秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日本共産党

1303/日本共産党の安全保障(防衛)政策は?

 一 日本共産党は同党の安全保障(防衛)政策として、2014年の党大会以降、「北東アジア規模」の「友好協力条約」締結などから成る「北東アジア平和協力構想」という提唱しているらしい。
 この条約はアセアンに現在あるものを真似ようというものらしいが、その具体的内容は明らかではない。北東アジアの国家・地域には日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾それにモンゴルがあるが、現状を前提にすれば、これらの国々等が「友好協力条約」を締結することは夢想にすぎない。可能性があるすれば、北朝鮮と中国共産党支配の中国の崩壊があってからだろう。あるいは、親中国・親社会主義の方向で朝鮮半島が統一され、日本にも日本共産党を政権与党とする政府が誕生していれば、不可能ではないかもしれない。だが、そのような朝鮮統一や日本政府の変化を想定することはほとんどできず、したがってこれまたほとんど「夢想」になってしまう。
 要するに、<お互いよく話し合って、仲良くしましょう>という程度の、吉永小百合さまならば思い浮かべるかもしれないような、幼稚な「政策」しか日本共産党は持ち合わせていない、と考えられる。
 そもそもこの政党は、日本の国土と国民の安全を守る、という気概を持っているかどうかが疑わしい。日本共産党の綱領上、「敵」はアメリカと日本の<アメリカ追随>勢力なので、日本の国土と国民の安全を危険なものにしているのはアメリカと日本(内部の一部勢力)だと見なされることになる。したがって、これら以外の諸国からの危険の発生などは想定していないし、多少の知識はあったとしても<見て見ないフリ>をしている、といって過言ではないだろう。
 したがって、この政党が国会論戦等で何を質問し何を主張したところで、<客観的な安全保障環境>の認識、だれが「敵」であるのかの認識が全く異なるのだから、噛み合った、生産的な議論になるはずはない。
 日本共産党と社民党は民主党らが最終的には賛成した場合であっても、これまでのいわゆる有事法制法案等々について、つねに反対投票をしてきた。今次の安保法制の整備についても、いかに丁寧に議論し回答したところで、彼らはすでに結論を用意しているので、ほとんど無意味なことになるだろう。
 二 1970年代に日本共産党は「民主連合政府」なるものを構想していたが、その政権構想の一部として「真に日本の平和と安全の道」、「非同盟・中立」を語っていた。
 その際、日本に対する「侵略」があった場合の「自衛」の方策について、日本共産党もまた何らかのことを語らざるを得なかったようだ。1975年の12回党大会で不破哲三の実兄・上田耕一郎(この時点での政策委員長)は、つぎのように述べた。
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 「万一、中立日本の国際的保障をも無視して侵略があった場合はどうするかという問題が提出されえます。仮定の問題ですが、そうしたさい、すべての民族、国家がもっている自衛権にもとづいて、民主連合政府は、日本の中立をを保障している諸国民と政治的に連帯し、国民とともに侵略者に断固抵抗するでしょう。/このような事態は、現行憲法があまり予定しない事態ではありますが、自衛権が、国家が自国の主権または自国民にたいする急迫不正の侵略をとりのぞくためにやむをえず行動する正当防衛の権利であり、主権国家の基本権の一つとして自衛権が憲法第九条によっても否定されていないことは、すべての憲法学者や国際法学者もみとめているところです。このような急迫不正の侵略にたいして、国民の自発的抵抗はもちろん、政府が国民を結集し、あるいは警察力を動員するなどして、その侵略をうちやぶることも、自衛権の発動として当然であり、それは憲法第九条が放棄した戦争や武力行使でもなく、同条で否認した交戦権の行使や戦力保持ともまったくことなるものです。/憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のことであります。この立場は自民党の解釈改憲の立場とはまったく無縁のものです」。(/は改行)
 以上、吉岡吉典・有事立法とガイドライン(新日本出版社、1979)p.286-7による。
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 自衛隊設立時の政府解釈の言明ともよく似て、最後の一文を除いて、日本共産党もなかなか立派なことを述べているではないか。「憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のこと」なのだ。「自衛権」は、「国家が自国の主権または自国民にたいする急迫不正の侵略をとりのぞくためにやむをえず行動する正当防衛の権利であり、主権国家の基本権の一つとして…憲法第九条によっても否定されていない」のだ。
 もっとも、国民のゲリラ的活動に任せるという無責任なことは言っていないのはよいが、「警察力を動員するなどして」とか「可能なあらゆる手段を動員して」とか述べるだけで、どのような組織・手段を国家があらかじめ用意しておくかについては具体的に述べているわけではない。九条2項にいう「戦力」ではない実力組織の保持の明確な容認まであと一歩まで近づいているが、そこまで立ち入っていない。
 これらのことよりも興味を惹くのは、上のような見解においても、合憲的な「自衛権」の行使か、憲法上許されない実力の行使かという問題が当然に生じうる、ということだ。
 日本共産党は近年、「海外で戦争できる国家」うんぬんと安倍政権が進める安保法制の整備に反対し、そして一般国民からすれば細かいあれこれを政府に糺して批判したりしている。しかし、かりに日本共産党が今日でも上の上田耕一郎(当時の政策委員長)の見解を維持しているとすれば、日本共産党の考え方においても、つねに<自衛権の行使>かそれを超える実力の行使(あるいは「戦闘」行為)かという問題は生じるのであり、この問題についての詳細な回答を、日本共産党自身は用意しているのだろうか。これは同党に対する基本的な疑問だ。
 安倍政権が進める安保法制整備に反対するのならば、「国家の主権と独立、国民の生活と生存」を守るための対案が必要なのではないか。自民党中心政権、安倍晋三内閣がしていることだから反対する、では合理的で正当な理由にならないのではないか。
 それとも、「戦争・武力行使・武力による威嚇と軍事力を根底から否認する」立場(日本共産党・森英樹)、あるいは「徹底した恒久平和主義」の堅持(日弁連会長・村越進)とは、「自衛権」の行使という<実力の行使>をもいっさい否認するものなのだろうか。そうだとすれば、上田耕一郎の上の叙述は今日の日本共産党には継承されていないことになる。日本共産党や日弁連会長には答えていただきたいものだ。

1302/歴史関係団体「性奴隷」声明と日本共産党。

 一 歴史科学協議会(れっかきょう)などの歴史関係団体の2015.05.25声明は、<日本軍による「慰安婦」強制連行>は「事実」だとしていわゆる河野談話を擁護するとともに、朝日新聞や元記者の植村隆を明確に応援している。
 その場合に「強制」はどのような意味で理解されているかが問題だが、次のように述べている。
 「強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(…)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである」。
 また、「慰安婦」とされた女性は「性奴隷」だったと述べたのち、次のように述べている。
 「近年の歴史研究は、動員過程の強制性のみならず、動員された女性たちが、人権を蹂躙された性奴隷の状態に置かれていたことを明らかにしている。さらに、『慰安婦』制度と日常的な植民地支配・差別構造との連関も指摘されている。たとえ性売買の契約があったとしても、その背後には不平等で不公正な構造が存在したのであり、かかる政治的・社会的背景を捨象することは、問題の全体像から目を背けることに他ならない」。
 つまり、「動員過程の強制性」がある場合のみならず、「たとえ性売買の契約があったとしても」、背後の「不平等で不公正な構造」・「政治的・社会的背景」を捨象しないで理解すれば、「強制」だった、と言っているようだ。
 このような「強制」概念の用法は、当初の概念の拡大・変質であり、かつ問題の本質をはぐらかすものだ。
 すなわち、もともとの問題・争点は、日本国家・日本軍による<慰安婦>とするための女性の「強制」連行があったか否か、もう少しだけ広く言っても、日本国家・日本軍によって<慰安婦>となるよう「強制」された女性がいたか否か、だったはずだ。
 にもかかわらず、この声明では、「本人の意思に反した連行」はすべて日本国家・日本軍によるものであるかのような不当な叙述をしており、また、背後に「日常的な植民地支配・差別構造」がある場合の「性売買の契約」もまた日本国家・日本軍による「強制」だったと理解している。
 ほとんどが日本共産党系団体だと思われるので別に驚きはしないが、「本人の意思に反した連行」はすべて日本国家・日本軍の「強制」、そして私人間の契約(あるいは私人間の勧誘・働きかけ等)であってもすべて日本国家・日本軍の「強制」だったというのだから、無茶苦茶だ。とても「歴史」を正視しているとは思えない。
 二 このような声明がなぜ出されのか。おそらくは、日本共産党中央による、歴史関係団体に属して役員等になっている同党構成員=日本共産党員に対する働きかけがあったものと思われる。したがって、たんに日本の大学の文科系学部の実態を問題視するだけでは足りないようだ。
 2014年08月以降、ネット情報によると、日本共産党の小池晃らは、次のような発言をしている。
 2014.08.10のフジテレビ番組で小池晃-「(「慰安婦」問題で問われている)強制性というのは、無理やり連れて来たかどうかという手段だけの問題ではない。甘言や人身売買などで、本人の意思に反して連れてくれば、それは強制です」。これは後日、新聞・赤旗に掲載されている。
 この部分は、上の声明における「強制」概念の用法とほとんどか全く同じだ。
 「甘言や人身売買などで、本人の意思に反して連れてくれば、それは強制」だ、というのは一瞬は分かりやすい表現かもしれない。<意思に反して=強制して>というのは通りやすいかもしれない。しかし、問題の本質は、「甘言や人身売買などで、本人の意思に反して連れてく」ることが日本国家・日本軍によってなされたか否かだ。日本共産党・小池晃の発言にはゴマカシ、あるいはペテンがある。
 なお、2014.10.21の国会委員会で山下芳生-「ひとたび日本軍『慰安所』に入れば、自由のない生活を強いられ、強制的に多数の兵士の性の相手をさせられた、性奴隷状態とされた事実は、動かすことができない」。
 ここでは「慰安所」内のことに「強制」という語が使われている。これまた、問題の本質をゴマカすものだ。
 ややはずれるが、このような言い方をすれば、当然に、小池晃や山下芳生は日本共産党(の上位者)によってこのような発言をするようにきっと「強制」されたのだろう、ということになる。
 三 というわけで、必ずしもはっきりはしないが、上の声明と日本共産党・小池晃発言は対応している。
 日本共産党・小池の発言内容を支持し補強するために歴史関係団体の声明が使われている、という見方をすることは不可能ではない。
 また、あらためて言えば、重大なのは、上の声明が「強制」の有無の判断に、「日常的な植民地支配・差別構造」、背後の「不平等で不公正な構造」、かかる「政治的・社会的背景」を持ち込んでいるこんでいることだろう。
 こんな論法を採ることが許されるならば、戦時中の現象はすべて日本国家・日本軍の「強制」だったということも可能になってしまう。呆れてしまう物言いだ。
 さらには、次のようにも言える。上の声明は、<戦後日本>の現在の、日本共産党が公然と存在する「政治的・社会的背景」のもとで、日本共産党によって「強制」されたものだ。そのような「強制」に喜んで従っているのかもしれないが。

1299/日本共産党「海外で戦争できる国…」は2005年に。

 一 日本共産党の「海外で戦争できる国づくり」反対のポスターは、昨年末の総選挙時に初めて見かけたように思う。では「日本国領域内での戦争」ならばよいのか、と皮肉りたくなったものだったが。
 もっとも、このような決めつけ、レッテル貼りを、日本共産党は遅くとも2005年には行なっている。
 志位和夫・日本共産党はどんな党か(新日本出版社、2007)は、小泉純一郎首相時代の2005年に自民党第一次憲法改正草案が現九条2項の削除と「自衛軍」保持の明記を掲げたことに論及して、「憲法九条をかえる」、「とくに九条二項」の「戦力」不保持条項を変えて「自衛軍がもてる」ようにする「憲法改定の…ねらい」は、「海外での武力の行使」を可能にすること、「海外で戦争する国」にすることだ、という旨を明記している(p.57)。志位によれば、小泉首相はこの狙いを「ひた隠しに隠」しており、それは「一番知られたくないこと」なのだそうだ(同上)。
 また、上の書p.62は、志位和夫が2005年05月の時点で、<九条2項削除・自衛軍保持>の憲法改正は日本を「海外で戦争をする国」に「つくりかえることに道を開くもの」だと述べたことも記している。この「からくり」を「しっかり見破る」ことが大切なのだ、という(同上)。
 憲法改正(九条2項削除等)ではなく集団的自衛権行使容認等の憲法解釈をふまえた安保法制の整備に反対してであるが、日本共産党は遅くとも10年前には、現在と同じことを言っている。
 「戦争反対」について言えば、厳密には、自衛目的の正当な戦争もあると考えるので、「戦争」一般をすべて<悪>として否認する考え方は採らない。おそらくは日本共産党も、社会主義国の核は善、資本主義国の核は悪と見なしてきた時代もあったくらいだから、厳密には「戦争」一般を<悪>だとは考えていないはずだ。
 にもかかわらず「戦争」一般が<悪>であるかのごとく主張しているのは、第一に、日本国民に根強い<反戦・平和>の感情に媚び、それを取り込んで自分たちの勢力を少しでも拡大したいからだろう。
 あるいは第二に、自分たちとは異なる勢力が起こす「戦争」はつねに<悪>だ、と見なしているからだろう。自分たちとは異なる勢力とは、より正確には、日本共産党が綱領上「敵」と見なすアメリカ(帝国主義)とそれに従属した日本の「反動」勢力(>日本独占資本)だ。
 このような<堅い>考え方をしている政党の党首等と議論・討議しても、本当は時間が無駄なだけだ。建設的・生産的な議論になるはずがない。安倍首相らには、適当に(あるいは適切に?)<お相手をしてあげて>、とだけ申し上げたい。
 二 2015年05月28日の衆院平和安全法制特別委員会で、民主党の辻元清美は「日本が戦争に踏み切る基準の変更について議論しているのか」と質問の冒頭で述べたらしい。また、同党の後藤祐一は、「この法案は石油を求めて戦争を可能にする法案なのか」と述べたらしい。
 「戦争」という語を平気で用いて、国民の不安を煽っているのだろうこの二人のメンタリティもまた、日本共産党のそれとほとんど異ならないようだ。まともに議論しても、回答しても、おそらく意味がない。
 三 質疑の内容については、古森義久産経新聞5/30の「緯度経度」欄で「安保法制、日本の敵は日本か」と題して語っていることに、ほとんど異論はない。
 もっとも、古森の上のような適切な分析と批判を行なっても、日本共産党には何ら意味がないようだ。
 日本共産党は1998年に中国共産党と関係を修復して<社会主義をめざす>友好党になっている。中国共産党が率いる中国を正面から批判するはずがない。「日本を軍事的に威嚇し、侵略しようとする勢力」への「歯止め」(古森)をこの政党が問題にするはずがない。この政党にとってのリスク、いや「敵」は、上記のとおりアメリカと日本の安倍晋三たちなのだ。民主党の中にも、同党に移ってもよいような議員がいるのだろう。 

1294/日本共産党のデマ-安倍首相らは「ネオナチ」か。

 デマゴギーとは、政治的目的をもって、または政治的効果を狙って、意図的に発信・流布する虚偽の情報のことらしい。略して、デマ。これを行なう者をデマゴーグという。
 日本で歴史上も現在でも最大の、手のこんだデマゴギー流布団体は、日本共産党だ。
 マルクス(・レーニン)主義自体が、古代史家の安本美典が適切に、端的に語るように、<大ホラの体系>だろう。これを「科学的社会主義」と言い換えていること自体、「科学」を愚弄するデマゴギーだと言える。
 日本共産党・不破哲三が前衛2015年3月号で、安倍晋三首相らを「日本版『ネオナチ』そのものだ」と言っている(p.135)。あるいは、「安倍内閣-…日本版『ネオナチ』勢力」という見出しをつけている(p.131)。
 このように断定する論拠は何か。つぎのような論旨の展開がある。
 ①河野談話や細川護煕首相の1993.08の「侵略戦争」発言に危機感をもった自民党内「戦争礼賛」派が同月に党内に「歴史・検討委員会」を作った。当選1回生の安倍晋三も参加した。
 ②上の委員会は1995.08に検討結果を著書・大東亜戦争の総括(展転社)でまとめた。この戦争の呼称自体が戦争を「美化」するもので、同書は、「アジア解放と日本の自存・自衛の戦争、正義の戦争」だったとし、南京事件も慰安婦問題も「すべてでっち上げ」だとした。
 ③かかる「戦争礼賛」論を教育に持ち込むために「礼賛」派を集めてその戦での歴史教科書づくりを始めた。新しい歴史教科書をつくる会発足が1996.02。
 ④上の運動を「応援」する国会議員団〔名称省略〕を1997.02を発足させ、事務局長に安倍晋三がなった。2001.01に「戦争美化」のつくる会教科書が文部省の検定に合格した。
 ⑤このように、安倍晋三は「戦争礼賛」の教科書づくりの「張本人」。要職を経て、「大東亜戦争」肯定論という「異様な潮流の真っただ中で育成され、先輩たちからその使命を叩き込まれて」、2006年に首相になった。
 ⑥政権と自民党を安倍晋三を先頭とする「戦争礼賛」の「異様な潮流」が「乗っ取った」状態にあるのが現在。
 ⑦上の潮流に属する「ウルトラ右翼の団体」のうち、「最も注目」されるのは、「日本会議」と「神道政治連盟」。それぞれ国会議員懇談会をもち、安倍晋三は首相就任後も前者の特別顧問、後者の会長だ。また、第二次安倍内閣の閣僚は全員かほとんどが上のいずれかに属しており、内閣は「ウルトラ右翼」性をもち、「侵略戦争の美化・礼賛一色の内閣」だ。
 ⑧「ネオナチ」とは要するに「ヒトラーの戦争は正しかった」というもの。
 ⑨安倍首相中心の日本の政治潮流は「ヒトラーと腕を組んでやった日本の侵略戦争」を「あの戦争は正しかった」と言っているのであり、「主張と行動そのもの」が「ネオナチ」と「同質・同根」。あの戦争を「礼賛」する「安倍首相率いるこの異質な潮流こそ、日本版『ネオナチ』そのものだ」。
 さて、間にいくつかのことを挿んでいるが(新しい歴史教科書をつくる会を結成させたのは自民党(の一潮流)という書き方だが、事実に即しているのだろうか。それはともかく)、安倍首相らは「ネオナチ」だとするその論旨は、A/安倍らはあの戦争を「美化」・「礼賛」している。B/あの戦争は「ヒトラー〔ナチス〕と腕を組んでやった」ものだ。C/したがって、安倍らは「ネオナチ」だ、という、じつに単純な構造を取っている。
 不破哲三とはもう少しは概念や論理が緻密な人物かと思っていたが、上の論理展開はヒドいだろう。政治的目的をもって、政治的効果を狙って、あえて虚偽のことを述べている、と思われる。
 まず、上のAは適切なのか。物事を、あるいは歴史を、単純に把握してはいけないことは、別の問題については、日本共産党はしきりと強調している。戦争の「美化」・「礼賛」とだけまとめるのは、単純化がヒドすぎる。
 大東亜戦争の総括(展転社)を読む機会を持ってはいないが、安倍首相らの<歴史認識>がこれほどに簡単で単純なものとは到底考えられない。たしかに、日本共産党のような?GHQ史観または東京裁判史観にそのまま立ってはいないだろうが、もう少し複雑にあるいは総合的に、あるいは諸局面・諸要素ごとに判断しているように思われる。
 また、例えば、より具体的には、安倍首相らの「潮流」に属する団体としてとくに「日本会議」が挙げられているが、田久保忠衛は同会の代表役員であるところ、田久保・憲法改正最後のチャンス!(2014、並木書房)を読んでも、-この点は別の機会にも触れるが-田久保があの戦争を全体として「美化」・「礼賛」しているとは到底感じられない。長谷川三千子も同じく代表役員だが、GHQ史観・東京裁判史観に批判的だったとしても、あの戦争を単純に「美化」・「礼賛」しているわけではないだろう。
 さらに、今手元にはないが、初期のいわゆるつくる会の歴史教科書を読んだことのある記憶からしても、まだ十分に<自虐的>だと感じたほどであり、あの戦争の「美化」・「礼賛」一色で叙述されていたとは到底思えない。そのような教科書であれば、そもそも、検定には合格しなかったのではないか。
 いずれにせよ、安倍首相らを批判し、悪罵を投げつけたいがための、事実認識の単純化という誤り(虚偽)があると考えられる。批判しやすいように対象や事実を単純化して把握することによって、じつは、存在しない異なる対象や事実を批判しているにすぎなくなる、というのはデマ宣伝にしばしば見られることだ。
 つぎに、ドイツ(・ナチス)と<腕を組んだ>戦争という、あの戦争の理解は適切なのか。なるほど、日独伊三国同盟というものがあった。しかし、日本とドイツは共同しての戦闘は行っていないし、その同盟の意味は時期によって異なる。ドイツ(・ナチス)と「社会主義」ソ連が「腕を組んだ」時期もあったのだ。また、政府ではないにしても、南京事件に関してドイツ人の中には<反・日本>で行動した者もあったことはさておくとしても、<保守派>の中には、ドイツと同盟したことを批判的に理解する者もいる。「日本会議」や「神道政治連盟」の役員の中にも、そういう論者はいるだろう。
 詳しくは歴史あるいは日独関係の専門家に任せるとして、<ドイツ・ナチスと手を組んだ戦争を「礼賛」しているから「ネオナチ」だ>というのは、子供だましのような幼稚で杜撰な論理だ。安倍首相らを批判し、悪罵を投げつけたいがための、論理展開の単純化という誤り(虚偽)があると考えられる。
 このような論法を日本共産党について採用したらどうなるのだろうか。上の論理よりももっと容易に、「ネオ」大粛清組織、「ネオ」大量殺戮組織、「ネオ」人さらい組織、「ネオ」侵略戦争支持組織、等々と批判することができる。
 「ソ連型社会主義」とか称して、誤りはあるものの(生成途上の)「社会主義」国だと見なしていたはずのソ連を、1991年末にソ連が崩壊した後では平然と<社会主義国ではなかった>と言い繕えることができるように、「ウソ、ウソ、ウソ」を得意とするコミュニスト集団・日本共産党のことだから、別に驚きはしない。言ったところで無駄だろうが、いちおう言っておきたい。党員と熱心なシンパにだけ通用するような、幼稚で単純なデマを撒き散らすな。
 

1288/「進歩的文化人」は死滅したかー福田恆存、竹内洋らによる。

 福田恒存に、「進歩的文化人」と題する小稿がある。50年前の1965年に読売新聞に連載していた随筆ものの一つだ。そこに、こうある。
 「私がいつも疑問に思うことは、他国の事はいざ知らず、日本が共産主義体制になることを好まない人でも、結果としてはそうなる事に、少なくともそうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事である。そういう人を『進歩的文化人』と呼ぶと定義しても良いくらいだ。その事を当人は意識しているのかどうか」(新字体等に改めている。福田恒存評論集第十八巻p.123(2010、麗澤大学出版会))。
 これによると、「進歩的文化人」とは、当人が「意識しているのかどうか」は別として、また「日本が共産主義体制になることを好まな」くとも、「結果としては」「日本が共産主義体制になる」「可能性を助長する様なことに手を貸している」人、ということになるだろう。
 福田恒存はこのあともいくつかの文章を挿んでいるが、-むろん「進歩的文化人」なるものに批判的なのだが-分量が少ないこともあって、正確な趣旨は必ずしも掴みがたい。ともあれ、「筋金入りの共産主義者は別」として、「進歩的文化人」の中の「その大部分の良識派」はつねに建前としての真実・正義(偽善?)を語っていて、読者もそれを好み、かくして「洗脳」は無意識に行われる、というようなことを書いている(p.124)。
 この福田恒存の文章は独自に発見したのではなく、竹内洋・革新幻想の戦後史(2011、中央公論新社)の中で言及されていたので原文を探してみたのだった。しかし、よくあることだが、この竹内著のどの箇所で言及されていたのかが今度は分からなくなってしまった。その代わりに、「進歩的文化人」にかかわるあれこれの面白い叙述や文章引用を見つけた。
 竹内の生年からすると1960年代初めだろう、<福田恒存はいいぞ>とか言ったら「この人右翼よ」と言われたとかの実体験(?)の記載があるなど、上記の竹内著は-学問的労作と随筆文の中間あたりの-、戦後史を知る上でも興味深い書物で、この欄でも何度かすでに触れたかもしれない(仔細を逐一確認しないままで、以下書く)。
 「進歩的文化人」の定義としては、古く1954年の雑誌上のものだが、高橋義孝のそれが詳しい(竹内の引用による。p.316)。
 それをさらに少し簡潔にすると、①「大学の教師をして」いる、②「共産党乃至は社会党左派の同調者」、③「新聞雑誌によくものを書」く、④「よく講演旅行」をする、⑤「本当の政党的政治活動をしているような口吻」をときに漏らすが実際は一度か二度「選挙の応援弁士」になった程度、⑥とくに若い人たちの「自分の人気を気にかけ」、いつも「寵をえていたい」と思っている。
 部分的には似たようなことを、「非常に左翼的なことを言って」いながら「党員」になったり「組織に足をいれ」ることなく、生活態度は「ブルジョア的で非現実的な人々が多い」、と言う論者もある(あった)らしい(p.319-320)。
 また、上の高橋義孝の定義の別の一部について、臼井吉見は1955年に、こう述べたらしい。
 「将来の世界は社会主義の方向に進むに違いないとの情勢判断に基づいて、すべての基準を、つねに将来の方向におき、そこから逆に現実を規定し、判断するという、一種独特の思考方式にすがって怪しまぬ」(p.317)。
 また、竹内は「進歩的文化人」と共産党との関係にも論及していて、「共産党神話の崩壊」によって「進歩的文化人」批判は勢いを増したが、一方で<非共産党的(進歩的)文化人>の存在感も大きくした、あるいは共産党「同伴」知識人だったものが、共産主義・共産党という中心のない「市民派」知識人が独自に出てきた(代表は丸山真男)、というようなことも書いている(p.317-320あたり)。
 そして、竹内によると、「進歩的文化人に引導を渡したのは」、保守派ではなく「ノンセクト・ラジカル」だった、ということになるらしい(p.323)。
 面白いが、しかし、「共産党神話の崩壊」とは1955年の共産党六全協での極左冒険主義批判、1956年のソ連でのスターリン批判によるものを意味するのだから、かなり古い。2015年の今日、「共産党神話」は完全になくなっているだろうか。
 また、「ノンセクト・ラジカル」とは1970年代初頭の「全共闘」またはその一部を指しているので、これまたかなり古い。「進歩的文化人」に対する<引導の渡し>は終わっているのだろうか。
 たしかに、「進歩的文化人」という言葉はもはや死滅していると言ってよいのかもしれない。清水幾太郎や丸山真男らが活躍(?)していた頃とは、時代がまったく異なる、と言える。但し、竹内も「悪いやつには怒り可哀想な人には同情する」テレビのキャスター・コメンテイターのうちに「進歩的文化人」の後裔または現代版を見ることを完全には否定していないようだ(p.306-310)。
 テレビのキャスター・コメンテイターにまで広げなくとも、上のように定義され、特徴をもつ「進歩的文化人」は、言葉はほぼ消失していても、今日でもなお存在し続けていると思われる。
 そこでの要素は、①大学の教師でなくてもよいが、一定の「知識人」層と俗世間的には見られているような人、②社会主義・共産主義を嫌悪せず、無意識的であれ<許容・容認>している人、これとほぼ同義だが歴史は一定の「進歩的」方向に進んでいると考える、又はそう進ませなければならないと考える人、③何らかの「声明」に加わることも含めて、見解・主張の発表媒体を持っている人、ということになろうかと思われる。
 最近にこの欄で取り上げた人々を例にとれば、集団的自衛権行使容認閣議決定に対する反対声明を出している憲法学者たち、特定秘密保護法に反対する声明を出していた憲法学者・刑事法学者等たちは、ずばりこれに該当するようだ。
 その場合に日本共産党との関係に興味がもたれてよい。かつては「左翼」には社会党系、共産党系、それ以外の<純粋「市民」派>とがあったと言えるだろうが、日本社会党の消滅とそれに代わる社民党の力不足もあって、相対的には日本共産党系の力が強くなっているように見える。旧社会党系の一部を吸収した非・反共産党の<民主党左派>系「左翼」もあるのだろうが、しかしかつての社会党系が日本共産党に対する独自性をまだ発揮できていたのと比べれば、今日では日本共産党との<共闘>に傾いているように見える。
 そして、上記の憲法学者・刑事法学者たち等は、日本共産党系「左翼」であり、<共産党系進歩的文化人>だと言ってよいだろう。
 日本共産党機関紙・前衛の巻頭あたりにしばしば登場している森英樹も含まれているし、逐一確認しないが、かつて紹介したことのある、日本共産党系法学者たちの集まりである「民主主義科学者協会(民科)法律部会」の会員である者が相当数を占めているものと思われる。ひょっとすれば、ほとんど全員がそうであるかもしれない。もっとも、樋口陽一のように、元来は非共産党的「左翼」知識人・学者ではないかと思われる者も声明に加わっているように、ゆるやかであれ<容共>=「左翼」の者が賛同者ではある。かつては、日本共産党又は同党系と協調・共闘することを潔しとはしない「左翼」も存在したと思うが、叙上のように、その割合は今日では相当に落ちているようだ。
 「九条を考える会」もまた、大江健三郎に見られるように、元来は日本共産党系とは言えない運動の団体だったかもしれないのだが、日本共産党の<積極的に中に入っていく>方針に添って、今日では実質的には日本共産党系の団体・運動になっていると言ってよいだろう。旧社会党系であれ「市民」派であれ、共産党との共闘を厭わなくなってきているのだと思われる(これはかつてと比べれば大きな違いかと思われる。それだけ、「左翼」全体の量が減っているのかもしれない)。
 というわけで、共産主義・社会主義「幻想」と「進歩」幻想を基本的には身につけたままの「進歩的文化人」はまだ死滅しておらず、この人たちとの「闘い」をまだ続けなければならない。
 むろんこのように言うことは、上に挙げたような人々が日本共産党員ではない「進歩的文化人」にとどまっている、ということを言っているのではない。「進歩的文化人」の中核にはしっかりと、かつ量的にも多く、「筋金入りの共産主義者」である日本共産党員が相当数座っている。本当に闘わなければならない対象は、この者たちだ。
 そして、「日本が共産主義体制になることを好まない」人で、かつ客観的には「そうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事」に気づいていない「進歩的文化人」がいるとすれば(単純に、<戦争反対・民主主義>のためだと考えている人も中にはいるだろう)、その人たちには、できるだけ早くこのことに「気づいて」いただく必要がある。このあたりは、<民主主義・自由主義・平和主義>と<社会主義(・共産主義)>との関係にかかわってもっと論述する必要があるのだが、すでに何度も触れてきていることでもあり、とりあえず、このくらいにせざるをえない。

