定めは永久に制定できない。こんな単純なことくらい、朝日の社説子なら知っている筈だ。批判のための批判をするな、と言いたい。

0244/原武史・滝山コミューン1974(講談社、2007)を読んで。

 原武史・滝山コミューン1974(講談社、2007.05)の書評文に刺激を受けて何か書いたことがあったが、この本そのものを全読了した。
 東久留米市の滝山団地近くにあった七小(第七小学校)という公立小学校での著者の「特異な」経験体験をノンフィクションとしてまとめたもの。
 「特異な」というのは、日教組の影響下にあったと見られる全生研(「全国生活指導研究協議会」)の「学級集団づくり」を実践した教師が同学年の著者とは別の組を担当していて、同組を中心に学年・学校全体が1974年には(大げさにいうと)「コミューン」化した(その翌年には崩壊した)というもの。
 著者によれば、全生研は1959年に日教組教研で生まれた民間教育研究団体で、「人間の尊厳と個性の尊重、平和と民主主義の確立」とともに「個人主義、自由主義的意識を集団主義的なものに変革する」という「社会主義からの影響が濃厚にうかがえる」ものを目的とし、集団=学級は「民主集中制を組織原則とし、単一の目的に向かって統一的に行動する自治的集団」になるべし等と説いた。
 日本共産党員か日本社会党員か、それともいずれかのシンパだったかは分からないが、これを熱心に実践する教師が実際にいて、著者のいた小学校のとくに児童活動を殆ど「乗っ取った」、という話だ。なお、2004年のヒアリングでその教師は、全共闘運動の影響を明確に否定した、という。
 全体を要約することはしない。この経験は、東京郊外の所謂新住民(団地住民)の子供だけで殆ど構成されている「特異な」公立小学校で、「特異な」教師とそれを支持する親たち(そして少なくとも表向きは生徒たち)によって生じたものと思われ、1970年代の教育について一般化はできない(著者の小学校時代は1969~1974年)。
 全生研の運動はクラスを班に分け、班に異なる任務を与えつつ競争させることがまずは出発点のようだが、私には次の点が印象深い。
 全生研は「議会主義的な児童会・生徒会活動」には批判的で「民主と集中直接民主主義と間接民主主義の統一を追究するなかで児童会・生徒会民主主義を発展させようとしてきた」(全生研文献による)(p.107)。
 上の点を象徴するのが、4-6年生の3年間、同じ生徒の組を担当し続けたという熱心な教師の組の生徒が「代表児童委員会」の委員長等に立候補するときに演説の中で言ったという、「代表児童委員会をみんなのものにする」という言葉だ、と思う。
 抽象的で意味不明で何となくニュアンスだけは分かるという表現でもあるが、これこそ、「民主と集中直接民主主義と間接民主主義の統一
」を目指す言葉だと思われる(著者は明記してなかったと思うが、演説原稿に担任教師は筆を入れていると見られる)。
 そしてまた、ルソーの人民主権論をかじった後だからこそ言うと、この言葉は、委員長その他の役員は児童全体と一体のもの、「代表児童委員会」の意見=児童全体の意見というように両者を同一視したいという意味でもあるだろう。すなわち、児童全体の意見と一致した「代表児童委員会」の意見はルソーにおける<一般意思>なのだ。代議制を疑問視し直接民主主義にできるだけ接近させたいとの言葉こそ、「代表児童委員会をみんなのものにしたい」なのだ。
 私の印象・感想は以上に殆ど尽きる。資本主義的又はブルジョア民主主義的な「代議制」又は「間接民主主義」ではない、児童全員=「代表児童委員会」を追求する直接民主主義の方がより「進歩的」との<思い込み>を全生研および上記教師はしていた、と思われる。ルソーの影響が後年の日本の小学校にも残っていた、とも言える。そしてまた、筆者が比喩的にいう「滝山コミューン」という<全体主義>の被害者として、これを批判的に見ていたというのも、ルソーの人民主権論→全体主義(共産主義)という構造が具体的に証明されているようで興味深い。
 この小学校では著者のいた間は君が代斉唱・日章旗掲揚はなされていないようだ。1960年代の前半に小学校生活を終えた私の小学校ではいずれもなされていた(と思う)。「仰げば尊し」も毎年歌った気がする。5-6年のときクラスが班に分割され班長とかがいたが、任務分掌や競争とは無関係だった。私が5-6年生のときの教師はたぶん「全生研」の「学級づくり」運動とは無関係だっただろう。
 それにしても、私よりも10歳以上若い著者は、小学校時代の記録と記憶をよく残していたものだ。また、著者は学者らしいのだが(専門も経歴も調べていない)、自らの小学校時代(とくに4-6年)の話で一冊の本を出版してしまうことに感心するとともに羨望する。振り返ってみて、余程印象深い「滝山コミューン」生活だったのだろう。
 ないものねだりをすればキリがないかもしれない。東久留米市等の区域は「左翼」、とくに日本共産党が強かったというが、教師の運動やそれを支えた親たちと政党の関係をもっと調べて欲しかった、という気もする。
 筆者は最後に、旧教育基本法のもとで「「個人の尊厳」は強調されてきたのか」と問い、「自由よりは平等、個人よりは集団を重んじるこのソビエト型教育」につき語っているが(p.276-7)、やはり筆者の体験は特異なもので一般化できないだろう。戦後教育において「個人の尊厳
」が強調されすぎたとの私の考えに変わりはない。一方でまた、旧軍隊的又は戦時中の「集団主義」教育が「ソビエト型教育」=<社会主義国の教育>と近似していることも忘れてはならないことだろう。

