秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

大学・学界

2361/知識・教養·「学歴」③—与那覇潤・知性は死なない(2018)。

 与那覇潤・知性は死なない(文春e-book、2018)。
 与那覇批判が目的ではない。全部に賛同するのではないが、具体的内容については、どちらかというと好意的だ。
 知識・知性・「教養」のあり方という観点から取り上げる。
 但し、まともに読んだのは、「はじめに」と第1章・第4章・第5章だけだ。
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  池田信夫も茂木健一郎も、日本の危機、衰退傾向を語っているようだ。そして、打開策を何とか探ろうとしているように見える。しかし、具体的展望は(誰にも)描けていない。
 この危機意識がどのように日本の政治家・「学者」・国民に共有されているかは疑わしい。危機あるいは、良くない(と感じられる)兆しはいつの時代でも多少はあるだろうし、世界の「諸国」の中で日本はどの程度に「危うく」なっているのかは、秋月には断言し難い。また、そういうことを論じること自体が相当におこがましいことだとも思っている。
 たしかに、政治・行政・メディア(とくに新聞・地上波テレビ・政治系出版)・教育等々、よくなってはいないとは明瞭に感じられる。秋月も、頻繁にげんなり、うんざりしている。
 逐一この欄で記さないのは、全く楽しくはないことだからだ。また、もともとこの欄の「つぶやき」に(2017年前半にしきりに書いたように、大海の底にうごめく小さな貝の呼吸が作るほんの僅かな水流の揺れでよいと思っているので)、「拡散して」そのような現状を変える力などない、と観念しているからだ。
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  与那覇は上の著の冒頭で、つぎの「戦後日本の特徴」が平成時代に限界に達し、又は批判にさらされた、又は自明のものでなくなった、という(簡略化する)。
 ①海外派兵禁止の平和憲法の理想、②自民党一党支配、③経済成長、④日本型雇用慣行、⑤アジアの最先進国との自負。
 そのあと、「敗北した平成の学者たち」という見出しを立てて、「大学教員をはじめとする多くの知識人」を俎上に上げる。
 「多くの知識人」は危機を感じて、分析し、具体的行動に出たが、「その結果は、死屍累々です」。
 憲法学者、政治学者、経済学者(の一部、別の)、教育学者、…。
 単純化の弊やその他の分野への言及欠如を問題にしないことにしよう。
 要するに、与那覇からすると、「活動する知識人」の時代=平成は「終焉をむかえようとしている」。欧米も含めて、「知識人の退潮」は明らかになりつつある。
 そして、つぎの問題設定がなされる。
 「知識人の好機ともみられていた…時代に、どうして『知性』は社会を変えられず、むしろないがしろにされ敗北していったのか」。
 「知性は死なない」という立場から、「知性の退潮」を分析する…。
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  以上は、「はじめに」。
 ずいぶんと真面目で、真剣な本だ。ほとんど「自分の(興味がある)こと」で精一杯の私には、こんな主題を正面から考えたことはない。
 秋月瑛二は「知識人」なるものをこれほど意識しなかったし、また期待もしなかった。「知識人」であることを標榜して、または無意識にでもそれを前提として<論壇>等で名前を出していた人々はいたのだろうが、ある程度は羨望しつつも、しかし、「知識人」が現実を変えることなどほとんどできないだろうと感じていた。
 なお、大学の教員=知識人、ではない。大学教員はいちおうは各特定分野の「専門家」でかりにあっても、「知識人」ではないし、大学教員でなくとも「知識人」はいる。アカデミズム・学界に帰属しない「知識人」はいる。
 さて、上につづけると、「知識人」業界というものがあって(業界とは主として出版印刷業)、「知識人」というのはその業界の中で有名になり、何となく現実社会のために奮闘しているという(つまり現実の変化に役立っているという)印象または「幻想」・「思い込み」を自分たち自身が抱いて、幸福に生きている人たちだろう、という感じがあつた(だから羨望しもする)。
 しかし、「知識人の黄昏」を明記する点では、大いに賛同する。そんな「知識人」はとっくに時代遅れとなり、世の中の現実にほとんど従いていけていない。大いに指摘し、明記すればよい。
 一方で、「知性は死なない」のか否かは、「知性」という語の理解の仕方による。
 ヒト・人間は何らかの意味で「知性」を育ててきたし、今後も有していくだろう。しかし、この著がイメージしているだろうような「知識人」または<学界>は、崩壊して何ら差し支えない。
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  秋月が何をつぶやいても社会的には無意味だと思うが、知識・教養・「大学」(・学界)の再構成・再編成が必要だ。
 しかし、<大学(・学歴)>重視意識が減少しているようには見えない。
 予備校、塾は依然として活況なのではないか。親たちは、一体大学の各学部でどんな科目の講義があるのかを全くかほとんど知らないで、自分の子弟が、ともかくも「大学」に入り、無事に「卒業」することを願っている。そして、同一学年の何と2人に1人ほどが「大学生」・「〜大学卒」と称されることになった。
 ついでに書くと、司法試験は日本で最もむつかしい試験だなどと言われながら、ほとんど誰も、どんな試験科目があるかを知らない(「憲法」が必修であっても、第9条(戦争・軍事)や第1条以下(天皇)に関する出題があったことはないので、これらに関して受験生には深い知識・教養はまるでない)。また、国家公務員になるための(とくに総合職・上級)試験の科目も(種々に分かれているが)、多くの人は全く知らない。そんなことに関係なく、<大学(またはその名前)>入学・卒業、国家公務員試験合格という表面だけに多くの人は関心をもつ。内実に関心が向かわない。
 人々はなぜ(あるいは日本人は、戦後ずっと、または戦前のあるときからずっと)、「大学」信仰あるいは「学歴」信仰や『試験」信仰を持ちつづけるのだろうか。大正末期からすでに100年、戦後に限ってもすでに75年。
 1979年生まれだというこの著者も、「知識人」を論じる際に、たぶん、戦後の「大学」制度をほぼ当然の前提にしている。
 これ自体を何とかしないと、またはそれが伴わないと、日本の大きなBreakthrough はないように思われる。—とここで言っても何の意味もないだろう。
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 中途になったので、この書には、別にさらに触れる。
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2324/H.J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I(2011)②。

 ハロルド·J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I-欧米の法制度とキリスト教の教義(中央大学出版部、2011/原書1983)。
 つづき
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  L·コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(ポーランド語版、1976)の英訳書は1978年に三巻揃って刊行された(なお、第一巻のドイツ語訳書は1977年に出ている)。
 そして第三巻はなぜか?フランスでは出版されなかったというが、それを除くフランス語訳書も含めて、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語等々の翻訳書が世界中で広く刊行された。
 しかし、この欄でしきりと書いたことだが、L·コワコフスキの大著の日本語訳書(邦訳書)は出版されなかった。
 英語が読める関係学界の学者、とくに1970年代後半以降にヨーロッパに留学経験のある者はポーランドを出てOxford にいたコワコフスキとその大著を全く知らなかったとは考え難い。しかし、それでも、邦訳書は出なかった。今後も永遠に出版されないかもしれない。
 今後のことはともかく、1978年以降の日本で、なぜ邦訳書が出なかったのか。
 要するに、その<反マルクス主義>性・<反共産主義>性によって、日本の出版社・出版業界、関係学者(とくにアカデミズム内にいる者)は、国家による<検閲>ではなく、<自主検閲>をしたのだと考えられる。その内容を、日本の学界や読者に知らせたくなかったのだ。
 なお、<反マルクス主義>等と書いたが、一片の「反マルクス」の呼号をしているのではなく、第一巻のほとんどはマルクスに充てられているなど、コワコフスキはマルクスを読んで、マルクス主義研究をしている。彼は、若いときはワルシャワ大学の「思想史」講座の正教授だったのであり、当然にマルクスやレーニン等を読んで、それらを用いて<正統な>?講義もしたことがあったと思われる。それだけの蓄積が早くからあったのだ。
  かなり似た感想をもつのは、上掲のハロルド·J·バーマンの著だ。
 1983年には母語・英語で刊行されたようだが、すみやかに邦訳書が出たわけではない。上の邦訳書は2011年刊行で、30年近く経過している。
 コワコフスキの著もバーマンの著も1991年のソ連解体前に出版されている。
 その時代に、明確な<反共産主義>の書物を日本で日本語訳として出版するのがいかに困難で、危険?だったかが、分かろうというものだ。
 むろん、<反ファシズム>・<反ナツィス>・<ヒトラー批判>の書物ならば、岩波書店のものを中心に多数刊行されていただろう(日本共産党系出版社ではもちろん)。
 上の邦訳書の訳者である宮島直機(1942〜)は、マルクス主義・共産主義というよりも、むしろ「キリスト教」との関係に着目して(この方がこの書の読み方としてはおそらく適切だろう)、「訳者あとがき」で、こう書いている。キリスト教との関係という意味では、秋月瑛二もまたきわめて納得でき、了解することのできる感想だ。一文ごとに改行。p.709。
 「再度、強調しておきたいのは、30年近くまえに出版された本書が、ヨーロッパ各国語のみならず中国語にまで訳されながら、日本語に訳されなかったことである。
 我々はキリスト教の教義に無関心なのだろうか。
 それとも、欧米の法制度がキリスト教の教義を前提にしていることを認めたくないのだろうか迷信としか思えないものが自分たちの継受した法制度を作ったなんて !!)。」
  じつに重たい主題だ。
 池田信夫が最近、「個人主義」発生の基礎には「キリスト教」や欧州領域内での長い「戦争」があった、日本では欧米的「個人主義」は根づかなかった旨を数回書いていることにもかかわる。
 上の著や池田の指摘は、日本の(とくに戦後の)法学界・法学者に重要なかつ厳しい批判を含むことになると考えられる。
 しかし、何と言っても、日本国憲法自体が、直接にはアメリカかもしれないが、その背景にある<ヨーロッパ>の法思想を基礎にしていることの影響は甚大だ。
 「西欧近代立憲主義の基本的約束ごと」をキリスト教には触れることなく無条件に擁護したいらしい樋口陽一(元東京大学教授、元日本公法学会理事長)は、1989年の岩波新書で、日本人は「…力づくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、その痛みとともに追体験する」必要がある、と明言した(No.0524/2008.05.30)。→No.0524
 つぎの現行憲法の条項は、秋月が(理論的には)最も改正・削除すべきものとして、この欄で何回か書いたことがある。こんなに単純には語りえない、と考えるからだ。むろん、憲法の一条項でありながら、「法的」意味の希薄性も問題だ(この条項が現在の人権条項の「改正」をいっさい認めない趣旨だとは一般には解釈されていないと思われる)。
 日本国憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。
  現在も残る<自主検閲>とその主謀?学者、一方で、共産主義・「宗教」についてまるできちんとした知識・素養がなく(「左翼」も似たようなものかもしれないが)、まともな議論をする能力のない、とくに(西尾幹二を含む)「いわゆる保守」の悲惨さ、といった論点もある。
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2314/大学・法学部の教員人事と日本共産党。

  池田信夫が数年前のブログで、自然科学と違って<文科系学問>の評価はむつかしく、経済学を別として、法学部・文学部の(教員の)人事は「コネ」による、というようなことを批判的に書いていた。経済学を除き法学部・文学部の人事は「コネ」、という部分に記憶間違いは(たぶん)ない。
 明らかに日本共産党員だとみられ、民科法律部会の理事・副理事長の小沢隆一(小澤隆一)は、法学系教員がたぶん1名(多くて2名)と思われる東京慈恵会医科大学の教授に、何故就任しているのだろうか。もっともこれは法学部の話ではない。
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  第一。ある大学・法学部である科目の教員の人事があり、特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、審査(査読)委員の一人だった日本共産党の党員と思しき人物は、そもそも<論理展開>が論文のレベルに達していないとして正規手続きに移行するのに反対した。
 教授会の(出席者)全員による無記名投票で、僅か一票だけ賛成票が多く(予備段階なので票数はそのときは公表されなかったらしい)、人事は最後まで(提案者には結果は首尾よく)進んで終了した。
 のち、別の日本共産党の党員と思しき教員は、<あと一票だった(らしい)。惜しかったなぁ>とつぶやいて、残念がった。
 これは私が関係者から直接に聴いた話。その関係人物は「賛成(可)」票を投じたらしい。
 第二。ある大学・法学部である科目の教員人事があった。特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、審査(査読)委員の一人だった日本共産党の党員と思しき人物は、<何故今どき、こんな主題の研究なのか>等と発言し、正規手続きに移行するのに反対した。
 提案している当該科目の関係者たちは善後策を話し合い、このままでは正規の審査後の採用決定(学部教授会としての)に必要な3分の2以上の多数を獲得できないだろうとやむなく判断し、提案自体を取り下げ、正規手続に移行しなかった。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
 第三。ある大学・法学部である科目の教員人事があった。特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、審査(査読)委員の一人だった日本共産党の党員と思しき人物は、外国語の読み方に誤りが多い等と発言して反対し、別の日本共産党シンパらしき(たぶん民科法律部会所属の)審査(査読)委員の一人は、外国の—と—は異なる「思想」であるのに並列するとは何事かという趣旨の発言をして、これまた反対した。
 提案自体の取り下げはなく正規手続に移行したが、採用決定に必要な3分の2以上の多数に1票だけ不足し、「正規に」提案が却下された。
 最初は賛成の様子だったが、最終的には「反対(否)」に回った、別の日本共産党シンパらしき(たぶん民科法律部会所属の)教員もいたらしい。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
 第四。ある大学・法学部である科目の教員人事があった。特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、複数の日本共産党員と思しき人物が反対し、結局この場合は、採用決定に必要な3分の2以上の多数に2票不足し、提案が否決された。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
 その関係者が話の中で「ニッキョーというところ」という言葉を挿んでいたので何のことかといぶかった。だが、なんと、ニッキョー=日共=日本共産党で、「日本共産党」グループが反対したことを、その関係者は知らなかった。
 第五。ある大学・法学部での教員人事一般に関する話。
 日本共産党の党員+その硬いシンパのグループの人数と、これに反対する(迎合しない)グループの人数がほぼ3分の1ずつで拮抗している。
 どちらも「過半数」すら獲得することができず、人事がなかなか進まない。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
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  20歳くらい年上の教員がかつて言っていたことを思い出す。
 「(教授会構成人数のうち)彼ら(日本共産党員)の数を、3分の1以上にしてはいけない。」
 3分の1があれば、たいていの教員人事は、可でも否でも、「日本共産党員グループ」の意のままになるだろう。

2248/東京大学・大学院情報学環・学際情報学府の「処分」(2020.01)。

 以下の東京大学(・大学院情報学環・学際情報学府)の措置については、だいぶ前にネット上で目にして、<直感的に>疑問を感じた。
 資料掲載だけにとどめたいが、詳細を知らないままで、つぎのことを書いておく。
 第一。懲戒にかかる<要件>規定は一義的明確ではなく、要件認定に際しては濫用されるおそれがある条項になっている。つまり、<多数派>によってどのようにでも認定できる可能性を排除できない。
 第二。「被差別者」、「人格権被侵害者」が訴えを起こしたのちの司法判断ではなく、大学という組織がこうした問題にどのようにかかわるべきかは、教員個人の関係でも、微妙な問題を含んでいる。一般論として、今回の被処分者が特定大学・大学院所属を明確にしていても、それがただちに<特定大学・大学院>の名誉等を傷つけたことになるとは限らないだろう。「感覚」で判断してはならない。
 ちなみに橋下徹は京都大学(・大学院工学研究科)の藤井聡のマスコミ上の言論活動についてかつて、「京都大学は何とかしろ」旨をしきりと言っていたが、当然ながら京都大学は何の措置も執っていない。むろん、上の件とは、言論活動自体の内容が同じでないだろうことは認める。しかし、まったく共通性がないとも思われない。
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 東京大学HP(本部広報課)
 掲載日:2020年1月15日
 懲戒処分の公表について(記者発表)
 
東京大学は、大学院情報学環 大澤昇平特任准教授(以下「大澤特任准教授」という。)について、以下の事実があったことを認定し、1月15日付けで、懲戒解雇の懲戒処分を行った。
 <認定する事実>
 大澤特任准教授は、ツイッターの自らのアカウントにおいて、プロフィールに「東大最年少准教授」と記載し、以下の投稿を行った。
 (1) 国籍又は民族を理由とする差別的な投稿
 (2) 本学大学院情報学環に設置されたアジア情報社会コースが反日勢力に支配されているかのような印象を与え、社会的評価を低下させる投稿
 (3) 本学東洋文化研究所が特定の国の支配下にあるかのような印象を与え、社会的評価を低下させる投稿
 (4) 元本学特任教員を根拠なく誹謗・中傷する投稿
 (5) 本学大学院情報学環に所属する教員の人格権を侵害する投稿
 大澤特任准教授の行為は、東京大学短時間勤務有期雇用教職員就業規則第85条第1項第5号に定める「大学法人の名誉又は信用を著しく傷つけた場合」及び同項第8号に定める「その他この規則によって遵守すべき事項に違反し、又は前各号に準ずる不都合な行為があった場合」に該当することから、同規則第86条第6号に定める懲戒解雇の懲戒処分としたものである。
<添付資料>
 ・東京大学短時間勤務有期雇用教職員就業規則(抄) (PDFファイル: 68KB)
 ・東京大学における懲戒処分の公表基準 (PDFファイル: 12KB)
 東京大学理事(人事労務担当)
 里見朋香 
 東京大学では、大学の依って立つべき理念と目標を明らかにした「東京大学憲章」の前文で、『構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識し、すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障し、広く大学の活動に参画する機会をもつことができるように努める。』と明記しています。この東京大学憲章の下、東京大学は「東京大学ビジョン2020」を策定し、誰ひとり取り残すことのない、包摂的(インクルーシブ)でより良い社会をつくることに貢献するため、全学的に教育・研究に取り組んでまいりました。
 東京大学の構成員である教職員には、東京大学憲章の下で、それぞれの責任を自覚し、東京大学の目標の達成に努める責務があります。そのような中で、対象者により、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上で、「東大最年少准教授」の肩書きのもとに国籍・民族を理由とする差別的な投稿がなされたこと、また本学の元構成員、現構成員を根拠なく誹謗・中傷する投稿がなされたこと、それによって教職員としての遵守事項に違反し、ひいては東京大学の名誉又は信用を著しく傷つけたことは誠に遺憾です。このような行為は本学教職員として決して許されるものではなく、厳正な処分をいたしました。
 東京大学としては、その社会的責任にかんがみ、今回の事態を厳粛に受け止めております。今後二度とこのような行為がおこらないよう、倫理規範を全教職員に徹底するとともに、教員採用手続や組織運営の在り方を再検証するなど、全学を挙げて再発防止に努めます。また、世界に開かれた大学として、本学の教職員・学生のみならず、本学に関わる全ての方々が、国籍や民族をはじめとするあらゆる個人の属性によって差別されることなく活躍できる環境の整備を、今後も進めていく所存です。
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 東京大学大学院情報学環・学際情報学府HP
 January 15, 2020
 大澤昇平特任准教授に対する懲戒処分について
 この度は大澤昇平特任准教授による一連のSNSへの書き込み等により、大変なご迷惑をおかけしました。そこには、差別や誹謗、中傷、虚偽の数々があり、それによって多くの方々を傷つけ、不快感や不安を与え、また多方面から激しい憤りを頂戴することとなりました。心よりお詫び申し上げます。まことに申し訳ございませんでした。2020年1月15日、情報学環・学際情報学府における調査等を経て、東京大学により、大澤特任准教授に対し懲戒解雇の懲戒処分がなされたことをご報告いたします。
 〔以下、上の大学全体の公表資料-略〕
 東京大学は学問の府であり真理を探求する場です。そのために、多様な人々がそれぞれの立場から自由闊達に議論できることが本質的に重要であるのは言うまでもありません。しかしそれは、SNS等のメディアを含む公の場において、いわれなき個人攻撃や差別をまき散らしてよいことを意味しません。そのような行為は、むしろ自由闊達な議論や言論を封殺し、侵害するものです。一連のSNSへの書き込みについて、私たちはこれを決して許されるものではないと考えています。
 真理探求の環境は、放っておけば自然とできあがるようなものではありません。東京大学の構成員である私たち自身が高い理想と倫理観を常に携え、たゆまぬ努力を積み重ねていくことが不可欠です。私たちは今回の事案を厳粛に受け止めます。問題は書き込みをした本人だけにあるのではなく、情報学環・学際情報学府の対応の不十分さ、努力不足にも起因するものと考え、深く反省しています
 私たちは今回のような問題を二度と起こさぬために、以下の活動を計画的かつ迅速に進めます。まずなにより学生や教職員との対話を深めます。当該寄付講座については、本年度末で廃止する予定です。そして原因究明と再発防止策に関する調査委員会を設置するとともに、倫理規定の整備、寄付講座や社会連携講座の設置方法の見直しを進めます。また情報学環・学際情報学府における教員採用手続や組織運営の在り方の検討を含め、本部とも連携をとりつつ根本的な改革に全力を挙げて取り組んでいくつもりです。
 東京大学大学院情報学環長・学際情報学府長
 越塚登
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 後者の、上の傍線部あたりは、なかなかに<怖ろしい>見解だとも感じる。-自主規制的「全体主義」の萌芽でなければよいが。あるいは、<多数のクレーマー>への事なかれ主義的な対応(・屈服)か。
 例えば、「いわれなき個人攻撃や差別」だと、あるいは「高い理想と倫理観」に反すると、「越塚登」や当該学府(→東京大学)は、どうして認定・判断できるのか。地裁の複数の裁判官あるいは最高裁判所の多数裁判官がそう判断するなら、まだいちおうは納得しもするが。

1694/井上達夫-法哲学者の欧米と日本の「現実」。

 井上達夫、1954~。現役の東京大学教授・法哲学
 一度だけ単直に言及して、お叱りもネット上で受けた。
 あほな人は簡単に批判できるが(櫻井よしこ、平川祐弘、倉山満ら)、この人はそうはいかないだろう。
 じっくりと読んで批判的・分析的コメントをしたい。
 まだその時機ではないが、しかし、この無名の欄だからこそ、備忘の「しおり」的に書いておこう。
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 さしあたりの直感的な疑問は、以下。
 正義論でも、「リベラリズム」論でもよい。
 井上達夫は、いったい何を対象にして、いったい誰に向かって発言しているのか?
 つまり、こういうことだ。
 世界か、欧米(とくに米・英)か、日本か、日本の<論壇>か、日本の<法哲学界>か?
 さらには、こういうことだ。
 教壇・講壇で語るに必要な、またそのために研究してきた多様な<法哲学・法思想>上の知識、精神的・観念的・理論的な素養でもって、例えば日本の憲法や政治を論ずることができるのはいったい何故か?
 井上達夫がかりに日本の憲法や政治を論じているのだとすると、その基軸・分析枠組みは、欧米に関するそれと同じなのか、同じでよいのか?
 上の問いは、逆に言うと、こうなる。
 井上達夫がもつ(とくに法哲学・法思想・政治思想等の)欧米学者の議論で欧米を見ることは、ある程度の妥当性をもっては、きっとできるだろう。むろん、種々の法哲学者、社会・歴史・思想学者等々がいるのは、秋月瑛二でも知っている。
 しかし、それは、「日本」を語る場合、いかほどに有効か。この観点・視点を欠かせたままでは、適切で合理的な日本国家・日本社会に関する発言、あるいは日本に関する「法哲学・法思想」的観点からの発言にはならないものと思われる。
 日本と自分が日本人・日本国民である、ということの自覚・意識化がどの程度に、なされているのだろうか。
 <論じることの(実践的な)意味>を、どう自覚的に意識しているのだろうか。
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 上はほとんどは、仮定の、疑問だ。むろん、一読、一瞥しての疑問だ。逆にいうと、一読、一瞥しただけを基礎にする疑問だ。だから、「仮の」と言っている。
 井上達夫・リベラルのことは嫌いでも-(毎日新聞出版、2015)。
 知的関心?は山ほどある秋月瑛二は、これを2015年には入手して、ほんの少しだけ見た。冒頭の2頁めで、さっそくずっこけた。井上達夫は書く。
 丸山真男、川島武宜、大塚久雄-「彼らは左翼ではない」。p.7。
 もともと「左翼」、「リベラル」等を人々は多様に用いているので、用語法は自由ではある。
 しかし、秋月瑛二からすると、再三に書いているように、<容共>=<左翼>だ。
 上のうち少なくとも丸山真男は、日本共産党に批判されても(なお、この遡っての批判はたしか1990年代初頭で、日本共産党が最も「知識人」の動揺を怖れていた頃だ)、<容共産主義>であって、「左翼」だ。日本の<古層>に関心があっても、「左翼」だ。
 そのつぎの頁に、井上は書く(述べる)。
 「マルクス主義が自壊した後、保守の攻撃衝動がリベラルに集中的に向けられた」。 p.8。
 これは日本に関する認識であり、その叙述のようだが、本当か?
 「マルクス主義が自壊」とはいったい、何のことだ。大まかに、かつかりに言っても、欧米限りの話ではないか。
 日本で「マルクス主義が自壊」したとは、いったい何のことだ?
 「日本会議」と全く同じことを、井上達夫も述べている。
 これは<学者の頭の中で自壊した(はずだ)」という、多少は願望も込めた、認識の叙述であるならば、何とか、理解できる。
 端的にいって、井上達夫にとって、日本共産党とは何なのだ。日本にはマルクス主義者・共産主義者あるいはこれらの組織・団体は「自壊」して消失しているのか。
 この人もまた、「日本会議」と同じ幻想を振りまいているのではないか。
 ついで、「保守の攻撃衝動がリベラルに集中的に向けられた」。p.8。
 これもどうやら日本に関する話のようなのだが、ここでの「保守」とは何だ。「リベラル」とは何だ?
 これらを何となく理解するとして、「冷戦の終了」後に、前者が後者を<集中的に攻撃した>とは、いったいいかなる事実・現象を捉えて言っているのだろうか?
 井上達夫による<捏造>・<空想>ではないか。
 「保守の攻撃衝動がリベラルに集中的に向けられた」-日本で生じたいったいどういう現象のことなのか?。
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 非・反日本共産党で非・反「特定保守」ならば、私の<仲間>でもある。
 その憲法論も、私は「理解」できるつもりでいる。私が何とか「理解」できないような議論をしてもらっては困る。
 しかし、えてして、講壇学者さまたちは、上の両派とは異なる意味でだが、<独自の観念世界・観念体系、思想イメージ・理論イメージ>を作り、それを本当は複雑な思想・思潮・論壇等、そして<現実>に適用するという嗜好・志向をもっている
 理論・論理に興味深い点が多々あっても、<現実>から浮いていてはあまり意味がない。
 といった観点から、さらに井上達夫から「勉強」させていただこう。

