秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

笹倉秀夫

1878/笹倉秀夫・法思想史講義(下)(2007)③。

 笹倉秀夫・法思想史講義(下)(東京大学出版会、2007)。
 この笹倉という人物は、一期だけのようだが、民科法律部会(「学会」の一つ)の理事だった。当然に、ずっと会員だったのだろう。
 さて、上掲書のp.305に、こうある。
 ①「<ロシア革命のあと理想的な社会をめざして進んでいたソ連邦は、スターリンの時代に誤った道をさらに進み、それが多くの問題を引き起こした。他の国での社会主義化でも同様の問題が生じた>という面が、確かにある。
 ロシア革命後はよかったがスターリン時代に誤った、「という面が、確かにある」と記述し、「確かにある」というその内容を、< >で包んでいる。
 問題は、またはきわめて奇妙なのは、< >の出典、参照文献等がいっさい記載されていないことだ。
 前の頁下欄に不破哲三・マルクスの未来社会論(2004)を参照文献として記しているが、注記の箇所が異なるので、この不破哲三著を読め、と言っているわけでもない。
 そうすると、< >内の内容は、笹倉秀夫自身による理解だ、ということになるだろう。
 そしてこれは、現在の、正確には1994年党大会以降の、日本共産党の基本的理解・認識とまったく同一だ。
 また、p.309に、こうある。
 ②「レーニンは、晩年にその『遺書』で、スターリンを『粗暴』であるとし、かれが権力を握ることの危険性を警告した。スターリンは、このレーニンの遺言を消し去り、レーニンの後継者としてふるまうことによって、まさにその遺言どおりの危険を生じさせた。
 あれあれ、これも日本共産党関係文献が「主張」し、理解しているようなこととまったく同じ。少なくとも、反スターリニズムの「共産主義者」と同じ。私ですら、こうした主張・認識は誤りだ、一部を過大視、誇張する「政治的」目的をもつものだ、と反論することができる。
 さらに、p.313に、こうある。
 ③「一党独裁や個人指導については、レーニンは1902年に前衛党論を書いたときに考えてはいなかった。だがかれは前述のように、1920年頃の内戦と外国の干渉・侵略という内外の危機に直面して諸自由を制限しだした。
 渓内謙・現代社会主義を考える(1988)一つだけを参照文献として注記しているが、この渓内自体がレーニンだけはなお擁護しようとする日本共産党員とみられるソ連(・ロシア)史学者なのだから、公平性・客観性はまるでない。
 そもそも、笹倉秀夫は<1902年の前衛党論>なるもの(つまりレーニン「何をなすべきか?」)をきちんと読んだのだろうか。
 また、「1920年頃の内戦と外国の干渉・侵略」とはいったい何のことだろうか。
 「内戦」は1918年には始まっている。農民に対する食料(穀物)徴発制度自体が農民の「自由」を認めるものではない。秘密警察(チェカ、チェーカー)設立は1917年12月。「内戦」の敵はもちろん反対政党(エスエル・メンシェヴィキ)の幹部たちを「見せ物裁判」で形式的な手続で「殺戮」したのはレーニンの時代。その前に1918年2月に『社会主義祖国が危機!』との布令を発して反抗者の略式処刑を合法化したのもレーニン。のちにスターリンが大テロルまたは「大粛清」のために最大限に活用した刑法典の発布もレーニンの時代。「1920年頃」には田園地帯での飢饉も始まっていた。1921年のクロンシュタット蜂起は、もともとはほとんどが戦闘的なボルシェヴィキ(共産党員)だった海兵たちの反乱。
 少なくとも親日本共産党の、幼稚で無知な笹倉に、上のような断片的な一部を説いてもきっと無意味なのだろう。
 ところでそもそも、上の笹倉著は『法思想史講義』という名を謳っているのだが、ロシア・ソ連での「法思想」には(レーニン刑法もスターリン憲法もパシュカーニスも)まったく論及していないのは、いったい何故なのだろうか。
 この人は「法思想」を「思想」と混同しているのではなかろうか。しかも、「政治思想」に相当に偏った「思想」だ。区別がつき難いところはむろんあるだろうが、一定の自立性・自律性をもつ「法思想史」をたどり、まとめるという作業は全く不可能とは言えないだろう。
 上掲書が、それを行っているとは、また試みようとしているとすらも、全く感じられない。

