秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2023/03

2628/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌⑥。

 全ての別れのために—今日に読む〈マルクス主義の主要潮流〉/トニー·ジャット。(Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
 つづき。
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 第一章④。
 (14) 精神の歪曲と身体の責苦を目的とするこのような皮肉な弁証法の利用を、西側のマルクス主義講釈者たちは、通常のこととして、見逃した。彼らは過去の理想または未来の展望の黙考に沈潜して、とくに彼らがかつての犠牲者や目撃者だった場合には、ソヴィエトの現在に関する不愉快な情報に動かされないままでいることを好んだ。(注12)
 Kolakowski がこのような者たちと遭遇したことが、疑いなく、「西側の」マルクス主義と彼の進歩的な同調者の大部分に対する彼の痛烈な軽蔑を説明する。
 「教養のある人々にマルクス主義が人気のある理由の一つは、マルクス主義は単純な態様ではきわめて理解し易い、ということだ。Sartre ですら、マルクス主義者は誤っており、(マルクス主義は)あれこれと研究し終えることなく、歴史と経済の総体に対処するのを可能にする道具だった、ということに気づいていた。」(注13)
 このような遭遇は、ずっと以前に出版された論考集〈My Correct Views on Everything〉という嫌味溢れる表題となった小論の動機となったものでもあった。(注14)
 イギリスの歴史家のEdward Palmer Thompson は1973年の〈The Socialist Register〉に、Leszek Kolakowski に宛てた公開書簡を掲載した。
 そこで彼は、かつてのマルクス主義者に向かって、若いときのマルクス主義修正主義からの転向によって擁護者を見捨てたと、叱りつけた。
 この公開の書簡が際立って示したのは、Thompson の自己満足と地域性だった。すなわち、彼は饒舌で(書簡は100頁に及んだ)、慇懃無礼で、偽善的だった。
 Thompson は、威張った扇動的な調子で、亡命したKolakowski の鼻の前に修辞の指先を突きつけて彼を払い落とし、彼を—その思慮深くて進歩的な公刊物を斜めに一瞥しながら—非難する。
 「我々二人は、1956年に共産主義修正主義の見解で一致した。…我々はともに、スターリン主義批判の先頭の立場から…を経てマルクス主義修正主義の態度へと至った。
 時代を経て、あなたとあなたが支持した物事は、我々の最も内的な思考について現在のようになった。」
 Thompson は、イギリスの地方の居心地よい安全な所から、こう示唆した。
 あなたは、どのようにしてあえて我々を裏切ることができるのか? 共産主義ポーランドでのあなたには不都合な体験でもって、我々に共通するマルクス主義の理想を覆い隠すことによって。//
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 (15) Kolakowski の反論文である〈My Correct Views on Everything〉はおそらく、政治的議論の歴史上、最も良く書かれた知識人の解体作業だ。すなわち、これを読んだあとでは誰も二度と、Edward Palmer Thompson を真面目に受け止めないだろう。
 この小論は、マルクス主義の歴史と体験によって「東側」と「西側」の知識人の間にあることが明らかになった、かつ今日まで存在している、大きい道徳的な溝を解説するものだった(そして症候として例証するものだった)。
 Kolakowski は情け容赦なく、Thompson の懸命の利己的な努力を解剖し、分析した。その努力とは、マルクス主義の欠陥から社会主義を、共産主義の拒絶からマルクス主義を、そして彼自身の犯罪から共産主義を救おうとするものだった。—全ては、一つの理想の名のもとに行なわれた。表面的には「唯物論的」現実に根ざし、信頼性もそれに依存していて、決して現実世界の経験や人間の不可能性に言及されることがない理想。
 Kolakowski はThompson に向かってこう書く。
 「あなたは、『システム』という概念で思考するのは傑出した成果をもたらす、と言う。
 私も、確かにそう思う。—たんに傑出しているばかりか不可思議な成果をだ、という点で留保はするが。
 人類の全ての諸問題を、それは一撃のもとですぐに解決するのだ。」
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 (16) 人類の諸問題を一撃のもとで解決する。現在を説明すると同時に将来を保障することのできる、全てを包括する理論を追い求める。
 現実の体験の苛立つような複雑さと諸矛盾を回避するために、知性的または歴史的な「システム」という松葉杖に逃げ場を求める。
 腐敗した果実から、想念または理想の「純粋な」種子を救い取る。
 このような近道は、永遠の魅力をもつが、マルクス主義者(または左翼)の独占物ではない。
 少なくともこのような人間の愚昧さのマルクス主義という変種から別離することだけは、至極当然のことだ。
 Kolakowski のようなかつてのマルクス主義者の洗練された洞察とThompson のような「西側」マルクス主義者の独善的な偏狭さのあいだで、歴史の審判自体について完全に沈黙するならば、問題は自明のこととして処理されたかのように思われるだろう。
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 注記。 
 (12) このような目撃証言には信頼性がないという主題に、西側の進歩主義者によるスターリン主義の釈明は注目した。
 全く同様に、アメリカのソヴィエト学者は、東方圏からの逃亡者または移住者による証拠物提出や証言を、無視した。—あまりにも個人的体験で、一致していないため、概観することを歪曲し、客観的に分析することを妨害する。
 (13) 「社会主義に残るものは何か ?」((注08)を見よ)。ポーランドの人々その他の「東方圏人」は、迎合的な西側の進歩主義者に対するKolakowski の嘲弄に共感していた。詩人のAntoni Slonimski は1976年に、Jean-Paul Sartre が20年前に、アメリカに対抗して「社会主義陣営」を弱めないために、社会主義リアリズムを放棄しないよう、ソヴィエト圏の文筆家たちを激励したことを、思い起こさせた。「彼にとっての自由、我々にとっての全ての制約!」。「L'Ordre regne a Varsovie」〈Kultura, 3〉(1976), S.26f. 所収、Marci Shore,〈Caviar and Ashes: ワルシャワ世代の生とマルクス主義の死, 1918-1968〉(2006), S.362 による引用、を参照。
 (14) 例えば、Leszek Kolakowski,〈Chretiens sans eglise. La conscience religieuse et le lien confessional au XVIIe siecle〉(1969)。同〈God Owes Us Nothing. A Brief Remark on Pascal's Religion and on the Sprit of Jansenism〉(1995)。並びに、論文集〈My Correct Views on Everything〉,South Bend, Indiana (2005)、とくに、George Urban との対話、「歴史における悪魔」と小論「Concern with God in an Apparently Godless Era」。ドイツ語では、Hans Rössner(編),〈Der nahe und der ferne Gott. Nichttheologische Texte zur Gottesfrage im 20. Jahrhundert〉,序言 (1981)で出版された。
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 第一章〔表題なし〕、終わり。第二章へつづく。

