三 「自由」というものは、それ自体は「善」でも「正」でも「美」でもない、つまり<良いもの>という価値判断を伴ってはいないものだ、と秋月は理解している。
さしあたり、全面的に支持しているわけでは全くないが、前回に触れたL・コワコフスキの「自由」論を参照すると、そこでは一定の<選択可能性>や一定の<力(能力)>が、「自由」概念のもとで意味されている。
彼における「自由」の問題領域の一つは、「自由な意思」形成の範囲・能力の問題は別として、<人間>として(厳密にはおそらく「神経系」または「精神」の完全な障害者や乳幼児を含む「未成年者」を別として)元来はもつ、または原理的にもち得る「人間としての自由」だ。この範囲では「良い・悪い」等の価値判断は付着していないと思われる。
もう一つは「社会の一構成員としての人の自由」を対象とする「社会的な行動の自由(freedom)」だ。ここでは、どのような「社会」の構成員であるかによって「自由」の範囲・内容・強度等は異なってくるが、原理的に「社会の一構成員としての人の自由」と言う場合、それ自体に「良い・悪い」等の価値判断は付着していないと見られる。
しかるに、西尾幹二の場合はどうか。
西尾幹二の「自由」論の特徴は、第二に、「自由」の観念にすでに一定の、つまり<良いもの>という価値判断を付着させていることがある、ということだ。
これは、西尾における「自由」の意味の不明瞭さの現れでもあり、同じ一つの書物の中ですら、「自由」の意味がブレていることをも示している。
すなわち、西尾・あなたは自由か(ちくま新書、2018)の中のつぎの文章に出てくる「自由」は、いったい何を意味しているのだろうか。だが、少なくとも、何か<良いもの>・<素晴らしいもの>を意味させていることは明らかだろう。
①「幼くして親元を離れて上野駅に集まった『金の卵』の労働者たち」は、「一人前の大人」・「社会人」となるよう徹底的に叩き込まれた。「生きて、働いて、成功しなければならなかった」。
「彼らこそほかでもない、最も自由な人たちでした。」—p.81。
②「藤田幽谷は天皇を背にして幕府と戦いました。
あの時代にして最大級の『自由』の発現でした。」
「私たちもまた天皇を背にして、…グローバリズムに、怯むことなく立ち向かうことが『自由』の発現であるように生きることをためらう理由があるでしょうか。」—p.205。
これらの「自由」の意味は何か、「『自由』は存在しない、そこからすべてが始まる」等々の同じ書物の中の<思弁的な>叙述とどういう関係にあるのか、西尾に問うてみたいものだ。
もっとも、その箇所ごとで懸命に書いた表現・レトリックなのだから意味不明等があって当然だ、「矛盾」・「辻褄」を問題にされること自体が本意に反する、という反駁?を受けるかもしれない。
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岩田温は西尾・あなたは自由か(2018)で「最も感銘を受けた」のは藤田幽谷に関する逸話であり、上の②の前半の叙述は「日本人であることを強烈に意識し、自らの宿命に生きた幽谷こそが最も自由だったのではないか」という指摘だ、という印象をとくに語っている。
西尾=岩田温(対談)・月刊WiLL2019年4月号、対談再末尾のp.235。
岩田温も西尾と同様の「感受性」をもつようだ。
だが、藤田幽谷に関して、突如として「あの時代にして、最大級の『自由』の発現」だったという表現が出てきたので驚き、新鮮に感じた、というだけのことではないだろうか。
岩田は、ここでの「自由」の意味を説明できるだろうか? まんまと西尾幹二のレトリックあるいはトリックに引っ掛かっただけのようにも思える。
もちろん、藤田幽谷が「最大級の自由の発現」者だったかは、その意味も含めて問題になり得る。一部の「勤皇」志士たちを通じて明治維新に一定の影響を与えたとかりにしても、その後の明治の日本は彼の思いとは相当に異なる方向に進んだと考えられる。
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四 1 西尾幹二・あなたは自由か(2018)の第一章に叙述されているFreedom とLiberty の区別に関する論述は、A. Smith の「自由」はLiberty だという認識も含めて間違っている、ということは、すでに何度も触れた。
したがって、エピクテトスの「自由」は「アダム・スミスのような経済学者がまったく予想もしていない自由」だといった得意げな叙述も(p.43-)、まったく予想できないほどに奇妙だ。
じつは秋月は、上の書の後半は全く読んでいない。途中で読むのが馬鹿々々しくなったからだ。
だが、同書「あとがき」によると、出版・編集担当者の湯原法史(当時、筑摩書房)は、原稿一読後にこんな私信を西尾に寄せたらしい(以下は記載されているものの一部)。
「思いもしない章別構成であるうえに、論旨の展開が寄せては返す波のようで、そこに目を奪われるような解釈と発見が相次いで現われ、…」。
自ら執筆・出版を依頼した編集担当者だけに、気苦労は大変だったのだろう。自らが責任を持った書物の出版は、会社内ではもちろん「業績」の一つになる。
ともあれ、「論旨の展開が寄せては返す波のようで」とは、論旨の一貫性のなさ、「自由」という観念が不明瞭なままだらだらと続いていること、を示していると「解釈」することもできる。
出版社・新聞社の編集者たちはどのような「素養」・「教養」・「(潜在)意識」を持っているのかは、近年の関心の対象の一つだ。
湯原法史、1951年?生、1974年3月、早稲田大学第一文学部卒業。
ついでながら、つぎの二人も、同じ大学、同じ学部(早稲田大学第一文学部)の出身者のようだ。適菜については少なくとも「早稲田大学」で「西洋文学」を学んだことは確からしい。
桑原聡(1957年〜、元月刊正論編集代表)、適菜収(1975年〜、かつての月刊正論に「哲学者」だけの肩書きで執筆。藤井聡(京都大学)との対談書あり)。
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2 西尾幹二・自由の悲劇(講談社現代新書、1990)での「自由」概念も、一貫して不明瞭だ。
この書物では、時期・時代の影響があったのは間違いなく、「自由主義(・資本主義)」対「社会主義・共産主義」という構図の中で(曖昧に)「自由」が把握されている。
そして、近年まで一貫しているわけでは全くないことも興味深いが、つぎのような認識・把握・主張がなされているようだ。この当時の他の書物の一部でのそれらも加える。
①社会主義に欠けた「古典的自由」とそれが充たされたうえでのいわば新しい「自由」。
②「自由主義(・資本主義)」諸国での「充たされた自由」(または「自由」を獲得した旧社会主義諸国)に潜む「自由」の「悲劇」という深淵(西尾のかつてのお得意のテーゼ・命題?、決まりフレーズだ)。
③(スターリンやヒトラーによる)「前期全体主義」ではない言わば新型・後期の「全体主義」が、新しい「自由」から出現する、という予感。
上の①は別として、それ以外は、<思いつき>、<ひらめき>あるいは<レトリック的妄想>の類で、意味内容やその論拠・徴候が詳細に論述されているわけではない。
また、どうやら近年では、上のようなことを書かなくなったようだ。
だが、「自由」に関係して興味深くはあるので、別の機会に言及するかもしれない。
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