秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2025/04

2866/R.パイプス1990年著—第15章⑧。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第三節/通貨廃止の試み③。
 (17) その頃までに、全ての実際的目的について、ソヴィエトの通貨は無価値になった。
 5万ルーブル銀行券は、戦前のアルミ硬貨ほどの購買力しかなかった(注46)。
 価値がまだある唯一の紙幣は、帝制時代のルーブルだった。しかし、この紙幣は隠匿され、ほとんど流通しなくなった(註47)。
 だが、人々は価値を測る何らかの単位なくしては生活することができなかったので、通貨代替物を求めた。その中で最も一般的だったのは、パンと塩だった(注48)。
 つぎの表が示すように、インフレは天文学的規模に達した。
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 「流通しているロシア貨幣の現実の価値(注49)(10億ルーブルにつき)
   1917年11月 1日 1,919
   1918年 1月 1日 1,332
   1919年 1月 1日  379
   1920年 1月 1日   93
   1921年 1月 1日   70
   1921年 7月 1日   29」
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 「ロシア、1913年〜1923年の物価(注50)(各年10月1日)
   1913年      1.0
   1917年      7.55
   1918年      102
   1919年      923
   1920年    9,620
   1921年    81,900
   1922年  7,340,000
   1923年 648,230,000」
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 ある経済史学者の言葉では、「1917年1月1日から1923年1月1日までに、〔ロシアでの〕貨幣の量は20万倍増加し、物価は1000万倍に高騰した」(註51)。
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 (18) 左翼共産主義者たちは、狂喜乱舞した。
 インフレが頂点に達する前の1921年3月に開催された第10回党大会で、Preobrazhenskii は、フランス革命で発行された通貨は最低で500分の1に価値を下落させたのに対して、ソヴィエトのルーブルはその価値をすでに2万分の1に落とした、と誇った。
 「このことが意味するのは、我々はフランス革命の40倍を獲得した、ということだ」(注52)。
 彼は、より真剣な覚書で、こう観察した。
 無制限の量の紙幣を印刷する政府の政策によって惹起された莫大なインフレは、農民層から食糧その他の生産物を掴み出すのを助けた。
 ボルシェヴィキ革命を3年間支えるのに重大な役割を果たしたのは、一種の間接税だった(注53)。
 第11回党大会で、G. Ia. Sokolnikov は、驚きを込めて、党大会でこの主題について初めて長い報告をする、と注意を向けた。
 彼は、それまでの政策は通貨と財政は廃止されたものと見なすことだった、と述べた。
 この目的のための手段は、意図的なインフレだった(註54)。
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 (19) 経済史の研究者たちは長く、通貨は、「資本主義」の形態にとどまらない全ての経済活動に不可欠の要素だ、と警告してきた。
 Max Weber はこう書いた。
 「貨幣なき社会の問題に勇気をもって取り組むならば、何らかの会計制度が何とかして『発見される』だろうとの前提的想定は、何ら役に立たない。
 これは、全ての『社会化』の根本問題だ。
 この最も決定的な点に合理的に策定される計画の手段をもたないかぎりは、合理的な『計画経済』について語ることはできない。」(脚注)
 ロシアでは、Peter Struve が、革命の前にも後にも、経済活動は最小の費用で最大の利得を得ようとすることを意味するので、名前や物理的形態がどうであれ、計算単位または「通貨」を必要とする、と主張した。
 貨幣を廃止することはできない。貨幣がその自然な機能を果たすことを政府が妨げようとするときはつねに、その結果は市場の分裂だ(規制市場と自由市場)(注55)。
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 (脚注) M. Weber, Wirtschaft und Gesellschaft, I (Tübingen, 1947), Pt. 1, Chap. 2, p. 12. この批判は、Otto Neurath に向けられていた。Neurath は、通貨とは無関係に帳簿を記入する制度を案出した、と考えていた。
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 (20) ボルシェヴィキはようやく、こうした観察が真実であることに気づいた。
 貨幣なき経済の擁護者が予見できず、最終的に彼らの運命を決めた困難さがあった。それは、国有化された企業と他の国家組織との間の会計を処理する方法を提示することに失敗したことだった。
 1918年8月30日の布令(注56)は、ソヴィエトの諸機関に対して、当面必要な出費分を除いて、それらの金銭資産を全て人民銀行に預けることを指示した。
 それら諸機関はまた、生産物を国家経済最高会議(後述)の適切な機関(glavki)に預託し、代わりに、備品や原料を受け取るものとされた。
 これらの業務は、貨幣に頼ることなく、帳簿への記入の方法で実施されるものとされた。
 しかし、この手続は機能しなかったようだ。というのは、翌年に追加の布令が発布されていて、その布令は、国有企業間の、および国有企業と国家諸機関の間の業務執行に関する貨幣なき帳簿記入について、それらを実行する仕方を複雑なほどに詳細に、定めているからだ(注57)。
 Osinskii は、ソヴィエト諸機関と諸企業の間の財務関係を規律する布令に政府官僚たちは最初から反対し、その制定から逃げてきた、と主張した。
 彼は、そうした制度がそもそも機能しないものであることを、認めようとしなかっただろう(注58)。
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 (21) Ossinskii とその急進派の仲間たちは、慌てなかった。
 1920年2月、Larin とその同僚たちは、次回の党大会のために、正式に通貨を廃止する決議の草案を作成した。
 レーニンは、原則的に同意しつつ、さらなる議論を求めた。
 1年後(1921年2月)、布令を発表する準備ができた。かりに実施されていれば、その布令は歴史上初めて、租税を廃止することになっただろう(注60)。
 しかし、施行されることはなかった。政府はその翌月、新経済政策(NEP)の導入に合わせて、さらに貨幣を消し去ろうとしつつも、財政上の責任へと戻る措置を講じた。
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 第三節、終わり。

2865/R.パイプス1990年著—第15章⑦。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第三節/通貨廃止の試み②
 (11) レーニンは、財政問題についてはかなり保守的だった。その立場を主張し続けていれば、ソヴィエト・ロシアは最初から、徴税と予算策定制度について伝統的な手法を採用していただろう。
 彼は、予算上の混乱を心配した。
 1918年5月に、何であれ今ある実業界の重要性をいつものように強調して、次のように警告した。
 「財政政策をうまく実施しなければ、全ての我々の急進的な改革は失敗だと非難される。
 社会主義のモデルによる社会の再組織について我々が想定する莫大な努力が成功するか否かは、まさにこの〔財政上の〕任務にかかっている。」(注36)
 しかし、レーニンはこの問題に時間を割く余裕がなかったので、異なる考え方をもつ仲間たちにこれを委ねた。
 同僚たちは、貨幣と財政をすっかり廃止しようとした。国家支配の生産と配分にもとづく経済を創出するためだった。
 1918年の後半、ソヴィエトの出版物には、このような経済観を促進する多数の論文が掲載された。それらは、ブハーリン、Larin、Osinskii、Preobrazhenskii、A. V. Chaianov のようなボルシェヴィキの論客たちの支持を受けた(脚注)
 彼らの考え方は、紙幣を無制限に発行することで、通貨を無価値にすることだった。
 貨幣に代わるのは、1832年にRobert Owen の<労働交換銀行>で発行されたものに類似した、「労働単位」だとされた。これは相当する商品とサーヴィスの量について資格がある者が使用した労働量を示す代替券(token)だった。
 Owen の実験は、1848年の革命時にフランスで導入されたLouis Blanc の<ateliers sociaux>がそうだったように、無惨に失敗した(Owen の銀行は2週間後に閉鎖された)。
 ロシアの急進的知識人たちは、怯むことなく、この途を歩んだ。
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 (脚注) 企てられた貨幣なき経済の理論的基礎を概観したものは、次に見出され得る。Iurovskii, Denezhnaia poli tika, p. 88-125. この主題に関するボルシェヴィキの考え方に圧倒的な影響力をもったのは、ドイツの社会学者、Otto Neurath だった。
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 (12) ボルシェヴィキ党(共産党)は、1919年3月に採択した新綱領で、通貨の廃止を目標とすると宣言した。
 新綱領では、貨幣の廃止はまだ実現可能ではないが、党はこれを達成することを決意している、と述べられた。
 「計画に従って経済が組織される程度において、銀行は廃止され、共産主義社会の中央記帳局に変わるだろう」(注37)。
 これに応じて、ソヴィエトの財務人民委員部は、自分たちの任務は余計なものになる、と宣言した。
 「社会主義の共同社会では、財政は存在しない。ゆえに私は、この主題について語るのを詫びなければならない」(脚注)
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 (脚注) S. S. Katzenellenbaum, Russian Currency and Banking, 1914-1924(London, 1925), p. 98n. この証拠からすると、ロシアの通貨の全面的な価値下落へと至るボルシェヴィキの財政政策は、計画や政策の結果ではなく、絶望的な需要に対する反応の結果だった、とするCarr の主張(Revolution, II, p.246-7, p.261)に同意するのは不可能だ。
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 (13) その結果は、最後には「色の付いた紙」に変わるまで、ロシアの貨幣の価値下落を加速することだった。
 ソヴィエト・ロシアで1918-22年に起きたインフレは、ヴァイマール・ドイツがすぐのちに経験することになる、もっとよく知られてているインフレにほとんど匹敵するものだった。
 このインフレは、意図的に、印刷機が吐き出すことのできるだけの紙幣が国じゅうを埋めつくすことによって、発生した。
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 (14) ボルシェヴィキがペテルブルクで権力を奪取したとき、ロシアで流通している紙幣は、総額196億ルーブルだった(注38)。
 大量のそれは、「Nicholaevsky」として一般に知られた、帝政期のルーブル紙幣だった。
 臨時政府が発行した、「ケレンスキー」または「Dumki」と呼ばれたルーブル紙幣もあった。
 後者は、片面だけに印刷された簡素な札で、通し番号、署名、発行者名はなく、ルーブルの価額と偽造に対する制裁を示す警告だけが記載されていた。
 1917年と1918年初頭、「ケレンスキー」は帝制ルーブルよりも少し割り引かれて流通していた。
 ボルシェヴィキは、国立銀行と国庫を奪取した後でも、「ケレンスキー」をその外形を変更することなく発行しつづけた。
 一年半のあいだ(1919年2月まで)、ボルシェヴィキ政府は、それ自身の通貨を発行しなかった。これは主権が持つ通貨発行の伝統的権利を行使しないという驚くべきことだった。そして、一般国民が、とくに農民が、それを受け入れるのを拒むだろうという恐怖によってのみ、説明することができる。
 1917年十月以降は徴税制度は完全に破綻し、租税以外の収入では政府の需要を充たさなかったので、ボルシェヴィキは印刷機に頼った。
 1918年の前半、人民銀行は毎月20-30億ルーブルを、信用保証は何もなく、発行した(脚注1)
 1918年10月、ソヴナルコムは、従前に臨時政府が公認していた165億ルーブルから335億ルーブルにまで、信用保証なき銀行券の流通量を引き上げた。これは長く続いた。
 1919年1月、ソヴィエト・ロシアには、613億ルーブルが流通していた。そのうち三分の二は、ボルシェヴィキが発行した「ケレンスキー」だった。
 その翌月、政府は、「会計券(accounting token)」と呼ばれる、最初のソヴィエト紙幣を発行した(脚注2)
 この新しい通貨は、「Nicholaevki」や「ケレンスキー」と並んで流通した。但し、これらに比べて大きく割り引かれた。
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 (脚注1) この無責任な財政政策について金融市場がほとんど注目しなかったことは、そしてじつに、それがボルシェヴィズムに順応する用意が相当にあったことは、驚くべきほどだ。当時の新聞(NV, No.102/126, 1918年6月27日, 3頁)によると、1918年6月に、1ドルにつき12.80ルーブルで、ロシアでアメリカ通貨を購入することができた。これは、1917年11月と同じ交換比率だった。
 (脚注2) 革命期のロシア通貨を再現したものは、N. D. Mets, Nash rub V(Moscow, 1960)で見られる。Katzenellenbaum によれば、最も早いソヴィエトの通貨は、1918年半ばにPenza で現れた(Russian Currency, p. 81)。
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 (15) 1919年初め、インフレはますますひどくなっていたが、先にある醜悪な次元にはまだ達していなかった。
 1917年と比較して、物価の指標は15倍に昇った。1913年を100とすれば、1917年10月には755、1918年10月には10,200、1919年10月には92,300 と増大した(注40)。
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 (16) そして、ダムは決壊した。
 1919年5月15日、人民銀行には、その見解によれば国民経済が必要とするだけの貨幣を、発行する権限が与えられた(注41)。
 そのとき以降、「色の付いた紙」の印刷は、ソヴィエト・ロシアで最大の産業に、そしておそらくは唯一の成長産業になった。
 1919年の末、貨幣製作所は1万3616人を雇用していた(注42)。
 貨幣の発行を唯一制約するものは、用紙とインクの不足だった。政府はときには、印刷用品を外国から購入するための金塊を割当てなければならなかった(注43)。
 そうであってすら、印刷は需要に追いつくことができなかった。
 Osinskii によれば、1919年の後半、「国庫の活動」—換言すると「貨幣の印刷」—は、予算上の歳出の45から60パーセントまでの間を消費した。このことは、予算を均衡させる手段として!迅速に貨幣を排除しなければならないという彼の主張の論拠として役立った(注44)。
 1919年のあいだに、流通している紙幣の量はほとんど4倍になった(613億ルーブルから2250億ルーブルへ)。
 1920年には、そのほとんど5倍になった(1兆2000億ルーブルへ)。
 1921年の前半には、さらにその2倍になった(2兆3000億ルーブルへ)(注45)。
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 ③につづく。