0238/教育再生関連三法が成立-革マル・中核派の「健在」。

 教育再生関連3法が成立した。その内容要旨は読売よりも産経(6/21)の方が詳しい。
 3法というが、学校教育法、地方教育行政法(略称)、教員免許制度関係の教員免許法と教育公務員特例法の、正確には4法だ。
 これらのうち、いつぞや言及したことのある地方教育行政法改正よりも、副校長・主幹教諭・指導教諭等の設置を認める(義務づけるではない)学校教育法改正と教員免許制度にに有効期間・更新等を導入する教員免許法改正の影響は大きそうだ。
 教員も人間なので、校長・教頭以外は20歳代でも50歳代でも同じ「教諭」で年功序列的な給与の差しかないとなれば、年配の「教諭」のままで熱心に組合(職員団体)活動にいそしむ者が出てきても不思議でない。教員内部での「職階」?の数の増大は<競争>的意識を持たせるに違いない。何をもって、教員の勤務成績を評価するかは問題だが、明らかに劣った、教員として不適格な者(組合活動には向いている者もいるかもしれぬ)の排除には役立つのではなかろうか。
 こうやって法律が改正されたり新しく制定されたりして、少しずつ世の中は、社会は、変わっていくのだなぁ、と当たり前のような感慨が湧く。
 ところで、産経・阿比留瑠比のブログによると、教育関係法案反対のために革マルや中核派と日教組は「共闘」しているかのようだ。少なくとも、中核派等のビラには日教組との連帯・共闘が書かれているようだ。
 とりとめのない感想だが、革マルや中核派はいわゆる「新左翼」と呼ばれ、<既成左翼>(旧左翼)を否定・批判してきた筈だった。70年代であれば彼らは、日本共産党系はもちろん、日本社会党系の労組と「共闘」したのかどうか。
 もともと日本共産党系だけ特別で、日本社会党系とは対立状況になかったのかもしれない。それとも、状況の変化で民主党系・日教組とは対立しなくなったか、あるいは日教組それ自体の中にある程度は革マルや中核派の勢力が浸透してきているからか、と想ってしまう。
 それにしても革マルや中核派が<健在>だとは一般新聞では分からないことで、阿比留瑠比のブログの写真に、思わず懐かしく?見入るのだった。

