秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2024/07

2760/レフとスヴェータ30—第11章①。

 Orlando Figes, Just Send Me Word -A True Story of Love and Survival in the Gulag (New York, London, 2012). の試訳のつづき。
 第7章末まで終わっている。第8章〜第10章は、さしあたり割愛。 
 これは、Orlando Figes 作の「小説」ではない。
 第二次大戦が終わっていた1953年、レフ(Lev)は北極海に近いペチョラ(Pechora)の強制労働収容所にいた。スヴェータ(Svetlana)は、モスクワにいた。  
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 第11章①。
 (01) スターリンは、1953年3月5日に死んだ。
 彼は脳発作に襲われ、5日間意識不明で横たわった後に死んだ。
 その病は、ソヴィエトの新聞では3月4日に報道された。
 レフは2日後、スヴェータに書き送った。
 「この新しい知らせを、少しも予期していなかった。
 このような場合、現代の医薬の重要性がきわめて明瞭になる。//
 重要な人々が病気になったとき、自然のなりゆきより少しでも長く人間の健康を維持することが不可能であることが、完全に明らかになる。」
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 (02) スターリンの死は、3月6日に全国民に発表された。
 3日後の葬儀まで、彼の遺体は赤の広場近くのthe Hall of Columns に安置された。
 巨大な群衆が、敬意を示すべく訪れた。
 首都の中心部は、涙ぐむ送葬者で溢れた。彼らはソヴィエト同盟の全ての地域から、モスクワに旅してきていた。
 数百人が、押しつぶされて死んだ。
 スターリンを失ったことは、ソヴィエトの人々には感情的な衝撃だった。
 ほとんど30年近く—この国の歴史で最も精神的打撃を受けた時代—、人々はスターリンの影のもとで生きた。
 スターリンは、彼らには精神的な拠り所だった。—教師、ガイド、父親的保護者、国民的指導者で敵に対する救い主、正義と秩序の保証人(レフの叔母オルガは、何らかの不正があったとき、「いつもスターリンいる」と言ったものだった)。
 人々の悲しみは、彼の死を受けて感じざるをえない当惑についての自然な反応だった。スターリン体制のもとでの人々の体験とはほとんど関係なく。
 スターリンの犠牲者ですら、悲しみを感じた。//
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 (03) レフとスヴェータは、他の者たちと同じく、3月6日にラジオでこのニュースを知った。
 大きな衝撃と昂奮の状態にあり、二人ともに、本当にどう感じたのかを語ることができなかった。
 レフは3月8日に、こう書いた。
 「スターリンの死を全く予期していなかったので、最初は本当のことだと信じるのが困難だった。
 そのときの感情は、戦争が始まった日のそれと同じだった。」
 重大な報せについて、レフはそれ以上、付け加えなかった。労働収容所に関する政策の変化が生じ、早期に自分が釈放されるのではないかと望んだに違いないけれども。
 スヴェータもまた、用心深かった。だが、この人生の転機となる可能性のあるラジオ放送があったことで、レフと結びついて生きてきたことの喜びを隠すことができなかった。
 3月11日に、レフにあてて書き送った。
 「モスクワで先週にあったようなことは、今までなかった。
 そして何度も思いました。ラジオが発明されて、人々が同じことを同じ時に聞けるのはなんと素晴らしいことか、と。
 新聞があるのも、よいことです。
 今までより頻繁に語りかけるつもりですが、感じていることを数語で明確に語ろうと考える必要はないのだから、今はしません。」//
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 (04) スターリンの死が明からさまな喜びでもって歓迎された一つの場所は、労働収容所や収容所入植地区だった。
 もちろん例外はあり、当局または情報提供者による監視が収監者たちの喜びの表現を抑えた収容所もあった。だが、一般的には、スターリンの死の報せは、歓喜の声の自然発生的な爆発でもって迎えられた。
 レフは、「誰一人、スターリンのために泣きはしなかった」と思い出す。
 収監者たちは疑いなく、スターリンは自分たちの惨めさの原因だ、と考えていた。そして、そうして安全だと分かったときは、恐がることなくスターリンに対する蔑みの言葉を発した。
 レフは、1952年10月以降の事態を思い出す。その10月、彼の営舎の仲間たちは、党中央委員会最高幹部会での選挙の結果について、ラジオ放送に耳を傾けた。
 候補者たちが獲得した投票数が次々と読み上げられ、それが終わった後でアナウンサーは言った。「Za Stalina !! Za Stalina !!」(「スターリン万歳 !! 」)。
 収監者のうち何人かは、その代わりに「Zastavili !! Zastavili !!」(「強制だ !!」)と唱え始めた。これは、選挙は不正だ、ということを意味した。
 誰もがこれに加わり、この冗句を愉しんだ。//
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 (05) 収監者たちの間では、スターリンの死によって釈放されるだろうと、一般に推測された。
 3月27日に政府は、5年以下の判決に服している受刑者の恩赦を発表した。これらは、経済的犯罪者とされた55歳以上の男性、50歳以上の女性および治療不可能の病気をもつ受刑者だった。ーつぎの数ヶ月間に、約100万の受刑者が釈放される見通しだった。
 木材工場では、1953年中に恩赦の対象になるのは、受刑者数のおよそ半分だった(1263名から627名へと減る)。
 釈放される者たちのほとんどは犯罪者だった。この者たちは暴れ回り、店舗から略奪し、家屋から強奪し、女性を強姦し、町中でテロルを繰り広げるまでになった。
 レフは〔1953年〕4月10日に、スヴェータにこう書き送った。
 「我々の仲間の何人かはもう外に出て、意のままにペチョラを徘徊している。
 彼らは、あらゆる機会を利用して、力ずくで盗んでいる。
 最悪の者たちは、自由気儘にやっている。
 髭を生やした見映えのよい、Makarovだ。…この人は武装強盗をして8年間服役した。
