平川祐弘「天皇の『祈り』とは何か」新潮45・2017年8月号。これは、特集<日本を分断した天皇陛下の「お言葉」>の一つと位置づけられている。
「座長代理」・一部マスコミ批判・非難には立ち入らない。
但し、現上皇が「象徴」の意味を戸惑いつつ熟考し、多数の国事行為・公的(象徴)行為を行ってきた中で<これらをしないで、または減らして「私的」行為である祭祀を最優先してほしい>と発言されたれのでは、実際にどういう感想をもたれたかは勿論分からないが、<これまでの行動を全否定された> と当時の天皇(現上皇)が受け止められても、相当程度に無理からぬところはあったように思われる。
さて、平川祐弘が本当に「アホ」であるらしいことは、上の雑誌論考の冒頭の第一文によって、すでに明らかだ。冒頭の第一段落は、こうだった。
「皇位の世襲が憲法の定めである以上、天皇が個人的な考えを述べ、それで憲法の定めを変えるに近いことをしてよいのか。
その懸念を多くの有識者が述べた。」
後段にも間違いらしきものがあることに気づく。
「憲法の定めを変えるに近いこと」とは天皇の譲位・(生前)退位を認めることを指すのだろうが、「憲法の定めを変えるに近い」とまでは言えない。譲位・(生前)退位の可否について憲法(日本国憲法)は何も定めていない。当時の皇室典範(法律)が終身在位を前提としていただけだ。
この点も平川祐弘における法制知識のゼロを示している。
決定的なのは、つぎだ。
「皇位の世襲が憲法の定めである以上、…」。
これは、彼のいう「憲法の定めを変えるに近いこと」につながった「個人的な考えを述べた」ことを批判する根拠・理由として書かれている。つまり、「おことば」は天皇には許されない「政治的発言」だとしているわけだ。「天皇が個人的な考えを述べ」ること一般を否定することはできないだろうから、平川は、その「政治性」、「憲法の定めを変えるに近い」ような意味合いの考えを述べることを意味させているのだろう。
しかし、つぎがポイントだ。
天皇が文字通りに「政治的」言動をしてはならないのは、現憲法4条1項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」によるのであって、第2条にいう「世襲」とは直接の関係がない。
平川祐弘によれば、「世襲」だから<政治的発言は許されない>。
こんな馬鹿を活字にする者がいることを知らなかった。
明治天皇も「世襲」だったが大日本帝国憲法の発布者となり「統治権の総覧者)として大正天皇も戦前の昭和天皇も紛れもない「政治」的行為を行った。昭和天皇は二・二六事件の兵士たちに「呼びかけ」、終戦の「聖断」を下した。
「世襲」だから、政治的意味をもつ「個人的考え」を述べてはならない、ということにはならない。
もう一度、上の平川の文章を読むと、「あほ」であることが明瞭だろう。
「内閣の助言と承認」による「国事行為」の他は「国政に関する権能を有しない」と現憲法は(明治憲法とは全く違って)定めているからこそ、これとの関係で、天皇(現上皇)の「おことば」を問題視する意見が出された。
実際的には、法律改正または特例法の制定を必要としたという意味で「政治的」性格が全くなかったとは言えないとは思われる。しかし、その点を考慮したからこそ、いわゆる皇室典範特例法の「公布文」の中に天皇(現上皇)の意思・「おことば」に直接に由来するものではないことを敢えて、ある程度詳しく記して、憲法問題が発生するのを避けたのだった(なお、「公布文」は、六法全書類には掲載されない。他の法律でも同じ(はずだ)。)
「世襲」→<政治的行為不可>という、とんでもない間違いを、依頼された文章の冒頭で書いてしまう。このような「アホ」ぶりを再び示したのが、新潮45の2017年の論考だった。
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平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
これは2015年の<戦後70年安倍(内閣)談話>を、基本的に支持・肯定している文章だ。
平川によると「五箇条の御誓文」には及ばないが、「終戦の詔勅」と並べて読むべきで、「教育勅語」よりも「必読文献」だ。上掲誌、p.32。
上の点も消極的な意味で面白いが、つぎの平川祐弘の文章は面白くて、必見・必読ではないか、と思われる。p.35-p.36。
「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる。
とくに日本のように戦後自虐的な見方が一方的に説かれてきた国では、その反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる。
おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい。/〔改行〕
不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い。
だが、そんな熱心家が鬱憤晴らしを大声で唱えても外国には通じない。
相手のいい慰みものにされるのが関の山だろう。」
「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増える」-そのとおりかもしれない。
しかし、平川祐弘自身が「おかしな右翼」の一人なのではないか。
「祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」-そのとおりかもしれない。
しかし、祖国を弁護する「いささか頭が単純な人」の一人は、平川祐弘自身ではないか。
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いささか古い時期のもので新規さはないが、上の二つの雑誌の平川祐弘の文章の一部は印象深くて、ずっと記憶にあった。そこで、あらためて記録して、日本の「右翼」たちの中には「あほ」が多いことの例証の一つにしたくなった。
平川祐弘、1931~、東京大学教養学部卒、東京大学「名誉教授」。
国家基本問題研究所(理事長・櫻井よしこ)研究顧問、美しい日本の憲法をつくる国民の会(共同代表・櫻井よしこ・田久保忠衛ら)代表発起人。
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下は、譲位問題の頃の平川祐弘と八木秀次。産経ニュースのネット上等より。