0212/原武史・滝山コミューン一九七四(2007)の佐藤卓己による書評。

 6/10の読売の書評欄が採り上げているので、数日前の産経の書評欄を読んで関心をもったのだろう、原武史・滝山コミューン一九七四(講談社、2007)を既に購入している。だが、殆ど未読だ。
 読売新聞の書評は佐藤卓己(京都大学)という1960年代生れの人が書いている(原武史氏も1962年生れ)。
 それによると、1.学校(小学校・中学校だろう)生活での「班のある学級」は「ソ連の集団主義教育理論に基づき、日教組傘下の全生研(全国生活指導研究協議会)の運動から広ま」ったらしい。
 世代は違うが、私の小学生時代のたぶん3-6年のときにはクラスがいくつかの「班」に分けられ、「班長」とかもいた。中学校時代はもう「班」はなかったと(明瞭な記憶ではないが)思う。
 小学校時代の「班」単位の学級作りがソ連・日教組の影響だとは知らなかった。日教組・「左翼」が強い学校・地域では全くなかったと思うが、それでも日教組(ひいてはソ連)の影響があったのだろうか。「班」への分割を基礎にすることは必ずしも「左翼」的理論に基づくものとは限らないと思うので(大きな単位を小さく分割することは会社でも町内会でも行われている)、自分の体験の根源の「理論」がどこにあったのかはなおも釈然としない思いもある。
 2.次の文は目を惹く(対象の本ではなく書評者の文章)。「共産主義の理想が世間一般で通用したのは、一九七二年連合赤軍事件までだろう。だが、全共闘世代が大量採用された教育現場では、少し遅れて「政治の季節」が到来していた」。
 一九七二年を重要な区切りの年として注目するのは、坪内祐三・一九七二(文藝春秋、2003)にも見られる。この年(35年前だ)の7月には佐藤栄作長期政権が終わって田中角栄新内閣が発足した、という点でも大きな区切りだろう。
 だが、第一に、上のようにこの年までは「共産主義の理想が世間一般で通用した」とまで書くのは、事実認識(歴史認識)としては誤りだろう。日本社会党が健在で現在よりも「左翼」的雰囲気に溢れていたのは間違いないが、「世間一般」で「共産主義の理想
」が通用していたわけでは全くない。日本社会党(+日本共産党)支持の雰囲気の多くは<反自民党>・<反政権党>の雰囲気で、一部を除いては、「共産主義の理想」などを信じてはいなかった、と思われる(もっとも現在に比べれば、そういう「信者」が多かったことは確かだろう)。
 第二に、「連合赤軍事件」(たぶん浅間山荘事件のこと)以前の学生運動を担った世代を簡単に「全共闘世代」と称することが(この書評者に限らず)多いが、1970年前後の学生運動の少なくとも半分を支配していたのは「全共闘」派=反日共系(反代々木系)ではなく、日本共産党・民青同盟であったことを忘れてはいけない。既に記したし、今後も書くだろうが、「全共闘」派に対抗したからこそ、日本共産党・民青同盟は従前よりも、また1970年代後半以降よりも、多数の学生・青年の「支持」(>入党)を獲得できた、という因果関係があると思われるのだ。
 だが、第三に、「教育現場」では「少し遅れて「政治の季節」が到来していた」というのは、なるほどそうかも知れないと思う。
 かりに1946~1950年の5年間に生まれた者を<団塊(世代)>と称するとすると、この世代が小学4年(10歳)~高校3年(18歳)だったのは、1956~1968年で、1970年代半ば以降の「政治の季節」の中にあった教育を受けてはいない。
 とりとめもなく書いているのだが、<団塊世代>が高校までの教育を受けていた時代には、<南京大虐殺>も<従軍慰安婦>もなかった。朝日新聞の本多勝一がのちに「中国の旅」という本(1972)のもとになる中国旅行と新聞連載をしたのは1971年だった。
 中学や高校でどういう日本史を勉強したかの記憶は薄れてしまっているが、1970年代後半あるいは1980年代以降の社会科系科目の教育内容よりも、<団塊世代>が受けたそれの方がまだ<自虐的>ではなかった、つまり相対的にはまだ<真っ当>なものではなかっただろうか。滝山コミューンとの本は未読だが、簡単に紹介されているような、1960年代生まれの人が体験した「教育現場」は私の感覚では相当に<異様>だ(但し、地域差があると見られることも考慮は必要だろう)。
 3 書評者は言う。「戦後教育の欠陥は「行き過ぎた自由」などではない。集団主義による「個人の尊厳」の抑圧こそが問題だった」。
 この部分は議論が分かれるところで、簡単にはコメントしにくい。私は「戦後教育の欠陥」は「行き過ぎた自由
」というよりも「行き過ぎた個人主義」ではなかったか、と思っている。ということは、「個人の尊厳」が尊重され過ぎた、ということでもあり、書評者の理解とは正反対になる。
 