 Kolya Nazhinsky も、いなくなった。—この人は6キロの粥〔kasha〕を盗んで1947年にはここにすでに10年間いた。
 そして、去年に仲間の一人から300ルーブルを盗み、Nやその隣人から少しずつ金をくすねた。
 でもしかし、みんなはこの人の愚かさと彼に対する元々の判決の不公平さを憐れむばかりだ。この判決がなければ、彼は窃盗をしなかっただろうから。」//
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 第11章②((06)〜)へとつづく。 

2759/江崎道朗の「血筋」・「家系」観。

  江崎道朗はかつて、「日本会議専任研究員」という肩書きで月刊正論(産経新聞)に執筆していた。私がこの雑誌を読み始めた頃は、「評論家」になっていた。日本会議の専任研究員になる前は、日本会議の有力構成団体である日本青年協議会の月刊誌『祖国と青年』の編集長をしていた。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 この新書は秋月瑛二の<産経新聞的・保守>に対する不信を決定的なものにした記念碑的?著作だった。この書については多数回、すでに触れた(まだ指摘したいことはあったが、アホらしくなってやめた)。
 上の江崎書が相当に依拠していたのは、つぎだった。
 小田村寅二郎・昭和史に刻む我らが道統(日本教文社、1978)。
 小田村寅二郎(1919〜1999)は、「日本教文社」という出版元からある程度は推察されるだろうように、かつての<成長の家>関係者だった(この組織の現在の政治的主張はまた別のようだ)。
 江崎道朗が依拠する聖徳太子理解を小田村が戦前に執筆したのは戦前の<成長の家>の新聞か雑誌だった。
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  今回に再び述べたいのは、以上のことではない。
 江崎道朗の「血筋」・「血族」または「家系」に関する単純な感覚を、その小田村寅二郎への言及の仕方は示している。
 すなわち、江崎は、上の新書の中で少なくとも4回、繰り返して、つぎのように小田村を紹介または形容した。
 小田村は「吉田松陰の妹の曾孫」だった。
 一度だけならよいが、短い頁数の中に、小田村を形容する常套句のごとく、上の言葉が出てくる。
 これはやや異常であるとともに、「吉田松陰」の縁戚者であることをもって、小田村の評価を高めたいからだろう。そのような「血族」または「家系」の中に位置づけられる「きちんとした」人物だ、と言いたいのだろう。
 しかし、まず、「吉田松陰」を相当に高く評価している者に対してのみ通用する言及の仕方だ。この前提を共有しない者にとっては、何の意味もない。
 ついで、「吉田松陰の妹の曾孫」なのだから、松陰の直系の子孫ではない。妹の三世の孫というだけだ。実際のことだとしても、松陰は小田村の曾祖母の兄なので、親等数で言うと5親等離れている。
 だが、そもそもの疑問は、いったいなぜ、曾祖母の兄が松陰だということが小田村寅二郎の評価と関係があるのか、だ。
 ある人物の評価を過去の5親等離れた者の評価と関係づける、という発想自体が、私には異様だと感じられる
 かつまた、きわめて危険だと思われる。
 吉田松陰は当時の犯罪者であり刑死者でもあったが、松陰に限らずとも、一般論としてつぎのように言い得るだろう。
 5親等離れた者の中に犯罪者がいる(あるいは死刑になった者がいる)ことをもって、その旨を探索して、その人物を非難する、貶める、ということは許されるべきではない。江崎道朗の発想と叙述は、このような思考方法、人物評価方法の容認へと簡単につながるものだ。
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  江崎道朗の影響を受けた者に、つぎの人物がいる。
 竹内洋(1942〜)。京都大学名誉教授。
 竹内洋は<知識人と大衆>主題とする書物を多数刊行している。不思議だとかねて思ってきたのは、竹内は自分が「知識人」の中に含まれることをおそらく全く疑うことなく、叙述していることだ。新潟県佐渡から京都大学に入ったことだけではまだ「知識人」と言えないとすると、(とくに文科系の)大学教員であることをもって、「知識人」だと自己認識しているのだろうか。
 この竹内洋は、上記の江崎道朗書の「書評」を産経新聞に掲載した(2017年9月)。
 「伝統にさおさし、戦争を短期決戦で終わらせようとした小田村寅二郎(吉田松陰の縁戚)などの思想と行動」を著者・江崎は「保守本流」の「保守自由主義」と称する。この語はすでにあったが、これを「左翼全体主義と右翼全体主義の中で位置づけたところが著者の功績」。
 このように江崎書の「功績」を認めるのも噴飯ものだが、ここで注目すべきは、つぎだ。
 「小田村寅二郎(吉田松陰の縁戚)」
 竹内洋は、さして長文ではない文章の中で、わざわざ、小田村は「吉田松蔭の縁戚」者だと書いているのだ。5親等離れた「縁戚」者なのだが。
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  「血族」、「家系」あるいは「縁戚」という意識・感覚というのは、なかなかすさまじいものだ。
 竹内洋は、江崎道朗もだが、以下の事例をどう感じるのだろうか。他にも、多様な事例があるものと思われる。なお、「縁戚者」の「自殺」の動機を、私は正確に知っているのではない。
 ①1972年2月、<浅間山事件>を起こした連合赤軍の活動家の一人の「父親」が—直近の「縁戚」者だ—、その一人の逮捕・拘束の前に、滋賀県の自宅で自殺した。
 ②2021年6月、<和歌山カレー毒殺事件>の犯人として死刑判決を受けて拘禁中の者の「長女」が—直近の「縁戚」者だ—、その娘とともに大阪湾に飛び降りて自殺した。
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2758/遺伝と「優生」—2024年2月·日本精神神経学会声明。

 今年2024年の2月、日本精神神経学会は、会長名でつぎの「声明」を発表した。同学会Website より引用。「」をつけない。
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 優生保護法について 
 2024年2月1日
 公益社団法人 日本精神神経学会
 理事長 三村 將