2864/R.パイプス1990年著—第15章⑥。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第三節/通貨廃止の試み①。
 (01) このような性質は、通貨のない経済の導入を意図した初期のボルシェヴィキの財政実験に、最もよく表れていた。
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 (02) マルクスは、貨幣の性格と機能に関して、大量の、込み入った馬鹿げたことを書いた。彼はその際、Feuerbach の「投影」と「物神」(fetisches)という概念を採用した。
 マルクスは通貨を「人類の疎外された能力」、「人間の自然の本性」の全てを「混乱させる」もの、「労働の結晶」、人間から離れて支配するようになる「怪物」と、さまざまに定義した。
 こうした考えは、貨幣を持たず、それを稼ぐ方法を知らないが、貨幣がもたらす影響と充足を切望する知識人たちにはきわめて魅力的だった。
 知識人たちが経済史にもっと通暁していたならば、「貨幣」と称するかは別として、労働の分配や商品およびサービスの交換を実際に行なっている全ての社会に、一定の測定単位が存在したことに気づいただろう。
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 (03) このような考えの魔法のもとで、ボルシェヴィキは、貨幣の役割を高く評価しすぎ、一方で低く評価しすぎた。
 「資本主義」経済の観点では高く評価しすぎた。それを彼らは、財政装置によって全体的に支配されているものと考えた。
 「社会主義」経済の観点では低く評価しすぎた。それを彼らは、貨幣なしで済ませることができるものと信じた。
 ブハーリンやPreobrazhenskii が述べたように、「共産主義社会は、金銭について何も知らないだろう」(注29)。
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 (04) ロシアの諸銀行を掌握すれば一瞬にして国の産業と取引の支配権を握ることが可能になる、というのは、Hilferding の理論に由来した(脚注1)
 これによって、ロシアはすみやかに社会主義になる—銀行の国有化は「社会主義の十分の九」を達成するだろう—とのレーニンの楽観主義が説明される。
 Olenskii も同様に、銀行は最も重要な唯一の手段だと宣告した(脚注2)
 このような方法によるロシアの資本主義経済の迅速で簡単な克服という見込みは完全に幻想だった、と判明した。しかし、ボルシェヴィキ党は頑なに、Hilferding の理論に執着した。
 1919年に採択した新しい綱領は、ロシアの国立および商業銀行の国有化によって、ソヴィエト政府は「銀行を金融資本主義の支配センターから労働者の活力の武器、経済革命の梃子に変える」(注30)、と主張した。
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 (脚注1) Hilferding によると、1910年にベルリンの大銀行のうち6銀行が、ドイツの産業のほとんどを支配していた。
 (脚注2) ドイツの銀行のように、ロシアの銀行は、工業、商業上の起業に直接に関与し、これら企業が発行する有価証券や社債で相当の金融資産を有していた。こうしたことは、彼の見解に、信頼できそうだとの印象を与えた。
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 (05) ボルシェヴィキの理論家たちは、「色付き紙」に価値を下げ、配給券による商品の配分の総合的制度に置き換えることで、貨幣を完全に一掃してしまうことを望んだ。
 1918-20年のソヴィエトの公刊物では、多数の論文が、貨幣の消失は不可避だと論じた。
 以下は、恰好の例だ。
 「社会化された経済の強化と配分に関する包括的計画の導入と並んで、金銭券(つまり通貨)の必要は消滅するに違いない。
 社会化された経済での流通が徐々に消失して、通貨は、私的生産者に対する政府の直接の影響力の外にある資産に変わる。
 通貨の量が継続的に増加してその発行の必要が継続するにもかかわらず、通貨は、国民経済の全体的動向の中では、つねに消滅していく役割しか果たさなくなる。
 このいわば、客観的な通貨の価値下落は、さらに勢いづいて、社会化された経済が強化され、発展して、小さな私的生産者たちの拡大する分野がその軌道内に抑え込まれるまでになる。そして、ついには、私的生産性に対する国家の生産性の決定的な勝利のあとで、通貨の着実な、流通からの撤退が、移行期を経て通貨なき配分へと至る可能性が現出するだろう(注31)」。
 マルクス主義者が好んだ専門術語で、著者は、通貨はまだ失くならない、「小さな私的生産者」(農民と読む)が国家統制の外になおも残っており、彼らにまだ支払わなければならないから、と言っていた。
 通貨は、「私的生産」に対する「国家生産」の決定的な勝利によってのみ余分なものになる。—言い換えると、農業の完全な集団化のあとでのみ。
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 (06) ボルシェヴィキが通貨を排除するのに失敗した理由として挙げていた標準的なものは、ほとんど全ての食糧生産を含む経済の多くは、国有化のための種々の布令を発したあとですら、私人の手に残ったままだ、というものだった。
 Osinskii によると、「二重経済」の存在—国有と私有—は、「不確定な時期」のための貨幣制度の維持を余儀なくさせていた(注32)。
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 (07) しかしながら、実際には、農民は彼らの生産物を滑稽なほどに低価格で売却していたので、このような考察には、公式の説明と言えるほどの真摯さが欠けていた。
 レーニンは、1920年の夏に、財務部によって印刷される大量の紙幣は、食糧を購入するためではなく、労働者や公務員の給料を支払うために使われていることを認めた。
 彼の推定では、ソヴィエト・ロシアには1000万人の賃金労働者がおり、毎月に平均4万ルーブルを受け取っていた。総計では4000億ルーブルになる。
 この数字と比べると、食糧の代償として農民たちに支払われる金銭は微細なものだった。
 Larin は、固定価格(1918-20年)で得られる食料全部のために、政府は200億ルーブルも使っていない、と見積もった(注33)。
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 (08) ボルシェヴィキがペテログラードで権力を掌握したあとすぐに銀行を国有化できなかったのは、ボルシェヴィキを正当な政府だと承認するのを、銀行界がほとんど満場一致で拒んだからだった。
 既述のように、この反対の立場は、やがて崩れた。
 1917-18年の冬の終わりに、全ての銀行が国有化された。
 国立銀行(the State Bank)は人民銀行(the People’s Bank)と改称され、他の信用機関の責任も負わされた。
 1920年までに、人民銀行と決済機関として機能したその支店を除き、全ての銀行が閉鎖された。
 金庫は開放が命じられ、そこから発見された金は、大量の現金や有価証券とともに、没収された。
 こうした措置は、ボルシェヴィキの期待をほとんど満足させなかった。結果としての収穫は、信用から排除するためにロシアの事業界を政府が統制できるほどに大きくはなかったからだ。
 これは、新しい体制にとって、苦い失望だった(注34)。
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 (09) ボルシェヴィキ政府は、財政上は、長いあいだ混乱の状態にあった。
 1917年の十月後に租税制度はほとんど破綻し、歳入はごく僅かになった。
 政府は、できるかぎりのことをして切り抜けた。
 流通貨幣として政府が頼ったのは、ケレンスキーの「自由ローン」に由来するクーポン券だった。
 通常の予算に僅かにでも似たものは、何もなかった。
 1918年5月の財務人民委員部の推測(原文ママ)では、政府はそれまでの半年間に200-250億ルーブルを費やし、50億ルーブルを入手した(脚注)
 政府は、地方の行政機構からの要求を充たすことができなかった。
 それで、地方の「ブルジョアジー」に金銭を強要することを、<guberniia>〔帝制下の地方行政区〕や地区ソヴェトに対して、許したのみならず、命令した。
 レーニンはこれは、全ての地方のソヴェトが自らを「自立した共和国」と見なすのを励ますことになる悪い先例だと考えた。
 そして、1918年5月に、財政上の中央集権化を要求した(注35)。
 しかし、中央に金銭がないならば、財政を中央に集中させることはできなかっただろう。
 政府は結局は、地方ソヴェトに対して、助成金を懇願するのをやめて、自分たちで何とか処理するよう伝えた。
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 (脚注) E. H. Carr, The Bolshevik Revolution, 1917-1923, II(New York, 1952), p.145. 彼は、「これらの数字のいずれかを推測にすぎないと見なすことは困難だ」と述べる。たしかに、1918年7月にソヴナルコムが承認した国家予算は、遡及して以前の6ヶ月間、歳出を176億ルーブルに、歳入を28.5億ルーブルに固定していた。NV, No. 117/141(1918年7月14日), p.1. 当時の別の推計では、1918年前半の歳出は205億ルーブル、歳入は33億ルーブルだった。Lenin, Sochineniia, XXIII, p. 537-8.
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 (10) 臨時の出費の資金を増やし、同時に「階級敵」の経済力を削ぐために、ボルシェヴィキはときどき、「寄付金」というかたちでの差別的な徴税を行なった。
 そうして、1918年10月に、特別の一時限りの、100億ルーブルの「寄付金」が、国の有産階層者に課された。
 この臨時の徴税は、モンゴルが中世のロシアに導入した中国の例に従ったもので、都市部と地方の割合を定め、その範囲内で、支払いの配分をそれらに委ねた。
 モスクワとペテログラードは、それぞれ30億ルーブルと20億ルーブルが要求された。
 その他の地方ソヴェトには、支払いに責任を負う個人のリストを用意することが求められた(脚注)
 類似の「寄付金」が、地方ソヴェト自身の主導によって、課された。ときには、当面の出費のための金銭を徴集するために、ときには、制裁として。
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 (脚注) Piatyi Sozyv VTsIK: Stenographcheskii Otchet(Moscow, 1919), p.289-p.292. しかし、望んだ金額の一部だけが実際に徴集されたように思われる。
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 ②へとつづく。

2863/私の音楽ライブラリー054/クラシック⑭〜⑰。

 私の音楽ライブラリー054/クラシック⑭〜⑰。
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 ⑭Khachaturyan, Masquerade Suite.
 →Igor Manasherov, Moscow PhilO. 〔Igor Manasherov〕

 ⑮Liszt, La Campanella (Grandes etudes de Paganini)
 →Nobuyuki Tujii. 〔Classical Vault 1〕

 ⑯Mozart, Symphony No.40 in G-minor, K.550.
 →Allan Gilbert, Tokyo Metropolitan SymphO. 〔東京都交響楽団〕

 ⑰Mozart, Violin Concerto No.3 in G, K.216.
 →Janine Jansen, Paavo Järvi, NHK SymphO. 〔Torns B.〕
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2862/私の音楽ライブラリー053/クラシック⑩〜⑬。

 「クラシック」音楽30曲の、YouTube へのリンク。⑩〜⑬。
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 ⑩Dvorak, Violin Concerto in A-minor, op.53.
 →Isabelle Faust, Andrew Manze, NDR RadioPhil. 〔ARD Klassik〕

 ⑪Dvorak, Cello Concerto No.2 in B-minor, op.104.
 →Mstislav Rostropovich, Seiji Ozawa, NHK SymphO. 〔Korean.neri92〕

 ⑫Dvorak, Slavonic Dances in E-minor, op.72-2.
 →Simon Rattle, Berliner Phil. 〔Schandermann〕
 →Sayaka Shoji, Itamar Golan. 〔MagicalTalesOfWolves〕

 ⑬Grieg, Piano Concerto in A-minor, op.16.
 →Alice Sara Ott, Thomas Dausgaad, Danish National PhilO. 〔Hossein Omidi〕
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2861/斎藤元彦兵庫県知事による懲戒処分(2024.05.07)の「理由」。

  斎藤元彦・兵庫県知事が元西播磨県民局長に対して2024年5月7日に行なった懲戒処分(停職三月)の「理由」は四点あるとされる。その日に被処分者も「了知」して、当日に「発効」した、といちおう理解しておく。
 なお、審査請求(行政不服申立て)や取消訴訟の対象となる「処分」を国の行政手続法(法律)や兵庫県行政手続条例〔1995年7月条例22号〕は「申請にもとづく処分」と「不利益処分」に分けている。許認可等の申請に対する拒否処分は前者に、営業停止命令や公務員への懲戒処分は後者に含まれる。
 申請に定する拒否処分にも不利益処分にもそれを通知する文書に理由は付記されなければならない(兵庫県行政手続条例8条・14条)。
 斎藤元彦・兵庫県知事が2024年5月7日に行なった西播磨県民局長に対する懲戒処分(停職三月)にも「理由」が処分通知書自体に(別添であれ)記載されていたはずだ。
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  2025年3月16日に公表された<第三者委員会>(第一)の報告書は、上記懲戒処分はつぎの「四つの処分理由」により行われたと整理している。
 ①〜④は原文まま。ここでは番号ごとに区切った。
「①「誹謗中傷文書(本件文書)の作成・配布行為、
 ②「人事データ専用端末の不正利用(人事課管理職時に、特定の職員の顔写真データに関し、業務上の端末を不正に利用するとともに、個人情報を不正に取得し持ち出した)、
 ③「職務専念義務違反行為(平成23年から14年間にわたって、勤務時間中に計200時間程度、多い日で1日3時間、公用パソコンを使用して業務と関係ない私的文書を多数作成した)、
 ④ハラスメントメント行為(令和4年5月、次長級職員に対してハラスメント行為を行い、著しい精神的苦痛を与えた)」。
 なお、同報告書の付記によると、②〜④は「3月25日に引き上げた公用パソコン内のデータから判明したものだった」。
 以上、上記報告書のp.123-4。
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  YouTube 上で提供されている情報の中には、兵庫県(人事関連部署)が作成された、<懲戒処分一覧>とでも称すべき文書のうち、上記懲戒処分の部分をそのまま画像として示しているものがある。
 それら(複数)によると、「処分理由」はつぎのとおり。丸数字はなく、四つの段落に分けられている。ここでは便宜的に、順序とおりに①〜④の丸数字を付す。
 ①「令和6年3月、知事や一部の幹部職員を誹謗中傷する文書を作成・配布し、多方面に流出させることで、県政への信用を著しく損なわせた」。
 ②「平成23年〜28年にかけて、人事課管理職時に、業務の目的外で人事データ専用端末を使用して特定の職員(1名分)の顔写真データを2回表示・撮影し、又は顔写真データを1回コピーして、そのデータを公用PCに保存し、人事異動の際には、そのデータを自宅に持ち帰った上で異動先の公用PCに保存することによって、業務上の端末を不正に操作するとともに、個人情報を不正に取得し持ち出した」。
 ③「平成23年から14年間にわたって、勤務時間中に計200時間程度、多い日で1日3時間、公用PCを使用して業務と関係のない私的文書を多数作成し、職務専念義務等に違反した」。
 ④「令和4年5月、次長級職員に対して人格を否定する文書を匿名で送付するハラスメント行為を行い、当該職員に著しい精神的苦痛を与えた」。
 以上。
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  「<懲戒処分一覧>とでも称すべき文書のうち上記懲戒処分の部分」と上に書いたが、その理由はつぎのとおり・第一に、「事案一」と当該文書の左上に書かれている。第二に、正式の「付記理由」は処分通知書に(別添であれ)記載されるのであって、紹介されているのは、処分通知書そのものではない(処分通知書全文を「公開」するのは被処分等の「権利」を過度に害する可能性がある、という問題もある)。
 したがって、上の四点の「理由」は正規の文章そのままではない可能性がある。もう少しは詳細だった可能性はある。
 但し、基本的な理由を疎漏したり省略したりしているとは考えられないので、上の懲戒処分の適否・効力を—「理由」との関係でも—考察するには、上のような「付記理由」を前提としても、おそらく差し支えないだろう。
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2860/ドレミ7音・1オクターブ12音の作り方。