1860/笹倉秀夫・法思想史講義(下)(2007)②。

 笹倉秀夫・法思想史講義(下)(東京大学出版会、2007)
 この本の、14のマルクスの部分、15のマルクス・レーニン・スターリンの部分をしっかりと読んで、この人物の基本的な情念・前提命題と「論理」らしきものを分析してみたい。
 前提として、上に関する部分の注記に文献名が挙げられているので、以下にそのままその文献名だけを列挙する。
 執筆時に参照したのだろうから、この人物にはすでにこれら以外の諸文献を通じた「知識」や「感情」があるに違いないが、それでも「頭の中」をある程度は覗くことができるだろう。
 注記は元来は連番なので、ここでは14の(222)を(01)とし、15の(239)をあらためて(01)として紹介する。頁数や叙述内容は記載しない。前掲書と同じ趣旨の記載の場合も、あらためて同一文献名を記した。
 ***
 14注
 (01) 藤田勇「社会の発展法則と法」渡辺洋三ほか・現代法の学び方(岩波新書、1969)。林直道・史的唯物論と経済学/下(大月書店、1971)。
 (02)マルクス・経済学批判-マルクス・エンゲルス全集37巻(大月書店)。
 15注
 (01) 渓内謙・現代社会主義を考える(岩波新書、1988)。
 (02) レーニン・国家と革命(大月書店、国民文庫)。
 (03) マルクス・ゴータ綱領批判-マルクス・エンゲルス全集19巻(大月書店)。
 (04) 不破哲三・マルクスの未来社会論(新日本出版社、2004)。
 (05) 渓内謙・現代社会主義を考える(岩波新書、1988)。
 (06) 渓内謙・現代社会主義を考える(岩波新書、1988)。
 (07) 渓内謙・現代社会主義を考える(岩波新書、1988)。
 (08) 渓内謙・現代社会主義の省察(岩波書店、1978)。
 (09) 大江泰一郎・ロシア・社会主義・法文化(日本評論社、1992)。鳥山成人・ロシア・東欧の国家と社会(恒文堂、1985)。浅野明「君主と貴族と社会統合」小倉欣一編・近世ヨーロッパの東と西(山川出版社、2004)。
 (10) 渓内謙・現代社会主義を考える(岩波新書、1988)。
 (11) 丸山真男・現代政治の思想と行動(未来社、1964)。
 (12) 山口定・ファシズム(岩波現代文庫、2006)。
 以上。
 不破哲三はご存知、日本共産党の幹部(元最高指導者)、藤田勇・渡辺洋三は、前回に言及した二つの講座もの全集(日本評論社刊行)の編者、林直道はマルクス主義経済学者で日本共産党員と推察される人物(元大阪市立大学)、渓内謙は今日でも基本的な<レーニン幻想>を崩していない人物(元東京大学)。
 これらの諸文献も秋月も参照しながら、「読解」してみる。結論はすでに出ているし、この人物の主観的な「願望」が空想的社会主義のレベルまで戻るようなものであることも分かる。歴史的(史的)唯物論なるものを「観念的」・「主意的」に理解した、結局は政治・世俗優先の<日本の戦後教育の優等生>の一人が行った「作業」であることが判るだろう。
 ***
 なお、藤田勇(1925-)に、上と同年刊行の、つぎの著がある。第3段階とは1960年代~1990年前後を言うとされる。
 藤田勇・自由・民主主義と社会主義1917-1991-社会主義史の第2段階とその第3段階への移行(桜井書店、2007年10月)。
 ネップ期に関する叙述もあるが、日本の「共産主義政党」の基調の範囲内で行ってきた「自由」な研究の末路を見る想いもする。