 1948年に成立した優生保護法は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とし、当時の優生学・遺伝学の知識の中で遺伝性とされた精神障害・知的障害・神経疾患・身体障害を有する人を、優生手術(強制不妊手術)の対象とし、48年間存続しました。しかし日本精神神経学会(以下、本学会)は、これまで優生法制に対して、政府に送付した「優生保護法に関する意見」(1992年)を除き、公式に意見を表明したことがありませんでした。このたび本学会は、法委員会において、優生保護法下における精神科医療及び精神科医の果たした役割を明らかにし、本学会の将来への示唆を得ることを目的として、数年にわたる調査を行いましたので、ここに報告します。 
 詳細な調査結果は報告書にありますが、自治体によって違いがあるものの、優生保護法成立からほぼ10年にわたり、行政主導で強制不妊手術の申請と承認に関わる強固なシステムが作り出されました。人口が急増し、生活が窮乏するこの時代において、行政と優生保護審査会が一体となって優生保護法を運用し、多数の強制不妊手術という犠牲を生みました。申請者である精神科医の肉声は残されていませんが、国家施策を前にした傍観の中で、無関心・無批判のまま、与えられた申請者としての実務を果たしてきました。また、精神科医も加わった優生保護審査会は、申請システムの実態を知った上で大部分の申請を承認しており、申請者以上に重い責任があります。
 本学会は強制不妊手術の問題が指摘された1970年代に至っても公式に意見を表明することもなく、不作為のまま優生保護法は存続し、被害者を生み続けることにつながりました。積極的であろうが消極的であろうが、強制不妊手術を受けた人々に取り返しのつかない傷を負わせた歴史的事実から目を逸らすことは許されません。
 ここに、精神科医療に責任を持つ学会として、強制不妊手術を受けた人々の生と人権を損ねたことを被害者の方々に謝罪いたします。
 優生保護法を過去のこととしてすますことはできません。本学会は、この歴史に学び、再び同じことが繰り返されないよう、精神医学と社会の関係を深く自省し、常に自らの問いとしていかなければなりません。さらに、本学会の使命として、現在もなお存在する精神障害や知的障害への差別、制度上の不合理を改革するため、力を尽くすことを誓います。
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 以上。
 この声明は、「優生保護法」にもとづく行政執行に加担し、「強制不妊手術」を行うなどの「人権」侵害を行なったことを、「謝罪」している。
 学会自体が加担・協力したのではないから、いかに会員医師が関与していたとしても学会自体が「謝罪」するとは稀有なことだろう。
 それに、「優生保護」に関係するのは〈精神神経〉医学のみならず、「遺伝」性疾患に関係する全ての医学分野だろう。日本に「遺伝学」に関係する学会も他にあるはずだが、他の「学会」がこのような声明を出したとは、聞いたことがない。
 ともあれ、この法律(現在は廃止)によると「申請者」は医師とされ、その申請の適否の決定には(都道府県単位での)優生保護審査会が関与するところ、その委員には精神神経医を含む医師が就いていた、という。
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 いくつかの感想が生じる。
 第一は、医学・医師と行政・社会の関係だ。
 医師はそれぞれの分野の専門家であるかもしれないが、個別の案件にかかる審議会・審査会の委員として活動するとき、そのつどの案件にかかる結論的判断を、その案件を所管する行政部局・その担当公務員にほとんど委ねてしまうことがあるのではないか。行政主導であり、医師から言えば行政追随だ。
 例えば、「保護」=手当支給の要否に関する特別児童扶養手当法上の認定にも、医師(1名でよい)の判断が必要だが、これが自立して、行政側の事前判断に影響を受けないで行われているとは言えないのではないか、という感想を持ったことがある。この例の場合は、「遺伝」ではなく、心身全体の諸疾患や発育不全に関する医学的判断がかかわっている。
 以上のことは反面では、「優生保護法」の場合は、厚生省の所管部局の歴代の官僚たちの責任の大きさだ。現在の大臣や首相が詫びて済むものではない。
 第二は、「遺伝」に関する医学的・科学的根拠があいまいなままで行われた「優生保護」なるものの恐ろしさだ。
 ある疾患・症状・身体状況が「遺伝」性のものであるか否かは、今日でも明瞭なものはほとんどないと思われる(例外として、母親由来の血友病があるとされる)。
 精神神経系の「統合失調症」についても、「遺伝」の関与度は明確でない。参照文献を示さないが、一卵性双生児のうちの一人が「統合失調症」を発症した場合、遺伝子は同じはずの双生児のもう一人も発症する確率は約50パーセントだとされる。高い数字ではあるが、しかし、同じ遺伝子をもつからつねに同じ(精神的)疾患を発症するというのでは全くなく、半分は「生後の環境」によることをこの数字は示しているだろう。
 なお、「生まれ」=遺伝か「育ち」=環境か、という一般的問題にこれもかかわるが、はっきりしているのは、どの点についても<単純なことは言えない>ということだ。これを、生物学的・「生命科学」的には、両親の遺伝子・染色体から「受精卵」という細胞が形成されるまでの複雑な過程も示している、と考えられる。
 第三は、生物学・遺伝学等々の正確な知見をふまえないで行われた政治・行政施策の、おぞましい歴史。
 ナツィス・ドイツ、そしてスターリン・ボルシェヴィズム。
 S·ムカジーによると、前者によるホロコーストは「遺伝の万能視」によって生まれた。<汚れた血>の除去による<民族の浄化>。なお、ユダヤ人に対してのみならず、精神神経面も含めた「弱者」に対しても、「安楽死」政策が進められた。
 S·ムカジーによると、後者は「遺伝の無視」によって生まれた。 すなわち、「遺伝」と関係なく、<一世代で人間を(イデオロギー面も含めて)改造することができる>、という非科学的な信念。なお、これを助長したのは、遺伝に関するT・ルイセンコの学説だった。
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2757/安倍晋三銃撃事件2年。

 安倍晋三元首相は2022年7月8日、近鉄·西大寺駅北口で選挙応援演説中に、奈良市在住の成人男性・山上徹也によって後ろから銃撃され、死亡した。救急車で運ばれる途中ですでに「心肺停止」の状態だったとされるから、ヘリコプターに乗せられ奈良県立医大病院に着くまでにすでに、回復・救命の可能性はゼロに近かったように推測される。安倍晋三自身は、「死」の予感・意識もなく、早々に「昏睡」→「意識喪失」の状態だったのだろう。