 2023年6月〜8月に「『ドレミ』はなぜ『7音』なのか」を連載?していたが、中途で終わっている。
 M・ヴェーバーの『音楽社会学』や「日本音階」研究がすでに明治時代にあって「岩波文庫」に残っていることに気づいて、それらに関心が移ったことにもよる。
 また、丁寧または厳密に音設定の可能性を全て考慮する、ということを試みたからでもあった。
 再開して、一挙に、実際に私なりの「ドレミ…7音」の設定方法を示す。
 さらには、上の1オクターブ7音を基礎にして、1オクターブ12音も私なりに設定する。これらは、ピアノでの7つの「白鍵」と残り5つの「黒鍵」の成立ちもきっと説明するだろう。
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  何度も書いたように、ヒトにとって、ちょうど1オクターブ違う音(音波数比が2または1/2の乗数)の発見に次いで重要だったのは、1に次ぐ2と3の数字を利用して1オクターブのあいだに新しい音を設定することを発見したことだろう。仔細は省略して、つぎの並びの3音が得られる。最後の1オクターブ上の2は〔、2〕と記す。
 A—①1、②4/3、③3/2〔、2〕。*3音(2を含めて4音)。
 以下に共通する<秋月瑛二の音の設定方法>の要点はつぎのとおり。
 01、得られている(隣り合う)各音の間の周波数比を確認する。この差を「間差」と呼ぶことにする。
 02、「間差」が最大の部分の中に新しい音を設定することにする。
 03、最大の「間差」のある下の(低い)音の周波数比に可能なかぎり既出の数値を掛けて、新しい音の周波数比び関する数値とする。
 以上を繰り返す。最大の「間差」部分の発見、下の(低い)音を基準とすること、可能なかぎり既出の数値の選択、の3点が要点だ。
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  実際に、Aから5音設定へと発展させる。「間差」は最後の2との間も含めて3箇所にできる。
 Aでの「間差」。
 01→4/3=4/3÷1
 02→9/8=(3/2)÷(4/3)
 03→4/3=2÷(3/2)
 最大の「間差」は4/3だ。4/3=1.333333、9/8=1.125。
 「間差」4/3のある下の(低い)音に既出の「9/8」を掛けて、新しい音の周波数比とする。すると、つぎの並びが得られる。新しいのは、②と⑤だ。
 B—①1、②9/8(=1x(9/8))、③4/3、④3/2、⑤27/16(=(3/2)x(9/8))〔、2〕。*5音(2を含めて6音)。
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  Bでの「間差」。最後の2との間も含めて5箇所ある。
 01→9/8=(9/8)÷1
 02→32/27=(4/3)÷(9/8)
 03→9/8=(3/2)÷(4/3)
 04→9/8=(27/16)÷(3/2)
 05→32/27=(2)÷(27/16)
 最大の「間差」は32/27だ。32/27=1.185185…、9/8=1.125
 「間差」32/27のある2箇所の下の(低い)音に既出の「9/8」を掛けて、新しい音の周波数比とする。すると、つぎの並びが得られる。新しいのは、③と⑦だ。
 C—①1、②9/8、③81/64=(9/8)x(9/8)、④4/3、⑤3/2、⑥27/16、⑦243/128=(27/16)x(9/8)〔、2〕。*7音(2を含めて8音)。
 以上で、1オクターブ内に、7音(2を含めて8音)が設定できた。
 それぞれに、ドレミの語を当てると、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ(・ド)になる。もちろん、現在に耳にするドレミと同じではない(だがよくは似ている)。
 これが最初に得られる7音(8音)だとすると。これらにのみピアノ・オルガン類でで「白鍵」を与えるのも理由がある、ということになるだろう。
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  7音(2を含めて8音)からさらに12音(2を含めて13音)へと発展させる。
 Cでの「間差」。最後の2との間も含めて7箇所ある。
 01→9/8=(9/8)÷1
 02→9/8=(81/64)÷(9/8)
 03→256/243=(4/3)÷(81/64)
 04→9/8=(3/2)÷(4/3)
 05→9/8=(27/16)÷(3/2)
 06→9/8=(243/128)÷(27/16)
 07→256/243=2÷(243/128)
 最大の「間差」は9/8だ。9/8=1.125、256/243=1.053497…。
 「間差」9/8のある5箇所の下の(低い)音に既出の「256/243」を掛けて、新しい音の周波数比とする。すると、つぎの計12音(13音)の並びが得られる。新しいのは、②、④、⑦、⑨、⑪だ。
 D—①1
 ②256/243
 ③9/8
 ④32/27=(9/8)x(256/243)
 ⑤81/64
 ⑥4/3
 ⑦1024/729=(4/3)x(256/243)
 ⑧3/2
 ⑨128/81=(3/2)x(256/243)
 ⑩27/16
 ⑪16/9=(27/16)x(256/243)
 ⑫243/128
 ⑬2。
 横に並べると、1、256/243、9/8、32/27、81/64、4/3、1024/729、3/2、128/81、27/16、16/9、243/128、2。
 新しい5音は256/243、32/27、1027/729、128/81、16/9で、最も数字が多くても(1027/729)で、32/27、16/9というきわめて簡潔な数字(分数)も出てくる。
 以上で、1オクターブ内に12音(最後の2を含めて13音)が設定できた。自然に作業していくと、11でも13でもなく、12音が得られた。
 これらを、半音記号の一つを用いて、ドレミ…に加えて、つぎのように並べることもできる。
 ド・レ♭・レ・ミ♭・ミ・ファ・ソ♭・ソ・ラ♭・ラ・シ♭・シ(・ド)。
 上のCでの7音が「白鍵」だとすると、上の半音記号(♭)付きの音はピアノ・オルガン類では「黒鍵」とすることが考えられる
 「黒鍵」数は5つだ。
 しかも、ミ・ファ、シ・ドの間には「黒鍵」が入らないので、5つの「黒鍵」は左の2つ、右の3つに分かれることになる。これは、現在のピアノ・オルガン類と同じだ。
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  以上の全ては、A—①1、②4/3、③3/2〔、2〕の3音(2を含めて4音)から出発している。その際に、②と③の「間差」が「9/8」であることに気づいたことが大きい。
 Cでの7音(2を含めて8音)は、意識的に7音になるよう「企てた」のではない。隣り合う各音の「間差」の最大部分を、既出の数値を使って二分して新しい音を増やしていくと、計2回の作業でCへと至った。
 Dでの12音(2を含めて13音)についても全く同じで、12音になるよう意識的に「企てた」のではない。
 Cでの各音の「間差」は同じ数値のものが5カ所あったことから、結果として5音増えて、7+5で12音になったにすぎない。意識的な「操作」は全くない。
 それでも、ある程度は(完全にではないが)均等に分配された7音、12音を1オクターブ内に、素人の秋月瑛二でも設定することができた。
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  以下は「秘密」の暴露ではなく、「偶然」なのかどうか不思議に思っていることだ(但し、F-Gが9/8というのは意識していなかったが、C-Dがピタゴラス音律では9/8だという知識はあった)。
 第一。Cの7音は、最もよく提示されるピタゴラス音律での7音と分数値が完全に一致している。
 第二。Dの12音は、ピタゴラス音律で得られる各音のうち、最初の5音をα方式(上昇型・時計回り型・プラス方式)、残りの7音をβ方式(下降型・反時計回り型・マイナス方式)で設定した場合の分数値と合致している。
 いずれにせよ、つぎのことは言えるだろう。
 ピタゴラス音律とは一定の音の周波数値を2乗・4乗していって1〜2の範囲内になるよう2・4〜で除する(割る)または一定の音の周波数値を1/2乗・1/4乗していって1〜2の範囲内になるよう2・4〜で乗じる(掛ける)ことによって1オクターブ内に12音(2に近い音を含めて13音)を発見しようとするものだ。
 だが、このような複雑な(かつピタゴラス・コンマを残す)作業を行わなくても、今回に秋月瑛二が行った方法によっても、同じような結果を得られのではないだろうか。
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2859/法(法学)という「ものの考え方」002—斎藤元彦①。

 「ものの考え方」という表現に厳密に拘泥しなければ、社会のことはたいてい「法」に関係しているので、この表題でほとんど何でも書けるな、ということを後になって気づいた。
 元々予定していた内容ではないが、気になる「法」的問題に触れる。常識的、または基礎的な問題ではない。
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  斎藤元彦(現兵庫県知事)の法的または法学的知識には、問題が多いように見える。表向きは詳しいように見えて、じつはほとんど「無知」なのではないか。この人が「経済学部」出身であることに、今回はとくには注目しない。
 なお、斎藤が総務省出身だからと言って、総務省所管の公職選挙法(法律)のことをよく知っている、ということは、公職選挙法担当部署の経験がない限り、あり得ないだろう。公職選挙法、政治資金規正法あたりを専門とする弁護士も、ほとんど存在しない。
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  さて、2025年3月5日の定例記者会見の中に、斎藤がこう述べている部分がある。
 「懲戒処分に対しては…、もし…不服があれば、これは人事委員会というところに不服申立てができます。そこで審査されて、もしそこで本人の申立てが通らなかったとしても、次は裁判ということでいきますので、ご本人が本当に不服や何か問題があるのであれば、…申立てや裁判をすることができたはずです。ご本人はされなかったということで、それで懲戒処分というものは確定した、というのが今の見解でございます。
 同旨のことを、後でこうも言っている。
 「懲戒処分というものは、手続内容を経てやっているものですから、…処分された方がもし不服があれば不服申立てや裁判をされているということが一つのあり方ですから、そこをされなかったというところで、処分については確定をしているというのが今の見解ですね」。
 以上の趣旨・意味が理解されると、斎藤は想定していたのだろうか。記者会見に出席した記者たちは理解したのだろうか。
 上の部分をとくに取り上げて論評するメディア・マスコミはなかったように思われる。
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  読解すると、つぎのようになる。
 2024年5月に兵庫県知事が行なった、元西播磨県民局長に対する懲戒処分は、行政不服審査法、行政事件訴訟法(いずれも法律)にいう「処分」(広義=「行政庁による処分その他公権力の行使に当たる行為」)に該当する。
 いったんなされた「処分」については<取消訴訟の排他性(排他的管轄)>というものがあり、訴訟の中では、「行政訴訟」の中の「抗告訴訟」の中の「取消訴訟」でもってしか、原則として、争うことができない。原則として、「取消訴訟」によって、当該「処分」の法的効力の「取消し」(=処分時に遡及しての法的効力の否認)を求めなければならない。
 行政不服審査法による「行政不服申立て」もすることができるが、通常は、取消訴訟と行政不服申立てのどちらでもよい。
 但し、公務員に対する懲戒処分については<行政不服申立て前置主義>が個別の法制度上採用されていて、取消訴訟を提起する前に必ず「不服申立て」(本件の場合は人事委員会に対する「審査選挙」)をしなければならず、その結果(=裁決)に不服があるときに、「取消訴訟」という訴訟の提起ができる。
 「行政不服申立て」については「審査請求」も含めて「不服申立て期間」(「審査請求期間」)が定められていて、原則として、処分があったことを知った日の翌日から起算して三月」以内に行なわなければならない。なお、了知日いかんを問わず、「処分があった日の翌日から起算して一年を経過したときは、することができない」(以上、行政不服審査法18条)。
 元西播磨県民局長に対する懲戒処分は2024年5月7日に行われたとされ、その日に同氏が了知したとすると(これは通常は「処分通知書」の受領だ)、不服があれば同年8月7日までは兵庫県人事委員会に対して「審査請求」をすることができた
 その不服申立てについての「裁決」に(一部にせよ)不服があれば、原則として、当該裁決があったことを「知った日」から(の翌日起算で)六箇月」以内であれば、「取消訴訟」を提起することができる(行政事件訴訟法14条)。この場合、原懲戒処分についての取消訴訟というかたちをとる。
 元西播磨県民局長は、2024年7月7日に、自死しているのが発見された、とされる。
 存命であれば、上記のとおり8月7日までは「審査請求」をすることができた。だが、死亡によりこれを行なうことはできなくなった(遺族による損害賠償請求は別だが、本人しか「審査請求」はできない)。
 そうすると、「取消訴訟」の提起は「審査請求」についての「裁決」の存在が必要であるので、「取消訴訟」の提起も不可能になった。
 行なわれた「処分」についての、「取消し」を求める「審査請求」と「取消訴訟」を合わせて「取消争訟」と称することがあり、前者の「前置主義」が採用されている場合にとくに、行なわれた処分についての<取消争訟の排他性(排他的管轄)>が語られることがある。
 本件の場合、被処分者がこの<取消争訟の排他的管轄>を遵守しなかったので、要するに人事委員会に対する「審査請求」を行なわなかったので、被処分者に対する処分(懲戒処分)の法的効力を「取消す」法的手段はもう存在しなくなった、と表現することができる。
 このことを一般に、一定の「処分」は「確定した」、より正確には「形式的に確定した」という。形式的確定力が生じた」とも言う。この<形式的確定>は審査請求期間や「取消訴訟」の「出訴期間」の<徒過>によって生じる。
 斎藤元彦が「ご本人」が「不服申立てや裁判」をしなかったので本件の懲戒処分は「確定した(確定している)」と言っているのは、以上のような法制を前提にしている。
 そして、今さら懲戒処分の適法性や有効性を議論しても無駄だ、相手が「法的手続」をとらなかったから、すでに法的には有効なものとして「確定」しているのだ、と言いたいのだろう。
 なお、客観的には「違法な」処分であっても<取消争訟の排他性(排他的管轄)>があるゆえに、一定期間の<徒過>によって、有効なものとして「通用」してしまう、という現象が生じ得ることを現行法制度が容認していることは、否定できない。(以上は法的「効力」に関する叙述であり、損害賠償や刑事法上の問題は別論。)
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  しかし、司法試験の必須科目である「行政法」を勉強した者や国家公務員試験で「行政法」という科目を選択して勉強した者であれば、さらに、つぎのことも知っていなければならない。
 のうのうと「確定した(している)」というのが今の「見解」ですね、と言っている斎藤元彦の「法的知識」は中途半端だ。おそらくは、上記の<取消争訟の排他性>のことを総務省入省後に知っていて、そのことだけを「振りかざして」いるのだろう
 斎藤元彦の言明にはない重要な点は、以下のとおりだ。
 「違法な」処分と「瑕疵のある」処分を同じ意味で用いるとすると(「瑕疵」概念の用法には必ずしも絶対的な一致はない)、そこでの「瑕疵」には、つぎの二種がある(「軽微な瑕疵」という論点を省く)。
 「取消しうべき瑕疵」と「無効の瑕疵」だ。この区別は、民法(学)上もある。むしろ民法(学)上の概念と議論が行政上の「処分」についても応用されている、と言える。より簡単に「取消しの瑕疵」と「無効の瑕疵」の区別とも言う。
 しかして、上記の取消争訟の排他性(排他的管轄)>が適用されるのは、「取消しうべき瑕疵」をもつ「処分」に限られ、「無効の瑕疵をもつ」、つまり「無効な」処分は、この<排他性>の制約を受けない。
 要するに、「無効」である処分は、行政不服申立て制度や「取消訴訟」制度を利用しなくとも、当然に、あるいは当初から、「無効」であって、法的「効力を有しない」のだ。