 

1229/共産主義者は平然と殺戮する-日本共産党と朝鮮労働党は「兄弟」。

 北朝鮮で張成沢の「死刑」執行される。死刑とはいってもいかなる刑事裁判があったのかはまるで明らかではなく、要するに、<粛清>であり、共産主義・独裁者の意向に反したがゆえの<殺戮>だ。
 日本共産党は現在はいちおう紳士的に振るまっているが、歴史的には目的のためには殺人を厭わないことを実践したこともあった。宮本賢治は暴行致死という一般刑罰も含めて網走刑務所に十年以上収監されていた。1950年前後には分裂していた日本共産党の一方は、公然と<武力>闘争を行った。
 1961年綱領のもとで、不破哲三の命名によるいわゆる「人民的議会主義」という穏健路線をとり、また綱領では明確に<社会主義・共産主義>社会をめざすと謳いつつ、とりあえずは<自由と民主主義>を守るとも宣言した。
 だが、だいぶ前に書いたことがあるが、現在の日本共産党員でも、その「主義」に忠実であるかぎりは、自分たちの「敵」の死を願い喜ぶくらいの気持ちは持っており、誰にも認知されない状況にあれば、例えば何らかの事故で「死」に貧しているのが「敵」の人物である場合は、救急車を呼ぶことなく放置し、「死」に至らせてよい、という気分を持っている、と思われる。
 生命についてすらそうなのだから、彼らが「敵」あるいは「保守・反動」と見なす者の感情を害するくらいのことは、これに類似するが<精神的にいじめる>くらいのことは、日本共産党員は平気で行ってきたし、現に行っている、と思われる。
 そのような共産主義者のいやらしさ・怖さを知らないで、日本共産党員学者が提案した声明類に賛同する、結果としてはあるいは客観的には<容共>の大学教授たちも日本には多くいるのだろう。
 20世紀において大戦・戦争による死者数よりも共産主義者による殺人の方が多く、ほぼ1億人に昇ると推定されている(政策失敗による餓死等による殺戮、反対勢力の集団的虐殺、政治犯収容所に送っての病死・餓死、政敵の<粛清>等)。
 「権威主義」は<リベラル>に極化すれば<社会主義(共産主義)>、<保守>に極化すれば<ファシズム>になる。という説明をする者もいる。ハンナ・アレントは<全体主義・ファシズム>には「左翼」のそれである<社会主義(共産主義)>と「右翼のそれである<ナチズム>があるとした。社会主義(共産主義)とファシズム(または全体主義)は対立する、対極にある思想・主義ではなく、共通性・類似性があるのだ。
 また、日本共産党が今のところは「民主主義」の担い手のごとく振るはってはいても、それは「民主主義」の徹底・強化を手段として社会主義(共産主義)へ、という路を想定しているためであり、「真の民主主義」の擁護者・主張者だなどというのは真っ赤なウソだ。フランス革命は<自由と民主主義、民主主義>の近代を生み出したとはいうが、そこでの民主主義の中には、早すぎた<プロレタリア独裁>とも言われる、ロベスピエールの、政敵の殺戮を伴う「恐怖政治」(テルール)を含んでいた。そしてまた、マルクスらの文献を読むと明記されているが、マルクス主義者はフランス革命の担い手に敬意を払い、レーニンらはそれにも学んでロシア革命を成功させた。民主主義の弊害の除去・是正こそ重要な課題だと筆者は考えるが、「民主主義」の徹底・強化を主張する、「民主化」なるものが好きな日本共産党は、市民革命(ブルジョワ革命)から社会主義革命への途へ進むための重要な手段として「民主主義」を語っているにすぎない。北朝鮮の正式名称が「朝鮮民主主義人民共和国」であるように、彼らにとっては「民主主義」と「共産主義」は矛盾しないのだ(だからこそ、<直接民主主義>礼賛というファシズム的思考も出てくる)。
 日本共産党員学者に騙されている大学教授たちに心から言いたい。対立軸は「民主主義」対「ファシズム(または戦前のごとき日本軍国主義)」ではない。後者ではなく前者を選ぶために日本共産党(員)に協力するのは、決定的に判断を誤っている。
 日本での、および世界でもとくに東アジアでの対立軸は、<社会主義(共産主義)>か<自由主義>かだ。誤ったイメージまたはコンセプトを固定化してしまって、共産主義者・日本共産党を客観的には応援することとなる<容共>主義者になってはいけない。
 日本共産党はコミンテルンの指令のもとで国際共産党日本支部として1922年に設立された。日本共産党に32年テーゼを与えたソ連共産党の実権はとっくにスターリンに移っていた。北朝鮮が建国したときにはコミンテルンはなくなっていたが、その建国時に金日成を「傀儡政権」の指導者としてモスクワから送り込んだのは、スターリンだった。
 してみると、日本共産党と「傀儡政権」党だった朝鮮労働党は<兄弟政党>であり、後者ではその後「世襲」により指導者が交代して三代目を迎えていることになる。
 歴史的に見て、日本共産党は北朝鮮の悲惨さ・劣悪さ・非人道ぶりを自分たちと無関係だなどとほざいてはおれないはずだ。まずは、マルクス主義・共産主義自体が誤りだったとの総括と反省および謝罪から始めなければならない。
 だが、ソ連が消滅してもソ連は「(真の)社会主義」国家ではなかったと「後出しじゃんけん」をして言うくらいだから、中国共産党や朝鮮労働党が崩壊・解体しても、いずれも「(真の)社会主義・共産主義」政党ではなかった、と言いだしかねない。なおも<青い鳥>のごとき<真の社会主義・共産主義>社会への夢想を語り続けるのかもしれない。もともと外来思想であって、日本人の多数を捉えることができるはずのない思想なのだが、それだけ、<マルクス幻想>、ルソーの撒き散らした<平等>幻想は強い、ということなのだろう。

1203/日本共産党ちょうちん記事一面の産経新聞は<保守>派の新聞か?

 〇月刊WiLL10月号(ワック)で金美齢が言及しているので(p.235)、確認してみると、産経新聞8/05の記事に以下がある。ウェブ上では紙面構成が分からないが、金美齢によると、これが当日朝刊の「一面トップ」だったらしい。

 タイトルは「『時代は共産」本当? ネット戦略、若返り奏功」で、日本共産党をもってきている。批判的にか? いやいや、そうではなく、産経新聞らしさはどこにあるのか、と感じる。

 本文は「共産党が俄然、活気づいている。7月の参院選では12年ぶりに選挙区で議席を獲得し、総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」から始まる。そして「自民、公明はイヤで民主もコリゴリ。日本維新の会もダメ。こうなりゃ共産に入れるしかない-。こんな心理が有権者に働いた可能性がある」で終えている。

 「保守」とは私の理解では、まず「反共・反共産主義」・「反コミュニズム」だ。そういう観点からすると「保守」派新聞は、日本共産党に対して、批判的・警戒的な見方をする、客観的事実もふまえた記事を載せる必要がある。参議院選挙の分析の一つのつもりかもしれないが、上の記事は誇張すれば、日本共産党の<ちょうちん記事>だ。

 参議院選挙の分析としても間違っている。「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」と評価しているのは、朝日新聞、毎日新聞らと何ら異なるところはないようだ。本当にそうか?

 〇今年7月の参院議員選挙での、①獲得議席数は、日本共産党8だが、日本維新の会も8、みんなの党もまた8だった。あとの二つがもっと多い議席獲得の予想もあっがゆえに、また日本共産党が近年はあらゆる選挙を通じて低減傾向を示していただめに、当初の予想に反して意外に日本共産党が健闘したという印象はあるが、客観的な数字は、日本維新の会、みんなの党、日本共産党は同じだ。

 ②非改選を含む公示前議席数数との当選者数+非改選者数を比べてみると、日本共産党は6→11と確かに増やしたが、維新の会は3→9で、増加数は共産党の5を上回る6だ。みんなの党も13→18で共産党と同じく5を増やした。
 いったいどこを見て、産経新聞記者(高木桂一・楠城泰介の署名あり)、日本共産党が「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」と言えるのか。とても正常な判断能力をもつマスコミ人間とは思えない。

 「総崩れ」した野党は民主党(86→59、新規は17)、生活が第一(8→2、新規は0)、みどり(4→0)、社民党(4→3)等であり、「野党」すべてではない。

 〇反日本共産党、反コミュニズムの意識がないか弱いテレビ局の中には「躍進」した日本共産党に着目して、志井委員長や党本部を紹介する番組中の一コーナーを作ったものもあった。産経新聞の感覚は、そのようなテレビ局と何ら異ならないようだ。

 繰り返しておく。増加数では日本維新の会の方が上。現在の議席数はみんなの党18に対して日本共産党は11。明らかにみんなの党の方が上だ(日本維新の会は元来今の数が少ないことがあり、9)。

 またくり返す、高木桂一、楠城泰介よ、日本共産党が「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」とは不真実の報道、捏造報道ではないか

 〇日本共産党も、志井和夫をはじめ、「勝利」した、と総括したらしい。これもバカな話だ。

 両院の一つにすぎないことは別としても、参議院の総定員242名中の11(改選に限ると総数121名のうち8)を獲得した程度で、いったいどこが「勝利」なのか、総定員の5%弱を獲得して本当に喜んでいるとすれば、無邪気なものだ。いや、アホだ。

 日本共産党は1922年に国際共産党(コミンテルン)日本支部として設立されてから、何と100年以上の歴史を持つ。現在の路線の基礎になった綱領を採択したのが1961年だったから、そこから起算しても50年を超える。それほどの長い歴史をもつ、従って長々と日本国民にその政策・主張を訴え続けてきた政党だ。
 しかるに、数年前にできたみんなの党や昨年末に結成されたばかりの日本維新の会と同数の当選者8名しか出せなかったのは恥ずかしいことであり、嘆かわしいことではないのか。

 いったいいつ、日本共産党が目指す「民主主義革命」とそれが連続的に発展する「社会主義革命」が日本に起こるのだろうか。日本共産党は共産主義社会を志向する「革命」政党ではないのか。

 この程度で「勝利」したと喜んでいるとはちゃんちゃらおかしい。それに乗っかって、日本共産党は「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」などと書いてしまう、産経新聞記者も、そして産経新聞もどうかしている。

1177/日本共産党と朝日新聞の「盟約」関係。

 〇5/09の衆議院憲法審査会で日本共産党の笠井亮は、憲法は国家を<縛る>ものだ(ときどきの政権の都合で変えてはいけない)とか、現96条の要件の緩和は<憲法を法律なみに>するものだとかと述べて、同条の改正に反対したらしい。
 テレビでその部分を観ていて、朝日新聞の社説とほとんどと同じことをほとんど同じ表現で述べていると思った。朝日新聞論説委員・社説子の中にも共産党員や確信的な共産党シンパがいるだろうが、少なくとも憲法改正問題に関して、日朝同盟ならぬ<共・朝盟約>が実質的に成立しているものと思われる(もう一つこれに参加している重要な仲間が、出版界の岩波書店だ)。

 朝日新聞5/09朝刊の二面右上には日本共産党を実質的には「応援」としていると読める記事があった。朝日新聞は日本共産党を<無視>することは決してしないのだ。
 NHKも中立をいちおうは装おうとしながら、憲法(96条)改正に反対の方向で報道することに決めているかに見える。その具体例は逐一挙げないが、5/03の憲法記念日の集会に関するニュ-スでは護憲派(憲法改正反対派)の集会の方を先に取りあげていた。
 この問題が参議院選挙の結果にどのような影響を与えるのかは、私には分からない。だが、朝日新聞やNHKが護憲を明確にしているとなると、改憲派(自民党・日本維新の会・みんなの党)が参院で2/3以上を獲得するのは決して容易ではないと見ておくべきろう。
 なお、私は96条の要件の緩和に反対ではない。まずは96条の改正をしたらどうかという案をこの欄に6年前に記したことすらある。

 但し、改正発議要件の2/3か1/2かという問題は、単純な理屈で決せられるものではないだろう。一義的に是非が判断できる問題ではないと思われる。となれば、96条改正のために2/3以上が獲得できるということは、現9条2項の削除等のためにも2/3以上を獲得できることとたいして変わらず、現行改正規定のままで(むろん両院で2/3以上を獲得して)、一挙に9条2項の削除・国防軍設置等の改正を発議した方がよい、あるいはてっとり早い、ような気もする。
 96条の要件の緩和にあえて反対はしないものの、反面では、例えば現憲法の第一章「天皇」の削除が現在よりも簡単に発議されるような事態が生じることも怖れてはいる(日本共産党は96条改正に反対しているから、現時点では「天皇制度」解体のために国会各議院の議員総数の過半数を獲得する自信を持っていないのだろう。だが、日本共産党が他「左翼」政党とともにそれが可能だと判断するときがくると、96条の要件が緩和されていることは怖いことでもある)。

 〇橋下徹護憲派ほどうさんくさいものはない。護憲派の人たちは、今の憲法が絶対的に正しいと思っている」、「『(憲法に対する異なる)価値観を強要しないで』と言いながら(今の憲法が正しいという価値観を)ばりばり強要している」と護憲派を批判したらしい(5/09記者会見)。

 改憲派である「保守派」の論者の一部の長い文章などよりも、はるかに分かりやすい。

1174/橋下徹昨秋にいわく、日本共産党は事実誤認とウソばっかりの政党。

 〇半年以上前の古いことだが、橋下徹の面白く、かつ適切な発言をYouTubeの中から見つけたので、記録しておく。
 昨年2012年9月5日市役所登庁時の記者会見。堺市議会の日本共産党議員・石谷泰子が、ある大阪市地下鉄職員の自殺につき「橋下のせいで自殺した」との見出しの記事または文章を何かに掲載したらしい。そのことについての感想を質問されて橋下徹は以下のとおり答えた。

 「共産党だからしょうがないんじゃないですか。ウソばっかりの政党ですから。事実誤認とウソばっかりの政党なので、まぁそれくらいは共産党なので…。三流週刊誌以下でしょ。」
 ここまで明確に断言できる市長・政治家は少ない。少し表現を変えると、日本共産党は<事実歪曲とウソばっかりの政党>だ。

1137/資料・史料-2012年04月28日民主主義科学者協会法律部会理事会声明。

 資料・史料-2012年04月28日民主主義科学者協会法律部会理事会声明
 「今年は、沖縄を米国の施政権の下においたサンフランシスコ講和条約と(旧)日米安保条約の発効から60年、沖縄の復帰から40年を迎える。しかし、今なお日本全国に多数の米軍基地が存在し、日本における主権と人権を制約している。とくに、日本の総面積のわずか0.6 %しかない沖縄に、いまも米軍専用基地の74 %が集中し、普天間基地や嘉手納基地をはじめ33もの米軍専用基地が置かれたままである。
 日米両政府は2月8日、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の「移設」を在沖縄米海兵隊のグアム移転の前提にしていた現行の在日米軍再編計画を見直し、両者を切り離す協議を開始することを発表した。その狙いは、普天間基地の名護市辺野古への「移設」が、県民・市民の反対で行き詰まるなか、アジア太平洋地域重視を打ち出した米国の新国防戦略に基づきグアム移転を先行して進めることであり、米国は、その移転費用の増額や普天間基地の改修費用の支出を日本政府に迫ってきている。これにより、普天間基地が固定化される危険も強まっている。また、現在の民主党政権は、「武器輸出三原則」を緩和し、「基盤的防衛力構想」を放棄するなど、日本の軍事的プレゼンスの拡大、強化をもくろんでいる。
 私たち民主主義科学者協会法律部会は、3 月26 日から29日にかけて沖縄県那覇市で合宿研究会を開催した。そのなかで、沖縄と安保体制、日米地位協定をめぐる諸問題や、普天間基地の辺野古地区への「移設」反対運動、高江ヘリパット基地反対運動、歴史教科書検定・公民教科書採択をめぐる運動などさまざまな平和への取り組みを学ぶとともに、普天間基地や名護市辺野古地区の現地にも赴き、基地による多くの人権侵害や生活破壊、地域社会と地方自治体に対する重圧と、それらの問題点を改めて深く実感した。
 私たち民主主義科学者協会法律部会は、これまでにも法学の立場から安保体制に関する共同研究の成果を発表し、安保条約は、軍事同盟条約として国連の集団安全保障の理念に背馳し、憲法の平和主義および基本的人権の保障の理念と矛盾することを指摘してきた。いま改めて、それを再確認するとともに、安保条約と米軍基地は、日本国憲法前文の「平和のうちに生存する権利」やこんにち国連でも注目が高まりつつある「平和に対する人民の権利」を脅かすものであることを強調したい。
 日米安保条約の下で米軍基地の存在を永久化し、「日米同盟」を深化させるとして全世界的な軍事的関与を進め、また、普天間基地の名護市辺野古地区への移転に固執しつつ、それが果たせない場合は普天間基地を維持するとする日米両政府の方針は、国際社会の平和と日本国憲法の平和・人権・民主主義の原理を大きく損なうものとの認識の下、その方針の変更を強く求めるものである。」
 <出所-ネット上>
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 ・この主張がどの政党の主張・見解に添ったものであるかは言うまでもない。
 ・現在の民主党政権は、「武器輸出三原則」を緩和し、「基盤的防衛力構想」を放棄するなど、日本の軍事的プレゼンスの拡大、強化をもくろんでいる、らしい。「日本の軍事的プレゼンスの拡大、強化」はそもそも<悪>か?
 ・この「学会」によると、日米安保条約は日本国憲法の理念に矛盾し、「安保条約と米軍基地」は日本国民の<平和的生存権>等を脅かすものらしい。そして、最後に日米両政府に対して「
方針の変更を強く求める」というが、具体的にはどのようにしたいのか?。
 ・内容は法学のうち、とくに憲法学、国際法学に関連しているだろう。この「民科」に属する研究者(教授たち)には「学問の自由」はあるのだろうか?
 

1135/今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012)に見る日本史学・「学問」。

 今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012.07)p.125以下(「平泉澄と権門体制論」)の今谷による要約によると、1963年に岩波講座・日本歴史/中世2に書かれ、1975年に単著に収載されたようである、黒田俊雄(1926-1993)の、日本中世についての<権門体制>とは、例えば、次のようなものであるらしい。
 ①幕府論や武家政権論に還元された中世国家論・中世封建制論を「実体的に把握し直す」ための概念で、究極的には中世「天皇制」・「王権」の構造を究明する目的をもつ。
 ②<権門体制>論の趣旨は「人民支配の体系としての権力の構造」の究明にあり、史的唯物論にいう「上部構造」の解明を意図していて、「黒田の立論はすぐれてマルクス主義的国家論」だ。
 ③黒田の基本的認識は「公家も武家も等しく中世的な支配勢力」だということで、鎌倉幕府を「進歩的」・「革新的」と見る当時の通説(幕府論、領主制論)への疑問があり、同じくマルクス主義に立つ論者からも黒田の論は批判された(以上、p.126-128)。
 そのあと、黒田の論をめぐる石井進や佐藤進一らの議論も紹介されているが、今谷とともに、いや門外漢なので当然に、今谷以上に立ち入ることはしない。
 今谷が関心を持っているのは、黒田俊雄説の「学説史的背景」、「学説的前史」だ(p.125)。そして、この点についての叙述が、相当に興味深い。
 今谷の関心は、もう少し具体的にいうと、従来の通説は武家勢力とは異なり古代的・守旧的勢力と位置づけられる傾向にあった公家・寺社勢力を武家と同様に「中世的権門」と位置づける、という中世に関する時代・社会イメージを、黒田はいかにして獲得したのか、だ(p.133)。
 ここで平泉澄が登場してくる。今谷明は1926年の平泉の著書を読み、平泉がすでに、社寺・公家・武家の「三権門鼎立説」、国家統制(黒田のいう「人民支配」)のうえで三権門のいずれも単独では支配を貫徹できない旨を明記していたことを知る。
 そして、黒田俊雄説は「階級史観」の立場から平泉説を「換骨奪胎」し、装いを新たにして学界に公表したのではないか、という(p.137)。
 もっとも、慎重に、今谷は、黒田は平泉の著書を知らず、それに気づくことなく自ら「権門体制論」を構築したのだろうと、とりあえずは想像した。黒田俊雄は「平泉澄らのいわゆる皇国史観」、それは「国史」の「狂暴な反動的形態」などと平泉を罵倒していたからだ(p.138。黒田のこの文章は1984年)。
 しかし、さらに究明して、今谷は「平泉と黒田の言説の共通点」に「いやでも」気づいていく(p.139以下)。具体的な例がかなり詳しく紹介されているが、ここでは省く。そして、今谷が出した結論はこうだ。
 1975年の段階で黒田俊雄は平泉の1926年の著書を「熟知していたにもかかわらず、あたかも知らなかったかのように注記その他で全く平泉の名を出さなかった、ということになる」。平泉の高弟・平田俊春の論文等は随所に引用しているので、黒田は既往の研究のうち、平泉のもの「のみに関して引用を忌避した、とみてよいのではあるまいか」(p.144)。
 一般論的に、今谷は次のように述べて、この節を終えている。
 黒田批判が目的ではない。「問題は、当時の学界全体がそうした黒田の行論を看過し、黙認した、その事実」だ。「戦後歴史学界には、種々のタブーが現実に存在する。タブーの打破を標榜する歴史家にしてからが、自らタブーに手をかしているという現状は、…いささか奇妙なものに思われるが、ことは日本史学界の通弊として片付けられないものを含んでいる」。「学説を立論者個人から切り離し、学説として尊重する姿勢を拒み、立論者の存在とともに葬り去ってよしとしているならば、われわれはまだ『皇国史観』の亡霊から自由になってはいない、ということではないだろうか」(p.145)。
 以上で紹介は終えるが、最後の叙述・指摘は、学問一般、日本の学問研究風土一般にも当たっていそうで、はなはだ興味深いものがある。一つの契機にすぎなかったのかもかもしれないが、今谷がこのように述べる出発点が、マルクス主義歴史学者(とされる)黒田俊雄の著作にあったこともまた、別の意味で興味深い。
 唐突に前回紹介の<民科(法律部会)>を例に出せば、法学の世界でも、「民科」に加入している研究者の論文・著書は肯定的・好意的に紹介したり引用したりしながら、同じ内容または同程度に優れた内容の論文・著書は、論者が「民科」に入っていないことを理由として、場合によっては「民科」に敵対しているとみられることを理由として、いっさい無視する、といったことが行われていないだろうか。
 「学説を立論者個人から切り離し、学説として尊重する姿勢を拒み、立論者の存在とともに葬り去ってよしとしているならば、『日本共産党』や『マルクス主義』の亡霊から自由になってはいない、ということではないだろうか」。
 法学に限らず、教育学・社会学・政治学等々についても同様のことが言える。
 <学問>を「政治的」立場レベルでの闘いだと理解している日本共産党員は少なからず存在する、と思われる。そうでなくとも、論者の「名」によって引用等の仕方を変える程度のことは、「日本史学界の通弊」なのではなく、日本の人文・社会分野の諸学界において、<広く>行われていることではないかとも思われる。そして、そうした傾向は、学界全体が<左翼的>傾向に支配されていることが多いこともあって、<左翼的>学者が日常的に行っていることなのではあるまいか。
 それは黒田俊雄に見られるような(今谷明に従えばだが)「政治主義」・「党派主義」によることもあれば、「権威主義」というものによる場合もあるかもしれない(とりあえず、学界の権威・「大御所」に従い、例えば、引用を忘れない)。あるいは、そこにも至らないような、<趨勢寄りかかり主義>・<世すぎのための安全運転主義>といったものによるかもしれない。
 まともな「学問」は行われているのか。現在の「学問」状況はどうなっているのか。そんなことを考えさせるきっかけにもなる、今谷明の著書(の一部)だった。

1063/日本共産党は「猫なで声と微笑とともに」やってくる-大阪市長選。

 〇産経新聞11/14(大阪版)夕刊は「大阪再生『協調』か『強さ』か」を一面トップの見出しにしている(なお、産経ニュースによると他の対立軸設定の表現も使っている)。これは以下の毎日新聞よりはましだ。
 毎日新聞11/14(大阪版)朝刊一面トップ横書き大見出し-「『反独裁』VS『都構想』」。
 「都構想」は容易には理解できない内容等をもち、大阪府知事候補倉田某(民主・自民支持)が<争点にならない(争点にしない)>旨を発言しているらしいのはむしろ誠実な反応だ。維新の会は2015年までにと主張しているようだが、最短でもその程度は要し、かつ実現可能性が高いとはまだ言えない。大都市制度のあり方に大きな問題提起をしている、という程度に理解するのが妥当で、そのような問題を提起していること自体に意義がある、といったところだろう。
 そのような「都構想」に比べて、「反独裁」は分かり易い。
 このような争点設定では、読者は「反独裁」へと容易に傾斜するだろう。
 毎日新聞は「じっくり風穴VSスピード改革スピード維新」、「橋下流か/じっくり改革、平松流か」というように対立軸を表現していることもあるが、11/15朝刊(大阪版)の見出しは以下。
 「『独裁』是か非か
 「独裁」を支持するか否かと問えば、大多数の人々は支持しない、と回答するのではないか。その意味で、11/14の見出しとともに、<世論誘導的>だ。
 だが、前回記したように、「独裁(的)」 =「強いリーダーシップ」のような意味で橋下徹自身は使用しているので、毎日新聞の見出しのつけ方は、誤った争点設定で、そして誤った世論誘導である可能性が十分にある。
 〇最初の産経新聞に戻ると(11/14夕刊)、橋下徹陣営と平松某陣営の各動向に関する記事で、橋下側の記事の中には「時折、橋下氏への反発の声を上げる人の姿も見られた」との文章がある。
 一方、平松某側の記事の中には、そのような批判的な「声」があった旨の文章はない。平松某らの動きに密着していて本当にそのような「声」を聴かなかったのかもしれないが、しかし、一般論として、市民からの平松某批判が皆無だとはとても思えない。
 産経新聞(大阪)の報道ぶりは、やはり少しは奇妙(=公正ではない)なのではないか。<反橋下>で一貫させたいならば、むしろそれを明瞭にしたらどうか。産経新聞にのみあてはまることではないが、巧妙な誘導ほど、有権者をバカにした、気持ちの悪いものはない
 〇その平松陣営の動向に関する記事は、日本共産党の大阪府知事候補梅田某の、次の発言を紹介している。
 ・橋下徹を「ファシスト」、「ペテン師」などと批判。
 ・「ファシズムは猫なで声でやってくる。…」と批判。
 日本共産党が橋下側を、「ファシズム」、「ファシスト」と論難しているというわけだが、日本共産党にそのようなことを語る資格はあるのだろうか。

 産経新聞はむろん、そんな問題に立ち入っていない。「ファシズム」(「ハシズム」)という批判に対する、橋下徹側の平松某らに対する「大政翼賛会(的)」という反?批判も同時に紹介していればまだ公平ともいえるのだが、後者の言葉はどこにも出てきていない。
 産経新聞はさておくとして、そもそも「ファシズム」とは何なのか。日本共産党(や産経新聞記者)はどのように理解して用いているのだろうか。
 丸山真男らは好んで「日本ファシズム」という語を使い、日本でも「ファシズム」が成立していたことを前提とする論述をしていたようだが、「日本ファシズム」は必ずしも定着した概念になっていない。むしろ、「日本軍国主義」とか「天皇制絶対主義」などが、戦前(の少なくとも一時期)を表現する言葉として用いられてきたように思われる。

