Richard Pipes, The Russian Revolution 1899-1919 (1990).
「第17章・皇帝家族の殺害」の試訳のつづき。
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第10節/殺害(2)②。
(07) 苛酷な作業だった。
Iurovskii は各処刑者に一人ずつ犠牲者を割当てて、真っ直ぐに心臓を狙うこととしていた。
一斉射撃が止まったとき、犠牲者のうち6人—Alexis、三人の少女、Demidova、Botkin—は、生きていた。
Alexis は、血溜まりの中で呻いていた。Iurovskii は、頭に二発撃って、終わらせた。
Demidova は、うち一つには金属の箱が中にある枕を使って、激しく防衛した。だが彼女も倒れ、銃剣で差し抜かれた。
「少女たちの一人が突き刺されたとき、銃剣はコルセットを貫こうとしなかった」と、Iurovskii は不満ごちた。
彼が思い出すように、「手続」の全体は、20分を要した。
Medvedev も、光景を思い出す。「彼らは、身体のさまざまな部分に銃弾で負傷した。顔は血で覆われていて、衣服にも血が染み込んでいた。」(注78)
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(08) トラックのエンジン音がかき消してはいても、射撃音は街路からも聞こえた。
Solokov 委員会での目撃証言者の一人で、外部警護者たちが宿舎にしていた街路の向かいのPopos の家の居住者は、こう思い出した。
「私は、記憶にある16日から17日の夜を十分に再現すことができる。その夜私は、一睡たりとも眠れなかったからだ。
深夜の頃、私は中庭へ行き、物置に近づいた。
私は不安を感じ、止まった。少しのちに、遠くの一斉射撃の音が聞こえた。
およそ15発だった。続いて、別の射撃があった。3発か4発だった。それらは、ライフル銃の音ではなかった。
2時を過ぎていた。
射撃音は、Ipatev 邸からきていた。
まるで地下室から聞こえてくるように、くぐもって聞こえた。
そのあと私は、急いで自分の部屋に戻った。前皇帝が拘禁されている家の警護者が、上から私を見ることができるのではないか、と怖くなったからだ。
戻ったとき、隣人が私に尋ねた。『聞いたか?』。
私は答えた。『射撃音を聞いた』。
『聞いた?』
『うん、聞いた』と私は言った。そして、我々は沈黙した。」(注79)
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(09) 処刑者たちは、上階からシーツを持ってきた。そして、死体から貴重品を剥ぎ取って着服し、血が滴り落ちている遺体を、即席の担架で、低層階を通って、正門で待つトラックまで運んだ。
彼らは、粗い軍用布のシーツを車の床に広げ、遺体をつぎつぎと上に重ね、同様のシーツでそれらを巻いた。
Iurovskii は、死で威嚇して、盗んだ貴重品の返還を要求した。そして、金の時計、ダイヤの煙草入れ、その他の物を没収した。
そして、トラックに乗って離れた。
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(10) Iurovskii は、Medvedev に、清掃を監視する責任を課した。
警護者たちは、柄付き雑巾、水バケツ、血痕を除去するための砂を持ってきた。
彼らの一人は、作業の光景をつぎのように叙述した。
「部屋は、火薬の霧のような何かで満たされており、火薬の臭いがした。…
壁や床には、弾痕があった。一つの壁にはとくに多数の弾痕(銃弾そのものではなくそれによる穴)があった。…
壁のどこにも銃剣の傷はなかった。
壁や床の弾痕の周りには、血があった。壁には血が跳ねたものや染みがあり、床には小さな血溜まりがあった。
弾痕のある部屋からIpatev 邸の中庭を通って横切る必要があった他の部屋の全てにも、血痕や血溜まりがあった。
正門に続く中庭の石にも、同様の血の染みがあった。」(注80)
翌日にIpatev 邸に入ったある警護者は、完全に乱雑した状態を見た。衣類、書籍、ikon が乱雑に散らばっていた。それは、隠された金や宝石類が隈なく探され、奪われた跡だった。
雰囲気は陰鬱で、警護者たちは会話しなかった。
チェカの一員たち(チェキスト, chekist)は低層階の自分たちの区画で残りの夜を過ごすのを拒み、上の階に移動していた。
従前の居住者をただ一つ思い出させるものは、皇女のspaniel犬のJoy だった。この犬は、見逃されていた。彼は皇女の寝室のドアの外にいて、入れてくれるのを待っていた。
警護者の一人はこう証言した。「ひそかに思ったことをよく憶えている。キミは、待っても無駄だよ」。
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(11) 当分のあいだは、外部警護者はその職にとどまった。Ipatev 邸では何も変化していない、という印象を作り出すためだった。
この欺瞞の目的は、偽りの逃亡の企てを演じることだった。この企ては、皇帝家族が殺されたと言われることになるだろう過程で彼らは「避難」しており、その間に行なわれた、ということになる。
7月19日、ニコライとAlexandra の、私的文書を含む最も重要な持ち物が、列車に荷積みされ、Goloshchekin によってモスクワへと運ばれた(注81)。
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第10節/殺害(2)、終わり。