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  2025年3月16日に発表された兵庫県の「第三者委員会」(第一)の報告書は、こう明記している。まずは、「第10章・公益通報などの観点から見た場合の県の対応の問題点について/第3・本件文書の作成・配布行為に対する兵庫県の対応の適否/6・本件懲戒処分の適法性/(4)・処分理由①について/イ・通報対象事実とそうでない事実の混在について」にある。
 「本件文書を作成して配布した行為を懲戒処分の対象とすることは、公益通報該当性が認められない部分、真実相当性が認められない部分を含め、懲戒権者に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、濫用するものであるから、違法であり、その部分について行われた懲戒処分は効力を有しないと判断する」。
 また、上は公益通報者保護法の観点からと見られるのに対し、続く「ウ・斎藤知事のパワハラ行為に着目した検討」は最終的には「違法」とまとめているが、前提としてこう書いている。
 斎藤知事にパワハラがあったとの指摘・通報が懲戒処分の理由となるか否かという観点から検討して「懲戒処分を行うべきではないという判断に至れば、保護法の観点とは別に、パワハラを指摘した部分については、その効力が否定されることになる」。
 これらにおける「効力を有しない」、「効力が否定される」とは、<無効だ>と言っているに等しいだろう。
 とすると、「第三者委員会(第一)」の報告書によると、上のかぎりで、「ご本人」が取消争訟を提起しなかったので「確定した(している)」と、のうのうと(偉そうに?)言って済ますことはできない。
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  斎藤元彦は十分に正確には「知って」いないのであり、そのことを自覚しないまま、記者会見という公の場で恥ずかしい「見解」を披歴していることになる。
 法的問題に関連する斎藤元彦の発言には、他にも問題の多い、または間違っているものがある。回を改める。
 また、上記<第三者委員会>報告書では、理由の一部(①)について違法とされ「無効」とされたがその他の理由(本件での②〜④)については「違法」が断定されておらず、「効力を有しない」との明記もない。このような場合、一体としての一つの懲戒処分の法的「効力」はどうなるのか、少なくとも「停職三月」は維持されないだろうというのは確実だが、ではどうなるかはやや困難な問題だ。
 上記<第三者委員会>報告は「判決」ではなく、本件懲戒処分の丁寧な司法審査をしているわけでもない。これらにものちに、論及するかもしれない・
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2858/私の音楽ライブラリー052/クラシック⑤〜⑨。

 30の「クラシック」音楽曲の、YouTube へのリンク。⑤〜⑨。
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 ⑤Brahms, Symphony No.1 in C-minor, op.68.
 →Karl Böhm, Wiener PhilO. 〔akise san〕

 ⑥Brahms, Symphony No.4 in E-minor, op.98.
 →Herbert von Karajan, Berliner Phil. 〔karajan 7〕

 ⑦Brahms, Hungarian Dances No.1 in G-minor.
 →Simon Rattle, Berliner Phil. 〔Deutsche Grammophon〕

 ⑧Chopin, Piano Concerto No.1 in E-minor, op.11.
 →Martha Argerich, Franco Mannino, ORTF PhilO. 〔Mc Interz〕

 ⑨Chopin, Nocturn No.20 in C♯-minor, op.posth.
 →Wladyslaw Szpilman. 〔profslump20078〕
 →Nobuyuki Tujii. 〔Classical Vault 1〕
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2857/池田信夫のブログ038。

  池田信夫のブログマガジン2025年4月7日号の、「『AI氷河期』がやってくる」の中に、つぎの文章がある。
 「たとえば、『バッハの作曲したものと同じような曲を書いてください』とGPTに頼めば、いかにもバッハらしい曲をすぐにつくる。
 それはLLMのコア機能が穴埋め問題だからである。GPTはバッハの楽譜をすべて記憶しているから、その一部を削除して『バッハ的な曲にしろ』といえば、確率の高い音符を検索して埋める。こういう作業を繰り返すと、『バッハの曲』という言葉だけで、それらしき音符を並べることができるのだ。」
 これは、バッハの曲の楽譜を全て「記憶」していることを前提として、その「一部」削除して「確率の高い」音符の検索・補充を繰り返すと、「バッハ的な曲」になる、ということを意味させていると見られる。
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  単純素朴な疑問は、「真の」バッハ曲から出発していれば、その「一部」の削除と補充を反復しても、「バッハらしい」曲になる可能性が高いことは至極当然だろう、ということだ。最初の楽曲がそもそもバッハであり、(たぶんバッハらしい)「確率の高い」音符の検索・補充をするのだから、「バッハらしく」なるのは当然だという気がする。
 こんなことよりも、関心を惹くのは、つぎのようなことだ。
 第一に、GPTは、どのようにしてバッハ曲の「楽譜」を「記憶」するのか。
 「楽譜」認識作業は、「大規模言語モデル(LLM)」とか「認知言語学」とかの範疇外であるように、素人には思える。
 「楽譜」は、意味を持っていても、言葉や文章ではないからだ。
 AIはおそらく、「画像」として、バッハの楽譜の全てを「読み取る」。
 その画像が(言葉や文章を写真撮影した=画像化した文章の場合のように)意味ある言葉や文章へと「変換」されることはない。
 おそらくは、<楽譜>の様式・書き方に関する別の情報と組み合わせることで、特定の「音符」が意味する音の<高さ>・<長さ>等々が「認識」され、別の「音符」との接合・連絡関係もいくつかのレベルで「トータルに」把握される。
 ここで問題になるのは、バッハの時代、「楽譜」なるものの書き方・表現方法が一定のものに確立されていたのかどうかだ。詳細は知らないが、今日にたぶんバッハ曲の全てまたはほとんどが演奏されCD化されているようであることからすると、音源は残っていなくとも「楽譜」は残っているのだろう。また、今日に定まっている「楽譜」作成の仕方と異なるものがあったとしても、今日のそれへと「変換」できるのだろう。
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 第二に、「バッハらしい曲」の「楽譜」が完成したとしても、それだけでは不十分だ。音楽は、その「楽譜」に従って、演奏あるいは「歌唱」されなければならない。
 この場合に、バッハまたは「バッハらしい」曲の「楽譜」・「音符」の意味は、今日のそれらと同一なのか、という問題が出てくる。
 一定の「音符」の長さや小節の区切りの仕方、半音表記の仕方、「拍子」表記等々は今日と同じだと、かりにしておこう。
 しかし、最終的に残るのは、「バッハらしい曲」の「楽譜」上の音符が示す「音」の高さや大きさだ。
 重要な問題として、その音符、そして曲全体はいったい何の<楽器>によって「演奏」されるのか、合唱または独唱されるとして、どのような<声>で「歌われる」のか、があるが、ここでは立ち入らない。
 現在では、楽譜上のAのライン上の音符の音の高さは、音波数で440khまたはその2乗倍数もしくは1/2乗倍数と国際的に定められている(実際には442khによることも多いとされる)。
 17世紀のバッハの時代、「楽譜」表記上の「音符」が示す一定の「音」の<高さ>について、一致があったのだろうか。
 この問題は、「曲」の構成要素である「音」の正確な高さ(・長さ)ではなく、「音」が全体として形成する「曲」すなわち「旋律」が重要なのだから、「曲」内の全ての「音」の<相互関係>・<相関関係>が認識できればよい、として解消することはできる。一定の「調」は何か、で判別する、と言い換えてもよい。
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 だが、第三に、池田信夫は想定していないだろう問題がまだある。
 一定の「音符」が示す「音」と別の「音」との<相互関係>に関する理解は今日と同じなのか、という問題だ。
 バッハの時代、いわゆるピタゴラス音律を発展させた<十二平均律>はすでに「理論的には」知られていた、という。しかし、ヨーロッパ中心にせよ<十二平均律>が一般的になったのは19世紀前半であって、バッハの時代はまだ一定していなかった。
 これは、<音律>の問題だ。つまり、今日の楽譜上で例えばCとその上のEのあいだの音の高さの差、あるいは「音程」は、バッハの時代も同じだったのか、という重要な問題がある。
 --------
  趣味的に叙述を続ける。
 ピタゴラス音律では、C-F-Gは、1, 4/3, 3/2 という「調和性」の高い(=周波数の関係を示す数値が簡潔な)「音階」を示す。
 十二平均律では、C-F-Gは、1, (2の5/12乗)、(2の7/12乗)という(C=1としての)「音階」になる。
 上の二つを少数点表示(下5桁まで)で比較的すると、以下のとおり。
 ピタゴラス音律。1, 1.33333, 1.5。
 十二平均律。1, 1.33484, 1.49831。
 ついで、音律のうち<純正律>では、C-E-G(C=ドだとドミソ)はこうなる。きわめて簡潔だ。
 1, 5/4, 3/2。あるいは、4, 5, 6。
 十二平均律だと、こうなる。
 1, (2の4/12乗), (2の7/12乗)。
 上の二つを少数点表示(下5桁まで)で比較すると、以下のとおり。
 純正律。1, 1.25, 1.5。(1.25と1.5の比は、1.2)
 十二平均律。1, 1.25992, 1.49831。
 二例だけだが、これら二つの「音階」または「音程」の違いは、ふつうに 注意深くしていると、素人の私でも聴き分けることができる。
 --------
  要するに、基礎となっている<音律>が分からないと、「バッハらしい曲」の演奏等ができない。
 バッハには「平均律クラヴィーア曲集」という曲集があり、これは、12の異なる「基音」にもとづく、各々長調と短調の二種がある総計24曲で成っている。
 これでもってバッハは「十二平均律」を確立したとかの「俗説」がある。「平均律」と和訳されている部分はドイツ語でwohltemperirt で、「適正に(ほどよく)調整された」程度の意味であって、「十二平均律」を基礎にしているのではない、と思われる。
 「楽譜」が残っていても、当時に演奏された「音源」は全く残っていない。
 だから、AIが「楽譜」を認識し作成すると言っても、「音律」が分からないと「演奏」等ができない。
 言葉・文章に適したAIと、絵画等の画像や音楽等の音に関するAIとは別に思考する必要があるのではないか。前者ではいわゆる「画素」数の、後者では例えばサンプリング周波数のそれぞれ設定の問題がまずある。これらの問題は、言葉や文章にはない。
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2856/斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見②。

 斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見(一部)②。
 出所/兵庫県庁「知事記者会見(2025年3月5日(水曜日))」
 前回のつづき。
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 Arc Times:元県民局長は、公益通報者なんでしょうか。
 知事:4月4日で内部通報されたという意味では、4月4日に公益通報されたと。
 正確に言いますと、私は報道内容等でそう聞いているということです。
 Arc Times:少なくとも3月は別にして、知事の見解としては、4月については公益通報しているということですね。
 そういう意味で公益通報者なわけですけれども。
 知事:4月4日の時点では。
 Arc Times:その人物に対して、今、この後に及んで、わいせつな文書ということを言う理由はなぜでしょうか。
 これ、不利益を与えないというのは、公益通報者保護法の大きな趣旨ですけれども、なぜ公益通報者だと分かっているのに、その人物を、今、傷つけるようなことを言うんでしょうか。

 知事:3月の文書の配布について、これは公益通報ではなくて、誹謗中傷性の高い文書を作成されたということで、その作成をした。
 それを、公用パソコンを使って、業務時間外にやったと。
 Arc Times:それは、3月の話でしょ。私は4月の話をしてるんじゃなくて、4月以降は、もう公益通報者になったはずですから。
 知事:その調査をしていきながらですね、公用PCの中に4つの非違行為、その中に倫理上問題のある文書が見つかったということですから、それの説明を差し上げたということです。
 Arc Times:今日ですね、初めてわいせつな文書という言い方をしましたが、この間も質問出ていますけれども、知事は、今、見たことはないとおっしゃっていました。
 わいせつな文書とこの場で言うことは、非常に、まさに誹謗中傷性が高いと思いますが、その根拠は何でしょうか。
 知事がそこまで、この会見の場でおっしゃる根拠は何でしょうか。
 知事:パソコンの端末を調査された時に、そういったわいせつな内容が含まれる文書があるという報告を受けたからです。
 Arc Times:それは、百条委員会では、奥谷委員長は小説か日記か分からない文書と、真偽が分からないということを皆さん言っていますけれども、知事は、それはもうわいせつな文書と断定しているんですね。
 知事:そういう文書だったという風に報告を受けていますので。

 倫理上極めて問題のある文書で、それを、やっぱり公用パソコンで、県民の皆さんの税金で買っているパソコンですから、そこでやっぱり作られているということは、そこは問題がありますよね。
 Arc Times:知事は、この場でそういう言葉を使うことについて、それがさらなる中傷になるということは考えないんでしょうか。
 ご自身として、そこまで踏み込む必要があると考える理由は、なぜなんでしょうか。
 知事:倫理上問題がある文書というのは、これまで申し上げてましたんで、その範囲内で、どういった文書かというとわいせつな文書ということを申し上げただけです。
 Arc Times:でも、そのわいせつな内容は、知事は知っているんでしょうか、知らないんでしょうか。
 知事:中身は見ていませんけども、極めて不適切な内容だということを、この場では言えませんけど、あったということは聞いています
 Arc Times:それは人事課の判断ということなんですね。
 「わいせつ」というのは、主観的な判断ですけれども、そういう判断を県当局として、人事課も知事もしているということでいいんですね。
 知事:わいせつな文書だとは思いますね。

 それを公用パソコンでやられていますので、そこは1つの処分理由の中に、やっぱり業務上関係ない文書を作っていた。
 それは何かというと、倫理上極めて問題のある文書だということで。
 やっぱり、県民皆さんの税金を投入して、職務中にそんな文書を作っていたらですね、これは他の団体でも、パソコンを閲覧していましたと、それを勤務時間中に、例えば、競馬サイトとかアダルトサイトを見ていた場合に、それを理由に懲戒処分をされているというケースもあるとは思うんですけど、それと同様に、やっぱり勤務時間中に、業務と関係ないことをやっていたという場合には、やはり処分対象になるというだけの話ですね。
 Arc Times:これだけ公益通報者保護法の問題になっている中で、その妥当性が問われてきた中で、この9カ月、知事はあえて本人が、今、公益通報者であるということが分かっていながら、本人の不利益になることを、今、まだこの場で言い続けるわけですね。
 知事:4月4日以降は、公益通報された方ですけど、3月の外部に文書をされた時点については、我々は誹謗中傷性の高い文書を作成された、そこで調査をした結果、ご指摘いただいた文書を含む、4つの非違行為が見つかったということですね。
 Arc Times:今回の報告書について、知事は、今日の囲み取材で、公益通報者保護法に違反する可能性が高いというところについては、適法だという可能性もあるということだという風に言い、処分についてはもう確定したことだという風に言い、この文書については誹謗中傷性が高いと。
 この報告書では、文書には一定の事実が含まれていると、知事は事実無根、嘘八百と言ったけれども、ここには事実があったという風に言われているわけですが、これについても、誹謗中傷性が高いということで見解が変わってないわけですよね。

