全ての別れのために—今日に読む〈マルクス主義の主要潮流〉/トニー·ジャット。
(Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
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第一章②。
(05) このような経緯によって、〈主要潮流〉の特徴がいくぶんか明らかになる。
第一巻の〈生成者〉(ドイツ語版、成立)は、思想史として伝統的手法で執筆されている。すなわち、弁証法のキリスト教的淵源、ドイツのロマン派哲学での完全な解決の構想、その若きマルクスへの影響から、マルクスとその同僚のFriedrich Engels の成熟した文献までを辿っている。
第二巻は、元々は(皮肉ではなく私は思うのだが)素晴らしい、〈黄金の時代〉というタイトルだった。(注4)
彼は、1889年まで存在した第二インターナショナルから1917年のロシア革命までの歴史を叙述している。
ここでもKolakowski は、とりわけ、急進的なヨーロッパの思想家の目ざましい世代が高度の精神的水準に導いた思想や論争を扱う。
この時代の指導的マルクス主義者たち—Karl Kautsky、Rosa Luxemburg、Eduard Bernstein、Jean Jaures、そしてWladimir Iljitsch Lenin—、彼らはみな正当に一つの章を与えられ、それらの章は慎重にかつ明晰に彼らの歴史上の主要な議論と位置を概括している。
このような総括的叙述では大して重要な位置を占めてこなかったためにさらに大きな関心を惹くのは、イタリアの哲学者のAntonio Labriola、ポーランドのLudwik Krzywicki、Kazimierz Kelles-Krauz、Stanislaw Brzozowski や「オーストリア・マルクス主義者」のMax Adler、Otto Bauer、Rudolf Hilferdinng、に関する章だ。
Kolakowski の叙述で比較的に多くのポーランド人が登場するのは、疑いなく、部分的には著者の地域的観点によるのであり、それまでは軽視されたものを補うものだ。
しかし、オーストリア・マルクス主義者たち(この巻の最も長い章の一つが割かれている)のように、彼らは、ドイツとロシアのマルクス主義が忘却して長らく抹消した、中世ヨーロッパの〈世紀末〉を呼び起こしてくれる。(注5)
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(06) 〈主要潮流〉の第三巻—多くの読者が「マルクス主義」と理解するもの、すなわちソヴィエト共産主義の歴史と1917年以降の西側マルクス主義者の思想を扱う—は、明けすけに〈瓦解〉と題されている。
この部の半分弱はスターリンからトロツキーまでのソヴィエト・マルクス主義を扱い、残りは他諸国の選び抜いた理論家を論じている。
彼らのうち若干の者、とくにAntonio Gramsci とGeorg Lukacs は、20世紀の思想史にとって継続的な関心の対象であり、Ernst Bloch やKarl Korsch(Lukacs のドイツの同時代者)には古物的な魅力がある。
さらに他の者たち、とくにLucien GoldmannとHerbert Marcuse は1970年代半ばよりも今日ではさらに関心を惹かなくなったようなのだが、Kolakowski は数頁で済ませている。
この著作は、「近年のマルクス主義の変遷の概観」で終わっている。これはスターリン死後のマルクス主義の展開に関する小論であり、Kolakowski は、自分の「修正主義」の過去に短く触れたあとで、ほとんど一貫した調子で、時代のはかない流行(Mode)を取り上げる。そして、Sartre の〈弁証法的理性批判〉やその〈余計な新造語〉から、毛沢東の「農民マルクス主義」やその無責任な西側の賛美者までがきわめて愚昧であることを語る。
この部分の読者は、第三巻の緒言で警告される。この著者は、最後の章は数巻へと拡張できただろうと認めつつ、「ここでの主題がそのように詳細な叙述をする意味があるのかどうか、確信がなかった」と付記しているのだ。
最初の二巻は1987年にフランス語で出版されたが、Kolakowsk の代表著作の第三巻はそこでは今日まで公にされていない、ということにここで触れておく価値がたぶんあるだろう。
ここでKolakowski によるマルクス主義的教理の歴史の驚くべき射程範囲を紹介するのは、不可能なことだ。
彼の叙述を上回ることは、ほとんどどの後継者によっても行なわれ得ない。この領域をこれほど詳細にかつこれほどの巧みさをもってあらためて掘り返すことができるために、いったい誰がもう一度十分な知識を得るだろうか? あるいは、いったい誰がもう一度十分な関心を呼び醒ますだろうか?