1858/笹倉秀夫・法思想史講義(下)(2007)①。

 マルクス主義法学講座(日本評論社、全8巻、1976-1980)の編者5名のうちの一人、講座・革命と法(日本評論社、全3巻、1989-1994)の編者3名のうちの一人で、それぞれに文章を複数回掲載していた者に、渡辺洋三(1921-2006)という人物がいた。元東京大学社会科学研究所教授。
 その渡辺洋三は1996年に、つぎの岩波新書を刊行していた。
 渡辺洋三・日本をどう変えていくのか(岩波書店/岩波新書、1996)。
 自社さ連立政権の頃で、この年に首相は村山富市から橋本龍太郎に替わった。
すでにこの欄で多少は触れたことだが(№0041)、この書物の最後で当時の「政局」との関連で憲法問題を論じ、小沢一郎批判から始めて、自民党・新進党・(新)社会民主党に対して批判的に言及し、その中で公明党や「さきがけ」にも触れている。
 ところが何と、日本共産党には何ら言及せず、「日本共産党」または「共産党」という言葉をいっさい出していない(p.234~p.240)。
 その直後に渡辺は「日本社会の改革目標」を平和大国・生活大国・人権大国・民主主義大国とまとめるのだが(p.241-2)、上のことからして、こうした主張は日本共産党員である自らの主張であり、かつまた同党の主張・路線と一致していることを「問わず語り」に暴露している、と言えよう。
 真偽は定かではないが、渡辺洋三のことを日本共産党の「大学関係」責任者だと述べていた人もいた。
 さて、笹倉秀夫・法思想史講義(下)(東京大学出版会、2007)。
 この書物にも、たぶん一度触れた(№1408)。
 あらためてこの本を捲ってみると、目次(構成内容)からしてじつに興味深い。
 最終の「部」である「近代の変容・現代」のうち、14(章)以降の構成・叙述内容を「目次」から紹介してみよう。以下、省略部分はあるが、それ以外は忠実な再現だ。
 「14」の表題は<「近代の疎外」との対峙>、「15」のそれは<社会主義>、「16」のそれは<近時の主な法思想>(17はここでは略す)。
 14-1/マルクス 14-1-1 マルクスの思想形成、14-1-2 史的唯物論の素描
 14-2/自由主義と民主主義の再結合へ (1) ミル、(2) ラスキ
 14-3/ヴェーバー
 14-4/フロム 14-4-1 学説史的位置、14-4-2 現代社会論
 14-5/フーコと「紀律化」 14-5-1 フーコの議論、14-5-2 私見
 15-1/社会主義思想の形成
 15-2/スターリニズム 15-2-1 スターリニズムの問題点、15-2-2 スターリニズムの要因、15-2-3 スターリニズム批判とその後
 15-3/まとめ
 16-1/価値相対主義、16-2/「実践哲学の復興」、16-3/ポストモダニズム  
 以上
 ここですでに明らかなのは、マルクスに論及があり、かつスターリニズムについての詳細らしき叙述はあるが、「レーニン」という語が全く出てこないことだ。
 これはこの人物の<政治的立場>をすでに「問わず語りに」示唆しているのではないだろうか。
 もっとも、さらに下の項を見ると、「15-2-2 スターリニズムの要因」の中の(3) として「マルクス・レーニンらの問題点」が叙述されている。
 そこではマルクス(・エンゲルス)とレーニンに関しては構成上は「一括して」叙述されており、「レーニン」という小見出し(黒ゴチ)がある部分は、15-2-2-3-2-2のところに位置する(正確な又は的確な言葉を知らないが、「ディレクトリ」の階層的に示すと「レーニン」はここに位置する)。
 内容には別途立ち入るとして、このように「マルクス・レーニン」と「スターリン(スターリニズム)」を明瞭に区分していること、レーニンをマルクス(・エンゲルス)と「一括して」、正確にはおそらく「引きつけて」理解して同様にレーニンとスターリンとを切り離していること、これらは、この人のこの書物の時点での、少なくとも過去の一定の時点での<政治的立場(・心情)>を示唆しているように感じられる。
 全集・世界の大思想(河出書房)の一つの巻を「レーニン」が占めていた(1965年)。「法思想」と「思想」は同じではないのだが、この笹倉秀夫は、レーニンを大々的には、あるいは正面からは論述の対象にはしたくないのではなかろうか。