2627/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌⑤。

 全ての別れのために—今日に読む〈マルクス主義の主要潮流〉/トニー·ジャット。(Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
 つづき。
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 第一章③。
 (08) マルクスをスターリン(およびレーニン)による「歪曲」から「救い出す」ために、三世代の西側のマルクス主義者たちは果敢に、マルクス主義と共産主義を控えめに結合しようとした。—そう、Kolakowski は明確に述べる。
 20世紀のロシアまたは中国の歴史について、ヴィクトリア朝のロンドンで生活したドイツ人著作者のKarl Marx (注8)に責任があるとは、ほとんど誰も、何らかの思想的に理解可能なやり方では主張しないだろう。
 ゆえに、創設者たちの真の意図を探り、Marx とEngels が彼らの名前で始まるはずの将来の負い目に関して考えていたことを解明しようとするマルクス主義純粋主義者の数十年間の努力は、いく分か時代遅れで、無意味だった。
 それでも、神聖な文献の真実に立ち戻ろうとする絶えず繰り返された訴えは、Kolakowski が特別の注目を向けた、マルクス主義の党派的な次元の大きさを示していた。
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 (09) やはりなおも、教義としてのマルクス主義は、それから生まれた政治運動やシステムの歴史と分離することはできない。
 実際には、Marx とEngels の思想には決定論的中核がある。人間が何ら力を奮うことのできない諸論拠によって、事物は「最終的分析では」そうであるべきであるようになっている、という主張だ。
 この強固な主張は、古きヘーゲルを「転倒させて」、争いの余地なき物質的根源(階級闘争、資本主義的発展の法則)に歴史の解釈をもとづかせようとするMarx の望みに由来していた。
 プレハノフ、レーニンや彼らの後継者たちが歴史的「必然性」の構築物全体とそれを導く実施機構を依りかからせることができたのは、この安逸な認識論的擁壁だった。
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 (10) さらには、プロレタリアートは被搾取階級という特別の役割—彼らの解放は全人類の解放の号砲となる—にもとづいて、歴史の最終目的を特権的に洞察することができる。そしてこの見識は、プロレタリアートの利益を具現化すると主張する独裁党のもとへプロレタリアートの利益が従属することで生まれる、共産主義の成果と密接な関係がある。
 マルクス的分析を共産主義独裁に結びつけたこの論理的足枷がいかに強固だったかは、—Michail Bakunin からRosa Luxemburg までの—多くの観察者や批評家たちに委ねよう。彼らは、レーニンがその勝利の途を歩み始めるべくペテルブルクのフィンランド駅近くへ到着するずっと前に、共産主義的全体主義を予見し、警告していた。
 もちろん、マルクス主義は異なる方向へと展開することもあり得ただろうし、あるいはどこかで終焉することもあり得た。
 しかし、「レーニンによるマルクス主義の見方は、唯一の可能なものではなかったとしても、きわめて尤もらしいものだった」。(注9)
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 (11) 当然ながら、マルクスもその承継者たちも、産業プロレタリアートによる資本主義の打倒を説く教理は後進的で広く農民的な社会でも有効だろうとは、意図しなかったし、感じてもいなかった。
 だが、この逆説はKolakowski には、マルクス主義の信仰体系としての力を強く意識させるものだった。すなわち、レーニンやその支持者たちが自分たちが勝利する不可避の必然性に固執しなかったならば(そして、それを理論的に正当化しなかったならば)、彼らの努力は決して成功しなかっただろう。
 同様にまた、彼らは数百万の外部の崇拝者たちにとって、確信を与える模範者にもなれなかっただろう。
 レーニンを封印列車でロシアに行かせることでドイツ政府が容易にした機会主義的な蜂起を、「不可避の」革命に変えること、これには単純な戦術的天才性ではなく、イデオロギー的信念上の包括的な実践が必要だった。
 Kolakowski は、確実に正しかった。政治的マルクス主義は、何よりも先ず、世俗的宗教なのだった。//
