秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2023/01

2622/B.ローゼンタール・ニーチェからスターリン主義へ(2002)第三編第7章第一節②。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(2002).
 = B. G. ローゼンタール・新しい神話·新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ(2002年)。  
 ——
 第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
 第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
 第一節・レーニン教(the Lenin Cult)②。
 (06) レーニンは、写真家 Gustav Klutsis(1895-1938)の好みの客体だった。 
 Klutsis は、アヴァン・ギャルドが幾何学的様式で描いていた1920年にはすでに、プロパガンダには画像が必要だ、と主張していた。
 彼のモンタージュ写真は、巨大な人物群で覆われていた。それは、新しい世界は社会主義で創造されるという、赤裸々に視覚的に訴えるイメージを描いていた。
 「全国土の電化」(1920年)は、地球にまたがり、電力塔を運ぶ巨大なレーニンの風貌を捉えている。(注11)
 Klutsis は、レーニンに捧げる一連のモンタージュ写真を製作した(一つはMayakovsky の「ウラジミール・イリイチ・レーニン」の出版本に使われた)。また、「レーニンと子どもたち」と題する本の挿入画像を描いた。
 Klutsis は、「レーニンは生きている!」を証明すべく、群衆の光景にレーニンの肖像を挿入した。例えば、1927年のモスクワ・全同盟オリンピックでの競技者たちの中に。
 彼は圧力をかけられて第一次五カ年計画の初期の集団的人物像を描いたと言われたが、それでもなお、レーニンおよび(または)スターリンは、何らかのかたちで描かれた。//
 ----
 (07) レーニンの遺体を保存すると決定したことは、聖人は腐敗しないとのロシア人の信仰に入り込んだ。そして、異なる次元では、ニーチェ/Fedorov の不死の超人という考え方に入り込んだ。
 遺体が腐朽し始めたとき、不朽化委員会は防腐処理を行なうと決定した。
 スターリンとKrasinは、彼は以前はVperedist〔レーニンに批判的な一派〕でFedorov を尊敬していたのだったが、この委員会を指揮した。
 防腐処理された遺体が1924年8月に展示されたとき、党のプレスはソヴィエト科学の専門性の高さを自慢し、手続や遺体に関して奇蹟は何もないことを明らかにしようとした。
 それは、霊験のある遺物ではなかった。 
 暗黙のうちに、ソヴィエトの科学は、キリスト教だけが約束できたもの—人の不死—を達成していたのだろう。
 偉大な人物だけが復活するというKrasin の信念については、何も語られなかった。//
 ----
 (08) 職業は技師であるKrasin は、爆発物を製造し、1905-7年には密輸入と「収奪」に従事していた。そして、Bogdanov やスターリンと緊密になって活動していた。(注12)
 Krasin は、Granat 百科辞典のための自伝的小論で、Vperedに言及したり自分がレーニンに同意しなかったことを記すことをしなかった。
 監獄でドイツ語を学習したこと、GoetheやSchiller のほとんど全ての著作を原語で読んだこと、「Schopenhauer とKant を発見し、Mill の論理とWundt の心理学を全般的に研究した」こと(これは神話の原型の考え方を含んでいた)、は記した。(注13)
 ニーチェに言及するのは賢明ではなかっただろう。だが、広く読書していたKrasin は、確実に、ニーチェの思想をよく知っていた。//
 ----
 (09) Krasin は1920年に、「科学が全能になるときが来るだろう、科学は死んだ有機体を再生させることができるだろう」と予言していた。