 独裁=ヒトラー=ナチス=ドイツ・ファシズムというイメージ連関のもとで、<悪い>イメージの「独裁」と「ファシズム」を結合させているのかもしれない(この場合でも両者は同じではないはずだ)。
 かりに上のような連関が成り立つとしても、しかし、例えば私は、「独裁」といえばフランス革命期の<ジャコバン(・ロベスピエール)独裁>、ロシア革命期のレーニンや<スターリン独裁>、中国の<共産党一党独裁>、北朝鮮の<労働党一党独裁(または金日成・正一独裁)>を(も)連想する。
 「独裁」というのは、「プロレタリア独裁」(-・ディクタトゥーア、労働者の「執権」)を通じて社会主義・共産主義を、という、まさに共産党(・コミュニスト)こそが将来に構想しているものではないか。
 「ファシズム」という概念も曖昧だが、「全体主義」という語もある。そして、「全体主義」は前者を含みつつも、<左翼>のそれ、つまり<左翼全体主義>をも含むとして使われることが少なくないと見られる。
 しかして、コミュニストが究極的に目指すのは<左翼全体主義>に他ならないだろう。ファシズムに近似の体制の樹立を将来的には狙っているのが、コミュニスト=日本共産党だ、と理解しておくべきだ。
 そのような日本共産党の党員が(しかも弁護士資格のあるらしき男が)「ファシズムは猫なで声でやってくる」と批判するとは恐れ入る。
 コミュニスト、日本共産党は「猫なで声と微笑とともに近づいてくる」、とでも言っておこう。

1061/日本の異様さ-共産党の存在。

 産経新聞10/28に、ソ連崩壊20年・第5部「共産主義は今」の米国編が載っている(古森義久執筆)。それによると、「一連の世論調査」でアメリカ人のうち「保守主義者」と自認する者は40%前後、「リベラル派」は20%前後、「自分を公然と社会主義者だと認める人は統計上、ゼロに近い」。そして、アメリカでの「社会主義」は「西欧型の社会民主主義」を指すが、「共産主義は一党独裁、個人の抑圧、市場経済活動の禁止などマルクス主義としてまた別扱い」らしい。
 さすがに米国という感じだ(社会主義と社民主義との関係の説明と調査での支持率には少し疑問も湧くが)。これが日本だとどうなるか?
 「保守」自認は20%前後、「リベラル派」は20~40%、それより左の社会民主主義・共産主義は少なくとも10%はあるものと思われる。
 日本の世論調査では「無党派層」という「日和見」層・「無定見」層が多いのが特徴だが、上の<「リベラル派」は20~40%>とする根拠は、あれほど評判の悪かった菅直人内閣ですら、内閣支持率を最低でも20%前後を維持したこと、民主党支持者の率もその程度は(強固に)ありそうであることを根拠にしている。
 社民党や共産党(それぞれ日本の)の国会獲得議席は減少しており、そのことをもって日本の<保守化>を(誤って)語る者もいるようだが、しかし、合わせて10%程度の得票率は維持していると思われる。また、民主党という政権獲得可能性のある(自民党ではない)政党の登場によって、元来の共産党・社民党支持者の投票先が民主党へと(非自民党政権を誕生させかつ維持するために)流れている可能性が高い。したがって、民主党にあたる政党がなければ、政権「批判」票は元来の支持の共産党や社民党に戻る(そしてこれらの議席は増える)可能性はあるように思われる。
 ともあれ、あらためて刮目すべきなのは、アメリカと日本との間にある、国民または有権者の政治意識または「社会思想」意識の大きな違いだ。
 公然と「共産主義」社会の実現を最終目標として綱領に掲げる政党が国会に議席をもち、それなりの(当面は民主主義の徹底を掲げているにすぎないにせよ)支持者があること自体が、アメリカと、そしてイギリスやドイツとも決定的に異なることを―何度もこの欄で書いたことだが―知らなければならない。
 フランスやボルトガルあたりの事情は少し異なるかもしれないが、北欧も含めて、欧州では(米国とともに)共産党や共産主義者は<ほぼゼロ>と言ってよいだろう。
 日本における共産主義「思想」の残存は、広い「左翼」の存在の原因でもあり、結果でもある。
 例えば、日本共産党・「赤旗」が存在するがゆえにこそ(そして一方に産経新聞があるがために)、朝日新聞・毎日新聞でも<中庸>に感じさせてしまい、これらの読者も<共産党(共産主義)ではない>として安心して少なくとも「何となく左翼」にはなってしまう。
 また、日本共産党・「赤旗」が存在するがゆえにこそ、非(・反)共産党かつ非(・反)自民党という立場が<中庸>であるような気にさせてしまうところがある。「左翼」とは自覚していない、<リベラル派>はたくさんいるのだ。
 そのような、紛れもない「左翼」を、「中間」・「中庸」(そして公正中立?)だと感じさせる役割を、日本における共産党やマルクス主義は果たしているわけだ。
 さらに言うと、論壇・アカデミズム(大学等)の世界において、非(・反)「共産党・共産主義」かつ非(・反)「保守」というのは、最も安全な「思想的」立場になっているのではないか。
 そのようなかつての「進歩的知識人」の代表が、丸山真男だった。明確な「左翼」の大江健三郎も、おそらく非・共産党ではあるだろう(=共産党員ではないだろう)。
 これらの非(・反)「共産党・共産主義」かつ非(・反)「保守」という立場の知識人たちは(アメリカでいう「リベラル派」の一般国民も含めてもよいが)、反共(反共産主義)か反・反共(例えば=「反ファシズム」)の選択を迫られれば、どちらを選択するのか?
 これは近い将来にでも設定されうる大きな分岐点になると思われる(擬似的ミニチュア版はすでに大阪市長選挙で見られるようだ)。
 丸山真男は反・反共(=「反ファシズム」)を選好しただろうし、現在の大江健三郎もそうなのではないか。
 その他大勢の非・反共産党(・共産主義)で非・反「保守」の国民は、いったいどちらを選ぶだろうか。非・反共産党(・共産主義)を拒否しない可能性がある(つまり「容共」。これは日本と欧米との決定的な違いだ)、というのが、私が日本の行く末を深刻に懼れている根拠・理由でもある。

1059/雑誌・撃論3号、中川八洋と日本共産党員。

 再び撃論第3号(オークラ出版、2011.11)に触れると、先に言及した「編集部」名義の「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致しているか」(p.74-)は、「民族系」という語を何度か利用していることも含めて―「中川八洋教授に寄稿をお願いした」という書き方をしているにもかかわらず―、文体が中川八洋のそれにかなり似ている。
 また、「本紙編集部」名義で書かれている原発・放射線恐怖から「正気を取り戻すための良書リスト」も(p.116-)、中川八洋は原子力問題に技術的にも詳しいこと、菅直人を「済州島出身のコリアン」と中川が別の本で書いていたと思われる表現を用いていることなどから見て、中川八洋が執筆している可能性がある。
 あくまで憶測にすぎないが、万が一でも当たっているとすれば、出版業者・雑誌編集者としては邪道であることは論を俟たないだろう。
 オークラ出版、雑誌・撃論が、興味を惹きそうなテーマを背表紙に打っての、月刊WiLLについていう「ただ『儲かればよい』一辺倒の商売至上主義」に自ら(も)陥っていないことを願う。
 さて、この雑誌上掲号には中川八洋による「脱原発」西尾幹二批判の論考もあり、中川は西尾幹二を「民族系論客」と位置づけ、「非知識人」と称し、「嘘つき評論家」、「論壇ゴロ」と罵倒し(p.91-92、p.99)、「実質的共産党員」、「北朝鮮の代言人」とも評している(p.91、p.97)。
 原発問題については分からないとしか言いようがないが、また、西尾幹二のこれまでの見解・主張の全てに同感してきたわけでもないが、このような批判・罵倒の仕方は、小林よしのりの対敵表現をも上回るかもしれないほどで、やや乱暴過ぎるだろう。
 中川八洋が「コミュニスト」・「共産党員」という断定を好んで?することは前回にも紹介したとおりで、少なくとも一部については、当たっているだろう。だが、「コミュニスト」ではなく「共産党員」という認定の正しさは、日本共産党の名簿?でも見ないと証明できないことで、厳密には推測にすぎない(そして対象人物によって確度の異なる)もののように思われる。
 そういう意味での推定にすぎないが、中川八洋が言及してはいないが、私は、たしか今年に逝去した井上ひさしは日本共産党員でなかったかと疑って(推測して)いる。
 不破哲三=井上ひさし・新共産党宣言(光文社、1999)における、不破に対する井上の「へりくだり」ぶりは尋常ではない。また、井上は、井上ひさしの子どもに伝える日本国憲法(講談社。絵は共産党国会議員だった松本善明の妻・いわさきちひろ)、二つの憲法―大日本帝国憲法と日本国憲法(岩波ブックレット)の著者でもある。政治性、マルクス主義者性を感じさせない作品等も多いのだろうが、「左翼」・憲法改正反対論者であったことは間違いなく、何よりも、大江健三郎や奥平康弘等々とともに<九条の会>の呼びかけ人だったのだ。
 井上ひさしはとくに国政選挙の際に、日本共産党を「支持(推薦)します」という学者・文化人の一人として名を出していなかっただろうか。
 「支持者」だから「党員」ではない、ということにはならない。日本共産党は学者・文化人には党の基本的な路線に矛盾しない限りでの(他の一般党員とは異なるより広い)「自由」を与え、世間・社会での名声あるいは知名度を自らのために利用してきている。
 かつて、哲学者・古在由重は日本共産党の「支持(推薦)者」の一人として日本共産党のパンフなどに名前を出していたが、この人物は最晩年まで日本共産党員そのものであったこと(党籍のあったこと)、そして原水禁運動に関する日本共産党中央との考え方の違いによって離党したか、離党させられたことが、古在由重の葬儀または「お別れの会」の世話をした川上徹の本でも、明らかにされている。

 井上ひさしも、(こちらは最後まで)日本共産党の党員だった可能性はあるものと思われる。
 世間一般の人々が想定しているよりもはるかに、日本共産党員である者は多い、と見ておく必要がある(ついでながら、今は民主党国会議員の有田芳生は元日本共産党員。父親は日本共産党国会議員だった)。
 そのような推測からすると、「国民的」映画の映画監督で、NHKが「家族」関係名画100とやらを選択させている山田洋次も、十分に怪しい。この人物は<九条を考える映画人の会>とやらの重要メンバーだが、かなり以前から、日本共産党のパンフ類に同党を「支持(推薦)」する学者・文化人の一人として名を出していたような気がする。
 そのような想いで渥美清主演映画を観ると、そうではない場合よりも違った感想も生じるのだが、今回は立ち入らない。
 少し元に戻ると、井上ひさしの葬儀の際に「弔辞」を述べたのは、先にこの欄で言及した直後に文化勲章受章者として名を出した丸谷才一だった。丸谷が共産党員だとはいわないが、「左翼」ではあるだろう。
 これに関連して続ければ、丸谷才一は素直に?受賞したが、文化勲章受章を「戦後民主主義者」であることを理由に拒否したのが、大江健三郎だった(翌年に杉村春子も拒否)。
 これは数年前に(たぶん)この欄で書いたことだが、大江健三郎は、とりわけ、自らが嫌悪する「天皇陛下」と対面して、陛下から勲章を授けられることを嫌悪し忌避したのだ、と思っている。
 再び雑誌・撃論第3号に戻ると、これには、西村真悟「沖縄戦を冒涜する大江健三郎は赤い祖国へ帰れ」も掲載されている(p.164-)。
 西村は最後のあたりで、日本に帰化した(日本人となった)ドナルド・キーンと大江健三郎を対比させ、大江に対して「あこがれの人民共和国にでも帰化し移住されたらどうか」と勧告?している。趣旨は十分によく分かる。
 日本の天皇からの叙勲を拒否し、外国の国王(やフランス政府)からの勲章は受ける、という「心性」でもって、よくもぬけぬけと日本に、日本国民として(しかもたしか世田谷区の高級?住宅地に)居住して生きていけるものだ、と感じるのは私だけではあるまい。
 雑誌・撃論から始め、最後に同じ雑誌の別の文章に触れて、この回は終わり。

1015/別冊正論Extra.15号「中国共産党」特集を読む。

 〇別冊正論Extra.15号(産経、2011.06)は「中国共産党―野望と謀略の90年」特集。来年は日本共産党の90年になるわけだ。
 まじめに順序を考えたわけではないが、読み終えた順番に、伊藤隆=竹内洋「なぜ共産主義という『戦犯』を忘れたのか」、筆坂秀世「日共も怒った! 国交正常化の裏で日本暴力革命を煽り続けた毛沢東」、中西輝政「日本を騙し、利用しつづけてきた『人類の悪夢』」、藤岡信勝「日中戦争を始めたのは中国共産党とスターリンだ」、西尾幹二「仲小路彰がみたスペイン内戦から支那事変への潮流」。まだ、半分に満たないが、中国共産党・日中戦争、そしてコミンテルン・共産主義に関する有益な文献だ。西部邁らの<表現者>グループは、おそらく誰も執筆していない。
 しばしば、メモしておきたい事項や表現にぶつかる。
 〇・筆坂秀世がより詳しく書いているが、伊藤=竹内の対談の中にも、1950年頃の日本共産党の<暴力>路線が朝鮮戦争時の後方(在日米軍側)の攪乱目的で、コミンフォルム(スターリン、毛沢東)の指示・要請により選択されたことが、指摘されている(p.193)。逮捕され、「青春を返せ」と叫んだり、長期にわたる法廷「闘争」を余儀なくされた当時の若い日本共産党員たちは(裁判にかかわった党員弁護士等も含めて)、その後の人生をどう生きたのか。一度しかない、かつ短い人生にとって、「共産主義」に強く囚われてしまうとそれこそ取り返しがつかない、ということがありうる。
 ・伊藤隆が「インテリ」の多くについて「反・反共」という表現を用いている(p.194)。これは非常によく分かる。日本共産党等の組織員にならなくとも、「反共」(=保守・反動)とだけは言われたくない、思われたくない、というのは、かつてのものではなく、今も強く残る、人文社会系の、党員以外の、大学教授たちの<意識>だろう。その意識は当然に<容共>となり、思想信条の「自由」(学問の「自由」)、価値相対主義あるいは多様な見解に寛大なという意味での「リベラル」意識がそれをさらに支えている。
 唐突に名前を出せば、東京大学の佐々木毅(元学長)も長谷部恭男(現、憲法学)も、いろいろなことを言い、書いているが、この<反・反共>主義者であることだけは間違いないと思われる。
 ・竹内洋は明確に「反共」の立場で発言しているが(それは月刊正論の連載でも示されていたが)、少しだけ気になるのは、京都大学(教育学部)の現役教授時代に早くから、そのような立場を明確にしていたのだろうか、ということだ。
 今なお日本史(学)のほかに「教育史学」もレフト(左翼)だという発言もあるが(p.192)、そのような「左翼」アカデミズムと明瞭に闘っていた、京都大学の助教授・教授だったのかどうか。
 現在でもそうだが、国立大学だから「政治」的発言をしにくいということはないはずだ。制限されているのは現在の特定の内閣・政党への支持・不支持のための特定の活動であって、それに直接関係のない歴史研究・教育学研究にもとづく「政治」的発言に(法律上の)制限があるはずもないのだが…。
 〇筆坂論考は、日本共産党の関係文献を渉猟していない者にとっては、資料的価値もある。
 〇中西輝政論考は、詳しく、何回かに分けて紹介したいくらいだ。既読の他の論考も含めて、漠然として不明だったところに、明確なピースがきちんと嵌め込まれたという感じで、結局のところ、共産主義、コミンテルン・コミンフォルムの方針と実践を考慮しないと、かつての「戦争」等については何も語れない、ということがよく分かる。

 すでに書いたことがあるように、敗戦から自分の時代の総括は出発せざるをえず、戦争中のことの細かな事実関係にはあえて関心を持たないようにしてきたのだが、西尾幹二が言及しているように、日本陸軍の大陸での戦闘史、海軍の太平洋海戦史、国内の政党政治史、対米外交交渉史(p.200)といったものに強い関心を持てないだけのことで、南京「大虐殺」あるいは<国共合作>あるいは張作霖爆殺事件とコミンテルンまたは中国共産党といったテーマだと、俄然興味を覚える。
 〇西尾幹二論考は、仲小路彰長野朗らの、GHQにより「焚書」された文献を主として簡単に紹介している。
 こうした人物の名前をすら知らなかったが、時代は違うものの丸山真男大江健三郎らなんぞよりも、こうした人物の方が立派な日本人だったとして、後世で評価されるようになりたいものだ。
 丸山真男や大江健三郎は無視されるか、日本にとって<悪い>影響を与えた、特定の時代の<進歩的文化人>なるものの代表として、歴史には名を残してもらいたい。
 中途半端だが、とりあえず。

1009/国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権、高橋彦博著。

 高橋彦博・左翼知識人の理論責任(窓社、1993)の著者自身は<左翼>のようだ。だが、左翼内部での批判(とくに対日本共産党?)を含んでいるようで、興味がわく。
 この本のp.151以下の「『国民主権(人民主権)』論」によると、日本共産党の見解と見てよい新日本出版社刊行の『社会科学辞典』の中の「国民主権」の説明はつぎのように変化した、という。
 ①1967年版-「主権は資本家階級や大地主、独占資本家をふくむ国民全体にあるとされるが、事実上の権力は特権的支配層によってにぎられている」。
 ②1978年版-日本国憲法の国民主権規定は「不徹底な面をのこしている」が、「人民が主権を直接に行使するという意味の人民主権の実現の可能性を排除していない」。
 ③1989年版-「主権は国民にあるとされるが、国家権力は支配層によってにぎられている」。
 その後、④1992年版では、国民主権概念に対する「批判的視点が払拭」された、という。そして、人民主権は国民主権と同義とされ、日本共産党は「国民主権の戦前からの担い手」だったと主張されるに至っている、とされる。
 このような変化を、高橋は批判的に見ている。そして次のように書く。
 「国民主権をナシオン主権とし、人民主権をプープル主権として、両者の違いを強調する」のが「従来のマルクス主義憲法学の力点」で、この両者の峻別こ「戦術的護憲」論の「立脚点」があったはずではないか(p.155)。
 上の指摘自体もじつに興味深いのだが、国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権といえば、憲法学者・辻村みよ子(東北大学)がフランス憲法(思想)史に依拠しつつ日本国憲法における両者の採用の仕方に着目した研究をしていたことを思い出す。樋口陽一(前東京大学)や杉原泰雄(前一橋大学)もこの議論に加わっていたはずだ。

 ブルジョア民主主義憲法は「国民主権」で、「プロレタリアート独裁権力の樹立を目指す」(高橋上掲書p.153)のが「人民主権」論だとの基本的なところでは合致しつつ、日本国憲法がどの程度において(どの条項に)「人民主権=プープル主権」的要素を包含しているのかが、おそらく論争点だったのだろう(過去ではなく現在でも少しは議論されているのかもしれない)。
 辻村みよ子は七〇年代に上の区別に着目して研究を開始し、八〇年代末に著書としてまとめて刊行したが、それはソ連崩壊の直前だった。日本共産党との組織的関係は不明だが、せっかくの峻別も、上の高橋によると、政治党派(政治運動)レベルでは厳密には生かされていないようだ。

 それとともに感じるのは、辻村みよ子、樋口陽一、杉原泰雄のいずれも、現憲法解釈論には違いがあったかもしれないが、<人民主権=プープル主権>の方向に向かうべきだ、との実践的意欲をもっていたにもかかわらず、それを隠してきた、ということだ。高橋は「従来のマルクス主義憲法学」という表現を簡単に使っているが、辻村みよ子らは自分たちが「マルクス主義」に立つ「マルクス主義憲法学」者であることを、決して公言はしなかっただろう。
 ソ連崩壊=有力または最大の「社会主義」国家の解体の後に、辻村みよ子は「人民主権」ではなく(むろん「国民主権」ではない)「市民主権」ということを言い始め、男女共同参画やジェンダー・フリー(憲法学)へと表向きの関心を変えているようだ。

 こうした一人の(少なくとも従来の)マルクス主義者または「左翼」(学者・知識人)の動向は、中西輝政・強い日本をめざす道―世界の一極として立て(PHP、2011)p.150以下の、「粧いを新たにした」左翼の「見えない逆襲」に関する叙述に、完全に符合している。
 中西輝政のこの本には別の機会に言及する。なぜ、マルクス主義者を中核とする<左翼>は生き延び、日本の多数派を形成してしまっているのか?

0874/「九条を考える」、「九条実現」運動の欺瞞。

 憲法記念日、読売新聞5/3に、「市民意見広告運動事務局」による、「9条・25条実現」、「基地はいらない」、「核の傘もいらない」等と大書した一面広告が掲載されている。7613の氏名・団体名も小さく載っているらしい。
 その団体名の中には「〇〇9条を考える会」という、実質的には日本共産党系の運動になっている地域グループの名もある。
 「9条を考える」会運動が文字通りの「考える」ではなく「護持する」(憲法改正により削除させない)運動であることは疑いえない。
 上のことを前提にいうと、「九条を考える」、「九条実現」運動には大きな欺瞞がある。
 上に言及の新聞広告には日本国憲法現9条の1項と2項の全文も掲載されているが、いわゆる<改憲>論者のほとんどが主張している9条の改正の対象の中には、9条1項は含まれていない。
 代表的には自民党の憲法改正案があるが、その案では現憲法9条のうちその1項はそのまま維持することとしている。そして、2項を削除し、新たに「9条の2」を挿入して「自衛軍」の設立等を定めることとしている。
 上のことは、現憲法9条1項にいう「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争」等は所謂<侵略>戦争等のことを意味し、9条1項(だけ)では<自衛(防衛)>「戦争」等は「放棄」されていない、という現在の憲法学界の通説および政府解釈でも採用されている理解の仕方を前提としている。
 私もそうだが、9条を改正しようとする主張・運動は、決して9条1項(の少なくとも基本的趣旨)までをも削除・否定しようとはしていないのだ。
 しかるに、「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争」等は所謂<侵略>のためのそれ(のみ)を意味する、という知識をもたず、ごく通俗的に9条1項の文言を読んで、すべての「戦争」がこの条項によって「放棄」・否定されていると理解している国民が多すぎるのではないか。だいぶ以前に触れたが、「左翼」のアイドル(?)吉永小百合もこのような誤解をしたままで、岩波ブックレットに一文を書いている。

 ちなみに、上のことを意識してだろう、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(ジョルダン、2010.03)の巻末の西部邁起草「自由民主党への建白書(要項)」(p.197~)の中の「D・憲法改正の要項」には、「第9条第一項」につき、「①『国際紛争を解決する手段として』の戦争とは『侵略戦争のことである』と明記する必要があることに加えて、……」との文章がある(p.229-230)。
 これにも見られるように、西部邁もまた現9条1項の削除を主張しておらず、意味の明確化と追加(「国民の国防義務」等。今回はこれ以上言及しない)を主張しているのであり、要するに、現9条の全体を削除すること=9条の(1項・2項の)全面改正を主張しているのではない。

 だが、なぜか、「九条の会」呼びかけ人の中には憲法学者・奥平康弘もいるにもかかわらず、9条全体ではなく、そのうちの現9条2項の維持か改正(削除を含む)かが決定的に重要な争点であることが曖昧にされている。
 彼らの運動のスローガンは「九条を考える」、「九条実現」ではなく、「九条2項を考える」、「九条2項実現」でなければならない筈なのだ。
 このように明瞭にすることなく、現九条1項(の基本的趣旨)もまた改正・否定されようとしていると理解して(または理解させて)運動をするのは、その名前またはスローガン自体のうちに欺瞞が含まれている。

 <ウソ、ウソ、ウソ>-「左翼」の中に隠れているコミュニスト(日本共産党々員たちが代表)は、目的のためならばいかなる策謀も瞞着も厭わない者たちであることを、肝に銘じておく必要がある。

0859/筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。

 筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。
 目次等でわかる共産党員の悩み事・相談事は「赤旗」拡大の悩みとか党中央文書を読む必要性とかで、すでに共産党員ではなくなっている筆坂に尋ねても、また筆坂が回答しても無意味のようなものばかりだ。
 ただ、―筆坂・日本共産党(新潮新書)は発刊後すみやかに全読了しているが―彼が除籍される直前( 2004年頃)までの日本共産党内部の実態は改めてよく分かるところもあり、興味深い部分もある(今回は省略)。
 そもそも日本共産党員が悩むべきなのは、日本共産党という政党の存在意義、換言すれば、「社会主義」(→共産主義)を目指すという目標を設定することが<正しい>のか、だろう。コミュニズム、マルクス主義または日本共産党のいう「科学的社会主義」は<正しい>のか、でもよい。
 とりわけ、冷戦終結(と私は考えていないが)をもたらしたとされるソ連共産党・ソ連の解体・崩壊は「社会主義」理論に、および「社会主義」運動に、いかなる影響または意味をもつかを、誠実な日本共産党員であれば、深刻に<悩み>、思考するのが自然だろう。
 そのような「悩み」事は筆坂には寄せられなかったようだが、<「共産党」という名前に拘泥する必要はないのでは?>という趣旨の「相談」に対して、筆坂は相当に興味深い、思い切ったことを書いている。以下のごとし(p.184-187)。
 ①党指導部に「党名を変えろ」と主張するより、「もっと本質的な問いかけをすべき」だ。つまり、「マルクスから離れることは決定的な間違いなのか」、だ。
 ②日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言う。
 だが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られました」。「大きく道を踏み外す」、その「淵源は、マルクス、エンゲルスにもあった」。
 「すべてをスターリンの責に帰す議論は、まったく公正ではありません」。
 ③「しかも」、日本共産党自身が「スターリン時代のソ連」を「社会主義だと規定」してきた。「計画経済や国有化、集団化に社会主義の姿を見てきたからこそ」のはずだ。
 そういう「規定」を「そうではなかった」と「覆したのは、ソ連とソ連共産党が崩壊してから」だ。
 「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか。人権抑圧も大量弾圧も、大国主義・覇権主義も、官僚主義も、ソ連崩壊以前から周知のことでした」。
 ④そういう理由で(「真の社会主義」ではなかったとして)「旧ソ連を切って捨てたのであれば、なぜいまの中国を日本共産党は批判しないのでしょうか。一党独裁、チベットなどへの侵略、人権弾圧、政治的民主主義の抑圧、大国主義など、その体制は旧ソ連と何ら変わりません」。
 それなのに日本共産党は、「何一つ批判しないどころか」、「中国共産党はマルクス主義の立場を真面目に追求している」と「評価さえ」している。
 ⑤「科学的社会主義」と言ったところで「実態は単なるご都合主義」だ。資本主義→社会主義は「歴史的必然」という論も「現実を見れば仮説でしかなかったことは明瞭でしょう」。マルクス主義から「離れる」ことで「良い社会」ができればいいのではないか。それを日本共産党ができれば、「政党名云々などは瑣末な問題にすぎません」。
 筆坂がどの程度正確に日本共産党の主張・見解を紹介しているかは、厳密には疑っておいてよい。例えば、日本共産党は、ソ連の「大国主義・覇権主義」に対する批判はソ連共産党・ソ連の解体・崩壊前から行っていた、と反論するかもしれない。
 しかし、気になる点はないことはないが、上の②と③は私がこの欄に書いてきたことと基本的趣旨に変わりはなく、まことに堂々と筆坂は日本共産党を批判している、と感じる。
 日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言うが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られ」たのではないのか?、「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか」?と、心ある、まともな神経のある日本共産党員ならば<悩む>べきだ。そして、党中央の主張・見解を疑い、可能ならばすみやかに離党すべきだ。一度しかない人生、大ボラの体系の、一種の<宗教>の信者として過ごすのは一刻も早く、止めた方がよい。
 上の④は、強くは意識していなかったが、なるほどと思わせる。
 日本共産党は中国共産党との関係の再修復を歓迎し、それを党中央の「成果」だと評価している。そして、現在の世界情勢を語る場合、大人口をもつ中国も含めて(その他、ベトナムやキューバ等を加えて)、社会主義または親社会主義の国々は世界の1/3か1/4を占めている(日本共産党の文献で確認することを省く)と「豪語」して、<社会主義>勢力が衰退していないことの証拠としている。
 日本共産党は<自主・独立>の党のはずだが、今や、中国共産党とその支配する中華人民共和国は、その存在・存続自身が、日本共産党の存在にとっても不可欠になっているようだ。
 ソ連が崩壊し、中国まで共産党支配国でなくなってしまったら、いくら再び<毛沢東(あるいは鄧小平?)以来ずっと、中国は「真」の社会主義を目指す国ではなくなっていた。日本共産党だけは「正しい」社会主義を追求する>などと後から言ったところで、党員も含めて誰も(一部の幹部を除いて?)信じないだろう。
 こうした状況では、筆坂が指摘するように、日本共産党は中国(共産党)の悪い側面を指摘・批判することができないようだ。そういう面を知ってはいても、とりわけ中国の<社会主義的市場経済>の進展・発展ぶりに期待する文章を志位和夫か不破哲三が書いていたのを読んだことがある。
 <屈中・媚中・親中>は、日本共産党にも(日本共産党こそが?)あてはまる。
 その意味では、上のように書く筆坂は、小沢一郎や鳩山由紀夫、民主党よりも、まっとうな感覚を持っている。チベット問題は「内政」問題だとしてコメントを避ける岡田外相よりも優れている。
 筆坂が離党したのは2005年7月で(57才になる年で)、それまでは、日本共産党と「科学的社会主義」の諸文献を読んで生きてきたに違いない。したがってそれまでは、<日本>という国家の特性、<日本>の歴史・文化・伝統等に関心をもったことはほとんどなかっただろう。
 したがって、筆坂が天皇・皇室に関して、どういう考えを持っているかも知ることはできない。離党してから、小泉信三「共産主義批判の常識」(p.181~で言及)以外にどんな本を読んだだろうか。
 だが、私とほとんど同い年で、長くはないがまだ<人生>はあるだろう。たくさんの本に目を通しつつ、日本共産党員であり続けていれば不可能だったように、彩りと潤いと、美しさと静穏さと、様々なものを感受しながら、残りの人生を全うしてしていただきたいものだ。