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 (12) 〈主要潮流〉は、唯一の傑出したマルクス主義に関する叙述ではない。だがそれはしかし、群を抜いて、意欲的だった。(注10)
 この著をとりわけ特徴づけるものは、Kolakowski のポーランド的視座だ。
 一つの終末論だとする彼のマルクス主義解釈を強調すれば、このことは十分に明らかになる。—「ヨーロッパの歴史全体を覆う黙示録的予想の、現代的な変種の一つ」。
 そしてそれは彼に、妥協なき道徳的な、そうして宗教的な、20世紀の歴史の見方を生み出した。
 「悪魔は、我々の経験の一部だ。
 我々の世代は、それを十分に見て、きわめて深刻な教訓を引き出した。
 私は、悪は生まれるものではなく、美徳の不在や歪曲あるいは劣化(あるいはその意味において美徳と対極にある全ての何か)ではなく、執拗な、解消することのできない事実だ、と主張した。」(注11)
 西側のどのマルクス主義観察者も、いかに批判的であろうとも、このようには語らなかった。//
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 (13) Kolakowski は、マルクス主義だけではなく共産主義のもとで生きた者としても書く。
 彼は、一つの政治的生活様式における知性的な理論からのマルクス主義の変容の生き証人だ。
 こうして内部で観察され、体験されたマルクス主義は、共産主義と区別することがほとんど困難だ。—結局は、最も重要な実践的帰結であったばかりか、その唯一の結果だった。
 自由を抑圧するという世俗的な目的のためにマルクス主義の諸範疇が日常的に利用されて—そのために権力を握る共産主義者によってマルクス主義がとくに用いられて—、時代の経過とともに理論の魅力自体が損なわれた。//
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 注記
 (08) 〈主要潮流〉はマルクスを、彼の精神的風景を支配したドイツ哲学にしっかりと位置づけた。社会理論家としてのマルクスは、簡単に扱われている。経済学に対するマルクスの寄与については、—労働価値説であれ、先進資本主義の利潤率の低下傾向の予見であれ—Kolakowski はほとんど注意を払っていない。
 マルクスですら自らの経済的研究の結果に関して不満だったことを考えれば(その理由の一つは〈資本論〉が未完のままだったことだ)、これは慈悲深かったと言うべきだろう。つまり、マルクスの経済理論の予見能力は、とっくに左翼によってすら否認されていた。少なくとも、Joseph A. Schumpeter の〈資本主義、社会主義および民主主義〉(Bern, 1946年)以降は。その20年後に、Paul Samuelson は、Karl Marx はせいぜいのところ「二流のリカード後継者」だと慇懃無礼に語った。
 (09) Kolakowski「歴史の中の悪魔」,〈Encounter〉(1981年1月)所収。〈My Correct Views on Everything〉前掲書, S.125に再録。
 (10) 最良の一巻本のマルクス主義研究書、素晴らしく凝縮されているが人間性や思想とともに政治と社会史を包括する研究書は、依然としてGeorge Lichtheim の〈マルクス主義〉のままだ。1961年にLondonで出版された〈歴史的、批判的研究書〉だ。
 マルクス自身に関しては、私には、70年代の二つのきわめて異なる伝記が、最良の現代的な描写になっている。すなわち、David McLellan,〈Karl Marx, 人生と著作〉1974年と、Jerrold Seigel,〈Marx の運命. 人生の造形〉1978年。
 これらの叙述は、だが、Isaiah Berlin の注目すべき小論〈Karl Marx〉によって補完される必要がある。これは1939年に英語で出版され、1968年にドイツ語に翻訳された。
 (11) 「歴史における悪魔」,〈My Correct Views on Everything〉上掲書所収, S.133.
 Kolakowski は同じ講演で、政治的メシア主義の終末論的構造を簡単にもう一度強調する。すなわち、地獄への転落、過去の罪悪との絶対的な決別、新しい時代の到来。だが、神が不在であるため、このような所業は本来的に矛盾していると非難され得る。知識だと誤称する宗教は、実を結ばない。
 ——
 つづく。
 
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