1656/橋下徹と知的傲慢者・藤井聡ら。

 橋下徹が、藤井聡を批判しているようだ。
 詳しい経緯、内容は知らない。最近の橋下徹の言動について、ずっとフォローしているわけでもない。
 しかし、かつては<橋下徹信者>と書かれたことがあるくらい、橋下徹批判に対しては、この人を擁護してきた。また、藤井聡は知的傲慢さの目立つ信用のおけない人物で<アホ>と形容したこともあるし、これまた週刊誌上で「今週のバカ」を毎週くり返していた本当の<バカ>らしい適菜収を全く信頼できない人物だと判断してきた。
 そしてまた、月刊正論(産経、編集代表・桑原聡の時代)がかつて、この適菜収を橋下徹徹批判の主要論考執筆者に使い、桑原自身が編集代表執筆者欄で橋下徹を「危険な政治家」だと明記したのだった。
 こうしたかつての経緯を思い出すので、少しは興味をもつ。
 もともとはどうも、つぎの、今年2/8配信のBestTimes(KKベストセラーズ)提供の記事(ヤフー・ニュース欄)だったようだ。以下、8割程度を引用。
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 適菜収「保守主義の本質はなにかを考えたときに、私は『愛』だと思うんですよ。日々の生活や守ってきたものに対する愛着です。/政治で言えば制度ですね。安倍に一番欠けているのは、制度に対する愛です。だから軽々しく『社会をリセットする』と言ったり、制度の破壊を進める。つまり、安倍は保守主義からはもっとも遠い位置にいる政治家と言えると思います」。
 藤井聡「京都学派の哲学者、西田幾多郎の哲学『絶対矛盾の自己同一』も適菜さんがおっしゃったことと同じです。 日本的に言うと『和をもって尊としとなす』ですし、西欧でも『矛盾との融和』の力を『愛』と呼んでいる。ただし、こうした『愛』は、…左翼のグローバリストの感覚、『国籍や国境にこだわる時代が過ぎ去った』という感覚とは全く違う。これは、『皆一緒』という発想で、おぞましい『全体主義』につながる。その意味で『地球市民』というのは危険な発想で、人間や文化の違い、豊穣性を認めないニヒリズムです。でも、西田の『絶対矛盾の自己同一』は、『違う部分を引き受けて統一することを目指す』というもので、グローバリストやニヒリストたちの全体主義と根本的に違う。」
 適菜収「ヤスパースも言っていますが、哲学は答えを出すことが目的ではなく、矛盾を矛盾のまま抱えることだと。知に対する愛なんです。ヘーゲル的な「哲学史」、学問としての哲学を批判したわけですね。わが国では、アメリカのシンクタンクから「地球市民賞」をもらったグローバリストが、保守を名乗ったりしていますが、国全体が発狂しているとしか思えません。保守は、善悪二元論とか、白黒はっきりつけるという話ではない。/複雑な問題を複雑なまま引き受けるということです。考え続けることに対する愛ですね。知に対する愛です。住民投票で民意を問うとかそういう話でもない。そもそも、白黒はっきりつけがたいものについて、議論を行い、利害調整をするのが政治の役割です。民意を背景に、数の論理で政策を押し通すのは、議会主義の否定です。」
 藤井聡「住民投票は必ず憎しみを産む。都構想では大阪市民が割れたし、イギリスでも国民が割れた。多数決の先にあるのは内乱です。極論すれば、多数決で負けたほうが悔しかったら内乱を起こすしかなくなります。橋下氏の一番の問題はそこだった。議会の破壊です。
 藤井聡「橋下氏が典型ですが、それ以外の多くの政治家もその罠にはまっています。日本中の政治家が今、どんどん橋下化している。」
 適菜収「その典型が安倍晋三です。…つまり、議会主義の根本がわかっていない。」
 藤井聡「橋下化した世界、全体主義化した世界では、ほとんどが大人になるにつれて劣化して、良し悪しのわからない分別のない人間になっていく。でもその中に、空気を読まない、(精神医学の世界では)「高機能広汎性発達障害」や「ASD」などと呼ばれる人たちがいる。彼らは、定義を広くとるとだいたい10人に一人くらいはいる。彼らの特徴は空気が読めない、あるいは気にしないこと。だから彼らは世界がどれだけ全体主義化、橋下化していても、『正しいこと』を言い続けてしまう。
 藤井聡「皆が嘘にまみれた空気に付き従うようになった世界は、もうASDくらいでしか救えないのではないかと思う。おおよそ今の官僚組織で出世するやつは、空気を読むのが上手い。僕は今、学者としてそういう組織に協力しているだけなので、出世は関係ありませんし、まったく空気を読む必要はない。」
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 こんな対談にはついていけない。私の頭が悪いからではなくて、言葉・概念で何らかの意味を伝えようとする誠実で、きちんとした態度、姿勢がこの二人にはまるでないからだ。
 いちいち挙げないが、こんなことを簡単に言うな、断定するな、と感じる部分ばかりだ。
 また、二人は一時期に大阪市長時代の橋下徹を<コキおろす>文章を月刊ボイス等に載せたりしてきたのだが、今年の2017年になってもその<怨念>は消えてないようで、その執念にも、どこか<異常さ>を感じる。まだこれだけ話題にされるのだから、私人・橋下徹の威力あるいは(反語であれ)魅力は、すごいものだなと却って感心してしまう。
 それに、橋下徹も指摘したようだが、安倍内閣「参与」らしい藤井は、適菜のこれまた執念深い<安倍晋三憎し>発言に、反論してもいないし、たしなめてもいない。
 あるいはまた、<住民投票>制度について、間接民主主義(議会中心主義)か直接民主主義の議論に持ち込んで、イギリスについてまで言及しているのは、論理・思考方法そのものが間違っている。大阪市での住民投票を要求したのは国の法律なのであり、国全体の議会中心主義に反したものではない。藤井は、こんな言い方をしていると、法律または条例にもとづく<住民投票>制度一般を批判しなければならなくなる。藤井はやはり、「政治感覚」優先で、法制度的思考がまるでできていない。
 こんな対談がどこかで活字になったらしいのだから、日本の表現の自由、出版の自由の保障の程度は、天下一品だ。
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 正確に理解するつもりはないが、橋下徹は「ツイート」でこんなことを書いたらしい。
 橋下徹「内閣官房参与藤井氏。/虚言癖。こんなのが内閣官房参与なら日本も終わりだ。」
 橋下徹「内閣官房参与の藤井氏。/虚栄心の塊の虚言癖。」
 橋下徹「内閣官房参与藤井氏。彼はこんなことばっかりやっている。とにかく人格攻撃。いい大人がするようなことではない。それで自分が批判されると人格攻撃は許さんと吠える。誰か藤井氏に社会人のマナーを教えてやって欲しい。内閣官房参与に不適格」。
 橋下徹7/09「内閣官房参与藤井氏のこの発言、こういう文脈で発達障害を持ち出したら政治家なら完全にアウト。メディアからも猛批判を受ける。稲田さんの発言よりも問題。安倍政権は許すのか。しかも安倍さんを侮辱する対談相手に一言も言わない内閣参与。」
 橋下徹7/11「内閣官房参与・京大教授藤井氏。彼は大阪都構想について猛反対し、橋下はデマ、嘘、詐欺、詭弁の限りを尽くしていると公言。そして大阪府と大阪市が話し合いをすれば課題は解決できると断言。ところがこの権力の犬メールには、府と市の大阪会議はショボいと明言。藤井氏は学者としてもアウトだな。」
 たしかに、藤井聡の<精神医学の世界での「高機能広汎性発達障害」や「ASD」などと呼ばれる症状の人たちはの特徴は、空気が読めない、あるいは気にしないこと。だから彼らは世界がどれだけ全体主義化、橋下化していても、『正しいこと』を言い続けてしまう。>という発言は問題があるだろう。
 相も変わらず、藤井聡は問題発言をし、下らないことを書いたり、喋ったりしているようだ。
 この人の専門分野は何か。きちんと研究し、研究論文を書いているのか。
 知的傲慢とか既に書いたが、消極的な意味で藤井聡に感心したのは、つぎの本を刊行した<勇気・自身・身の程知らず>だ。
 この人は京都大学大学院工学研究科教授のはずなのだが、いったい何をしているのか。
 ハンナ・アレントを読んで、日本社会と「全体主義」について論じるというのだから、ほとんど、あるいは100%、信じ難い。
 藤井聡・<凡庸>という悪魔-21世紀の全体主義(晶文社、2015)。
 オビには何と、「ハンナ・アレントの全体主義論で読み解く現代日本の病理構造」、とある。
 「ハンナ・アレントの全体主義論」は三分冊になる大著で、工学研究科教授が簡単に読んで理解できるとはとても考えられない。
 しかもまた、藤井聡は、「全体主義」といえばハンナ・アレントだと、すぐに幼稚に思い込んだのかもしれないが、そんな単純なものではない。
 この欄の執筆者・秋月瑛二ですら、「全体主義」にかかわる種々の文献を(一部であれ)読んでいる。
 この傲慢さは、<オレは京都大学出身の教授だぞ>という、戦後教育が生み出した入学試験・学歴主義と「肩書き」主義、<権威>主義によるのだろうか。
 じつは、橋下徹に対する何がしかの「怨念」とともに、<精神病理学>の対象になるのではないかとすら感じる。
 上の著の目次を見ると、内容の<薄さ>とこれまた<橋本徹批判>へと流し込んでいることがよく分かる。//

 目次/序章 全体主義を導く「凡庸」な人々
 第1部 全体主義とは何か?──ハンナ・アーレントの考察から
  第1章 全体主義は、いたって特殊な「主義」である
  第2章 ナチス・ドイツの全体主義
  第3章 〝凡庸〟という大罪
 第2部 21世紀の全体主義──日本社会の病理構造
  第4章 いじめ全体主義
  第5章 「改革」全体主義
  第6章 「新自由主義」全体主義
  第7章 グローバリズム全体主義
 おわりに 「大阪都構想」と「全体主義」//
 この人は「全体主義」を理解しているのか? レーニン、スターリンはどう理解しているのか。
 こんな程度で書物を刊行できるのだから、日本の表現の自由、出版の自由の保障の程度は、天下一品だ。

1565/共産主義との闘いを阻むもの②-主要な全てが翻訳されているのでは全くない。

 ○ ふだん目にしないところに置いてあった、つぎの書物を見つけた。
 ① Anne Applebaum, Gulag -A History (Penguin, 2003).
 Gulag の正確な発音はよく分からない。いずれにせよ、レーニン以降のソ連にあった、「強制収容所」のことだ。concetration camp と、英語で書くこともある。
 本文の冒頭(第一部第1章)で要領よく、十月政権奪取・レーニンの権力掌握くらいまで、一気にほぼ一頁くらいでまとめている(p.27-p.28)。
 p.28の最初の段落の初めは、「ボルシェヴィキの本性がミステアリアスだったとすれば、その指導者…レーニンはもっとミステアリアスだった」。
 p.28にある最後の段落の直前は、「新しいソヴェト国家は、1921年までは相対的な平和を知らないことになる」。
 ここに注記番号があるので注記の参照文献を見ると、つぎの二冊が挙げてあった。
 ② Richard Pipes, The Russian Revolution 〔ロシア革命〕, New York, 1990。
 ③ Orlando Figes, A People's Tragedy〔人民の悲劇〕: The Russian Revolution, 1891-1924, London, 1996。  
 ②はこの欄で一部を試訳中のもので、邦訳書はない。
 ③のファイジズのものは、この人の本の邦訳書はあるのでその中に含まれていたかとも思ったが、調べてみると、③にはなかった。
 邦訳書があるのは、つぎの二つ。
 ④ Orlando Figes, The Whisperers: Life in Stalin's Russia (2007).
 =染谷徹訳・囁きと密告-スターリン時代の家族の歴史/上・下(白水社, 2011).
 ⑤ Orlando Figes, The Crimean War: A History (2011).
 =染谷徹訳・クリミア戦争/上・下 (白水社, 2011).
 ④のスターリン時代はロシア革命・レーニン時代の後で、⑤のクリミア戦争はロシア革命以前の19世紀半ば。
 ロシア革命・レーニン時代を含む③については、邦訳書がないのだ。邦訳書のあるマーティン・メイリア『ソ連の悲劇/上・下』と同じ< Tradegy(悲劇) >が使われていて、少し紛らわしい。
 しかも、近年までも含めて、この時期を含むファイジズの著作は、他にもある。私は、所持だけはしている。
 ⑥ Orlando Figes, Peasant Russia -Civil War: The Volga Countryside in Revolution 1917-21 (2001).
 ⑦ Orlando Figes, Revolutionary Russia, 1891-1991: A History (2014).
 
 邦訳書を通じて全く知られていないわけではないO・ファイジズの、レーニン時代を含む著作だけは邦訳書がないのは、何故なのだろうか?
 ちなみに、⑧ Tony Brenton 編, Historically Inevitable ? 〔歴史的に不可避だったか?〕: Turning Points of the Russian Revolution (2016) がロシア革命100年を前に出ていて、Orlando Figes も Richard Pipes も執筆者の一人だが、これにも今のところ邦訳書はない(今後に期待できるのだろうか ?)。
 元に戻ると、A・アップルバウムの① Gulag -A History (Penguin, 2003) もまた、邦訳書がない。これにはやや驚いた。
 この本は2004年ピューリツァー賞受賞。著者は<リベラル>系ともされるワシントン・ポスト紙に在職していて、欧米の本には表紙かその裏によくある称賛書評の一部の中には、あの『南京のRape』のアイリス・チャン(Iris Chang)や、レーニン・ロシア革命に対する<穏便派>の(但し称賛までは無論しない)ロバート・サービス(Robert Service)によるものもある。
 大著とまでは言えない、この① Anne Applebaum, Gulag -A History (Penguin, 2003).には、何故、邦訳書が存在しないのだろうか。
 決して、日本の<左翼>が端から鼻をつまむような本ではないようにも思えるのは、上記のとおり。
 これが敬遠されている理由としては、レーニンとその時代に、ソ連のスターリン時代をより想起させるかもしれない<強制収容所>の淵源はあり、かつ建造されていた、という事実が、詳しくかつ明確に語られているからではないか、とも思われる。スターリンは、レーニンが作った財産を相続したのだ。
 この本によってアメリカおよび英語圏の又は英語読者のいるヨーロッパ諸国では当たり前の<知識・教養>になっていることが、日本では必ずしもそうなってはいない、ということになる。
 ○ あらためて書き起こそう。
 日本において、スターリンまたはその時代を批判する外国語(とくに欧米語)文献ならば、比較的容易に翻訳され、出版されている、という印象がある。
 なぜか。①日本共産党が(ロシア革命・レーニンは擁護しつつ)スターリンを批判してソ連を社会主義国でなくした張本人だと主張しており、スターリンを批判するという点では、②反日本共産党のいわゆるトロツキストと呼ばれる人たちや、③スターリンを肯定的には語れなくなったがレーニン・ロシア革命は何とか憧れの対象のままにしておきたい、そしてマルクスは「理論的」には価値ある仕事をした英才だとなおも考えている、またはそのように<思って>もしくは<思いたくて>、かつての「左翼」傾倒を自己弁明したい、広範な「左翼的」気分の人々にも、受容されうるからだと思われる。
 つまり、日本には、<スターリン批判本>だけは、なおも「市場」があるのだ。
 それに比べて、ロシア革命・レーニンやその基礎にあるマルクスを批判したものは人気がない、と思われる。
 マルクスを「理論的に」批判したものはむつかしい「理論」に関係しそうなのでまだよいが、ロシア革命とレーニン時代の「現実」を明らかにする本は、それが歴史であり事実であっても、受け入れたくない雰囲気がなお残っているように感じられる。
 いわゆるトロツキストあるいは反日本共産党の共産主義者や「左翼」にとっても、ロシア革命・レーニンとマルクスはなおも基本的には擁護されるべき対象なのだ。
 彼らには、L・トロツキー自体が、レーニンとともに「ロシア10月革命」を成功させた大偉人(又は見方によれば「張本人」)なのだ。たしかに、10月のクーは、ペテログラード軍事組織の長だったトロツキーの瞬時的判断と辣腕なくして、成就していない。
 ○ 考えすぎだ、「自由な」日本で、そんなことはないだろう、という反応がありそうなので、さらに続ける。
 トニー・ジャット(Tony Judt, 1948~2010)はニューヨーク大学の欧州史専門の教授だった人だが(Tony Judt, Postwar: A History of Europe Since 1945 , など)、つぎの小論集も遺した。 
 ⑨ Tony Judt, When the Facts Change: Essays 1995 - 2010 (2015).
 この中にレシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)逝去後の、書評誌掲載の追悼文章が収められていて、L・コワコフスキについてこう書く部分がある。
 「宗教思想史の研究者としてと同等の高い位置を占める、唯一の国際的に名高い( only internationally renowned )マルクス主義に関する研究者…」。
 「悪魔」に関するコワコフスキの講演を聴いたことから始まるこの追悼文は神学・宗教学やポーランド等の「中央欧州」の文化風土等にも触れて、L・コワコフスキの<複雑な>人生と業績を哀悼感豊かに述べている(このレベルの追悼文は日本ではほとんど見ない)。
 それはともかく、「国際的に」がたんにアメリカとヨーロッパだけだったとしても、L・コワコフスキが欧米ではマルクス主義(に関する)研究者として(も)著名だったことは分かるだろう。
 しかして、⑩ Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism 〔マルクス主義の主要な潮流〕(英語版合冊, 2008)の邦訳書すらなく、L・コワコフスキの名すらきちんと知られていないのが、日本の知的雰囲気の実態だ。いったい、何故だろうか。
 L・コワコフスキは、マルクス-レーニン-スターリンを正面から「哲学的に」分析する。
 ⑫ Andrzei Walicki, Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom -The Rise and Fall of the Communist Utopia (1995).
 これにも、邦訳書はなく、存在すらほとんど知られていないことは既に記した。なお、この人には、A History of Russian Thought from the Enlightenment to Marxism (1988, 英語訳版) もある。
 箸にも棒にも引っ掛からない下らない書物であれば、それで当然かもしれない。
 しかし、本文前の注記によると、Andrzei Walicki は、Zbignew Pelczynski と John Gray (ジョン・グレイ、ロンドン・複数の邦訳書あり)の1984年の共編著に「マルクス主義の自由の観念」と題する寄稿を求められて執筆し、その寄稿を読んで関心をもった「旧友」のレシェク・コワコフスキから、この主題での研究を続けるようにと鼓舞されている。
 上の⑫は、決して無用の著ではない、と思われる(なお、このワレツキもポーランド出自だとのちに分かった)。
 なぜ、この本は日本人には、日本の学界や論壇では(L・コワコフスキ以上に ?)知られていないのか ?
 きっと、日本共産党や日本の共産主義者・マルクス主義者あるいは「左翼」にとって<危険な>本だからに違いない。そして、<利益>を気にする出版社は、邦訳書を出そうとはしないに違いない。 
 ちなみに、L・コワコフスキ『マルクス主義の主要な潮流』の第三部はマルクーゼ、サルトル、フランクフルト学派などに論及するが、L・コワコフスキ自身による新しい「あとがき」によると、第三部だけはフランス語では出版されておらず、サルトルらフランスの著名「左翼」に気兼ねしているのだろうと、彼は推測している
 「自由な」 ?フランスですら、そういう状況だ。
 日本では、あらゆる人文社会系の学問分野で<比較>が盛んで、「横文字からタテ文字へ」で仕事・業績になるとすら言われるほどだと聞いているが、決して世界、とくに欧米の<情報>が自由に入り込んでいるわけではない。全くない、ということを、強く意識しなければならないだろう。
 そうした観点から見ると、エリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)らは、きちんと読んだことがないが、きっと日本にとって(=日本の「左翼」にとって)<安全>なのだろう。
 そうでないと、あれほどに翻訳されないのではないか。なお、前者は、少なくとも「左翼的」。後者の「世界システム論」は巨視的であるように見えるが、<共産主義>を直視していない、逃げている議論だと私は感じている。
 まだ、このテーマは続ける。

1362/憲法学者の平和安保法「違憲」論は正しくない-5(終)。

 一 一年以上前の2015年6/18に「さらに続ける」と書いたままだったので、律儀に?最終回を書く。
 2015年前半に話題だった安保法案は国会・両議院ですでに可決・成立し、2016年4月に施行された。
 いわゆる(限定的)集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈は、内閣法制局でも行政権の権限主体たる「内閣」でも内閣総理大臣の解釈でもなく、「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」(憲法41条)である国会の憲法解釈になった。安倍晋三が憲法を歪めるとか壊すとか、立憲主義に違反するとかの批判は、両議院での可決・改正諸法律成立以降、国会に向けられなければならない。日本共産党党員憲法学者その他の多くの憲法学者は、このことに反対できないはずだ。恨みたいならば、国会(両議院)を呪詛したまえ。
 二 さて、最後に論及しようと思っていたのは、いわゆる平和安全保障法制は違憲だとする憲法学者たち等は、日本の安全保障環境をどう認識しているのか、だった。もともと日本国家や日本国民の「安全・平和」に(口先だけの、あるいは政略的のみの)関心しか向けていない学者たちが多いのかもしれない。だが、法規範の「解釈」にも、ある程度は「現実の認識」が必要であるはずだ。
 民科(民主主義科学者協会)法律部会という一つの学会の前会長であり、ほぼ間違いなく日本共産党の党員だと言える浦田一郎は、安保法制の基礎となったとされる2014.07.01の「集団的自衛権行使容認」閣議決定を解説しつつ批判する中で、20015年の春につぎのように言っていた。
 「軍事的緊張が高まった側面が一面的に強調されている。冷戦下で米ソが核兵器によって軍事的に対抗していた状況より、現在ははるかに緊張は低下している。このような緊張の緩和という側面が無視されている」。
 以上、森英樹編・集団的自衛権行使容認とその先にあるもの/別冊法学セミナー(日本評論社、2015.04)p.179。
 これを読んで、なるほど、日本共産党は、いや「左翼」でもよいのだが、中国や北朝鮮の「危険」性・「脅威」を無視しているか軽視している、現実を客観的に見ようとはしていない、その背後には<親中国・反アメリカ>感情、かつての<社会主義幻想>、がある、と感じたものだ。
 日本共産党の党員学者にとっては、上のような認識は当然かもしれない。
 日本共産党はかつてソ連の解体直後には、仮想敵だったはずのソ連が崩壊したにもかかわらずアメリカは軍備を縮小しようとしない、などと(都合よく)主張していた。
 彼らにとって、中国等ではなく、党の綱領上、アメリカと日本「反動」勢力こそが<敵>なのだ(かつては、アメリカ帝国主義と(それに従属した)日本独占資本の「二つの敵」と言っていた)。
 日本共産党(党員)にとって、とりわけ1998年に同党と中国共産党が友好関係を再設定して以降は、中国(・共産党)や北朝鮮は日本の安全・生存にとっての現今の最大の脅威であってはならないのだ。
 このような現状認識から、まともな安全保障関係の憲法「解釈」論が出てくるはずはない。日本共産党党員以外の多数の(日本の)憲法学者もまた、受けてきた(法学教育を含む)教育や「左翼」的出版物・メディア等によって、目を曇らされてきた、と言えるだろう。
 三 日本共産党中央委員会「理論政治」誌・前衛2015年1月号(同中央委員会)の中に、「宮地正人さん(東京大学名誉教授)に聞く」「第二次世界大戦をどうみるか」というものがあり、宮地正人は最後につぎのように語っている。
 なお、この宮地正人は日本共産党党員だと理解して間違いない。同党員でない者が前衛や「赤旗」に登場して発言したり論考を寄せたりすることは、(記事の性格にもよるが)ありえない、と考えられるからだ。いかに○大学教授とか△大学名誉教授とかの肩書きになっていても、日本共産党々員だと理解する必要がある(朝日新聞社や日本評論社等の出版物にもこのような肩書きで執筆している者が、上記の別冊法学セミナーの浦田一郎や森英樹のように、少なくないことを銘記すべきだ)。
 「二一世紀の日本は、…。対米従属と軍事一辺倒、集団的自衛権にいくのではなく、憲法第九条を柱とする日本国憲法を表に立て、東アジアの地域的な結束をつくることです。…<中略>。…いまの安倍内閣はまさに逆行する、一番まずい方向に、日本と日本国民を追い込もうとしているのです。/
 この憲法と日本の民主主義をアジアの人たちへの旗印として、共同の目的として掲げる前提が、なによりも満州事変以降の日本の侵略戦争に対する戦争責任を総括し、謝罪することです。この前提はすでに『河野談話』と…政府の侵略と植民地支配への謝罪(『村山談話』)としてある
のです。それを堅持することが、日本の二一世紀の道を切り拓く前提だと私は思っています」。
 何とここには、「東アジア」と言いながら、中国あるいは北朝鮮の軍事的膨張政策・動向への言及がまるでない。これこそが日本共産党と同党員の思考であり「認識」だと、ふつうの正常な日本人は知っておかなければならない。
 また、明示的に「河野談話」と「村山談話」にこだわっていることも明らかだ。日本共産党と同党員たちにとって、橋頭堡を守るためにも、「河野談話」・「村山談話」を日本政府に堅持させることはきわめて重要なことなのだ。「村山談話」は克服されたとか、「河野談話」の継承は外交上必要だったとか主張して、これらの談話の継承と闘おうとしない論者は、決して<保守>ではなく、現在の日本共産党の路線に客観的には追随している。
 
 