1408/歴史と感情と科学と-R・パイプス、そして笹倉秀夫。

 一 前回10/12の末尾に、「歴史に関する学者・研究者でも、<怒るべきときは怒る>、<涙すべときは涙する>という人間的『感性』を率直に示して、何ら問題がないはずだ」。 これは歴史叙述そのものに「感情」を明示してもよい、という趣旨ではない。
 このように書いたのは、何かを読んでその印象が残っていたからだ。
 R・パイプス・ロシア革命史の「訳者あとがき-解説にかえて」の西山克典の文章だったかもしれないと探してみたが、そうではなかった。別の本を捲ったりしているうちに、上記のR・パイプスの書物(邦訳書)の本文自体のほとんど末尾にある、「16章/ロシア革命への省察」の中の文章であることが分かった。
 ブレジンスキーと同様にR・パイプスは、日本共産党とは違って、レーニンとスターリンとがほとんど真反対のベクトル方向にあるとは見ていない。R・パイプスは、1917秋(10月革命時)と1922年の初めまで(レーニン時代だ)のソ同盟の人口減を1270万人(戦死、餓死=500万人以上、疫病死、海外逃亡等を含む)とし、自然状態では増大していたはずの人口を想定すると、実際の人的損失は「2300万に達する」などを指摘したのち、つぎのように記述する。
 R・パイプス(西山克典訳)・ロシア革命史(成文社、2000)p.404-5による。〔〕の英語は、原著(A Concise History of the Russian Revolution、p.403-4 )を直接に参照した。
 ・かかる「前例のない惨禍を、感情に動かされずに見ることができるであろうか、また、見るべきであろうか」。
 ・現代において「科学」の威光は強く、「道義的にも感情的にも超然とした科学者」の、全現象を「自然」で「中立的」と見なす気質を身につけてきた。彼らは「歴史」における「人間の自由意志」を考慮することを嫌い、「歴史」の「必然性」を語る。
 ・しかし、「科学の対象と歴史の対象」は「著しく異なる」。医師・会計士・調査技師・諜報局員の調査は「正しい決定に達するのを可能にする」ためで、「感情に絡みとられてはいけない」。
 ・「歴史家にとっては、決定はすでに他人によって為されており、超然と構えることで、認識に付け加えるものは何もない。実際には、それ〔超然と構えること〕は、認識を低下させることになる。というのは、激情のさなかに〔in the heat of passion〕生み出された出来事をどうやって、感情に動かされずに〔dispassionately〕、理解することができるというのであろうか」。
 ・19世紀ドイツの某歴史家は、「歴史は怒りと熱狂をもって書かれなければならない、と私は主張する」、と書いた。
 ・アリストテレスは「あらゆる問題について節度を説いた」が、「『憤りを欠くこと』が受け入れがたい状況がある、『怒るべきことに怒っていない人々は馬鹿と思われるからである』」と述べた。
 ・「関連する事実〔facts〕の収集整理は、確かに感情に動かされることなく、怒りも熱狂もなく行われなければならない。歴史家の技能のこの面は、科学者と何ら異なるものではない。しかし、これは、歴史家の任務の始まりにすぎない」。
 ・「どれが『関連している〔relevant〕』かの決定は、判断〔judgment〕を求めており、そして、判断は価値〔values〕に基づいているからである。事実は、それ自体としては無意味である。何故なら、それをどう選別し、序列化し、そしてどれを強調するかに関し、事実自体は何ら指針〔guide〕を提供しないからである。過去が『意味をなす〔make sense〕』ためには、歴史家は何らかの原則〔principle〕に従わなければならない」。
 ・「通常、歴史家はまさにそれをもって」おり、「最も『科学的な』歴史家でさえ、意識しようがしまいが、予見〔preconceptions〕から行動しているのである」。
 ・一般的にその予見は「経済的な決定論に根ざしている」。経済・社会のデータは「不遍性という幻想〔illusion of impartiality〕」を生んでいるからである。
 ・「歴史的な出来事への判断を拒むことはまた、道義的な価値観にも基づいている。すなわち、生起したことは、何であれ、自然〔natural〕なことであり、従って正しい〔right〕という暗黙の前提〔silent premice〕であり、それは、勝利を得ることになった人々の弁明〔apology〕に帰すことになる」。
 以上。