<集団主義による「個人の尊厳」の抑圧>だったとはとても思えない。とりあえず疑問だけ提出しておこう。
 書物本体ではなくそれの短い書評文にすぎないのに、何故か執筆意欲をそそるものがあった。

0186/地方教育行政法改正案をめぐって。

 所謂教育再生関連三法案が5/18に衆議院を通過している。三法案とは、学校教育法改正案・地方教育行政法改正案・教員免許法改正案だ。
 このうち地方教育行政法とは正式には「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」という名称らしい。
 この法律の改正への反対論はどうやら教育の国家統制の強化だ、ということにあるようだ。
 日教組のHPを見てみると、三法案ともに「上意下達の教育行政をますます強めるものになる」との委員長談話をまず掲載し、衆議院通過直前の「国の管理・権限を強化するものであり、主体的な教育活動が阻害される懸念は拭えません。また、地方に対する国の関与を強め、教育の地方分権を後退させることにもつながりかねません」等々と書く<要請書>へもリンクが張られている。
 地方教育行政に詳しい方、公立学校の管理者等ならばとっくにご存知だろうが、一言触れておく。
 地方教育行政法改正案の骨子の第一は、産経記事によると、「生徒らの教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合に、文科相が教委に地方自治法で定める是正要求を行う」定めを置くことだ。
 現行地方自治法245条の5第一項によると、すでに「各大臣は、その担任する事務に関し、都道府県の自治事務の処理が法令の規定に違反していると認めるとき、又は著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認めるときは、当該都道府県に対し、当該自治事務の処理について違反の是正又は改善のため必要な措置を講ずべきことを求めることができる」とある。
 従って、現行法でもこの規定に基づいて、「法令の規定に違反していると認めるとき」や「著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認めるとき」は、所謂<是正の要求>を行うことができる。ということは、改正案は<是正の要求>をすることが可能な場合について(改正条文案を確認していないが上の記事を利用すると)地方自治法が明記している場合以外に「生徒らの教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」を追加していることになる。
 また、骨子の第二は、「教育委員会の法令違反や怠りにより、緊急に生徒らの生命を保護する必要が生じた場合、教委に対する文部科学相の是正指示権を新たに規定」することにある。
 <是正の要求>はあくまで「求め」にすぎず、拘束力は厳密にはないが、この<是正の指示>はいちおうは法的拘束力があるものと解される。この是正指示の根拠規定は地方自治法245条の7にもあるが、どうやら対象が「法定受託事務」の処理に限られ、ふつうの教育行政は対象にならないため、同法245条1項が定める「関与」の類型の一つである「指示」の一種としての<是正の指示>を地方自治法ではない個別法律(つまり地方教育行政法)によって根拠づけようとしていると思われる。
 そして、その要件は、上記のとおり、「
教育委員会の法令違反や怠りにより、緊急に生徒らの生命を保護する必要が生じた場合」と限定されているようだ。
 骨子の第三は、「都道府県知事は私立学校に関する事務について教委に助言、援助を求めることができる」定めをおくこと、のようだ。この点には立ち入らない(教育委員会の権限は私立学校には及ばないことが前提)。
 さて、以上の改正案はなるほど文科大臣の都道府県教育委員会に対する権限を「強化」するものだが、「上意下達の教育行政をますます強める」、国の管理・権限を強化」、「教育の地方分権を後退させる
」等と大げさに批判するほどのものだろうか。
 上記のごとく、<是正の要求>や<是正の指示>の要件は、地方自治法が想定していなかった、生徒らの教育を受ける権利侵害の明瞭性・生徒らの生命の保護の必要性がある場合に限定されている(さらにもともと前者は拘束力がない筈だ)。
 それにそもそも、以下を本来は言いたいのだが、国による教育への監督・関与の強化に反対とか教育の地方分権というなら、地方教育行政法・学校教育法等の法律自体が国の立法機関が定めたものであって、これらに都道府県教育委員会等が拘束されされることは、国による教育への監督・関与そのものではないか。また、これらの法律の施行令や施行規則によってすでに都道府県教育委員会等はさらに具体的な国による教育への監督・関与をとっくに受けているではないか。
 さらに学習指導要領(文科省告示)によっても、各学校や教師は国によってとっくに拘束され、国による監督・関与を受けているではないか。
 これらの法律、施行令・施行規則、学習指導要領の全てを地方分権に反する国による監督・規制だとして反対するなら解る。少なくとも、国会が定めたのではない施行令・施行規則や学習指導要領(告示)の存在それ自体をこれまで一貫して批判してきたならば、まだ解る。
 しかし、それらについては何ら触れないまま、今回の上に見た程度の、私には今般の学校をめぐる状況から見て合理的と思える「強化」に反対するのは、その具体的内容から見ても、教育行政全体の法制度という観点から見ても、全くといってよい程、合理性を欠くものだ。
 国の(大臣の)権限強化に反対の主張は、国家の関与、国家による「管理」をそもそも毛嫌いしている人たちには問題なく共感されるのかもしれないが、一般に国の関与、国による「管理」を<悪>と見ることはできない。
 むしろ地方自治体もまた、そして地方自治体の教育委員会もまた、広義の<国家>・<国家機関>そのものであって、生徒やその保護者に対する<権力>を持っていることを忘れてはならない。
 その<権力>は(適法にはもちろん)適正に行使されなければならない。一般国民から監視と批判を受ける立場にあるのは地方自治体や教育委員会等自体(その職員、応援・強力する場合の職員団体を含む)であることを忘れてはならないだろう。