1357/香西秀信・レトリックと詭弁(ちくま文庫)より。

 先日6/21に言及した福井義高の論考の中に香西秀信の著の一部の引用・紹介があったので、確認すべく捲っているとやはりなかなか面白いので、ここでもう少し詳しく引用・紹介しておく。本来の文脈=レトリック関連は無視する。
 香西秀信・レトリックと詭弁(ちくま文庫、2010/原著2002)p.105。
 以下、引用。「私」とは、著者・香西秀信。
 私も…、大学教師が「『進歩的』と思われる」ことの利益など何もなかったと思っています。その理由は、少なくとも社会主義諸国崩壊の前までは、社会科学や人文科学系の大学教師にとっては、「進歩的」ポーズをとることなどほとんど常態だったからです。皆がそうなのですから、「『進歩的』と思われる」ことに利益など生じるはずもありません。/ …。何よりも、社会科学や人文科学の分野では、「進歩的」でないと見なされたら、(国立)大学に職を得ることすら困難でした。誰もが「進歩的」であるように見せかけていた時代に「『進歩的』と思われる」ことなど何も利益はない…。…「進歩的」でないと思われることと比較して、初めて隠された「御利益」が見えてくるのです。
 以上、引用終わり。つぎは同上著p.106。直接の引用はしづらいので、筆者(秋月)がほんの少しは修正を加える。「私」は香西秀信。
 ①戦時中に「少年期にあった人たち」が戦後になって、戦時中に「鬼畜英米」・「一億火の玉」とか言っていた大人たちが突然に「民主的」になり「こんな馬鹿な戦争がうまくいくはずがないと思っていた」と「したり顔」で解説するのを聞いて、「その後の彼らの人生観、ものの見方」に大きな影響を受けた、という話を私はしばしば聞いた。
 ②私にも「似たような経験」がある。「ソ連、東欧の社会主義諸国が崩壊した」とき、かつては「社会主義を賛美していた、少なくともシンパシーを感じていたはずの人たち」が、「ショックで発狂すると思いきや」、「あんな体制が長生きするはずはない」と涼しい顔で傍観していた。その人たちは、かつて戦後すぐの大人たちの変節に大きな影響を受けたと話してくれたのと、同じ人たちだった。
 ③その人たちは、1960年代には「反革命」と評価していた同じものを、社会主義諸国崩壊直前の1990年頃には「民主化」と言い始めた。「『その後の彼らの人生観、ものの見方』に大きな影響を受けた」のは間違いないだろう。かつて軽蔑した大人たちと同じ年頃になって、まったく同様の振る舞いをし始めたのだから。
 以上。上の「民主化」とは、旧ソ連のペレストロイカ等を指しているのだろう。
 上のような、<非・コミュニスト的な左翼>は、現在の日本人、とくに60-65歳以上の者たちの中に、かなり多くいそうだ。なるほど。
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 いちいちメモをしてきていないのだが、6/23には、以下を(も)、たぶん15分くらいで読了。
 梶川伸一「レーニンの農業・農民理論をいかに評価するか-十月革命後の現実を通して」上島武=村岡到編・レーニン/革命ロシアの光と影(社会評論社、2005)p.14-32。

1301/資料・史料/2015.05.25「慰安婦」問題歴史学関係団体声明。

 「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明

 『朝日新聞』による2014年8月の記事取り消しを契機として、日本軍「慰安婦」強制連行の事実が根拠を失ったかのような言動が、一部の政治家やメディアの間に見られる。われわれ日本の歴史学会・歴史教育者団体は、こうした不当な見解に対して、以下の3つの問題を指摘する。
 第一に、日本軍が「慰安婦」の強制連行に関与したことを認めた日本政府の見解表明(河野談話)は、当該記事やそのもととなった吉田清治による証言を根拠になされたものではない。したがって、記事の取り消しによって河野談話の根拠が崩れたことにはならない。強制連行された「慰安婦」の存在は、これまでに多くの史料と研究によって実証されてきた。強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(インドネシア・スマラン、中国・山西省で確認、朝鮮半島にも多くの証言が存在)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである。
 第二に、「慰安婦」とされた女性は、性奴隷として筆舌に尽くしがたい暴力を受けた。近年の歴史研究は、動員過程の強制性のみならず、動員された女性たちが、人権を蹂躙された性奴隷の状態に置かれていたことを明らかにしている。さらに、「慰安婦」制度と日常的な植民地支配・差別構造との連関も指摘されている。たとえ性売買の契約があったとしても、その背後には不平等で不公正な構造が存在したのであり、かかる政治的・社会的背景を捨象することは、問題の全体像から目を背けることに他ならない。
 第三に、一部マスメディアによる、「誤報」をことさらに強調した報道によって、「慰安婦」問題と関わる大学教員とその所属機関に、辞職や講義の中止を求める脅迫などの不当な攻撃が及んでいる。これは学問の自由に対する侵害であり、断じて認めるわけにはいかない。
 日本軍「慰安婦」問題に関し、事実から目をそらす無責任な態度を一部の政治家やメディアがとり続けるならば、それは日本が人権を尊重しないことを国際的に発信するに等しい。また、こうした態度が、過酷な被害に遭った日本軍性奴隷制度の被害者の尊厳を、さらに蹂躙することになる。今求められているのは、河野談話にもある、歴史研究・教育をとおして、かかる問題を記憶にとどめ、過ちをくり返さない姿勢である。
 当該政治家やメディアに対し、過去の加害の事実、およびその被害者と真摯に向き合うことを、あらためて求める。
 2015年 5月25日
 歴史学関係16団体
 日本歴史学協会/大阪歴史学会/九州歴史科学研究会/専修大学歴史学会/総合女性史学会/朝鮮史研究会幹事会/東京学芸大学史学会/東京歴史科学研究会/名古屋歴史科学研究会/日本史研究会/日本史攷究会/日本思想史研究会(京都)/福島大学史学会/歴史科学協議会/歴史学研究会/歴史教育者協議会
    

1300/歴史関係16団体声明と池田信夫・黒田勝弘。

 一 文部科学省が国立大学に対して教員養成・人文社会系学部・院の「廃止」や社会的要請の高い分野への「転換」に努めることを要請する文書案を5/27に示した、という記事を読んで、池田信夫がたぶん同日に、<文系学部はいったん全廃>と書いていたことを連想した。池田信夫のブログサイト参照。
 池田信夫は5/27に、「文系の学部はいったん全廃したほうがいいと思う」と書いている。その理由、背景は、つぎのことだ。日本の歴史学研究会など歴史関係16団体が「『慰安婦』とされた女性は、性奴隷として筆舌に尽くしがたい暴力を受けた」などとして、慰安婦の「強制連行」の事実は朝日新聞による一部取消し等によっても変わらない、という旨の声明を発した。池田は、「性奴隷」の意味が分かっているのか等とし、こんな「歴史学者がまだ2000人(16団体には重複も多い)もいる」のを知って唖然として、上の感想に至っている。
 池田信夫の感覚は<まっとう(正気)>だ。歴史、とりわけ日本近代史の研究者・教員たちの<狂気>ぶりがここにも示されている。人文・社会系(教育学を含む)における<左翼アカデミズム>の支配を終焉させないと、日本の正常化はむつかしい。あるいは日本の正常化を阻む「左翼人士」たちが、とりわけ大学の人文・社会系学部での教育や教師・学生関係(という人間関係)によって、依然として執拗に生み出されている。この現象は、大学以外の社会諸分野では見られない現象だと思われる。
 二 産経新聞5/30黒田勝弘の小記事によると、上の歴史関係16団体-「会員約6900人」としている-の「慰安婦問題で安倍政権を非難する声明」は韓国では大々的に報じられ、日本のメディアがそれに大きな関心を示していないことに不満があるらしい。
 黒田勝弘は、このような反応の違いは、韓国では「学者」の地位が高く、声明類も重みがあるのに対して、日本ではそれほどでもない、つまり「単に学者を見る目が違うだけの話」だ、とまとめている。
 黒田の分析は、やや物足りない。もともと歴史関係16団体の会員の中には教師ではあっても厳密には又は狭くは「学者」ではない人物も含まれていると思われる。
 それは別としても、韓国での学者・教授たちの地位の相対的な高さはそのとおりかもしれないが、日本での「左翼」歴史学者たちの主張、ここでは<慰安婦の「強制連行」の事実>を認めよという主張が、そのデタラメぶり、その「政治」性、その<左翼偏向>性を従前よりは見抜かれてきており、信用されなくなってきていることに、上の小記事が話題にしているような違いの原因があるのではなかろうか。
 それにしても、「左翼」は-おそらく日本共産党系だろう-、研究者・教員であるものも含めて、執拗なものだ。<幻想と妄想>の中で生き続けて、そしていずれ死んでいく。せっかくの一度きりの人生なのに、気の毒だ、可哀想だ、としきりに感じる。 
 

1259/「危険な思想家」発想がなお残る今日の知的世界。

 ・前回言及の竹山道雄の文章は、朝日新聞が日本の継続性肯定の<明治100年>か敗戦による新たな<戦後20年か>という対立があるとして両側の諸論者の文章を掲載したものの一つで、前者の論者は平川祐弘によると竹山道雄・林健太郎・江藤淳・林房雄、後者のそれは野間宏・遠山繁樹・小田実・加藤周一、のそれぞれ4名だ。作家・野間宏は少なくとも戦後の一時期は日本共産党員だった者、日本史学者・遠山茂樹は日本共産党だったと推測される者、あとの後者の二人は非日本共産党「左翼」だろう。そして、平川の言に俟つまでもなく、朝日新聞は後者の立場を支持することをを少なくとも示唆した特集だったと思われる。
 ところで、平川祐弘によると、同じ1965年に山田宗睦が「危険な思想家」というタイトルのカッパ・ブックスを出していて、上の前者の4名は山田のいう「危険な思想家」だったらしい。平川によればほかに安倍能成が明記されているが、三島由紀夫や石原慎太郎もまた当然に?「危険な思想家」だったようだ。平川によると、この山田の著に朝日新聞が「飛びつい」て、上に言及の特集になったらしい。
 この論争に立ち入るつもりはないが、上の両派?のいずれの立場が日本国家と日本国民にとって本当は「危険な」ものだったかは、今日ではほとんど明らかだと思われる。
 だが、60-80年代くらいまでかなり広く<保守・反動>という言葉でレッテリ貼りされた考え方・歴史の見方を今日でもやはり「危険」と感じている者は今日でも少なくないし、憲法学界では前回に言及した某憲法学者も含めて圧倒的多数派を占めているという印象がある。
 「危険な」の反対は「安全な」だが、いわゆる<進歩>派あるいは「左翼」こそが、憲法学界では「安全な」立場・立ち位置なのだ。したがって、学界や各大学・各学部の多数派=「安全な」立場に属していることが、就職・昇格やその他の人間関係上<有利>であると感覚的に判断する者は、深く考えることなく、無自覚に「左翼」になってしまう憲法学者も出てくることになる(別に憲法分野に限りはしないが)。あるいはまた、<右・左>、<保守・左翼>のいずれかの立場を鮮明にしない方が「安全」だと感じる大学や学部にいる間は<温和しく>しているが、「左翼」性を明確にしても「安全」だと感じる大学・学部に移れば、例えば平気で「九条(2項)を考える会」に属して報告をしたり、特定秘密保護法や集団的自衛権容認に反対する声明に堂々と名を連ねたりすることになる。
 ・憲法学界を例にしての以上のことが決して的外れではないことは、月刊WiLL1月号(ワック)冒頭の座談会で、政治学の中西輝政が語っていることでも明らかだろう。<保守派>であることは大学院生がどこかの大学に就職する(採用される)ために不利だったことは指導教師だった高坂正堯の言葉を紹介しながら中西輝政がすでに述べていた(この欄でも触れた)。
 上の座談会の中で中西輝政は、「いまでも特殊な知識人の世界」では「朝日的であること」が「知的権威そのもの」だ、「朝日に対する信仰」は「いまでもテレビ界の報道関係では、NHKも含め…根強く残っていて、一般の社会と大きくズレている」と述べたりしつつ(p.37)、つぎのようにも語っている。
 「学会ではいままでずっと地雷原を歩いているようなものでした(笑)」。大学では「最も大変な時期は、校門をくぐった瞬間から一瞬たりとも警戒心を解くことができ」なかった。メディアで「靖国参拝に賛成」と言ったら「授業を暴力で潰しに来かねない状況で、教員たちも露骨に反発して私一人、全く孤立無援」だった。大学の校門を出た方が安全で、「むしろ大学に入ると『学問の自由』は保障されてい」なかった。
 学生の反応はともかくとしても、「教員仲間」から「そもそも中西さんの言動に問題がある」として「取り合ってもらえなかった」(以上、p.40)という、学部または教員たちの雰囲気に関する発言の方が重要だし、興味深い。
 もっとも、具体的にいかなる時期のどの大学(京都大学?)のことを述べているのかは明確ではない。余計ながら、中西輝政が退職した大学・学部には佐伯啓思も同僚としていたはずだ。
 上の最後の些細な点は別として、「学問の自由」といいながら、人文・社会系の大学に所属する研究者たちは、テーマ設定や研究内容について、本当に自分の頭で「自由」に考え、結論を出しているのだろうか、という疑問をあらためてもたざるをえない。それは「靖国参拝」や「慰安婦」についての彼らの意見や認識についても言える。それぞれの学界・学会の<空気>を読みながら、「黒い羊」と目されないように、多数派に属するように、あるいは「安全」であるように、取捨選択しているのではあるまいか。無意識にそのように行動させるシステムができ上がっているとすれば、もはや大学でも「学問」でも「自由な」研究者でもないだろう。ややテーマがそれたかもしれない。

1240/アカデミズムの世界での左翼支配の内幕-東京大学関係者 。

 一 ジャパニズム16号(2013年12月号、青林堂)に、表紙にはタイトルが載ってはいないが、「覆面インダビュー/元関係者が、『アカデミズムの世界における左翼支配』の内幕を明かす」というインタビュー記事がある。「アカデミズムの世界」とは、大学または学界と理解して差し支えないだろう。
 「覆面」の「元関係者」は「W」とイニシャル化されているが、本当であるとの保障はない。但し、「まさに東大で、そうしたことを感じましたね」などの発言があることからすると、この発言者は東京大学の教員・研究者を最近か近年に退職した人物であるようで、関心を惹く。
 何よりも、この元東京大学教員らしき人物の、上記のごとくタイトル化される発言内容は、この欄で私があれこれの文献を通じて指摘または推測してきたことと符合していることが注目される。断片的にしか指摘できなかったことを、この人はけっこう長く語っている。
 その他、「カトリック・キリスト教」や「仏教」界の「左翼」性への言及がある部分はほとんど知らなかったことだ。
 重要な記事だと思うので、今年、2013年の最後に、できるだけ忠実に紹介しておく。
 二 最初の質問に対する答えは、ほとんど全面的に支持または納得できる。全文は以下のとおり。
 「確かに、文系アカデミズムの多くの分野においては、左翼支配の構造が完全に出来上がってしまっていますね。研究者を育てる大学院は、学部までとは異なり、徒弟制のような形態のところが多い、そうなると、師匠である教授が左翼なら、弟子である学生も左翼にならないと生きていけない、教授の性格にもよりますが、左翼的な教授としては自分と同じくする手下を増やしたいわけですから、教授に逆らうような学生は、就職先(アカデミック・ポスト)を紹介してもらい辛い。そうなると、それに耐えられない学生は、脱落していく。結果、左翼学生だけが残り、研究職に就いていく。一般公募の公平な研究職採用試験にしても、採用側の教授に左翼思想の持ち主が多い訳ですから、結局『リベラル』な研究者の方が就職が有利です。文系アカデミズムの世界では、このような構造で、左翼が再生産されていきます、これも教授の性格によりますが、左寄りの教授が多い組織では、保守的な言論は抑圧される事さえありますね。私の印象では、国立大学では概して、歴史学、教育学、法学、社会学の分野で左翼が強いと感じますね」(p.56-57)。
 「歴史学、教育学、法学、社会学の分野で左翼が強い」とは、この欄で私が推測的に書いたことがある(中西輝政の発言によって、「政治学」にも触れたこともある)。なお、「左翼」の意味が厳密には問題だが、上の発言では「リベラル」と換言されていることも注目される。また、「左翼」とはおそらく(日本共産党員である場合はもちろんだが)、共産党シンパの他に、日本共産党またはマルクス主義・コミュニズム(共産主義)を批判・敵視しないという意味での、「容共」者も含んでいると考えられる。
 三 東京大学法学部の「内幕」にも言及があり、また「左翼」的宗教にも言及がある。この人物は同学部に所属したことがあるか、同学部の「内情」をかなり詳しく知りうる立場にあったように思われる(こんな発言をしている<反左翼>心情者であること等からすると前者ではなく、後者と推測できるかもしれない)。以下は要約的紹介で、「」は直接の引用。
 <「戦後の東大法学部は完全に左翼的言説が支配しています。『左翼の牙城』と言ってよい」。今の状況は知らないが戦後のかつての東大法学部には「キリスト教徒」でないと教授になれないとの「暗黙の了解」があったと聞く。中でも「無教会派のクリスチャン」。「つまり、戦後日本の法学界の言論・思想空間にはその背景に、左翼的なプロテスタント・キリスト教的なるものが存在しています」。「ですから当然、靖国神社に関する政教分離訴訟では、心情的にも『反靖国』の立場を取ります。実際のところ左派系の法学者は、靖国神社も含めて『神道』というものに対して無理解であるのみならず、嫌悪感さえ感じているようです」。戦後に保守系教授が東大教授から追放されたこともあり、「いまだに保守系の法学者は傍流」に追いやられてしまっている。かかる環境の下で育つ学生が法曹になるのだから「日本の文化伝統を無視した判例」が多発するのも当然だ。>
 なお、たしかに、靖国神社の宗教は「神道」で、<保守>派が靖国神社を擁護しているとすると、「左翼」とは<反神道>派でもあり、宗教の中でもキリスト教や仏教の中には「左翼」が浸透しやすい、と言えそうだ。
 四 東京大学の中での駒場と本郷の違いにも言及がある。
 <「本郷と駒場では雰囲気が異なります。本郷…の教授陣はイデオロギー的には幅が広く、左翼の方が数は多いですが、ノンポリの教授や、数は少ないが保守系の教授も」いるのに対して、駒場(教養学部)は「戦後はまさに『左翼の牙城』になって」しまった。「反ヤスクニ」の高橋哲哉も駒場所属だ。>
 以下は再び東京大学全体の話のようだ(但し、駒場が強く意識されているようでもある)。
 <学部学生の「中道化・保守化(脱左翼化)」は進んでいるが、「教授陣は相変わらず左寄り」で、「左翼系の教授たちは、神道に対しては『国家との厳格な分離』を要求しますが、キリスト教には甘いというダブルスタンダードが見受けられ」る。法人化前の純粋国立大学の時代にキリスト教会から譲り受けてのパイプオルガン設置の運動があり、実際に駒場に設置された。また、「左翼」=「反権威主義」ならばまだ辻褄は合うが、東大の「左翼」は「リベラル」を自称しつつも「権威主義的」だ。中沢新一の採用決定の撤回はその例。(中沢は「左側」の人かもしれないが)「権威主義的なプライドが、イデオロギーの親和性よりも優先されたんでょうね」>(p.58-59)。
 五 仏教にも言及がある。<「キリスト教だけでなく、戦後の仏教界も左翼イデオロギーが強い」。「『教団の公式なイデオロギー』としては左翼的(反靖国的)である宗派が多い」。「戦前の反省に立って」のようで、「仏教系大学の学者には、政治的な左翼的発言をする人も多い」。但し、「日本仏教は…日本の伝統文化(皇室)と結びついていますから、当然に保守的な人もいることはいます」。
 さらにキリスト教にも話題は続き、高橋哲哉・姜尚中はクリスチャンだという。
 仏教寺院の中にも「左翼」のものがあることはこの欄に記したことがあり、姜尚中が講座ものの講師を担当していた著名な寺院があることも知っている。これらは、その特定の寺院名を出していずれ書きたいと思っているので、ここでは立ち入らない。
 六 最後に、この世界の「正常化」の可能性についての質問に答えている。
 <「左翼再生産の構造」は出来上がってしまってはおり、「世間一般の流れからは遅れるとは思いますが」、「徐々に変わりつつある」。「保守の土壌はまだまだ脆弱で、左翼の土壌はまだまだ強靱」なので、「保守陣営」は結束し、「ようやく芽生えてきた『保守の灯』を消さない」ことが肝要だ(p.60)。>
 以上。大学・学界では「保守の土壌はまだまだ脆弱で、左翼の土壌はまだまだ強靱」であり、「ようやく芽生えてきた」「保守の灯」と表現されるほどのものであることを国民一般、大学生や将来に大学に進学しようと思っている者の親や家族は知っておいてよいだろう。
 この人が最初に言っていたことは適切な認識だと見られること、および「左翼が強い」分野の一つとして「法学」が上げられていたことも妥当と見られることは、最近に紹介・言及した、憲法学者・刑事法学者・某特定大学法学部の50名以上の教授たちによる特定秘密保護法反対声明・意見においても相当十分に例証されているものと考えられる。

1232/立命館大学法学部・法務研究科の「有志」58名!が氏名を出して特定秘密保護法に反対。

 特定秘密保護法に反対する「刑事法」学者の声明の中に9名の現役教員の氏名を出していた立命館大学は、「憲法・メディア法」学者による反対声明でも8名の所属教員の名を連ねていた。
 その立命館大学法学部・法務研究科(後者はいわゆるロ-スクルだろう)は、上記法律(案)についての「有志」の反対「意見」を発表しているようだ(ウェブ上による)。反対「意見」者にはむろん既に紹介した「刑事法」・、「憲法・メディア法」学者のうち法学部・法務研究科所属の者が含まれている。その他、編集長が代わった月刊正論12月号で本間一誠がNHKの婚外子格差違憲判決の報道の仕方を批判する中でその見解に批判的に言及している二宮周平の名もある。
 数え間違いがなければ氏名の明記のある総数は名誉教授を除いて何と54名になる。はたしてこの人たち全員は、学者らしく?<自分の頭で>、<自由に>思考して以下の「反対意見」の文章に賛同したのだろうか。一つの大学の法学部・ロ-スクルの(政治学を除く)<法学>関係教員だけで54名もが名前を出しているのは、恐るべき<奇観>としか言いようがない。この法学部・法務研究科では、実質的には<左翼ファシズムの支配>が確立してしまっているのではなかろうか。
 これまでに紹介した反対声明類と同工異曲の意見内容もあることもあり、いちおうのコメントは別の機会に行う。以下、紹介とリストのみ。
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 特定秘密保護法に反対する立命館大学法学部・法務研究科教員有志の意見
 2013年11月26日、「特定秘密の保護に関する法律案」(以下、特定秘密保護法案)は、衆議院本会議で採決されました。この法案は、全国の弁護士会が反対表明を挙げていることからもわかるように、法的な観点から多くの問題点を抱えています。メディア関係者の反対はもちろん、市民の間にも法の濫用を不安視する声が広がっています。25日の福島での地方公聴会では、原発や原発事故に係る正確な情報が市民に提供されてこなかった教訓も踏まえ、意見陳述者全員が反対しました。26日午前の特別委員会でも、みんなの党・日本維新の会との非公式協議に基づく修正案を、わずか2時間の審議で採決を強行するなど、熟議を尽くしているとはいえません。
 立命館大学法学部・法務研究科に所属する私たちは、こうした拙速な審議を批判するとともに、教育者・研究者の見地から、また「自由と清新」を建学の精神とし「平和と民主主義」を教学理念に掲げる立命館大学の構成員の立場から、特定秘密保護法案の問題性を指摘し、これに反対の立場を表明します。
 1 公務員やジャーナリストを育てる教育者として特定秘密保護法に反対します。/現在審議されている特定秘密保護法は、主権者である国民の「知る権利」や表現の自由を著しく制約し、とくに直接の処罰対象となる可能性が高い公務員や報道に関わる者に深刻な負担を強いるものです。私たちの所属する立命館大学は、「豊かな個性を花開かせ、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努める」ことを憲章で宣言しています。この憲章の理念を反映しながら、法学部においても、これまで多くの国家公務員、警察官、ジャーナリストを輩出してきました。現在も多くの学生が、官公庁や報道機関への就職を目指して勉学に励んでいます。民間企業や研究機関でも、国の「特定秘密」の取扱い者となる業種・分野もあります。彼・彼女らが進路として選択した職場が、「正義と倫理」をもって働ける場であってほしいという願いからも、私たちは、特定秘密保護法に反対します。
(1)公務員や特定秘密取扱い者の行動を、勤務中から私生活に至るまで、萎縮させます。/特定秘密保護法が制定されると、防衛・外交・特定有害活動の防止・テロリズム防止という4分野の情報のうち特に秘匿が必要なものを行政機関の長が「特定秘密」として指定され、その漏えいに対しては懲役10年以下の厳罰が科せられます。いわゆる「違法秘密」(政府の行為が憲法や法令に反しているにもかかわらず、これを秘匿している事実)についても、これを公務員や秘密取扱い者が「正義と倫理」に忠実たらんとして内部告発をした場合、厳罰を覚悟しなければなりません。/特定秘密保護法案は、特定秘密を取り扱う者に対する適性評価制度を導入しようとしています。評価の対象には、公務員だけではなく、業務委託を受けた民間業者や従業員も含まれ、評価項目は、評価対象者の家族関係や犯罪歴、病歴、経済的状態など、極めて広範な点に及びます。「特定有害活動」や「テロリズムとの関係」に関する調査というかたちで、思想・信条に関わる調査も可能です。/  調査は、必要に応じて家族・親族や友人にも及ぶため、評価対象者のみならず家族や友人のプライバシーも評価実施機関が把握するところとなります。その結果、評価対象者は交友関係すら制限されることになり、私生活も含めた行動の自由が縛られることになります。また、「不適正」と評価された場合には、職場における選別や差別の対象となる可能性もあり、また、職場の相互不信を助長しかねません。
 (2)報道・取材の自由を萎縮させ、国民の知る権利を妨げます。/報道機関は、国政に関わる多種多様な情報・資料を提供することで、主権者である国民の「知る権利」に奉仕します。それゆえ、報道機関の取材・報道の自由を最大限に保障することが、社会全体の利益にとって不可欠です。ところが、特定秘密保護法は、公務員や特定秘密取扱い者の漏えいだけではなく、漏えいや取得についての共謀・教唆・せん動にも罰則を科し、過失や未遂も処罰しようとしています。これにより報道・取材の自由が大きく制約されることは明らかです。公務員からの取材活動が困難になるだけではなく、報道機関自身が萎縮し、自主規制の動きもみられることでしょう。/こうした批判をかわすために、法案は適用に際しての「報道の自由又は取材の自由に十分に配慮」する旨を明記しました(22条)が、このような訓示規定は恣意的な運用の歯止めにはなりません。たしかに、「出版又は報道に従事する者」の取材には、公益目的性と方法の正当性を要件に違法性を阻却しうる枠組みになっています(同2項)。しかし、秘密漏えいの教唆やせん動で逮捕・起訴された者が、後の裁判で正当業務の証明に成功して無罪が認められたとしても、逮捕やそれに伴う家宅捜査や押収が、自由な取材を萎縮させます。国会審議の中で、政府は、報道機関の正当な取材に対し捜査を及ぼすことはないという見解も示してはいますが、法案中に、それを担保する規定はみられません。また、法の運用をチェックする第三者機関の設置も、法の附則において「検討」を約束するのみで、具体的な枠組みはなんら示されていません。/また、特定秘密保護法は、市民間の自由なコミュニケーションも萎縮させます。現代のIT社会においては、報道機関のみが「メディア」ではありません。一個人や小規模な市民団体が、HPやブログを立ち上げ、あるいは、Facebookやtwitterを通じて、市民の間の情報発信・情報共有のアクターとなっています。立命館大学の学生・教職員や卒業生の多くも、こうした自由なコミュニケーションに一市民として参画しているはずです。しかし、こうした活動すら、場合によっては、特定秘密の漏えい教唆・せん動とみなされかねません。
 2 「学問の自由」を保障された研究者として特定秘密保護法に反対します。/特定秘密保護法は、「特定秘密」の取扱業務者だけではなく、業務知得者の漏えいも処罰対象にしています。近年の日本の大学や研究機関では、「安全保障」という名目で、直接的な軍事的研究も行われています。そうでなくとも、科学技術研究の多くの分野は、軍事的汎用性を持っています。したがって、「防衛」を対象とする特定秘密保護法の下では、国公立であると私立であると問わず、大学で国や軍事産業の委託を受けて軍事研究や汎用技術の研究などを行う場合には、研究者は適性評価の対象となり、秘密保全義務が課されます。そして、研究者間の情報共有と学術検証を目的とするものであっても、特定秘密の公表は、漏えい罪として、処罰の対象となるのです。その結果、大学や研究機関における自由闊達な研究が大きく阻害されることになるでしょう。/また、秘密指定の期間は5年を超えないとされていますが、最大60年までの延長は可能で、さらに半永久的な情報秘匿も可能な例外項目も設けられています。このような政治的に重要な事実の秘匿は、外交・安全保障を対象とする政治学や歴史学の研究の遂行に著しい支障を来します。官僚機構や警察組織などを研究対象とする場合、公務員からのインタビューや情報収集は、大きく阻害されることでしょう。政治家や官僚からの証言に基づくオーラル・ヒストリーの構築といった研究手法も、数十年前の出来事を対処とする場合ですら、困難になります。こうした事態は、「学問の自由」(憲法23条)にとって致命的です。
 3 「自由と清新」「平和と民主主義」を掲げる立命館大学の構成員として特定秘密保護法に反対します。/立命館大学の建学の精神は「自由と清新」です。さらに、大学としてアジア太平洋戦争に協力した痛恨の反省から、戦後は「平和と民主主義」を教学理念に掲げて、全学をあげて「平和」「民主主義」「人権」に重点を置いた教学と大学運営を展開してきました。特定秘密保護法は、このような本学の建学の精神および教学理念からも、全く賛成できないものです。
 (1)特定秘密保護法は、憲法の平和主義に反します。
 特定秘密保護法は、国家安全保障会議設置と不可分一体で進められ、一般的な秘密の保全というよりは、軍事的な防諜法の側面が強いものになっています。これは、戦争の放棄と戦力の不保持を定め、平和的生存権を保障した日本国憲法の平和主義とは、相反する方向といえるでしょう。
 とりわけ、今回の特定秘密保護法は、それが米軍との一体化による日本の軍事力の全世界的展開を前提としている点で、歴代政府が採ってきた専守防衛の立場をも逸脱する要素を含んでおり、また東アジアの国際的緊張を高めるものです。2012年4月に公表された自由民主党の日本国憲法改正草案は、「国防軍」の創設とともに、機密保持法制の整備を明記しました。同年7月に公表された「国家安全保障基本法案」では、集団的自衛権行使容認とともに、秘密保護法制定が示されていました。秘密保護法の制定は、こうした軍事大国化の流れの中で、かねてから制定が熱望されていたものなのです。そして、その背後には、GSOMIA(軍事情報包括保護協定)締結にも示されるように、日米の情報共有の進展を踏まえた秘密保護強化の要請がある点は、周知のとおりです。
 (2) 特定秘密保護法は、民主主義・国民主権に反します。/「知る権利」の制約が、主権者としての国民の活動を制約するものであることは、1で述べたとおりです。/特定秘密保護法が制定されることになれば、国会議員の調査活動や議院の国政調査権なども制限を受ける可能性があります。国政調査の過程で国会議員が特定秘密に接する場合、委員会や調査会は秘密会とされ、出席した議員にも秘密保全義務が課せられて、漏えい等の処罰対象となるからです。国会を通じた国民の国政監視は、現在以上に形骸化することになるでしょう。/そもそも、特定秘密保護法案の立法作業自体が、秘密かつ非民主的です。法案の方向性を決定づけた有識者会議は、議事録も作成せず、会議資料や討議内容は現在も秘密扱いとなっています。内閣官房情報調査室による立案作業は、与党の国会議員にも法案の内容を知らされない秘密裏のうちに行われました。法案へのパブリック・コメントの実施も、わずか2週間に限定され、国民の意見を十分に聴取する姿勢が見られませんでした。それにもかかわらず寄せられた約9万件のコメントのうち8割近くが反対の意見であったにもかかわらず、こうした意見が反映された様子が見られません。/以上のように、特定秘密保護法は、「自由と清新」という言葉で表現される自由闊達な市民社会を押しつぶし、「平和と民主主義」を歪めるものです。またそれは、「教育・研究機関として世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献する」という立命館憲章第5条の精神とも合致しないものです。一部野党との非公式協議の中でなされた部分的修正も、上で述べた特定秘密保護法の問題点を本質的に改善するものではありません。私たちは、特定秘密保護法の制定に強く反対します。
 2013年11月26日

