秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

折口信夫

2209/折口信夫「神道の新しい方向」(1949年)②。

 折口信夫「神道の新しい方向」(1949年)②。
 折口信夫全集第20巻/神道宗教篇(中公文庫、1976)より。②はp.464以下。原出/1949年06月。
 ***(つづき)
 ②。
 ・「只今におきましても、神道の根源は神社にあり、神社以外に神道はない、と思っていられる方が、随分世の中にあるだろうと思います。
 それについて、なお反省して戴かなければならない。
 相変わらずそうして行けば、われわれは遂に、西洋の青年たちにも及ばない、宗教的情熱のこれっぱかりもないような生活を、続けて行かなければならないのです。
 思うて見れば、日本の神々は、かつては仏教家の手によって、仏教化されて、神の性格を発揚した時代もあります。
 仏教教理の上に、そういう意味において、従来の日本の神と、その上に、仏教的な日本の神というものが現れてまいりました。
 しかし同時に、そういう二通りの神をば信じていたのです。
 しかもその仏教化せられた日本の神々は、これは宗教の神として信じられていたのではないのです。
 たとえば法華経では、これに附属した教典擁護の神として、わが国の神を考え、崇拝せられて来たにすぎません。
 日本の神として、独立した信仰の対象になっていた訳ではありません。
 だから日本の神が本道に宗教的に独立した、宗教的な渇仰の的になって来たという事実は、今までの間になかったと申してよいと思います。」
 ・「日本の神々の性質」は「多神教なものだという風に考えられて来ておりますが、事実においては日本の神を考えます時には、みな一神教的な考え方になるのです」。
 例えば、多数の神があっても「天照大神」、「高皇産霊神」、「天御中主神」のいずれかを感じるというように、「一個の神だけをば感じる考え癖」がある。
 「最卑近な考え方では、いわゆる八百万の神というような神観は、低い知識の上でこそ考えておりますが、われわれの宗教的あるいは信仰的な考え方の上には、本道は現れてはまいりません」。
 日本の信仰にはそういう風があると見えて、「仏教の側で申しましても、多神的な信仰の方面を持ちながらも、その時代時代によって、信仰の中心はいつでも移動いたしておりまして、二三あるいは一つの仏・菩薩が対象として尊信されてまいりました。
 釈迦であり、観音であり、あるいは薬師であり、地蔵であり、そういう方々が中心として、信じられていたのです。
 これが同時に日本人の信仰の為方でと思います」。
 ・日本人が「数多の神」を信じているように見えても、「やはり考え方の傾向は、一つあるいは僅かの神々に帰してくるのだと思います」。
 「植民地に神社を造った」経験からは「皆まづ天照大神を祀っております」。この考え方は「間違った考え」を含んでいた、または「指導する神道家が間違った指導をしていた」ことを意味するのだろうが、「その間違いの根本に、そういう統一の行われる一つの理由があった。
 つまりどうしても、一神に考えが帰せられなければならならぬというところがあったのだと思います」。
 ・「神社において、あんなに尊信を続けられて来たという風な形に見えていますけれども、神その方としての本道の情熱をもっての信仰を受けておられたかということを、よく考えて見る必要があるのです。
 千年以来、神社教信仰の下火の時代が続いていたのです。
 ギリシア・ローマにおける『神々の死』といった年代が、千年以上続いていたと思わねばならぬのです。」
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 ③につづく。
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 現在読みかけの本を4つだけ。
 1. 飯倉晴武・地獄を二度も見た天皇-光厳院(吉川弘文館/歴史文化ライブラリー、2002)。
 2. 及川智早・変貌する古事記・日本書記(ちくま新書、2020)。
 3. 安西祐一郎・心と脳認知科学入門(岩波新書、2011)。
 4. 松岡正剛・心とトラウマ(角川ソフィア文庫、2020)。