 知事:例えば、五百旗頭さんの話で言いますと、副理事長の任を解かせていただいたということは、事実としてはありますけども、命を縮めたということは事実ではないという風に思いますので、そこは誹謗中傷性が高いと思いますね。
 Arc Times:結局、メインのポイントで、真っ向から反対する見解を知事は全部述べているんですけど。
 これは地方自治法100条に基づく、極めて重い、偽証ができない、この県においては51年ぶりの報告書なわけですが、それを知事は、1つの見解という風にしか捉えていなくて、その内容については、全て主要なポイントにおいて全く聞く耳を持たないという状態なんですけれども、それがゼロ回答、自分の考えを変えないというのが、先ほどの必要な研修うんぬんのところはいいので、含めてゼロ回答というのは知事の答えなんでしょうか。
 そう受け取らざるをえないんですけれども。
 知事:ゼロ回答ではないとは思いますけども、やはり我々が主張すべきポイントはしっかり主張していくということは大事だと思いますし、改めるべきところはしっかり改めていくということで、百条委員会の報告書は本当にしっかり受け止めさせていただきたいと思います。
 Arc Times:私も昨日、会見に出ましたが、その意味では、議会はこれに対して、皆さん真摯に受け止めて欲しいと言っていましたが、知事は、しっかり受け止めるとは言いつつ、中身については全く逆のことを言い続けているわけですが、これは県議会とすると、後は、再び178条、不信任のとこに行くしかないということでしょうか。
 知事:ちょっとそこは分からないですけど、私としては、やっぱり百条委員会の報告書というのは、大変重いですから、そこは、しっかりと受け止めていくと。
 改めるべきところはしっかり改めていくということが大事だと思いますし、今日は2月補正予算も可決していただきました。
 本当にありがたいと思いますし、当初予算についてもこれからぜひ成立していけるように、議会側と未来志向の政策議論をしっかり深めていくということが大事だと思っています。
 Arc Times:アンガーマネジメント研修は、知事は受けるつもりがあるのでしょうか、ここで指摘されていますけど、これは知事のことを指していると思いますが。
 知事:ハラスメント研修というものは、しっかり受けようと思っていますので、そういった中でしっかり対応していきたいという風に思います。
 毎日放送:文書への対応を検討する上で、業務時間中に業務上必要のない、業務とは関係のない文書を作る人が作成した文書だから真実相当性がないという風に考えたということはありますでしょうか。
 知事:それはないですね。
 毎日放送:しっかりと切り離していたという認識で合っていますか。
 知事:やはり文書の内容について、私自身もそうです。
 これまで述べているとおりですね、通報対象事実について、やはり、客観的な裏付けや証拠がないということと噂話を集めて作成しただけだということをおっしゃっていたんで、それと誹謗中傷性の高い文書だということで、保護すべき外部通報としての要件は欠いているという風に考えていましたね。
 毎日放送:今回、報告書がまとまったことで、文書の中の一定の事実が認められたということですけれども、改めて嘘八百という発言については、どういう風に振り返られますか。
 知事:叱責をした、強く注意をしたことがあるとか、そういった事実については、確かに私も付箋を1枚投げてしまったりとか、机を叩いたという事実はあるということですね。
 一方で違法性の認定については、それぞれの項目で、どこまでされたかというとそこは違法性の認定というものは、あの文書を見る限りは、可能性としては触れつつも違法の認定はされてなかったということが、調査結果でもあるとは思います。
 いずれにしても、議会側からのご指摘ですね、これはやはり真摯に受け止めて、しっかり対応していきたいという風に思います。
 毎日放送:一定の事実が認められている状況ではありますが、行き過ぎた表現だったとは思っていないということでしょうか。
 知事:一定の事実は認められた面もありますけど、先ほどの、例えば、五百旗頭先生とかで言いますと、人事異動が先生の命を縮めたということは明白だというそこの一番大事なポイントのところが、やはり、そういった事実はない、認定されていないということがありますので、そこはやはり、文書の内容というのは、私どもとしては、誹謗中傷性の高い事実でないことが多々含まれている文書だという思いは、今も変わっていませんね。
 毎日放送:発言自体を撤回もされないということでしょうか。
 知事:そうですね。

 発言自体は強い発言だったという風には反省はしています。」
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2855/斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見①。

 斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見(一部)①
 出所/兵庫県庁「知事記者会見(2025年3月5日(水曜日))」
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 産経新聞:報告書〔いわゆる百条委員会報告書—掲載者〕の中では、告発文書について一定の事実が含まれていたことが認められたというような明記もされていますが、知事としてはこれまでの県の対応については適切だったとお考えでしょうか。
 知事:議会側から百条委員会の報告書で、一定の見解が示されたということは、しっかり受け止めるという必要がございます。
 改めていくところはしっかり改めていくということが大事だと思います。
 文書問題に関して、県の対応というものは、これまで申し上げているとおり県としては適切だったという風に考えています。
 産経新聞:告発者を懲戒処分とした一連の県の対応について、報告書では公益通報者保護法違反の可能性が高いというような明記もされています。
 その際、囲みの取材の時にその可能性について、逆に言うと適法性の可能性もあるというようなご発言をされていたんですけれども、もう一度説明をしていただければと思います。
 知事:今回、議会側から報告書で一定の見解が示されたということは重く受け止めるということが必要だと思います。
 県としては、今回の文書問題に関する初動の対応から、懲戒処分の対応まで、これは弁護士とも相談しながらやってきたということ、そして、文書について誹謗中傷性の高い文書だということで、作られた方を調査したということです。
 それを踏まえた調査結果とそれを含めた4つの非違行為というものが、判明しましたので、懲戒処分をさせていただいたということです。
 内容、手続きともに問題なかったと考えています。
 公益通報の関係については、有識者の中でも様々な見解があるということで、違法性があるという指摘をされている方も百条委員会でもおられましたけれど、一方で、文書等ではやむを得なかったとか、そういった違法性がなかったという旨もおっしゃっている方もおられますので、意見が分かれるという問題ではあると思いますけれども、県としては違法性の問題はなく、適切だったという風に考えています。
 産経新聞:認定について断定をしていないから適法の可能性もあるんだというご説明ということですか。
 知事:可能性というもので、違法性についての可能性ということをおっしゃっていますので、可能性というからには他の可能性もあるということだと思います。
 産経新聞:報告書の中で、今回の県民局長に対しての救済回復の処置をとるというような規定に基づいた対応も必要だということも明記されています。
 改めて元県民局長の名誉回復について、例えば処分撤回をするなり、謝罪をするなり、そういったことを考えないでしょうか。

 知事:元県民局長が亡くなられたということは、大変残念で、改めてお悔やみを申し上げたいと思います。
 元県民局長も県政に長年にわたりご尽力いただいたということへの感謝もやはり大事だと私自身も思っています。
 一方で、今回の文書については、文書そのものが誹謗中傷性の高い文書だということと、多方面に実名を挙げて、企業名であったり個人名、病名まで実名などを挙げてやられて、事実でないことが含まれるような文書でございますので、誹謗中傷性の高い文書だということです。
 それに基づいてどなたが作られたかということを調べざるをえなかったというのが今回の対応です。
 そして、公用パソコンの中に、当該文書のデータが見つかったということ。
 それ以外にも、他の職員の写真画像、これは、本来は、人事課でおそらく保存されているもんだと思いますけど、それを抜き取って保存していたということ。
 別の部長への誹謗中傷とされるハラスメントの文書を作成されたということです。
 それから四つ目が、倫理上極めて不適切なわいせつな文書を作成されていたということで、4つの非違行為が判明しましたので、ここは懲戒処分ということになりました。
 懲戒処分の内容、手続きともに適切だった、適正だったと考えています。
 懲戒処分に対しては、先ほどの囲み取材でも申し上げましたけれど、もし不満、そして不服があれば、これは人事委員会というところに不服申し立てができます
 そこで審査がされて、もし、そこで本人の申し立てが通らなかったとしても、次は裁判ということでいきますので、ご本人が本当に不服や何か問題があるのであれば、人事委員会などに申し立てや裁判をするということができたはずです。
 ご本人はされなかったということで、それで懲戒処分というものは確定したというのが今の見解でございます。 

 産経新聞:先ほどの処分の理由の中で元県民局長が公用パソコンの中に保管した私的文書の内容について触れていました。
 倫理上極めて不適切な文書というような表現をされていたと思います。
 当初の処分の発表ではその内容について業務と関係のない私的な文書を多数作成というような説明の仕方をされていたと思います。
 今、現在、その内容に触れた説明をするという、その意図というか意味というのは、どういったところにあるんでしょうか。
 知事:倫理上問題のある文書というものは、これまでから申し上げていましたので、それが業務上じゃない文書ということで、どういった文書かということで説明したということです。
 産経新聞:この私的文書の内容について、県保有情報であるにもかかわらずSNS上にも流出してしまうという問題にも発展していると思いますが、そういったその内容に触れる発言を知事自身が行うというところの重大性についてどういうお考えでしょうか。
 知事:文書のその件については、今、第三者委員会の方で調査がされているというとこだと思います。
 その結果を、今、待っているというとこです。
 公用PCですから、県民の皆さんのパソコンの中にあった文書が業務時間中に業務と関係ないということをされていたということですから、そこの内容について、倫理上不適切なわいせつな文書だったということを申し上げているということです。
 産経新聞:私的文書について、先ほど言った「わいせつな」という表現をされていたと思いますけれども、これが流出されたことによって、一方でその告発文書の信用性というものも、失わせるような発信をするSNS上では見られるんですけれども、そういった事態がある中で、なぜ知事も「わいせつな」というような表現をするのかというところを教えてください。
  知事:公用PCの中身というものが、1つの我々が懲戒処分をさせていただいたということで、4つの非違行為ということになります。
 その1つの中が今申し上げた、業務上関係のないというものの中で倫理上問題のある、文書だったということです。
 それを申し上げたということです。
 産経新聞:有識者の方にも取材をしていると、そういった私的文書が流出してしまうこと自体も告発者の不利益扱いだというような見解を示されている有識者の方もいるんですけれども、そういった中でも中身について触れる説明をしないといけないですか。
 知事:懲戒処分の1つの理由になっています。
 これは業務上と関係ない、倫理上極めて問題のある文書だということで、これは申し上げるということは問題ないと思っています。

 日経新聞:今回、報告書を受けて、斎藤知事はこれまでの対応、県の対応は適切だったと従来の説明をされていると思いますが、仮に適切だと思っていても、当時を振り返って、より良い判断というのはいろんな場面であったかと思います。
 その中で、今回、報告書が出ていろんな課題も指摘されていると思いますが、当時を振り返ってこうするべきだったと思ったり、今後それを振り返る機会をしっかり作るなど、その辺りはどのようなご認識でしょうか。
 知事:内容で言いますと、議会側からもご指摘があったとおり、風通しの良い職場づくりに向けて、研修などをしっかりやっていくということは本当に大事だと考えています。
 物品受領についても、県民の皆さんから疑念を抱かれないようなルールづくりは大事だと考えていますので、そういった改めるべきところはしっかり改めていくということが大事だと考えています。
 その点も含めまして、一連の対応については、私としては問題ないと考えています。
 日経新聞:県として調査するのではなく、最初から第三者機関に委託するなど、その辺りについても特に思うことはないということでしょうか。
  知事:あの時、取り得る対応としては、最善の対応だったと考えています。
 確かにいろんなご指摘はあると思いますが、やはり、誹謗中傷性の高い文書が作成されて、多くの個人や企業の名称が出て、そして核心的なところが事実でない、信用を失墜しかねない違法行為などをやっているという内容でしたので、そこは早く対応しなければならないということで、誰が作ったかを調べたという対応ですから、ここは初動からも含めて対応に問題はなかったという風に考えています。

 日経新聞:今日の本会議後の知事囲み取材の中で、報告書の結果については、最終的には県民がどう判断するかが大事という発言もあったと思います。
 そこの意図をお伺いします。
 これまで、例えば、パワハラであったりとか、公益通報に関しては司法の判断という発言もあった中で、その辺の考えは従来と変わらないのか、何かお考えがあるのでしょうか。
 知事:そこについては従来と変わりません。
 ハラスメントについても、民事で言いますと、当事者がハラスメントだとされて、司法の場で判断されるということも一般的ですし、公益通報についても、通報された方が、公益通報についての争いをするということで、違法性の判断というものは司法の場でされる。
 これは百条委員会で弁護士もおっしゃっていたことだと思いますので、最終的には、今回、百条委員会で報告書が出まして、議会側の議決を受けたということですから、これについては県民の皆さんが最終的にどのようにこれを見て判断されるかというところはあると思います。
 日経新聞:最終的には司法の判断だけれども、県民の見方というのも重視したいと、そういう意図でしょうか。
 知事:文書の内容についての判断は、最終的には司法の場ということを、今おっしゃった2点については、そういうことだと思いますが、私が申し上げたかったのは、議会が今回報告書を議決したという議会の対応など、こういったものは、最終的には県民の皆さんが、どのように見て、どのようにこれから判断していくのかということです。

 日経新聞:その点で言えば、今、弁護士6人で構成している第三者委員会があると思いますが、元裁判官という意味では司法の見方という点では非常に精度の高いものかと思います。
 その結果を今後知事は受けると思いますが、真正面からしっかり受け止めていくのか、それでもやっぱり司法の場ということになるのでしょうか。
 知事:第三者委員会の結論については、まだこれから、調査中で結論が出ていないので、そのコメントはまた出てからだと思います。
 読売新聞:報告書の総括で指摘されている、「県のリーダーとして厳正に身を処していかれることを期待する」という部分についてですが、昨日の百条委員会の会見で、委員の1人から、「知事は議会とのコミュニケーションを重視する、しっかりと話し合っていくと再選後もおっしゃっている中で、議会と知事との間にこの報告書が位置付けられているものだと思っている。この報告書をどう受け止められるか、議会を重視してコミュニケーションをとっていくところの表れだ」と発言されていますが、再選後も訴えていた県議会とのコミュニケーションの取り方について、今後、斎藤知事はどのようにお考えでしょうか。
 知事:県議会も今回の代表質問や一般質問を通じて、政策について未来志向での提案や議論をいただいたということが大変多かったと私は捉えています。
 これが、県知事側と議会側のあるべき姿だという風に本当に思いますので、こういった政策議論を通じて、これは本会議だけではなく、機会ごとにやっている各会派との意見交換であったり、そういったことを通じて、政策の議論、そういったものをしっかりコミュニケーションしながら深めていくということが、本当に大事だと思っていますので、これはしっかりとこれからもやっていきたいと考えています。
 読売新聞:斎藤知事としては、再選前と再選後で、コミュニケーションの取り方は大分綿密になってきているとお考えでしょうか。
 知事:まだ11月に再選してから3ヶ月ほどで、これからしっかりやっていくということ、これは12月議会や今回の2月議会でも、本当に闊達な政策論争というものはされていると思いますので、引き続き、議会側と議論を闊達にしながらコミュニケーションを図っていきたいと考えています。
 読売新聞:本日の本会議で、増山県議による報告書に対する反対討論をされている際に、斎藤知事がうなずかれている場面があったと思いますが、知事はどのような思いで、その辺を聞かれていたのか、共感される部分もあったのかと思ったんですが、どのような感じだったんでしょうか。
 知事:私、うなずきましたっけ。あまり認識はしていないのですが、すみません。
 人の話を聞いている時にうなずきながら、というのは、よくやることですので特に他意はございませんが、ご主張をしっかりされたという姿を見ていたということです。