 呼びかけ人(50音順) 市川正人 植松健一 倉田玲 倉田原志 小松浩 多田一路 
 賛同人(2013年12月2日現在:50音順) 浅田和茂 安達光治 荒川重勝* 井垣敏生 生田勝義 生熊長幸 石原浩澄  出田健一 上田寛 大久保史郎 小田幸児 加波眞一 嘉門優、小堀眞裕 斎藤浩 坂田隆介 佐藤渉 島津幸子 須藤陽子 徐勝 高橋直人 田中恒好 遠山千佳 中谷義和* 中谷崇 中島茂樹 浪花健三 二宮周平 野口雅弘 藤原猛爾 渕野貴生 本田稔 堀雅晴 松尾剛 松宮孝明 松本克美 宮井雅明 宮脇正晴 望月爾 森下弘 森久智江 山田希 山名隆男 湯山智之 吉岡公美子 吉田美喜夫 吉田容子 吉村良一 渡辺千原 和田真一 他2名(*は名誉教授)/ 以上、呼びかけ人を含む58名
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1228/日本共産党系「刑事法」大学教授たちの特定秘密法反対声明。

 一 以下に今年11/06付の「特定秘密保護法の制定に反対する刑事法研究者の声明」と賛同者名を掲載するが、その前に、文章の順に即して、この声明に対する批判的コメントを加えておこう。
 ①戦前には刑法に「間諜罪」があり、「軍機保護法および国防保安法を中心にした機密保護法制」が存在したらしいが、「戦後の民主化と非軍事化」・日本国憲法の制定とともに全面的に廃止された。これを喜ばしい、歓迎すべきだったことを当然視する書き初めになっている。ここには戦前=悪(「言論統制と軍国主義思想の蔓延の重要な柱」)、戦後当初=善、というしごく単純素朴な歴史観・時代観が示されている。問題は対スバイ・防諜のための「間諜罪」や「機密保護法制」が一般に悪なのかどうか、とりわけ現時点の日本において悪なのかどうかにある。戦前=「軍国主義」時代のものはすべて悪、それに類似のものの復活はすべて悪、という単純素朴な、観念的な時代認識・歴史認識が今日でも通用するのかをしかと熟慮していただきたいものだ。なお、かつての刑法の一部や「機密保護法制」と較べれば今次の特定秘密保護法は相当に緩やかなものだと解されるが、ここでは立ち入らない。
 ②「大半のパブリック・コメントでは期間が1か月とされているのに、この法案ではわずかに2週間」だったとケチをつけている。声明者たちがお好きな日本国憲法によれば「国会が唯一の立法機関」であり、法律案についてパブリック・コメント手続が行われることがあっても法制度上のものではない、法的根拠のない事実上のものであって、何ら国民の「権利」を侵害するものではない。
 ③その短い期間に9万件のコメント応募がありかつ「そのうち8割近くが反対」だったと誇らしく?述べているが、上記のとおり法律は国会によって制定される。パプコメ手続上の過半数の意見が正当なもので法律制定に反映されるべきであるなどという「(準)直接民主主義」的な立法手続を、声明者たちのお好きな日本国憲法は採用していない。
 ④特定秘密保護法は「軍事立法としての基本的性格を持ち、…憲法の平和主義を否定する」ものだ、という。かりに「軍事立法」だとして、なぜそれがいけないのか。また、「軍事」=悪、「平和」=善、というこれまた古色蒼然とした単純素朴な-戦後「左翼」知識人たちと同じ-考え方・観念を維持している。すでに紹介したことがあるが、「平和」主義には「武力」・「軍事力」の保持・確保・強化による「平和」主義もある。簡単には、「軍事」による「平和」維持も当然にありうる。この声明者たちはこの点をまるで理解できないのだろう。
 なお、「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という憲法の三つの基本原理」を否定する、などとさも立派なことを書いているかのごとくだが、日本国憲法の原理としてこれらの三つを挙げるのは決して通説でも多数説でもない。この声明者たちは、高校までの教科書あるいは戦後当初の啓蒙的な憲法概説書にもとづく理解を今でも維持したままなのだろう。古色蒼然、単純・素朴。
 ⑤「特定秘密」の曖昧さ等を指摘し、「秘密主義は、官僚制の悪弊でもある。秘密は自己増殖を遂げる。その結果、特定秘密保護法の下で…、『安全保障』を超えて、秘密事項が拡大するおそれが大きい」などと述べて不安を煽り、「国民の知る権利を根こそぎ奪い、軍国主義の思想を社会の隅々まで浸透させるための武器となった」、「戦前・戦時の国防保安法と類似」しているとも再び述べている。朝日新聞らと同様に「国民の知る権利」に言及しているわけだ。以下は省略しておく。
 言及しておいてよいのは、現行の情報公開法(法律)にはつぎのような規定があることだ。すなわち行政機関情報公開法五条三号・四号によるとそれぞれ「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」、「公にすることにより、犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」は、開示請求があっても開示(公開)しないことができると定められている。
 「国の安全を害する」等々と行政機関の長が認めることにつき相当の理由の情報は開示しないことができる(原則的には開示してはならない)というこの法律には、むろん概念の意味の曖昧さ等があると言えるだろうが、一種の「秘密」保護法制でもある(誤って開示した公務員個人に対する刑事罰はないが)。しかして、以下の声明者たちは、この法律の少なくとも上記の部分についてこの法律の制定時に反対したのか、反対声明を出したのか、反対運動をしたのか。
 想定できるのは、日本共産党中央の方針の違いだ。以下の声明者たち(呼びかけ人を含む)の中には明らかに日本共産党員だと見られる者もいる。呼びかけ人は日本共産党員または共産党シンパだと推測される。「左翼」の中にも<非または反>共産党「左翼」もいるのだが、上のことも、以下の声明を日本共産党系学者たちの声明だと理解する理由だ。それはともかく、今回は日本共産党中央から「反対」運動に関する「指令」が出て、それに以下のうちの誰かが(あるいは複数の者が)応えて、賛同者を募ったものだろう。
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 特定秘密保護法の制定に反対する刑事法研究者の声明
一 特定秘密保護法案の現状と基本的性格
1. 経過と現状/特定秘密保護法案が国会に上程された。その経過は概略次のとおりである。民主党政権のもとで「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」が組織され、2011年8月8日には、「秘密保全のための法制の在り方について」と題する報告書(以下、報告書)が発表された。自民党・安倍政権はこの作業を受け継ぎ、国家安全保障会議の設置等に関連した手直しが進められた。法案の作成は、内閣官房情報調査室を中心に秘密裏に行われ、「特定秘密の保護に関する法律案」としてその概要が公表され、9月3日から2週間のパブリック・コメントの期間が設定された。その後、自民党と公明党の間で調整が行われ、取材活動に関する規定などが挿入されることとなり、国会上程に至っている。国家安全保障に関する特別委員会が衆議院に設けられ、国家安全保障会議設置法が可決され、特定秘密保護法案の審議がはじまる(11月6日現在)。
2.われわれは、刑事法研究者の機密探知罪への批判を継承する/戦前の日本の刑法には間諜罪の規定が置かれ、重罰が定められていた。これに加えて、軍機保護法および国防保安法を中心にした機密保護法制が存在した。この法制は戦時体制の要に位置し、言論統制と軍国主義思想の蔓延の重要な柱とされた。敗戦後の民主化と非軍事化のなかで、日本国憲法が制定され、これらの機密保護法制は全面的に廃止された。1952年に占領体制が終結すると、戦後民主化に対する反動が露わとなり、憲法改正の動きと連動して、刑法の全面改正作業が進められた。政府の改正刑法準備草案には機密探知罪が設けられ、重い刑罰が規定されていた。政府は間諜罪の復活を意図したのである。これに対して、広範な批判が巻き起こり、当時の有力な刑事法学者が相次いで、日本国憲法を擁護する立場から、批判的見解を明らかにした。その結果、1966年に法制審議会刑事法特別部会の審議でこの規定の新設は否決され、改正刑法草案には機密探知罪の規定が設けられなかった。改正刑法草案は公務員の機密漏えい罪を残していたが、改正刑法草案に基づく刑法の全面改正は世論の支持を得られず、棚上げされている。秘密保護法制に対する先達の刑事法研究者たちの努力を想起し、刑事法研究者の立場から、今回の特定秘密保護法案に沈黙し、これを黙過することはできないと考え、この声明を出すことを決意した。
3.法案作成等の手続の異常性/まず、指摘しなければならないのは、立案作業自体が民主的な手続を経ているとは到底言えないことである。前記の有識者会議は、議事録が作成されず、会議の資料や討議内容も秘密扱いとなっており、公開された部分に関しても、内容が改ざんされている可能性が指摘されている。安倍内閣のもとで内閣官房情報調査室が行った立案作業に至っては、最初から最後まで、秘密裏に行われた。与党の国会議員ですら、法案の内容を知らされない状態が続いた。
大半のパブリック・コメントでは期間が1か月とされているのに、この法案ではわずかに2週間である。法案の重要性を考慮すると、国民の熟慮期間としては短すぎる。また、肝心の法文そのものが明示されず、法案の概要も短いものであって、立法事実、すなわち、なぜそのような立法が必要なのかに関して、説得力のある説明は行われていない。罰則の条文も明らかにされておらず、法定刑が示されていないものもあった。概要の説明自体が、文の構成の拙劣さも手伝って、きわめて分かりにくく、一般市民が検討するには適さない代物であった。このように、パブリック・コメントの手続そのものが不自然で、形だけのものとなっている。/2週間という短い期間にもかかわらず、パブリック・コメントへの応募は9万件を超え、そのうち8割近くが反対の意見であったと伝えられている。/政府案が固まった後も、何が特定秘密に該当するかに関して、担当大臣や与党の関係者の発言はぶれており、法案の問題性を逆に浮かび上がらせている。
4. 法案の軍事立法としての基本的性格/この法案は、端的に言えば、軍事立法としての性格を色濃く有しており、このことを直視することが、重要である。/自民党の2012年4月の憲法改正草案は、多くの点で日本国憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という憲法の三つの基本原理に対して、全面的な否定を行おうとしている。この草案は、平和主義に関しては、日本国憲法の前文および第9条の全面的な改定を企図しており、国防軍を創設するとともに、軍法会議を設置し、軍機保護の規定を置いている。自民党の2012年7月の「国家安全保障基本法案」は、集団的自衛権の行使を立法化するとともに、秘密保護のための措置を講じるとしている。特定秘密保護法は、こうした改憲構想の重要な柱として位置づけられている。特定秘密保護法案は、軍事立法としての基本的性格を持ち、9条改憲と直結するものであって、憲法の平和主義を否定するものといわざるを得ない。
安倍内閣は、特定秘密保護法案を国家安全保障基本法案、国家安全保障会議設置法案(日本版NSC)と不可分一体のものとして位置づけ、国家安全保障会議設置法の国会提出と合わせて特定秘密保護法案を国会に提出している。安倍内閣は一方で96条改憲を含む明文改憲の準備を進めつつ、それ以前にもこれら一連の法律の成立によって、9条の実質的な改憲を図ろうとしている。/ 法案はまた、プライバシー権、思想・信条の自由、国民主権の基礎にある国民の知る権利や取材・報道の自由に重大な脅威を与え、刑事裁判における適正手続の保障や学問の自由などを侵害する恐れがある。われわれは以下に述べる理由からこの法案の制定に強く反対する。
二 特定秘密保護法案における秘密指定の問題点/法案は、特定秘密とされる事項について、①防衛に関する事項、②外交に関する事項、③特定有害活動の防止に関する事項、④テロリズムの防止に関する事項の4分野を定めている。/2011年の報告書では、秘匿を要する秘密を①国の安全、②外交、③公共の安全および秩序の維持という3つの分野で、国家の存立や国の重大な利益に関わる秘密がこれに該当するとしていた。これに対して、法案は、国家の存立や国の重大な利益という文言は用いられず、端的に「我が国の安全保障」が立法の根拠とされている。これによって、法案が軍事立法としての性格をもつことがより鮮明となった。/そもそも「安全保障」という概念は、きわめて曖昧であり、内外の状況に依存してその具体的な内容は、大きく変化する。たとえば、法案の秘密指定に関連して、政府側から「原発事故」は秘密指定の対象とはならないとの見解も示されている。しかし、原発事故が、核防護の構造的な脆弱性と結びついている場合、安全性、脆弱性に関わる情報は、秘密事項とされる可能性が大きい。領土問題を含む国際紛争が激化し、武力行使を含む対応をする場合には、安全保障を根拠とした秘密指定は、大幅に拡大、強化されるであろう。沖縄の普天間基地の名護市辺野古への移転に関連して、防衛省は辺野古沖のジュゴンの調査を行ったが、その結果は秘密とされていると伝えられる。環境調査が、基地移設と関連づければ、秘密となることを示している。平時には何でもない情報が、戦時には公表されると「人心を惑わす」ものとして、秘密保護の対象とされることは、アジア太平洋戦争での経験が教えるところである。/ 特定秘密保護法の下では、違法な秘密も「秘密」とされて、保護の対象となる可能性が大きい。国民に対して嘘をついてきたことが明らかになるような情報は、「特定秘密」とされるおそれがある。自衛隊は、イラク戦争において、人道復興支援を名目に派遣され、派遣地域は非戦闘地域に限定されたはずであった。しかし、実際には、派遣地域で何度もロケット砲攻撃を受けていたこと、戦闘地域であったバグダッド空港を拠点に米軍の人員や軍事物資の輸送にも当たっていたことが後に明らかになった。法律に違反し、国会での答弁にも反する活動を行っている場合、そのような事実は特定秘密保護法のもとでは間違いなく秘密扱いとされ、それを明らかにする場合、重罰が科されることになろう。また、すでに大量に保有されているプルトニウムを利用して、万一政府が核兵器の開発を行おうとする場合、このような事実は、最も重要な秘密として扱われることになり、国民が知らないうちに日本は核兵器保有国となる。/報告書の「公共の安全および秩序の維持」の秘密指定に対しては、あまりに広範囲の警察情報が秘密とされるとの批判が強かった。こうした批判を受けて、法案は、この領域を③「特定有害活動の防止に関する事項」、④「テロリズムの防止に関する事項」に分けて規定しており、一見したところでは、一定の限定を付したようにみえる。しかし、そうすることで、この法案が軍事立法としての性格をもつことが一段と鮮明となった。「安全保障」と関連づけさえすれば、政府の行政機関の長によって数多くの多様な情報が秘密指定の対象となる。「特定有害活動」の定義が規定されているものの、特定秘密の取得行為が含まれるなどの理由から、結局その範囲はあいまいでいかようにも拡大しうる。時の政府が進めようとする危険な軍事政策に反対する人々の活動が「外国の利益を図る目的」で行われているという認定がなされ「特定有害活動」とされ、さらにはそれが「テロリズム」との関連があるかのような決めつけが横行する可能性が高い。/ 秘密指定は行政機関の長の権限とされており、指定の期間は一応5年以下であるが、有効期間は延長でき、内閣の承認があれば合算して30年を超えることができるとされており、半永久的な秘密扱いが可能となっている。政府は、指定等の統一的な運用基準を定めるとし、この基準を定め、またはこれを変更しようとするときは、有識者による意見聴取の制度を設けるとしている。有識者とは具体的には「我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者」とされている。しかし、事の性質上これまでにもまして有識者は政府寄りの人々によって占められることはほぼ間違いがない。また、これらの有識者にも適性評価をクリアすることが求められるものと予想される。しかも、意見聴取は一般的な運用基準の策定等に限定しており、個別の指定の適正さは審査の対象外とされる。これらのことから、この意見聴取制度は、歯止めとしてはほとんど機能しないと思われる。
 秘密主義は、官僚制の悪弊でもある。秘密は自己増殖を遂げる。その結果、特定秘密保護法の下で「特定秘密」は、「安全保障」を超えて、秘密事項が拡大するおそれが大きい。/秘密保護の構造をみると、適性評価を除くと、とりわけ、特定秘密保護法案は、戦前・戦時の国防保安法と類似している。国防保安法は、太平洋戦争の開始直前の1941年に制定された。この法律は、戦時体制の構築の重要な一環として制定され、言論統制など戦時のさまざまな統制に猛威を振るい、国民の知る権利を根こそぎ奪い、軍国主義の思想を社会の隅々まで浸透させるための武器となった。  
三 特定秘密保護法案は憲法の基本原理を否定する<以下、ほとんど省略-掲載者>
特定秘密保護法案は、憲法の基本原理である平和主義、国民主権(民主主義)および基本的人権の尊重を危うくする。/1.憲法の平和主義に反する/2.憲法の国民主権の原理に反する/3.憲法が保障する基本的人権を広範囲に侵害する/(1)プライバシー権を侵害する。/(2)報道・表現の自由を侵害する。/(3)学問の自由を危うくする。
四 特定秘密保護法は、刑法および刑事訴訟法の原則をゆがめる<同上>/1.罰則は罪刑法定主義に反し、憲法31条違反である。/2.特定秘密保護法は、刑事裁判における適正手続保障に違反する。/五 結論
            2013年11月6日

 呼びかけ人
 村井 敏邦(代表、一橋大学名誉教授、弁護士、日本刑法学会元理事長)/斉藤 豊治(代表、甲南大学名誉教授、弁護士)/浅田 和茂(立命館大学教授)/安達 光治(立命館大学教授)/海渡 雄一(弁護士、日本弁護士連合会前事務総長)/川崎 英明(関西学院大学教授)/葛野 尋之(一橋大学教授)/斎藤 司(龍谷大学准教授)/佐々木光明(神戸学院大学教授)/白取 祐司(北海道大学教授)/新屋 達之(大宮法科大学院教授)/武内 謙治(九州大学准教授)/土井 政和(九州大学教授)/豊崎 七絵(九州大学准教授)/中川 孝博(國學院大學教授)/新倉  修(青山学院大学教授)/渕野 貴生(立命館大学教授)/ 本庄 武(一橋大学准教授)/前田 朗(東京造形大学教授)/松宮 孝明(立命館大学教授)/三島 聡(大阪市立大学教授)/水谷 規男(大阪大学教授)/守屋 克彦(弁護士、元東北学院大学教授) 
           
 賛同者
 赤池一将(龍谷大学教授)、安里全勝(山口大学前教授)、雨宮敬博(宮崎産業経営大学講師)、甘利航司(國學院大學准教授)、荒川雅行(関西学院大学教授)、荒木伸怡(立教大学名誉教授)、伊賀興一(弁護士)、生田勝義(立命館大学名誉教授)、石塚伸一(龍谷大学教授)、石田倫識(愛知学院大学准教授)、伊藤睦(三重大学准教授)、稲田朗子(高知大学准教授)、指宿信(成城大学教授)、上田寛(立命館大学教授)、上田信太郎(岡山大学教授)、植田博(広島修道大学教授)、上野達彦(三重大学名誉教授)、内田博文(神戸学院大学教授・九州大学名誉教授)、内山真由美(佐賀大学准教授)、梅田豊(愛知学院大学教授)、浦 功(弁護士)、岡田行雄(熊本大学教授)、岡本勝(東北大学名誉教授)、大出良知(東京経済大学教授)、大藪志保子(久留米大学准教授)、大山弘(神戸学院大学教授)、小田中聰樹(東北大学名誉教授)、春日勉(神戸学院大学教授)、門田成人(広島大学教授)、金澤真理(大阪市立大学教授)、神山敏雄(岡山大学名誉教授)、嘉門優(立命館大学准教授)、川崎拓也(弁護士)、金尚均(龍谷大学教授)、京明(関西学院大学准教授)、楠本孝(三重短期大学教授)、黒川亨子(宇都宮大学専任講師)、小浦美保(岡山商科大学准教授)、古川原明子(龍谷大学准教授)、後藤昭(一橋大学教授)、酒井安行(青山学院大学教授)、坂本学史(神戸学院大学講師)、佐川友佳子(香川大学准教授)、櫻庭総(山口大学専任講師)、笹倉香奈(甲南大学准教授)、佐藤雅美(神戸学院大学教授)、島岡まな(大阪大学教授)、下村忠利(弁護士)、白井諭(大阪経済法科大学専任講師)、鈴木一郎(弁護士)、鈴木博康(九州国際大学准教授)、陶山二郎(茨木大学准教授)、関口和徳(愛媛大学准教授)、高内寿夫(國學院大學教授)、高倉新喜(山形大学准教授)、高田昭正(立命館大学教授)、高平奇恵(九州大学助教)、武田誠(國學院大學教授)、田中輝和(東北学院大学名誉教授)、田淵浩二(九州大学教授)、丹治初彦(弁護士、神戸学院大学名誉教授)、恒光徹(大阪市立大学教授)、寺中誠(東京経済大学非常勤講師)、徳永光(獨協大学教授)、冨田真(東北学院大学教授)、内藤大海(熊本大学准教授)、永井善之(金沢大学教授)、中島洋樹(関西大学准教授)、中島宏(鹿児島大学教授)、中村悠人(東京経済大学専任講師)、鯰越溢弘(創価大学教授、弁護士)、名和鐡郎(静岡大学名誉教授、獨協大学名誉教授)、西岡正樹(山形大学准教授)、新村繁文(福島大学教授)、羽倉佐知子(弁護士)、比嘉康光(立正大学名誉教授)、玄守道(龍谷大学准教授)、平井佐和子(西南学院大学准教授)、平川宗信(中京大学教授、名古屋大学名誉教授)、平田元(熊本大学教授)、福井厚(京都女子大学教授)、福島至(龍谷大学教授)、振津降行(金沢大学教授)、本田稔(立命館大学教授)、前田忠弘(甲南大学教授)、前野育三(関西学院大学名誉教授)、正木祐史(静岡大学教授)、松岡正章(弁護士・甲南大学名誉教授)、松倉治代(大阪市立大学准教授)、松本英俊(駒澤大学教授)、丸山泰弘(立正大学専任講師)、光藤景皎(大阪市立大学名誉教授)、緑大輔(北海道大学准教授)、三宅孝之(島根大学名誉教授)、宮本弘典(関東学院大学教授)、村岡啓一(一橋大学教授)、森尾亮(久留米大学教授)、森下弘(立命館大学教授、弁護士)、森久智江(立命館大学准教授)、森本益之(大阪大学名誉教授)、山下幸夫(弁護士)、山田直子(関西学院大学教授)、山名京子(関西大学教授)、吉村真性(九州国際大学准教授)
 <出所-ウェブ上>
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 ちなみに、弁護士および弁護士兼業の者を除く純粋の?大学教授たち(名誉教授だけの者も除く)の所属大学別の合計数を示すと、以下のとおりになる。
 立命館大9 龍谷大7 神戸学院大6 九州大5 一橋大4 國學院大4 大阪市大4 関西学院大4 熊本大3 北海道大2 山形大2 東京経済大2 金沢大2 愛知学院大2 大阪大2 関西大2 甲南大2 久留米大2 青山大1 広島大1 島根大1 岡山大1 香川大1 愛媛大1 宇都宮大1 岡山商科大1 福島大1 中京大1 東京大0 京都大0 東北大0 名古屋大0 千葉大0 筑波大0 早稲田大0 慶応大0 立教大0 同志社大0
 刑事法(刑法+刑事訴訟法と見られる)学者に限った数だが、関西の立命館大・龍谷大・神戸学院大が突出して多い観がある。刑事法学教員の各大学別数は分からないが、全員またはほとんどが上の声明に参加しているという<怖ろしい>大学もあるのではないか。一方、一橋大・國學院大を除いて首都圏の大学所属者が東京大・早稲田大・慶応大等が(11/06の時点では)ゼロであるなど少ないのも、なぜだろうかと興味深い。
 なお、濃くも薄くも<日本共産党系>と表現してよい刑事法学者がこれだけ多く日本の大学に<巣くっている>ことを、まともで良識ある日本国民はしっかりと認識しておくべきであることは言うまでもない。