〈マルクス主義の主要潮流〉は、社会主義の歴史ではない。
この著者は、政治的論脈または社会的制度には表面的な注目だけを示した。
これは動かされない思想史であり、かつて力をもった理論や理論家の一族の勃興と崩壊に関する教養小説(Bildunfsromane)であって、懐疑的で濾過したした時代に、残存している最後のその末裔たちについて、語っている。
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(07) 1200頁にわたるKolakowski の論述は、率直であり、明晰だ。
彼の見解では、マルクス主義は真摯に受けとめられるべきものだ。
それは、階級闘争に関する宣明(しばしば正しいが、新鮮な何かではない)のゆえにではなく、また不可避の資本主義の破滅とプロレタリアによって導かれる社会主義への移行(完全に挫折した予言)の約束のゆえにでもなく、マルクス主義が、唯一の—そして本当に独自性をもつ—プロメテウス的なロマン派的幻想と妥協なき歴史的決定論の混合物を提示しているからだ。
このように理解されるマルクス主義の魅惑は明白だ。
それは、世界がどのように〈作動している〉(funktionieren)かを説明する。資本主義と階級関係の経済的分析だ。
それは、世界はどう作動〈すべき〉かの態様を提示する。若きマルクスの唯心論的考察がそうだったような人間関係の倫理だ(そして、Kolakowski が、その妥協的な人生を軽蔑したものの、相当に一致したGeorge Lukacs のマルクス解釈)。(注6)
最後に、マルクス主義は、マルクスのロシアの支持者たちがその(およびEngels の)文献から導き出した歴史的必然性に関する一連の主張に支えられたのだったが、世界は将来にそれに応じて作動する〈だろう〉との信仰を告知した。
経済的記述、道徳的命令、政治的予見のこうした結合は、途方もなく魅力的である—かつ目的に適している—ことが分かる。
Kolakowski が気づくように、マルクスは、なおも一層、読む価値がある。—その伝統の膨大な多面性を理解するためにだけであっても、別の者がそれに秘術をかけて、そこから飛び出してくる政治システムを正当化するためにも。(注7)
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注記。
(04) ドイツ語訳書では、三つの巻は〈成立、発展、瓦解〉と区分された。
(05) 歴史家のTimothy Snyder は、その書物、〈Nationalism, Marxism and Modern Central Europe: A Biography of Kazimierz Kelles-Krauz, 1872-1905〉(1997年)でもって、Kelles-Krauz を少なくとも忘却から救い出した。
(06) Kolakowski は別の箇所でLukacs について書く—この人物は、Bela Kun ハンガリーRäte共和国で短期間に文化委員として働き、のちにスターリンの要請にもとづき、かつて書き記していた全ての興味深い言葉を放棄した—。彼は「優れた知識人の相当に尋常ではない例」だった、「生涯の最後まで…その精神は党に奉仕することにあったが、彼の著作は我々にもはや思考の衝動を与えない、彼は自らハンガリーに生き残った」。「文化形成としての共産主義」を参照。Gesine Schwan (編)所収の、〈Leszek Kolakowski, Narr und Priester. Ein philosophisches Lesebuch〉,S187-209, 1995年。
(07) 「社会主義に残るものは何か」を参照。最初に出版されたときのタイトルは、「Po co nam pojecie sprawiedliwosci spolecznej ?」。〈Gazetta Wyborcza〉6-8号所収、1995年5月。〈My Correct View on Everything〉上掲に、再録された。
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つづく。
(Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
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第一章②。