「第17章・皇帝家族の殺害」の試訳のつづき。
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第10節/殺害(2)②。
(07) 苛酷な作業だった。
Iurovskii は各処刑者に一人ずつ犠牲者を割当てて、真っ直ぐに心臓を狙うこととしていた。
一斉射撃が止まったとき、犠牲者のうち6人—Alexis、三人の少女、Demidova、Botkin—は、生きていた。
Alexis は、血溜まりの中で呻いていた。Iurovskii は、頭に二発撃って、終わらせた。
Demidova は、うち一つには金属の箱が中にある枕を使って、激しく防衛した。だが彼女も倒れ、銃剣で差し抜かれた。
「少女たちの一人が突き刺されたとき、銃剣はコルセットを貫こうとしなかった」と、Iurovskii は不満ごちた。
彼が思い出すように、「手続」の全体は、20分を要した。
Medvedev も、光景を思い出す。「彼らは、身体のさまざまな部分に銃弾で負傷した。顔は血で覆われていて、衣服にも血が染み込んでいた。」(注78)
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(08) トラックのエンジン音がかき消してはいても、射撃音は街路からも聞こえた。
Solokov 委員会での目撃証言者の一人で、外部警護者たちが宿舎にしていた街路の向かいのPopos の家の居住者は、こう思い出した。
「私は、記憶にある16日から17日の夜を十分に再現すことができる。その夜私は、一睡たりとも眠れなかったからだ。
深夜の頃、私は中庭へ行き、物置に近づいた。
私は不安を感じ、止まった。少しのちに、遠くの一斉射撃の音が聞こえた。
およそ15発だった。続いて、別の射撃があった。3発か4発だった。それらは、ライフル銃の音ではなかった。
2時を過ぎていた。
射撃音は、Ipatev 邸からきていた。
まるで地下室から聞こえてくるように、くぐもって聞こえた。
そのあと私は、急いで自分の部屋に戻った。前皇帝が拘禁されている家の警護者が、上から私を見ることができるのではないか、と怖くなったからだ。
戻ったとき、隣人が私に尋ねた。『聞いたか?』。
私は答えた。『射撃音を聞いた』。
『聞いた?』
『うん、聞いた』と私は言った。そして、我々は沈黙した。」(注79)
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(09) 処刑者たちは、上階からシーツを持ってきた。そして、死体から貴重品を剥ぎ取って着服し、血が滴り落ちている遺体を、即席の担架で、低層階を通って、正門で待つトラックまで運んだ。
彼らは、粗い軍用布のシーツを車の床に広げ、遺体をつぎつぎと上に重ね、同様のシーツでそれらを巻いた。
Iurovskii は、死で威嚇して、盗んだ貴重品の返還を要求した。そして、金の時計、ダイヤの煙草入れ、その他の物を没収した。
そして、トラックに乗って離れた。
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(10) Iurovskii は、Medvedev に、清掃を監視する責任を課した。
警護者たちは、柄付き雑巾、水バケツ、血痕を除去するための砂を持ってきた。
彼らの一人は、作業の光景をつぎのように叙述した。
「部屋は、火薬の霧のような何かで満たされており、火薬の臭いがした。…
壁や床には、弾痕があった。一つの壁にはとくに多数の弾痕(銃弾そのものではなくそれによる穴)があった。…
壁のどこにも銃剣の傷はなかった。
壁や床の弾痕の周りには、血があった。壁には血が跳ねたものや染みがあり、床には小さな血溜まりがあった。
弾痕のある部屋からIpatev 邸の中庭を通って横切る必要があった他の部屋の全てにも、血痕や血溜まりがあった。
正門に続く中庭の石にも、同様の血の染みがあった。」(注80)
翌日にIpatev 邸に入ったある警護者は、完全に乱雑した状態を見た。衣類、書籍、ikon が乱雑に散らばっていた。それは、隠された金や宝石類が隈なく探され、奪われた跡だった。
雰囲気は陰鬱で、警護者たちは会話しなかった。
チェカの一員たち(チェキスト, chekist)は低層階の自分たちの区画で残りの夜を過ごすのを拒み、上の階に移動していた。
従前の居住者をただ一つ思い出させるものは、皇女のspaniel犬のJoy だった。この犬は、見逃されていた。彼は皇女の寝室のドアの外にいて、入れてくれるのを待っていた。
警護者の一人はこう証言した。「ひそかに思ったことをよく憶えている。キミは、待っても無駄だよ」。
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(11) 当分のあいだは、外部警護者はその職にとどまった。Ipatev 邸では何も変化していない、という印象を作り出すためだった。
この欺瞞の目的は、偽りの逃亡の企てを演じることだった。この企ては、皇帝家族が殺されたと言われることになるだろう過程で彼らは「避難」しており、その間に行なわれた、ということになる。
7月19日、ニコライとAlexandra の、私的文書を含む最も重要な持ち物が、列車に荷積みされ、Goloshchekin によってモスクワへと運ばれた(注81)。
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第10節/殺害(2)、終わり。



























