 読売新聞:報告書の中身で指摘されている部分について、独立性を担保するために、県以外の第三者委員会に調査を委ねるべきだった、第三者委員会を設置することとしたが、本来は元県民局長の処分前に設置し、処分するのであれば、その調査結果に基づいて処分を行うべきだったと考えられるとの指摘がありますが、これについてどのようにお考えでしょうか。
 知事:1つの議会側からの見解だとは受け止めてはいますが、いろんなやり方があるということだと思います。
 私としては、当時の兵庫県として取り得る対応は、先ほど申し上げた、初動からの対応は適切だったと思っています。
 読売新聞:元総務部長による元県民局長のプライバシー情報の漏えい疑惑について、県として刑事告発も含めた厳正な対応を早急に求めると指摘がありますが、知事としてこの指摘を受けてどのように動かれていく予定でしょうか。
 知事:ここは、今、第三者調査委員会で調査を進めているところですので、その調査結果を待って、適切に対応したいと考えています。
 読売新聞:先ほど、日経新聞の報告書を受けてという話で、知事ご自身として改めて今回の指摘を受けて、風通しの良い県政とか、贈答品のルールなどもあったと思いますが、これまで気付いていなかった部分で、反省しなければいけなかったとご自身の中で思われるような、ご自身の課題について何かありましたか。
 知事:職員とのコミュニケーションということで、感謝の気持ちを伝えさせていただいたりとか、そういったところです。そこは本当に大事なポイントだと思いますので、そこをよりこれから大切にしていきたいという風に考えています。
 読売新聞:元県民局長の公用PCの中身の私的情報について、先ほど明言される部分があったと思いますが、知事は中身をご覧になられたんでしょうか。 
 知事:私は見たことはないです。

 読売新聞:見たことはなくて、先ほどの話というのは、人事課からずっと前から聞いていた話ということですか。
 知事:見つかった当初に倫理上極めて問題のある文書だということを聞いていました。
 読売新聞:その後、確認した部分から新たに確認したということではないということではないですか。
 知事:ないです。
 そういった文書がありますということは聞いていました。
 読売新聞:その当時発言されていなかった「わいせつな」という部分で、今回、出たという理由は何かあるのでしょうか。
 知事:倫理上、極めて問題があるということで、それはわいせつな文書だということです。 
 読売新聞:これまではそういったお話は出てなかったように思うのですが。
 知事:そうでしたっけ。
 倫理上問題のある文書ということで、そういった趣旨も含めていると思いますので、そこは、今日申し上げたというところです。

 毎日新聞:百条委員会から報告書が出ました。
 先ほどの囲み取材でも、今の会見でもそうですが、それについては、議会側からの1つの見解だとおっしゃっています。
 今、同じ文書問題についての第三者委員会の調査が進んでいまして、月内にも結果が出ると思います。
 その結果が、県議会の百条委員会の結論と重なる部分については、たとえ、今までの県の見解と違っていても、そこの部分というのは改められるのでしょうか。
 それとも、あくまでもそれは違うんだということになるのか、その辺どのようにお考えなんでしょうか。
 知事:第三者委員会の結論はまだ出ていませんので、それが出てみないことには、そこについては、どういう考えかというのは難しいかと思います。
 報告書が出てからの対応だと思います。
 毎日新聞:知事ご自身の姿勢としてそこはどうなんでしょうか。
 2つの報告書から、これまでの県のやったことは、これは間違っている、違うというような指摘があった場合に、それを受け入れられるのか、それとも、そうではないのか、知事の姿勢としてどうでしょうか。
 知事:今日もそうですが、1つの見解としてしっかり受け止めていくことは大事だと思います。
 毎日新聞:第三者委員会の結論もまた1つの見解ということですか。
 知事:そこは内容を見てみないと分からないですが、第三者委員会としての報告書が出たら、それをしっかり見解として受け止めていくということは大事だと思います。

 毎日新聞:議会との対話の件で。先ほど浜田議長が取材に応じられ、その時に、百条委員会の報告書に関して、知事の方からオファーがあれば喜んで対話はしたいと。
 現状としては、11月に就任されて以来、なかなかじっくり話す機会もなかったということで、浜田議長の方はそのような見解ですが、知事として、直接会談をするとか、面会してこの件について話をするということについてはどのようにお考えですか。
 知事:それは政策の話をしたいということですか。
 毎日新聞:県議会として百条委員会が51年ぶり報告書を出したという、この件についてです。
 知事:必要があればぜひ会いたいと思いますけども、議会側からは、今日、議決が本会議でされて、私どもの方にも、議長名で文書が来ましたから、そこが、議会側からの報告書の提出があったということですので、そこで文書問題についての対応というものは議会側として、一定の節目を迎えたということだとは思います。
 毎日新聞:コミュニケーションを重視されるということであれば、報告書という書類ではなく、それを基に直接お話しされることがコミュニケーションを深めることになると思いますが、その辺はどうお考えですか。
 知事:そこは必要があれば、やるということは大事だと思っています。
 読売テレビ:先ほど、片山元副知事がコメントを出しまして、元県民局長の公用PCのデータについて、自主的な公開を知事に求めていくという風に話しました。
 ただ、この私的情報については、生前、元県民局長が取扱いの配慮を百条委員会に求めていた内容でもありますが、この公用PCのデータの知事の自主的な公開についてはどのようにお考えでしょうか。
 知事:元副知事からのコメントは、ちょっと承知はしていませんが、公用PCについては、基本的には、県民の皆さんの税金で購入させていただいて、使用させているもの、公のものですから。
 そこにもちろん、人事課とかに、家族とかの個人情報とかが保存されて、そういったところのプライバシーとか、そういう写真とかというのは、大事に保存・保管しなければいけないというのはあります。
 一方でやはり、公用PCですからね。
 ここは県民の皆さんが、どういった使われ方をされているのかというのは、税金ですから、関心も高いですし、チェックをしたいという思いはあるとは思います
ので。
 ただ、今回については、現時点ではそういった公用PCの中身を公表するということは、県としては決めてはいません。
  読売テレビ:確認ですが、決めてはないけれども、精査した上で検討したいということなんでしょうか。
 知事:そこは、現時点では、公表するということは決めてはないんですけども、いろんなご指摘はもちろんあると思いますので、そこはどういう風にするかというのは、公用PCですからね、やっぱり税金で買わせていただいたパソコンなので、そこがやはり業務と関係ない使い方をされていたということは、やはり県民の皆さんにとっても、どういう使い方をしていたんだと、自分たちの税金で買って、公務員が業務に使うということが、やはり本来のあるべき姿でしょうと。
 そこは、税金を払われている納税者の方々から見てやっぱりいろんな関心はあると思いますので、そこはどういった対応ができるかというのは、最初から全てがだめとかという議論ではなくて、それは、手続きとか内容の精査をしながら、どういう対応をするかということを、決めていくことになるとは思います。

 読売テレビ:これまでのやりとりの中で知事は今回の報告書の件、1つの見解として受け止めるという風に発言されていますけれども、一応、今回その見解を出したのが、二元代表制の一翼を担う議会が出したということです。
 議会も、知事よりも前の選挙ではありますが、県民の負託を得ているという状況で、1つの見解というのは、少し報告書を矮小化しているにも聞こえるんですけれども、それでも1つの見解という受け止めなんでしょうか。
 知事:大変重い見解だという風に思っています。
 やはり、二元代表制の一翼を担う議会から今回、百条委員会の報告書として、1つの見解が示されたということは、やはり我々としてはしっかり受け止めなければいけないという風に考えています。
 NHK:百条委員会の報告書では、パワハラの疑いなどについても一定、事実の内容も含まれていたと。
 これに対して、知事はこういった報告書というのは1つの見解だというところで、ある種、百条委員会側ひいては議会側と知事の間で、すごく相入れない部分があるのかなと思っていまして、それはどうやって間を埋めていかれようとしているんでしょうか。
 知事:相入れていないという風に私は全く思っていなくて、もちろん議会側からの提言にもあったですね、アンガーマネジメント研修を取り入れて欲しいとか、あとは、物品受領についてのルールづくりを、会食も含めて、しっかりやって欲しいということで、そういった提言というものは、やはり我々としてもその見解をしっかり受け止めて、それを改めるべきところに、反映させていただくということは本当に大事だという風に思っていますので、そこはしっかりやっていきたいという風に思っています。」

 「NHK:文書問題の報告書とは、切り分けて予算は予算としてしっかり議論をしていくべきということですか。
 知事:今日、県議会で百条委員会の報告書をいただいたということは、大変重く受け止めるということは大事だと思います。
 改めるところをしっかり改めていくということが、私自身も大事だという風に思っていますので、その上で、謙虚な気持ちを持って、政策を進めていくという意味で、百条委員会の提言というものもしっかり踏まえていくということが大事だと思いますし、その上で、来年度予算の成立、これはやはり県民の皆さんの大きなご負託の中で、県の事業、予算というものをしっかり前に進めて欲しいということが、111万票ですね、それ以外の方も含めて、やはり県政をしっかり前に進めていって欲しいのが、県民の皆さんの総意、大きな思いですから、それを体現していくということ、それを実現していくということが、斎藤県政にとって大事なことだと思います。
  NHK:最終判断は司法の場というところ、今日に限らずこれまでも述べられました。
 昨日、百条委員会の報告書をまとめて、今日、賛成多数で了承されたと。
 知事自ら、最終判断は司法の場というところがちょっとふわっとしていて、知事はこの評価を受けて、何か司法の判断を仰ぐようなアクションとかは取られるおつもりなんですか
 一方で文書を書かれた元県民局長の方は亡くなられているので、そういう行動はできないと。
 やるとしたら知事ご自身が何か司法の場において判断を仰ぐなどそういったアクションは現時点で何か考えられているんでしょうか。
 知事:私からはないと思います。

 NHK:先ほどお話あった公用パソコンの公開というのは、元県民局長の公用パソコンの公開ということでよろしかったですか。
 知事:先ほどのご質問の趣旨が、そうであればそうだということです。
 NHK:先ほどの質問も確か元県民局長のパソコンの公開についての質問だったと思うんですが、知事としても、そこは公開も検討ということでしょうか
 知事:そこはいろんな、情報公開請求とか、いろんなものがどういう風にあるのかちょっと私は承知していませんけども、そういったものがあったりする中で、どういう風に対応していくのかというのは、今後、情報公開請求などがあればとかですね、あとは、いろんな県民の皆さんの関心など踏まえて、どういう風にしていくかというのは、今後、議論を全くしないというよりも、そういった議論はあり得るという可能性を言ったということですね。
 NHK:県民の皆さんからの関心も高まり、仮に情報公開請求があった際には元県民局長の公用パソコンの公開というのも一定可能性としてはあるということですか
 知事:請求とかがあれば、もちろん検討はしていかなければいけないと思いますし、最初から全てを公開しないのかというものでもなくて、それは一応そういった可能性としては、議論をしていくということはあり得るというだけの話ですね。

 朝日新聞:先ほど、知事がおっしゃいました元県民局長が公用パソコンで作成した私的文書の内容について触れられた件なんですけども、産経新聞もおっしゃっておられましたが、懲戒理由は、業務中に業務と関係ない文書を作成したということで、要は職務専念義務違反が理由だったはずで、「わいせつな」というその内容について触れるのは、元県民局長を不必要に貶めるようなことにならないでしょうか
 知事:倫理上、極めて問題のあるは文書だということはこれまでも申し上げていましたし、その倫理上問題があるということは、その中で、わいせつな文書だということを申し上げたということです。

 朝日新聞:報告書では、告発文書には一定の事実が含まれていたとしている一方で知事は、昨年の3月の会見で嘘八百ですとか、それ以降も真実相当性がないとおっしゃっておられました。
 この真実相当性がないという部分については、何か撤回とかそういったお考えはいかがでしょうか。
 知事:我々としては、噂話を集めて作成したということとかですね、あと文書の内容についても、具体的な供述や裏付けがなく、誹謗中傷性の高い文書だということですので、従来の見解から変わってはいません。

 朝日新聞:パワハラについてです。
 報告書では、先ほど知事は、違法性の認定はないと先ほどの囲み取材でおっしゃいました。
 業務上必要な範囲の厳しい指導をしたということでしたけれども、百条委員会の調査では、指導として必要のない行為だったとか理不尽な叱責だったという証言も出ていまして、県立考古博物館の叱責について、報告書では極めて不適切な叱責と評価もしています。
 提言のところでは、業務上必要な範囲ではない不適切な指導が、複数あったということはまず知事自身が認めることが重要で、言動を真に改める姿勢を持たなければならないとしておりますけども、この提言に対してはどう対応されていかれますか。
 知事:私としては、これは前から申し上げているとおり、業務上必要な範囲内で、これは厳しくもありましたけども、注意させていただいたり、指導はさせていただきました。
 そこについてもし不快な思いをされたという方がおられるんだったら、申し訳ないという風に思っていますけども、あくまで業務上の必要なところで、注意をさせていただいたりしたというところだと思います。
 一方で県議会の百条委員会の報告書からは、そういった意味も含めたコミュニケーションをしっかりやっていくということの大事さも、主旨として提言されていると思いますので、県職員の皆さんへの感謝の気持ちとか、そういったものはしっかりこれからも伝えていくと、言葉として伝えていくということをぜひやっていきたいという風に考えています。
 朝日新聞:今も、職員が不快に思われたら申し訳ないというようなことだったんですけども、不適切だったとは今からでも思われないということでしょうか
 知事:私としては、厳しく指導や注意もさせていただきましたが、業務上の必要な範囲内で本当に県政を良くしたい、良い仕事をして欲しいという思いでさせていただいたという風に考えてはいます。
 ただ、厳しくやるということで、不快に思われたりした方がおられれば、そこは申し訳ないという風に思っています。