0856/日本共産党のソ連はスターリンから道を外したとの主張の滑稽さ・再言。

 一 山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書、2007)のトロツキーの著の項にはスターリンへの言及はあるが、レーニンとスターリンとの関係、正確には両者間の同質性または断絶性には、トロツキーも山内も触れていないようだ。
 二 すでに別の文献も使って書いたことだが、日本共産党はレーニンまでは正しかったが、ソ連はスターリンから<社会主義への道>を踏みはずした、社会主義国または社会主義を目指す国ではなくなった、という見解に立っている。
 不破哲三・日本共産党と中国共産党の新しい関係(新日本出版社、1998)は、北京での1998年7月20日の不破と胡錦濤(当時、政治局常務委員)の会談内容、翌7月21日の不破と江沢民(総書記)の会談内容を資料として含めており、不破の発言は正確にそのまま掲載しているようだ。
 二回の会談内容に(当然ながら)大きな違いはない。不破が江沢民との会談で中国共産党側に述べているのは次のようなことだ。適当に抜粋して言及する。
 「日中関係五原則」なるものを提起している。その第一は「日本は、過去の侵略戦争についてきびしく反省する」。第二は「一つの中国」の立場を「堅持する」。以下は略。
 現在の日本を覆っている対中<贖罪意識>の醸成に、日本共産党も大きくかかわっている。上を含む「五原則」を胡錦濤は「積極的に受けとめ」た、という(p.108)。
 江沢民も自らの言葉として「日本軍国主義の中国への侵略戦争」なる表現を用い、「歴史の問題にいかに正しく対処するか」、これを「うまく処理できれば健全な関係を発展させられる」と日本人には強調してきていると述べ、「中国人民が特別に警戒していることの一つは日本軍国主義の教訓が日本国内ではまだ明確にされていないことです」と明言している(p.119-120)。
 いわゆる村山談話以後でも、江沢民はこのように言っていた。日本人の(言論の)100%が屈しないと気が済まないのだろうか。このような現中国共産党の主張・路線に沿った主張・見解をもっているマスメディア、政治家が(そして何となくそう思っている国民が)日本では多数派を形成している、と思われる。(根源は米国の初期占領方針だが、その後の)中国の策略は功を奏しているだろう。
 三 不破はソ連問題につき、対胡錦濤では自ら積極的に、対江沢民では江沢民の「世界の共産主義運動の問題」の質問に答えて、以下のように述べている(p.131-対江沢民)。
 ・ソ連崩壊のとき「この社会はいったい何だったのか」を研究した。「ソ連覇権主義が社会主義とは無縁」だと「早くから指摘して」きたが、「ソ連の国内体制についても…社会主義とは無縁な人民抑圧型の社会だった」というのが研究の「結論でした」。
 ・「レーニン時代のソ連と、スターリン以後のソ連とを、厳密に区別する立場」だ。「スターリン以後のソ連は、社会主義に向かうレールから、完全に脱線」した。
 ・ソ連共産党解体のとき、1992年12月に「国際的声明」を出し、①「ソ連をモデルとする考え」から脱却する必要、②「自主独立の立場」、③「資本主義万歳」論の影響を「克服」する必要、を説いた。
 この欄で既述のことだし、よく知られていることだが、国際共産党日本支部としての日本共産党はソ連共産党の指導権がすでにスターリンにあった1922年に設立され、その後もその綱領・政策等について、ソ連共産党を中心とするコミンテルンやコミンフォルムの影響を強く受けてきた。
 かつてはスターリンを具体的にはひとことも批判しておかないで、少なくとも1960年直前まではむしろその従属下にありながら、ソ連共産党とソ連が解体・崩壊するや、スターリンから道を外した、と主張するとは、正気の沙汰だろうか。日本共産党の幹部たちがまともな神経の持ち主だとは思えない。
 だが、さすがに<自主独立>の党だなどと思って、党中央の言い分を<信頼>し、なおも「正しい」社会主義(・共産主義)への展望を持って活動している日本共産党員もいるのだろう。一度しかない人生なのに、まことに気の毒としか言いようがない。
 だがしかし、日本共産党の存在は、日本共産党のような<組織的左翼>・<頑固な左翼>ではなく、自分は<リベラル>で<自由な>「左翼」だと自己規定して民主党または社民党を支持する(=これらに投票する)かなりの層の存在と形成に役立っていると見られる。<共産党ほど偏った左ではない>という言い訳みたいなものを共産党員や共産党シンパではないその他の「左翼」(<何となく左翼>を含む)に与えて、安心させる?存在に日本共産党はなっている、と考えられる。
 その意味で、日本共産党自身の影響力もまだ無視できないが、広い「左翼」の中で果たしているこの政党の役割こそがむしろ深刻視されなければならないようだ。
 四 江沢民は「共産主義」、「マルクス主義」という言葉を使っている(前者はもともとは日本での造語・訳語の借用かもしれない)。不破は後者を「科学的社会主義」と言い換えているが(言い換えても本質は同じ)、「共産主義」はそのまま用いていて、「共産主義」や「社会主義」を肯定的に理解している。
 日本共産党は<自由と民主主義>の党を標榜していても、「共産主義運動」を日本で行なっていることを当時の中央委員会幹部会委員長・不破哲三は江沢民に対して何ら否定していない。「革命と社会主義の理想」(p.132)を明確に語っているのだ。
 書くのも面倒くさいが、<民主主義と自由>の擁護者、という仮の姿に、騙されてはいけない。また、彼らのいう「民主主義」等とは「社会主義」(・共産主義)と少なくとも当面は矛盾しないことに留意すべきだ。社会主義国・東ドイツは「ドイツ民主共和国」だった、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」だ。彼らのいう「民主主義」は徹底すると「社会主義」(・共産主義)につながる。「民主主義」は「全体主義」の萌芽をも簡単に形成することは、フランス革命期のジャコバン独裁(・テロル)でも明らかなことだ……。
 以上、散漫さなきにしもあらず。

0848/<仏・共連合>の成立?②(終わり)。

 二 (つづき)
 ②別の某県某市のこれまたこの地域では有名な寺院の一つを訪れてみると、残念ながら写真を撮っておらず、文書・パンフをきちんと残していないことに今気づいたのだが、本堂近くに、まるで「九条の会」が主張しているような内容のビラか冊子のようなものが置かれてあった。
 先の①の寺院(・大会)よりも露骨に、「護憲」(と「反戦」)を呼びかけるものだった。
 仏教徒にも「政治的」活動の自由はある、とは一応は言えるのだろう。また、当該寺院の責任者たちは自らの信仰と「九条の会」の主張とは矛盾してない、むしろ合致している、と考えているかもしれない。
 だが、政治的には日本共産党系の運動といってよいのが常識的だと思われる「九条の会」の主張と似たようなことを書いた文書を参拝者の目に付きやすい場所に置くとは、あまりにも「政治的」に<幼稚な>感覚というものだろう。
 その寺院にもいろいろな檀家の人々がいると思われる(訪問者・参拝者の中には、私のような者もいる)。そのような直近の人々の(檀家総会の?)同意を得て、そのような文書を作成しているのだろうか。奇妙に感じながら、その寺院の境内を後にしたものだ。
 ③つぎは、全国的にも有名と見られる、日本の大寺院10に含める人もいるかもしれないほどの大寺院でのこと。
 その寺院の某建物の廊下に、10名の人物の顔写真を掲載した大きなポスターが貼ってあった。
 その10名のうち当該寺院の宗派「管長」以外の9名は、タテ長のポスターの右上から左下への順番で書くと、益川敏英(現京都産業大学理学部教授、ノーベル賞受賞者)、秋葉忠利(広島市長、元日本社会党国会議員)、湯川れい子(音楽評論家)、坪井直(被爆者)、麻生久美子(女優)、張本勲(元プロ野球選手)、田上富久(長崎市長)、小山内美江子(脚本家)、井上ひさし(作家)。
 これだけ並べると推測がつこうが、ポスターの中心には「核兵器のない世界を・あなたの未来のために国際署名にご協力を!」と書かれている。下部には、横書きで「私たちは、/核保有国をはじめとするすべての国の政府がすみやかに核兵器禁止・廃絶の交渉を開始し、締結することに合意するようよびかけます」との一文が記載されている。
 そのまた下に小さく書かれているこのポスターの製作者名は、次のとおり。
 「〇『核兵器のない世界を』国際署名キャンペーン事務局 〇113-8464東京都文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階 原水爆禁止日本協議会気付 〔TEL、URL省略〕」
 井上ひさし小山内美江子ですでに「左翼」色は明確なのだが(よく知らないが、益川敏英もたんに名声?を「利用」されているのではない、<確信的な>活動家的信条の持ち主だと書いていた人もいる)、上記事務局の「気付」先とされる「原水爆禁止日本協議会」とはいわゆる(日本)原水協で、日本共産党系(直属の?)団体そのものではないか。

 <核兵器禁止・廃絶>を謳えば、(日本人ならば?)誰でも支持してくれる(はずの)運動であり、またそのためのポスターだと、この有名大寺院の責任者は考えているのだろうか。
 怖ろしいことだ。この寺院は、(日本共産党系・)日本原水協系の活動・運動の、この地域での拠点になっている可能性すらある。あまりも堂々と、建物内に入った者は誰でも通る廊下の壁にポスターは貼られていた。
 こんな例を見ると、①で紹介した文章は、たんなる<観念的理想家>の僧侶・仏教者が書いたのではなく、僧侶・仏教者の中にも日本共産党員は存在していて、そのような者が共産党色は出さないように用心しながら配慮して書いたのではないかとすら思えてくる。
 三 以上の三つの例の寺院はいずれも、直接にコミュニズム(または日本共産党)を支持することを明言したものではない。だが、現在の日本共産党の主張・路線と決して矛盾はしないものだ。<左翼的>(あるいは少なくとも社民党的)であることはほとんど明らかで、共産党員または親共産党の者が書いた、または責任者として貼った、という可能性も否定できない。
 <仏・共連合>という見慣れないだろう言葉を使ったのは、上のことによる。
 仏教徒が現在(とくに日本で)何をすべきかと真摯に思考することを排除するつもりはない。だが、そのような誠実で真摯かもしれない思考と活動の中に<容共(親コミュニズム)>精神が結果としてであれ浸透してきているようで、これまた<戦後>思潮の結果・成りゆきの一つとして、私は怖ろしく感じるし、強い憂慮も覚える。

0847/<仏・共連合>の成立?①

 一 かつて日本共産党と創価学会が「創共協定」なのものを結んだことがあるくらいだから、コミュニスト(共産党員を含む共産主義者、広くは親共産主義者・共産党シンパ)と仏教徒が協力関係に立っても、あるいは(少なくともとりあえずは)同一の目標を目指しても何ら不思議ではないのだろう。
 知識・勉強不足で、新興仏教(の信者たち)は別として、従来からの仏教界(やそのような仏教の信者たち)は総じて<保守>的・<伝統的>で、反「左翼」ではないかと思ってきた。
 だが、「総じて」とは決して言えないようだ。よくよく思い出して見ると、従来的な仏教寺院と仏教関係者が日本で最も多いと推測される京都府で、社・共(社会党・共産党)連合による蜷川虎三「革新」府政がしばらくの間継続したのだった(確認しないが、京都市長も社・共推薦候補が担ったことがあったはずだ)。
 二 ①2000年~2009年の間の半ばに、某県某市で「全日本仏教徒会議」の大会が開かれた。その会場となった某寺は大きな古い寺院で(少なくともその県の代表的な寺院の一つで)、本堂には皇室の菊の紋章が何カ所にも付けられていたりする。
 その大会は「出会い 緑を生き、伝えるわれら」を「開催趣旨の大会テーマ」とした。「開催趣旨」はより正確には次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水はいのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史と共に大いなる環境の変化をもたらしています。/また、世界各地で起こる争い、環境破壊、温暖化現象など人間の欲望が加害者となり、限りあるこの地球というすばらしい星を苦しめています。/みほとけの慈悲と共生のこころを21世紀から地球と子孫に伝え、さらに未来に向けてひとりひとりが真剣に考えるつどいとなるよう…〔略〕から発信していきましょう。」
 採択された「大会宣言」は次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水は、いのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し、進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史とともに大いなる環境の変化をもたらしています。/人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません。清らかな水と空気が濁りつつある今日、異常現象や自然の災害は人類の生命をおびやかしています。/21世紀に入り早くも…年が経ちました。心の時代と言われながら、しかも前回の仏教徒会議で『日本仏教者からの平和の願い』を私たちが提言したにもかかわらず、今において人間が人間の生命を奪い取るという悲しいニュースの報道は、心痛の極みであります。/このような時にあたり仏教徒として、私たちは、みほとけの慈悲と共生のこころを現代に生きる人達に伝えていきます。さらに、私たちは明日という未来に向けて、ひとりひとりが真剣に、かつ、信念に満ちた活動を実践していくことを宣言いたします。」
 以上。これらの文章は読みやすい字で書かれて木製の柱の上の掲示板に記載され、その掲示柱はその寺院の山門のすぐ傍らに立てられている。また、すぐ隣に、「出会い、緑を生き、伝えるわれら」という言葉や「全日本仏教会々長」と当該寺院の「貫首」の氏名(個人名)等を刻んだ立派な石碑がある。
 人には諸活動の自由があり、仏教徒にもあるだろう。「清らかな水と空気」の大切さを説くことに反対する気はむろんない。
 だが、大きな違和感も覚えた。たとえば、1.「進化」と「進歩」を肯定するかの如きいわば<進歩主義>は、仏教の教義と合致しているのだろうか。2.「みほとけの慈悲と共生のこころ」と言うが、実質的意味は別としても、「共生」という言葉は何かの教典に明示されているものなのか。3.仏教徒が、「人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません」と断定してしまってよいのか。
 この文章は、「左翼」的環境保護運動の活動家の書いた少しはマイルドなアジ(アジテーション)・ビラの如くでもある。民主党の「左派」(旧社会党系)や社民党が強調していることと似てはいないだろうか。<地球は人類だけのものではない>との旨の部分は、<日本列島は日本人だけのものではない>と言ったらしい鳩山由紀夫を彷彿しさえする。
 「全日本仏教徒会」なる組織・団体が日本の仏教徒・寺院のうちのどの程度を組織しているのかは知らない。だが、この寺院やこうした文章が示す考え方が仏教界において決して稀少ではないようであることは、次の②・③の例でもわかる。
 (つづく)

0830/日本共産党員の、林直道・強奪の資本主義(新日本出版社、2007)を一読。

 一 林直道・強奪の資本主義-戦後日本資本主義の軌跡(新日本出版社、2007)は、「一九四六年に大学を卒業してそのまま大学に残り、経済の研究の道を選びました」(p.231)という、経歴とこの本の出版社から見てほぼ間違いなく日本共産党員と思われる経済学者の本。
 精読していないが(つもりもないが)、「戦後日本資本主義」の軌跡をマルクス主義・日本共産党の史観から見て、<できるだけ悪く、悪く、「強奪の資本主義」への道>として描いている。
 二 少しは参考になりそうなのは、戦後日本資本主義の軌跡を大きく四段階に分け、さらに全体(但し2007まで)を八段階に分ける、その区切り方だ。簡略化してメモすると以下のとおり。
 第一・基礎作りと対米従属固め、①敗戦直後(1945-50)、②朝鮮戦争(1950-54)、第二・巨大な経済発展、③高度経済成長(1955-73)、④石油危機・ハイテク産業確立(1974-82)、⑤経済大国化・バブル(1983-90)、第三・長期不況・財政破綻・リストラ、⑥長期停滞(1991-2003)、第四・「強奪資本主義への暴走」、⑦小泉「構造改革」(2001-06)、⑧「経済成長第一主義の超タカ派安倍内閣」(2006-)。
 三 興味深い叙述を二点。
 第一。林直道は、日本は「資本主義国として異例の繁栄」をし「かなり好もしい安定」状況にあったが、それは「…新しい憲法と教育基本法があって、日本が外国とは絶対に戦争しないという大安心に支えられていたから」で、「戦後の民主改革のおかげだということを忘れてはなりません」と書く(p.10)。
 日本共産党(員)もまた<戦後レジーム>の信奉者であることを示している。また、寝惚けた<憲法平和教>を説いているのも「左翼」そのもの。「日本が外国とは絶対に戦争しないという大安心」が万が一あったとしても、外国から「(侵略)戦争」をされれば、防衛「戦争」又は(「戦争」という語をあえて避ければ)自衛の「実力行使」をせざるをえなかったのではないか。そういう大きな事態にならなかったのは憲法九条二項のおかげでも何でもない。林直道や日本共産党は承認しないだろうが、日米安保と米軍駐留(「核の傘」)が他国による「戦争」を抑止してきたと見るのが健全な常識だ。
 林直道や日本共産党にとっては、「戦争」を仕掛ける危険があるのはつねに日本で、近隣には日本(の国土と国民を)を「侵略」しそうな外国は全く存在しなかった(存在しない)のだろう。
 もっとも、「全般的危機」に陥って社会主義への展望が出てくる筈なのに、そうではないのは「新しい憲法」と<戦後レジーム>のためではないか? そうだとすると、共産主義者は本当は、現憲法と<戦後レジーム>を呪い、廃棄・打倒を目指すはずなのだ。<当面、民主主義革命>の日本共産党の路線の苦しいところだろう。
 第二。最後の節のタイトルは「新しい平和友好のアジア共同体へ」。鳩山某首相の「東アジア共同体」論と似ているではないか。
 林直道は書く-「日本は…、アメリカ偏重を改め、近隣アジアとの友好協力を深める方向に進むべきです」(p.217)。鳩山由紀夫はこの本を読んではいないだろうが、鳩山某首相の発言とそっくりではないか(鳩山・民主党政権は「左翼」=「容共」の証左でもある)。
 四 林直道は日本共産党員らしく(「左翼」教条者ならば日本共産党員に限らないが)、狂気の言葉を最後に書き散らしている。以下のとおり。狂人の言葉にコメントする気も起きない。
 「中国は信義を重んじる国民性の国」だ。「たとえば田中角栄元首相…、中国は…今も最大限の鄭重な扱い」をする(p.218)。

 「日本の侵略によって中国民衆は1000万人(…)の命を奪われ」た。「中国人は日本軍の行為を『三光』(…)と呼」んだ。「いつまでも忘れる」ことはないだろう。「ところが、靖国神社には、その日本の中国侵略の最高責任者、いわば元凶も祀られて」おり、「あの戦争を『正しい戦争』だったと言い張る遊就館という宣伝センター」もある。「靖国神社は、そういうネオナチの精神に匹敵する特定の政治目的をもった運動体」だ(p.219)。
 「2007年頭の『御手洗ビジョン』」にも「憲法九条を廃棄し、日米軍事同盟を強化して日本の『集団的自衛権』の発動の方向へ踏み切ろうとする安倍政権下の財界主流の意思が示され」ている。「<強奪の資本主義>への道にころがり落ちるのか、…訣別して…人間をたんなるコストとしかみない貧弱な思考=新自由主義を乗り越えるかが問われてい」る。この「乗り越える力」は「社会的連帯という豊かな、創造的思考に裏打ちされた国民の運動にある」(p.221)。
 1946年に21才だったとすると、林直道は現在84才。一度しかない一生を上のような認識と言葉で生きてきて、まことに気の毒というか、あるいは「幸福」だった、というか…。

0806/資料・史料-1961.08.14日本共産党神戸大学学生細胞の離党声明。

 資料・史料-1961.08.14日本共産党神戸大学学生細胞の離党声明
 
昭和36年8月14日

 //声明「社会主義への前進をめざして」
 日本共産党神戸大学学生細胞の離党声明 1961年8月14日
 一.われわれ日本共産党神戸大学学生細胞は所属党員の総意によって一九六一年八月九日をもって日本共産党と訣別し、全国的に結集されつつある新しい運動と組織に参加することを決定した。

 一、われわれの目的は、反独占民主主義革新の道をつうじて日本における社会主義革命の実現をめざす新しい共産主義前衛の確立にある。
 一、われわれは、第八回全国大会で満場一致決定されたといわれる「綱領」に以下のべる大要三点で根本的に反対である。
 1 アメリカ帝国主義の対日支配の変化に目をむけず、いぜんとして日本を「従属国」におしとどめることによって再起した日本帝国主義の危険な役割を正しく評価しえない現状規定における致命的なあやまちをおかしている。
 2 現代の新しい内容に規定される国際共産主義運動の理論的到達点---平和共存、民主的改造等現代革命の展望の新しい解明---を理解していない。
 3 したがって、当面する革命を〝反米帝独立″を主軸とする〝人民の民主主義革命″と規定することによって労働者・人民の反独占・民主主義・社会主義の要求とエネルギーを広汎な統一戦線に結集することを妨げている。

 一、このように重大な対立のある綱領論争が中央幹部によって不当に抑圧されていることは多く述べられているところであり、少数意見をマルクス・レーニン主義の共通の土台の上で展開できない今日、原則的な党内闘争ではこれらの矛盾は解決することは不可能になったとわれわれは考える。

 一、われわれ神大学生細胞は中央幹部による党勢拡大の呼びかけをまつまでもなく、六全協後の苦しい状況の中から真に大衆的な細胞の確立をめざして活動してきた。
 われわれは一九五六年の全学連再建に参加し、「層」としての学生運動を統一戦線の観点から発展させ、トロツキズムの危険を早くからみぬき、それとのたたかいを通じて大衆闘争の展開に成功していった。
 この間、われわれか中央幹部の革命戦略に関する誤った見解、大衆闘争の政策・指導に対して、全党的な立場にたって批判してきたことは言うまでもない。そしてわれわれは、その批判を党の発展に結合するため大衆闘争の中でつねに検証していったのである。
 これこそが、神大細胞を今日存在せしめた理由であり、情勢の新しい変化にみずからを適応させえたゆえんなのである。
 中央幹部の学生運動に対するセクト的指導----〝独立″の課題を第一義的任務として自治会の方針としておしつけるような----と無能力は、学生の要求と学生運動からますます遊離してゆく結果をもたらすであろう。

 一、現在、日本帝国主義の新たな段階に登場した池田内閣の巧みな攻撃の前に日本の革新勢力は重大な転機に直面している。この局面の打開は大衆的前衛のイニシァティヴによってこそもたらされるのであり、なによりも日本独占体、国家独占資本主義制度全体に有効に対決しうる政策と行動が要求されているのである。
 一、全国の学生細胞の同志諸君にわれわれは呼びかける。敵階級とのきびしいたたかいはわれわれに一刻のちゅうちょも許さないであろう。日本共産党の内部革新もそれが自己目的化されたとき、すでに党を人民の上におく誤りにおちいるのである。
 今こそだいたんに、かつ慎重に行動を起すときがきたのだ。
 全国的に結集されつつある新しい運動と組織に加わろう。
 右、八月総会の決議にもとづき声明する。
 一九六一年八月十四日
 日本共産党神戸大学学生細胞//

 *コメント* ネット情報が出所だが、詳細はメモしておらず不明。以下の「解説」が前に置かれていた。
 「(1961年)七月二三日、日共第八回党大会を目前にして、立命大第一細胞は党中央に対し党内民主主義に関して抗議の非常事能宣言を発表。党大会終了後、神戸大細胞 (八月九日)、神戸外大細胞(八月一三日)、立命大第二細抱(八月二一日)などで相ついで集団離党が発生した。
 集団離党したグループは『春日新党』への結集を全国の学生細胞に呼びかけ、その後全国的に離党・除名処分などが頻発し、いわゆる構改派としての独自の組織結集が進行していった。」
 

0805/日本共産党・宮本顕治による丸山真男批判(1994.01.01、1994.03.27)。

 資料・史料-日本共産党・宮本顕治による丸山真男批判(1994.01.01、1994.03.27)

 1、宮本顕治への『赤旗』新春インタビューでの丸山眞男批判部分…『赤旗』1994年1月1日号、『日曜版』1月16日号
 //学問の世界での日本共産党の働き―「丸山理論」への本格的批判

 それとの関係で、私たちは理論的にどう前進したか、思想や理論の問題ではどうかということも考えてみる必要があります。昨年は、学問の世界でも、日本共産党が、有数の働きをした一年だったと思うんです。
 まずいえるのは、丸山眞男の日本共産党にも戦争責任があるという、近代政治学の立場からの日本共産党否定論にたいする批判、反論です。丸山氏の議論は、たまたま、日本共産党が「50年問題」で混乱している時期に世間を風靡(ふうび)した学説です。これにたいして、日本のインテリゲンチアのなかで若干のしっかりした人は学問的にも「丸山理論」を承服しないで、正論の立場から奮闘し彼を批判したことは十分記憶されなければならないと思います。しかし、当の日本共産党が、ああいう状況だったために、十分に反論しきれなかった。
 私も、1957年の鶴見俊輔氏らとの対談で「共産党の戦争責任」なる主張を正面から批判していますが(『中央公論』対談「日本共産党は何を考えているか」、『宮本顕治対談集』〔新日本出版社、1972年〕所収)、党としてそれにきっちり反論するというような状況にはなかったわけです。その後、党として丸山氏の議論が歴史の階級闘争の弁証法を理解しない誤ったものという批判はおこなってきました。志位和夫同志の「退廃と遊戯の『哲学』」(1986年)でもそれに言及しています。
 そういうなかで、昨年、初めて丸山眞男氏にたいする全面的、本格的な批判が「赤旗」評論特集版(1993年5月31日号)で展開されました。さらに、『前衛』(1993年12月号、「丸山眞男氏の『戦争責任』論の論理とその陥穽」)で批判しました。若い人が一生懸命論文を書いて、しかもただ丸山氏の「共産党戦犯」論の批判だけでなく、彼の学説の背景、彼に影響をあたえたドイツの学者の学説はどういうものかを調べて、丸山氏はドイツでさえいえなかったようなゆがめた共産党批判を行っているということまでをちゃんと書いています。堂々たるものです。
 「赤旗」評論特集版の長久理嗣論文―「社会進歩への不同意と不確信、『葦牙』誌上での久野収氏の議論について」も、集団的労作ですが、「共産党の戦争責任」をうんぬんした丸山眞男氏の議論をはじめて本格的に批判したものです。丸山氏の議論というのは、要するに、日本共産党は侵略戦争をふせぐだけの大きな政治勢力にならなかったのだから負けたのだ、したがって、侵略戦争をふせげなかった責任がある、“負けた軍隊”がなにをいうか、情勢認識その他まちがっていたから負けたんだと、そういう立場なんです。これにたいして長久論文は、世界の歴史の決着はこの問題でどうついたかをはっきりさせました。
 日本共産党の存在意義そのものにかかわることですが、戦後の憲法論争や世界史の結論からみれば、日本共産党の立場こそ先駆的だったのです。けっして日本共産党は負けたのではありません。歴史をつうじて、第二次世界大戦の結末をつうじてあきらかになったことは、日本共産党が先駆的な展望をしめしていたということです。しかも実際の勝ち負けという点から見ても、日本共産党はいわば大きく日本国民を救ったといえる、日本歴史の新しい主権在民の方向と展望を示す、そういう基礎をつくったんだということを書いたのです。
 これは当然の結論ですが、これが丸山氏の議論のいちばんの盲点になっていました。日本共産党は非転向といっても、みんな捕まり、軍旗とともに投獄された、結局、負けたじゃないか、というような誤った議論を論破する仕事を若い人をふくめて集団的におこなってきたのは、戦前史における日本共産党の役割をめぐる日本の学問のゆがみを正すことに貢献したといえます。//

 2、宮本顕治の第11回中央委員会総会冒頭発言での丸山批判部分『赤旗』1994年3月27日号

 //新しい理論的探究――丸山眞男の天皇制史観への反撃
 わが党はいろいろな新しい理論的な探究もいたしましたが、その一つが、丸山眞男の天皇制史観の問題です。この丸山眞男・元東大教授の天皇制史観はなかなかこったもので、それを近代政治学として裏づけているものであります。つまり、天皇制は無責任の体系である、責任がとれない体系であるというものです。それだけならともかく、その天皇制に正面から反対した日本共産党にも、実は天皇制の「無責任さ」が転移しているのだというのが、丸山の天皇制史観の特徴であります。
 これは、1950年代に展開されたもので、党中央が解体状態で統一した力をもたなくて、こういう党攻撃にたいしても十分な反撃ができなかった、いわば日本共産党が戦闘能力を失うという状況のなかで、丸山のような見解が学界を風靡(ふうび)したわけであります。何十年かたちまして、日本の現代論についてみると、党から脱落したりあるいは変節したような連中が、丸山眞男の天皇制論をもってきて、いまだに自分たちの合理化をやっているということがわかりました。革命運動のなかに天皇制的精神構造があるというようなことをいいまして、いろいろな攻撃をくわえてきたわけであります。
 丸山眞男の一番大きな誤りは、歴史を大局的に見ることができないということです。戦時中に日本共産党がかかげていた「天皇制反対」とか「侵略戦争反対」反共攻撃、ただ日本共産党が大衆をどう動員したかということではなくて、ひろく世界の戦争とファシズム反対という、世界の民主主義の潮流と合致していたのです。戦後の日本も世界もその方向に動かざるをえなかった。そこに日本共産党の先駆性があるわけです。
 それを彼は、日本共産党の幹部たちも雄々しくたたかったけれども、結局は、「敗軍の将」であって、「政治的責任」を果たさなかったと攻撃している。「死んでもラッパを離しませんでした」という木口小平の話のような結果ではないかという嘲笑(ちょうしょう)をした。そういう丸山の理論にたいして、50年代当時は十分な反論ができませんでしたが、いまはちがっております。
 何十年かたっておりますが、やはり非常に大事な問題です。しかも学界ではその後、丸山眞男をこえるような天皇制論をだれもやっておりませんから、これが一番の権威になっているのです。したがって、さきほどあげた丸山眞男の一番の盲点を中心とした反撃が大事です。『前衛』では昨年の十二月号に若い党の研究者がしっかりした論文を書きましたが、五月号には丸山の天皇制史観に焦点をあてて学問的にも充実した別の若手研究者の論文が発表されようとしております。//