 二 歴史は怒り等の感情をもって書かれてよい、というふうの部分が印象に残っていたのだったが、きちんと読むと、それ以上の内容を含んでいる。
 ここでの「歴史」学には、<政治思想史>や<法思想史>、<政治史>や<法制史>などの学問分野も含まれうるものと考えられる。
 こうした分野の文献を、かついわゆる<アカデミズム>内の文献・論文も最近は読むことが多い。そうして、上にパイプスが書いていることも、相当によく分かる。
 基本的なから些細なまで、種々の「事実」があるに違いない。書き手はどうやってそれを<序列化>し<関連づけ>ているのだろう、と感じることもある。また、この人は何らかの<価値判断>に基づいている、あるいはさらには何らかの<政治的立場>に立っている、これで<学問的作業>なのか、と思うこともある。
 また、思い出すに、ソ連崩壊により「東・中欧での社会主義化は挫折」したことは事実として認めつつ、その原因としてマルクス主義自体やレーニン(またはレーニズム)には大きな注意は払わず、「スターリニズム」の「問題点」などをかなり詳しく叙述しつつ、「それらの運動」〔社会主義・共産主義運動 ?〕を「スターリニズムに解消させて、マイナス面だけを」論じて、「社会主義化の実践」の肯定面に「目を閉ざすのは、研究者の公正な姿勢ではない」と強弁(!)する日本の「研究者」の書物があった。
 笹倉秀夫・法思想史講義/下(東京大学出版会、2007)p.315-6。
笹倉は、「社会主義化の実践」が示した「ヒューマニズムや自由・民主主義・世界平和運動の面での貢献」に「目を閉ざすのは、研究者の公正な姿勢ではない」とし、「例えば」として三点を挙げる。
 その三点にはここでは立ち入らない。しかし、社会主義・共産主義運動(「社会主義化の実践」)が「ヒューマニズムや自由・民主主義・世界平和運動の面」で「貢献」した、という前提自体が、何ら実証されていない「暗黙の前提」であり、この<科学的と自認しているのかもしれない学者>の「原則、principle」なのだろうと推察される。マイナスだけではなく積極面も見るのが「研究者の公正な姿勢」だという表向きの言い方自体にすでに、(隠された)何らかの(おそらくは政治的な)<価値判断>が含まれているだろう。
 立ち入らないが、ファシズムと共産主義ではなくファシズムとスターリニズムを併せて<全体主義>と称するのは誤りだとの叙述(p.316注)も含めて(全体主義論はファシズムとレーニンを含む共産主義全体を包含するものだが、おそらく意識的にスターリンに限っている)、上のような叙述・説明は今日では日本共産党以外には珍しく、おそらくは、この人は、日本共産党員なのだろうと思われる。
 それは別として、これまでこの欄で「歴史学」なるものについて、坂本多加雄、山内昌之らのその性格や役割に関する議論を紹介したことがある。ひょっとすれば、人文・社会系学問のすべてに当てはまるかもしれないのだが、上のパイプスが述べるところも、充分に読むべきところがある。
 なお、パイプスのロシア革命に関する書物自体は、個別「事実」について相当に密度の濃いもので、<感情>的な文章で成り立っているわけでは全くない。諸事実の<解釈>あるいは<取り上げ方・並べ方>におそらくは、パイプスのロシア革命に対する何らかの(<価値>にもとづく)<判断>が働いているのだろう。
 三 忘れていた。上のパイプスの文章の最後の部分は、とくに意識・自覚される必要がある、と考えられる。
 パイプスによれば、歴史事象への<判断>を峻拒する歴史叙述は、公正で客観的な印象を与えるかもしれないが、じつはその歴史または歴史の結果としての現在の<勝利者>に味方している。生起した歴史事象、その結果としての現実が「自然」で「正しい」と思ってしまえば、それは<現実>(を支持する大勢 ?)を擁護していることになる
 この観点は忘れてはいけない、と思う。
 徳川家康は「正しかった」から長い江戸時代を拓いたわけではないし、明治維新が(薩長両藩等が)「正しかった」から、明治時代があったわけでもない、と思われる。
 「日本に生まれてまぁよかった」という題の本を出している人がいるが(平川祐弘)、この人が安倍戦後70年談話を擁護しているように、彼が生きた戦後日本は彼にとって「まぁよかった」のだろう。そして、この人の今年1月号の論考に明かなように、戦前・戦中の日本は<誤って>いた、と判断されることになる。それでもなお、この人(平川祐弘)は「保守」派論壇人らしいのではあるが。
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