0182/実教出版・高校現代社会(たぶん浦部法穂執筆部分)のひどい叙述。

 憲法(改正)論が活発になると思って、とくに現憲法制定過程や九条の解釈論議の基礎的なところを知っておくために憲法(学)のいくつかの本を収集していたのだったが、今のところは(常岡せつ子朝日新聞投書内容に関係して)憲法改正権の限界の問題について一番役立つことになるとは、予想もしていなかった。
 社会系の高校(・中学)の諸教科書も、新刊でも価格は安いので、基礎的な知識を確認するために(および教科書を「監視」するために)いくつか買い揃えようと思っている。
 既購入の教科書に実教出版高校現代社会(新訂版)(2006.03検定済、2007.02発行)がある。表紙に出ている6人の執筆・編修者は、専門を()で私が調べて記入すると、次のとおりだ。
 伊東光晴(経済学)、中村達也(経済学)、加茂利男(政治学)、浦部法穂(法学/憲法)、奥脇直也(法学/国際法)、井上義朗(経済学)。
 こういうメンバーだと、編修協力者がいるとはいえ、日本国憲法に関する叙述の実質的な最終責任者は浦部法穂だと推測して間違いないだろう。そう、浦部法穂(神戸大学教授→名古屋大学教授)とは、日本評論社発行の自著の中で、憲法改正権の限界につき珍しく?常岡と同旨のことを述べていた人物だ。
 さて、「日本国憲法の三大原理は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義である」と明記している(p.163)。そして、平和主義の内容について「第9条が、戦争の放棄と戦力の不保持、交戦権の否認を定めている」と九条二項の内容も含めて説明し(p.163)、さらに「日本国憲法は、…軍備廃止を宣言している点で、いっそう徹底した平和主義に立つ画期的なものといえる。そして、この点に。日本国憲法の平和主義の世界史的な意義を認めることができる」と書く(p.165)。この辺りになると議論のある点をすでに一つの見方で処理しており、問題があると考えるが、ギリギリ許すとしよう。
 だが、次のような叙述を教科書に載せているのには驚き、極めて問題だと感じた。
 日本国憲法の平和主義は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」」したもので、「国際社会の現実」はかかる「全面的な信頼関係には、まだ遠い」ことから、「ときに非現実的だとの批判を受けることもあった。/しかし、…日本の地理的条件は…大きな弱点である。また、日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない。こうした実情を考えると、軍事力によって日本の安全を確保するという考え方の方が、むしろ現実性に乏しいとさえいえるのである/日本国憲法の平和主義は、今こそ人類共通の指針とされるべきものである」。
 まず感じたのは、1.かかる叙述でも、文科省の教科書検定をパスするのか、ということだった。この叙述は、社会民主党のパンフの文と言われても違和感なく読めそうだ、また、九条二項改正反対論に容易につなかっていく。
 これで検定済みとなるのであれば、上の文章とは逆に、<
ときに軍事力によって日本の安全を確保するという考え方は現実性に乏しいとの批判を受けることもあるが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」」した「日本国憲法の平和主義」は「国際社会の現実」から見ると非現実的になっている>との文章でも検定をパスしないとおかしいのではないか。
 つぎに、2.おそらくは浦部法穂が軍事力による安全確保は「むしろ現実性に乏しい」とする論拠は適切だろうか。その論拠は、再述すれば、1.「せまい国土に人口が密集…、…中枢が東京に集中…という地理的な条件は、軍事的観点からは、攻撃目標をしぼりやすいという意味で、大きな弱点だ」、2.「
日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない」の二点だ。
 この人の頭の中の思考経路は「狂って」いるのではないか。上の二つが、<軍事力による安全確保>の政策に反対する理由になぜなるのか。
 とくに2.などは、軍事力をもつこと(なお、今でも「自衛隊」という実質的な軍事力はある)と「
諸外国との友好関係を維持」しようとすることは何ら矛盾していないのに、対立・矛盾するかの如く説く<妄言・暴言>だ
 
