=Richard Pipes, Russia under the Bolshevik Regime (1995)。
試訳のつづき。第5章第6節。p.280-1。
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第5章・共産主義、ファシズム、国家社会主義。
第6節・全体主義諸体制の間の相違②。
要するに、ロシアは社会構造が同質で民族的構造が異質だったので、熱望をもつ独裁者は階級間の敵意に訴えることが想定されえたのだが、状況が反対の西側では、訴えかけは民族主義(ナショナリズム)になったのだろう。//
とは言え、今きちんと、つぎのことを記しておかなければならない。
階級にもとづく全体主義と民族にもとづく(nation-based)全体主義は、一つに収斂しがちだ。
スターリンはその政治的経歴の最初から、大ロシア民族主義と反ユダヤ主義を用心深く奨めていた。
第二次大戦の間と後で彼は、おおっぴらに、明瞭な熱狂的愛国主義の言葉を使った。
ヒトラーの側について言うと、彼はドイツ民族主義は制限的すぎると考えていた。
彼は「私は世界革命を通じてのみ、自分の目的を達成することができる」とラウシュニンクに語り、ドイツ民族主義をより広い「アーリア人主義」へ解消するだろうと予言した。
『民族(nation)という観念は無意味になってきた。…
我々はこの偽りの観念から抜け出して、人種(race)の観念へと代えなければならない。…
歴史的過去を帯びる人々の民族的区別の言葉遣いで新しい秩序を構想することはできない。だが、この区別を超える人種にかかる言葉遣いによってならそうすることができる。…
科学的意味では人種というものは存在しないと、私は素晴らしく賢い知識人たちと全く同様に、完璧によく知っている。
しかし、農民で牧畜者であるきみは、人種という観念なくしてはきみの生育の仕事をうまくは成し遂げられない。
政治家である私は、今まで歴史の基盤の上に存在した秩序を廃棄して全般的で新しい反歴史的な秩序を実施し、そしてそれに知的な根拠を与える、そういうことを可能とする観念を必要としている。…
そして、人種という観念は、私のこの目的のために役立つ。…
フランス革命は、国民(民族、nation)という観念を国境を超えて伝播させた。
国家社会主義は、人種という観念でもって広く革命をもたらし、世界を作り直すだろう。…
民族主義(ナショナリズム)という常套句には多くのものは残らないだろう。我々ドイツ人には、ほとんど何も。
その代わりに、善良な一つの支配する人種についての多様な言葉遣いが、理解されるようになるだろう。』(120)//
共産主義と「ファシズム」は、異なる知的起源をもつ。一方は啓蒙哲学に、他方はロマン派時代の反啓蒙的文化に、根ざしている。
理論については、共産主義は理性的、構築的で、「ファシズム」は非理性的、破壊的だ。このことは、共産主義がつねに知識人たちに対してきわめて大きい魅力を与えた理由だ。
しかしながら、実際には、こうした区別もまた、不明瞭になっている。
じつにここでは「存在」が「意識」を決定するのであり、全体主義諸制度はイデオロギーを従属させ、それを意のままに再形成するのだ。
記したように、両者の運動は思想(ideas)を、際限のない融通性をもつ道具だと見なす。それは、服従を強制して一体性の見せかけを生み出すために、臣民たちに押しつけられる。
結局のところ、レーニン主義-スターリン主義の全体主義とヒトラー体制は、いかに知的な起源が異なっていても、同じように虚無主義的(nihilistic)で、同じように破壊的なのだ。//
おそらく最も語っておくべきなのは、全体主義独裁者たちがお互いに感じていた、称賛の気持ちだ。
述べてきたように、ムッソリーニはレーニンに大きな敬意を払っていたし、「隠れたファシスト」に変わったことについてスターリンを惜しみなく賞賛した。
ヒトラーはごく親しい仲間に、スターリンの「天才性」に対して尊敬の念を抱いていることを認めた。
第二次大戦のただ中でヒトラーの兵団が赤軍との激しい戦いで阻止されていたとき、彼は両軍が一緒になって西側の民主主義諸国を攻撃し、破滅させることを瞑想した。
このような両軍の協働に対する一つの重大な障害は、ソヴィエト政府の中のユダヤ人の存在だった。これは、ヒトラーの外務大臣のヨアヒム・リッベントロップ(Joachim Ribbentrop)にソヴィエト指導者が与えた、非ユダヤ系の適切な幹部の地位に就けば指導的部署から全てのユダヤ人を排除するとの保証、を考慮すれば解消できるように見えた。(121)
そしてその代わりに、最も過激な共産主義者の毛沢東は、ヒトラーとその方法を称賛した。
きわめて多くの同志の生命を犠牲にした文化革命のさ中に非難が加えられたとき、毛沢東は、「第二次大戦を、ヒトラーの残虐さを見よ。残虐さが強ければ強いほど、革命への熱狂はそれだけ大きくなる」、と答えた。(122)//
根本のところで、左と右の様式がある全体主義体制は、類似した政治哲学と実践によってのみならず、それらの創設者の共通する心理によって結び合わされている。
すなわち、搔き立てる動機は憎悪であり、それを表現したのが暴力だ。
彼らの中で最も率直だったムッソリーニは、暴力は「道徳的な治癒療法」だ、人々を明白な関与に追い込むのだから、と述べた。(123)
この点に、そして自分は疎外されていると感じている現存の世界を、どんな犠牲を払ってでも全ての手段を用いて徹底的に破壊しようとの彼らの決意のうちに、彼らの親近性(kinship)があった。//
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(120) Rauschning, Hitler Speaks, p.113, p.229-230.
(121) Henry Picker, ed., Hitlers Tischgespräche im Führerhauptquartier, 1941-1942 (Bonn, 1951), p.133.
(122) NYT(=New York Times), 1990年8月31日号, A2.
(123) Gregor, Fascist Persuasion, p.148-9.
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第5章第6節、そして第5章全体が、これで終わり。