 この銃撃→殺害を許した理由として、政党(応援を受ける候補者の事務所・自民党奈良県蓮・自民党本部)による「私的」警護と地元警察=奈良県警察本部のよる「国家的・公的」警護に不備があったことは、ほとんど明らかなこととして、直後から指摘されてきた。
 銃撃者・山上徹也(起訴されている成人なので匿名化の必要はない)の、カバンを抱えてのつぎの行動を、誰も、全ての警護関係者が、見ていなかった。信じがたいことだった。
 ①歩道内を移動して、車道との間のガードレールを乗り越えて車道部分に入ったとき
 ②車道内を移動して安倍元首相の背後で止まり、安倍晋三の方に目を向けたとき
 ③安倍晋三の背後からさらに近づき、射撃の態勢をとったとき。なお、「射撃」は「砲撃」だったかもしれない。その射撃・砲撃の準備(ライフル状の武器の組み立て)は②と③のいずれかのとき、またはこれらのあいだに行われたはずだ。
 これら①・②・③のいずれかのときに警備関係者の一人でも気づき、例えば、「おい、何をしてるんだ」、「止まれ」、「やめよ」等と叫んだり、さらに銃撃犯・山上に近づく、突進するということをしていれば、射撃・砲撃は行われなかった、また行われても安倍晋三に命中することはなかった、と思われる。
 再び書くが、信じがたい、警護の<杜撰さ>だった。
 この不備がなければ、安倍の背後で不審な挙動をしている者がいることを誰かが察知して何らかの反応をしていれば、安倍晋三の年齢からして、彼は現在でも生きている可能性がすこぶる高いだろう。
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 政治家、安倍晋三に限らず、人は突然に死ぬことがある、ということを強く印象づけた事件だった。
 加えて、直後に<気味悪気く>感じたこともあった。
 第一は、当時の奈良県警本部長・鬼塚友章の、記者・報道関係者を前にしてのつぎの言葉だ。むろん、具体的内容は別として<警備に不備があったこと>は認めたうえでのものだ。
 <私の警察官人生で、最大の痛恨事だ(だった)>。
 具体的な警備体制の不備を反省して語るならばよい。
 しかし、銃撃・砲撃を許し元首相・安倍晋三を死亡させたという事実の重みの前で、なぜ、「個人的な感慨」、「長い警察官人生での位置づけ」を、のうのうと?あるいはのんびりと?、語る、あるいは吐露する、そういうことができたのか。どこから、そういう精神的余裕が生じたのだろう。
 たまたま在任中で、実質的・具体的には、この人自身には大きな過失はなかったかもしれない。だがむろん、立場、組織の長としての「責任」はある。在任中で「運が悪かった」というのが、奥底の「本音」だったかもしれない。そのうえでしかし、どういうふうに(形の上で)<責任をとることを示す>かに「思い悩んだ」のだろう(結局、辞職した)。
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 第二。逮捕・勾留中だったのか、起訴後だったのか記憶していないが、殺害犯・山上に対して、つぎの運動が始まった、とされる。動機等についての非公式の情報しか伝えられいないなかで、あまりにも早すぎる。そして、気味が悪かった。
 減刑運動
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2756/読書メモ—2024年7月上旬。

 読書メモ、2024年2月以降の読書の一部。
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 1 高橋祥子・ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるか—生命科学のテクノロジーによって生まれうる未来(ディスカヴァー21、2017)。
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 2 辻田真佐憲・ふしぎな君が代(幻冬社新書、2015)。
 記憶に頼る。この書によると、歌詞は別として、旋律は明治新政府のもとで作られた。陸軍音楽隊(外国々賓の国歌演奏担当)、文部省、外務省のいずれか(の誰か)が伝統的音階で作曲したものを、日本にいたドイツ人音楽家が「採譜」=楽譜化した(きっと〈十二平均律〉による)。「日本古謡」というのは厳密には正確でない。
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 3 仁藤敦史・女帝の世紀—皇位継承と政争(角川選書、2006)。
 「本書の目的の一つは、明治以来、女帝否認論の主要な根拠とされているこうした『男系主義は日本古来の伝統』あるいは『日本における女帝の即位は特殊』という通説的見解を、古代史の立場から再検討することにある」。
 この書のユニークさは、天智以降の皇位継承について、即位時の宣命の字句をふまえて、<男性天皇の妻=女性天皇の男子への皇位継承>という視点を提示していることだろう。前者には「見なし」又は「擬制」も含まれる。
 以下は秋月において修正を加えたもので、原著どおりではない。*は女性。女性を挟むという点では(現実化しなかったが)、光仁を「入り婿」としての、聖武—井上内親王—他戸皇子もこれに該当する。
 天武—持統*—草壁皇子—元明*—文武—「元正」*—聖武—「光明子」*—「淳仁」—称徳*。
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 つぎはまだ一部のみ。
 4 斎藤成也・日本人の源流—核DNA解析でたどる(河出書房新社、2018)。
 西尾幹二・国民の歴史(1999)の第三章「世界最古の縄文土器文明」の特徴は、単純に<現代日本人の祖先(原日本人)は縄文時代の日本列島人(縄文人)だ>という前提に立つことにある。
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2755/生命・細胞・遺伝—17。

 生命・細胞・遺伝—17。
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 ヒトの精子と卵子は「生殖細胞」と呼ばれ、「体細胞」と区別される。前者の「生殖細胞」は「減数分裂」によって生まれ、後者の「体細胞」は通常の(二倍化を経る)細胞分裂によって生まれる(「紡錘糸」が出現する「有糸分裂」とも言う)。
 だが、以上のことを、つぎのこととを混同して、あるいは混乱させて、理解してはならない。
 「生殖細胞」である精子または卵子も、それぞれ22本の「常染色体」と1本の「性染色体」をもつ。両者が結合した受精卵は22対44本の「常染色体」と、1対2本の「性染色体」をもつ(その2本がX型とX型の場合は女子、X型とY型の場合は男子に、通常はなる(決定的なのは染色体の型ではなく、「Sry遺伝子」の有無だ))。