 (*出所-宮地健一のウェブサイト内)

0804/資料・史料-日本共産党綱領2004.01.17改定の一部(五)。

 資料・史料-日本共産党綱領2004.01.17の一部(五)
 平成16年1月17日

 日本共産党綱領<一部>  2004年1月17日第23回党大会改定
 //五、(一五) 日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。
 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。
 生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。
 生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。
 生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。
 社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。
 さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。「社会主義」の名のもとに、特定の政党に「指導」政党としての特権を与えたり、特定の世界観を「国定の哲学」と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。
 社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
 人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。
 (一六) 社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。
 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。
 日本共産党は、社会主義への前進の方向を支持するすべての党派や人びとと協力する統一戦線政策を堅持し、勤労市民、農漁民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ、社会の多数の人びとの納得と支持を基礎に、社会主義的改革の道を進むよう努力する。
 日本における社会主義への道は、多くの新しい諸問題を、日本国民の英知と創意によって解決しながら進む新たな挑戦と開拓の過程となる。日本共産党は、そのなかで、次の諸点にとくに注意を向け、その立場をまもりぬく。
 (1) 生産手段の社会化は、その所有・管理・運営が、情勢と条件に応じて多様な形態をとりうるものであり、日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要であるが、生産者が主役という社会主義の原則を踏みはずしてはならない。「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。
 (2) 市場経済を通じて社会主義に進むことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探究が重要である。国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、社会主義・共産主義の日本の経済生活では全面的に否定される。
 (一七) 社会主義・共産主義への前進の方向を探究することは、日本だけの問題ではない。
 二一世紀の世界は、発達した資本主義諸国での経済的・政治的矛盾と人民の運動のなかからも、資本主義から離脱した国ぐにでの社会主義への独自の道を探究する努力のなかからも、政治的独立をかちとりながら資本主義の枠内では経済的発展の前途を開きえないでいるアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動のなかからも、資本主義を乗り越えて新しい社会をめざす流れが成長し発展することを、大きな時代的特徴としている。
 日本共産党は、それぞれの段階で日本社会が必要とする変革の諸課題の遂行に努力をそそぎながら、二一世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とすることをめざして、力をつくすものである。//

 *ひとことコメント-上は<客観的予測>なのかそれをもふまえた<実践的目標>なのかよく分からないが、いずれにせよ(後者であっても)それ=「社会主義・共産主義」化が不可避だと信じるというのは、一種の<宗教>・<信仰>だろう〔下線は掲載者による〕。

0742/日本共産党・マルクス主義・「左翼」の浸透-1。

 書き写すのは面倒だし、精神衛生にも悪いが、以下の叙述を含む本がある。
 1.「ナチスによるユダヤ人大量虐殺は、ファシズムの非人道的、反民主主義的な性質を示した惨劇であった。日本軍国主義の中国・朝鮮への侵略、南京事件での中国人虐殺や朝鮮人の強制連行なども同じような非人道的行為である」(p.18)。
 第一に、ドイツ・ナチスによる「ユダヤ人大量虐殺」=ホロコースト・ジェノサイドと、「日本軍国主義」によるとされる後段の諸行為は、いかなる意味で「同じような非人道的行為」なのか。ここにはドイツ・ファシズム(ナチズム)と「日本軍国主義」を、同様の「罪」を犯した、似たようなものだった、という印象を与えようとする<大嘘>がある。
 第二に、「日本軍国主義」による①「中国・朝鮮への侵略」、②「南京事件での中国人虐殺」、③「朝鮮人の強制連行」は事実なのか。
 ③は意味不明なところもあるし、①の「朝鮮への侵略」とはいったい何を意味しているのか。<植民地化>という表現自体にも疑問をもつが、<朝鮮侵略>とはいったい何のことか。むろん、中国「侵略」との呼称についても「南京事件での中国人虐殺」という事実についても、異論はある。上のようになぜ断定できるのか。
 2.「こんにちのテロリズムは、…世界の富が一部の国に集中して、イスラム世界やアフリカに貧困や飢餓がひろがり、文化的にも西欧的な価値観や信仰がイスラム文化に破壊的な作用をもたらしたことに対する、恨みの結果だという見方もある。だとすれば、テロを武力だけで封じ込めることはむずかしい。国際社会に寛容や信頼をとり戻すことが、最も基本的な課題だともいえる」(p.20)。
 2001年09.11のテロその他の「自爆テロ」に関係する叙述だが、第一に、テロにも<それなりの根拠>があり、「国際社会」の「寛容」さが「最も基本的」だと主張しているのだから、<テロリズム>に対する<優しさ>が甚だしく、異様だ。
 第二に、福島瑞穂(社民党)か田嶋陽子の言葉の如く、「国際社会」の「寛容と信頼」を「とり戻す」ことが重要なのだという。そのためにどうすべきかを語らないと、美辞麗句を<言うだけ>にすぎない。また、「とり戻す」までに繰り返されるテロによって失われるかもしれない多数の生命については、執筆者はどう考えているのか。
 3.A「憲法改正問題/…『改憲』論議では、憲法9条を『改正』して自衛隊の存在と活動を憲法上明確に位置づけることが一つの大きな争点とされ、また…全面改定を前提とする議論が行われている。一般に、憲法の『改正』とは現行憲法の存在を前提としてこれに部分的な変更を加えることと理解されており、憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定や、憲法の全面改正は、『改正』ではなく、『新憲法の制定』とみなすべきとされる。こんにちの『改憲』論は、この観点からからすると、『憲法改正』論ではなく『新憲法制定』論だということになる」(p.25)。
 例を自民党憲法改正案に採ると、同案は現憲法の「全面改定」・「全面改正」案ではない。<白紙>の出発点に立って一から条文自体を変えていくことも「憲法改正」に含まれうると私は考えるが、その点はともかく、上の指摘は自民党憲法改正案にはあてはまらない。とすると、「改正」論ではなく「新憲法制定」論だとの指摘が適切であるためには、「憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定」論・案であることを示す必要がある。しかし、例えば現憲法9条が「憲法の基本的な原理」であるとの叙述も説明も何らなされていない。かつまた、現在の憲法学の通説又は多数説において、「改正」できない「憲法の基本的な原理」として憲法9条のいわゆる「平和主義」(の具体的規定内容。当然に第二項を含む)は挙げられていない。
 上の主張は不備・不十分さを含み、かつ憲法学の通説・多数説に反する見解を前提にしていると考えられる。
 3.B(上に続けて)「新憲法の制定は、政治体制の重大な変更をもたらすことになるが、はたしていまの日本でその必要があるのか、そしてなによりも、『新憲法』によってどのような国をつくろうとするのか、といった点についての慎重な議論の積み重ねが要請されよう」(p.25)。
 「新憲法の制定」という表現の問題性は上で述べた。ここでは実質的には「改憲」反対論が明確に主張されている。
 その理由として語られるのは①「その必要があるのか」と②「どのような国をつく」るのか「慎重な議論」が必要、ということで、これでは理由になっていない。改正の「必要」性自体が改憲・護憲の争点なのだから、前者は問いに問いで答えている。
 また、改憲・護憲について(改正の内容も含めて)「慎重な議論」をすればよいのだから、後者もまた何も言っていないに等しい。
 他にも問題のある叙述があるが、別の回に移す。
 とりあえず以上の三点(A・Bを分けると四点)に限る。これらの叙述は、ふつうの何らかの本に書かれていても、とり挙げて批判したくものだ。
 だが、「ふつうの何らかの本」に書かれている叙述ではない。文科省の教科書検定に合格した高校用の「政治・経済」の教科書に書かれている。
 実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)で、表紙に明記されている「執筆・編修」者七名(全て大学教授又は名誉教授)は次のとおり。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七。上の三A・Bは「憲法学者」の浦部法穂(東京大学卒・名古屋大学教授)の執筆だろう。
 誰とは書かないし、書いても推測になるが、これらの中にはほぼ明らかに複数の日本共産党員がいる。そうでなくとも、日本共産党シンパの者であり、マルクス主義者又は親マルクス主義者であり、そして全員が間違いなく「左翼」だ。
 上の1.2.は一つの「イデオロギー」表明であり、3.も公正な叙述ではなく、「改憲」反対という見解の明確な表明だ。
 こうした内容を含む教科書が高校生に「教科書」として読まれている。慄然とする。中学生・高校生の段階で、「左翼」的主張・思想の注入が行われている。
 日教組(民主党系)や全教(共産党系)やこれらに属する教員の活動を問題にしてもよい。だが、より問題にすべきなのは、彼らが教育する<内容>そのものだろう。
 また、より問題にすべきなのは、日教組(民主党系)や全教(共産党系)・これらに属する教員の活動を<指導>している(指導してきた)、大学教授であることが多い<進歩的・「左翼的」>知識人だろう。大学教授たちの活動には<教科書執筆・作成・刊行>も含まれる。
 日教組・山梨県教組出身の輿石某の言動を問題にするのもよいが、より構造的には、「左翼」大学教授による教科書・「教育理論」指導→組合幹部活動家→一般活動家→一般教員という流れのあることを意識しておくべきだ(戦後ずっと基本的には変わっていないともいえる)。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七よ。君たちは、あるいはあなたたちは、上のような叙述を含む教科書の執筆又は作成に関与して、人間として、学者として、恥ずかしくはないのか。人間として、学者としての<良心>はないのか。マルクス主義者は<厚顔>なので、こんな言葉が心に届くとは思っていないが。
 別の回にもさらに言及する。

0721/名越健郎・クレムリン機密文書は語る-闇の日ソ関係史(中公新書)第二章・つづき。

 名越健郎・クレムリン機密文書は語る-闇の日ソ関係史(中公新書、1994)の第二章「日本共産党のソ連資金疑惑」のつづき。
 1.途中までを読み直して前回の記入になったが、同じ問題はのちにも触れられている(p.114-)。
 ソ連崩壊後、日本共産党・不破哲三委員長はソ連共産党からの「資金」は「野坂、袴田らソ連との内通者」に渡ったもので、かつ「党への干渉、破壊活動」のために用いられた旨、<赤旗>紙上で書いた、という(p.114)。。
 1960年代の前半にすでに、「野坂、袴田ら」は<反党>活動をしていて、そのためにソ連「資金」は使われた、というわけだ。
 こんな詭弁が信じられるはずがない。
 「実際はソ連共産党国際部と日本共産党のパイプ役」だったとみられるイズヴェスチヤ紙東京特派員・ペトロフは、名越によると、1962年3月にモスクワの党中央に以下の秘密公電を送った(p.115-。一部抜粋)。
 1962.3.1に袴田里見とその妻が来訪し18時から21時まで話し合った。袴田は、ナウカ書店社屋建設費問題につき、融資が1200万円だが「5000万円という必要額に対して少ないうえに、野坂と宮本も賛成したこの要請に対し、モスクワがまたしても日本共産党中央委幹部会の正式決定の形で確認することを主張してきたことは理解できない」と不満を述べた。「野坂と宮本が賛成していて、…どうして正式決定を出すことができないのか」と問うと、袴田は「この種の問題はあまり広い範囲の人に知られるとまずいので、幹部会の審議に上げることは不適当だ」と何度も強調した。
 以上は直接の党活動への援助ではなく「ナウカ書店」への援助・融資に関する話だが、①「野坂と宮本」と袴田は、この件を知っていること、②少なくとも袴田は中央委「幹部会」の議題にする(そのメンバーには公にする)ことを避けたいと考えていたこと(野坂・宮本も同様だっただろう)、を明らかにしている(のちにモスクワで発見され公開された文書の一部だ)。
 上は一例にすぎないが、ソ連からの「援助」資金が、「野坂、袴田ら」「内通者」による<反党>活動に使われたとの不破哲三の主張は真っ赤なウソだろう。
 こうして公然とウソをついて自己および宮本顕治を中心とする日本共産党(主流派)を正当化しなければならなかったのだ。日本共産党中央や幹部は、あるいは個々の一般党員も、平然とウソをつくことがある。党のためならばそのことを恥じることのない、<非人間>的集団が日本共産党であり、現在も今後も変わらないだろう。
 名越のこの章の最後の一文は次のとおり。
 「『ソ連が最も恐れた自主独立の日本共産党』というスローガンはやや荷が重いようである」(p.125)。
 2.<野坂スパイ説>などに言及している部分にも関心はもつが、上の「資金」援助問題とともに大きな興味を持ったのは、日本の天皇制度に関する戦後のソ連共産党の態度だ。
 もともとの1927年・1932年のコミンテルンの「日本テーゼ」は「①天皇廃位、②地主の土地解放、③…」を内容としていて、日本共産党(コミンテルン日本支部)の綱領中に「天皇制打倒」も掲げられた。日本の敗戦をスターリン等のソ連共産党指導部が「革命・民主化闘争の好機」とみなしたことは当然だ。しかるに、ソ連(共産党)は日本の天皇制度廃止を積極的には主張しなかったようだ。以下、名越による(p.99-)。
 ソ連にとっての日本進出の手がかりは日本共産党だったが、党中央は存在せず(敗戦当時、徳田・志賀・宮本顕治らは獄中)、野坂参三に注目した。
 1945年10月初め、野坂と三人の日本人はソ連側のクズネツォフ、ポノマリョフらとモスクワで「秘密会談」をした。その内容はマレンコフ、ベリヤというスターリン直近に報告された。この報告文書も含めて、この会談に関する約100頁の文書が残されている。
 野坂は戦後日本での政治戦略を提示したが「社民路線」に近かった。野坂は10.31の会談で「天皇は政治、軍事的役割のみならず、神的な威信を備えた宗教的機能を果たしている」と述べて「天皇制存続を容認」した。より詳しくは-「大衆の天皇崇拝はまだ消えていない。…天皇制打倒のスローガンを掲げるなら、国民から遊離し、大衆の支持は得られないだろう」、戦前の打倒の要求は無力で不評だった、「戦略的には打倒を目指しても、戦術的には天皇に触れないのが適当だ。当面は…絶対主義体制の廃止、民主体制確立というより一般的なスローガンを掲げながら、天皇制存続の問題は国民の意思に沿って決定すると宣言した方が適当だろう」、「天皇の宗教的機能を残すことは可能だ。皇太子を即位させ、一切の政治的機能を持たない宗教的存在にとどめることもできる」(p.101-2)。
 クズネツォフはモロトフあて報告文書の中で「天皇制の問題に関する野坂の見解は賛同し得る」として同調した。ポノマリョフも1945.11.13付報告書で、「日本共産党」は「天皇ヒロヒトの戦争責任を提起し、息子の地位継承ないし摂政評議会の設立を要求する」のが望ましい、「基本的に日本の天皇は政治的、軍事的権力を削除し、宗教的機能だけにとどめるべきだ」と書いた。
 名越が「かもしれない」
と書くように、ソ連共産党指導部のかかる見解は、東京裁判で昭和天皇を訴追しないとしたアメリカおよびGHQの判断に影響を与えただろう。東京裁判に臨むソ連代表団が提出した「戦犯リスト」に(昭和)天皇の名はなかった(p.104)。
 さらにのちのエリツィン大統領時代に、大統領顧問・歴史家ボルコゴノフは、戦後「スターリンが天皇制存続を望み、昭和天皇を戦争犯罪人にする動きに反対を唱えた」ことを明らかにした。彼によると、スターリンはモロトフ外相に対して、昭和天皇に戦争責任を負わせる意見に反対すると文書通達し、モロトフは駐ソ米国大使に口頭で伝達した。
 ボルコゴノフはスターリンの上記見解の理由として、①日本の「米国型政治体制」移行・米国の傘下入りの防止、②各国の君主へのスターリンの敬意、③アメリカの訴追しない方針に異を唱えて衝突するのは好ましくないとの判断、等を挙げた(p.104)。
 野坂の柔軟な<平和革命>路線はコミンフォルムから1950年に批判をうけた。また、野坂は1992年に、天皇に対する自分の考えは「祖国を遠く、…長く離れて孤立した環境」にあったことも反映して「今日の時点からみれば妥協的にすぎたきらいがある」と自己批判した、という(p.102)。
 だが、野坂の1945.10のソ連共産党幹部に示した見解は、天皇不訴追、天皇制度護持、さらには憲法上の天皇条項の制定に、いくばくかの影響を与えた可能性は高いだろう。ソ連共産党がこれと異なる見解を持っていたとすれば東京裁判や新憲法がどうなっていたかは、歴史のイフではある。
 上述のことで興味を惹いたのは、上の経緯よりも、その中で野坂もソ連共産党幹部も、天皇には「(神的な威信を備えた)宗教的機能」があることを認め、この「宗教的機能」にとどめるべきだ、との見解であったようであることだ。
 しかるに、新憲法上の天皇関係規定はどうなったか。「軍事」的権能はなくなったが、形式的・手続的であれ「政治」的権能はなおも保持している。そして、重要なのは、憲法上は「宗教的機能」に関する明記はなく、むしろ政教分離原則(憲法20条)との関係で、かりに天皇(・皇族)が「宗教」的行為をすることがあってもそれは「国事行為」でも(象徴たる地位に由来する)「公的行為」でもなく、個人的・「私的」行為にとどまる、と通説的には解釈されているということだ。
 上のかぎりで、ソ連共産党幹部の一人が1945年秋に述べたという、「基本的に日本の天皇は政治的、軍事的権力を削除し、宗教的機能だけにとどめるべきだ」との考え方は、とくに「宗教的機能」については、現憲法上は実現されていない、と言い得る。
 ソ連共産党ですら(少なくとも当時は)、天皇の「宗教的機能」を容認し、肯定していたのだ。
 しかるに、何故それが公的には否定されることになったのか。GHQの<神道指令>、日本国憲法上の宗教関係規定の制定等の歴史に遡らなければならない問題だ。むろんここで立ち入る余裕はない。
 なお、野坂参三が1945年秋にモスクワで述べたという、「戦略的には打倒を目指しても、戦術的には天皇に触れない」、当面は「民主体制確立というより一般的なスローガンを掲げながら、天皇制存続の問題は国民の意思に沿って決定すると宣言した方が適当」という主張・路線は、現在の日本共産党の主張・路線と全く同じだ、と思われる。「戦略的には打倒を目指して」いる政党であることを忘れてはいけない。

0720/名越健郎・クレムリン機密文書は語る(中公新書)の第二章-日本共産党が受けた「援助」。

 〇佐伯啓思・大転換-脱成長社会へ(NTT出版、2009.03)の第一章「出口のない危機」、第二章「ミクロとマクロの合理性」を読了したことは、その直近の日にこの欄で記した。
 その後、第三章「経済が『モデル』を失うとき」、第四章「グローバリズムとは何か」、第五章「ニヒリズムに陥るアメリカ」を読了し、ここまでが基礎的叙述かとも思った。さらに、第六章「構造改革とは何だったのか」という最も関心を惹くタイトルの章も読了し、現在は第七章「誤解されたケインズ主義」の途中(p.225あたり)。
 佐伯啓思の近年の本の中では経済学に最も傾斜しているかもしれないが、この程度なら私でも理解できるし、興味を持って読み進められる。
 佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008)や同・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)もそうだったが、今日の日本を考える上で重要かつ刺激的な見方・主張が多分に含まれていると思われるのに、なぜか、佐伯啓思の本は新聞も含めた書評欄等で話題になることが少ない。佐伯啓思の著の内容をめぐって活発な議論がなされている様子でもない。論壇が崩壊しているのか、それとも、何らかの<言論統制>が敷かれているのか。
 朝日新聞にとって都合のよい、親朝日新聞的論調の本であれば、杜撰な内容・論の本でも朝日新聞は大きくとり上げるような気がする(そして、何かの「賞」すら与えるかもしれない)。だが、佐伯啓思の近年の上掲のものを含むいくつかの本を、朝日新聞は完全に無視しているのだろう。新聞や週刊誌の書評欄などいいかげんなものだ(基本的には産経新聞や同社発行雑誌も同様かもしれない)。
 〇名越健郎・クレムリン機密文書は語る-闇の日ソ関係史(中公新書、1994)の第二章「日本共産党のソ連資金疑惑」のみを今年に入ってから読了(いつ頃だったか失念)。
 同書によると、コミンテルン後継機関として1947年に設立されたコミンフォルム(1956解散)の方針により、「各国の共産主義運動支援の名目」で「ルーマニア労組評議会付属左翼労働組織支援国際労組基金」という「秘密基金」がルーマニア・ブカレストに創設された。
 この基金とは別枠でソ連から直接に日本共産党に対して1951年に10万ドルが供与された(p.83-84)。上の基金からは日本共産党に1955年に25万ドル、1958年に5万ドル、1959年に5万ドル、1961年に10万ドル、1962年に15万ドル、1963年に15万ドル、が「援助」された(p.84、p.91)。これら以外に、日本共産党を除名された志賀義雄グループに1963年に5000ドル(対神山茂夫を含む)、1973年に5万ドル、が「援助」された(p.84、p.92)
 内訳は明確ではないが、この基金からの各国共産党(共産主義者)への「援助」はなんとゴルバチョフ時代の1990年まで続いた、という(p.84)。
 日本共産党の<所感派>(徳田球一・野坂参三ら)と<国際派>(宮本顕治ら)への分裂自体がコミンフォルムの1950年の日本共産党の当時の方針批判を原因としていた。日本共産党が、コミンフォルム=ほとんどソ連共産党、その解散後も上記基金運営の主導権を握っていたソ連共産党に財政的にも相当程度に依存していたことは明らかだ。
 志賀グループに対する以外の1951~1963年の日本共産党に対する「援助額」は累計85万ドルになり、これは30年後(1990年代前半)の貨幣価値では「10億円以上」になる、という(p.91)。
 1962年の「援助」に関する「ソ連共産党中央委国際部議定書」(1961.12.11)なる文書の存在も明らかになったというから興味深い。
 その文書を面倒だがそのまま書き写すと、次のとおり。
 「一、一九六二年に日本共産党に対し、一五万米ドルの資金援助を提供することを適切な決定と認める。
 一、セミチャストヌイ同志(KGB議長)は日本共産党への上記援助資金の引き渡しに責任を持つものとする。引き渡しに際し、『左翼労働組織支援国際労組基金』からの援助であることを周知させるよう通達する。

 日本共産党は<武装闘争>路線を放棄する1955年の所謂「六全協」によって統一回復を始め、1958年の第七回党大会で統一・規約決定、1961年の第八回党大会で新綱領を採択して、所謂<宮本顕治体制>が確立される。
 興味深いのは1950年代は勿論、日ソ両共産党が対立し始めるまでは1960年代に入っても、実質的にはソ連共産党からの財政的援助が日本共産党に対してあった、ということだ。
 日本共産党は1958年には<自主独立路線>を打ち出した。もともとコミンテルン(国際共産党)日本支部と同義だった日本共産党(1922年設立)がようやくソ連共産党から自由になったとも思わせるが、上の資料は、<自主独立>性を疑わせる。
 名越の本によると、日本共産党は上の資料が告げる事実を否定し、「援助はあくまで一部の内通者が要請したもので、党中央は一切関与していない」との立場で一貫しているらしい(p.93にはその旨の日本共産党・志位和夫書記長談話も掲載されている)。
 上のような援助のあること(あったこと)は、一般国民はもちろん一般党員にも知らされず、少なくとも正式には中央委員会はもちろん少数の常任中央委や幹部会でも報告されなかったのだろう。そして、上にいう「内通者」が要請し受領していたことは、宮本顕治ら数名のみが知っていた可能性が高い。
 上の志位談話は「ひそかに特別の関係を持」っていた「内通者」は「野坂参三袴田里見ら」だと述べている。
 語るに落ちたとはこのことだろう。「野坂参三や袴田里見」はのちに除名されたが、1950年代の有力党員であり、1958年~1963年の期間の日本共産党の正式な幹部そのものではないか。のちに除名したからといって、その事実が消えることはない。
 かりに「野坂参三や袴田里見」が「内通者」だったとしても、宮本顕治は、その「内通者」による資金援助要請と受領の事実を知っており、かつ(おそらくは積極的に)容認していたと思われる。
 名越はいう。「分裂時代の五一、五五年はともかく、五八~六三年については、秘密基金が日本共産党本部に流れた疑いは払拭しきれない」(p.95-96)。
 「党中央」と個々の幹部党員(「内通者」)とを区別する日本共産党・志位和夫の論理は実質的には破綻している。
 かりに万が一本当に「内通者」と称することが適切な者が存在したとしても、それが「野坂参三や袴田里見」という当時の幹部党員だったということを、志位和夫は(そして現在の日本共産党幹部および党員全員は)<恥ずかしく>感じるべきだ。それがまともな感覚というべきだろう(<自主独立>を謳うかぎりは)。
 1960年代半ば以降は、ソ連共産党は日本共産党と縁を切って日本社会党との「関係」を深めたと見られる。また、アメリカのいずれかの機関から、初期の自由民主党又はその前身諸政党への「援助」があった可能性を、今回の叙述は否定するものではない。
 なお、法律条文を確認しないが、名越によると、日本の政治資金規正法は「外国からの政治資金導入を禁止」しており、外国からの「資金受け入れは違法行為」で、「禁固三年以下ないし罰金刑」が定められている(この刑罰の対象は政党・政治団体ではなく、その代表者又は個々の国会議員等なのだろう)。

0705/社会科学辞典編集委員会編・新版/社会科学辞典(新日本出版社)と辻村みよ子における「社会主義」。

 社会科学辞典編集委員会編・新版/社会科学辞典(新日本出版社、新版1978)を見ていると、相当に興味深い。
 「社会主義」はこう定義されている-「生産手段の全社会的な共同所有を土台とする共産主義の低い段階(第1段階)のこと。プロレタリア革命によって…労働者階級が国家権力をにぎり、生産手段を社会の所有にうつし、…新しい集団的労働の関係をつくりだす。生産手段が社会的所有となることによって人による人の搾取はなくなり、直接社会のための労働となる。…<以下省略>」。
 そして、「社会主義」や「社会主義的」を冠する計14の項目がこの「社会主義」との項目のあとに続いている。
 また、「十月社会主義革命」との項目では、「…、ロシアで勝利した世界最初の社会主義革命。おなじ年の二月革命(ブルジョア民主主義革命)ののち、ロシアの労働者階級は、レーニンの指導するボルシェビキにひきいられて…<省略、中略>。十月革命は<中略>科学的社会主義の理論の正しさを実証し、人民解放の道をさししめした点で、世界の<中略>革命運動に絶大な影響をあたえ、新しい社会主義社会への移行の時代をきりひらいた。それは、資本主義から社会主義への世界史の根本的な転換を意味するものであった」、とある。
 上の意味の「社会主義」自体に、根本的疑問はある。
 例えば第一に、「生産手段の全社会的な共同所有」によって何故「搾取」がなくなるのか。何故「私的所有」だと「搾取」があるのか。これはマルクス主義の「剰余価値」理論に直接に関係する。そして、これを誤りと断じる経済学者もいる。
 第二に、二月の「ブルジョア民主主義革命」のあと十月に「社会主義革命」が起こったというが、「ブルジョア民主主義」(かつおそらくは「資本主義」?)の時代がたった8カ月しかなかった、というのはあまりに短すぎるのではないか? ロシアは実質的には封建制又は絶対主義→「社会主義」と移行したのであって、マルクスのいう、封建制・絶対主義→資本主義→「社会主義」という<歴史の発展法則>を踏襲していないのではないか。
 しかし、上の辞典において、「社会主義」概念はそれ自体は確固たる、明確な言葉として用いられている、ということにここでは注目しておく。
 なお、上の辞典は新日本出版社によって刊行されていることで推察されるように、実質的には、日本共産党による事実上の公式的な諸概念説明が提示されている、と見てほとんど間違いない。
 1991年のソ連解体前の辞典であることも注意しておいてよいだろう。したがって、「スターリン」の項を見ても、「半面、…社会主義的民主主義の侵犯など一連の重大な誤りをおかした」等の批判的叙述もあるが、スターリン率いるソ連は「社会主義」国(又は少なくとも<社会主義を目指す>国家)ではなくなった、という記述は欠片(かけら)もない
 この辞典が1991年以降には新々版(第三版)となって、スターリン等々に関する記載内容が訂正されているかどうかは知らない。
 但し、日本共産党が「社会主義」概念を否定・放棄したわけでは全くないことは現在の綱領を見ても判る。そして、同党はソ連解体に際してそれを<歓迎>し、ソ連は「社会主義」国家ではなかった、従って「真の社会主義」の敗北ではない、と断じたのだったが、かつても書いたように、ここで日本共産党(員)においてどのように整理・理論的総括されているのかがよく分からない問題が生じる。
 すなわち、日本共産党によると、レーニンは「正しく」、スターリン時代から<社会主義>国でなくなったようだが、スタ-リン以降のソ連は、ではいったいどのように基本的に性格づけられる国家だったのか? 
 ①資本主義国でも「社会主義」国でもなかった。②「社会主義」国だが、「真の社会主義」国ではなかった。これら2通りの回答がありうるが、「真の社会主義」ではない「ニセの社会主義」とは日本共産党にとっては本来の「社会主義」とは異なる紛い物という意味だろうから、結局は「社会主義」国ではない、ということになり、上の①と同じことになるだろう。では「資本主義」国家へと<逆流>していたのかというと、同党はそうは説明していない筈だ。
 とすると、日本共産党は、スターリン以降のソ連を「資本主義」でも「社会主義」でもない<第三の>国家類型に属していたものと理解していることになるのではないか。そして、そのような考え方は同党のいう「科学的社会主義」、つまりは<マルクス・レーニン主義>では説明できない、あるいはマルクスは想定していなかったものなのではないか?
 というような疑問が生じるのだが、このような曖昧さに歩調を合わせているかにも見えるのは、すでに紹介した辻村みよ子の、今日では「資本主義と社会主義の要件」が「変容」し、「区別の基準が不明確になっている」という断定的な(しかし簡単な)叙述だ。
 たしかに日本共産党の「社会主義」概念は、ソ連をどう見るかという問題に表れているように「不明確」ではある。だが、同党は一般的に「社会主義」概念を、そして「社会主義」と資本主義の区別を否定しているわけではないので、かりに辻村みよ子が一般的に資本主義と「社会主義」の<相対化>という認識に立っているとすれば、それは少なくとも日本共産党の理解と同一ではない。
 辻村みよ子は一方で日本国憲法の下での日本の「社会主義」化の可能性に関する学説に触れつつ、一方では「社会主義」概念の変容あるいは不明確化に言及して、巧妙に、ソ連「社会主義」国家の崩壊という重要な現実への言及を避けている、と言える。
 但し、憲法29条1項に関する<制度的保障説>の核心は「生産手段の私有制」にある、と「生産手段」との語を使って述べて、「社会主義」について上記の辞典にいう「生産手段が社会的所有となる…」との説明と同じ(対)概念用法を用いていることは(辻村・憲法/第三版p.265)、この人の思想的・教養的基礎が奈辺にあるかを垣間見せてくれてもいる。この点も興味深い。