1212/東京大学文学部社会学科はなぜ上野千鶴子を東京大学教授にしたのか。

 日本の大学の人事において、とくに歴史学や社会学を含む「社会系」については、その人物の「思想」・「イデオロギー」(それらによる所属団体、それらについての指導教授の「傾向」)がかなりの影響をもっているかを、この欄で何度か触れたことがある。マイナスになることもあれば、「左翼」/マルクス主義者・親マルクス主義者/日本共産党員であることがむしろプラスに働いて、これらを大学または学界における「処世の手段」として利用している者も少なくないのではないか、等をかつて記したことがある。   2007.07.06「大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?」   2009.02.06「<処世の手段>としての『左翼』/マルクス主義者/日本共産党員」。   2010.10.02「『共産党ではないが左翼』の社会・人文系学者たちの多さ」、など。

 長らく失念していたが、上野千鶴子の東京大学への招聘について、西尾幹二らが当時の東京大学文学部長と社会学科長に対して「公開質問状」を出していたことを思い出した。
 ネット上で、全文かどうかは不明だが見つけたので、再掲して紹介しておくことにする。なお、この質問状は西尾=八木・新・国民の油断(PHP、2005)に全文・経緯が掲載されているようだ。所持しているが、確認作業を節約させていただく。

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 「『上野千鶴子』問題については、東京大学の社会的責任を問う必要があると考えます。

 『女遊び』は、上野千鶴子氏が東京大学文学部教授会に迎え入れられる前、平安女学院短期大学教員の名で出された本で、東京大学の資格審査の際の参考文献に当然なっていたはずですから、同書と同書著者を受け入れた社会的責任が、東京大学文学部長と社会学科主任教授とにあると思います。もちろん、それに先立ち、文学部教授会全体にも社会的責任があります。

 憲法で『表現の自由』と『学問の自由』は保障されていますが、表現の『評価』は無差別ではありません。社会的影響力の大きい機関は『評価』に対し、当然、社会的責任を有しています。

 『女遊び』がどのような文献であるかは本書中で紹介したとおりで、必要なら古書でなお入手でき、再調査が可能でしょう。関係各位はご調査のうえ、判断や評価が適切であったか否かを、いまあらためてマスコミにおいて公表してほしい。

 もちろん機関としての判断決定の見直しは、いかに失敗であるとはいえ、もう時機を失しているでしょう。けれども、文学部所属の教授たち、ことに社会学科所属の関係者が上野千鶴子氏の『評価』の見直しを、己の学問的良心に照らして再度ここで行うことは可能です。私たちのこの提案に対し、開き直って彼女を礼賛するか、賛同して彼女を批判するか、いずれも自由ですが、沈黙するのは社会的無責任の表明と見なします。開き直って礼賛する人の論法は見物で、いまから楽しみにしています。

 なお、『女遊び』は学術的著作ではないので、審査対象からは外していたという見え透いた逃げ口上は慎んでいただきたい。業績の少ない若い学者の資格審査においては一般著作も参考にすべきで、それを怠ったとすれば、かえって問題です。

 まして『女遊び』は、上野氏のその後の反社会的思想と日本社会に及ぼしている悪魔的役割と切り離せない関係にあるだけに、見逃したという言い方は弁解としても成り立たないと思います。

 平成16年12月8日
  西尾幹二・八木秀次」

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 上野千鶴子は京都大学文学部・同大学院出身で上記の京都市内の女子短大や京都精華大学の教員だったが、突然に?東京大学文学部の助教授になった。
 上野の著「女遊び」とやらは読んだこともないが、上野のたった一つの学問的研究書と言えそうなのは同・家父長制と資本制-マルクス主義フェミニズムの地平-(岩波書店、1990)だろう。ここに見られるように、上野はたんなる「フェミニスト」またはフェミニズムの研究者ではない。「マルクス主義フェミニズムの地平」を目指して、ベルリンの壁崩壊・ソ連解体の頃以前に研究した文章をまとめて、1990年に、あの「岩波」から出版したのだった。<容日本共産党>の人物であることにもこの欄で言及したことがある。現在では東京大学を定年退官して優雅な「おひとりさまの老後」を過ごしているのだろうか。

 ところで、上の質問状からは不明だが、質問を受けた2004年度の東京大学文学部長ではなく、上野を採用することを決定した時点(1992年度と思われる)での東京大学文学部長は柴田翔であったと見られる。柴田翔とは、大学院学生だったとみられる1964年の芥川賞を「されどわれらが日々」で受けた人物。

 興味深いことに、西尾幹二と柴田翔(本名)はともに1935年の早生まれで(これは大江健三郎も同じ)、ともに東京大学独文学科で学んだ「学友」にあたる。そして、上野千鶴子問題を離れてさらに次のように思うのだ。

 失礼かもしれないが、西尾幹二は東京電気通信大学という理系の大学のドイツ語・ドイツ文学の教員だったのに対して、柴田翔は東京大学文学部教員として東京大学に残り、文学部長にまでなった。
 これまでの仕事・業績の全体を見ると、ドイツ関係に限ってすら、圧倒的に西尾幹二が柴田翔を凌駕しているのではないか。西尾幹二には「個人全集」すらある。柴田翔は芥川賞のおかげで世間的には著名かもしれないが、いったいいかほどのものを学界に残したのだろう。彼らの20歳代においても、東京電気通信大学と東京大学とでイメージされるような力量の差はなかったのではないかと思われる。しかるに、なぜ、柴田翔は東京大学に残り、その専任教員になれたのか。あくまで推測にはなるが、<思想傾向>がまったく無関係だったとは思われない。

 日本の大学というのは、「大学の自治」・「学問の自由」といった美名に隠れてはいるが、じつはかなり異様で奇妙な世界ではないかと感じている。  *後記(訂正)ー西尾幹二は1935年の「早生まれ」ではなく、同年7月生まれ。なお、大江はいわゆる<一浪>をしているので、結果として西尾と同年の入学のはずだ。

1139/今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012.07)から再び。

 〇先日の平泉澄とマルクス主義日本史学者・黒田俊雄への言及は、今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012.07)p.125以下の「平泉澄と権門体制論」に依ったものだった。今谷著のp.40以下の「平泉澄の皇国史観とアジール論」の中でも、同旨のことが次のように、より簡潔に述べられていた。
 「戦後、黒田俊雄さんが『権門体制論』〔略〕で、平泉の説と同じことをのべています。ところが黒田さんは平泉ののことをぜんぜんいわないのです。自分が発見したように『権門体制論』を立てるわけですが。しかし…エッセンスはすでに…〔平泉の1922年の著〕のなかではっきりとのべられている…。公家・寺社・武家の鼎立、つまり『権門体制論』の萌芽をすでに平泉はいっていたわけです。/黒田さんは平泉のことを知っているはずなのに出さないのですね。論文にも著書にもまったく引用していない。ちょっとアンフェアではないかと思う。いくら平泉の思想なり人柄が気にくわんといっても、業績は業績で生きているわけだから、それを学説として紹介すべきなのにまったく無視している。平泉の業績が戦後忘却されていたことを考慮すると、ある意味で悪質な剽窃といってもいいすぎではないと思う」(p.56)。
 この今谷の論考の初出は1995年で、黒田俊雄の死後のことだ(黒田の逝去は1993年)。黒田の現役のときにまたは生前に、黒田も読めるように公にしてほしかったものだ、という感じもする。
 今谷明は1942年生まれで(今年に70歳)、実質的には中心的な活躍の時期を過ぎているだろうが、上と似たようなことは、元京都大学教授の竹内洋や、<保守派>として産経新聞によく登場している元大阪大学教授の加地伸行についても感じなくはない。
 現役の国公立大学の教授だった時代に、社会主義・マルクス主義あるいは「左翼」(・<進歩派>)の論者・学者たちを明確に(学術的に)批判してきたのだろうか、という疑問が湧くのだが、実際にどうだったかはよくは知らない。
 上の点はともあれ、「左翼」・マルクス主義学者の黒田俊雄が学説の内容よりも<人・名前>でもって引用等に「差別」を持ち込んでいたという旨の指摘は興味深いし、他の「左翼」・マルクス主義学者たちも、今日でも、かつ分野を問わず、似たような、<学問>と言われる作業をしているのだろう、ということは既に書いた。
 
〇上掲の今谷明著の最初にある樺山紘一との座談会「対話・戦後の歴史研究の潮流をふりかえる」(初出、1994年)もなかなか面白い。
 次の三点が印象に残った。
 第一。樺山が、とくにスターリン批判以降、欧米では「わりあい早くから切れて、マルクス主義に距離をおいて古典のひとつとして捉えている」にもかかわらず、「日本の場合、マルクス主義が非常に根強く残ったのはなぜなんでしょう」、「日本の場合はずっと教条として残」った、「日本だけはどうしてなんでしょう」と質問または問題提起して、今谷明が反応している。かかる疑問は、私もまたかねてより強く持ってきた。欧米では<反共>・反マルクス主義は(知識人・インテリも含めて)ほとんど<常識>であり<教養>の一つであるのに、日本だけはなぜ?、という疑問だ。
 厳密には答えになっていないようだが、今谷は次のように語っている。
 ・「経済学で講壇マルキシズムが非常に根強かった」ことと、「労働運動と連動」していて、「革命運動に影響された」ということがあった。
 ・「例えば文革の実情が明らかになるまではマルクス主義はひとつのモデルだった」。「日本の場合はスターリン批判やハンガリー事件があったにもかかわらず、日本のマルクス主義はびくともしなかった」。「日本の歴史学」は非常に不幸で、「昭和四〇年代くらいまで引きずってきた」、「ある意味では非常に遅れた」、「その間の停滞は惜しい」(p.20-21)。
 このあと、今谷は1989年のベルリンの壁の崩壊まで「気づかなかった」と述べ、樺山は「まだ気がついていないようなところもあるような気がしますけど」と反応している(p.22)。この部分は、樺山の感覚の方が当たっているのではないか。
 第二。今谷が、「アカデミズムに全共闘は残らなかったですね。民青系が大学院に残ったので、その後アカデミズムはマルキシズムが強い―特に歴史学は強い」と述べている(p.25)。
 全共闘系はすべてマルクス主義者ではなかったかのごときニュアンスの発言もあるが、全共闘系の中にはマルクス主義者もいたはずだ。従って、上の発言は、大学院に残り、その後大学教員になっていったのは、ほとんど「民青系」、つまり日本共産党系の者たちだ、というように理解できる。そして、その傾向は「特に歴史学は強い」ということになる。
 マルクス主義にも講座派・労農派、日本共産党系・社会党系等々とあったはずなのだが、日本共産党系のそれが「アカデミズム」(「特に歴史学」)を支配した、という指摘は重要だろう。
 上記の第一点、日本におけるマルクス主義の影響力の残存も、日本共産党の組織的な残存と無関係ではない、いやむしろほとんど同じことの別表現だ、と考えられるだろう。
 第三。今谷が、不思議なのは「マルクス主義歴史学がどうだったかという、マルクス主義内部での…学問的な検討・批判が歴史学で行われていない」ことだ、「歴史学の内部で例えばロシアの革命はいったいなんだったのかという再検討すらされていません」、と述べている(p.30)。
 怖ろしい実態だ。おそらく、日本共産党の歴史観を疑い、それに挑戦することは、学界、とくに日本史学界では、ほとんど<タブー>なのだろう。その点ではすでに、「学問の自由」はほとんど放棄されているわけだ。
 日本共産党はマルクス・レーニン主義のことを(正しい)「社会科学」と呼んでいるらしい。
 歴史学に限らないことだが、日本共産党の諸理論自体を対象とする<社会科学>的研究が大規模に行われるようにならないと、日本の人文・社会系の「学問」やそれを行う中心的組織らしき「大学」(の人文・社会系学部)は、それぞれの名に値しないままであり続けるのではないか。

1132/左翼人士-憲法改正に反対する「講師団名簿」-2012.01.05。

 九条の会アピール賛同者による講師団名簿」    2012年1月5日現在

 愛敬浩二・名古屋大学大学院法学研究科教授 青木宏治・高知大学人文学部教授 青木正芳・弁護士 浅井薫・詩人 朝倉むつ子・早稲田大学教授 莇昭三・全日本民医連名誉会長 鰺坂真・関西大学名誉教授/全国革新懇代表世話人 足立英郎・大阪電気通信大学助教授 天谷和夫・元群馬大学教授 雨宮昭一・獨協大学教授 新井章・弁護士 新垣進・琉球大学名誉教授・日本科学者会議沖縄支部代表 新崎盛暉・沖縄大学名誉教授・沖縄平和市民連絡会代表世話人 安斎育郎・立命館大学名誉教授 安藤実・静岡大学名誉教授・谷山財政税制研究所理事 飯田泰雄・鹿児島大学名誉教授・かごしま九条の会代表幹事 家正治・姫路獨協大学教授 五十嵐仁・法政大学教授 池享・一橋大学教授 池田香代子・翻訳家 池辺晋一郎・作曲家 石川文洋・報道写真家 石川勇吉・真宗大谷派報恩寺住職/「愛知宗教者九条の会」 石坂啓・漫画家 石田雄・政治学研究者 石田法子・弁護士 石山久男・歴史教育者協議会元委員長 伊勢﨑賢治・東京外国語大学大学院教授 板井優・弁護士 一海知義・神戸大学名誉教授 伊東史朗・人形劇団ひとみ座代表 伊藤博義・宮城教育大学名誉教授 稲正樹・国際基督教大学教養学部教授(憲法)井上輝子・和光大学教授 井上美代・女性「九条の会」世話人・新日本婦人の会代表委員 岩井忠熊・立命館大学名誉教授 岩島久夫・国際政治軍事アナリスト 岩淵正明・弁護士 岩本智之・環境研究者 植田健男・名古屋大学大学院教授 上原公子・前国立市長 植松健一・島根大学法文学部助教授(憲法学) 内田雅敏・弁護士 浦田一郎・明治大学教授 浦田賢治・早稲田大学名誉教授 浦野東洋一・東京大学名誉教授 大井健地・広島市立大学芸術資料館長(教授) 大石芳野・写真家(フォトジャーナリスト) 大久保史郎・立命館大学教授(法科大学院) 大澤豊・映画監督 大塚英志・まんが原作者 大西広・京都大学教授 大原穣子・方言指導 大森正信・広島大学名誉教授 大脇雅子・弁護士 小川和也・北海道教育大学札幌校準教授 小山内美江子・脚本家 加藤一彦・東京経済大学現代法学部教授 加藤節・成蹊学園専務理事/成蹊大学教授 金子勝・立正大学法学部教授 亀山統一・日本科学者会議平和問題研究委員・大学教員 河相一成・東北大学名誉教授 川﨑英明・関西学院大学教授 川端純四郎・世界キリスト教協議会前中央委員 川辺久造・文学座 菊地明子・美術評論家連盟員/近代美術資料館館長 岸松江 弁護士 北澤洋子・国際問題評論家 北村実・早稲田大学名誉教授 紀藤正樹・弁護士 君島和彦・ソウル大学教授/元東京学芸大学教授 木村朗 鹿児島大学法文学部教授/日本平和学会理事 金城睦・弁護士/沖縄県憲法普及協会会長 草薙順一・弁護士 久冨善之・一橋大学名誉教授 國弘正雄・元参議院議員 窪島誠一郎・「信濃デッサン館」「無言館」館主・作家 栗田禎子・中東研究者 後藤安子・神戸山手大学現代社会学部教授 小沼通二・世界平和アピール七人委員会委員 小林勇・医学博士 小林武・愛知大学教授 小松浩・立命館大学法学部教授 小森香子・詩人 小森龍邦・新社会党委員長 早乙女勝元・作家 坂本進一郎・農業 佐々木光・東京音楽ペンクラブ 佐々木光明・神戸学院大学法学部教授 笹本潤・弁護士/日本国際法律家協会事務局長 佐相憲一・詩人 佐藤和夫・千葉大学教授 佐藤学・東京大学大学院教育学研究科教授 佐藤義雄・弁護士 猿田佐世・弁護士 沢田昭二・名古屋大学名誉教授 敷地あきら・新俳句人連盟会長 志田なや子・弁護士 柴垣和夫・東京大学/武蔵大学名誉教授 柴山恵美子・元名古屋市立女子短大教授/女性労働評論家 清水雅彦・日本体育大学准教授(憲法学) 下重暁子・作家 下田泰・弁護士 白藤博行・大学教員 新船海三郎・文芸評論家 杉井静子・弁護士 杉原泰雄・一橋大学名誉教授 杉本朗・弁護士 鈴木道彦・フランス文学者 鈴木良・近代史研究家/前立命館大学教授 住江憲勇・大阪府保険医協会理事長 隅野隆徳・専修大学名誉教授/憲法会議代表委員 関本立美・弁護士/全国・山梨革新懇代表世話人 髙嶋伸欣・琉球大学教授 髙田公子・新日本婦人の会会長 高遠菜穂子・イラク支援ボランティア 高橋哲哉・東京大学教授 田口富久治・名古屋大学名誉教授 武居利史・府中市美術館学芸員/美術評論家 竹内常一・国学院大学教員 武村二三夫・弁護士 田島隆・ひとミュージアム上野誠版画館館長 田島征彦・画家/絵本作家 多田一路・立命館大学法学部教員 田中孝彦・都留文科大学教授 俵義文・子どもと教科書全国ネット21事務局長/立正大学心理学部非常勤講師 丹野章・写真家 千葉眞・国際基督大学社会科学科教授(政治思想) 土山秀夫・長崎大学名誉教授(元長崎大学長) 暉峻淑子・埼玉大学名誉教授(経済学博士) 徳武敏夫・教科書問題研究家 戸田清・長崎大学助教授 土橋亨・映画監督 富森虔児・北海道大学名誉教授 富山和子・立正大学名誉教授 冨山洋子・日本消費者連盟運営委員長 鳥生忠佑・東京北法律事務所所長/日本民主法律家協会代表理事 永井憲一・法政大学名誉教授(憲法、教育法) 中川聰七郎・愛媛大学名誉教授 中川益夫・香川大学名誉教授 中北龍太郎・弁護士 中西新太郎・横浜市立大学教授 中平まみ・愛犬小説家 中村浩爾・元大阪経済法科大学教授 中村 博・日本子どもを守る会/絵本作家 永山利和・日本大学教員 なだいなだ・老人党提案者 成澤孝人・信州大学准教授 成見幸子・弁護士 新倉修・青山大学教授/日本国際法律家協会会長 西田勝・文芸評論家 二宮厚美・神戸大学教授 丹羽徹・大阪経済法科大学法学部教授 野口邦和・ 日本大学教員(専任講師) 萩原伸次郎・横浜国立大学教授 浜林正夫・一橋大学名誉教授 肥田泰・全日本民医連元会長 平岡敬・マスコミ九条の会よびかけ人/中国・地域づくり交流会会長/元広島市長 平野喜一郎・三重大学名誉教授 平山知子・弁護士 福島新吾・政治研究者 福島 瑞穂・社会民主党党首 不破哲三・日本共産党中央委員会前議長 保立道久・東京大学教授(歴史学) 堀尾輝久・東京大学名誉教授 堀川弘通・映画監督 牧野忠康・日本福祉大学教授 牧野富夫・日本大学名誉教授 益川敏英・科学者会議/学士院会員 増田正人・法政大学教授 松井芳郎・立命館大学法科大学院教授 松浦悟郎・日本カトリック正義と平和協議会会長 松川康夫・海洋学者 松野迅・ヴァイオリニスト 丸山重威・関東学院大学法学科教授 三上昭彦・明治大学(文学部)教授 三上満・教育子育て九条の会呼びかけ人 水尾比呂志・武蔵野美術大学名誉教授 宮崎定邦・弁護士 宮村光重・日本女子大学名誉教授 宮本弘典・関東学院大学教授 明珍美紀・毎日新聞記者(元新聞労連委員長) 三輪定宣・千葉大学名誉教授 本秀紀・名古屋大学教授 安川寿之輔・名古屋大学名誉教授 矢田部理・元参議院議員/新社会党前委員長 柳沢遊・慶応義塾大学教授 山内敏弘・一橋大学名誉教授 山口泰二・美術運動史研究会主宰 山崎朋子・女性史/ノンフィクション作家 山本俊正・関西学院大学教授/宗教主事 山本博史・農林水産9条の会事務局長/農民運動全国連合会参与 湯浅誠・「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」事務局長 湯川れい子・音楽評論/作詞 横田力・都留文科大学教授 吉田栄司・関西大学法学部教授 吉田千秋・岐阜大学教授(哲学) 吉田傑俊・法政大学教員 吉武輝子・著述業 吉原功・明治学院大学社会学部教授 吉原泰助・福島大学名誉教授/福島大学元学長 吉峯啓晴・弁護士 米田佐代子・女性史研究者 李恢成・文筆業 ワシオ・トシヒコ・美術評論家 和田進・神戸大学発達科学部教授 和田肇・名古屋大学法学研究科教授
 <出所-ネット内 → http://www.9-jo.jp/news/undou/20120105kousidan-meibo.pdf

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 若干のコメント
 ①憲法改正(とくに現九条2項削除)に反対する(国民に対する宣伝・研修のための「講師団」リスト(200名以上)まで用意されているが、改憲派にはこのような、過半数国民の支持を得るための<中心的活動家>団は用意されているのだろうか。②呼びかけ人のイメージとはやや異なり、「九条の会」運動の中核にいるのは日本共産党だ。全日本民医連・新日本婦人の会の役員を肩書とする者がいるのもこれを物語る。もっとも、不破哲三と並んで福島瑞穂や新社会党関係者もおり、これらが<容共>であることを示している。③その他の多くは日本共産党員か同党シンパと見られる。そうした<党派性>を隠すことに役立っているのは、<大学教授>・<弁護士>という肩書きだ。④憲法学者その他の法学者の名とともに、新書「靖国問題」の高橋哲哉・東京大学教授のほか、日本共産党から批判された(マルクスと丸山真男の間で生きたという、かつての党員学者の)田口富久治・名古屋大学名誉教授の名があることも目を惹く。田口が、日本共産党系の(少なくとも同党員・同党シンパが多いとみられる)こんなリストに掲載されるとは、老齢でもあり、何やら気の毒ですらある。