 そして、「常染色体」内の遺伝子群と「性染色体」内の遺伝子群の一部は、「体細胞」の形成に関与し、「性染色体」内の遺伝子の一部は「生殖細胞」の形成に関与する。
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 受精卵は1個の細胞だが、新生児として出生するとき、1個の細胞は約38兆個に近い数の細胞へと増殖・分化している。出生直前にはほぼ同数の細胞群が形成されているに違いない。
 また、出生までの種々の段階を区切って、一定時期以降の胎児は(生物学的には)一個の「生物」・「生命体」に準じたものだと理解することは十分に可能だと見られる。
 しかし、学者により、または国家・社会により、この点についての一致はない。これは、<堕胎>・<人工中絶>と言われる行為の許容性の問題に関係する。
 なお、日本の民法3条1項は「私権の享有は、出生に始まる」と規定し、胎児には「自然人」としての権利を認めない(「相続」権にもかかわる)。「出生」の意味・時期について、民法(学)と刑法(学)とで理解が異なる。意味・時期の詳細はともあれ、出生前の胎児は、憲法(学)上も「基本的人権」の享有主体性が否認されるだろう。さらについでに、日本の母体保護法(法律)は妊娠22週未満での「人工妊娠中絶」を一定の条件のもとで認めている(以降は、「犯罪」になる)。
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 <染色体>というのは今日では一種の歴史的・経過的概念であるかもしれず、定説を知らないが、それは「クロマチン」の、細胞分裂期に特化した形状の呼称と言った方がよいようにも見える。「クロマチン」を「染色質」と称する文献もある。
 ここで「クロマチン」とは「ヒストン」と称されるタンパク質とDNAの結合体だ。そして、DNAの2本の「鎖」系がヒストンの周りに約1.7回巻きついてた単位を、「ヌクレオソーム」と言う。
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 各「染色体」が包み込む(くるむ)遺伝子の数は一定していない。2本から成る1番〜22番染色体、そして性染色体で、遺伝子の数は異なる。
 1番〜22番染色体の各「相同染色体」は全くかほとんど同じ形状をしていて、1対2本が向かい合って、アルファベットの「X」のような形になっている。性染色体の「X X型」の場合も同様だ。しかし、「XY型」の場合は左右(上下)2本の不均衡が著しい。従って、2つが向き合ってもアルファベットの「X」文字になり難い。
 いわゆる「Y染色体」は、最も小さい(=短い)染色体だ。したがってまた、内包する遺伝子数も、染色体の中で最も少ない
 確定的な情報ではないが、「Y染色体」がもつ遺伝子数は約100、「X染色体」のそれは約1000程度ともされる。また、「染色体」の大きさ(長さ)は前者は後者の20分の1程度だともされる。「Y染色体」は小さくて、かつ貧弱だと言えなくもない。
 上の大まかな数字を、一つの「核」内の遺伝子数と比較してみよう。
 ヒトゲノム計画終了後の2003年の「公的」な(ラフな)報告書にもとづくと、上の数字は21,000〜25,000だとされる(論者や文献により概数も異なる)。
 染色体23対46本で計算しやすいようにかりに23,000だとしておくと、1対当たりは1000遺伝子、1本当たりは500遺伝子になる。「Y染色体」1本で約100というのは、平均の5分の1にすぎない。それだけ<遺伝子数の少ない>のが「Y染色体」だ。
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 「Y染色体」に対する「X染色体」は、「相同染色体」ではない。父親由来の「性染色体」が「X染色体」の場合は、母親由来の「X染色体」という仲間がいる。この意味で、「Y染色体」は(その上にあるDNAやそのDNAがくるむ遺伝子も)孤立していて、脆弱性を持つ、と言い得るだろう。
 この点を(まだ触れたことのない論点も書かれているが)、S·ムカジー〔訳-田中文〕・遺伝子/下(2018)は、つぎのように叙述している。男として身につまされるので?、長いが引用しておく。
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 「他のどの染色体ともちがって、Y染色体は『対をなしておらず』、妹染色体も、コピーも持たないため、その染色体上のすべての遺伝子が自力でがんばるしかなかったのだ。
 他のどの染色体でも、突然変異が起きた場合には、対をなす染色体の正常な遺伝子がコピーされることによって修復される。
 だがY染色体の遺伝子は修理したり、修復したり、他の染色体からリコピーしたりすることができない
 バックアップもガイドも存在しないのだ(実際には、Y染色体の遺伝子を修復する独特の内部システムは存在する)。
 Y染色体に突然変異が起きても、情報を回復するメカニズムがないために、Y染色体には、長年のあいだに受けた攻撃による瘢痕がいくつも残っている。
 Y染色体はヒトゲノムの中の最も脆弱な部分なのだ。<改行>
 絶え間ない遺伝的攻撃を受けた結果、Y染色体は何百万年も前に、自らの上に載っている情報を投げ捨てはじめた。
 生存にとって真に価値のある遺伝子はゲノムの別の場所へと移り、そこで安全に保持されるようになった。
 たいして価値のない遺伝子は使われなくなり、引退させられ、取り替えられ、最も基本的な遺伝子だけが残った(…〈略〉…)。
 情報が失われるにつれ、Y染色体自体が縮んでいった。
 突然変異と遺伝子喪失という陰気なサイクルによって少しずつ削られていったのだ。
 Y染色体が全染色体の中でいちばん小さいのは、偶然ではない。
 Y染色体は計画的な退化の犠牲者なのだ(…〈略〉…)。<改行>
 遺伝子という観点からは、この事実は奇妙なパラドックスを示唆している。
 すなわち、ヒトの最も複雑な形質のひとつである性別は複数の遺伝子によってコードされているわけではなく、むしろ、Y染色体上にかなり危なっかしく埋め込まれているひとつの遺伝子が『男性化』の主要な調節因子である可能性が高いということだ。
 この最後の段落を読んだ男性の読者は、どうか心に留めてほしい。
 われわれはかろうじて、今ここにいるのだ。」
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2754/八木秀次の<Y染色体論>③。