 彼は同様に、「科学と技術の全ての力を使った人類の解放が、偉大な歴史的人物を復活させることができるときが来るだろう」ことを確実視していた。(注14)
 レーニンは、明白な選択肢だった。
 Krasin は1924年2月に、レーニンの墓標の世界的重要性はMecca やJerusalem を上回ると主張し、プレス、労働者や党の集会で、大々たるプロパガンダ運動の一つとして聖廟に関する議論を行なうように迫った。
 彼はすでに、レーニンを記念する祝祭の周りに民衆の想像力を動員する運動の始まりとして、聖廟の設計コンペをすることを発表していた。//
 ----
 (10) Krasin が望んだのは、聖廟に演説者の講壇を設けることだった。これは、聖廟を劇場型寺院に変えるだろう(Ivanov の考え)。
 勝利した設計案は、これを含んでいなかった。しかし、聖廟は全く同様に機能した。
 レーニン聖廟は、世界の共産主義の中心たる神宮になった。
 構築主義芸術家のVladimir Tatlin(1885-1953)は、一つの巨大な講堂、ラジオ局と二、三百の電話機を備えた一つの情報官署をもつ建築物を造る、そのような工学技術の勝利を聖廟が示すことを願った。
 Malevich は、レーニンの遺体を立方体(cube)(四次元の象徴)の中に置くことを提案した。そして、「活動する全てのレーニン主義者は自宅に、カルトを象徴する物質的基盤を設けるべく立方体を置くべきだ」と言った。(注15)
 彼は、音楽と詩を備えた完全なカルトを、ロシアの家庭に聖像(icon)の間の代わりにレーニンの間が設けられることを、思い描いた。 
 立方体(cube)は「ピラミッドの力」をもつソヴィエトの装具になるだろう。Giza の巨大ピラミッドの神秘さをもつ民衆の熱狂物に。//
 ---
 (11) 勝利した建築家のAleksei Shchusev(1873-1941)も、聖廟を立法体の形で建築することを提案した。
 彼の最初の素描の一つには実際に、三つの立方体があった。これは、聖三位一体神を近代主義的に表現したものだった。
 彼は革命以前は教会を設計しており、世界の建築運動とも関係していた。
 Shchusev は1905年に、教会建築家たちに対して、中世のロシアの芸術の「美しさと真摯さ」を「創造的に手本にする」ことを要求した。「古い形態を模写して修正する—これは堕落だ—ではなく、民衆と神の間の親交の場所という昔の考え方をかつてと全く同じように美しくかつ真摯に表現する新しい形態を創造する」のだ。(注16)
 ソヴィエトの建築分野の政界で、Shchusev はつねに、新古典派の立場にいた。しかし、彼はまた、建築家は「新しいロマン主義を、革命的熱狂のロマン主義を」表現しなければならない、とも公言した。(注17)
 聖廟についてのShchusev の完璧な簡潔さは、精神の上では近代主義的だった。
 それは結局のところは、立方体だった。
 最初の霊廟は、木材で造られた。
 それが公開されたあとすみやかに、石製の聖廟作りが発表された。
 設計のためのコンペがもう一回行なわれ、Shchusev が勝利した。
 建築家のKonstantin Melenikov(1890-1974)は、石棺の意匠についての権利を得た。
 建設は1929年7月に始まり、1930年10月、この計画についてスターリンに関心があったために、予定よりもほとんど4年前に、完成した。//
 ----
 (12) レーニン・カルトは、学問に対して大きな影響を与えた。
 1923年には、レーニンの著作物を研究するためのレーニン研究所、レーニン博物館が創立された。
 モスクワ大学でのレーニン主義のセミナー、党とレーニン主義に関する諸講座が、1924-25年に設けられた。
 やがてボルシェヴィキおよび非ボルシェヴィキの学者や党活動家たちは、彼らの見解をレーニンの適切な引用でもって防御するようになった。こうして、レーニンが何気なくふと語った言葉は、ドグマ(dogma、教条)に変わった。//
 ——
 第7章第一節、終わり。 

2621/B. ローゼンタール・ニーチェからスターリン主義へ(2002)第三編第7章第一節①。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(2002).