2194/折口信夫「神道の新しい方向」(1949年)①。

 折口信夫「神道の新しい方向」同全集第20巻/神道宗教篇(中公文庫、1976)より。p.461以下。原出/1949年06月。一文ごとに改行。太字化は秋月。
 ***
 ・昭和20年の終戦前、「われわれには、この戦争に勝ち目があるのだろうかという、静かな反省が起こっても来ました」。
 不安でした。「それは、日本の国に果して、それだけの宗教的な情熱を持った若者がいるだろうかという考えでした」。
 ・「日本の若ものたちは、道徳的に優れている生活をしているかも知れないけれども、宗教的の情熱においては、遙かに劣った生活をしておりました」。
 「それが幾層倍かに拡張せられて現れた、この終戦以後のことでも訳りますように、世の中に、礼儀が失われているとか、礼が欠けているところから起る不規律だとかいうようなことが、われわれの身に迫ってきて、われわれを苦痛にしているのですが、それがみんな宗教的情熱を欠いているところから出ている。
 宗教的な、秩序ある生活をしていないから来るのだという心持ちがします。
 心持ちだけではありません。
 事実それが原因で、こういう礼儀のない生活を続けている訳です。
 これはどうしても宗教でなければ、救えません。」
 ・「ところが唯一ついいことは、われわれに非常に幸福な救いのときが来た、ということです。
 われわれにとっては、今の状態は決して幸福な状態だとは言えませんが、その中の万分の一の幸福を求めれば、こういうところから立ち直ってこそ、本道の宗教的な礼譲のある生活に這入ることが出来る。
 義人の出る、よい社会生活をすることが出来るということです。」
 ・「しかし時々ふっと考えますに、日本は一体宗教的の生活をする土台を持っているか、日本人は宗教的な情熱を持っているか、果して日本的な宗教をこれから築いてゆくだけの事情が、現れて来るかということです。
 事実、仏教徒の行動などを見ますと、<中略>というような感じのすることもございます。
 殊に、神道の方になりますと、土台から、宗教的な点において欠けているということが出来ます。」
 ・「神道では、これまで宗教化することをば、大変いけないことのように考える癖がついておりました。
 つまり宗教として取り扱うということは、神道の道徳的な要素を失って行くことになる。
 神道をあまり道徳化して考えております為に、そこから一歩でも出ることは道徳外れしたもののようにしてしまう。
 神道は宗教じゃない。
 宗教的に考えるのは、あの教派神道といわれるものと同様になるのだという、不思議な潔癖から神道の道徳観を立てて、宗教に赴くことを、極力防ぎ拒みして来ました。」
 ・「…、明治維新前後に、日本の教派神道というものは、雲のごとく興ってまいりました。
 どうしてあの時代に、教派神道が盛んに興って来たかと申しますと、これは先に申しました潔癖なる道徳観が、邪魔をすることが出来なかった。
 いったん誤られた潔癖な神道観が、地を払うた為に、そこにむらむらと自由な神道の芽生えが現れて来たのです。」
 ・「ただこの時に、本道の指導者と申しますか、本道の自覚者と申しますか、正しい教義を持って、正しい立場を持った祖述者が出て来て、その宗教化を進めて行ったら、どんなにいい幾流かの神道教が現れたかも知れないのです。
 それから幸福な、仮に幸福な状態が続いてまいりました。
 その為にまた再び、神道を宗教化するということが、道徳的にいけない、道徳的な潔癖に障るような気持ちが、再び盛んに起こってまいりました。
 そうして日本の神道というものは、宗教以外に出て行こうとしました。」
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 ②につづく。折口信夫、1887年~1953年。

2178/折口信夫「神道の史的価値」(1922)。

 折口信夫全集第02巻-古代研究(民俗篇1)(中公文庫、1975)より。
 折口信夫「神道の史的価値」(1922年1月)。p.161~の一部。
 一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。1922年=大正11年。
 ***
 「…。所謂『官の人』である為には、自分の奉仕する神社の経済状態を知らない様では、実際曠職と言わねばならぬ。」
 「併しながら此の方面の才能ばかりを、神職の人物判定の標準に限りたくはない。
 又其筋すじの人たちにしても、其辺の考えは十二分に持ってかかっているはずである。
 だが、此の調子では、やがて神職の事務員化の甚だしさを、嘆かなければならぬ時が来る。
 きっと来る。
 収斂の臣を忌んだのは、一面教化を度外視する事務員簇出の弊に堪えないからと言われよう。
 政治の理想とする所が、今と昔とで変わって来て居るのであるから、思想方面にはなまじいの参与は、ない方がよいかもしれぬ。
 唯、一郷の精神生活を預かって居る神職に、引き宛てて考えて見ると、単なる事務員では困るのである。
 社有財産を殖し、明細な報告書を作る事の外に、氏子信者の数えきれぬ程の魂を托せられて居るという自覚が、持ち続けられなければならぬ。<中略>
 …其氏子・信者の心持ちの方が、既に変わって了うて居る。
 田園路を案内しながら、信仰の今昔を説かれた、ある村のある社官の、寂し笑みには、心の底からの同感を示さないでは居られなかった。」
 「世間通になる前に、まず学者になって頂きたい。
 父、祖父が、一郷の知識であった時代を再現するのである。」
 「こうした転変のにがりを啜らされて来た神職の方々にとっては、『宮守りから官員へ』のお据え膳は、実際百日ひでりに虹の橋であった。
 われひと共に有頂天になり相な気がする。
 併し、じっと目を据えて見回すと、一向世間は変わって居ない。
 氏子の気ぐみだって、旧態を更めたとは見えぬ。
 いや其どころか、ある点では却って、悪くなってきた。
 世の末々まで見とおして、国家百年の計を立てる人々には、其が案ぜられてならなくなった。
 閑却せられていた神人の力を、借りなければならぬ世になった、ということに気のついたのは、せめてもの事である。
 だが、そこに人為のまだこなれきらぬ痕がある。
 自然にせり上がって来たものでないだけ、どうしても無理が目立つ。」
 「我々は、こうした世間から据えられた不自然な膳部にのんきらしく向かう事が出来ようか。
 何時、だしぬけに気まぐれなお膳を撒かれても、うろたえぬだけの用意がいる。
 其用意をもって、此潮流に乗って、年頃の枉屈を伸べるのが、当を得たものではあるまいか。
 当を得た策に、更に当を得た結果を収めようには、懐手を出して、書物の頁を繰らねばならぬ。」
 ***