 八木秀次の<Y染色体>論は、さしあたり結局は、①男子の天皇であれば「Y染色体」を持っている、②「Y染色体」を持っていてこそ天皇であり得る、という二つのことの「堂々めぐり」の議論だ。「男子」だけが天皇になれる、という結論を、「染色体」という科学的?概念で粉飾したものにすぎない。
 しかも、男女の生物的区別にとって決定的であるのは、「染色体」ではなく、「遺伝子」の種別の一つだ(Sry遺伝子と称される)。八木は、染色体、DNA、遺伝子の三つの違いをおそらくは全く知らないし、気にかけてもいないようだ(2005年の書であっても)。
 だが八木も、女性天皇が存在したことを無視できないようで、その理由・背景を「男性天皇」へ中継ぎするための一時的・例外的な存在だった等々と述べている。この主張に対しては、持統から孝謙・称徳までの女性天皇について、秋月瑛二でも十分に反論することができる。
 しかし、<Y染色体>論との関係に限って言うと、女性天皇であれば「Y染色体」を持たなかっただろうから、八木の元来の主張からすると彼女たちは天皇になる資格がなかったはずなのであり、八木の議論はここですでに破綻している。
 そこで八木は、皇位は「男子」ではなく「男系」で継承されてきた、と主張して、論点を少しずらしている。歴史上の女性天皇は全て「男系」だ、つまり「男性天皇」の「血」を引いている、というわけだ。この主張についてもいろいろと書きたいことはある。既述のことだが、皇族であって初めて天皇になれると圧倒的に考えられていた時代(推古まで遡ってよい)に、女性天皇の「血」をたどればいずれかの男性天皇につながる(=「男系」になる)ことは当然ではないか。
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 あらためて、八木秀次の主張を引用しておく。平成年間に書かれているので、天皇は「125代」になっている。
 「125代の皇統は一筋に男系で継承されてきたという事実の重みは強調しても強調しすぎることはあるまい」。
 「125代にわたって、唯一の例外もなく、苦労に苦労を重ねながら一貫して男系で継承されたということは、…、動かしてはならない原理と言うべきものである」。
 これらはまだよい。しかし、つぎのように、125代の初代は「神武天皇」と明記され、「神武天皇の血筋」が話題にされ出すと、私はもう従いていけない。
 「そもそも天皇の天皇たるゆえんは、神武天皇の血を今日に至るまで受け継いでいるということに尽きる」。
 「天皇という存在は完全なる血統原理で成り立っているものであり、この血統原理の本質は初代・神武天皇の血筋を受け継いでいるということに他ならない」。
 以上では、(神武天皇の)「Y染色体」ではなく、その「血」・「血筋」という語が用いられる。「血」とはいったい何のことか。
 この「血」の継承(「血統」・「血筋」)は、つぎのように、より一般化されているようだ。「昔の人たち」とは、どの範囲の人々なのだろうか。
 「昔の人たち」は「科学的な根拠」を知って「男系継承」をしていたのではない。「しかし、農耕民族ゆえの経験上の知恵から種さえ確かならば血統は継承できる、言い換えれば、男系でなければ血を継承できないということを知っていたのではないかと思われる」。
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 上に最後に引用した文章は、つぎのような意味で、じつに興味深く、かつ刮目されるべきものだ。
 染色体や遺伝子、DNA等に関係する生物学・生命科学の文献を素人なりに読んできて、秋月瑛二は、自分の文章で再現しようと試みてきた。
 読んだ中には当然に、「遺伝」に関するものがあった。
 逐一に根拠文献を探さないが、「遺伝」、ここでは子孫への形質等の継承に関して(おそらく欧米を中心に想定して)、つぎのような、古い「説」があった、とされていた。
 ①父親の「血」と母親の「血」が混じり合って(受精卵となって発育して)一定の「子ども」ができる
 ②父親の「種」(精子)が形質等の継承の主役であり、母親は「畑」であって、その母胎内で保護しつつ栄養を与えて発育させ、一定の「子ども」ができる
 他にもいくつかの「仮説」があったと思うが、上の二つは、せいぜい19世紀末までの、<古い>かつ<間違った>考え方として紹介されていた。
 上の最後に記した八木秀次の文章は、この①・②のような、かつての素朴な(そして間違った)理解の仕方を表明しているものではなかろうか(なお、「農耕民族ゆえの経験的知恵」というものの意味も、さっぱり分からない)。
 「種さえ確かならば血統は継承できる」とは、まさに②の考え方を表現しているのではないか。この部分には、きわめて深刻な問題があると考えられる。
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 ヒト=人間の「血液」の重要性の認識が、古くから生殖や「遺伝」についての考え方にも影響を与えた、と見られる。日本に「血統」、「血筋」等の語があり、英語にも「blood line」という言葉がある。
 確かに「血液型」(ABO)のように両親からの「遺伝」の影響が決定的に大きいものある。
 だが、生命科学、ゲノム科学等の発展をふまえて、あいまいな「血」・「血筋」・「血統」・「血族」等の言葉の意味は再検討あるいは厳密化される必要があるだろう。
 遺伝子検査、さらには<ゲノム解析>でもって、遺伝子または「ゲノム」レベルでの親近性から病気・疾患の原因を探ったり、将来の可能性をある確率で予測する、といったことがすでに行われている。「遺伝」に関する科学的知見のつみ重ねは、この数十年ですら、あるいは八木が上のようの書いたこの数十年でこそ、著しいものがある。
 そういう時代に、「血」・「血統」・「血筋」といった言葉を単純幼稚に用いていると見られる、八木秀次の議論の仕方はふさわしいものだろうか。
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2753/西尾幹二批判078—「量の概念でも質の概念でもなく」。

 西尾幹二・自由とは何か(ちくま新書、2018)には、<古代ギリシャの奴隷制度>に言及する長い章がある。
 とても要約できないが、「古代ギリシャ」の自由・芸術・スポーツ等々が「奴隷」制を前提とすることをしきりに指摘していて、ひょっとして「奴隷」制の肯定にまで進んでしまうのではないかとすら思ったものだった(だいぶ前のこと)。
 さすがにそうは明記していなかった。だが、この人の<本音>、<本性>は、「食って生きて」いくための瑣末なことを自分でするのを拒み(つまり他の人々=ニーチェにおける「愚衆」に任せて)、自分は「高尚な、精神的」作業をしたい、というものだっただろう。