0650/闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性(?)。

 一 月刊正論2月号(産経新聞社)の八木秀次コラム(p.42-43)は、かなりの問題性を含む。
 
田母神俊雄論文の発表につき、八木秀次は、①「内容とは次元の異なるところで大いに問題があった」、②「村山談話」が「日本国政府の手足を縛る有効な道具であることを左翼勢力に再認識させた」と批判し、「その意味で、…田母神氏の一連の発言を褒める気にはなれない」と述べる。
 桜田淳森本敏に近い見解だろうか。
 <保守>派の一つのありうる反応なのだろうが、かかる見解はやはりおかしい。批判されるべきだ。
 せっかく温和しくして(刺激的な言動をしないで)国民の信頼も徐々に獲得してきたのに田母神俊雄論文で台無しになった、というかのごとき論調は間違っている、と考える。それに、八木秀次は別の間違いも犯し、無知蒙昧さを明らかにしている。
 二 第一に、八木は、田母神論文の影響で、統合幕僚学校等の「外部講師」の現状が調査され再検討され始めた、という。日本共産党も「外部講師」の人選を調査していた、という。
 だが、「再検討」の是非はともかくとして、統合幕僚学校等の「外部講師」の人選の現状は、日本国民一般に対して明らかにされても原則的には何ら不思議ではないのではないか。
 国公立大学(法人)はもちろん私立大学でも、専任教員の他、どのような非常勤教員が来て教育を担当しているかは、積極的にあるいは問い合わせ・調査があれば受動的にでも、明らかにされているだろうし、明らかに(公開・開示)されるべきだ。
 統合幕僚学校や防衛大学校についても、これらは上記の学校教育法上の学校でないことは承知の上だが、どのような人たちが教師・講師になっているかは、防衛に対する国民の信頼を得るためにも、国民の関心に応えるためにも、国民に公にされてよいものだ(原則的には公開されるべきだ)という見解が十分に成り立つ。
 これが消極的に解されるためには、正規教員や「外部講師」の氏名を明らかにすることが、(間接的にせよとくに中国・北朝鮮という近隣諸国に知られることによって)わが国の防衛(行政)上著しい支障が生じると認められる場合に限られるのではないか。
 自衛隊は国の一組織であり、その内部に置かれる学校についても、(行政機関)情報公開法の精神は及ぶはずだ(行政機関情報公開法=法律は防衛省も適用対象とする。そして「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ……があると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」は開示しないことができる(同法5条3号))。
 説明責任といってもよいし、あるいは透明性の問題であるかもしれない。軍事・防衛関係に<秘密>にしておくべき事項があることは当然のことだが、しかし、その対外的<秘密>事項の中に、統合幕僚学校等の「外部講師」の氏名は含まれるのかどうか。いかに「個人情報」だとしても、公金によって講師料を支弁されている者の<プライバシー>の保護は<秘密>性確保の理由にはならないだろう。
 八木秀次は憲法学者の筈だ。だとすれば、以上のような思考をしなければならないのではないか。
 しかるに八木は、共産党・赤旗の記者に自分の「外部講師」歴を問われて(国会に提出された資料中の)特定大学助教授だけでは「わからない」と答えたとし、自分以外のすべての「外部講師」本人が氏名公表に同意したのは「賢明な判断だとは思わない」、と批判している。
 その理由は、八木によると、①「統幕学校での講師の人選に一定の傾向があることが露見してしまった」こと、②防衛大臣が「見直しを明言した」こと(「村山談話」の線に沿った講師が選ばれそうなこと)、にあるようだ。
 八木秀次という人は、小粒の、<いじましい>人のように見える。上の①中の「講師の人選に一定の傾向があることが露見してしまった」とは、何と情けない文章だろう。<一定の傾向の講師たちで何故いけないのか>と堂々と開き直る(?)べきではないのか? あるいはそもそも「一定の傾向」とは何なのか?(「一定の傾向」について八木は自信・確信を持っているのか。自信・確信があって「一定の傾向」なる語をあえて使うだろうか?)
 また、悪いことをしていたわけでもないのに、日本共産党記者に対して、何故堂々と、自分も「外部講師」だった、とどうして言えないのか?
 そしてそもそも、前述のような、防衛行政を含む国政(・行政)についての説明責任・「情報公開」の要請といった論点は、この人の頭の中には全く存在しないようだ。
 実際の説明責任のとり方・「情報公開」制度の運用について問題が全くないとは思わない。<左翼>がこれらを利用している面は否定できない。しかし、憲法学者ならば、こうした論点があること自体は留意しておくべきではないか。こうした意味で、私は、八木秀次には憲法学者として<無知蒙昧>なところがある、と感じる。
 「外部講師」の人選の見直しの是非はまた別の次元の問題だ。さらに、こうした現状調査や見直しのきっかけを作ったのが田母神俊雄論文の発表だとして八木秀次は批判の根拠としているようだが、これまた別次元の問題だ。「見直し」に問題があるならば、それはそれとして堂々と批判すればよいのではないのか。
 三 第二に、上記とも重複するところがあるが、八木秀次は原因・結果の関係についての理解が<倒錯>しているように見える。
 すなわち八木は、田母神論文は、「村山談話」の有用性を左翼に「再認識」させた、という咎がある、と主張している。しかし、そもそもが左翼勢力が「村山談話」を生み出したのだったし、八木自ら「再認識」と書いているように、その有用性くらい、<左翼勢力>はとっくにご存知なのだ。内閣総理大臣が交代するたびに「村山談話」の継承の有無を問う朝日新聞をはじめとするマスメディアがいる。
 どの程度<左翼的>かは不明だが、1998年の日中共同声明に「村山談話」の「遵守」を盛り込んだ外務官僚もいたのだ(積極的に賛成したのだとすると、首相や外務大臣も「左翼」と称しうる)。
 本当の<保守>派は田母神俊雄の揚げ足取りをするのではなく、第一には「村山談話」をこそ問題にして、それを批判すべきではないのか。より正確には、「かつての一時期」の日本=<侵略国家>という一面的で単純な歴史認識自体を払拭するように各方面で尽力すべきではないのか。
 なお、八木は田母神論文のおかげで「自衛隊を含む政府関係機関の歴史観・国家観は二十年前に逆戻り」だという(コラムのタイトルも「逆戻りする歴史観」になっている)。
 こういう認識を私は持たない。政府関係機関(担当者)の歴史観・国家観をこのように単純に述べることはできないと思うし、かりにこれが正しい指摘だとしても、それは田母神論文が原因なのではなく、「二十年」の間に徐々に進行していた事態なのだと考える。
 四 タイトルに最初に付した「日本共産党・若宮啓文との類似性(?)」について書くのを忘れていた。
 簡単には次のようなことだ。
 1 日本共産党はかつて(1960年代後半~1970年代)、「全共闘」派あるいは<新左翼>の<暴力>を批判する際に、敵(権力)を過激な暴力行為で挑発して治安機構を拡大強化させている、自衛隊の治安出動すら生じさせようとしている、彼らは敵(権力)の「手先」・「別働隊」だ、というようなことを主張していた。
 八木の田母神俊雄批判はこれに少しは似ていないか? 「闘う」者に対して、そんな闘い方をしたら却って「敵」を有利にするだけだ、と八木は田母神俊雄を批判している、と言ってよい。
 2 若宮啓文は、朝日新聞昨年7/21のコラム(風考計)で次のように書いていた。
 日本の学習指導要領「解説書」に教育事項として<竹島は日本の領土>の旨が盛り込まれた。「それにしても、『独島』に寄せる韓国の情念を知りつつ、なぜまた刺激するのか」、「このセンスはどんなものだろう」。
 朝日新聞・若宮啓文お得意の<中国・北朝鮮・韓国を刺激するな>(なぜならかつて侵略又は植民地化した国だから)という見解・方針が露骨に示されている。
 八木秀次の田母神批判は、これに似てはいないか?
 かつての「歴史認識」に関する<左翼>の「情念」を知りつつ、「なぜ…刺激するのか」、刺激しないで(言いたいこと・書きたいことも言わず・書かずにして)おけば、従前どおりの状態でおれたのに、と八木は主張しているようなものではないか? 
 五 八木秀次に大した期待はしていないが、身辺回りのみならず、<大局>を観てもらいたい。

0601/日本共産党に未来はない-月刊正論11月号・筆坂秀世「”上げ潮”日本共産党の虚実」。

 月刊正論11月号(産経新聞社)の筆坂秀世「”上げ潮”日本共産党の虚実」を興味深く読む(これや既に言及したもの以外は興味深くなかった、との趣旨ではない)。
 元日本共産党幹部の筆坂秀世はかつて三和銀行時代も含めて、とくに若い世代の者たちを日本共産党に入党させることに貢献したものと思われる。そして、私から見て<客観的>には、コミュニズム・日本共産党にかけがえのない・一度しかない・貴重な青春と人生を<奪われて>しまった人たちも少なからずいるに違いない。
 筆坂秀世はそういう人々に対する後悔・反省・償い・贖罪の観点からだけでも、反日本共産党の言論活動をすべきだ。むろん、不破哲三が「ここまで落ちるのか」と書いても気にすることはない。
 さて、この筆坂論文は、7月の日本共産党六中総で志位和夫が「九千人近い新入党員を拡大し…」と、まるで純増9000人、しかもそれが「蟹工船」ブームによるかの如きことを述べたことを疑問視している(p.99-)。
 筆坂によると第一に、新入党員のうち「若者」は「二割」で「蟹工船」ブームとの関係は「きわめて限定的」。
 第二に、一方で志位は「党勢拡大は、…党活動全体の中では最も遅れた分野」なことを「私たちは直視」すべきと、党勢拡大=党員数拡大と矛盾することを述べていることからして、「本当に党員は増えているのか」疑問。そして、「増えた以上に減っている可能性すらある」(p.101)。
 つまり「九千人近い新入党員」とは全くの純増ではなく、九千人増えても一万人が離党すればマイナス千人(二万人だとマイナス一万千人)になっている可能性もある。
 第三に、上のことを推測させるのは次。赤旗本紙発行部数は2005年比で約3万、日曜版で約13万八千減っていることを「赤旗」は明らかにしている。本当に「大量に入党者が増えている」なら、こんなことはありえない筈だ。
 私の知人に、大学生(大学院学生?)時代に日本共産党に入党した(させられた)と推測され、昨年あたりのネット情報の中で、某道府県の「九条の会」呼びかけ人になっていることを知った者がいた。30年以上にわたって日本共産党に囚われて続けていることを知り、かつもはや残りの人生年数の方が少なくなっていることを思って、可哀想に、という複雑さも含む感慨をもってしまった。
 筆坂による日本共産党の現況の一端を読んでみても、当然ながら、日本共産党に未来はない。次の総選挙でも<躍進>はありえないだろう。縮小→解党へと少しずつでよいから歩んでほしい。
 日本共産党は21世紀の遅くない時期に「民主連合」政権の樹立を目指しているのだがら、かりに日本共産党のプランどおりに歴史が推移しても、日本に真の民主主義革命と社会主義革命が起こり、日本が社会主義社会になるのは、「21世紀の遅くない時期」のはるかのち、22世紀になるだろう。今から100年以上のち。今生きている人々のすべてが死んでいる。すなわち、今生きている日本国民の誰一人として、日本における「社会主義」を経験することはできないことに―日本共産党が今言っていることを前提にしても―なる。
 もっとも、中国(共産党)の力による中国と一体になるような「社会主義」化の危険性はあるが、この論点には触れないでおこう。
 また、日本共産党員が編集長をしているらしき「ロスジェネ」とかいう雑誌につき、あえて同党が「特定の雑誌を支持、賛美する方針はとっていません」と今年5/31付「赤旗」で<宣告した>という共産党らしさ(p.106)、そしてまた新日本出版社の「経済」という雑誌は明瞭に「支持、賛美」しているという共産党らしき矛盾・欺瞞(p.107)も興味深いが、省略。

0516/日本共産党系学者による、講座・革命と法(日本評論社、1989-)。

 日本共産党がその勢力・「大衆的人気」のピークを迎えた頃、1976年から1980年まで、日本評論社から天野和夫=片岡曻=長谷川正安=藤田勇=渡辺洋三編・マルクス主義法学講座全八巻が刊行されたことはすでに触れた。編者は全員が日本共産党員だと見られることは既に述べたと思うし、所持している巻のかぎりでは、非又は反・日本共産党派の法学者は(かりにいたとしても)執筆者に加えられていない。また、現社長の林克行が編集担当だったようであることは、最終刊の第五巻に触れたときに記した。
 第一巻・第三巻・第五巻・第六巻については、目次・執筆者程度のそれらの内容を、すでに紹介した。
 その後の日本共産党の退潮あるいはひょっとすれば法学界内部での日本共産党系マルクス主義者の減少によって、類似の企画はなかったかと思っていたが、どっこいそうではなく、上記の編者のうち三人、すなわち長谷川正安・渡辺洋三・藤田勇を編者として、1989年から講座・革命と法というのが、やはり日本評論社から出版されていることを知った。
 各巻のタイトルは、第一巻・市民革命と法、第二巻はフランス人権宣言と法、第三巻は市民革命と日本法。第一巻は、1989年の7月に、第二巻は1989年の11月に出版されている。「人権宣言200年記念」と謳われているとおり、1789年のフランス革命から200周年を記念としての企画だったと思われる。だが、その年にベルリンの壁が崩壊し、翌々年には「社会主義」ソ連邦も解体してしまうとは、企画者・編集者・執筆者はきっと想像もしていなかっただろう。
 さて、第一巻の目次前の「刊行の言葉」(第二巻でも共通)で、編者たちは三名連名で例えば次のように書く。-「ここでは、『革命』という…概念を、なによりもまず『ある階級の手から他の階級の手への国家権力の移行』(レーニン)として理解する」。「マルクス『経済学批判』序言にいう『社会革命』の問題が想起される。ここでは、土台と上部構造の全体、すなわち、社会構成体の構造的転換が『社会革命』としてとらえられている」。
 また、第二巻の序説を担当して藤田勇は例えば次のように書く。-「ロシア革命はフランス革命とその『伝記』を世界史的に蘇らせた」。「ブルジョア革命をのり超えたものとしての社会主義革命を称揚するという文脈」でだけではなく、「社会主義革命の遙かな水源を開いたという理論的意味づけ、世界史の運動における『革命』…の意味づけにかかわってのフランス革命の蘇り」だった。「じつはフランス革命は、近代ブルジョア社会の批判思想としての社会主義(共産主義)思想の起点をなしている」。「フランス革命二〇〇年は、近代社会主義史をその不可分の構成部分とする」。
 藤田勇は「社会主義」ソ連邦が解体したあとも「社会主義(共産主義)」や「ロシア革命」についてこう書いたのだろうか。のちの日本共産党の公式見解―ソ連は「社会主義」国家ではなかった―とは違って藤田はロシア革命を「社会主義」革命と理解しているようであることも興味深いが、のちにはロシア革命=「社会主義」革命は間違いなく正しいが、この道を誤らせた(「社会主義」でなくした)のはスターリンだった、とでも書くのだろうか。
 それにしても、化石のような、というか黴が生えたような、マルクス主義「教条的」な文章を久しぶりに読んだ。
 なお、上の藤田の文に見られるように、フランス革命はロシア革命の「水源を開いた」ものと理解されていることに注意が向けられてよい。かつて、あるいは現在もなお、フランス革命を「賛美」し積極的に肯定的評価を下した(している)者の多くは、少なくとも気分としては、ブルジョア資本主義社会→労働者中心の「社会主義」社会という<進歩的>・<発展段階的>歴史観を抱いていたことは隠れもない、と思われる。
 以下、上の講座の第一巻と第二巻の章・節等と執筆者名を記録しておく。マルクス主義法学講座の執筆者は自ら「マルクス主義」者であることを自認していたと思われるが、こちらの方の執筆者は全員がそうではない、と思われる。しかし、<親>マルクス主義(かつ親・日本共産党、少なくとも<反・反日本共産党>)の者であることは疑い難いものと思われる。所属は発刊当時。加藤哲郎は法学者ではなさそうだ。
 第一巻 第一章「イングランド革命と法」-戒能通厚(名古屋大学)
 第二章「アメリカ革命と法」-望月礼二郎(東京大学)
 第三章「フランス革命と法」
  第1節「フランス革命と近代憲法」-樋口陽一(東京大学)
  第2節「フランス革命と近代私法秩序」-稲本洋之助(東京大学)
  第3節「フランス人権宣言と刑事立法改革」-新倉修(國學院大学)
 第四章「ドイツ革命と法」
  第1節「フランス革命期の人権(基本権)思想」-石部雅亮(大阪市立大学)
  第2節「『法による社会変革』と法律実証主義」-広渡清吾(東京大学)
 第二巻・序説・第一章「フランス人権思想と社会主義思想」のうち「はじめに」・第3節以下-藤田勇(東京大学)
 第一章の第1節・第2節-鮎京正訓(岡山大学)
 第二章「ロシア革命思想における法の観念」-大江泰一郎(静岡大学)
 第三章「東欧革命における民主主義の問題」
  第1節・第2節-早川弘道(早稲田大学)
  第3節-竹森正孝(東京都立短期大学)
 第四章「社会主義と『政治的多元主義』」-小森田秋夫(東京大学)
 第五章「フランス人権宣言と第三世界」-鮎京正訓(岡山大学)
 第六章「フランス人権宣言と現代の『民主主義革命』」-加藤哲郎(一橋大学)
 以上。これらのうち若干のものについては、論及する機会を別にもちたい。何度か言及した、憲法学者・樋口陽一も上記のとおり、執筆者の一人だ。

0477/日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-2。

 藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書、1991)の藤谷執筆部分によると、1950年代末から、伊勢神宮の<国家的保護>を求める動きが「神宮関係者や神職を中心とする保守的勢力」から起こり、「〔伊勢〕神宮国有化論」まで出てきたという。
 藤谷自身が「伝えられている」とか「いわれている」とか書いているのだから、どの程度の信憑性があるのか疑えないこともないが、「神宮国有化論」者の論点は次の二点にあると「いわれている」、らしい。
 ①「伊勢神宮は天皇の祖先をまつる神社」で、「皇室・国家と不可分」だから、少なくとも「天皇祭祀に必要な神殿や、敷地は国有とすべき」。
 ②「天皇の神宮に対する祭祀は私事」とされているが、「国家の象徴としての天皇の行為」で、「国家の公事としてみとめるべき」。
 ここでの「天皇の神宮に対する祭祀」とは何を意味するのか必ずしも明瞭でないが、伊勢神宮による祭祀への援助や天皇(・皇室)又はその代理者(勅使)が主宰者となる伊勢神宮での祭祀のことだろう。
 以上の二点は、「国有化」に直結する論拠に当然になるかは別としても、しごく当然の問題提起だ、と考えられる。
 (皇居内の「天皇祭祀に必要な神殿」・「敷地」の所有者は誰かは、別の回に記述する。)
 この欄でいく度か書いたように、伊勢神宮が天皇(・皇室)(のとくに「祭祀」)と不可分で天皇もまた国家と不可分(少なくとも「日本国の象徴」)だとすれば、伊勢神宮という一宗教法人の「私産」や天皇の「私的」行為と位置づけるのは奇妙であり、政教分離原則を意識するがゆえの「大ウソ」ではないかと思われる。
 だが、上の①・②を藤谷俊雄はつぎのように一蹴する。
 「まったく時代逆行の意見であることは、本書の読者には明らかなことと思う」(p.212)。
 「時代逆行」性が「明らか」だとは読者の一人となった私には思えないが。
 以上を叙述のほぼ最終的な主張としつつ、藤谷は以下のことをさらに付記している。
 1.「全知全能の神」があるならそれは「ただ一つ」でなければならず、「すべての人間を公平無私に愛する神」でなければならないのに、「特定の国家」・「民族」(・「種族」)だけを守る「神」は「未開人の神と大差ない」。「文化国家」の人々は「いいかげんに利己的な神信心〔ママ〕から目覚めていい」(p.212-3)。
 これはのちに「日本」と呼ばれるに至った地域に発生した「八百万の神々」があるという神道に対する厭味・批判なのだろう。だが、私は熱心な神道信者では全くないが、それでもバカバカしくて、反論する気にもなれない。この藤谷という人は、<宗教>をまるで理解できていないのではないか。マルクス主義者=唯物論者なら当然かもしれない(なお、神道は本当に「宗教」の一つなのかという問題があることはすでに触れている)。
 2.「天皇がどのような宗教を信じようとも天皇の私事である」。だが、それを「公事として全国民におしつければ、国民の信教の自由が失われることは歴史のしめす」ところ。「明治以後の国家がおかした過誤」が再び「繰り返され」てはならない(p.213)。
 「天皇がどのような宗教を信じようとも天皇の私事である」とは、さすがに、かつての一時期には<天皇制打倒>を唱えた日本共産党の党員(又は少なくとも強い支持者)の言葉だ。天皇(・皇室)の<信仰の自由>という問題・論点も出てきそうだが、立ち入らない(歴史的・伝統的な諸種の祭祀が「神道」という<宗教>が付着したものならば、天皇(・皇室)には<信仰の自由>はない、<天皇制度>とはそもそもそういうもので、<基本的人権>の類の議論とは別次元の存在だ、と解するほかはないだろう、と考えられる)。
 上の点よりも、<神道>を「公事として全国民におしつけ」る、ということの正確な意味が解らないことの方が問題だ。<国家神道化>を意味するのだろうか。そして<神道>を「公事として全国民におしつけ」れば、「明治以後の国家がおかした過誤」を再び繰り返すことになる、という論理も随分と杜撰だ。
 <国家神道化>は必然的に、あるいは論理的に、<明治以後の国家の過誤>につながった、あるいは、その不可欠の原因になった、のだろうか。
 むろん「明治以後の国家がおかした過誤」というものの厳密な内容が書かれていないので、上の適否を正確に検証することは不可能だ。しかし、神道の(少なくとも)<公事>化が戦前日本の「過誤」につながるというという指摘は、歴史学者・研究者の認識・それにもとづく主張ではなく、<政治>活動家のアジ演説的叙述であることに間違いはなく、この書物は上の2.を書いて全体を終えている。
 以上、近日中の読書メモの一つ。 

0476/日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-1。

 藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書、1991)は、三一書房から1960年に刊行されていた同一タイトル・内容の本の「新版」だが、「新版のあとがき」(直木)を除いて、三一書房版と異ならない。こんな経緯はともかく、新日本新書とは有田芳生日本共産党員だった時代に勤務していた新日本出版社の「新書」で、有田の企画・編集した本が日本共産党中央の不興を買って有田が日本共産党を除籍されたことでも明らかなように、実質的には日本共産党の出版物だと言っても誤りではない。少なくとも、日本共産党に都合の悪いことやその主義・主張に矛盾する内容は書かれていないものと推測される。さらに、執筆者の一人の藤谷俊雄は元・部落問題研究所(日本共産党系)の理事長で、日本共産党員だったと推測できる人物だ。
 そのような新日本新書が「伊勢神宮」について書いているとなれば、興味を惹かないわけがない。1960年時点ですでにあった「まえがき」で藤谷は「伊勢神宮の真実」を語る旨を書いているが(p.10)、ある面では、日本共産党系の出版物ですら、伊勢神宮について、~のことは肯定している、という形で利用することもできる。例えば、直木孝次郎執筆部分では、日本書記の記述は疑う必要があるが、「七世紀の天武天皇の頃に天照大神を祭る神宮が伊勢にあったこと」は「間違いない」、とある(p.13)。神社本庁又は(伊勢)神宮の言っている歴史がいかほど信用できるのか、という疑問をもつ者も、<日本共産党系の出版物ですら>認めているとなれば、疑念を解消するだろう。
 もちろん私の関心は敗戦後から現在に至る伊勢神宮に関するこの本の叙述内容にある。
 最近に読んだ本と比べて、まず、GHQの<神道指令>の前文をそのまま詳しく引用しつつ肯定的評価を与え、かつ憲法20条(政教分離条項)も全文を引用して歓迎的に叙述している点が異なる。
 憲法20条については、はたして適切かと疑問をもつが、以下の文章がある。-「無神論者だけではなく、宗教についてもっともまじめに考える宗教者たちが、この憲法の信教の自由に関する規定を心から歓迎したのは明らかである」(p.205)。
 このあたりですでにさすが日本共産党又は日本共産党系という感想が生じるが、伊勢神宮に対して<冷淡な>感覚をもって記述していることは、次のような文章(藤谷俊雄)からもうかがえる。
 ・「戦後数年間の神宮の荒廃はめだつものがあった」。
 ・「あるときは占領軍のジープが…殿舎の前まで乗りつけて、アメリカ兵が五十鈴川に釣り糸をたれて魚をとり、手あたり次第に神域の大木を切り倒したりしても、…衛士たちは、だまってひっそりと、遠まきにこの光景をながめているだけであった」。
 引用だけでは感じ取れないかもしれないが、こうした文章からは、<愉快に感じて>書いている気分が染み出ており、決して伊勢神宮を<気の毒に感じて>書いているのではないことがわかる。上の第二の文などは、いったい何のために挿入されているのか、と訝しく感じざるをえないものだ。
 上のように荒廃しかつ参拝者の激減や式年遷宮の延期もあったが、藤谷は次のように言う。
 ・「日本国家および軍国種主義とかたくむすびついてきた神社が、この程度の打撃をこうむったことは当然であって、…むしろ打撃は少なすぎた」(p.207)。
 もっと打撃を被り、(伊勢神宮等の各神社と神社制度の)衰退そして解体・崩壊があればよかった(その方が望ましかった)、という書き方だ。さすがに日本共産党又は日本共産党系。
 ついで、参拝者数の復活・増大、式年遷宮(1953年)の成功裡の実施等について、こんなことが指摘されているのが目を惹く。
 第一。<遷宮のための「奉賛会」による募金活動が活発になされ、旧町内会・隣組組織による「半強制的な寄付」があちこちであった。かかる組織の募金活動をGHQは禁止したが「一向にききめがなかった」のは、①「保守勢力が、意識的にサボタージュしたこと」、②「地方の神社の氏子組織が解体されずに残っていた」による。>(p.209)
 旧町内会・隣組組織にあたる又は近いものは今日でも町内会・自治会として残存している。簡単には論じられないが、一般的に<古いもの>・<国家・行政に利用されるもの>と認識するのは間違いだろう(そこまでこの本が踏み込んで書いているわけではないが)。
 また、上の②のように、「地方の神社の氏子組織が解体されずに残っていた」ことを消極的に評価していることが興味深い。現在でも「神社の氏子組織」は強固さの程度の差はあれ、残存していると思われる。そして、上の<町内会・自治会>の問題も含めて、戦後又は近年に喪失・崩壊しつつあるとされ、その喪失・崩壊がむしろ批判的に又は憂慮的に捉えられることが多いと見られる<地域共同体・地域コミュニティ>問題にかかわっている。
 日本共産党又は日本共産党系の本は「地方の神社の氏子組織が解体されずに残っていた」ことを否定的に評価していた、ということを記憶しておこう。
 第二。<「戦後の神社復興」に手を貸したものとして「交通資本や観光の産業資本」を無視できない。近鉄(近畿日本鉄道)は「奉賛会」に500万円もの寄付をした。「もうけんがための神社参拝の宣伝」か゜中世以来の「巡礼運動」を「再生産」している事実を「見直す」必要がある。>(p.210)
 藤谷は「無責任な大衆煽動」という表現まで使っているが、遅れてであれ式年遷宮が実施され、参拝者数も回復してきたことについて、その背景の重要な一つを「もうけんがための」「産業資本」の動きに求めているわけだ。
 さすがに…、というところだが、これはあまりに卑小で、一面的な見方だろう。敗戦直後は日々の生活に忙しくて神宮参拝をできなかった人々がある程度落ちついてのちに伊勢神宮を参拝をするようになったことは「交通資本や観光の産業資本」による「もうけんがための神社参拝の宣伝」による、とは、あまりにも参拝者の心情を無視している、と考えられる。
 私にはおそらく理解不可能だが、敗戦・国土の荒廃という衝撃のあと、伊勢神宮に赴き、再び手を合わせる人々の心中は、いかなるものだっただろうか。たんなる遊興や観光の気分でなかったことは明らかだろう。そんな国民大衆の心情を、日本共産党員又はマルクス主義者もしくは親マルクス主義者は理解できないに違いない。
 一回で終える予定だったが、さらに別の回で続ける。

