道府県議選では「前回選挙で獲得した99議席から22議席を後退させる結果となりました」。また、新たに4県が「議席空白となりました」。
政令市議選では、「前回選挙で獲得した115議席から22議席を後退させる結果となりました」。
同じく日本共産党中央委員会常任幹部会は、2023年4月24日に声明を発して、後半戦の同党の選挙結果について、こう明言した。
「4年前の選挙と比べると、東京区議選挙で13議席減、一般市議選挙で55議席減、町村議選挙で23議席減となり、合計91議席の後退となりました。議席占有率は前回の8.08%から7.28%に後退しました」。
明らかであるのは、そのスピードの緩急は別として、地方レベルでも見られる、日本共産党の力の衰退傾向だ。
すでに明らかにされているように。党員数、機関紙購読者数も顕著な減少傾向を示している。この傾向は緩やかであれ、今後一貫して続くだろう。
----
二 「日本共産党の65年」、「日本共産党の70年」、「日本共産党の80年」を同党中央委員会名義で出版してきた日本共産党だから、間隔が空いてもさすがに2022年には「日本共産党の100年」を出版するのだろう、「最長の歴史もつ政党」を誇るのだろうと予想していたが、ついに発行されなかった(2023年4月末現在)。
全体として、活動能力が落ちていることは間違いない。100年史を執筆することのできる人材が枯渇しているのだろうか。あるいは、党の100年の歴史の「総括」的叙述をし始めると、基本的部分ですら中央委員会または同常任幹部会内部で「理論闘争」が起きて、収拾がつかなくなるのだろうか。
ともあれ、1970年代に日本共産党とその基本「思想」に共感し、同党の描く将来を夢見て入党し、2020年代に70歳前後になり、人生の「晩年」を迎えて、約50年間の<日本共産党員>たる地位を放棄すると決断したらしき松竹伸幸(1955年生、2023年「除名」)も含めて、一度きりの人生の20歳代から70歳前後まで、つまり人生の活動期間のほとんどを<日本共産党員>として過ごしてきた者たちの現在の心情を想像すると、憐憫の情に耐えない。じつに気の毒だ。そのような人々の人生は、一回かぎりの人生は、いったい何だったのか。
----
三 松竹伸幸がまだ共産党員だったとは知らなかったが、この人の近時の主張の内容、朝日新聞社説等による擁護論の内容等に興味はない。つぎのようにだけ付言する。
<分派の禁止>、党中央と異なる見解の「党外」での公表の禁止は、1921年3月のロシア共産党10回大会で明確に採用され、世界の各「共産党」も採用した共産主義政党の根本的な組織原理であり、「体質」だ。これが変更されることは「共産党」と謳うかぎり、あり得ない(だからこそ、レーニン主義的組織原理を維持する「共産党」は今や世界にきわめて希少な存在になっている)。
松竹伸幸は自分の言動がどのような結果をもたらすかを、かつての日本共産党中央委員会要職者という経歴からしても、熟知していたはずだ。
最後に<華々しく散ろう>と考えたのかもしれないが、「茶番劇」にすぎないだろう。見解・政策方向の違いに原因があるのではなく、要するに、<日本共産党には未来がない>と、人生の最終盤に入ってようやく明確に悟った、というだけのことではないか。
——