1082/宮脇淳子と西尾幹二全集と岡田英弘と。

 〇隔月刊・歴史通3月号(ワック)の巻頭随筆の最後に、「東洋史家」・宮脇淳子いわく、「…震災後、国家の指導的立場にある日本人の無能力と無責任さが暴露され続けているが、じつはNHKを筆頭とする大マスコミ、大学・学界も同じなのである」(p.3)。
 これはまったくそのとおりで、「大マスコミ」の中には民間放送局(テレビ局)のキー局(TBS等々)のみならず、それらの系列下にある各道府県の「地方」テレビ局も含むだろう。また、大手全国紙のみならず、産経新聞社が関係書物を出版していたが、通信社の配信情報に多くを(場合によっては社説まで)依存している「地方」新聞(社)についても言えるだろう。さらに、大手出版社も含めてよい。
 政治家や官僚の「無能力と無責任さ」を指弾しつつ、自分たちは「そこそこに」安住した現状に満足しているのではないか。「大学・学界」も含めて、「無能力と無責任さ」においては変わるところはないのではないか。一億総白痴・一億総無責任時代だ。それを忠実に反映しているのが現在の多くの政治家や官僚たちだ。
 新聞社や出版社はさておき、放送局(放送会社)は、「免許」制度に守られ、どんな不祥事を起こしても、いかほどに利潤が減少しても、「倒産」することはない(京都の近畿放送(ラジオ局)が戦後唯一の例外だっただろう)。この身分の安定さの点で、民放社員たちは公務員と何ら異ならない。
 NHK職員の「高給」ぶりが先立っての国会で話題になっていたが、公務員の給与の「高給」さをマスコミが批判しようとするならば、自らのテレビ局(上記のとおり中央・地方を含む)の会社員の平均年収(・基準年齢)をきちんと<情報公開>してからにしたらどうか。公務員(・その給与制度)に問題がないとは言わないが、民間テレビ局社員は「高給」取りではないのだろうか?? 自らの実態を語らずして、<官僚バッシング>をして大衆うけ?を狙うのは不誠実で卑劣な作法だ。
 民間放送(テレビ局)の実態については、まだ書きたいことが多いが、今回はこの程度に。
 〇「東洋史家」とは歴史学者の一種だろうから、日本史、とくに日本近現代史の研究者ほどではないにしても、マルクス主義または日本共産党の史観に影響を受けてきたと思われる。にもかかわらず、まだその著を読んだことはないものの、ワックが刊行の歴史雑誌に登場するとは珍しい、と感じてきた。
 その理由・背景が少しは理解できたのは、西尾幹二全集第1巻(第二回配本)(国書刊行会、2012)の「月報」を見ることによってだった。その中に岡田英弘が西尾に関する一文を寄せていて、「私の妻の宮脇淳子」という表現がある。岡田英弘の本もまた読んだことがないのだが(これは昨日にちらりと記したように、少なくとも共産党・中国のひどさは何となく想像可能だからだ)、産経新聞の「正論」欄にときどき執筆している岡田と宮脇淳子は夫婦なのだ。
 些細なことだが、宮脇はおそらく、学部を卒業してすぐに大学院生になったのではないのではないか。ひょっとすれば「東洋史」は別なのかもしれないし、大学や指導教師にもよるのかもしれないが、大まかにいって、日本の歴史学界(アカデミズム)には、入ってしまうと内部にいては分からないような「偏向」があると思われる。これは「歴史学」に限らない、日本の人文・社会科学分野の特徴でもあると思われるが、それはともかく、宮脇は必ずしもオーソドクスなキャリアを経てきているのではないだろうと推測される。
 ワックの出版物などに執筆していては、<白い羊の中の黒い羊>として仲間はずれにしてしまうのが日本の歴史学界なのではなかろうか(東洋史学は例外ならばけっこうなことだ)。
 そういえば、宮脇は「東洋史家」という肩書きだけで所属大学はないようだ。これが学界または大学の「思想(傾向)」差別によるものではなければよいのだが。個人的・家庭的な事情を詮索する意図はまったくない。
 しばしばあることだが、この欄に書き出すと、当初にイメージした内容と異なるものになってしまう。今回も同様だ。

1065/竹内洋・大学の下流化(2011)を半分程度読む。

 竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社)は加筆・補筆があるようだが、雑誌上で一度は呼んでいるので、未読だった、竹内洋・大学の下流化(NTT出版、2011.04)を<ウシロから>読み始める。小文をまとめたものなので、これでも差し支えないはずだ。
 ・大学の「下流化」は、用語法はともあれ、間違いないだろう。50%ほどの大学進学率があり、「一八万四千人」も大学教授がいれば(p.251。准教授・講師は除いた数字か?)、かつてと比べて「落ちる」のは自然だ。
 竹内によると、たんにこれらだけではなく、現代日本の「大衆化」圧力(正確には「フラット化」圧力)と、「ポピュリズム」かつ「官僚主義的」大学改革がこれを加速している(p.252)。
 ・詳細な紹介はしないが、「あの戦争へののめりこみ」についてのp.218のような理解・感想は単純すぎるのではないか、と気になる。

 東条英機に関する書物の「読書日記」中だ。他に正規の「書評」欄に書かれた書評・感想も掲載されているが、たいていこの種の小文は、「持ち上げ」がほとんどで、かりに感じていても、消極的・批判的な論評・感想は書かないものだろう。この点は読者としても留意が必要だ(と思いながら読む)。
 ・竹内は、「一九八〇年代」の滞英中に、「封建制=諸悪の根源」との理解(思い込み)に疑問をもつようになった、という(p.205)。
 1942年生まれのこの人は1961年に京都大学に入学して「社会科学系の講義」や「たくさんの本」に接したらしい。
 とすると、1980年代というのは、ほぼ40歳代前半になる。この年代の頃までは「封建制は悪の元凶」というイメージをもち続けていたことになる。
 批判するつもりはないし、よくありそうなことだが、しかし、興味深い。それまではおそらく、専門の「教育学」または「教育社会学」の研究のために、広い?視野を持てなかったのだろう。
 関連して、「四十代半ばくらいから、新聞などに寄稿する機会が増えてき」て、「愉快になった」との文章もある(p.220)。
 ・菅直人民主党内閣の参与だった松本健一の本の書評中で、「民主」は西洋近代の理念だがアジアこそ「共生」理念を作り出せるとの指摘に「目から鱗が落ちる」、と書いている(p.202)。
 アジアこそ「共生」理念を作り出せるとは、いったいいかなる意味で、どの程度の現実性があるのだろう。欧米をモデルにする必要はない程度ならば理解できるが、「目から鱗が落ちる」とまで表現するのは、いささか甘いのではなかろうか。
 ・今のところp.136までしか遡っておらず、ほぼ半分の読了にすぎない。
 その範囲内では、清水幾太郎に関する文(p.153-158)のほか、「うけねらい」という表現(p.204)が面白い。
 「うけねらい」とはかなり一般的に使える表現だ。その点で、記憶に残った。
 学者の中にだって、「うけねらい」で、目新しい<概念>や<命題>や<理論>を考え出している者もいるのではなかろうか。
 ニュー・アカとか言われた連中や、最近の内田樹(「日本辺境論」)などは、これにあたりそうな気がする。ついでに、内田樹は、珍奇な憲法九条護持論者。
 マスメディアもつまるところは「うけねらい」産業ではなかろうか。
 テレビの「視聴率」とは、どれだけ「うけ」たか、の指標だろう。それと、善悪・正邪などはまったくの関係がない。
 週刊誌記者・新聞記者もまた、(「特オチ」怖れに次いで)どれだけ<話題>になったか、を競っているのではないか。
 話題になればなるほど嬉しいという心情は、換言すると「うけて」くれると嬉しいという感情でもあろうが、そこには、善悪や正邪や、そして日本の将来にとってどのような意味をもつか等の観点はほとんど欠落しがちだ。
 週刊誌記者にとっては、「話題」になること、そして「売れる」ことがおそらくは最大の喜びなのだろう。読者が善悪や正邪・日本の行く末とは無関係の関心または好奇心でもって週刊誌を読む(買う)とすれば、そんなこととは無関係に「うけ」るかどうかも決まってしまう。読者大衆の下劣なあるいは醜い(と言えなくもない)関心・好奇心に対応しようとしているのが週刊誌だとすると、週刊誌も、週刊誌記事執筆記者も、とても立派な雑誌・人物とは言えない。その程度の自覚は、ひょっとすれば、怖ろしいことに、ほとんどの週刊誌関係者がすでにもっているのかもしれない(同じことは「テレビ局」関係者についても、もちろん言える)。
 この本については、機会があればまた続ける。
 

0951/日本の社会系学者・研究者を覆う「欧米的進歩主義(・合理主義)」・「社会主義幻想」。

 一 隔月刊の歴史通1月号(ワック)で、北村稔(立命大)がこう発言している。

 「不思議なのは、中国近現代の研究者の多くが、中国を批判的に研究しようとしないこと…。社会主義の中国が好きで中国研究者になったものだから、なんでも好意的に解釈をするし、いまだに社会主義は資本主義より一段高いと思い込んでいるふしがある。そういう社会主義幻想にとり憑かれたスタンスを変えて、…共産党独裁の凄まじい現実を見据えた客観的・批判的な研究をするべきだと思う…が、そういう人が少ない」(p.67)。

 これによると、「中国近現代」の専門的研究者はいるらしいが、「多くは」いまだに「社会主義幻想」に取り憑かれていて客観的・批判的研究をしていない。

 おそるべき「中国近現代(史)」学界の現実だ。

 これでは、中国の<社会主義的市場経済>なるものの、きちんとした経済学的、社会科学的(?)分析はおそらくほとんどないのだろう。

 極論すれば、日本共産党員研究者に、日本共産党それ自体(の歴史)についての、彼等のいう「社会科学」的研究を求めるようなものかもしれない。いつか、日本共産党自体の<科学的社会主義>の観点からする自己分析をせよ、と日本共産党員学者には言ってみたいものだ。いや、そんなものはなされている、各回の党大会報告、中央委員会報告がそれに当たる、と反論されるのだろうか。

 日本の「社会科学」的、歴史的、近現代史研究の対象の大きな欠損は、日本共産党それ自体だ。

 二 なぜか、佐伯啓思西部邁西尾幹二も、日本共産党についての具体的・詳細な批判はしていないようでもある。ついでに、櫻井よしこも。当たり前のことで指摘する必要はないということかもしれないが、日本「共産」党は、日本ではまだ立派な<公党>であり、党員のみならず知的職業者(大学教員等)に対して、なお隠然たる影響力を持っている。

 佐伯啓思は上の隔月刊歴史通1月号(ワック)の書評中で、こう書いている。

 自分のように「社会科学を専攻しており、しかも、その入口でマルクス主義だの戦後進歩主義だのという六〇年代末の思潮的風潮の洗礼を受けたとなると、なかなかひとつの思い込みから脱することは難しい。それは、西欧近代は、中世・封建制を打倒して、人間の普遍的な自由を打ち出したという歴史観…。そして、日本は、…明治に西欧的近代を導入し、…戦後に改めて自由と民主主義を確立した、あるいはアメリカから『配給』された、というものだ」(p.164)。

 佐伯啓思ですらこう書いているのだから、「マルクス主義だの戦後民主主義だのという」思潮の洗礼を受けた「社会科学」専攻者の中には、上にいう「思い込みから脱する」ことができていない者が<いまだに>相当の数にのぼるほどにいることが想定される。

 佐伯は「マルクス主義」・「戦後進歩主義」という語を使っているが、これらは北村のいう(私も使っている)「社会主義幻想」(にとり憑かれること)とほぼ同じか近い意味のはずだ。

 ソ連崩壊後ほぼ20年。日本共産党が後づけでソ連は「真の社会主義国」ではなかったと主張したことが影響しているのかどうか、欧州における冷戦終了・社会主義の敗北の明瞭化のあとでもなお、日本の社会系「学界」はこの有り様なのだ。

 佐伯啓思自身が、上のあとでこう続けている。

 今日ではかかる単純な図式を描いている者は「ほとんどいまい」が、「それでも、大半の研究者は、仮に意識しないとしても、漠然とこのような見取り図を脳裏に隠し持っている」(p.164)。

 こうした、<社会>系研究者を覆っている空気のような意識が(教科書等を通じて)高校・中学の社会系教師たちに影響を与えないはずはなく、彼らの講義を聴いて単位を取って卒業して公務員やマスコミ社員(・出版社員)等々になっていく学生たちに何らかの影響を与えていないはずもなく、かくして、「マルクス主義」・「戦後進歩主義」(→欧米的「自由と民主主義」)・「社会主義幻想」に何となくであれ覆われた日本は、ますます<衰亡していく>。

0904/「共産党ではないが左翼」の社会・人文系学者たちの多さ-月刊正論11月号・竹内洋を読む。

 月刊正論(産経新聞社)連載の竹内洋「革新幻想の戦後史」は月刊諸君!(文藝春秋)から「続」となって月刊正論に移ってしばらくはもたもたしている感もあったが、先月号あたりから再び(私には)面白くなった。
 1.月刊正論11月号の竹内洋・同上は丸山真男批判(の一部。竹内には丸山真男に関する新書一冊がすでにある)。その基本的趣旨自体も興味深く、1970年代以降の丸山真男の「衰え」を再確認させる。
 丸山真男については著書・全集の一部をじかに読んだことがあり、この欄でも言及した。
 このブログサイトでの「丸山真男」を検索してみると、なんと最初から13個までが「秋月瑛二」によるこの欄がヒットした!。もう忘れたが、丸山真男を主題としたものを20回は書いただろう。

 そして、丸山真男を積極的・好意的に評価する本が今日でも新たになお出ていることも思い出して、あらゆる戦線(?)での<左翼の執拗さ>をあらためて感じる。
 2.さて、p.282-3のデータ(資料)はきわめて興味深いもので、私の推測ともほとんど合致している。
 p.282の表は、ごく大まかに一言でいうと、1973年時点の支持政党調査では、「日本人平均」では自民党が一位で二位・社会党の1.5倍ほどの支持率があるのに対して、「大学教師」の支持政党の一位は社会党、二位は民社党、三位は自民党で(「特になし」を除く)、社会党支持が自民党支持の二倍以上ある、ということだ。
 竹内の関心に即して言うと、「大学」の世界では、(1980年代前半の丸山真男による叙述とは異なり)「進歩的文化人」は「多数派」だった、ということが明瞭に判る。

 これは1973年の数字だが、現在でも、「大学」教員の世界では(「進歩的文化人」という語は今日的用語としてはあまり使われなくなっていると見られるが)、「左翼」または「何となく左翼」が(とくに社会・人文系では)<圧倒的多数派>を形成しているのではないか。
 p.283の表が示す数字の方がさらに興味深い。
 1983年時点での「保守・中間・革新」意識の調査結果によると(出典の再引用は上ととともに省略)、「中間」を割愛して「保守」対「革新」の数字だけ示せば、「一般国民」が34対24、「財界」が74対10、「官僚」が56対23であるのに対して、「マスコミ」(人)は34対46、「学者・文化人」は31対51、ついでに「市民運動」(家)は14対81、「学生」は42対46だった、という。
 27年前の数字だが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」における「革新」または<左翼>性向が明瞭に数字化されている。
 そしてまた、今日でも、その傾向は変わらないものと思われる。

 70年代(とくに前半または初頭までの)「革新」ムードは全体としては80年代には消滅または弱体化していたはずだが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」においては異なることが上の資料からは明らかだ。そしてまた、ソ連が解体し北朝鮮や中国の実態がより明らかになってきている現在でもまた、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」の<政治意識>=<左翼・なんとなく左翼>性は(驚くべきことに、また執拗にも)大して変化していないのではなかろうか。
 ここでの「左翼」とは、いつかも書いたように、<容共>志向、換言すると、<反共>の立場に立たない(立てない)政治的意識・主張・見解のことを意味させている。
 3.そういう「左翼」的雰囲気の「学者・文化人」や「マスコミ」(人)の世界において、日本共産党支持またはコミュニズム支持を少なくとも明確に示しはせず、むしろそれとは距離を置きつつも、「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と評されないことが最も<安全で・安心な>態度=処世術なのだろう。
 p.283に引用されている、2009年の某雑誌での伊藤隆(東京大学名誉教授)の次の言葉は、十分に納得がいく。
 竹内洋が使った「共産党員ではないけど、いつも共産党員に気兼ねをしている学者」という表現につなげて、伊藤隆は言う。
 「気兼ね学者は大学の人事を握っていて、リベラルということで良心が満たされる気分になると同時に利益もある…。(一文略-秋月) 学者にとって一番理想なのは、東大教授で、共産党ではないが左翼である。そして、ジャーナリズムにどんどん登場するということでしょう」。

 日本共産党を支持はしないが決して「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と呼ばれたくはない、という気分の多数の(とくに社会・人文系)「学者・文化人」さまには、上のような言葉も傾聴していただきたいものだ。
 また、「共産党ではないが左翼」で、「ジャーナリズムにどんどん登場」して(世間的)知名度も獲得したいという「東大教授」は、現に多数存在するのではないか(それを現実化している「東大教授」の名を具体的に何人かは挙げることができる)。
 くり返せば、「共産党ではないが左翼」で、学界内部でも、共産党そのものに<染まっている>わけではないが決して<反共>の立場に立たない(少なくともそれを明言しない=日本共産党に「気兼ね」する)大学教員たち、そして東京大学教授たちは、世間一般の相場に比べれば著しく多い、と想定される。現在の日本の<異常さ>はこんなところにもある。あるいは、こんなところにも起因している。 

0902/中川剛・日本国憲法への質問状(PHP、1986)①。

 中川剛・日本国憲法への質問状(PHP、1986)から一部抜粋して紹介する。
 中川剛-京都大学法学部卒、広島大学法学部教授。専攻-憲法・行政法・行政学(上掲書による。1986年時点)。
 憲法の素人ではなく、専門家・憲法研究者の一人だ。
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 一 プロローグ
 ・「その限りで」日本国民が新憲法を受け入れたのも当然だが「問題がなかったわけではない」。第一に「基本法である憲法が、継受法である点では〔大日本帝国憲法と〕少しも変わらない」。範が「ヨーロッパの周辺からアメリカの周辺に変転しただけ」で、「日本の固有の法感覚が発展するにはいたっていない」。さらに、「法典自体の問題としては、戦勝国の価値観と都合が色濃く反映されている」。それが妨げになって「日本人固有の知性・感性が発揮されにくくなっている」(p.9)。
 ・「欧米が普遍的な尺度とならなくなった現在では、もはや継受法から固有法への長い歩みのなかで憲法をとらえる視点が不可欠」ではないか(p.10)。
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 まだほんの一部。だが、依然として「欧米」を「普遍的な尺度」としているかに見える現在の日本の憲法学界からすると、中川剛は、相当に勇気のある、独自の見解の主張者ではないか。  

0877/外国人参政権問題-あらためてその6・憲法学界⑤。

 大石眞・憲法講義Ⅰ(有斐閣、2004)p.64は「いわゆる定住外国人の参政権」という項を立てて、次のように書く。
 <「国政参加の基礎を国籍に求めることは各国共通の理解」でもあり、「不当」ではない。外国人参政権を認めれば「国民の自己決定の原則に反することにもなるという原理的な問題を抱え込む」だろう。>
 このあと、選挙権・被選挙権者を国民に限る公職選挙法が違憲だとは考え難い旨を述べ、地方参政権に関する最高裁平成07.02.28判決等を参照要求している。
 「国民の自己決定の原則」に言及していることが関心を惹く。また、上の後半からは、いわゆる<要請説>を支持していないことが明らかで、辻村みよ子浦部法穂とは異なる。但し、<許容説>をどう評価しているかは明瞭でない(上の本の新版があるのかもしれないが、所持していない)。
 大石眞(京都大学、58歳)は読売新聞5/3付の「憲法記念日座談会」で、対談者三名の一人として「外国人参政権」問題については、こう発言している。 
 ・最高裁平成07.02.28判決の「傍論では消極的言及にとどま」る。「そこが一つの根拠になって物事が進むのは、あまり良くない」。「国籍問題を軽く考える」のにも「違和感を持つ」。「帰化という正当な道があるのだから、正論で行くべきだ」。憲法95条は外国人地方参政権肯定との議論に直結しない。現在は「地方の権限を強める方向でもあり、そこに国籍を持たない者が大勢参加することになっていいのか、根本的な疑問がある」。
 所謂<許容説>に対する理論的(憲法解釈論的)立場は明確ではなおないと言えるが、少なくとも立法政策論(法律レベルでの政策的議論)としては外国人地方参政権付与に否定的であることは明らかだ。読売紙上で、こう明確に断じている現役の憲法学者がいることは大いなる救いで、少しは憲法学界の現況に安心しもする。
 大石眞は、上の論点以外に次のようなことも言っている。
 ・「日本国憲法は1920年代のモデルで、色々なところに限界がきている…」。
 ・9条は「個別的自衛権のことを規定」している。「集団的自衛権」は国連憲章・日米安保条約という、現行憲法とは「違う位相」で、「観念ができている」。政府が「個別的自衛権」を持ち出して「集団的自衛権」を否定するのは「議論にはズレがある」。また、「集団的自衛権を認めることとそれを行使するかは別問題」で、「本当に行使するべきかどうかは政治判断そのもの」なので「内閣、国会で大いに議論すればよい」。
 他にもあるが省略。
 日本共産党および同党シンパ憲法学者は、九条をめぐる問題のうち、文言・条文の改正問題よりも焦眉の課題は<集団的自衛権肯定>への解釈変更を阻止することだと考えているようでもあるので、上の大石眞発言はそれに対抗するものでもあり、この人が日本共産党シンパでないことはおそらく歴然としている。少しは憲法学界の現況に安心しもする。

0873/山内昌之・歴史の作法(文春新書、2003)中の「アカデミズム」。

 山内昌之・歴史の作法-人間・社会・国家(文春新書、2003)を何となく捲っていると、面白い叙述に出くわした。
 「一般(純粋)歴史学」・<歴史学者>の存在意義にかかわるような文章だが、社会・人文系の<学>・<学者(研究者)>にも一般にあてはまりそうだ。
 「アカデミズムとは、職人的な『掘鑿』に頼りながら『専門家』であることを根拠に、現在と過去から超然とし、人びとや社会に向かって客観的な評価を下せると妙な自信をもたせる制度といえるかもしれません。『権力』の場とは別に『権威』の場ができたわけです。反『権力』を自負する学者たちが専門家としての『権威』を自明のものとし、自分たちの閉ざされた世界で『権力』を誇示する現状に無自覚なのは、あまりにもアカデミズムの環境にどっぷりと浸っているからでしょう。/…によれば、『専門家』であることは『公平』であるという事実を意味せず『仕事に対して報酬を受けている』だけの事実を意味するとのことです」(p.164-5)。
 アカデミズムとは耳慣れない言葉だが、要するに、<学問・学者の世界>またはそれを<世俗(俗世間)>よりも貴重で、超然として優越したものとする考え方(「主義」)もしくはそのような考え方にもとづく「制度」を指すものと思われる。
 そのような<アカデミズム>からの「人びとや社会」に対する影響力は、かつてと比べると格段に落ちているだろう。だが、それにもかかわらず、上に使われている表現を借りれば、「『専門家』であることを根拠に、現在と過去から超然とし、人びとや社会に向かって客観的な評価を下せると妙な自信」をもっている学者・研究者(要するに、大学教授たち。但し、社会・人文系を念頭に置いている)はなおも多いのではないか。
 また、閉ざされた<アカデミズム>内部での「権威」が「権力」をもちうることは、教育学の分野に関する竹内洋の(生々しい?)叙述でも明らかだろうと思われるが、その「権威」・「権力」は必ずしも一般社会(俗世間)の、または<客観的>な評価にもとづくわけではないことを知らず、その「権威」・「権力」的なものに(無意識にではあれ)追従し、依存して生きて(学問研究なるものをして)いる学者・研究者も少なくはないと思われる。
 やはり指摘しておくべき第一は、日本の<アカデミズム>(社会・人文系)内部での「権威」・「権力」は(現在でもなお)コミュニズム・マルクス主義または親コミュニズム・親マルクス主義、あるいは少なくとも反コミュニズム・反マルクス主義=<反共>ではないという意味で「左翼的」な彩りをもっていることが多いと想定されることで、意識的・自覚的にではなくとも、学界内部に入った者は自然に少なくとも「左翼的」になってしまうという仕組み・制度があるのではないか、ということだろう。
 そして、そのような「左翼的」学者・研究者(大学教授たち)によって教育され指導を受けた少なくない者たちが例えば高校・中学等の教師になり、官僚になり、マスメディア等へと輩出されてきている、ということに思いを馳せる必要があろう。
 現在の民主党政権の誕生とその後の愚劣さ(または現実感覚から奇妙に遊離していること)は、戦後のそのような「左翼的」学問・研究にもとづく教育の<なれの果て>でもあるように考えられる。
 第二に、かつてほどの影響力はなくとも、マスメディアあるいは政治の世界は何らかの目的をもって「学者・研究者(大学教授たち)」を利用しようとすることがあり、現にそうしている。そして、上に書かれている(または示唆されている)ように、「学者・研究者(大学教授たち)」・「専門家」たちの発言・コメント類は決して「公平」でも「中立的」でもない、ということだ。言うまでもなく、朝日新聞に多用されているような<識者コメント>は信頼できない。そうでなくとも、大学教授・何らかの専門家(社会系・人文系)というだけで社会的な権威があるものと見なしてはいけない。
 以上のとくに第二は、当たり前のことを書いてしまったようだ。

0857/週刊現代4/03号(講談社)の山口二郎の言葉。

 サピオ=小学館=週刊ポスト、かつての月刊現代=講談社=週刊現代、という対比もあって、週刊ポストよりも週刊現代の方がより「左翼的」という印象があった。だが、最近は、表紙からの印象のかぎりでは、週刊現代の方が<反民主党>・<民主党批判>の立場を強く出しているようだ。
 もっとも、NHKを含むマスメディアの<体制派>は、民主党を批判しても、決してかつての自民党政権時代には戻らせない(とくに安倍晋三「右派」政権の復活は許さない)という強い信念・姿勢をもって報道しているように見える。
 上の点は別にまた書くとして、週刊現代4/03号(講談社)。
 山口二郎「私は悲しい。鳩山さん、あなたは何がしたかったのですか」(p.40以下)がある。
 「民主党政権・生みの親」とされる北海道大学教授が民主党・鳩山政権を辛口で批判している。
 批判はよいが、「…25%削減を打ち出した温暖化対策は鮮烈だったし、八ツ場ダムの凍結も画期的でした」(p.41)、通常国会冒頭の鳩山の「施政方針演説は、まことに立派なものでした。官僚の作文ではない、血の通った言葉だった」(p.43)とか書いているのだから、山口二郎はまだ大甘の、頭のピントが外れた人だと思われる。「小沢さんは日本政治を最大の功労者の一人であると、今でも信じています」とも言う(p.42)。
 「八ツ場ダムの凍結」はたまたま民主党の選挙用「マニフェスト」に具体名が挙げられていただけのことで、特定の案件について、いかなる基準で公共工事の凍結・継続が決められたか、およびその判断過程は明らかにされていない、と思われる。そのどこが「画期的」なのか?
 「最初の民主党ができた頃から、民主党政権を作ることが夢でした」と真面目に(?)語っている山口の心理・精神構造には関心が湧く。こんな人がいるからこそ、マスメディア(のほとんど)も安心して自民党叩き・民主党称揚の報道をしたのだろう。
 山口二郎は、北海道大学関係者にとって、<恥>なのか、それとも<誇り>なのか。
 その山口も、まともなことも言っている。
 ・民主党の「政治主導」の諸措置により「政務三役だけやたらと忙しく、他の議員はヒマ…」、「格好だけ政治家が前へ出て…その実、まともな政策論議ができていない」(p.41)。
 ・小沢一郎が「幹事長室に陣取って……自民党的な利益誘導政治をしている」(p.42)。
 これらは、<保守>派評論家とされ、国家基本問題研究所理事の屋山太郎よりもまっとうだ。屋山の判断力が、山口二郎・旧社会党ブレインよりも劣っているとは、情けない。

0733/週刊東洋経済6/06号(東洋経済新報社)で野口悠紀雄が書くこと-経済思潮ではなく「技術」?