0475/社会の<犠牲者>への「死刑」制度適用を日本共産党員等は阻止しようとする。

 死刑(制度)廃止論・維持論(反対論・賛成論)には、一方に人命尊重・冤罪可能性等、一方に予防効果・応報感情等の論拠があることで、以下では、一般論としてもこれを論じない。また、光市母子殺害少年事件判決が昨日4/22に広島高裁で出たことをきっかけにして以下を書くが、この事件にも直接には言及しない。
 いつか書こうと想っていたのは、<人権派弁護士>とやらに(も)多いらしい、死刑廃止論又は死刑判決阻止論の<基礎的・精神的な>背景だ。
 死刑廃止論又は死刑判決回避論に一般的・絶対的に反対というわけでは必ずしもなく、こうした論が<人権派弁護士>又は<左派(左翼)>に傾向的には多いようであることの理由を推測するのが、以下の文だ(左派・右派の区別が死刑(制度)反対論・賛成論の区別に綺麗に対応しているとは論理的には思えないが、相対的・傾向的には上のようなことが言えるような印象がある)。あくまで推測・憶測で実証的又は理論的な根拠があるわけではない。
 前置きが長くなった。
 <人権派弁護士>又は<左派(左翼)>の中には当然に、日本共産党員若しくはそのシンパ又は非・反日本共産党系のマルクス主義者・親社会主義者が含まれる。日本共産党員・同シンパ等(=マルクス主義者・親マルクス主義者)は<資本主義社会>又は<自由経済主義(経済的自由主義)>に批判的で、日本のような「自由主義」社会を「革命」によって究極的には「社会主義社会」→「共産主義社会」にすることを意図している。
 彼らにとって、現実の日本社会は資本主義社会の一つとして克服・転覆の対象であり、その社会は多くの(資本主義社会ならではの)多くの欠陥・問題点を含んでいる。
 その欠陥・問題点の現れは<犯罪>の発生とその多さで、とりわけ<異常な犯罪>の発生はその徴表となる。
 とすれば、<犯罪>を冒した者にその<責任>が問われるべきであり、<刑罰>が科せられるべきであることにいちおうは反対しないとしても、彼らにとって、本当に悪いのは、本当に責任を負うべきなのは、犯罪者(加害者)個人ではなく、資本主義社会という社会そのものなのだ。
 彼らにとって、資本主義社会は<うまく・スムーズに・秩序だって>機能する筈のない社会であり、犯罪者(加害者)が現れてもそれはむしろ<自然・当然>のことで、犯罪者(加害者)は見方によれば、社会の問題性を暴露してくれる<英雄>ですらあるのだ。
 したがってまた、犯罪者は形式的・表面的には「加害者」であるとしても、じつはそのような犯罪・加害を生む原因は資本主義社会という社会、日本でいうと、日本の現在の社会にあるのであり、犯罪者(加害者)は、より本質的には<悪い>社会の<犠牲者>であり、<被害者>なのだ。
 彼ら「親共産主義者」(=マルクス主義者・親マルクス主義者)はまた、資本主義「国家」(社会主義に至っていない「近代国家」)にも批判的であり、「国家」を悪玉視しており、事あるごとに「国家」(・「行政」)の粗探しをし、社会を混乱させることを意図する(紛争・紛議・混乱が生じないと<革命>の契機が生じず、そのための雰囲気を醸成できない)。
 「刑罰」とは、そのような「国家」が科すもので、最終的には国家機関としての裁判所が、その事前過程においては「国家の手先」としての警察・検察(官)が、罰則適用に向けての仕事に従事する。
 「悪」の元凶そのものである「国家」が、社会(・国家)の<犠牲者>であり、社会(・国家)の欠陥・問題性を暴露してくれた犯罪者(加害者)に対して「刑罰」を科すとは、ましてや生命を奪う「死刑」判決を出してそれを執行するとは、絶対に許すことができないことなのだ、彼らにとっては。
 以上やや書き足らないが、①独特の「国家」観と②独特の「犯罪(者)」観を持っているのが、<人権派弁護士>等の中にもいると思われる日本共産党員等のマルクス主義者又は親マルクス主義者だ。それらからして、「国家」による「犯罪(者)」の<殺人>などは絶対に認めることはできない。反復すれば、加害者とされている者は、より正しくは、<汚い>社会(・国家)の<犠牲者>であり、<被害者>なのだ(そして、犯罪被害者よりも加害者の「人権」を重視するかのような<人権派弁護士>等の言動も、無論このような考え方と無関係ではない)。
 <犯罪社会学>でも取り上げないかもしれない、いささか単純で素朴すぎる推測を述べたようだが、基本的にはこのような考え方で、「犯罪」や「死刑(制度)」を観ている人は<人権派弁護士>等の中には間違いなく存在している、と思っている。
 こうした人々と表面的な議論をしても噛み合わないに違いない。「国家」観(そして「刑罰」観)・「犯罪(者)」観が本質的部分で異なるからだ。
 この人たちは死刑制度に反対するとともに、勿論、現在は存在する「死刑」制度の適用を何とか阻止しようともする。そうした目的のためには手段・理屈を選ばないかもしれない(つまりどんな手段・どんな法的理屈でも使うかもしれない)。
 上の「この人たち」のような者が、光市母子殺害少年事件の被告人側弁護団(安田好弘ら)の中にいなかった、とは言い切れないだろう。

0459/日本共産党ではなく「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体。

 安い古本だからこそ店頭で買ったのだが、日本民青同盟中央委・なんによって青春は輝くか(初版1982.04)という本がある。中身は青年・若年層向けの宮本顕治・不破哲三等の講演を収めたもの。
 宮本顕治のものは四本ある。宮本は逝去まで日本共産党中央から非難されなかった珍しい人物なので、この本で宮本が語っていることを日本共産党は批判できず、「生きている」日本共産党の見解・主張と理解してよいだろう。
 全部を読んでいないし、その気もない。p.14を見ていて、こんな内容が少しだけ興味を惹いた。以下、宮本の講演録(1982年2月に民青新聞に掲載)の一部。
 <「社会主義」とは第一に「搾取をなくし、特権的な資本家をなくして、労働者の生活を守る」、第二に、「広範な働く人の民主主義を保障する」、第三に「民族独立を擁護する」。ポーランド問題で社会主義自体がダメだとの批判が起きているが、そうではない。社会主義そして「将来の共産主義社会」は「どんな暴力も強制も不要な」「すべての人びとの才能が花ひらく、才能が保障される社会」で「マルクス、エンゲルス、レーニンたちが一貫して主張してきた方向」だ。>
 ここまででも「搾取」・「特権的な資本家」といった概念がすでに気になるし、またこの党が「民族独立」=反米を強調していることも面白い(社会主義の三本柱の一つに宮本は挙げている。はたして、「社会主義」理論にとって「民族独立」はこれほどの比重を占めるものなのか)。
 だが、面白いと思い、さすがに日本共産党だと感じたのは、上に続く次の文だ-マルクスらの説は「ただ希望するからではなく、人類の歴史、いろんな発展が、そうならざるを得ない」。
 このあとの、マルクスらの説は「人類のつくったすべての学説のすぐれたものを集めたもの」だということが「共産主義、科学的社会主義のほんとうの立場」だ、という一文のあとに「(拍手)」とある。
 いろいろな事実認識、予測をするのは自由勝手だが、上の「いろんな発展が、そうならざるを得ない」とはいったい何だろうか。「そうならざるを得ない」ということの根拠は何も示されていない。共産党のいう<歴史的必然性>とやらのことなのだろうが、それはどのようにして、論証されているのか??
 たんなる「希望」であり、そして要するに「確信」・「信念」の類であり、<科学的>根拠などどこにもない
 上のような内容を含む講演というのは、信者または信者候補者を前にした<教主さま>の<説教>・<おことば>に違いない。その宗教の名前は、<日本共産教>または<科学的社会主義教>が適切だろう。
 現在も、こんな(将来の確実な<救済>=仏教的には「浄土」の到来?を説く点で)基本的には新興宗教を含む「宗教」と異ならない「教え」を信じて信者になっていく青年たちもいるのだろう。1960年代後半から1970年前半頃までは、今よりももっと多かったはずだ。
 こんな民青同盟又は日本共産党の組織員になって「青春」が「輝く」はずもない。一度しかない人生なのに、日本共産党(・民青同盟)に囚われる若い人々がいるのは(この組織だけでもないが)本当に可哀想なことだ。
 読了済みの佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)の紹介を含めた言及をしたいのだが、内容が重たいので、書き始められずにいる。

0457/民放社員=「日本の特権階級」、社会系教育・教科書のヒドさ。

 以下、別冊宝島1479・知られざる日本の特権階級(宝島社、2007.11)p.123の「高すぎる民放各社の『年収』」とのタイトルの表による、民放各社の平均年収。()は平均年齢。平均年収額は税込みと見られる。
 テレビ朝日-1365万円(41.3歳)、朝日放送-1587万円(39.8歳)、東京放送=TBS-1560万円(49.5歳-ママ)、毎日放送-1518万円(40.8歳)、フジテレビジョン-1575万円(39.7歳)、日本テレビ網-1432万円(39.8歳)、等。
 適正な給与・報酬の額の判断はむつかしいし、その額に値する内容の「仕事」をしていれば、文句をつける筋合いのものでもあるまい。
 だが、40歳前後で各局の社員とも上のような年収額があるのは、少し多額すぎはしないか。統計資料を持たないが、感覚としていうと、平均年収ですらすでに、50歳代の中央省庁の局長クラス、50歳代の都道府県・政令指定市の部長・局長クラスと同じ程度ではないか。
 民放各社の収入は基本的には民間企業等の広告費であり、その広告費の一部は、最終的には当該企業等の(製品・サーピスの)消費者・利用者多数によって負担されている。特定の製品・サーピスを提供する個別企業に比べて、民放各社はより多数の視聴者国民によって経済的には支えられている。
 民放各社は-新聞社もそうだが-税金を最大の資金源にしていることを理由に公務員の収入や<厚遇ぶり>を批判することが多い。各社労組又は民放労連と当局の労使交渉で決められることとはいえ、自らの民放各社の年収額や<厚遇>(職員厚生施設等々)には無意識・無批判だとすると、自分の収入はいったいどこから来ているのだとマジメに考えてもらいたいものだ。<格差>を批判し、<格差是正>とかを主張する資格は<高収入>のマスコミ社員にはないと思われる。そしてまた、こうした民放各社の番組制作者の多くの最大の愛読・愛用新聞が、先日言及したように、朝日新聞だとは……(絶句)。
 ついでに、宝島社ではなかったが、西村幸祐責任編集・誰も知らない教育崩壊の真実(撃論ムック、オークラ出版、2008.05)。
 ジェンダー・フリー教育(フェミニズム教育)のおぞましさについては既に食傷気味だが、社会(・歴史)系の教科書や教育のヒドさに呆れて、「日本」という国に住むのがイヤになる気分すらする(本の具体的内容は省略)。私自身がある程度は実際に読んでみたことはあるのだが。 
 こんな状況では、日本史等の社会系科目を中学・高校で必修化したり、履修科目数を増やしたりするのは、むしろマイナスになる可能性が高い。
 日本共産党員が、あるいはマルクス主義者が、あるいは<左派リベラリスト>が「大学教授」の肩書きに隠れて、自らの「価値観」・「歴史観」を教科書に忍ばせていることがあるのは明らかだと思われる。「共産党が書き、社会党が教え、自民党がお金を出す」(p.82、田中英道)という実態は、「社会党」を「社民党又は民主党」に替えれば、現在でも間違いなくあるだろう。「教え」るのも「共産党」(員)である場合もあるに違いない。
 愉しくならない話・文章を読むことが多い。多分に厭世的にすらなる。

0396/日本共産党に未来はない-参院選結果でも。

 獲得議席数 15(1998)→5(2001)→4(04)→3(07)
 得票率%・選挙区 15.7(1998)→9.9(2001)→9.8(04)→8.7(07)
 同・比例区 14.6(1998)→7.9(2001)→7.8(04)→7.5(07)
 かなり遅いが、上は日本共産党の参院選の結果の推移。宮地健一のHPによる(小数点以下第二位は四捨五入)。同HPの参院選に関するページの副題は「議席数・得票数・得票率とも全面惨敗…」。「着実に後退する共産党」との語もある。
 日本共産党にとって有利な数字は、比例区の得票数が前回比で4.5%増(3.5万増)、前々回比で7.8%増だったことで、同党の昨年7月30日の常任幹部会声明は、ほとんどこの点のみを強調したようだ。
 しかし、宮地いわく-「投票率は、56.54→58.63%に上がり、+2.09%増えた。よって、党派別得票数合計は、5593.1785万票→5891.3683万票となり、+298.1898万票増加した。共産党の今回得票率は、7.48%である。共産党がそれに比例して増加すべき得票数の計算式は次になる。増加得票数合計推計+298.1898万票×7.48%≒+22.3046万票。ところが、共産党は4.5364万票しか増えなかった。/となると、議席惨敗だけでなく、共産党の得票数も実質的に激減している計算になる。得票数の面でも、4.5364万票-22.3046万票=-17.7682万票という惨敗結果だった。実質として、17万票も減らした惨敗だったのに、志位・市田・不破らは、「上回った」と数値の表面的比較で、党費納入28万党員を騙している」
 要するに、投票率が上がったから得票数も微増したが、その微増の程度は投票率の増加分に達してはおらず(1/5程度?)、投票率増加を考慮すれば実質的には得票数も減っている(したがって得票「率」減少との明確な数字が出ている)、ということだ。
 憲法改正・「戦後レジーム」からの脱却という安倍内閣の基本的方向に真っ向から反対し対決したのは民主党ではなく、(日本)共産党と社民党だった。社民党もまた、議席を減らした。
 上の点を主要マスメディアはどう報道・論評したのだったのだろうか。たぶん反復になるが、前安倍内閣の基本的政策に「民意」は反対した、と総括・論評できるのだろうか。
 いずれにせよ、何度でも書くが、日本共産党に未来はない。私の生きている間に、解党決定または自然消滅の報道があるとよいのだが。

0379/親日本共産党作家・井上ひさしと「個人の尊重」。

 樋口陽一・憲法第三版(創文社、2007)は、憲法のどこにも明文では書かれていないことだが、「日本国憲法の基本的諸原理」を「国民主権の原理」、「平和主義の原理」、「人権の原理」の三つにきれいに分けて説明している(p.109~p.165)。憲法の専門書としてはむしろ珍しいと思われるくらいで、こうした「三原理」で説明する本が高校以下の教科書の執筆者(大学の憲法学者も含む)には影響を与えているのだろう(余計ながら、「象徴」としての天皇制度の存置は日本国憲法の「基本的諸原理」の一つではないのだろうか。専門家に尋ねてみたい)。
 ところで、今年1/12のこの欄でこう書いた-「私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し(参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさし
は、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた」。
 この「何かの本」は、不破哲三=井上ひさし・新日本共産党宣言(光文社、1999)だった。
 この本のp.103-4で井上はこう書いている。
 高校同級生の樋口陽一から聞いた「忘れられない言葉」は次だ。…「日本国憲法のアイデンティテイ」は「一般的説明ではその三本柱(主権在民、人権尊重、平和主義)というのが正しい」が、「この三つを束ねる”遡った価値”」は「個人の尊重」だ。「条文でいうと、第一三条」。「国民主権という原理も一人ひとりの個人の生き方を大事にするということが原点でなければならない」。
 この内容は、未読だが、樋口=井上・日本国憲法を読む(講談社)によるらしい。
 上の「個人の尊重」の強調、それを憲法上最大・究極の理念だとすることに、一見問題はないかにも見える。しかし、はたしてそうだろうか。むろん、言葉としては、「一人ひとりの個人の生き方を大事にするということ」に反論し難いのだが、かかる主張の行き着くところをさらに見据えなければならないだろう。とくに憲法学者が強調する「個人主義」、そして<戦後民主主義>のもとで空気の如く蔓延している「個人主義」には胡散臭さを感じているからだ。
 この点は別の回で書こう。
 ところで(と二回目の「ところで」を使うが)、不破=井上ひさしの上の本は、微笑み合いながら並んで立つ二人の写真から始まっている。そして、「わたしにとってかけがえのない大切な一票を日本共産党に投じる」(p.101)井上ひさしが、一生懸命に日本共産党の主張・政策を勉強し?、関連する諸問題も日本共産党の主張・考え方に添って論じる、という、井上の勉強成果報告書の趣がある。
 井上は占領時の現憲法制定過程にも言及していて、鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案のことも知っており、「民間憲法」がマッカーサー憲法を「先取り」していた等と述べて、「押しつけられた」憲法論を批判又は揶揄してもいる(p.191)。
 マルキスト(又は少なくとも親マルクス主義者)・鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案およびこれに焦点をあてた小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書)にはこのブログで以前とり上げたので、ここではもはや触れない。
 強調しておきたいのは、井上ひさしとはただの作家・小説家・戯曲家ではない、じつは日本共産党員であるかもしれないと思ってしまうほどの<左翼イデオローグ>だ、<左翼>活動家だ、ということだ。仔細をいちいち書かないが、不破哲三に迎合しつつ?あれこれと発言・主張している上の本を読むだけでもわかる(この本が当然に日本共産党を<宣伝する>本になっていることは言うまでもない)。
 しかるに井上は、作家等の肩書きを利用して、公正さを装った?文化人として発言しているようであり、司馬遼太郎の菜の花忌という追悼会のパネラーになったりしている。
 ひょっとして昭和・戦前に対する想いでは司馬と井上に共通するところがあるのかもしれないが、司馬遼太郎の基本的作風・基本的考え方の<継承者>のごとく振る舞われると、彼界の司馬遼太郎にとっても大迷惑だろう。司馬遼太郎の<遺産>をいわゆる<保守派>に占領されないために、井上は司馬遼太郎(又は同記念館)関係の行事等に<政策的に>関与しているのではないか、とも勘ぐってしまう。
 日本共産党系作家・文化人の活動には警戒要。大きな顔をしての跋扈を許してはならない。
 追記-最近は佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)と佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の未読の部分を読むことが多かった。まだ、いずれも読了していない。
 1/24の夜に、赤木智弘・若者を見殺しにする国(双風舎、2007)を入手し、一気にp.117-p.286(第三~第五章)を読んだ。面白い。これとの関係で、1/25は堀井憲一郎・若者殺しの時代(講談社現代新書、2006)の一部を読んだ。
  阪本昌成の本(法の支配(勁草))の読書は、遅れている。

0339/山崎行太郎は宮本顕治「「敗北」の文学」を読んでいるか。

 猪瀬直樹・ピカレスク-太宰治伝<著作集4>p.59は傍論的に記す。
 <1929年に太宰治も(創作部門で)応募した改造社の懸賞募集で文芸評論部門の一等が宮本顕治「「敗北」の文学」。芥川を「小ブルジョア」と規定し、その自殺はプロレタリア文学の勃興の前に自己の敗北を自覚したため、と教条主義の図式化にすぎない」。芥川が「聖化」されていたので単純な断罪が明快な印象を与えたこと、プロレタリア文学が全盛期へという時代背景、の二つが理由。>
 山崎行太郎という自称・文芸評論家が、今年宮本顕治逝去後に、主義・主張は異なるが、宮本は小林秀雄を抑えて文芸評論で一等をとった人物で…、と単純に「政治家」として評価してはならない、あるいは、文芸評論で才能をもっていたことは認めておく必要がある、というような旨の文章を自己のブログに書いていた。この山崎という人物は宮本顕治「「敗北」の文学」を実際に読んだことがあるのだろうか、または、ブログに書く前に再読したのだろうか。
 かりにそうしたことなく部分的にせよ宮本顕治に肯定的評価を与えたのだとすれば、当時の時代状況を全く考慮せず、誰々が選考委員だったかも調べることもなく、改造社による授賞という過去の一点を<世の中>あるいは<社会>一般の評価と直結させ、かつ自分の評価ともしている、つまりは自分独自の考え・評価力のないことを晒した文章だっただろう。
 現在に関する価値判断について、彼にとってそのような類の評価のモノサシになっているのは朝日新聞(社)だろうか。
 追記-熱心な書き手ではなくなっている。だが、昨日10月19日に、アクセス数は150,000を超えた。

0288/そして、宮本顕治もいなくなった-日本共産党。

 いつか、「そして、宮本顕治の他は、誰もいなくなった」というタイトルで一文を書こうと思っていた。つい先ほど、同氏が死去したことを知ったので、宮本顕治もいなくなってしまった。98歳。追悼する、という気持ちは私にはない。
 新党綱領を制定した1961年とそのときの共産党大会が現在の日本共産党の<(表面的な)議会主義的・平和主義的>路線の実質的な始まりで、1961年こそが同党の新設立の年だ、それまでの共産党は名前は同じでもコミンテルン・コミンフォルムの影響を受けすぎた別の政党だった、という説明の仕方も可能だった、と思われる。そうすれば、1922~1960年までの(50年以降の分裂と少なくとも片方の<武装蜂起>路線も)現在まで問題にされ批判されている事柄は現在の党とは無関係だと強弁することはできただろう。
 しかし、そうしなかったのは、宮本顕治らの戦前組、そして<獄中組>の<プライド>が許さなかったからだろう。そしてまた、戦前からの活動経験と10年以上の獄中経験こそが宮本顕治ら一部の者に対して、一種の<カリスマ>性を与えたのかもしれない。
 それにしても、1961年以降の日本共産党は、上に、「そして、宮本顕治の他は、誰もいなくなった」と書いたが、中国の毛沢東、北朝鮮の金日成のように、宮本顕治が自らに反抗する(反対意見をもつ)同等クラスのものを徹底的に排除しいく過程だっただろう。社会主義国でなく資本主義国内の共産党でも<独裁>・<(実質的な)個人崇拝>容認思考は形成されていたのだ、と考えられる。
 犠牲者は、それぞれ事由は違うが、春日庄一志賀義雄(日本のこえ)、そして(最)晩年を党員として生きることも許されなかった袴田里見野坂参三…と続いた。<新日和見主義>とされた一群の者たちや有田芳生などの個別のケースの者を挙げているとキリがない。
 一般の日本共産党員は何ら不思議に思っていないようだが、宮本顕治から不破哲三への実質的権力の移譲、不破哲三から志位某への実質的権力の移譲は党大会で承認されたわけでは全くない。幹部会委員会か常任幹部会委員会か知らないが、一般党員には分からない数名(たぶん数十名ではない)の<仲良しクラブ>の中での<密室>の話し合いか又は前任者による<後継指名>によって決まったわけだ。そこには<党内民主主義>なるものは一片もない。あるのは極論すればただ<個人的嗜好>だろう(もちろん共産党の実質的代表として「立ち回れる」能力・知識があることは条件とされただろうが)。
 そういう政党を作り、ここまで40年以上長らえさせたのは、おそらくひとえに宮本顕治の力にかかっている。
 いつかも書いたような気がするが、宮本は二度と入獄の経験などしたくないと心から強く(皮膚感覚を伴って)考えていたに違いない。そして、武装闘争による逮捕→党員数減少・一般国民からの支持の離反などは御免こうむりたいと強く願っていたに違いない。
 その結果が、1961年党綱領だった。そのおかげで日本共産党はまだある。日本共産党の専従活動家として同党に生活を依存している者も多いに違いない。その者たちのためにもある程度の数の議員をもつ政党として日本共産党を存続させていかなければならない。-かかる発想は現在の志位和夫にもあるだろう。
 その代わりに、日本共産党のいう民主連合政府→民主主義革命→社会主義社会・共産主義社会という道は<夢の夢>へとますます遠ざかっている。職業的活動家を扶養するだけの新聞収入と議員歳費収入のある政党として、今後も<細く長く>生きていくつもりだろうか。
 本当はソ連・東欧社会主義国崩壊の時点で、日本の新聞等のマスコミ・論壇は、<日本にコミュニズム政党が存在する意味>を鋭く問わなければならなかった。それを怠った日本のマスコミ・論壇は、それら自体がかなりの部分マルクス主義に冒されていた、というべきだろう。
 勿論現在でも<資本主義国・基本的には自由主義国の日本での「共産主義」政党の存在意義>を問うことができるし、問うべきだろう。しかし、そのような論調はわが国のマスコミ・論壇では必ずしも大きくはない。マルクス主義者の<残党>がまだ一定の影響力をもっているからに他ならないと思われる。なんと日本は<多様な思想>を許容する<寛大で自由な、優しい>国なのだろう
 以上、宮本顕治逝去の報に接して一気に。

0286/無限に近い目的は「罠」だ-日本共産党綱領。

 日本共産党の綱領(2004.01、第23回党大会)が最後に「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」と題してまず「生産手段の社会化」を提唱していること自体の中に、ソ連・東欧の失敗や北朝鮮・中国での経済運営の失敗に学べないマルクス・レーニン主義(科学的社会主義)の病弊を看てとることができる。
 さらに、その「五」の最後には、「(一七)社会主義・共産主義への前進の方向を探究することは、日本だけの問題ではない」との見出しを立て、「二一世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とする」ことをめざすという、美辞麗句らしきもので結んでいる。
 読書のベースは阪本昌成の別の著の次は同・リベラリズム/デモクラシー〔第二版〕(有信堂、2004)だったのだが、やっと、第一部のp.116まで読了した(その次は、阪本昌成・法の支配(勁草書房)の予定)。
 そのp.111にA・ゲルツェンという人の次の語句が引用されている。
 「無限に近い目的などは目的ではない。それはいわば罠なのだ」(ゲルツェン・向う岸から)。
 この文章を阪本は「統治」は「人類や労働者階級を救済するためにある」のではなく「人びとが現世の諸利益を獲得し、維持し、増進することを可能にする」ためにある、ということから、<政治理論>・<国制論>に関して引用している。
 私は日本共産党の上のような<政治理論>を連想してしまった。<21世紀の遅くない時期に民主連合政府を>という目標もすでに「無限に近い目的」だと思うが、その後の「社会主義・共産主義への前進」などは「無限」そのものの将来の目標ではないか。そして、それはじつは「罠なのだ」。
 可哀想にも「」に嵌ってしまった日本共産党員以外に、どの程度の支持を同党が獲得できているか、それは私の今月末の参院選の結果についての大きな関心の一つだ。
 いずれ消滅する政党だとは思うが、とりあえずは、憲法九条護持の主張を(社会民主党とともに)明言して、選挙の争点の一つとしているのは、この点が曖昧な民主党よりはそのかぎりで潔いし立派だ。
 そして、6000ほどもあるという「九条の会」が一般国民をも巻き込み、かつ日本共産党の支持を増大させていれば、同党の得票や議席は増えるはずだ。しかし、同党の得票や議席が変わらないか減少するとすれば、「九条の会」運動は、次の二つのいずれかであることが判明するだろう。
 第一に、憲法九条改正反対の国民の集まりであり、日本共産党が主導権を持っておらず、又は少なくとも選挙時の投票行動にまで影響を与えるには至っていない。
 第二に、日本共産党の地域・職場の「支部」が名前を変えただけのものに殆ど等しく、ほとんど<仲間うち>だけの「会」になっている。
 憲法改正に向けての障害物に他ならない日本共産党(と社会民主党)の選挙での帰趨を早く知りたい気もする。