 そうでなければ、西尾幹二が「つくる会」の会長等の要職にあったときに、会の理事や事務局長が次第に〈日本会議〉に「乗っ取られて」いることに気づかず、「分裂」後になってあれこれと八木秀次や〈日本会議〉を非難するに至る、というふうにはならなかった、と感じられる。
 仔細は知らないので推測がかなり占めるが、この人は、会の中で自分は「貴族」で、「ほとんどお飾りのごとく君臨しておれる」、と勘違いしていたのではなかろうか。
 但し、〈つくる会〉にやや遅れてすぐにあとに結成された〈日本会議〉が支援・友好団体であることを知って、急いで〈日本会議〉の主張を学習して、きわめて大まかには、仏教ではなく神道、という旨の講演を〈日本会議〉の母体団体主催の会合で講演したことは、事実として指摘しておく必要がある。
 参照→①2491/批判051—神話と日本青年協議会①。 
 参照→②2492/批判052—神話と日本青年協議会②。
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 「自由」を表題とする書物を西尾は何冊も執筆・刊行してきた。
 上掲書のほか、自由の悲劇(講談社現代新書、1990)、自由の恐怖(文藝春秋、1995)、自由と宿命(洋泉社新書、2001)、等々。
 その西尾幹二の「自由」概念と「自由」論がどの程度のものであるかを、2018年の上掲書からいくつかを再び引用して、示しておこう。とりわけ②は、大笑いだ。
 ①「今、私たちは自由と平等のパラドックスの矛盾の矛盾たるゆえんを、二人の正反対の大統領、背中を向け合うオバマとトランプの出現によって、ありありと劇的に目撃するに至りました。
 オバマは『平等』にこだわりつづけるでしょう。
 トランプはその偽善を突き、強い者が勝つのは当然とする『自由』の自己主張の復権を唱えつづけるでしょう。
 二人の見せつけるページェントがこれから先、何処に赴くかは今のところ誰にも分かりません。」p.154、第三章の最後の文章。
 ②「『自由』は存在しない、そこからすべてが始まることだけは確かだ、と私は先に申しました。
 おそらく、想像するに、『自由』は持続形態ではなく、量の概念でも質の概念でもなく、人間が四方八方において不自由な存在でありながらそのことをすら超えた境地にあるという認識の大悟徹底の只中から、わずかに瞬間的に発現する何ものかでありましょう。」p.118、第二章の最後に近い文章。
 2018年にこんなことしか書けない人物がなぜ、多数の書物を出版でき、本人編集とはいえ、<全集>まで刊行できるのか。日本の出版界の恥であり、悲劇だ。そして、戦後日本の恥であり、悲劇だ。大笑いして済ませることはできない。
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2752/生命・細胞・遺伝—16。

 重要なことなので、再記(復習)から始めよう。
 DNAの最小単位はヌクレオチドで、これは「リン酸」・「五炭」・「塩基」の三つで成り、「リン酸」を<のり>のような接着体として上下(または左右)のヌクレオチドとつながる。「塩基」は、別のDNA分体(別の一本の「鎖」糸)の「塩基」(「相補塩基」)と結合して「塩基対」になる。この塩基対が、<縄ばしご>の足を乗せる<踏み板(縄)>だ。
 「塩基」には4種があり(A,T,G,C)、各塩基は一つの種類しか持たない。「塩基対」になる別の塩基の種類は、最初の塩基の種類に応じて、特定のものに決まっている。すなわち、A-T、G-C(T-A、C-G)の組合せしかない。
 ヌクレオチドが上下(左右)につながって、「塩基配列」ができる。2個つながると2個の「塩基配列」、3個つながると3個の「塩基配列」だ。
 「塩基配列」の並び方によって、特定の種類の「アミノ酸」の作成(・生成)が指示される。
 アミノ酸には、20種類がある。3個の「塩基配列」によって、アミノ酸の種類が特定できる。2個だけだと、(塩基の)4種×4種で、16種(のアミノ酸)しか特定できないからだ。3個だと、4種×4種×4種で、64種のアミノ酸を特定することができる。一定の配列の3個の塩基の組合せを、「コドン」と言う。
 「コドン」が上下(左右)に多数つながって、多様なアミノ酸の複雑な結合体としての一定の「タンパク質」の作成(・生成)が指示される。
 指示をする(仕様書・設計図を書く)、多数のコドン(>ヌクレオチド)の始まりと終わりは決まっている(始まりはA-T-G、終わりはT-A-A、T-A-G、T-G-Aのいずれか)。コドンの数は多様で、特定されていない。
 一定のタンパク質の生成を指示する(または「タンパク質をコードする」)、多数のコドンから成る一つの単位を「遺伝子」と称してよい。但し、この「遺伝子」という概念には、多数のコドンを形成する塩基に対応する、それの「相補塩基」も含められる、と見られる。2本めの「鎖」糸の「塩基」(相補塩基)は、もともとの「塩基」の<予備>だと考えられている。「鎖」糸が2本あってこそ、<縄ばしご>の左右の、手で握る部分ができる。
 なお、一つの「塩基」とその「相補塩基」、ひいては二本の「鎖」糸について、一方は父親由来、片方は母親由来と<堂々と活字に>している情報がネット上にあるが、誤り。父親と母親由来をそれぞれについて語ってよいのは、一つの「染色体」とその「相同染色体」だ。
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 「コドン」は塩基(配列)に着目しているので、厳密には、「リン酸」、「五炭糖」という、塩基を支えて保護するヌクレオチドのその他の要素を含まない。
 2本の「鎖」糸(ビーズがつながった糸)の中には多数のヌクレオチド全体が含まれており、それは「ヒストン」と称されるタンパク質の周りに、左回りの<らせん状に>巻きついている。1.7回〜2回巻きついた一つの単位を「ヌクレオソーム」と言う。正確に言うと、いわば接着剤である「リン酸」は含まれないようだ。
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 DNAとは、大まかには、上の「ヌクレオソーム」の総体だと言える。したがって、「コドン」、多数の塩基(塩基対)を含んでいる。(これは、細胞「分裂」時には、「染色体」として顕現する。)
 しかし、「遺伝子」をあくまで(これが現在も支配的だが)一定の「タンパク質をコードする」情報をもつものと理解すると、DNA=「遺伝子」の総体、ではない。