(05) このような経緯によって、〈主要潮流〉の特徴がいくぶんか明らかになる。
第一巻の〈生成者〉(ドイツ語版、成立)は、思想史として伝統的手法で執筆されている。すなわち、弁証法のキリスト教的淵源、ドイツのロマン派哲学での完全な解決の構想、その若きマルクスへの影響から、マルクスとその同僚のFriedrich Engels の成熟した文献までを辿っている。
第二巻は、元々は(皮肉ではなく私は思うのだが)素晴らしい、〈黄金の時代〉というタイトルだった。(注4)
彼は、1889年まで存在した第二インターナショナルから1917年のロシア革命までの歴史を叙述している。
ここでもKolakowski は、とりわけ、急進的なヨーロッパの思想家の目ざましい世代が高度の精神的水準に導いた思想や論争を扱う。
この時代の指導的マルクス主義者たち—Karl Kautsky、Rosa Luxemburg、Eduard Bernstein、Jean Jaures、そしてWladimir Iljitsch Lenin—、彼らはみな正当に一つの章を与えられ、それらの章は慎重にかつ明晰に彼らの歴史上の主要な議論と位置を概括している。
このような総括的叙述では大して重要な位置を占めてこなかったためにさらに大きな関心を惹くのは、イタリアの哲学者のAntonio Labriola、ポーランドのLudwik Krzywicki、Kazimierz Kelles-Krauz、Stanislaw Brzozowski や「オーストリア・マルクス主義者」のMax Adler、Otto Bauer、Rudolf Hilferdinng、に関する章だ。
Kolakowski の叙述で比較的に多くのポーランド人が登場するのは、疑いなく、部分的には著者の地域的観点によるのであり、それまでは軽視されたものを補うものだ。
しかし、オーストリア・マルクス主義者たち(この巻の最も長い章の一つが割かれている)のように、彼らは、ドイツとロシアのマルクス主義が忘却して長らく抹消した、中世ヨーロッパの〈世紀末〉を呼び起こしてくれる。(注5)
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(06) 〈主要潮流〉の第三巻—多くの読者が「マルクス主義」と理解するもの、すなわちソヴィエト共産主義の歴史と1917年以降の西側マルクス主義者の思想を扱う—は、明けすけに〈瓦解〉と題されている。
この部の半分弱はスターリンからトロツキーまでのソヴィエト・マルクス主義を扱い、残りは他諸国の選び抜いた理論家を論じている。
彼らのうち若干の者、とくにAntonio Gramsci とGeorg Lukacs は、20世紀の思想史にとって継続的な関心の対象であり、Ernst Bloch やKarl Korsch(Lukacs のドイツの同時代者)には古物的な魅力がある。
さらに他の者たち、とくにLucien GoldmannとHerbert Marcuse は1970年代半ばよりも今日ではさらに関心を惹かなくなったようなのだが、Kolakowski は数頁で済ませている。
この著作は、「近年のマルクス主義の変遷の概観」で終わっている。これはスターリン死後のマルクス主義の展開に関する小論であり、Kolakowski は、自分の「修正主義」の過去に短く触れたあとで、ほとんど一貫した調子で、時代のはかない流行(Mode)を取り上げる。そして、Sartre の〈弁証法的理性批判〉やその〈余計な新造語〉から、毛沢東の「農民マルクス主義」やその無責任な西側の賛美者までがきわめて愚昧であることを語る。
この部分の読者は、第三巻の緒言で警告される。この著者は、最後の章は数巻へと拡張できただろうと認めつつ、「ここでの主題がそのように詳細な叙述をする意味があるのかどうか、確信がなかった」と付記しているのだ。
最初の二巻は1987年にフランス語で出版されたが、Kolakowsk の代表著作の第三巻はそこでは今日まで公にされていない、ということにここで触れておく価値がたぶんあるだろう。
ここでKolakowski によるマルクス主義的教理の歴史の驚くべき射程範囲を紹介するのは、不可能なことだ。
彼の叙述を上回ることは、ほとんどどの後継者によっても行なわれ得ない。この領域をこれほど詳細にかつこれほどの巧みさをもってあらためて掘り返すことができるために、いったい誰がもう一度十分な知識を得るだろうか? あるいは、いったい誰がもう一度十分な関心を呼び醒ますだろうか?