0285/日本共産党員作家・野間宏のスターリンを讃える詩。

 加賀乙彦・悪魔のささやき(集英社新書、2006.08)p.66-67によれば、野間宏は、1953年のスターリンの死の翌年、詩集・スターリン讃歌に「讃者」の一人として、つぎの詩を載せた。が、のちの彼の「全集」には収録しなかった、という。
 「
同志よ!/つきすすむ 大きなスターリンの星にみちびかれて/夕空に色をかえる雲のように
 私は数知れぬ たたかう星のなかで/かがやく自分の色をかえた。
」(/は改行)
  この頃は主権回復=再独立の翌年・翌々年で、日本共産党の一派は武装闘争を行っていた。スタ-リン批判はこののちの、1956年だ。
 野間宏(1915-1991)は1946年に「入党」したとみられる。1946年「暗い絵」、1952年「真空地帯」、1960-61年「わが塔はそこに立つ」。そして、1964年に党を除名される。
 共産党員だった時期の小説の、映画化もされた「真空地帯」がどのような<立場>からの作品かわかろうというものだ。
 「わが塔はそこに立つ」の塔は冗談ぽく言えば「党」ではなく、これは高校=三高時代の自伝的作品とされる。長篇だ。そして「塔」とは、三高の東南方向の丘陵地上にあった
真如堂という寺院の三重の塔を意味しているらしい(未読)。
 
なお、1950年代前半の学生運動に関する小説に、高橋和巳「憂鬱なる党派」(1965)がある。
 この頃に私は生まれていたが、むろん野間宏もスターリンも「知る」年齢ではまるでなかった。

0250/可哀想な日本共産党員のブログから二点。

 日本共産党員のブログや、コメントに対する応答を読んでいると、いちいちどのブログかを特定しないが、なかなか面白いものが含まれていることがある。若干の例を挙げて、コメントする。月日も特定しないが、比較的近日中のものだ。
 第一に、同党の実質的な初代「教祖」と言える宮本顕治の経歴、とくにスパイ・リンチ事件についての知識が不十分な日本共産党員がいる。例えば、某党員ブログはこう書く。
 「宮本顕治が逮捕されるきっかけになった事件についていってると思うんですが、宮本は「殺人」ではなく治安維持法違反で有罪になっているわけで、「殺人罪」では有罪になっていません。」(賢治→顕治に訂正しておいた)
 1933年12月のスパイ・リンチ死亡事件については、立花隆(日本共産党の研究)や当該「査問」の参加者の一人・袴田里見(昨日の同志宮本顕治へ)などの研究書や「実録」ものがある。
 日本共産党員として正しい知識と教養を身に付けるためには、そして、自己の立場に自信があるならば、同党関係文献や新聞・中総決定だけではなく、こうした本も広く読んだらいかがだろうか。
 上の本で確認しないまま書くが(それでも上の引用文よりは正確な筈だ)、宮本顕治はなるほど殺人罪で起訴され有罪判決を受けたわけではないが、治安維持法違反のみで起訴され有罪となったわけでもない。つまり、小畑某か大泉某が「査問」途中で逃亡しようとした際に拘束し実力を行使している間に死亡した件につき、過失致死か傷害致死(たぶん後者)という一般刑法犯を冒した者としても宮本は起訴され有罪判決を受けた。
 宮本顕治は治安維持法違反者としてのみ服役していたわけではない。一般刑法上の犯罪者でもあったのだ。この程度の知識も、一般の日本共産党員にはない、つまり、赤旗(新聞)等々によって誤魔化されている(正確な知識を与えられていない)ということに、改めて驚く。
 ちなみに、1.立花隆の本には、戦後すみやかに解放されえたのは「政治犯」のみで「一般刑法犯」は対象外だったが、法務省のミスで宮本顕治も<釈放>された旨書かれてあったと記憶する。
 2.ひょっとしてお知りにならない日本共産党員もいらっしゃるかもしれないので書いておくが、副委員長・袴田里見までをも除名しなければならなかったのは、まさに袴田里見が前衛(だったと思う)に連載してのちに本にしたものの一部がスパイ・リンチ事件を扱っていて、その内容が宮本顕治による殺人(柔道的首締め。未必の故意)と解釈されるおそれがあったことがきっかけだった。
 日本共産党は宮本顕治を守るため、戦前からの長い宮本の同志・当時副委員長だった袴田里見まで犠牲にしたのだ。
 第二に、某ブログ上のコメントとその反論に次のようなものがあった。一部のみ抜粋する。
 コメント-「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポトみんな一杯人殺してるよ。/共産主義者の殺人は綺麗で正義の殺人なのかな。
 反論-1.「長時間過密労働・過労死・過労自殺…資本主義の国・わが国日本でも資本が労働者を抑圧する行為がやられてますよね。
 2.「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ。わが国の政権党・自由民主党だって党名は「自由民主」でも、やってる事は大企業を応援し、庶民を増税で苦しめるなど「自由民主」とはほど遠いですからね。
 反論の1.はあまりにもひどい。「資本」の「労働者抑圧」の例である?「長時間過密労働・過労死・過労自殺によって、社会主義国(旧も含む)又は共産主義による自国民の大量殺戮が<相殺>されるわけがないではないか。前者に対応するのは、現・旧社会主義国における、労働環境・労働条件の悪さ等々による工場労働者等の死亡の多さだ。
 反論の2.についてはまず、些細なことだが、最後の文の、<大企業の応援や庶民を納税で苦しめる>のは「自由民主」に反する、との主張は全く論理的ではない。「自由」を実体的価値・「民主」を手続的価値とかりに理解するとしても、いやこのように理解しなくとも、上のことが「自由・民主」と矛盾するわけでは全くない。自由主義と民主主義の範囲内で上のような政策も十分に成り立つ(もっとも上のような簡単・単純な政策の叙述自体に同意しているわけではない)。
 「自由・民主」の意味について、(日本共産党も何か関係する宣言を出している筈だが、自党の理解も含めて)もう少し考えていただいた方がよい。
 上に引用しなかったが、イギリス労働党と北朝鮮労働党を「労働党」という名前だけで同類視しない筈との名?文章があった。だが、コメント者が問題にしているのは、いくつかの人名で代表される、マルクス主義又はマルクス・レーニン主義(=日本共産党における「科学的社会主義」)を採用し、社会主義社会・共産主義社会への展望を綱領で(どんなに短い文章でも)示している政党、という意味だろう。
 従って、「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ」という答え方では答え・反論になっていない。
 むしろ、「すべて…というわけではありません」という表現は、<一部>は<真の>
「社会主義」「共産主義」「共産党」である可能性又は余地を認めるもので、100%の反論に全くなっていない。
 私が日本共産党員としての正答を教えてあげる義理は全くないのだが、同党の立場にかりに立てば、こう言うべきだろう。
 「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポト
」、この人たち(又はこの人たちが指導した国家)は真の「社会主義」者(「社会主義」国家)ではなく、この人たちが指導した共産党は誤った「共産党」だった。従って、正しい路線を歩んでいる日本共産党と同一視するな。
 こう書いておいて、ベトナムのホーチミンについては自信がないことに気づいたが、この人以外については、<日本共産党の主張をよく勉強している>党員ならば、上のように答えるだろう。ソ連について、レーニンまでは正しく、スターリンから誤った、大量虐殺の責任も主として又は大部分はレーニンではなくスターリンにある、と主張しているのが日本共産党だからだ。
 むろん、私はさらに、上の「正答」に反論することもできる。誤っていたスターリンの指導を受け、それを支持していた日本の政党こそが、戦前およびスターリン死亡までの戦後の日本共産党ではなかったのか、ということはすでに書いた。
 他にも、もともとレーニン→マルクスと遡る源流そのものに<血生臭さ>は胚胎していたのであり、表面的には今のところ<平和的>・<紳士的>でも、日本共産党も本質的にはマルクス・レーニン主義のDNAは引き継いでいる筈ではないのか、との疑問を出しておくことも可能だろう。
 思わぬ長文になったが、最後にいくつか。
 とくに上の後者の回答者党員の知的レベルの低さは何とかしないと、ブログ上で、日本共産党は(ますます)恥を掻くことになるのではないか。
 また、同回答者の他の文章にもかなり目を通してみたが、要するに、日々の赤旗(新聞)や選挙パンフに書かれてあることをなぞっているにすぎない。語彙・概念に独自なものはなく、すべて共産党用語だ。歴史や基礎理論の勉強の足りない党員が、赤旗や選挙パンフの文章を多少は順序を変えて反復しているに過ぎない。
 ついでに。いつぞや共産主義(→日本共産党)は「宗教的」ではなく「宗教」そのもの、と書いたことがあった。党員の精神衛生のためには、日々、教典にもとづく教祖の具体的教えが書かれた文章を読み、「正しい」ものとして学習し、それに基づいて、場合によっては信者を増やすべく布教をする必要があるのだろう。
 日本共産党のようなとくにイデオロギー性の強い政党については、入党というのは教祖又は宗教への全面帰依を意味する。入党するということは<思想・信条の自由>・<信仰の自由>を丸ごと放棄することと同義だ。
 そのようにして「自由」を喪失した者は、自分の言葉・概念・論理で語る能力もまた(ごく一部の幹部候補生以外は)失っていく。そのような人たちが、ネット上でもけっこう多数うごめいていることを知ると、本当に可哀想だ、気の毒だ、と私は心から感じざるをえない。
 日本共産党に未来はないのに…。

0249/日本共産党員<嶋1971>氏が何か言っているようだ。

 頻繁にではなく、ときに、「秋月瑛二」のウェブ上での扱いに関心をもって検索してみることがある。
 
すると、私が6/11に書いた「嶋1971・たしかな野党を応援し続ける勇気を!というブログ」に対する<嶋1971>氏の6/16付の反論らしきものを見つけた。
 個別のブロガー?相互のやりとりはこうして公にするものではないかもしれないが、私自身が蒔いたタネなのでやむをえない。さらに反応しておくことにする。
 嶋?氏の文は同氏のブログ中にではなく、なぜか2チャンネル上でなされている。発表媒体の問題はともかく、同氏の文は正確には反論文ではない。
 私は「嶋1971・たしかな野党を応援し続ける勇気を!」というブログの運営者が「日本共産党の支持者」とか「私は支持者とはいえ日本共産党の主張・政策に共感を持つ時も持たない時もある…」とか<ブロフィール>で書いていることについて、「大ウソ」であり、日本共産党員だとほぼ間違いなく言えるとしてその理由も書いた。
 これについて嶋氏は<私は絶対に日本共産党員でない>と主張してくるなら反論だろうが、同氏は「私は秋月瑛二氏について、私のブログへのリンクを無断で貼ってこない事を理由に「紳士」と感じていたが撤回する事にした。/彼は自身のブログで私の事を「自己紹介でウソをついている。」などと書いたためだ」としか反応していない。要するに、批判してきたから「紳士」との印象を撤回する、というだけのことだ。このことは、嶋氏が自分が日本共産党員であることを認めたに等しい、と私は理解する。
 なお、次のような抗議・不服らしい文も付いている。→「一般ブロガーの自己紹介に対しては「はあ、そうですか」程度に受け止めるのが普通だと思う。
 ここでの「一般ブロガー」の意味は私には解りにくいが、それは別として、はたして、上のように「自己紹介に対しては「はあ、そうですか」程度に受け止めるのが普通」なのだろうか。
 むろん殆どの場合、
「はあ、そうですか
という程度で受けとめるしかない。ブロガーの自己紹介の真否をいちいち確かめる方法などありはしないからだ。また、いちいち真偽につき質問をしまくるヒマな人もいないだろう。
 だが私は、いちおう、「反共産主義」を一つの柱にしたブログを書いてきている。そして、ネット上には所謂ネットウヨのみならず、九条護憲派や日本共産党員のブログ(ネットサヨ?)が意外に多いことに気づいているのだが、そうした関心を元来もつ者が、ほとんど明瞭に共産党員であることが確実な経歴を書き本文も書いているブロガーが、自己紹介欄で
「日本共産党の支持者」・「「代々木レッズ」のサポーター」などと書いているのを知るに至った場合、「ウソ」をつくな、と感じ、その旨を自分のブログ・エントリーで書いても、いかなる非難の対象にもならないと考える(個別のブログを対象にしてよかったかという<政策的判断レベルの>問題は私も感じているが、それを禁止するルールはない筈だ。そうでないとコメント等もできなくなる)。
 嶋氏は私を「卑怯」だともいう→秋月氏は「自分のブログが私のブログよりも「週間IN」の数が多いのをいい事に、私の名誉を傷付ける事を書くのだとしたら卑怯だと思う。/私の秋月…氏への評価は「卑怯」とする。
 ご自由にご判断を、という所だが、私は「
自分のブログが私のブログよりも「週間IN」の数が多いのをいい事に」
嶋氏の自己紹介ぶりを批判したわけでは全くない。嶋氏のブログが上位にあっても同じことをしただろう。従って、「だとしたら」という前提条件が間違っているので、「評価は「卑怯」とする。」と断定的文も取消ししておいて欲しいものだ(どうでもいいが)。
 同じ前提に立って、秋月氏は「自分のブログよりも「週間IN」が少ないブロガーしかたたく事が出来ないほど肝っ玉が小さいんだろう」とも書いている。ここまで来ると、気の毒としかいいようがない。
 なぜ自分が批判の対象になったのかについて、プロフィールに「ウソ」を書いたのが原因であることを忘れたくて、自分のブログの方が(特定のランキングサイトの)人気順位が下だから批判されたのだ、と別の理由によることにしたいのだ(こういうのを心理学的に何て言うのだろう?)。
 繰り返しておくが、「ウソ」を明瞭に感じたからこそ取り上げたのだ。考え方が違うからといって、日本共産党員と堂々と名乗っている者のブログの内容を個別的に批判するつもりは(少なくとも現時点では)ない。ましてや、ランキングが偶々下位のブログだから批判したのだろうと想像するのは、哄笑に値するほどの、<げすの勘ぐり>だ。
 いま一つ、秋月氏も「記事捏造の記者と同じじゃないかと思う」と書いている。これは意味不明だ。嶋氏に関して、捏造をした覚えはない。すべて嶋氏が公にしている情報をもとに書いた。謂われなき誹謗中傷とは、きっと、こういうのを言うのだろう。そして「科学的社会主義」の政党の党員も、こういう事実無根の誹謗を平気で書いているわけだ。
 以上だが、2チャンネル上の他の人の情報だと、「嶋1971」氏は男性らしく、しかも本名まで書かれていた(真偽は知らない)。じつは私は文章の感じから、女性かと思っていた。
 ついでに、きわめて例外的だが、ブログの内容について、この人のものに関してのみ2件コメントしておく。
 「君が代」斉唱時不起立教員解雇訴訟東京地裁判決(東京都側勝訴)が出たあと嶋?氏の上記ブログ6/21は書く-「「君が代」の歌唱や伴奏なんてやりたい人だけにやらせればいいじゃない、と思います」。
 さすが、日本共産党員。いや、何という単純・幼稚さ。
 6/24にいわく-「私は今後9年以内2016年までに、日本共産党が国政で政権入りすると予想しています」。根拠は定かでなく、米国の通告による日米安保の廃棄が前提になっているようだ。
 私、秋月の予想では、現状並みか、それ以下の「泡沫政党」化している(=「諸派」の一つとなっている)。そして消滅(=解党)への途を順調に歩んでいる
 日本共産党の勢力が伸張する根拠・条件など、どこにもない。かりに万が一一時的に議員数が増えることがあっても与党や他党の失策に対する批判票の受け皿になるだけのことで、積極的な日本共産党支持者が増えたわけではなく、ましてや社会主義(・共産主義)の理想が浸透してきた、などというような冗談話は全くありえない。 
 日本共産党とその追随勢力に未来はない。
 日本共産党は1922年にコミンテルン(国際共産党)日本支部としてロシア(ソ連)共産党の理論的・財政的援助のもとで、マルクス・レーニン主義という外国産の「悪魔の思想」に依拠して設立された。
 マルクス・レーニン主義を基礎とするという点で、共通の祖先を持つものに、旧ロシア(ソ連)共産党のほか、中国共産党、北朝鮮労働党(金日成父子)、カンボジア・旧ポルポト派、東欧の旧ルーマニア共産党(チャウシェスク)、旧東独社会主義統一党(ホーネッカー)等々、日本のかつてのブンド(共産主義者同盟)、日本赤軍、現在の(革共同)革マル派・中核派等々がある。
 同じ「親戚」のフランス共産党は今年6月の下院議員選挙で22→15と議席数を減少させた(第一回投票後は9~13の範囲内で半減の予想だったので、それに比べればまだ「善戦」した)。かつて1980年代、仏社会党とともにミッテラン大統領を支えた頃に比べると、見る影もない。イギリス、ドイツにはもともと(戦後~)、イタリアには今や、「共産党」と称する政党は存在していない。

0241/「9条ネット」という政治団体があった-土屋公献は共同代表。

 「9条ネット」というのは憲法9条護持のための<市民団体>のようなものかと思っていたら、来月の参議院選挙では独自の候補を立てる「政治団体」(・「政党」)だと知って、やや驚いた。
 日本共産党に対して「協力・共同の協議」を申し入れる2007年5月1日付文書によると、末尾記載の「共同代表」は、つぎの12人だ。
 「伊佐千尋(作家)/糸井玲子(平和を実現するキリスト者ネット)/伊藤誠(経済学者)/神田香織(講談師)/北野弘久(日本大学名誉教授・税法学者)/國弘正雄(英国エジンバラ大学特任客員教授・元参議院議員)/澤野義一(大阪経済法科大学教授)/鈴木伶子(平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)/土屋公献(元日本弁護士連合会会長)/藤田恵(徳島県元木頭村村長)/前田知克(弁護士・東京)/矢山有(元衆議院議員)」。
 ここに名のある「土屋公献」とは朝鮮総連本部の建物の移転登記につき総連側の代理人だつた人。<慰安婦を考える会>とかの役員をしているらしいくらいだから、九条護持運動くらいは彼にとっては当たり前のことかも。
 週刊文春6/28号によると、「9条ネット」の候補者(予定者)は9名で、天木直人・元外務官僚はその1人だ。他に、「栗原君子新社会党本部委員長)」という名もある。
 上の「協力・共同の協議」の申し入れは日本共産党の5/7文書によって素っ気なく「要請は、お断りいたします」と拒否されている。その際、「「参院選での『平和共同候補』を求める運動について」の党見解」にもとづくこと、「「市民運動」を名乗るこの運動が、新社会党の応援団ではないのかということも率直に指摘しました」と理由付けをしていることからすると、私にはどうでもよいようなことだが、日本共産党は「9条ネット」を「参院選での『平和共同候補』を求める運動」と同一視しているか、その一つと見ているようだ。また、「9条ネット」を「新社会党の応援団」とも見ているようだ。
 上記のように「新社会党本部委員長」を候補者の一人としていることからすると、後者の指摘はあたっているようでもあるが、「9条ネット」全体を新社会党が牛耳っているほどではきっとないだろう。だが、「新社会党」にも「本部委員長」として属し、「9条ネット」という政治団体の候補者でもあるという栗原君子の立場は、外野席から見ると、解りにくいことは確かだ。
 興味深く思ったのは、「九条の会」呼びかけ人の一人である奥平康弘(元東京大学社会科学研究所教授/憲法)が
たいへんな時代になつてしまいました。みなさんの驥尾にふして頑張ろうと存じます。よろしく。」とのメッセージを送っていることだ(「9条ネットメッセージ」欄)。
 九条の会は日本共産党のいわば「公認」の運動体なのだが、9人の呼びかけ人は<飾り>として置いておいて(自由な活動を認めつつ)、全国の個々の<九条の会>を実質的に支配する、というのが日本共産党の方針だろうか。
 なお、旧日本社会党の有力ブレインだったと思われる小林直樹(元東京大学法学部教授/憲法)も「
趣旨は賛成ですが、社、共両党との関係をどうするか、心配ですね。ご健闘を祈ります」とのメッセージを寄せている(同上)。
 日本共産党と社会民主党以外の<9条護持>主張の明確な政治団体(政党)に集う人びとというのはどういう人たちなのか(民主党は9条護持政党ではない)、に関する具体的イメージは湧かないのだが(日本共産党被除名・被除籍者も中にはいるのだろう)、9条改憲派は「9条ネット」をとるに足らない組織として無視してよいかどうか、その答えは来月7/29におおよそ分かるのだろう。

0216/嶋1971・たしかな野党を応援し続ける勇気を!というブログ。

 「嶋1971☆たしかな野党を応援し続ける勇気を!」というブログサイトがある。
 日本共産党系サイトのようだが、内容に逐一立ち入らない(立ち入ると無駄な字数と時間が要る)。但し、その「プロフィール」に含まれている<大ウソ>に触れておきたい。
 まず、「日本共産党の支持者」、「「代々木レッズ」のサポーター」と自己紹介する。
 そして「1996年から国政選挙も地方選挙も日本共産党を地道に応援支持」、「2002年以降、選挙の時だけ投票するのではなく、選挙の無い時でも全戸ビラ配布や、自分の住むマンションを回っての署名活動などをがんばっています」、「2002年10月から「しんぶん赤旗」日刊紙配達を始める。/2003年4月から「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金を始めて現在に至る」等と書いている。
 さて、私の常識的感覚によって指摘しておくが、日本共産党の単なる支持者・サポーターが同党のための<全戸ビラ配布>・<赤旗配達・集金>を行うはずがない(また日本共産党もそんな人に配達・集金を任せない)。民青同盟員ならばそういう活動を行う可能性はある。しかし、この人は民青同盟員となれるための年齢制限を超えている筈だ。
 ということはこの「嶋1971」氏は日本共産党員に他ならず、自己紹介でウソをついている。党員であることを隠したい事情があるだろうことは理解できなくはない。だが、ハンドルネームを利用していること、執筆内容からしても党員であることの推測は容易にできること、等からして、ウソをつく意味は全く又は殆どない、ということに気づくべきだ。
 したがって、<逃げ道>を作っている次の文もウソだ。→「私は支持者とはいえ日本共産党の主張・政策に共感を持つ時も持たない時もあるので、必ずしも「私の考え=日本共産党の考え」ではありません」。
 「プロフィール」欄に他にいろいろ書かれている日本共産党<幻想>にも立ち入らないが、一点だけ言及する。
 「1991年に崩壊した旧ソ連では
ソ連共産党が国政で政権を握る事で国民多数が抑圧された」という過去・既成事実はありますが…/
今までの日本では「日本共産党が国政で政権を握る事で国民多数が増税で苦しめられた」という事はなかったでしょう。だから「共産党」という党名だけでビビる必要はないと思います。
 この部分の問い(らしきもの)と回答?は対応していない。又は、回答は回答(釈明・開き直り)になっていない。
 なぜなら、「
今までの日本では「日本共産党が国政で政権を握る」」ことなど一度もなかったからだ。従って日本で「共産党が国政で政権を握る」ことによって「国民多数が増税」で影響を受けたということ自体もともとありえなかったことなのであり、経験(歴史)による反論は回答(釈明・開き直り)に全くなっていない。
 さらに<増税一般が悪か>と問い糾したくもなったが、やめておこう。
 日本共産党に未来はない。「嶋1971」さんも、すみやかに活動をやめ、すみやかに離党して、かけがえのない、一度しかない人生を、意味のあることをして生きていただきたいものだ。

0215/日本共産党とその追随者に未来はない。すみやかに離党を。

 渡部昇一=林道義=八木秀次・国を売る人びと(PHP、2000)という本の中で、林道義は次のように率直に言っている。
 「私が犯した最大の間違いは、旧ソ連・中国などの社会主義国を本当に理想を追求している国だと思い込んだことである。…20歳前後…に気づくことができた。社会主義と言われる国々は、人間性を否定する最悪の独裁国だと気づいた」。
 戦後1970年代くらいまでにかかる幻想をもった(思い込んだ)人々は、悪びれることなく正々堂々と誤っていたことを認めるべきだし、そのことこそ讃えられるべきだ。
 日本には「変節」・「裏切り」という言葉もあって、いったん社会主義・マルクス主義にシンパシーを持った(又は共産党・社会党に接近した、さらに入党した)人がそれらから離れることについて本人が自らを精神的に苛むことがありうる。
 しかし、疑問をもちつつ社会主義・マルクス主義(日本共産党・社民党)から離れられない人こそ、勇気・正義感がないのだと悟るべきだ。社会主義・マルクス主義は実質的には「宗教」だから、離脱に何らかの苦痛・葛藤が伴うことはありうるが多少はやむをえない。
 とくに20歳代、30歳代の若い人たちよ。「科学的社会主義」(=マルクス・レーニン主義)の政党に、かけがえのない、一度しかない一生を賭ける必要は全くない。まだ人生はやり直せる。
 日本共産党からすみやかに離れた方がよい。あなた自身と日本・世界のためにも。そう、心から訴える。日本共産党とその追随者に未来はない

0206/雑誌・幻想と批評(はる書房)は共産主義との闘いを目指す。

 雑誌・幻想と批評(はる書房)の1号~4号(2004~2006)を所持している。この雑誌は、<共産主義にとどめをさすことを目的とする>雑誌だ。
 1号の黒坂真「共産主義国の戦争政策とマルクス主義経済学」は、明確に日本共産党の、レーニンに誤りはなくスターリンになってソ連は「社会主義(をめざす)国」でなくなったとの日本共産党の「理論」・「宣伝」を否定している。
 上の点が論文の主題ではないが、1919年のロシア(ソ連)共産党綱領は61年まで続いており、スターリンの権力継承によって変えられていない。レーニンはポーランド侵攻(戦争)や富農等の粛清を命令している。要するに「スターリンはレーニンの正当な継承者」で「スターリンがレーニンの理論・思想に依拠して大虐殺を断行した」、という(p.159)。
 同誌上の兵本達吉報告も、ソ連崩壊は特定個人の誤りによるのではなくマルクスに遡る「システムの失敗」だとの学者の論や、「ロシアの悲劇の最大の責任者はレーニンです」とのロシア人のNGOの言葉を紹介している(p.123-、p.137)。現在の日本共産党のソ連に関する主張は「願望」又は「言い逃れ」だろう。
 上の黒坂論文は日本共産党員たる経済学者の今の動向にも触れていて興味深い。
 かつての社会主義国の悲惨な経済・凄惨な歴史をまともに研究せず、かといって日本の国家や革命を正面から論じることもなく、資本主義経済の内在的問題を指摘して「維持可能な内発的発展」等を喧伝し、「地方分権」・「まちづくり」、「民主主義」・「人権」を唱えている、という。そして、「党員であることから得られる人脈」を維持し、雑誌・前衛や経済に起用してもらうために「言論の自由」(学問の自由)を自ら放棄している、とまで指摘している。
 同様のことは経済学者に限らず、(とくに欧州・ロシア圏に関する日本の)歴史学者(や欧米思想に影響を受けた、とくにマルクス主義に親近的な法学者)についても言えるのでないか。
 1号の創刊の辞によると、ソ連共産党により殺害された者6200万(1997、モスクワ放送)、KGBによる銃殺死者は本部のみで350万、地方支部も含めて500万(推定)、全世界の共産主義による被殺害者8000万-1億(1998、パリでの「共産主義フォーラム」)とされている(()は典拠)。また、「多くは「裁判も抜きで」「その場で」「見せしめのために銃殺」(レーニン)され」たが、これらの人びとの「九九・九九%が、無実の罪であった」という(1998.01.19元KGBシェバルシン議長代行次官が読売新聞記者に言明)。
 スターリンがすでに実権を握っていた頃にコミンテルン(国際共産党)日本支部として日本共産党が結成され、スターリンのもとで三二年テーゼも作成され、日本支部(日本共産党)に伝えられた。
 こうして生まれた、外国産の思想・マルクス主義(「科学的社会主義」)の政党・日本共産党のどこに<未来>があるのか。日本共産党とその追随者に未来はない。
 
20歳代~30歳代の若い人たちよ、日本共産党に近づくな、日本共産党に入党するな。すでに入党している人は、すみやかに離党を。まだ間に合う。虚偽と腐臭に充ちた「思想」と政党に、せっかくの、一度だけの人生を賭ける意味は全くない。お願いだから、せっかくの貴重な人生を無駄にするな、と心から訴えたい。

0203/日本共産党とその追随者に未来はない。フランス共産党にも。

 産経6/05の、時事通信配信の小さな記事に視線が止まった。
 3日付の仏紙ルモンドによると、「党勢衰退で深刻な財政難に陥ったフランス共産党糊口をしのぐため、所蔵するピカソの絵画作品などの売却まで検討している」らしい。
 どの程度確かな情報かは分からないが、仏共産党が衰退から消滅へと近づいているとすれば、不思議ではない。そして、所蔵している元党員だったピカソの絵が高価で売れるとなると…。
 わが日本共産党には、そういう財政難は-表向きは-なさそうだ。代々木の一等地?にあるらしい同党本部の建物を売りに出す日がいつか必ずくる、と予想している。<いつか>がいつ頃かが問題だ。
 日本共産党の大きな収入源が赤旗(本紙と日曜版)の売り上げであることはよく知られている。
 日本共産党を支持しているわけでもないのに、友人又は知人に頼まれて、<義理で>又は<つきあい>で日曜版くらいなら、と講読している人びともいるかもしれない。そういう人に是非言いたいが、まともに日曜版を読まず、日本共産党の影響は受けなくとも、しかし、赤旗日曜版の代金を日本共産党に支払うことによって、同党を支援し、協力し、同党の存続に手を貸していることに変わりはない。できるだけ早く、できるならば穏便に、赤旗講読を中止すべきだ。
 日本共産党とその追随者に未来はない。

ギャラリー
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