「座長代理」・一部マスコミ批判・非難には立ち入らない。
但し、現上皇が「象徴」の意味を戸惑いつつ熟考し、多数の国事行為・公的(象徴)行為を行ってきた中で<これらをしないで、または減らして「私的」行為である祭祀を最優先してほしい>と発言されたれのでは、実際にどういう感想をもたれたかは勿論分からないが、<これまでの行動を全否定された> と当時の天皇(現上皇)が受け止められても、相当程度に無理からぬところはあったように思われる。
さて、平川祐弘が本当に「アホ」であるらしいことは、上の雑誌論考の冒頭の第一文によって、すでに明らかだ。冒頭の第一段落は、こうだった。
「皇位の世襲が憲法の定めである以上、天皇が個人的な考えを述べ、それで憲法の定めを変えるに近いことをしてよいのか。
その懸念を多くの有識者が述べた。」
後段にも間違いらしきものがあることに気づく。
「憲法の定めを変えるに近いこと」とは天皇の譲位・(生前)退位を認めることを指すのだろうが、「憲法の定めを変えるに近い」とまでは言えない。譲位・(生前)退位の可否について憲法(日本国憲法)は何も定めていない。当時の皇室典範(法律)が終身在位を前提としていただけだ。
この点も平川祐弘における法制知識のゼロを示している。
決定的なのは、つぎだ。
「皇位の世襲が憲法の定めである以上、…」。
これは、彼のいう「憲法の定めを変えるに近いこと」につながった「個人的な考えを述べた」ことを批判する根拠・理由として書かれている。つまり、「おことば」は天皇には許されない「政治的発言」だとしているわけだ。「天皇が個人的な考えを述べ」ること一般を否定することはできないだろうから、平川は、その「政治性」、「憲法の定めを変えるに近い」ような意味合いの考えを述べることを意味させているのだろう。
しかし、つぎがポイントだ。
天皇が文字通りに「政治的」言動をしてはならないのは、現憲法4条1項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」によるのであって、第2条にいう「世襲」とは直接の関係がない。
平川祐弘によれば、「世襲」だから<政治的発言は許されない>。
こんな馬鹿を活字にする者がいることを知らなかった。
明治天皇も「世襲」だったが大日本帝国憲法の発布者となり「統治権の総覧者)として大正天皇も戦前の昭和天皇も紛れもない「政治」的行為を行った。昭和天皇は二・二六事件の兵士たちに「呼びかけ」、終戦の「聖断」を下した。
「世襲」だから、政治的意味をもつ「個人的考え」を述べてはならない、ということにはならない。
もう一度、上の平川の文章を読むと、「あほ」であることが明瞭だろう。
「内閣の助言と承認」による「国事行為」の他は「国政に関する権能を有しない」と現憲法は(明治憲法とは全く違って)定めているからこそ、これとの関係で、天皇(現上皇)の「おことば」を問題視する意見が出された。
実際的には、法律改正または特例法の制定を必要としたという意味で「政治的」性格が全くなかったとは言えないとは思われる。しかし、その点を考慮したからこそ、いわゆる皇室典範特例法の「公布文」の中に天皇(現上皇)の意思・「おことば」に直接に由来するものではないことを敢えて、ある程度詳しく記して、憲法問題が発生するのを避けたのだった(なお、「公布文」は、六法全書類には掲載されない。他の法律でも同じ(はずだ)。)
「世襲」→<政治的行為不可>という、とんでもない間違いを、依頼された文章の冒頭で書いてしまう。このような「アホ」ぶりを再び示したのが、新潮45の2017年の論考だった。
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平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
これは2015年の<戦後70年安倍(内閣)談話>を、基本的に支持・肯定している文章だ。
平川によると「五箇条の御誓文」には及ばないが、「終戦の詔勅」と並べて読むべきで、「教育勅語」よりも「必読文献」だ。上掲誌、p.32。
上の点も消極的な意味で面白いが、つぎの平川祐弘の文章は面白くて、必見・必読ではないか、と思われる。p.35-p.36。
「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる。
とくに日本のように戦後自虐的な見方が一方的に説かれてきた国では、その反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる。
おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい。/〔改行〕
不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い。
だが、そんな熱心家が鬱憤晴らしを大声で唱えても外国には通じない。
相手のいい慰みものにされるのが関の山だろう。」
「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増える」-そのとおりかもしれない。
しかし、平川祐弘自身が「おかしな右翼」の一人なのではないか。
「祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」-そのとおりかもしれない。
しかし、祖国を弁護する「いささか頭が単純な人」の一人は、平川祐弘自身ではないか。
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いささか古い時期のもので新規さはないが、上の二つの雑誌の平川祐弘の文章の一部は印象深くて、ずっと記憶にあった。そこで、あらためて記録して、日本の「右翼」たちの中には「あほ」が多いことの例証の一つにしたくなった。
平川祐弘、1931~、東京大学教養学部卒、東京大学「名誉教授」。
国家基本問題研究所(理事長・櫻井よしこ)研究顧問、美しい日本の憲法をつくる国民の会(共同代表・櫻井よしこ・田久保忠衛ら)代表発起人。
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下は、譲位問題の頃の平川祐弘と八木秀次。産経ニュースのネット上等より。