2170/折口信夫「神道に見えた古代論理」(1934)。

 折口信夫全集第20巻-神道宗教篇(中公文庫、1976)より。
 折口信夫「神道に見えた古代論理」(1934年)。p.416~の一部。
 一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。
 ***
 ・「神道の歴史において、一番に考えなければならない事は、神道の極めて自然に発生的に変化してきたという以外に、なお不自然に飛躍してきた部分のある事である。<中略>」
 ・「しかし、じつは我々の知識による判断であるから、自然的な或いは不自然的な発展過程だと明確に決め込むには、十分の警戒を要する事である訳だ。
 たとえば仏教が社会を規定していた時代には、仏教的な神道が生まれ、儒教が世間の指導精神となっていた時代には、儒教的な神道が現れたのである。
 がしかし、なおも陰陽道が盛んになる以前の古い時代においても、種族的な信仰としての陰陽道が神道にとり入れられ、神道の神学の一部を形成したこともあるに違いない。
 これは、じつは元来宗教的に何の立場もない神道として、如何ような説明でも出来たためである。
 だからその発達の途中にとり入れられたものでも、時代を経るに従うて自然的なものになって、後の神道観からは、こう言うものが神道の最初から存在し、発達してきたと見る事もあり、また観者の中には、神道の中にある陰陽道的要素或いは仏教的要素などをば、それだとするを潔しとしない者もあるのだ。
 従って我々には歴史の経過以外に、素朴なものの考えられ様はないのだから、神道要素として含まれている仏教・陰陽道・道教・儒教などをば取り除いて見れば、神道と考えられるものがなくなる訳である。
 と同時に、我々の神道に対する従来の先入主を取り去って考えなければ、結局神道についての正常な理解は得られないのみならず、事実、人間の思考においては最初の出発点について考えることは空想なのだから、不用意な推定には必ず誤りが混じてくるのである。」
 ----
 折口信夫、1887年~1953年。

2167/折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)。

 折口信夫全集第20巻-神道宗教篇(中公文庫、1976)より。
 p.41~。折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)
 一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。青太字化は秋月。
 ***
 ・「神話という語は、数年来非常に、用語例をゆるやかに使われて来ている。
 戦争中はもとより、戦争前からで、すでに広漠とした、延長することの出来るだけ、広い意味に使われていた。
 それは、ナチス・ドイツの用語をそのまま直訳したものであろうが、-<中略>-この神話という語も、そうした象徴風な受けとり方がせられている。」
 ・「私ども、民俗学を研究する者の側から考えると、神話という語はすこぶる範囲を限って使うべき語となる。
 普通に使われているより、さらに狭い意義なのだから、それとはよほど違うのである。
 神話は神学の基礎である。
 雑然と統一のない神の物語が、系統づけられて、そこに神話があり、それを基礎として、神学ができる。
 神学のために、神話はあるのである。
 従って神学のない所に、神話はない訳である。
 言わば神学的神話が、学問上にいう神話なのである。」
 ・「神代の神話とか神話時代とか、普通称されているが、学問上から言う神話は、まだ我が国にはないと言うてよい。
 日本には、ただ神々の物語があるまでである。
 何故かと言えば、日本には神学がないからである。
 日本には、過去の素朴な宗教精神を組織立てて系統づけた神学がなく、さらに、神学を要求する日本的な宗教もない。
 それですなわち、神話もない訳である。
 統一のない、単なる神々の物語は、学問的には、神話とは言わないこととするのがよいのである。
 従って日本の過去の物語の中からは、神話の材料を見出すことは出来ても、神話そのものは存在しない訳である。」
 ----
 折口信夫について、以下の著に接した。
 植村和秀・折口信夫-日本の保守主義者(中公新書、2017)。
 斎藤英喜・折口信夫-神性を拡張する復活の喜び (ミネルヴァ書房、2019)。


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