1.にしても、軍事力の質・配備の仕方・行使の方法等の問題に還元される問題で、<事力による安全確保>という政策自体を批判する論拠には全くならない
 学者様が<インチキ>を書いている。
 こうした教科書が平然と高校の現場で教えられているのか、上で紹介したような文章を今の高校生が現実に読んでいるのか、と考えると、大袈裟にいえば、身体が震えるような空恐ろしさを感じる。
 大学の学者たちよ、おそらくは浦部法穂よ、決して一般的・客観的ではない自分の主張を、教科書を利用して、その中に潜りこませるな。

0139/島根県教育委員会、日本教育再生機構主催集会の後援を拒否。

 産経5/11によれば(izaなし)、島根県教育委員会は、八木秀次が理事長の日本教育再生機構が主催の島根県内での3月のタウンミーティングの後援依頼を拒否した、という。
 同記事によると主催者側は、島根県教委はジェンダーフリー等の講演は後援しているのにと判断基準を問題にしている。県教委は、八木氏の「主義主張」や日本教育再生機構のパンフの記述内容を問題にしており、一方、八木氏は「思想差別」と憤っているようだ。
 この記事だけからすると、フェミニズムに立つジェンダーフリー関係集会についての後援例があるのだとすると、島根県教委の後援する・しないの基準は合理的ではない。それに今回は主催団体の冊子(パンフ)までチェックしているようだが、従来の全ての後援例について主催団体の冊子(パンフ)を事前にチェックしてきたのだろうか。そうでない事例があるとすれば、「平等」・「公平」な行政とはいえない。
 なお、島根県教委は日本教育再生機構のパンフが日本を「国の中心に一系の天皇をいただいてきた伝統の国」としていることを問題視したようだが、象徴天皇制であっても、「国の中心」という表現は誤りではないだろう。また、八木らの団体は政府が進めている教育改革を民間の立場から「応援」するものの筈だ。
 島根県教委はいったい何を考えているのか。島根県教組(組合)の意向を気にしているのだとすれば、この県の教育委員会事務局も心理的に教員組合の「不当な支配」の下にあるのではないか。
 島根県議会の中にいるだろう「まっとうな」議員たちは、県教委の「後援」の運用についてもしっかりと監視し、問題があれば注文をつけるべきだ。