 週刊東洋経済6/06号(東洋経済新報社)には、野口悠紀雄の<変貌をとげた世界経済/変われなかったニッポン>との連載がある。
 1.このタイトル自体が、「世界経済」に対する「日本」の拙劣さを示唆しているようだが、それで適切なのかどうか。
 2.上の号で野口悠紀雄は、80年代、90年代につき、次のように簡単にまとめる(p.107)。
 <80年代、「経済思潮上の大きな変化」があり、イギリスでサッチャーが、アメリカでレーガンが「国営企業の民営化、規制緩和、税制改革」をし、日本でも「民営化」がなされた。「社会主義経済」が崩壊し「市場経済への道」を進んだ。『新自由主義』との考えがそれまでの「福祉国家」・「ケインズ主義」・「社会主義」等に取って代わった。
 このことが、①「90年代の繁栄の原因」であり、かつ②「いま生じている経済危機はその路線の破綻」による、とされている。
 たしかに変化の「大きな原因」になっただろうが、それだけではなく、主としてITの面で生じたもあった。
 「技術上の変化」と「経済政策の思潮上の変化」とどちらが重要だったか? 私(野口)は「技術」だと思う。但し、新しい「情報技術」は「分権」・「自由」と密接に結びつき、さらに「アメリカ社会の成り立ち」とも密接に関連している。>
 ネオリベ・ネオコンといった経済政策(・政治)上の「思潮」ではなく、野口は<IT等の「情報技術」の変化・革新>を重視している。
 はてはて、この議論はどの程度的適切なのだろうか。
 3 野口はこうも書いている。-「日本では、『進歩=マルクス主義、保守=自由主義』という枠組みが80年代にもまだ強固に残っていた」。「マルクス経済学者の力は、大学の人文系学部では圧倒的に強かったし、論壇も『進歩的文化人』に支配されていた」。「しかし、…。日本社会党が消滅し、マルクス主義者の影響力は、大学でも論壇でも顕著に低下した」(p.106)。
 野口悠紀雄が例えばいずれかの政治組織に属しているようなマルクス主義者でないことはほぼ明らかで、その野口が上のような<変化>を1980年代(末?)に求めていることに止目しておきたい。その後、つまりほぼ1990年代から今日まで、かつての<マルクス経済学者たちは何をしてきたのだろう、あるいは何をしているのだろう。

0728/ルソーの「人生」を小林善彦は適切に叙述しているか。

 <有名な>思想家、フランスのルソー(1712~1778)について、「思想」どころか、その「人生」についても、叙述又は見方が異なる。
 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000)の谷沢によると、ルソーは、①「生まれてすぐに母に死なれ、10歳のときに父に棄てられた」、②「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、③「子どもが五人いた」が、「全員を棄ててしまった」(p.218)。
 中央公論新社の中公クラシックスの中のルソー・人間不平等起源論/社会契約論(2005)の訳者の一人・小林善彦は、この著のはじめに「テクストを読む前に」と題する文章を書いて、ルソーの「人生」をたどっている。
 小林は、上の①のうち母の死亡については、「生まれて十日後にシュザンヌ〔母親〕が死ぬと…」と言及する(p.3)。触れてはいるが、父親の行動に関する一文に付随させているだけで、成育のための「家庭」環境とは結びつけていない。この文章の最初の見出しは「成育環境」だが、まず小林が語っているのは、両親ともに「市民の階級の人」であり、これが「ルソーの思想形成にひじょうに大きな影響を及ぼしたと思われる」、ということだ(p.2)。少なくとも、生後10日後に死去した「市民の階級の」母親がルソーの「思想」に直接に影響を与えることはできなかったことは明らかなのだが。
 上の①のうち「一〇歳のときに父に棄てられた」については、明確な言及はない。もっとも、巻末の「年譜」には、1722年に父親が(ルソーの生地)ジュネーヴを「出奔」し、ルソーが伯父、次いで「新教の牧師」に「預けられた」、とあるので(p.413-4)、父親と生別していることは分かる。
 小林善彦は、父親は仕事(時計職人)に熱心ではなかったが、「ジュネーヴの時計職人」は特権的職業で比較的に余暇もあり「しばしば教養があって」市政等に関心をもち、蔵書も多かった、という。これは「ジュネーヴの時計職人」の話のはずだが、小林は「というわけで、幼い…ルソーは父親から本を読むことを習った」と書く(p.4-5)。これが事実であるとしても、明記はされていないが、父親が「出奔」するルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。
 上の②の「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、というのは事実だろうと考えられる。しかし、小林善彦はこれを明記はしておらず、上記のように「教養ある」「市民」の一人に「本を読むことを習った」という叙述の仕方をしている。さらに、「われわれにはおどろきであるが、小説を全部読んでしまうと、ルソー父子は堅い内容の本にとりかかった。それは…新教の牧師の蔵書」だった、とも書いている(p.5)。だが、上記のとおり、これもあくまでルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。教育熱心の父親が、10歳の男児と離れて(-を残して)別の都市へ「出奔」するだろうか、とも思うが。10歳のときまでに「新教の牧師の蔵書」を一部にせよ読んでいたのが事実だとすると、たしかに「われわれにはおどろき」かもしれない。
 上の③の<子棄て>および彼らの母親である妻又は愛人を<棄てた>ことについては、これらを別の何かで読んだことはあるが、小林善彦は一切触れていない
 小林善彦はルソーの人間不平等起源論・社会契約論について肯定的・積極的に評価することも書いている。そして、そしてルソーの「人生」についても、あえて<悪い>(少なくともその印象を与える)事柄は知っていても、書かなかったのではないか。
 小林も(表現の仕方は別として)事実としては否定しないだろうと思われる、「生まれてすぐに母に死なれ、一〇歳のときに父に棄てられた」、「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、ということは、谷沢永一も指摘するように、ルソーのその後の「思想」と無関係ではないのではないか。
 小林善彦は1927年生、東京大学文学部仏文科卒、東京大学教養学部教授等歴任。ルソーに関する<権威>の一人とされているかもしれない。そして、こういう人に、同じ学界の者またはルソー研究者が、ここで書いたような程度の<皮肉>を加えることすら困難なのかもしれない。
 アカデミズム(大学世界)が<真実>・<正義>を追求しているいうのは、少なくとも社会系・人文系については、真っ赤なウソだ。あるいは、彼らに独特の(彼らにのみ通用する)<正義>の追求はしているかもしれないが。

0681/中西輝政「歴史は誰のものか」(月刊WiLL別冊・歴史通№1、2009)・その2。

 一 月刊WiLL別冊の歴史通№1(ワック、2009春)の中西輝政「歴史は誰のものか」p.62以下は、「歴史家利権」に触れたあと、つぎのように書く。
 ・「日本の歴史学界では歴史家がいわゆる一つの史観(とくに東京裁判史観)に異を唱えると、ものすごい社会的制裁が待っている」。
 ・その「制裁」の「強さ」は「まさに想像を絶するほどのもので」、「強烈な形でその人に不利益を与える『パージの構造』が今も厳としてある」。
 ・「大学に講師・助教授として就職したいという若い研究者がいても、彼らがある歴史観、つまり東京裁判史観から乖離してしまうと、三十代でほとんどは抹殺されてしま」う
 ・「決して誇張ではなく、集団間に『手配書』みたいなものが廻るような世界がある」。「この世界の広がりは、出版界やマスコミにもつながっている」。
 ・「だから若いうちは…、自分の本当の史観や思想を隠して『就職用論文』を書き続ける学者が大勢います。そして、大半はいつしか『習い性』となる」。
 ・「歴史家が、ある歴史観に異を唱えることが、日本では…大きな勇気が必要」で、「人生の上でも大きな社会的損失を覚悟しないとできない」。「学者や作家としての個人的な栄達や利益、そういうものを犠牲にしないといけない」。
 ・「歴史家」にとっての<三つの敵>はつぎだ。①「自己の栄達」。これを求めすぎると「学問や知的探求心をいつ頃からか犠牲にしてしまう」。②「政治的考慮」。例えば「日米の友好」への影響を恐れて、研究の「姿勢や結論を大きく自己規制する人がとても多いように思う」。欧米の歴史家は「愛国心」をもち「自国にとって悪い事」を言わないようにしないと「黒い羊」になることを恐れている。日本では逆だ。③「大勢に順応しようという諦念」あるいは「勇気の欠如」。
 以上が、「すさまじい」ことを書いている、と感じた部分だ。最後の三点は、結局は同じことに帰一しそうだ。
 二 日本には「学問の自由」も「表現・出版の自由」もあるはずだが、特定の史観=「東京裁判史観」から乖離すると歴史学者(研究者)として大学等で生きていくことがむつかしい、それに異を唱えるには「大きな勇気」が要ることがあからさまに語られている。ある程度は感じ、ある程度は知ってもいたことだが、「東京裁判史観」が日本の歴史(とくに近現代史)学界を支配してしまっているわけだ。田母神俊雄論文「事件」に際して田母神を擁護した学者(研究者)はいったい誰々だったのか(いたのか?)を思い出しても、納得するし、また慄然とする。
 誰でも自分の<生活>、ついで<名誉>を大切にしたいと思うだろう。だが、それらを大切にしようとすることと<真実(・事実)の追究>・<真実・事実の表現>が矛盾し、後者をねじ曲げなければならないようでは、いったいそれは「学問(研究)」の名に値するのか。
 「学問(研究)」を本当はしているつもりはなく広くは「社会貢献」つもりで、「学問」の名を騙りつつ(「大学教授」の肩書きを利用して)特定の事実や特定の主張に拘泥し続けることを自己の「政治活動」、「政治」的使命と考えている日本共産党員その他の「組織」員たる「学者」(大学教授)もいるに違いない。また、そのような「組織」員でなくとも、やはり特定の史観を維持し、<復古的・反動的・軍国主義>史観に反対することが自己の「良心」だと考えている(かつての「進歩的」知識人のような)学者も多いのだろう。
 慄然とする思いに駆られるし、<左翼ファシズム>への恐怖を感じる。
 ところで、中西輝政は上のことを「歴史」学(者)について語っているが、一部に「出版界やマスコミ」も同様だ旨の指摘もしている。
 さらに、「歴史」学に限らず広く社会系・人文系学問分野で上記のようなことは、ある程度は(その程度は「圧倒的に」から「多少は」までの広がりがありうるが)あてはまっているように思われる。これこそがさらに輪をかけて、怖ろしいことだ。
 「教育学」の分野については竹内洋に上のことを示唆する文章がある。「政治学」について中西輝政は同旨を含むことを語っていた。
 三 明確な文章を読んだことはないが、他の社会学、法学等々についてもあてはまるのではないか。法学のうちとくに<憲法学>はそうではないだろうか。
 憲法学の場合は、「東京裁判史観」というよりも、その史観にもとづいて制定された日本国憲法(その「前文」は東京裁判史観が色濃い)への<信奉>の有無が「羊」たちを「白」か「黒」かに分けているのだろう。日本国憲法の「進歩的・民主的・平和的」理念に反対して(と護憲者は理解し)改憲を唱えるような「黒い羊」は、学界のごく少数派で、居心地がきわめて悪いのではなかろうか。
 日本国憲法が最良・至上のものではないことは誰が考えても明かなことで、<よりよい憲法>を目指す議論がまともに展開されてよい筈だ。<平等>原則を普遍化し、天皇・皇族にも「人権」を、とか言って、天皇条項の削除を正面から提案する憲法学者が現れても本来は不思議ではないと思われる。だが、現憲法を少しでも改めようとする議論は(どのようなものであれ)敵=<改憲勢力>に「利用される」とか考えて、まともに憲法改正に関する議論(「憲法政策論」と言ってよいだろう)を展開していないのだとすれば、<憲法学界>は「政治的考慮」を優先した、「政治活動家」の集団と言っても過言ではないことになるだろう(最近の種々の問題でも、憲法学者の発言がきわめて乏しいと思われるのはいったいなぜだろう)。
 大学の教師たちは学生に(とくに新入生に対して?)「自分の頭で(批判的に)考えよ」とか言って「教育」しているのだろう。だが、そう言っている大学の教授・准教授たちは(社会系・人文系にいちおう限っておくが)、本人自らが「自分の頭で(批判的に)考え」ているか否かを厳しく<自己評価>してほしいものだ。指導教授の「学説」を墨守したり、関係学界の<雰囲気(空気)>を「読ん」で黙従したりしていては、楽に(安全に)生きてはいけても、刺激と緊張に充ちた「自由で闊達な」学問活動にはならない筈だが。

0637/竹内洋・学問の下流化(2008)、猪瀬直樹・作家の誕生(2007)、サピオの小林よしのり「天皇論」。

 〇12/16に竹内洋・学問の下流化(中央公論新社、2008)を全読了。気が向いたらいつか言及する。「下流化」とは「大衆社会の中での…ポピュリズム化」を言い、「ういてしまう学問のオタク化」に対する概念のようだ(p.13)。どちらに対しても憂いていると思われるが。
 〇途中まで読んでいたことに気づいた猪瀬直樹・作家の誕生(朝日新書、2007(古書))を、やはり一気に全読了。かなり前に太宰治や三島由紀夫らごとの著書(著作集2~4など)を読んでいたので、多分に重なっている感もある。
 この人は東京都副知事をしているようだが元来は政治・法律系ではなく文学・文芸系の素養の人だろう。道路公団民営化の議論もきちんとした基礎的「理論」があったとは思えない。もっとも、経済・政治(・行政)・法律、いずれの学者・専門家も、役立つ「理論」をいかほど提供したかはきわめて疑わしい。
 この本のp.120によると、大宅壮一は1955年(55歳のとき)にこう書いた。
 「平和主義などというものは、誰でもほしがるチョコレートみたいなもので『思想』でもなんでもない」。
 <日本の知識人は「デパートの食堂の前に立たされた子供」で、つぎつぎと輸入される舶来思想のどれを身に纏ったらよいか迷い、帽子の如くあれこれと被っては悩んでいる。外国の最新のカタログに眼を通していないと安心できない。……>
 次は、大宅壮一に好意的な猪瀬自身の言葉。
 「日本の近代は輸入思想の堆積物にあふれ、その断面の縞模様…〔には〕知識人の死骸が貝殻のように詰まっている。流行思想に帰依し自己喪失に陥る現象は、今後もずっとつづくのだろう。思想が帽子…〔ならば〕責任はともなわないのだから」(p.121)。
 〇サピオ・新年合併特別号(小学館、2008.12)。「輸入思想」によって「自己喪失」に陥ってはいないようである小林よしのり・ゴーマニズム宣言スペシャルは「天皇論」を開始している。
 p.71-元日の「午前5時30分、天皇は皇居内の神殿の前庭にお出ましになり、地面に敷いた畳にお座りになって、伊勢神宮をはじめ、四方の天神地祇、神武天皇陵、昭和天皇陵、ならびにいくつかの神社を遙拝される」。これが一年で最初の「宮中行事」。
 ほとんど毎号買ってきたが、当面は講読を欠かせそうにない。

0501/邪馬台国・三角縁神獣鏡問題と人文・社会系「学問」。

 産経新聞5/11の読書欄に安本美典・「邪馬台国畿内説」徹底批判(勉誠出版)の紹介(簡単な書評?)がある。その文の中に「最近は畿内説が有力になってきて、畿内にあったことを前提に議論がなされる傾向もみられる」とある。これは紹介者(書評者?)の自らの勉強・知識にもとづくものだろうか、安本が言っていることを真似ているのだろうか。
 安本の少なくとも安価な本(新書・文庫)はおそらく全て所持しており全て読んでいる。最も新しいのは、安本美典・「邪馬台国畿内説」を撃破する!(宝島社新書、2001)だろう。
 後半1/3は安本の従来の主張の反復及び補強だ。この本だけに限らないが、①邪馬台国所在地=北九州>現在の朝倉市甘木地区説、②卑弥呼=天照大神説、③神武天皇実在説、等はそれぞれ-素人にとってだが―説得力がある。
 ①について、甘木付近(と周囲)と奈良盆地西南部付近(と周囲)に同一又は類似の地名が同様の位置関係で存続していることの指摘は目を瞠らせた(上の本ではp.182-3)。
 ②について、天皇在位年数の統計処理を前提としてのヨコ軸=天皇の代の数、タテ軸=天皇の没年(又は退位年)のグラフ(上の本ではp.177)を延長すると初代(代数1)の神武天皇は280年~290年、その祖母とされる天照大神(代数でいうと、いわば-2)は240年頃になる、という指摘も、上の地名問題とともに安本の独自の指摘(発見?)だったと思うが、相当に説得力がある。
 中国の史書によると、卑弥呼は239年に中国に使者を派遣している。また、中国の史書によると卑弥呼の没年は247~8年らしいが、この両年に(二度)皆既日食があったのは事実のようで、安本は日本の史書による天照大神の「天の岩屋」隠れと再出現は天照大神の死亡とトヨ=台与(安本の上の本p.189はニニギの命(神武天皇の父)の母とされる「万幡豊秋津師比売命」ではないかする)の<女王>継承を意味するのではないか、とする。卑弥呼の死亡年頃に実際に皆既日食があり、天照大神の「天の岩屋」隠れの伝承が一方にある、というのは全くの偶然だろうか。
 上の③を補足すれば、現在は紀元2700年近くになるというのではなく、安本は、記紀上の在位年数や活躍年代の記載は信じられなくとも、北九州から大和盆地に「東遷」し、のちに神武天皇と称された、大和朝廷という機構の設立者にあたる人物がかつて(3世紀後半頃に)存在したこと、その後の支配者(=祭祀者?)の代数、くらいの記憶は7世紀くらいまで残っていても不思議ではない、とする。
 安本説によっても<王朝>の交替=血統の変更は否定されないが、勝手に自分の言葉(推測)で書けば、少なくとも継体天皇以降の天皇家の血統は現在まで続いているのではなかろうか(むろん、奈良時代の天武天皇系の諸天皇、南朝の諸天皇等々、現在の天皇家の直接の祖先ではない天皇も少なくない)。
 さて、安本の上の本の前半は最近の「邪馬台国畿内説」論に対する厳しい批判で、樋口隆康(この本の時点で橿原考古学研究所所長、京都大学卒)、岡村秀典(同、京都大学人文研究所助教授)らが槍玉に挙がっている。
 京都大学の小林行雄等が中国産(魏王から卑弥呼に贈られた)とした、そして京都大学系の人が同様の主張をしているらしい三角縁神獣鏡問題の詳細等には触れない。
 もともと安本美典は<マルクス主義は大ホラの壮大な体系>とか述べてマルクス主義(唯物史観・発展段階史観)歴史学を方法論次元で批判しており、津田左右吉以来の、記紀の「神代」の記述を全面否定する<文献史学>に対しても批判的だ。
 そしてまた、安本自身は京都大学出身だが(但し、日本史又は考古学専攻ではない)、樋口隆康や岡村秀典に対する舌鋒は鋭い。
 ・安本はかつてこう言ったらしい。-「京都大学の考古学の人たちは、オウム真理教といっしょ…。秀才ぞろいだけど…馬車馬のように視野が限られていた」。また、京都大学出身の原秀三郎(静岡大学)も次の旨言ったらしい。-「京大の連中はオウム真理教だよ。秀才の考古ボーイが入ってきて、そこで三角縁神獣鏡を見せられ、小林イズム〔小林行雄の説〕を徹底的にたたき込まれれば、おのずからああいうふうになってしまう」。(p.103)
 安本はこうも言う。-京都大学は近畿という地の利もあり「京大勢がリーダーになりやすい」。「どんなに論理的に無理があろうと」「三角縁神獣鏡説=卑弥呼の鏡」に「固執」する。「強力な刷り込みが行われると、そうなる」のだろうか(p.54)。
 ・安本は、岡村秀典についてこう書く。-「氏の論議の本質は、実証というよりも、空想である。科学的論証の態をなしていない。…著書で証明されているのは、およそ非実証的、空想的な内容であっても、圧倒的自信をもって発言する人たちがいるのだということだけである」(p.148)。p.102の見出しは、「カルトに近い『卑弥呼の鏡=三角縁神獣鏡説』」。 
 ・安本は、樋口隆康「ら」についてこうも書く。-「発掘の成果じたいは立派」でも、「多額の費用をかけた奈良県の…地域おこし、宣伝事業に、邪馬台国問題が利用されている面が、いまや強く出ている」(p.18)、「誤りと無根の事実とに満ちている」(p.20)、「この種の非実証的・非科学的・空想的な議論を、くりかえしておられる」、「氏の頭脳の構造は、どうなっているのであろう」、「与えられた先輩の説…を…八〇年一日のごとく、機会あるごとにくりかえす。念仏や題目を唱える宗教家と、なんら異ならない」(p.30)。
 以上は、たんに邪馬台国又は三角縁神獣鏡問題に関心をもって綴ったのではない。古代史学・考古学という<学問>にどうやら<人情>・<感情>・<情念>が入ってきているらしいということを興味深く感じるとともに、<怖ろしい>ことだとも思い、かつそうした現象・問題は古代史学・考古学に限らず、歴史学一般に、さらに少なくとも人文系・社会系の<学問>分野に広く通じるところがあるのではないか、という問題関心から書いた。
 政治学の分野で、マルクス主義又は少なくとも「左翼」程度に位置しておかないと大学院学生の就職がむつかしい(少なくとも、かつては困難だった)ということは、かつて月刊・諸君!誌上で中西輝政が語っていた。同様の事情は、歴史学、社会学、憲法学等ゝの法学(さらに教育学?、哲学?)についてもあるのではなかろうか。そして、そういうような研究者の育て方で、<まともな>学問が生まれるのだろうか。
 あたり前のことと思うが、安本美典は上の本でこうも書く。-「個人崇拝的な学説の信奉はよくない」(p.102)。
 もともと邪馬台国所在地問題については東京大学系-北九州説、京都大学系-大和説という対立があると知られており、個人レベルではなく大学レベルでの対立があるらしきことを、<非学問的な>奇妙な現象だと感じたものだった。大学レベルではなく指導教授レベルでもよいが、<非学問的な・個人崇拝>的現象は、広く人文系・社会系の<学問>分野に残っているのではないか
 若い研究者にとっては、大学での職を求めるために唯々諾々と?指導教授の学説ないし主張に盲従?していないだろうか。全面的にそうだとは推測しないが、何割かでもそういう現象があれば、その分だけはもはや<学問>ではなくなっているのではないか(「秘儀」の「伝達」の如きものだ)。
 なお、京都にあっても、同志社大学出身・同教授だった森浩一は三角縁神獣鏡問題でも安本説と同じで、かつ邪馬台国=北九州説。一方、京都大学出身の立命館大教授だった山尾幸久の同・新版魏志倭人伝(講談社現代新書、1986)は、京都大学系そのままの、邪馬台国=大和説。

0301/黄文雄・日本人から奪われた国を愛する心(徳間文庫)をほんの少し読む。

 黄文雄の本はいくつか読んでいるが、すでに私の血肉の(正確には歴史認識等の)一部になっていることもあって、とり上げたことは、たぶんない。
 未読の黄文雄・日本人から奪われた国を愛する心(徳間書店、2006。初出2005)の文庫本を購入した。
 「はじめに」によると、日本人が愛国心を失った「最大の元凶」は日本国内の「平和運動や市民運動」にある。そして、かつての学生運動・共産主義運動のような反戦運動は冷戦崩壊以降鳴りを潜めたが、そうした勢力・思潮は消滅しておらず、「とくに、マスコミや教育界、法曹界などではこうした思想教育やプロパガンダが、形を変えて行われている」、と言う(p.3-4)。
 とくに珍しくもない指摘なのだが、そのとおりだろう、と思われる。共産主義思想の支持者が、あるいは日本共産党の支持者がたいして存在するとは思えないのだが、例えば日本共産党への投票者の数以上に、「革新」・「進歩」・「反日」・「媚中」・「反政府」・「反権力」等々の雰囲気はかなり蔓延している。
 日本共産党の潜在的影響力との一言では済まないだろう(だが、歴史的な形成過程ではマルクス主義の影響力は大きかったとは思われる)。別の何か、つまり共産主義(日本共産党)を支持しないが例えば安倍自民党をも強く嫌悪するという<思潮・雰囲気>が、根強く存在しているようだ。「平和運動や市民運動」となって表出してもいるこれの根源的な思考方法・思想・理念は何なのか、は大いに関心を惹くが、必ずしも適確な答えを目にしたことはないように思う。簡単に言ってしまえば、朝日新聞のような新聞が、なぜ今日も、一定の読者層をもち、一定の影響力をもっているのか、だ。
 ところで、黄文雄の上に引用の文は、「とくに、マスコミや教育界、法曹界など」と記している。おそらくは正鵠を射ていて、マスコミ・教育界・法曹界はある種の考え方・ムードを醸成する基礎分野?のようだ。
 出身学部でいうと、 「マスコミ」(とくに文章を書いている人びと)は文学部をはじめとする文科系学部、「教育界」は教育学部をはじめとする各科目関係学部で、文科系学部の比重はたぶん大きい。「法曹界」は法学部。とすると、法学部・文学部をはじめとする文科系学部出身者が<反戦平和運動>・<反戦平和の雰囲気>の中心にいることになる。
 黄文雄は上の本でこうも言う-日本の反戦平和運動は世界的に見ても「きわめて異質かつ「滑稽」の一言に尽きる」もので、特色の一つは「日本の思想、哲学、芸能、文学といったさまざまなジャンルにおける代表的な人びと―…代表する知識人―などを通じ、政治、文化に巨大な影響力を行使」してきたことだ。これは「戦後日本史を彩る一大風物詩であるとすらいってもよい」(p.6-7)。
 いわゆる<進歩的文化人>(大学所属者を含む)を想定すれば、かかる指摘もそのとおりだが、<進歩的文化人>なるものもまた、出身学部でいうと殆どが文科系学部だろう。
 とすると問題又は関心の一つは、文科系諸学部において学生たちを教授している教師たちはどういう人物で、どのようにして養成されているのか、ということだ。このあたりは、戦後日本史の隠れた重要テーマではないか。しかし、適切な参考文献はどうも見あたらない。

0267/<処世の手段>としての「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員。

 前回書いたように大学の社会系(歴史学を含む)学部の教員には「左翼」/マルクス主義者/マルクス・シンパが多いとすれば、これまでの企業の多くの大学卒業者の採用の仕方は適切なものだったといえるかもしれない。
 企業が18~19歳時点の特定の能力によって決まる出身大学の名前にのみ関心をもち、大学でどれだけ真面目に勉強したのかを示す大学での成績を考慮しないで採用し、入社してから「鍛える」という傾向を批判する向きもあった(今もあるだろう)。だが、「左翼」的教員の多い大学・学部では、真面目にきちんと勉強すればするほど「左翼」的理論・知識・心性の学生が育つに違いないだろう。ここで「左翼」的とは大まかには親社会主義・反資本主義、闘争・対立好み、「個性」重視・反秩序を意味させておく。
 前回紹介の諸発言はどの程度一般化できるかは厳密には問題で、大学、学部又は学問分野、教員個人によって様々ではあるはずだ。しかし、概してではあれ、大学又は学界では当然のこと又は中立・中間的なことと大学教員が考えていることは、世間一般の尺度に照らすと<だいぶ左にズレている>とは言えるのではないかと思われる。
 典型的には(マルクス主義経済学界を別にすれば)、勝手に推測すれば、マルクス主義者又はそれへの親近者が多いのは(当然に日本共産党員も多いのは)、日本史学界、次に、法学界の中の憲法学界ではあるまいか。
 また、これらの学界に限らず、「左」派であること、さらに日本共産党員であることが、大学就職や変更に有利に働く(!)ことがあるに違いない。
 前回に触れたように指導教授が誰か(どういう<思想傾向>か)によって大学院学生の就職が不利になることがありうることは、逆に指導教授の<思想傾向>のおかげで就職や大学の移動が有利になる大学院学生や若手の大学教員がいることを示している。
 とすれば、就職や所属大学の変更を有利にするために、自らの<思想傾向>を選択する者が発生しても全く不思議ではない。
 旧ソ連等の旧社会主義国や現在の中国や北朝鮮では共産党員であることが<エリート>である(となる)ための条件のはずだ(だった)。
 そのような過去及び現在の国々におけると同様に、日本の一部の世界では、「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員であることは、一つの<処世の手段>あるいは<立身出世の手段>になっている(あるいは少なくとも、なりうる)と言ってよいだろう。
 むろん、資本主義経済のもとでの私企業ではそんなことはない。だが、大学という「特殊」な世界の社会系学問分野では、すべての分野と言うつもりはないが、上のようなことが現実にも生じている、と推察される。このようにマルクス主義への甘さが残ったままの社会が一部にせよあるというのも、一つの<戦後レジーム>の徴表ではないか。マルクス主義者・日本共産党員たちが<戦後レジーム>を壊されたくないのは当然のことだ。

0266/大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?