 朝日新聞:元県民局長の名誉回復の件で、百条委員会の奥谷委員長が、昨日、「百条委員会は裁判所ではないので、公益通報者保護法違反であると断定はしていないけれども、その可能性があるんであれば、県として検証して、問題があるなら法に従って適切に対応して欲しい」という思いだとおっしゃっておられました。
 改めてその対応が適切だったかどうかの検証というのをするお考えというのはいかがでしょうか。
 知事:そこは百条委員会で一定検証されて、これから第三者委員会でも検証されるということだと思いますし、私としてはこれまで会見の場でも、対応が適切だったということは、何度も申し上げてきたというところだと思います。
 いずれにしても、今回、百条委員会から、そこについて一定の見解も示されましたが、私としては、今回の懲戒処分についての対応に問題はなかったという風に考えていますし、やはり、懲戒処分というのは、手続き内容を経てやっているものですから、ここは処分された方が、もし不服があれば、不服申し立てや裁判をされているというところが、1つのあり方ですから、そこをされなかったというところで、処分については確定をしているというのが今の見解ですね。
 朝日新聞:昨年、県議会が、全会一致で議決を決めた不信任決議案ですが、これは知事の資質を問題視された結果だったと思います。
 今回、百条委員会は地方自治法に基づいて設置されたもので、9ヶ月に及ぶ調査を経て出してきた調査報告書ですけれども、こういったところについては1つの見解と先ほどから繰り返しおっしゃいますし、先ほどの囲み取材の中では、違法の可能性が高いと指摘されたことについては、適法の可能性もあるとおっしゃいますけれども、今、ご自身の知事としての資質についてはどのようにお考えですか。
 知事:コミュニケーション不足とか風通しの良い職場づくりをしっかりしていくということは、ご指摘いただいたことなどは、真摯に受け止めて、改めるべきところはしっかり改めていくということが大事だという風に思っています。
 前回の選挙で、知事の資質というものが大きな争点になって、知事選がされました。
 そんな中で、政策を訴える中で、結果的に多くの県民の皆さんの負託をいただいたということですから、そこはそのご負託というものが、斎藤県政が進めて欲しいという知事のこれからのある意味、県政に対する推進をしっかりやって欲しいということを期待していただいていますので、そこもしっかり受け止めて、県政をこれから前に進めていくために、自分の資質や手腕をしっかり、発揮していきたいという風に考えています。

 フリー記者A:今日の記者会見では、ことさら、選挙に勝った、選挙に勝ったということをおっしゃっています。
 昨日発表された報告書を見ると、20メートル歩かされたこと等いわゆるパワハラ疑惑について、その概ねが事実として類推されるという風に結論づけられています。
 しかし、知事、選挙の最中に、怒鳴ってない、付箋投げてない、パワハラしてないとおっしゃってました。
 選挙の結果は尊いです。
 しかし、知事、演説の中で、この百条委員会で証言された内容と違うことをおっしゃっていました。
 有権者に対する街頭演説、力を入れられた街頭演説に虚偽の内容があったと言わざるを得ないと思うんですが、その点についてご見解何かありますでしょうか。
 知事:私は、付箋を1枚だけを投げてしまったということとか、厳しく注意をさせていただいたということは、選挙戦の中でも言ったことはあると思いますし、自分が虚偽なことを言ったという認識はないです。
 フリー記者A:三宮の街頭演説のときに、そんなことしてませんって明確におっしゃってます。
 知事:そんなことというのはちょっとよくわからないです
 フリー記者A:パワハラについてです。
 知事:パワハラかどうかというのは、最終的な司法の場が認定することですし、私としては、業務上必要な範囲で、社会通念上の範囲内で、指導や指摘をさせていただいたということで、そういった発言をしたんだとは思いますね。

 フリー記者A:百条委員会の報告書をしっかり受け止めるという風におっしゃっています。
 しかし、この百条委員会の報告書は、懲戒処分そのものの内容の妥当性ではなく、懲戒処分をしたことが、公益通報をしがたい組織風土をつくり、風通しの悪い組織を作ってしまうことがあり、県当局に対する真摯な反省を求めています。
 読み上げると、「この度の兵庫県の対応は、組織の長や幹部の不正を告発すると、告発された当事者自らがその内容を否定し、さらに通報者を探して公表された上、懲戒等の不利益処分等により、保護者が潰される事例として受け止められかねない状況にある。」この発言は極めて重いと思います。
 知事は組織のリーダーです。
 組織改革をする必要があると思いますが、この報告書の指摘する知事への要請内容とあなたが先ほどから俗に言う死体蹴りを重ねている。
 亡くなった元県民局長の名をあえて今日あなたは毀損しようとしている。
 今うなずいてますね。
 それと、この報告書をしっかり受け止めるというご発言が、報告書をしっかり受け止めるんであれば、今日ことさらに元県民局長の公用PCの内容を、ここで初めて卑猥な画像などという言葉を使って、さらす必要などないじゃないですか。
 あなたは人が死んだことは何だと思ってるんですか。
 知事:質問ですか。
 フリー記者A:あなたの人間性を問うてるんです。

 あなたの日本語能力に合わせましょうか。
 死者を冒涜するな。
 職員を馬鹿にするな。
 知事:ご指摘は、百条委員会の報告書というものは、しっかり真摯に受け止めていくということが、大事だという風に思っています。
 フリー記者A:真摯に受け止めるんであれば、今日の記者会見での元県民局長へのプライバシー情報に対する言及を取り消していただけないですかね。
 知事:倫理上極めて問題のある文書というものは、これまでも申し上げてましたし、その内容について申し上げたということです。
 フリー記者A:この度の兵庫県の対応は、組織の長や幹部の不正を告発すると、告発された当事者自らがその内容を否定し、さらに通報者を探して公表された上、懲戒等の不利益処分等により、通報者が潰される事例として受け止められかねない状況にあると百条委員会は、指摘してるんです。
 その状況を改善するおつもりはないということですか。

 知事:それは、公益通報というものが大変大事な制度ですから、これはしっかりやっていかなければいけないというのは、本当に私自身も強く思っています。
 やっぱり公益通報、これを通報対応者は保護していくということ、そして、しっかりそれを踏まえて是正措置をしていくということは本当に大事だという風に思っています。
 フリー記者A:大事だと思うんであれば、今日の記者会見の内容おかしくないですか。
 知事:私は、今日、質問していただいたことに、1つ1つに回答させていただいています。
 フリー記者A:処分は適切とおっしゃっていますが、百条委員会の報告書が指摘しているのは処分の内容の適切性ではなくて、処分に至る前の調査がまず行われたことが不適切だと言っています。
 その内容をどう受け止められるのかと、それと、昨日閣議決定された公益通報者保護法は、あなたの行為を明確に非合法化する内容です
 その閣議決定についての受け止めを教えてください。

 知事:この文書に関しては、私が文書に書かれた当事者として、事実と異なる記載があるということ、それから、個人名や企業名も多数含まれてますんで、これは放置しておくと、多方面に大きな影響や不利益を及ぼす内容であるという風に認識しました。
 だからこそ、しっかり調査対応するように指示したということです。
 そういった内容に誹謗中傷性があるものということで、作成者がどなたかということを調査をして、信ずるに足る相当の理由があるかどうかということを確認していくことが、法律上そこが禁止されているとは考えていないというのが、本会議でも説明させていただいたというとおりでございます。
 それから、法改正があったということですけども、それは国において公益通報のあり方というものをしっかり議論されて審議されて、先日、閣議決定がされたということですので、それはそういった法改正に基づいて、兵庫県においても、公益通報保護制度の改善をしていくと、制度上の対応をしていくと。
 既に、外部窓口の設置というものもさせていただいています。
 フリー記者A:僕はそんなこと聞いてないです。
 あなたは元官僚として自分の行為が立法事実となったことをどう受け止めていますかって聞いているんです。
 知事:国において、しっかり議論されて、法律の改正を閣議決定されたということですので、そこはしっかり受け止めたいと思いますね。
 フリー記者A:はい。しっかり受け止めてください。

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 つづく。

2854/R.パイプス1990年著—第15章⑤。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第二節/”左翼共産主義”構想の実行。
 (01) ブハーリンは左翼共産主義派の指導者だった。ブレスト条約をめぐって敗北した後では、レーニンの国家資本主義に対する反対の立場を採った。
 左翼共産主義の主要な理論家はValerian Obolenskii で、その筆名から、N. Osinskii の方がよく知られていた(脚注)
 1987年に急進的信条をもつ獣医の子として生まれ、20歳の年にボルシェヴィキに加入した。
 ドイツで1年間、政治経済学を研究した。このことで、彼の胸のうちでは、経済問題、とくにロシアの農業に関して執筆する資格を得たつもりになった。
 十月のクーの後ですぐに、ボルシェヴィキによって、国立銀行の理事長に任命された。この役職を彼は1918年3月まで務め、ブレスト条約の締結に抗議して辞任した。
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 (脚注) N. Osinskii につき、Granat, XLI, Pt. 2, p. 89-98.
 1938年に(ブハーリンとともに)疑似裁判を受け、レーニン暗殺を図ったとしてその後直ぐに射殺された。Robert Conquest, The Great Terror (New York, 1968), p.398-400.
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 (02) Osinskii は、1918年の夏に<社会主義の建設>を執筆し、秋に出版した。この書物こそが、戦時共産主義の青写真を提供した(注25)。
 彼が明確にしたように、ボルシェヴィキ体制の経済に関する課題には、つぎの三つがある。すなわち、資本主義経済の「戦略的地点」の統制権の掌握、その内部にある非生産的要素の排除、国家全体の総合経済計画の策定。
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 (03)  彼はHilferding に従って、「資本主義の脳」である諸銀行の掌握を優先すべき課題の第一と考えた。
 銀行は、社会主義経済の交換代理機関へと転換されなければならない。
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 (04) 第二は、大小を問わず、工業および農業生産の手段である私有財産の国有化だった。
 これは、財産の権原の法的な移行だけではなく、労働者がその地位を受け継ぐべき、従前の所有者や経営者という人間の排除をも意味した。
 この措置は資本主義の心臓部を攻撃するものであり、同時に、適切な資源の配分を通じて生産を合理化するのを可能にする。
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 (05) 第三の段階である商業の国有化は、最も困難だった。
 政府は、全ての商業シンジケートと大規模の会社を掌握するだろう。
 卸売り取引を独占することによって、商品の価格を設定するだろう。やがては、全ての商品が、できれば無料で、国家機関によって分配される。
 自由な市場の廃絶は、不可欠の措置だ。
 「市場は、資本主義から継続的に滲み出る、細菌感染症の病巣だ。
 社会的交換の機構を支配することで、投機、新しい資本の蓄積、新しい所有者の出現が排除されるだろう。…
 全ての農業生産物を適切に独占すれば、一ポンドの穀物でも、一バッグの馬鈴薯でもこっそりと<販売する>ことが禁止される。そして、別々の村落農業を継続するのを完全に無意味にするだろう。」(注26)
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 (06) 第四は、小売り取引の廃絶だ。
 義務的な消費者共同組織は、まず第一に必要な物品についての独占を行なう。
 この仕組みは投機と「怠業」をなくし、資本主義者から利益の淵源を奪うことになる。
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 (07) 最後に、強制労働の導入が必要だ。
 これの指導原理は、単純だ。すなわち、「労働官署によって割り当てられた労働を拒む権利を、いかなる者も有しない」。
 強制労働は、当面は、 手に余剰がある田園地域では必要ない。だが、都市部では、不可欠だ。
 この制度のもとでは、「労働義務は人々を労働を強いる手段になる。そしてこれは、易しく言えば、飢餓による死の恐怖を意味した、かつての「経済的」刺激にとって代わる。
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 (08) 政治的および経済的理由で、経済は、一部は資本主義を基盤とし、一部は社会主義のそれ、ということはあり得ない、というのは、Osinski の構想の根本的な前提だった。明確な選択がなされなければならない。
 そうであっても、彼はレーニンに従って、自分のこの経済綱領を、「社会主義」や「戦時共産主義」ではなく、「国家資本主義」と呼んだ。
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 (09) 左翼共産主義者の経済綱領は、党員、労働者、やがて新しい利益集団を形成する労働者支配の受益者から、強い支持を得た。彼らは、いったん掴んだ土地を手離した農民とは違って、1917年に奪取した工場をもう放棄したくはなかった。
 左翼エスエルも、この考え方に共感した。
 レーニンは懐疑的に見ていたが、屈服せざるを得なかった。ブレストで失った人気を回復させるための代償だった。
 1918年6月、のちに詳述する条件で、レーニンは、ロシアの工業の国有化を布令した。
 この措置は、レーニンが理解した意味での「国家資本主義」の可能性を終わらせるものだった。
 これは、見知らぬ世界への跳躍だった。
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 (10) 戦時共産主義の設計者、理論家、実行者たち—Osinskii、ブハーリン、Larin、Rykov、等々—は、経済学という分野についてきわめて表面的な知識しかもっておらず、企業経営の経験もなかった。
 彼らの経済に関する知識は、多くは社会主義者の文献から来ていた。
 誰も企業を運営したことがなく、製造業や取引でルーブルを稼いだことがなかった。
 この実験に関与しなかったKrasin を除いて、ボルシェヴィキの指導者たちは職業的革命家で、ロシアまたは外国の大学での短い期間(ほとんどは政治活動に使われたのだが)以外は、成人以降の全生涯を、監獄の内外または外国逃亡者として過ごした。
 彼らを導いたのは、Marx、Engelsおよびドイツの弟子たちの書物から、およびヨーロッパ革命に関する急進的な歴史書から拾い集めた、抽象的な公式だった。
 Sukhanov がレーニンについて語ったことは、彼ら全員に当てはまる。
 「空想の跳躍への障害を知らない可哀想な騎兵、残酷な実験者、国家行政の全部門についての専門家、その専門の全てに関する素人的好事家」(注27)。
 このような類の素人たちが、世界で第五番めに大きい経済を転覆させ、小規模ですらかつて試みられたことのない変革を行なうことを企てることになる。いくぶんかは、1917年10月にロシアの権力を奪取した者たちの判断ではあるが。
 このような人々の動きを観察すると、フランスのジャコバンに関するTaine の叙述を想起することができる。
 「その原理は、政治幾何学の公理だ。つねに、自らを証明するものを伴っている。というのは、共通幾何学の公理に似て、少数の単純な観念を結合したもので成っており、それをただちに証明するものを自ら自身のうちに含むからだ。…
 現実にある人間は、それには関係しない。
 それは人間を観察しない。人間を観察する必要がない。
 それは閉じた眼で、操作して作った人間の実体に、自分自身の像を押しつける。
 この複雑で、多種多様な、揺れ動く実体に関する従前の把握の仕方についての観念は、その頭の中には入ってこない。—この実体は、現在の農民であり、技術職人であり、都市民であり、聖職者や貴族であるが、鋤鍬の背後に、家屋に、店舗に、牧師館に、大邸宅に、凝り固まった信念をもって、執拗な性向をもって、力強い意思をもって、存在している。
 こうしたものは一切その心の中に入らず、とどまることもしない。
 その思考通路は、抽象的な原理によって遮断される。抽象的原理がそこでは繁茂しており、そこを完全に充たしている。
 かりに現実的経験が眼や耳を通じてその心の中に歓迎されざる真実を力ずくで植え込むとすれば、それは生存していくことができない。
 どんなに騒々しくしてもまたどれほど強く主張したとしても、抽象的原理によって、追い払われてしまう。…」
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 第二節、終わり。