0134/「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」。日教組を指導した学者は誰か。

 大和撫吉・日狂組の教室(晋遊舎、2007.06)は簡単に読了。
 最後の八木秀次の論稿を読んで改めて感じたのは、教育行政にとっての村山富市社会党首班内閣誕生の犯罪的な役割だ(p.158あたり参照)。
 最後の頁に、八木はこう書く。「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」(p.160)。
 新潟大学教育人間科学部の世取山某は全くの例外ではないのだ。やれやれ。日本史学(+西洋史学)、政治学、社会学、法学の中のとくに憲法学、経済学の一部、の辺りが「左翼の巣窟」と思っていたが、「教育学」もそうだとは私には盲点?だった

 日教組問題全体についていえば、その運動方針・実際の活動内容等を批判していくことも大切だが、私は日教組(・全教)の教員活動家よりも、日本の教育にとって責任のより重い者たちがいる、と考えている。
 それは、戦後、日教組を「理論武装」させ、指導し、唆した、多くは大学に在籍したと思われる、教育学、歴史学、法学、経済学等々の専門をもつ、マルクス主義者たち、又は社会主義者たちだ。
 時代によって変わっている筈だが、大内兵衛などは戦後すぐに労働組合運動全体を「指導」したに違いない。
 現在でも、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが、多くの大学教員又は「知識人」と称される者が教員の「反社会的」あるいは「歪んだ教育」運動を指導し、嗾しているのではないか。
 かつては教育問題に限らない講和問題・安保問題で、「平和問題談話会」に集った知識人・文化人たちが大きな役割を果たした。かつてのこの会等のメンバー名をきちんと特定して記録しておきたい、と思っている。
 現在についても(再述すれば、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが)、個々の組合員又は指導部よりも実質的責任は大きいとも言える「学者」たちの氏名リストを何とか作れないものかと考えている。
 5/10発売の週刊新潮5/17号の高山正之のコラムのタイトルは「学者か」だ。慰安婦問題のデタラメ証言を「信じるのは学者だけだろう」で終わっているのだが、日本を悪くしてきているのは、かなりの部分、大学の「学者」様ではないか。肩書などに欺されてはいけない。