 /B. G. ローゼンタール・新しい神話·新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ(2002年)。  
 「第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927」の「序」の試訳を昨年12月に終えている。
 つづく第三編のいわば「本文」はつぎの二つの章で成っている。
 第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
 第8章・新しい様式・新しい言語・新しい政治。
 前者の第7章は、つぎのように構成されている。
 序、第一節・レーニン崇拝(カルト)第二節・新しいソヴィエト人間第三節・プロレタリア道徳
 以上のうち、第7章の序と第一節だけ試訳し、その余の部分、および第8章全体は、さしあたり割愛する。
 ——
 第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
 第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
 ----
 序。
 ボルシェヴィキは、十月革命と内戦を単一の「叙事詩的出来事」として描いた。それを彼らは神話化し、人類史上の重要性があるものと考えた。
 地獄は過去のもので、貧困と抑圧の支配もそうだった。
 地上の天国はまだ将来のものだったが、創造されつつあった。
 新しい人間も、創造されつつあった。だが、その性質については争いがあった。
 提示されたモデルには、ニーチェ的特徴(traits)があった。—その特徴がそのモデルに依拠していた。
 新しいプロレタリア道徳は社会主義を目ざす仮借なさ、激しい労働、闘争を、そしてまた、「ブルジョア」的慰安と便宜に対する侮蔑心を要求した。
 レーニン個人崇拝(the Lenin Cult)は、ボルシェヴィキの神話に対して、「闘う英雄」、新しい儀礼、寺院—レーニンの霊廟—を与えた。(注1) //
 ---- 
 第一節・レーニン・カルト(the Lenin Cult)①。
 (01) (レーニン暗殺が企てられた)1918年のその始まりから、レーニン死後の綿密な努力と体系化へと至るレーニン個人崇拝の物語は、Nina Tumarkin によって書かれている。ここで繰り返すつもりはない。(注2)
 その聖典となったものはよく知られており、その機能についても同様だ。すなわち、レーニンは死んだが、その教条は生きている、との意図を打ち込むことによって、レーニンの正統な後継者としての党の周りに大衆を結集させること。
 私のここでの目的は、そのニーチェ的根源を明らかにすることだ。ニーチェ的根源の中には、聖典と混じり合っているものがある。
 レーニン個人崇拝は、ボルシェヴィキの神話創造における新しい段階を画した。
 一つには、神の建設にはアポロ的聖像、キリスト教的意味での偶像(icon)が欠けていた。
 そして、レーニンの人格像(persona)が、この隙間を埋めた。//
 ----
 (02) レーニンに超人を演じさせることで、彼に関するあらゆる種類の誇張が成立した。
 レニングラード・ソヴェトの副議長だったGrigory Evdokimov は、賛辞の中でこう書いた。
 「世界の最も偉大な天才が逝った。
 思想、意思、仕事の巨人が死んだ。
 数億万の労働者、農民、植民地奴隷たちが、力強い指導者の死を哀悼している。 
 その墓場から、レーニンは、その完全な姿でもって、世界の前に立ちあがる。」(注3)
 検死作業は、あたかもレーニンの超人間的な地位を明白に証明しているがごとくに、彼の巨大な脳について報告した。
 Lunacharsky の言葉では、「共産主義世界の聖人、…その創造者、その闘士、その殉難者は…、過度の、超人間的な、膨大な仕事でもってその巨大な脳を破壊した」。
 我々はレーニンのうちに、「大文字のMan を見た」(Gorky の1903年の小論の引用)。
 彼へと「熱線と光線が集中している」。(注4)
 レーニンは、共産主義普遍世界の太陽だった。//
 ----
 (03) 葬礼は、劇場化された儀式だった。
 スターリンの賛辞にある正教に類似の調子には、馴染みのある礼拝の形態でのボルシェヴィキ神話の雰囲気があった。
 別の挨拶の中で、スターリンは、のちには彼のものとされた資質(謙虚さ、論理力)がレーニンにあったと述べた(SW,6,p.54-56)。
 葬礼およびその直後の代表者だったジノヴィエフは、「レーニンの天才性」が「翼をもって」彼自身の葬礼の上を飛んでいる、と語った。