2853/私の音楽ライブラリー051/クラシック①〜④。

 いくつかの「クラシック」音楽曲について、YouTube にリンクをはる。
 前回に掲載した22曲で「十分」と書いたが、改めて聴き直して、次の8曲を追加し、計30曲とした。
 YouTube の音質は「AAC」らしいので、いわゆる「ハイレゾ」ではない。「ハイレゾ」音質で聞くには、CDかそれに対応した配信かつ「ハイレゾ」対応の聴取・再生装置(スピーカー・イアフォン等)が必要だ。
 Albinoni, Adagio in G-minor.
 Dvorak, Violin Concerto in A-minor, op.53.
 Grieg, Piano Concerto in A-minor, op.56.
 Khachaturyan, Masquerade Suite.
 Liszt, La Campanella.
 Skoryk, Ukrainian Melody.
 Tchaikovsky, Symphony No.4 in F-minor, op.54.
 Tchaikovsky, Violin Concerto in D, op.35.
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 クラシック①〜④。
 ①Albinoni, Adagio in G-minor.
 →Stjepan Hauser. 〔HAUSER〕
 →Lara Fabian. 〔Lala Fabian〕

 ②Bach, Violin Concerto No.1 in A-minor, MWV1041.
 →Hillary Hahn, O. M. Wellber, Deutsche KammerPhil. Bremen.〔Bachology〕

 ③Beethoven, Symphony No.5 in C-minor, op.67.
 →Seiji Ozawa, NHK SymphO. 〔小林一夫〕

 ④Beethoven, Piano Concerto No.5 in Es, op.73.
 →Rosalia Gomez Lasheras, Joseph Bastian, Duisburger Phil.〔Rosalia Gomez Lasheras〕
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2852/R.パイプス1990年著—第15章④。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第一節/起源と目標④
 (20) この時期、レーニンは、資本主義の経営と技術を新しい国家で利用する、国家資本主義を擁護して、確信をもちつつ、但し十分には支持されなかったのだが、論述した。
 資本主義が提供する最良のものを採用してのみ、ロシアは社会主義を建設することができる、と。
 「国家資本主義の最も具体的な例を挙げよう。
 誰もがこの例を知っている。ドイツだ。
 ここに我々は『決定句』を見る。<ユンカー・ブルジョア的帝国主義に従属した>、近代的な大規模の資本主義運営と計画的組織化のうちに。
 強調部分を削除し、軍国主義、ユンカー、ブルジョア、帝国主義国家の箇所に<国家>を挿入する。この国家は、異なる社会類型の国家であり、異なる階級内容をもつ国家だ。—<ソヴィエト国家>、すなわち、プロレタリア国家だ。そうすれば、社会主義に必要な条件の<総計>を我々は得るだろう。
 近代科学の最新の研究成果にもとづく大規模の資本主義の技術がなければ、社会主義を構想することはできない。
 生産と産物の配分の統一的標準を数百万の人民に正確に観察させる、そのような計画的な国家の組織化がなければ、社会主義を構想することはできない(注22)。」
 --------
 「ソヴィエト権力のもとでの国家資本主義とは何か?
 現時点において国家資本主義を達成することは、資本主義諸階級によって実行されている計算と統制を実践に移すことを意味する。
 国家資本主義の例を、我々はドイツに見る。
 ドイツは我々よりも優れていることを、我々は知っている。
 しかし、ほんの僅かでもつぎのことを考えれば、何が意味されるだろうか。かりにその国家資本主義の基礎がロシア、すなわちソヴィエト・ロシアで確立されるならば、正当な感覚を失わず、書物の知識の断片で頭を充たしていない者は誰でも、国家資本主義は我々を救済するものだ、と言わなければならないだろう。
 <私は、国家資本主義は我々を救済するものだ、と言った。
 ロシアがそれを達成すれば、完全な社会主義への移行は容易になるだろう。我々の理解では、国家資本主義とは、中央集権化され、計算され統御され、社会主義化された何ものかであって、それはまさに、今の我々に欠けているものだ。>…」(注23)
 --------
 (21) レーニンが好んだ経済の問題はかくして、ボルシェヴィキが実際には採用することになるものよりも、はるかに穏健なものだった。
 レーニンがそのまま進んでいたら、「資本主義」セクターは基本的には無傷のままで残され、国家の監視のもとに置かれただろう。
 外国資本(主にドイツとアメリカ)の流入を想定した協力関係が結果として生じ、そのことは、政治的な副作用なくして先進「資本主義」の利益の全てをボルシェヴィキ経済にもたらすことを意味しただろう。
 こうした提案には、3年後の<新経済政策>と共通する多くの特徴があった。
 --------
 (22) しかし、これは、現実にはならなかった。
 レーニンとトロツキーは、多くのグループから狂信的な反対を受けた。グループの中の<左翼共産主義派>の反対は、最も激烈だった。
 左翼共産主義者たちは、ブハーリンによって指揮され、党内エリートの重要部分と妥協していたが、ブレスト=リトフスク条約に関しては屈辱的な敗北を喫していた。
 しかし彼らはボルシェヴィキ党内の分派として活動をし続け、彼らの機関紙<共産主義者>の紙面で、自分たちの主張を議論し続けた。
 このグループの中には、Alexandra Kollintai、V. V. Kuibyshev、L. Kritsman、Valerian Obolenskii(N. Osinskii)、E. A. Preobrazhenskii、G. Piatakov、Karl Radek)がいた。そして自分たちは「革命の良心」だと考えていた。
 このグループが十月以来信じていたのは、レーニンとトロツキーは「資本主義」や「帝国主義」との機会主義的な順応へと滑り込んでいる、ということだった。
 レーニンは<左翼共産主義者>を、夢想家かつ狂信者で、「社会主義の幼年期の病気」の犠牲者たちだと見なした。
 しかし、この党派は、労働者や知識人から力強い支援を受けた。とくに、レーニンとトロツキーの提案によって「資本主義」の方法が導入される危険があると感じる、モスクワの党組織内の彼らによって。
 提案されたのは、責任をもつ個人による経営に戻すために工場委員会の解体、「労働者支配の放棄」を求めるものだった。この変化は不可避的に、党官僚たちの力と特権を減少させる。
 レーニンは、ボルシェヴィキがブレストのために論争しており、全てのソヴェトで多数派でなくなっていたときには、これら知識人と労働者内のその支持者たちを無視することができなかった。
 また、ある金属労働者がMeshcherskii との交渉に関してこう言うのを聞いたとき、常識が彼に勧める方向を強く主張することができなかった。「レーニン同志、この分野でも息つぎ時間を考慮しているなら、あなたは偉大なご都合主義者だ」(脚注)
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 (脚注) Vechernaia zvezda, April 19, 1918, in: Peter Scheibert, Lenin an der Macht(Weinheim, 1984), p. 219. この参照は、もちろん、ボルシェヴィキがブレスト=リトフスク条約で確保したと主張した、一般には知られない「息つぎ時間」に関してだ。
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 (23) 実際に現実化した戦時共産主義の諸要素は、1918年4月にLarin が発表した小論の中で考察されていた。
 Larin は、1917年11月に彼の論文で発表した諸原理を綿密にしたものにすぎないと装っていたけれども、新しくて異なる経済綱領を提示していた。
 ロシアの全ての銀行は国有化されなければならない。
 工業についても、全ての分野でそうしなければならない。国家と私的トラストの間に協力の余地はない。
 「ブルジョア」専門家は、技術的要員としてのみ経済のために働くことができる。
 私的取引は廃止され、国家の監督のもとでの協同的作業に変えられなければならない。
 経済は、単一の国家計画に従うべきだろう。
 ソヴィエトの諸制度は、通貨とは関係させないで、会計処理を維持する。
 やがて、国家の統制は、旧地主の未使用土地を皮切りに、農業へと拡張されるだろう。
 私的資本に対する唯一の譲歩は、外国の利権だ。これは、技術的人員を提供し、備品の輸入のための借款を認めることで、ソヴィエト・ロシアの経済発展に参画することが許される(注24)。
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 (24) このような綱領的計画でもって、左翼共産主義派は1918年4月に、レーニンを抑えて圧倒した。そして、即席の社会主義というユートピアへと、向こう見ずにも突進していくことになった。
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 第一節、終わり。

2851/R.パイプス1990年著—第15章③。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第一節/起源と目標③。
 (14) 1917年10月25日に—つまり、第二回全国ソヴェト大会からも政府を形成する権威を与えられる前に—、レーニンは元メンシェヴィキで最近にボルシェヴィキに変わったIuri Larin に近づいた。
 社会主義者界隈では、Larin はドイツの戦時経済に関する専門家だと考えられていた。
 レーニンは彼に言った。「あなたはドイツ経済の組織化の問題に没頭している。シンジケート、トラスト、銀行、これらを我々のために研究してほしい。」(注15)
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 (15) のちにすみやかに、Larin は<Izvestiia>に、ボルシェヴィキの経済綱領に関する印象的な概要を発表した。
 この論文が中心に据えていたのは、原料生産、消費産業、輸送、銀行、各々が総合的国家計画に従属したものだが、これら全ての義務的なシンジケート化だった。
 諸企業内の私的部分は、シンジケート部分と交換されるだろう。この取引は公開の市場で行なわれる。
 地方では、自治規則をもつ機関(おそらくソヴェト)は、小売取引や住宅区画をシンジケート化するか、自治体のものにするだろう。
 農民層もまた、食糧や農機具の配分のために「シンジケート化」するだろう(注16)。
 この綱領のもとで、政府は、私的企業を統制することになる。廃止するのではない。
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 (16) レーニンの要請に応えて、Larin とその仲間たちは、ロシアの最も有力な産業家の一人のAlexis Meshcherski との討論を開始した。
 たたき上げのMeshcherski は、旧体制のもとでは典型的な「進歩的」起業家で、官僚制を軽蔑し、ロシアが自由で民主主義的な国になることを望んでいた。そして、ロシアがもつ潜在的な莫大な生産力を実現できる能力があった(注17)。
 Meshcherski は個人的には裕福でなかったけれども、巨大なSormova-Kolomna 金属工業の取締役として、相当に大きい経営上の責任を有していた。この企業の資本金はロシア人と外国人、主としてドイツ人がもち、6万人の労働者を雇用していた。
 Larin の誘いで、Meshcherski は、私企業とボルシェヴィキ政府の合弁企業のための青写真を描いた。
 彼は、半分は民間の投資者が、半分は国家が提供する10億ルーブルの資本金をもち、民間部門が60パーセントを占める委員会によって経営される、ソヴィエト冶金トラストの設立を想定した。
 30万の労働者を雇用するこのトラストは、炭鉱や鉄鉱とともに工業企業群のネットワークを管理し、とりわけ、傷んでいるロシアの鉄道制度に車両を供与するものとされていた(注18)。
 春に共産党当局は、Stakheev グループの役員たちとの類似の合弁企業について討議した。Stakheev グループは、Ural にある150の工業、金融、商業企業を支配していた。
 それの経営陣は、ソヴィエト政府とロシア人、アメリカ人の関係者による基金から資金が提供される、Ural の鉱物を開発するトラストを提案した(注19)。
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 (17) この提案が実現すれば、ソヴィエト経済を混合型へと押し進めただろう。だが、ボルシェヴィキ内の「純粋主義者」によって、未熟なままになった。
 彼ら「純粋主義者」の圧力を受けて、政府の交渉担当官は、提案されている冶金トラストでの政府割合が最大になるよう要求した。民間部門には何も残されないほどまでにだった。
 Meshcherski とその仲間たちはボルシェヴィキ体制との交渉に熱意があったので、トラストの100パーセントの割合すら政府に譲ることに同意した。政府がそれを売却すると決定した場合に彼らに第一順位が約束されていることが条件だった。
 この最も穏健な提案ですら、却下された。
 1918年4月14日に、国家経済最高会議は、討議を終息させる、と票決した。ある共産主義者の説明によると、「投票数の過半数近く」という不思議な表現の叙述が付いていた(脚注)
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 (脚注) Meshcherskii, NS, No. 33(1918年5月26日), p.7; M. Vindekbot, NKh, No.6(1919年),p.24-32.
 NV, 101/125(1918年6月26日),p. 3によると、Meshcherskii は6月に逮捕された。彼はのちに脱国して外国に移住した。
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 (18) 結果を何も残さなかったけれども、こうした交渉をしたという事実だけであっても、体制に対峙するロシアの実業界の奇妙な冷静さを説明するのを助けるだろう。ボルシェヴィキ体制は、経済的破綻でもって、ときには肉体的な破壊でもってすら、ロシアの実業界を公然と威嚇していたのだったが。
 ロシアの銀行家や工業家たちは、ボルシェヴィキの諸声明を、革命的レトリックだと見なしていた。
 彼らの見方では、ボルシェヴィキは崩壊している経済を回復させるための助けを求めて彼らに向かいあうか、それともボルシェヴィキ自体が崩壊するか、のいずれかだった。
 さて、1918年の春、大戦勃発以来公式に閉鎖されていたペトログラード証券取引所が突然に復活し、証券や銀行株の店頭販売を再開する、ということが起きた(注20)。
 大企業界隈でのボルシェヴィキに対する楽観主義は、ボルシェヴィキとの交渉や、政府はロシアをドイツ資本に開く通商協定の交渉をドイツと行なっているという知識によって、強められた。そしてこのことは、白軍の将校たちが財政的援助を求めてきても聞く耳を持たない原因になった。
 1918年の春に白軍運動がドイツの実業家たちにどう見えていたかと言うと、ボルシェヴィキ政府と協力する可能性と比べて、見込みのない賭け、というものだった。
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 (19) ブレスト=リトフスク条約が批准されるとすぐに、ボルシェヴィキ指導者たちの注意は経済に向かった。今や権力は彼らにあり、彼らはもはや、国の富を農民や労働者に渡してそのあいだで分配させることによって、国富を無駄に費やそうとは考えなかった。
 合理的で、効率的な「資本主義」の態様で、生産と分配を組織するときがきた。労働紀律、会計責任の再導入、そして最も近代的な技術と経営方法の採用を通じてだ。
 トロツキーは、1918年5月28日の演説で、方向性の変化について合図を送った。それには、不思議な「ファシスト」的表題が付いていた。—「労働、紀律、秩序が、ソヴィエト社会主義共和国を救うだろう」(注21)。
 彼は労働者たちに対して、「自制心」を働かせること、ソヴィエト諸産業の経営は専門家たちに委ねなければならないことを受け入れること、を訴えた。その専門家は、従前の「搾取者」たちの中から選ばれるのであっても。
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 ④につづく。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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