 それどころか、2000年代以降、DNAの98パーセント(ときに98.5%)は「遺伝子」たる情報を持たない、とされている。「非コードDNA(領域)」とも言われる。より正確にはつぎのとおり。
 DNAの約80パーセントは「遺伝子」を含まない領域が占める。「遺伝子」の「外」または「間」がある。
 さらに、いちおうは「遺伝子」たる情報を含む領域であっても、「タンパク質をコード」している部分とそうでない部分とがある。前者を「エクソン」(構造配列)、後者を「イントロン」(介在配列)と呼ぶ。イントロンの存在は1980年以降に明らかになった、とされる。これは、遺伝子の「内部」にある、<タンパク質非コード領域>だ。全生物ではないが、ほとんどの生物、「核」を持つ全ての生物の「遺伝子」に、この部分がある。
 「エクソン」部分に限ると、これはDNA全体の2パーセント(あるいは1.5%)を占めるにすぎない。
 なお、「遺伝子」につき、以下の叙述がある。「機能発現」の「調節」・「制御」にすでに論及があるが、代表的だろうと思うので、引用する。
 「遺伝子とは、一つの機能を持った遺伝情報の単位である、と定義することができる。
 ここに言う一つの機能とは、一般的にタンパク質またはRNAの構造を決めることである。
 遺伝子はエクソンとイントロンとから成り立っている…。
 この他に遺伝子の転写や翻訳の機能発現を調節する制御配列が、エクソンの上流(転写のスタートする位置)、下流(転写が終了する位置)、またはイントロンの中に存在する。
 制御配列は、この遺伝子が、いつどこで発現されるべきかについて、他の遺伝子からの指令を伝える調節物質が認識する領域である。〔一文、略〕
 このような制御配列、エクソンおよびイントロンを含めて、一つの遺伝情報の単位、すなわち遺伝子が作られているのである。」
 本庶佑・ゲノムが語る生命像—現代人のための最新·生命科学入門(2013)
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 <DNA→(転写)→mRNA→(翻訳)→タンパク質>が「セントラル·ドグマ」と称されるのは、ヒトあるいは哺乳類あるいは脊椎動物等の多くの生物に共通する「遺伝」情報の伝搬方法だからではない。「細菌」(バクテリア)を含む「原核細胞」あるいは「単細胞」生物にも共通する、生命体の「中心原理」であるからだ。ヒトも細菌も本質的には変わりがない、とも言える。どちらも「生命」だからだ。
 「真核生物」と細菌等の「原核細胞」が異なるのは、「核」あるいは「核膜」の有無、DNAの形状等だ。
 ヒトが持つとされる38兆個(または60兆個)の全細胞に「核」があって、上のシステムが配備されている。その「核」内にそれぞれ、約2万1000個〜2万4000個の「遺伝子」がある。その各「遺伝子」が含む塩基配列・塩基対の数は、…。これらの掛け算の結果=一個体・人体内での総数を計算してみる気にもなれない。
 さて、DNAが持つ情報等の全てがmRNAに「転写」(transcription)されるのだろうか。かつてはほとんど全てがコピーされるのだろうと推測されていた。つまり、DNAのほとんどは直接に「タンパク質」形成に関与しているのだろうと見られていた。
 2003年のヒトゲノム計画終了後には、ごく簡単には、つぎのように考えられているようだ。
 「転写」されるのは、まずは、エクソンの他にイントロン部分も含む、「遺伝子」領域だけだ。これによって生まれるものを「mRNA前駆体」(pre-mRNA)と呼ぶ。
 ついで、「mRNA前駆体」が核内から細胞質に出ていく過程で、「タンパク質になるのに無関係な」イントロン部分が除去され、エクソンのみの純粋な「mRNA」になる。これが、細胞質内にある「リボソーム」によって「翻訳」(translation)されることになる。これは、塩基配列という「暗号」の「解読」によって行われる、一定のタンパク質の生成のことだ。
 上にいう、イントロン部分の除去のことを、「スプライシング」(splicing)と言う。これによって、内部で「分断」されていた一つの遺伝子は一つづきになる。「分断」されていたエクソンが「連結」される、とも言い得る。このような過程は、全ての真核生物で生じる、ともされている。
 「遺伝」にとって必要な部分だけの、無駄のないかつ「正確」なコピーを目的としていることは明らかだろう。もっとも、いくつかの例外等の留意点に関する付言が必要であるようなのだが、立ち入らない。
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 さらに、なぜ、「必要」ではない部分をDNAは抱え込んでいるのか、も不思議なことだ。この点についての回答は、上に引用した本庶の叙述の中にある。すなわち、「遺伝子の転写や翻訳の機能発現を調節する制御配列」が、エクソンの末端部分以外に、イントロンの中にもある。これは、遺伝子が「いつどこで」発現すべきかを「調節」する機能を持つ。
 このような機能は、決して「不必要」でも「無駄」でもない。むしろ決定的に重要だとも言える。エクソンが示すのは「設計図」・「仕様書」あるいは「レシピ」なので、実際にいつどのように「実行する」かの指令は別に必要だと考えられるからだ。
 もう一つ、エクソン部分以外の領域の意味を「遺伝子」の「外」・「間」の(DNAの約80%を占めるという)部分も含めて考えると、つぎの可能性があるだろう。
 すなわち、現在はあるいはホモ・サピエンス誕生の時点ですでに「無駄」になっている、生物の<進化>の「名残り」または「痕跡」が、現在でもあるいはホモ・サピエンスになって以降も、DNAの中にとどめられている。
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2751/私の音楽ライブラリー043。

 私の音楽ライブラリー043。
 君をのせて/Castle in the Sky.(作詞・宮崎駿、作曲・久石譲)
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 116-01 →井上あずみ .〔SeanNorth公式〕
 116-02 →Sarah Alainn. 〔Taro Canned〕
 116-03 →Trillme Festival 2022. 〔Trillme Festival〕
 116-041→Concert Paris/Behind the Scenes. 〔Timothee Wurth〕
 116-042 →Concert Paris 2024. 〔nabii_Lise〕
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