 この1年間で、いや8カ月と区切ってもいいのだが、最も印象的で、最も衝撃的な情報は、月刊諸君!2007年2月号(文藝春秋、2006.12末発売)の伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」の中の次のような文章だった。
 伊藤教え子たちがいろいろな大学に就職…聞くのですが、大学の歴史・社会科学系では実はまだまだ共産主義系の勢力が圧倒的多数なんですね
 中西近年、むしろ増えているのではないですか。現在は昭和20年代以上に、広い意味での「大学の赤化」は進んでいると思います
 伊藤「…戦後第一世代と異なるのは、そうした左翼シンパのひとりひとりはほとんど無名の存在だ…。いま大学にいるのは遠山(茂樹)井上(清)の孫弟子の世代なんです。だから誰も彼らが左派系だなんて気づかない。そんな連中が教授会の多数派をしっかりと握っている大学が多い
 中西「…石母田(正)の怨念の籠もり籠もった歴史学…。家永遠山の歴史観にも共通した特徴ですが、彼らの影響を受けた研究者たちが、いま日本の歴史学会の多数を支配している…。大学はなかなか変化しないんです」(p.50-1)。
 伊藤隆は歴史学者であり、歴史学界を主な対象として語られているようだ。だが、中西輝政は政治学・経済学界についても丸山真男大塚久雄の名を出したのち次のように言っている。
 中西研究対象を選ぶ段になると、学会での地位や就職が絡みますからナーバスに…。直接、左派知識人に批判的なことをやると、大学への就職が難しくなるという有形無形のプレッシャーはいまだにものすごく強いですからね」(p.53)
 <大学の自治>の下での<学問の自由>の現状はおそらくこうなのだろう。国家ではなく「左派」によって<学問の自由>が事実上侵害されている。そしてかかる現象は―特段の言及はないが―歴史・政治・経済学以外の法学・社会学等々にもある程度はあるものと思われる。
 「左派」すなわち共産主義・マルクス主義の影響を受けた、又はこれを「容認」する大学研究者(教員)が人文・社会系では「多数」のようだとは、私のある程度は想像する所でもあったが、こう明確に語られると、慄然とする。彼らが執筆した人文・社会系の(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の)中学・高校の教科書で学んで、上級官僚や法曹が、そして若い国会議員が育ってきているのだ。
 上の<激論>の中で中西輝政は指導教授の高坂正堯が時々「きみたちには悪いねぇ」(早く就職させられなくて)と大学院学生たちに言っていた、「高坂先生は…七〇年代までは学界で異端視されていて、その門下生と知れると、ほとんどお呼びがかからなくなる。私たち大学院生は…「高坂門下」ということで大いに差別される」等と発言しており(諸君!2月号p.52)、中公クラシックスとなった高坂正堯の本・宰相吉田茂(中央公論新社、2006)の緒言で、中西寛(現京都大学法学部)は高坂正堯の吉田茂を肯定的に評価する論文・著書に関連して、「マルクス主義や進歩派知識人による保守政治批判が大多数だった」「当時においては、学者や知識人にとって保守政治家を批判する方が肯定的に評価するよりもよほど安全だった」と記している。
 「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員の強い分野では、事実上の「思想統制」が(国家によってではなく)行われていたし、現在も行われている可能性があるわけだ。
 「思想統制」にはあたらず、その逆だろうが、東京大学出身者でもない樋口陽一はなぜ東北大学から東京大学(法学部)に迎えられたのか、同じく上野千鶴子はなぜ京都の某女子大から東京大学(文学部社会学科)に迎えられたのか。その<思想傾向>は、一般世間以上に、大学の世界では所属大学の変更も含む<人事>にかなりの影響を与えていそうだ。

0134/「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」。日教組を指導した学者は誰か。

 大和撫吉・日狂組の教室(晋遊舎、2007.06)は簡単に読了。
 最後の八木秀次の論稿を読んで改めて感じたのは、教育行政にとっての村山富市社会党首班内閣誕生の犯罪的な役割だ(p.158あたり参照)。
 最後の頁に、八木はこう書く。「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」(p.160)。
 新潟大学教育人間科学部の世取山某は全くの例外ではないのだ。やれやれ。日本史学(+西洋史学)、政治学、社会学、法学の中のとくに憲法学、経済学の一部、の辺りが「左翼の巣窟」と思っていたが、「教育学」もそうだとは私には盲点?だった

 日教組問題全体についていえば、その運動方針・実際の活動内容等を批判していくことも大切だが、私は日教組(・全教)の教員活動家よりも、日本の教育にとって責任のより重い者たちがいる、と考えている。
 それは、戦後、日教組を「理論武装」させ、指導し、唆した、多くは大学に在籍したと思われる、教育学、歴史学、法学、経済学等々の専門をもつ、マルクス主義者たち、又は社会主義者たちだ。
 時代によって変わっている筈だが、大内兵衛などは戦後すぐに労働組合運動全体を「指導」したに違いない。
 現在でも、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが、多くの大学教員又は「知識人」と称される者が教員の「反社会的」あるいは「歪んだ教育」運動を指導し、嗾しているのではないか。
 かつては教育問題に限らない講和問題・安保問題で、「平和問題談話会」に集った知識人・文化人たちが大きな役割を果たした。かつてのこの会等のメンバー名をきちんと特定して記録しておきたい、と思っている。
 現在についても(再述すれば、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが)、個々の組合員又は指導部よりも実質的責任は大きいとも言える「学者」たちの氏名リストを何とか作れないものかと考えている。
 5/10発売の週刊新潮5/17号の高山正之のコラムのタイトルは「学者か」だ。慰安婦問題のデタラメ証言を「信じるのは学者だけだろう」で終わっているのだが、日本を悪くしてきているのは、かなりの部分、大学の「学者」様ではないか。肩書などに欺されてはいけない。

0121/長谷部恭男・東京大学教授の「志の低い」護憲論。

 護憲派(とくに九条護持派)憲法学者の議論を知る必要があり、すでに水島朝穂と樋口陽一には簡単に触れたが、東京大学の現役教授・長谷部恭男についてはまだだ。
 長谷部の教科書も新書本も入手はしているが、未読だ。その他の彼の考え方を窺わせるものを紹介しつつ、コメントしよう。
 長谷部の講演録冊子「憲法を改正することの意味―または、冷戦終結の意味」(自由人権協会、2005)も所持している。これもまともに読んでいないが、講演冒頭と九条改正論に関する質問への回答部分だけは見た。
 それによると、少なくとも考え方の一つとして、長谷部は今の政府解釈(自衛目的の最小の実力保持は可能)を前提とすると、改正しても現状は全く又は殆ど変わらず、時間・エネルギーを無駄にするだけだ、旨を述べている。これも護憲論だろうが、興味深いことに(同じ大学だと<伝染>するのか?)、すでに言及した樋口の「解釈改憲」容認論(と私は理解する)と似ている。
 より正確に長谷部氏の議論が分かったのは、読売新聞の今年1/10と1/17の「憲法学の今」と題する対談記事によってだ。
 1/10で彼曰く、自衛隊の存在は憲法九条違反という「主張は間違いだと思う。そして、1.「非武装こそ人類の理想」 等を主張する人は「特定の価値観で公的領域を占拠しようとして」いる、2.国家が「常備の実力組織をもつのは当然」、九条は「実力組織はなるべく小さくする」という原理だ。
 「価値多元説」に立って「立憲主義の大前提と矛盾する」とする1.は、「公的領域」に関する「特定の価値観」による主張を全て非難・排斥するもので、憲法関連事項も含む「公」的主張は全て許されなくなりそうだ。「特定の価値観」を自分は表明しないとの逃げ道でなければよいのだが。
 護憲派と目されている筈の長谷部が公然と自衛隊合憲の旨を語っているのに驚いたが、上の2.で「なるべく」などと言っていては憲法の法規範的効力を殆ど否定している(又は持たせることを諦念している)に等しいのではないか。
 この人はやはり「解釈改憲」で十分との立場のようだ。そうだとしたら、改憲でも積極的護憲でもない、どちらかというと「志の低い」グループに入る、と考えられる。
 1/17と併せて読んで、長谷部の「理論」はほぼ解った。
 1.「9条を変えたからといって実体が何か変わるわけではない」。
 2.「改憲のために必要とされる審議時間や国民投票などのコストと利益を比較すれば、変える必要があるといえるか」。
 3.憲法には「原理」と「準則」があり、頻繁にでも変えてよいのは後者だ。
 これらのうち1.は明確な誤りだ。解釈改憲には限界がある。軍隊のようで軍隊ではない、という「大ウソ」から訣別し、ヌエの如き組織を正規軍にするだけでも「実体が何か変わる」と言うべきだ。
 2.も誤りだし、不適切だ。長谷部は条文改憲論者でないという意味では護憲論者の一人なのだろうが、反対論というよりもかかる不要論では、既述のように「志が低い」。
 それに、国家の基本問題の審議・国民投票に「コストと利益」の比較分析をするなどはとんでもない間違いだ。かりに利益がどうであれ、民主主義には「コスト」が要る。長くとも3年に一度は参院議員選挙と衆院議員選挙がある(今年も参院選がある)。「コストと利益を比較」してこれらは止めるべき又は再検討すべきと長谷部は主張するのだろうか。長谷部は同じ欄で、逆に「コストと利益を比較」すれば疑問視できる空想的提案をしている。
 長谷部は言う。「国家が費用を出し、国政選挙の前に人々が地域の公民館や学校に集まって「選挙の争点は何であるべきか」を一日かけて討論する、といった制度を作ることも考えられる」。
 かかる討論会?の全国的・全国民的開催は、憲法改正国民投票よりも多大のコストを必要とし、利益はより少ないのではなかろうか。
 穿ち過ぎかもしれないが、長谷部のコストを持ち出しての改憲不要論は、どうしても条文改憲させたくないための苦し紛れの理屈のように見える。憲法改正につき「コストと利益を比較」するという発想自体が率直に言って「想像を絶する」
 3.も疑問だ。かりに「原理」と「準則」に分けられるとして、平和主義(侵略戦争否定)は前者かもしれないが、「軍隊」の扱いはどちらなのかを長谷部は明確に語っていない。かりに前者であるとしても、一切変更してはならない論拠も述べていない(憲法改正の「限界」内のもののみを「原理」と称しているのではあるまい)。
 さらに、現憲法には例えば69条による場合以外に内閣総理大臣は7条(の天皇への助言)を利用して衆院を解散できるのかという解釈上の議論がある不明瞭な問題もある。他にもありうる。これらが全て例えば「権力分立」に関する「原理」上の問題で改正を避けるべき、という結論にはならない筈だ。
 こうして見ると、長谷部は要するに条文改憲をさせたくないのであり、そして条文改憲の内容に関する自己の意見を表明することを避けたいのではないか。つまりは、あれこれとときに難渋な表現を使いつつ「逃げている」のではないか
 上の方で言及した自由人権協会発行の冊子の中で長谷部は、今のままの9条では「わかりにくい」との意見はあろうがそれは9条に限らず21条の表現の自由でも同じだ、などと言っている。今回の座談中でも「国家のやるべき事」は「たくさんある。それを全部憲法に書かねばならないのか」と似たようなこを言っている。
 だが、人権と「公共の福祉」の関係を具体的に又は詳細に憲法に書けないのは当然だが、自衛のための「軍隊」という正規の「戦力」を保持するか否かは憲法に書ける事項だし、むしろ明記しておくべき事項だ。
 頭が良さそうで「良心的」でもありそうな?この長谷部という東京大学の先生、しかも憲法学の教授は一体何を考えているのだろうか。
 対談相手の読売新聞の橋本五郎によると、同じ東京大学の憲法専攻教授・高橋和之は日本の「憲法学者は非現実的である」等と述べているらしい。さらにその他の憲法学者の発言(とくに憲法改正に関する)に関心を持つことにしよう。

0027/掛谷英紀・学者のウソ(2007.02)を3月半ばに読む-フェミニズム批判。

 ソフトバンク新書というのが新発行されたものの関心を惹くテーマ・執筆者のものが僅かだった。しかし、掛谷英紀・学者のウソ(2007.02)は、3月半ばに一部を読み終わっただけだが、なかなか良い本だ。読んだ順に記すと、第一に、脱税企業に関する新聞記事の量と当該新聞紙上の広告主との関係につき、仔細は省略するが、「朝日新聞についてはスポンサーへの配慮が記事にまで影響を及ぼしている可能性がきわめて高いことがわかる。一方、読売新聞にはスポンサー・非スポンサー間で有意な差は見られなかった。私は個人的には読売新聞をよく思っていないが、脱税事件の報道に限ると、同新聞の報道姿勢は評価に値する」(p.139)との結論が興味深い。朝日がスポンサーを配慮せざるを得なくなっているとすれば、それは経営的には必ずしも順調でないことを意味する、とつながれば、私にはますます好ましい情報なのだが。
 第二に、知る人ぞ知るの話かもしれないが、私は知らなかった。p.144-5によると、上野千鶴子は自閉症は母子密着が原因と主張したが生まれつきとの説が有力で、自閉症児の親たちから差別助長と抗議を受け、最初主張した本と同じ出版社の「「マザコン少年の末路」の記述をめぐって」の一部に謝罪文を掲載した。これを読んだ某「自閉症児の親の会」の会員いわく-上野からは自閉症に無知識だったのでうっかりしていた、ごめんなさいと素直に謝って貰ったらすっきりしたが、また彼女には「弱者の味方」のイメージもあり期待したが、謝罪文を読んで「「二度と自閉症にかかわるものか」という上野さんの姿勢が感じられ、その落差が激しくて…」。
 著者・掛谷は、次のように書く。「上野氏は弱者の味方のふりをするだけで、…持論を補強するために弱者を利用しているにすぎない」ことにこの母親は気づいてなかったのだろう。「上野氏がなくしたいのは、差別でも性差別でもなく、性差の存在(性の区別)そのものである」。著者は自信をもって断定している。
 上の第二で言及した「事件」はありうることだと納得できるが、第三に、つぎの諸指摘は断定的・明瞭でありすぎるために、その内容に驚きとじわりとした恐怖を感じる。掛谷いわく-フェミニストの殆どは「学歴エリート」だが、人間を男女の二つに分け、「女性全体を弱者と見立て」た上で、「弱者集団である女性への援助を名目に、女性集団の中の強者であるエリート女性のみに手厚い政策的援助が行くように誘導する」。「男女共同参画では強者の女性を援助して弱者の女性への福祉は切り捨てている」。フェミニストは専業主婦を「税金泥棒呼ばわりする」が、「現行の税・社会保障制度で一番得をするのは、…夫婦とも中・高収入を得ているエリートカップルの世帯」だ。「男女共同参画社会は、…高学歴夫婦世帯に対して集中的に福祉を施している。これでは格差がさらに拡大される」(p.155-p.160)。
 私が挟めば、フェミニスト、弱者のふりをし、「女性という人権」を振りかざして、少数の高学歴(かつとくに配偶者のいない)女性の利益のために政府にゆすり・たかりをしている圧力集団の参謀ではないか。その中の参謀長クラスが上野千鶴子だと思われる。
 第四に、少子化の原因としての妊娠・出産の減少は、女性の社会進出と無関係ではない、外での仕事が魅力的だと、又は外で働く必要があれば、女性が出産・育児を厭う場合もあれば、希望してもできない場合もあるだろう、だからある程度はやむを得ない、時代の流れなのかな、と何となく思ってきたのだが、この本を読んでかなり変わった。フェミニズムこそが少子化、人口減を招き、将来の日本を危うくしている根本的思想なのではないか、と。
 不勉強を曝すが、現在の政府の少子化対策は、働く女性の支援、つまり働きながらでも安心して子育てできる、同じことだが子育てしながらも安心して働ける環境の整備らしい。つまりはゼロ歳児から預けられる保育所も含めての、保育所の増設だ。これは、子育てしながら安心して働ける環境を整備すれば出生率は回復する、又は増加するとの「理論」又は「予想」にもとづく。そのために10年間、毎年2-3000億円の公金を厚生労働省は使った。しかるに、現実は出生率が増加していない。政策効果は出ていない。
 掛谷の本p.56以下によれば、上の「理論」・「予想」は誤りで、赤川学・信州大学教授が、同・子どもが減って何が悪い(ちくま新書)で、1.男女共同参画が進めば=女性が働きやすい環境が整備されれば出生率が上昇するとの「理論」の根拠とされるデータには「捏造」があり、OECD加盟国全27国の統計では「女性の社会進出が進むほど出生率は低下する」こと、2.28-39歳の有配偶者女性ではaフルタイム従業、b本人の収入、c都市居住、の三変数が「出生率の低下に有意に寄与している」、つまり「都市でフルタイムで働く高所得女性ほど出産しない」こと、を示した。男女共同参画は少子化を促進しても抑制することはない、ということだ。こちらの方に説得力があると、私には感覚的に思える。だが、フェミニスト又は女性学者等はなお、男女共同参画推進こそが少子化対策になると主張している、という。
 政府の少子化対策施策は昨年の猪口邦子大臣提言等で子育て家庭への経済的支援(育児手当、児童扶養手当類)の増大へと少し舵取り方向を変えるようだが、従来の男女共同参画社会論者はその見解=「男女共同参画を進めれば子どもが増える」を変えようとせず、「開き直っている」というわけだ。
 掛谷は上の赤川学の理解を支持しつつ、そのような学者ら=上野千鶴子、田嶋陽子、白波瀬佐和子、樋口美雄等を批判し、故意の、確信犯的な「学者のウソ」と断じる(p.73等)。また、女性学会とその周辺学会は「間違った情報を発信し続けて」おり、「日本女性学会のホームページをみると、…学会ではなく政治団体なのではないかと思うような情報発信が多い」としている(p.69)。
 男女平等も男女共同参画も基本的なところでは概念・理念として誤っているわけではないだろう(但し、男女平等は男女の差異の無視・否定と同義ではない)。だが、具体的な政策・施策の次元では、どうやら誤りのジェンダー・フリー論が幅を利かせ、政府の審議会類を乗っ取
ってきた気配がある。掛谷によると、フェミニストは「日本女性学会」等に巣くって政治的主張を展開しているようだ。
 p.66-67に紹介の上野千鶴子の、人口現象の原因を突き止めることは「できない」、少子化対策は「極端に言えば、やってもやらなくても同じ、とも言える」との発言は、掛谷の言葉どおり、「よく考えると、ものすごい」。関係学問の力を否定し、政策効果のなさを自認しているのだ。学問とは何かを、政策・政治との関係を考えてしまう。一般論的すぎるが、政策・政治に「悪い」影響を与える学問はなくてよい。あるいは、そのようなものは政治的主張ではなく社会系の「学問」と本当に言えるのかどうか。
 掛谷はまだ30歳代で、分かりやすい、しっかりした文章も書く。今後の活躍に期待したい学者だ。マルクス主義学者の「ウソ」に殆ど言及がないのは残念だが、年齢・世代、理系出身等からしてやむをえないだろう。それと、「学者のバカ」というタイトルは折角の好著には少し軽すぎだ。もっといい表題だったら、より売れるのでないか。

-0062/日本のマルクス主義的学者は1989/91年以降どうなったか。

 ドイツの現首相・メルケルは旧東ドイツ地域の出身で理学系の研究者だった。彼女が社会系の学者だったら今の地位はなかっただろう。マルクス主義そのものや、マルクス主義にもとづく経済学・歴史学あるいは国家制度・法制度の研究者・教育者は、東ドイツ(「ドイツ民主共和国」)が西ドイツに併合される前後におそらく全員が職を失ったはずなのだ。
 東ドイツの共産党(社会主義統一党)書記長だったホーネッカーは有罪とされチリへ逃亡(亡命?)した。旧体制構成員そのもの又は積極的協力者として逮捕・拘禁された研究者・教育者もいたに違いない。
 ソ連と東欧での共産主義の敗北は旧体制側の人々(一般庶民もだが)の人生・生活を大きく変えたはずだ。
 しかるに、かの国々の旧体制のイデオロギーであった共産主義の理想を信じ、マルクス主義の立場で研究していた日本国内の数多くの研究者・教育者の生活・地位は、東ドイツの消滅・チェコ等の脱社会主義化によっても何ら影響を受けなかった。むろん、例えば東ドイツの労働者文学の研究者や東ドイツ「社会主義」の歴史研究者が多かれ少なかれ動揺しただろうことは想像に難くない。しかし、彼らは大学等での地位を失うことはなく、表向きは、研究のテーマは巧妙に?変えたとしても、従来どおり大学教授・助教授等でいることができた。
 彼らにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかも、経済学・歴史学・社会学や法学の一部等々では、そのような「マルクス主義」的研究者の数は決して少なくなかったと思われるのだ。
 むろん、ソ連や東欧諸国は「真」の「社会主義」国ではなかったとの日本共産党の言明に救いを見出し、なおも共産主義社会をめざすことを綱領に掲げる日本共産党の党員たる研究者も数多く残っているだろう。
 一方には現実の生活と社会的地位が激変したマルクス主義者たちがいるのに対して、影響は心理的・精神的なものにとどまった極東の国のマルクス主義者たちもいる。
 このことを私は、じつに奇妙なことだと感じている。しかし、日本の社会はほとんど問題視していないようだ。日本社会は欧州での激変・共産主義の敗北の現実があってもなお、諸思想に「寛容」で、共産主義・社会主義的考え方にも「自由」を認める。
 繰り返すが、マルクス主義者たち又はその許容者たちにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかし、そのことこそが日本の社会が蝕まれていく大きな原因になっているのではないか、とふと真剣に考える。

-0052/「学界」外の者の発言でも正しいものはある-井沢元彦・安本美典ら。

 ○ 大学で「哲学」を講じている人の殆どは西欧の誰かの「哲学」の研究者(学者)で、「哲学学」者であっても「哲学者」ではなく自らの「哲学」を語ってはいないという印象があったが、少なくとも鷲田小彌太という人は違うようだ。
 鷲田小彌太・学者の値打ちをさらに80頁読み進む。
 西田(幾太郎)哲学は複数の異なる外国哲学の何でもありの受容(「借用」・「受け売り」)だ旨の指摘(p.23)にド胆を抜かれたが、その他、色々と考えさせられて刺激的だ。
 彼によれば、彼は25歳半ばからマルクス研究を始め40歳台でマルクス主義を「克服した」らしく、丸山真男政治学は「マルクス主義政治学の亜種」で、彼の弟子たちが学会から消えるに従い丸山の「名声」は弱まる(p.108)、等々。
 大学教授は「知識人」ではなく特定分野の「専門家」にすぎない、と思ったことがあった。
 ここでは「知識人」は社会のほとんどの諸問題に広い「教養と知識」を背景にしてマスメディアに発言する能力のある人とのイメージだった。
 これに関連して鷲田の上の本p.180は「大学教授の大半は、知識人とさえいえない」、「競争原理」が全く働かず、その「知識や技術」の「水準は問われない」からだ、と言う。つまりは私のいう「専門家」かどうかも「大半」は疑わしいというわけで、厳しい。
 アカデミズムとジャーナリズムの関係等の話も面白い(但し、立花隆の肯定的評価は承服できない。鷲田も立花・滅びゆく国家を読めば評価を変えるはず)。
 「かつてアカデミズムの権威が有効な時代があった。大新聞の論説が世論形成に与った時代があった。しかし、パソコンを媒介にしたこの社会では、個人発であるか、大学発であるか、大新聞発であるかで、情報価値に根本的差違はない」との指摘は全くそのとおり。
 知識・情報を大学・マスコミが独占しているはずがない。
 ○ しかし、妙なアカデミズムは残っているように見える。
 鷲田の本から離れるが、例えば、井沢元彦の研究・諸指摘(学界の「方法」的欠点も含む)を日本史学界はたぶん完全無視だろう。
 また、安本美典の古代史論、邪馬台国論は説得的な部分があると思うが、安本が日本史(古代史)プロパーではない(もともとは言語学、次いで心理学も)ことを理由に古代史学界はこれまた完全無視でないか。
 出自が何であれ、誰が述べようとも、正しいものは正しい。誰の問題提起でも適切ならば、適切なはずなのだ。鷲田によって「学界」の傲慢さも思い起こした。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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