0034/ソ連崩壊等の冷戦終結は資本主義国側にも「重要な原因」があるとの驚愕の現代政治学教科書。

 1991年のソ連崩壊・東欧諸国「自由化」によって冷戦の終結が言われるなど、ソ連・欧州社会主義国の解体は歴史的に極めて大きな意味を持ったはずだが、日本の「知識人」たちにはどれほどの、又はどのような影響を与えたのだろう。
 竹内靖雄・正義と嫉妬の経済学(講談社、1992)p.333以下は、それまで社会主義(又は共産主義)を信奉していた「知識人」たちの対応(「段階的退却」の戦術)には、次の5つがあった(ある)、という。
 1.レーニンまでは正しかった、スターリンから間違った(社会主義自体の敗北ではない)。2.レーニンも間違っていてソ連型社会主義は真の社会主義ではなかった。だが、マルクスは依然として正しく、社会主義にはまだ未来がある(社会主義自体の敗北ではない)。3.そもそもマルクスから間違っていて、社会主義の実験は人類に大きな厄災をもたらした。4.マルクスの社会主義は間違っていたが、西欧・北欧の「民主的社会主義」は正しく、資本主義に代わりうる未来がある。5.いかなる名であっても自由より平等優先の社会主義は誤りだ。
 私は社会主義信奉者ではなかったが、これらのうち、上の3および5の理解だ。4のいう「民主的社会主義」は意味が判らない。フランス社会党、ドイツ社民党、イギリス労働党の理念を「社会民主主義」というとすれば、それは資本主義の枠内のものであって、社会主義の一種とは言えないからだ。
 ところで、日本の政治学者の中には、少なくとも欧州での冷戦終結の意味について、上のいずれの対応をも明示的には採らない、又は上のいずれの理解も明示はせず、実質的には1.又は2.を(おそらくは1.を)前提とし、かつ資本主義国側にも問題・原因があったと考えている人たちがいるようで、驚愕した。次に書くとおりだ。
 105円で買った加茂利男=大西仁=石田徹=伊藤恭彦・現代政治学(有斐閣、1998)という本がある。教養・基礎・専門・高度のうち2番目の「基礎」にあたる現代政治学の大学用教科書のようだ。これの「冷戦終結」の項は次のように書く(執筆は大西仁。同書によると、東京大学卒、東北大学法学部教授)。
 ―冷戦終結の原因はソ連・東欧諸国の「社会主義体制が、国民の経済的要求や政治的自由化を求める要求」に対応できなかったのが「大きい」が、次の「冷戦体制の限界」の「露呈」も「重要な原因」だった。
 1.核戦争の危険から東西対立解消の世論が強まり、東西間の諸交流も拡大した、
 2.米ソの支配体制への不満が高まり両国が抑制できなくなった、
 3.冷戦維持目的の軍事費が経済・技術発展阻害との各国民の不満が高まった(とくに東欧では各種統制への不満が劇的に高まった)(p.199)。
 所謂「冷戦集結」は、私の理解によれば、ソ連共産党が機能不全・国家制御不能の状態になったことにより(日本共産党のために全社会主義国とは言っておかないが)ソ連・東欧諸国が「共産党」一党支配体制から解放され、基本的には日欧米の如き複数政党制・「自由主義」又は「資本主義」体制へと移行を始めたことを意味する。社会主義対資本主義という前世紀の基本的な対立構図で言えば、少なくとも(と日本共産党のために限定をつけておくが)ソ連・東欧諸国において社会主義が敗北したことを紛れもなく意味する。知識人を含む全世界の9割の人々はこれを肯定するのでないか。
 しかるに上の本の書きぶりは何だろう。米国等の所謂西側にも問題があった旨の三点が冷戦集結の「重要な原因」として挙げられている。学者様には独特の見方があるのかもしれないが、これは客観的な認識ではなく、政治的主張だ。
 ソ連の数カ国への分裂、東独の西独による吸収、チェコとスロバキアの分離、これら東欧諸国の多数のEUやNATOへの加盟等は「社会主義の敗北」としてのみ理解できる。そして、喧嘩両成敗的に、西側の国民にも不満が高まった等を敢えて「重要な原因」とするのは、特定のイデオロギーによっているとしか思えない。
 ここでイデオロギーとは、マルクスのいう「空論」・「虚偽意識」という意味でよい(p.142参照)。そして日本でかかる特定のイデオロギーをなお持っている組織・団体の代表は日本共産党だ。上のような説明は、かなり同党の説明に近いし、社会主義一般が敗北したわけではない、資本主義・社会主義ともに危機にあった、との同党の見解にも沿うものだ。
 念のために追記しておくが、この本は冷戦集結につき「社会主義体制」の原因も「大きい」とは一応書くが僅か三行で、東西両陣営に共通する「冷戦体制の限界」が「重要な要因」とする叙述は三段落18行に及ぶ。その後にはこうある-「西側が東側に勝利して終わった」との主張もあるが、「冷戦体制そのものが自壊して冷戦が終わった、という面が強かった」(p.199)。
 この本に「社会主義の敗北」、「社会主義の実験の失敗」といった語が出てくるはずもない。こうした見方は、政治・社会現象を特定のイデオロギーに不利にならないように「認識」しようとするもので、20世紀に生じた世界史的、人類史的出来事の意義を意識的に見逃している。
 上の本は、日本共産党員その他の依然としてマルクス主義者である者によって書かれているのでないか。かかる本によって「現代(国際)政治」のイメージが大学生の脳中に浸み込んでいくとすれば、怖ろしいことだ
 昨日の産経に高校の社会(歴史)の教科書にはまだまだ問題が多い旨の記事がある。それは、教える教師にではなく、教科書の執筆者に問題があるからだ。そして、その教科書の執筆者は、殆どは、大学に所属する教授等の研究者だ。上では偶々政治学の書物を取り上げたが、歴史の教科書を執筆している大学教授らがなおもマルクス主義史観の影響を受けたままであったとすれば、「日本(帝国主義)は悪いことをした」という基調で歴史教科書が書かれることになるのは自然のことだ。教科書を問題にするならば、教科書を使って教える教員よりもむしろ、そのような教科書の執筆者はどういう者たちかを問題にしなければならない。

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