〈マルクス主義の主要潮流〉は、社会主義の歴史ではない。
この著者は、政治的論脈または社会的制度には表面的な注目だけを示した。
これは動かされない思想史であり、かつて力をもった理論や理論家の一族の勃興と崩壊に関する教養小説(Bildunfsromane)であって、懐疑的で濾過したした時代に、残存している最後のその末裔たちについて、語っている。
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(07) 1200頁にわたるKolakowski の論述は、率直であり、明晰だ。
彼の見解では、マルクス主義は真摯に受けとめられるべきものだ。
それは、階級闘争に関する宣明(しばしば正しいが、新鮮な何かではない)のゆえにではなく、また不可避の資本主義の破滅とプロレタリアによって導かれる社会主義への移行(完全に挫折した予言)の約束のゆえにでもなく、マルクス主義が、唯一の—そして本当に独自性をもつ—プロメテウス的なロマン派的幻想と妥協なき歴史的決定論の混合物を提示しているからだ。
このように理解されるマルクス主義の魅惑は明白だ。
それは、世界がどのように〈作動している〉(funktionieren)かを説明する。資本主義と階級関係の経済的分析だ。
それは、世界はどう作動〈すべき〉かの態様を提示する。若きマルクスの唯心論的考察がそうだったような人間関係の倫理だ(そして、Kolakowski が、その妥協的な人生を軽蔑したものの、相当に一致したGeorge Lukacs のマルクス解釈)。(注6)
最後に、マルクス主義は、マルクスのロシアの支持者たちがその(およびEngels の)文献から導き出した歴史的必然性に関する一連の主張に支えられたのだったが、世界は将来にそれに応じて作動する〈だろう〉との信仰を告知した。
経済的記述、道徳的命令、政治的予見のこうした結合は、途方もなく魅力的である—かつ目的に適している—ことが分かる。
Kolakowski が気づくように、マルクスは、なおも一層、読む価値がある。—その伝統の膨大な多面性を理解するためにだけであっても、別の者がそれに秘術をかけて、そこから飛び出してくる政治システムを正当化するためにも。(注7)
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注記。
(04) ドイツ語訳書では、三つの巻は〈成立、発展、瓦解〉と区分された。
(05) 歴史家のTimothy Snyder は、その書物、〈Nationalism, Marxism and Modern Central Europe: A Biography of Kazimierz Kelles-Krauz, 1872-1905〉(1997年)でもって、Kelles-Krauz を少なくとも忘却から救い出した。
(06) Kolakowski は別の箇所でLukacs について書く—この人物は、Bela Kun ハンガリーRäte共和国で短期間に文化委員として働き、のちにスターリンの要請にもとづき、かつて書き記していた全ての興味深い言葉を放棄した—。彼は「優れた知識人の相当に尋常ではない例」だった、「生涯の最後まで…その精神は党に奉仕することにあったが、彼の著作は我々にもはや思考の衝動を与えない、彼は自らハンガリーに生き残った」。「文化形成としての共産主義」を参照。Gesine Schwan (編)所収の、〈Leszek Kolakowski, Narr und Priester. Ein philosophisches Lesebuch〉,S187-209, 1995年。
(07) 「社会主義に残るものは何か」を参照。最初に出版されたときのタイトルは、「Po co nam pojecie sprawiedliwosci spolecznej ?」。〈Gazetta Wyborcza〉6-8号所収、1995年5月。〈My Correct View on Everything〉上掲に、再録された。
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つづく。