 さらに、「レーニンの思想に激励された一般庶民は、我々と一緒にこの葬礼を即時に催した」と、言った。(注5)
 言い換えると、葬礼は、集団的創造性の産物だった。
 同様の儀式が、国土全体で繰り広げられた。
 トロツキーは葬礼に欠席したが、レーニンに関する彼の論文はしばしば、のちのもっと従順な世代による聖人の伝記の語調に近いものだった。(注6)//
 ----
 (04) Gorkyが書き、外国で出版されたレーニンへの賛辞は、まるで「神は死んだ」と発表するかのごとく、「ウラジミール・レーニンは死んだ」で始まっていた。
 Gorky は、レーニンをこう叙述した。
 「自分で実践に移すことを以前の誰も考えなかった目標に向かって闘う意思をもつ、驚くほど完璧な化身。
 そしてそれ以上に、彼は私には正義の人間の、怪物的人間の、伝説的人間の一人だった。またロシアの歴史で予期されれなかったほどに、ピョートル大帝、Mikhail Lomonosov、レフ・トルストイ等のような意思と才能の人間の一人だった。…
 レーニンは私にとって、伝説上の英雄であり、我々の時代の恥ずべき混沌から、汚辱の『国家主義』の腐朽した血まみれの沼地から民衆が脱する方途を、灯りで照らすために、燃えさかる心で胸を張り裂いている人物だった。」(注7)/
 Gorky は、「老女Izergel」(1895年)での「燃えさかる心」や「沼地」という隠喩を用いていた。これは、彼のロシアでの超人探索の始まりを画する短い小説だった。
 ピョートル大帝は、(20世紀での)ニーチェ的像型だと広く考えられていた。そして、ある範囲の人々によっては、怪物だと。
 Gorky は、レーニンを「怪物」と称することによって、ニーチェがナポレオンを「非人間と超人の統合体」(GM,54)と称したように、レーニンをナポレオンと結びつけていた。
 Gorky の全集では(GSS,17,5-46)、Gorky がレーニンの残虐さを正当化するものとして、「怪物」の語は削除された。
 「レーニンのもとで、おそらくは(Wat·)Tyler、Thomas Müntzer、Garibaldi のもとで以上の多くの人々が殺された。…
 だが、レーニンへの抵抗は、より広くかつより力強く組織されていた。」
 また、レーニンのつぎの釈明も削除された。
 「我々の世代は、歴史的重要性で仰天させるほどの任務を達成した。
 状況によって迫られた我々の残虐さは、理解され、許容されるだろう。
 全てが理解されるだろう。全てだ!」(注8)
 Gorky の無条件の英雄崇拝は、1917-18年の彼の立場(第6章を見よ)からする、彼方からの叫びだった。また、1920年に書いてレーニンを「勇者がもつ聖なる狂気」の模範者だと称賛した論考ですらそうだった。
 勇者の中で、「ウラジミール・レーニンは、第一の人物であり、かつ最も狂気の人物だ」。(注9)
 レーニンはこれを、褒め言葉だとは見なさなかった。//
 ----
 (05) Mayakovsky は、不死の超人/キリストを暗示する言葉を用いて、レーニンを「人間の中で最大の人物」と称賛した。それは彼の長い詩「ウラジミール・イリイチ・レーニン」(1924年)の中でだった。
 「レーニンは、生者以上に生きている」、「レーニンは—生きた。レーニンは—生きている。レーニンは—生きつづけるだろう」という行の部分は、レーニン教(カルト)のマントラ(呪文)になった。
 三連の構成は、「キリストは死んだ、キリストは起きた、キリストは再び現れるだろう」という礼拝文を反映していた。 
 Mayakovsky はこの詩を、ロシア共産党に捧げた。党とレーニンは「双生児」だったからだ。
 「我々が一つを語るとき、別のもう一つを意味させている」。(注10)
 Mayakovsky は同じ詩で、未来主義者の激しい言葉遣いに集団主義の調子を加えた。
 「個人主義者に憐憫を!/団結して爆砕を!/党でもって叩け!/労働者たちは一つの大きな拳に溶け合った。」(p.272)
 党は「百万の指をもつ拳で/一つの巨大な拳で、握られる。/個人—無意味だ。/個人—虚無だ。」(p.283)
 Mayakovsky は、かつて小さな酒神礼賛的合唱でそうしたように、莫大な人民大衆を導こうとした。
 レーニン・カルトは、完璧な目標地点だった。
 アヴァン・ギャルドの雑誌「Lef」は、ある号の全体をレーニンの言葉で埋めた(第8章を見よ)。//
 ——
 ②へとつづく。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー