一 上原六四郎・俗楽旋律考(岩波文庫、1927。第8刷/1992)。
上原がこの著で示した二種の音階は、この人が考案したものではなく、明治前半期に彼が当時の日本で実際に「聴いた」諸音楽を検討して「発見」した結果の音階だ。
このことは、「一 緒言」に語られている。
原文の文語体・旧仮名遣いではない「現代文」化を「一 緒言」について秋月瑛二が勝手に試みると、つぎのとおり。p.29-p.30。一文ずつ改行する。
——
「そもそも世に言う俗楽とは、社会の上流なると下流なるとを問わず、あまねく世間に行なわれる、俚歌、童謡をはじめ、浄瑠璃、端歌、琴歌、謡曲、尺八本曲の類を総称するものである。
現今にその流派はきわめて多いけれども、その一二を除く他はおおむね同一であり、その発達とともにようやく分岐してきたけれども、曲節はまた相類している。
しかしとりわけ、都府で行なわれているものと田舎間で行なわれているものとは、大いにその趣味を異にし、あるいは来源が同じではないようにみえる。
よって、ここでは前者の類を都節と称し、後者の類を田舎節と名づける。
〈改行〉
雅楽には呂律等の旋法、西洋音楽(「西楽」)には長短の二音階があって、それぞれその曲節を律している。
俗楽でもまた、そのような旋法がないはずはない。
しかしながら、古来これを論ずる者なく、わずかに近時、伊藤脩二、瓜生寅等の両三氏がこれを論じているだけである。
自分はもともと音楽に精しくはないけれども、明治8年以来少しだけこれの攻究を試みた。
しかして、自分がもっぱら攻究したのは都節中の俗箏、長歌および京阪地方のいわゆる地歌ならびに尺八の本曲であって、田舎節、謡曲等はわずかにしかこれを玩味していない。
加えて、すでに講究に年月を費やしたが、なお疑惑の箇所が少なくないので、これを書物に論載するようなことは他日に譲ろうと考えていた。
しかるに、今回東京音楽学校長村岡範爲馳氏の命があったので、あえていささかこの論説を今日に試みるだけである。
その足らない所は、怠らず討究して、他日に補うこととする。」
——
二 もう一つ、「十八 都節と田舎節との関係の事」を「現代文」化してみよう。「陰旋」、「陽旋」という言葉の由来の一端が書かれている。p.86-p.88。
内容には難しい部分があるが、①「一律」とは最も単純には今日に言う「一半音」に当たる(または、近い)と思われる。②「宮」とは、最初の一定の音、つまり「基音」のことだ(「絶対音」の呼称ではない)。この二点以外は、そのままにしておく。
「十日戎のように田舎節を都節に変唄し、また沖の大船のように田舎節と都節を混用するものについて、田舎節音階と都節音階との関係を求めると、左図<前回に言及したのと同じ—秋月>のごとくであって、主として両音階の性質を変えるものは、その第二音と下行第五音との位置にある。
すなわち、田舎節のこれら二音を一律低くすればただちに都節となり、都節のこれらの二音を一律高くすればただちに田舎節になることを知ることができる。
〈改行〉
田舎節と都節とにはこのような親密な関係があるがゆえに、これを譜表に示そうとする場合には、かりに田舎節を記入するに*dを宮とするときは都節もまたこれを宮としなければならず、あるいは都節を記入するに*eを宮とするならば田舎節もまたこれを宮とする必要がある。<一文、省略>
〈改行〉
田舎節の曲節は都節に比べるとおおむね爽快で、きわめて力がある。
このことが、ややもすると、その曲節が野鄙に聞こえる理由であって、普通〔平凡〕である弊に陥りやすい。
これに対して、都節はきわめて柔和な性質をもっている。
このことが淫猥に傾きやすい原因であって、また普通である弊がこれに伴ないやすい。
しかして、西洋音楽に長短の二音階があるように俗楽にもまた二旋法があり、両者は全く性質を異にするのだから、自分は、都節の音階に陰旋の名を与え、田舎節の音階に陽旋との呼称を与えて、この区別を試みる。」
以上。
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上原がこの著で示した二種の音階は、この人が考案したものではなく、明治前半期に彼が当時の日本で実際に「聴いた」諸音楽を検討して「発見」した結果の音階だ。
このことは、「一 緒言」に語られている。
原文の文語体・旧仮名遣いではない「現代文」化を「一 緒言」について秋月瑛二が勝手に試みると、つぎのとおり。p.29-p.30。一文ずつ改行する。
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「そもそも世に言う俗楽とは、社会の上流なると下流なるとを問わず、あまねく世間に行なわれる、俚歌、童謡をはじめ、浄瑠璃、端歌、琴歌、謡曲、尺八本曲の類を総称するものである。
現今にその流派はきわめて多いけれども、その一二を除く他はおおむね同一であり、その発達とともにようやく分岐してきたけれども、曲節はまた相類している。
しかしとりわけ、都府で行なわれているものと田舎間で行なわれているものとは、大いにその趣味を異にし、あるいは来源が同じではないようにみえる。
よって、ここでは前者の類を都節と称し、後者の類を田舎節と名づける。
〈改行〉
雅楽には呂律等の旋法、西洋音楽(「西楽」)には長短の二音階があって、それぞれその曲節を律している。
俗楽でもまた、そのような旋法がないはずはない。
しかしながら、古来これを論ずる者なく、わずかに近時、伊藤脩二、瓜生寅等の両三氏がこれを論じているだけである。
自分はもともと音楽に精しくはないけれども、明治8年以来少しだけこれの攻究を試みた。
しかして、自分がもっぱら攻究したのは都節中の俗箏、長歌および京阪地方のいわゆる地歌ならびに尺八の本曲であって、田舎節、謡曲等はわずかにしかこれを玩味していない。
加えて、すでに講究に年月を費やしたが、なお疑惑の箇所が少なくないので、これを書物に論載するようなことは他日に譲ろうと考えていた。
しかるに、今回東京音楽学校長村岡範爲馳氏の命があったので、あえていささかこの論説を今日に試みるだけである。
その足らない所は、怠らず討究して、他日に補うこととする。」
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二 もう一つ、「十八 都節と田舎節との関係の事」を「現代文」化してみよう。「陰旋」、「陽旋」という言葉の由来の一端が書かれている。p.86-p.88。
内容には難しい部分があるが、①「一律」とは最も単純には今日に言う「一半音」に当たる(または、近い)と思われる。②「宮」とは、最初の一定の音、つまり「基音」のことだ(「絶対音」の呼称ではない)。この二点以外は、そのままにしておく。
「十日戎のように田舎節を都節に変唄し、また沖の大船のように田舎節と都節を混用するものについて、田舎節音階と都節音階との関係を求めると、左図<前回に言及したのと同じ—秋月>のごとくであって、主として両音階の性質を変えるものは、その第二音と下行第五音との位置にある。
すなわち、田舎節のこれら二音を一律低くすればただちに都節となり、都節のこれらの二音を一律高くすればただちに田舎節になることを知ることができる。
〈改行〉
田舎節と都節とにはこのような親密な関係があるがゆえに、これを譜表に示そうとする場合には、かりに田舎節を記入するに*dを宮とするときは都節もまたこれを宮としなければならず、あるいは都節を記入するに*eを宮とするならば田舎節もまたこれを宮とする必要がある。<一文、省略>
〈改行〉
田舎節の曲節は都節に比べるとおおむね爽快で、きわめて力がある。
このことが、ややもすると、その曲節が野鄙に聞こえる理由であって、普通〔平凡〕である弊に陥りやすい。
これに対して、都節はきわめて柔和な性質をもっている。
このことが淫猥に傾きやすい原因であって、また普通である弊がこれに伴ないやすい。
しかして、西洋音楽に長短の二音階があるように俗楽にもまた二旋法があり、両者は全く性質を異にするのだから、自分は、都節の音階に陰旋の名を与え、田舎節の音階に陽旋との呼称を与えて、この区別を試みる。」
以上。
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