秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2022/12

2620/B. Rosenthal・ニーチェからスターリン主義へ(2002)第三編序⑥。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(2002).
 /B. G. ローゼンタール・新しい神話·新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ(2002年)。
 一部の試訳のつづき。p.180-。
 第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
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 第四節②。
 (05) Dmitry Furmanov の小説の〈Chapaev〉(1923年)、内戦期の伝説的農民指揮官に関する彼の「日記」では、「意識」(アポロ)は政治行政官(小説上のKlychkov、現実のFurmanov)でもって象徴された。
 Chapaev は、Klychkovによって、「抗いがたく自然発生的なもの全てを、…農民層のあいだに鬱積していた忿懣や不信の全てを、意味させている」。
 「だが、この自然発生的要素がどのように発現するかは、悪魔には分かっている」。
 そうしてKlychkov は、「[Chapaev を]知性的な感覚の虜にして、…啓発する」ことを決意する」。(注20)
 Furmanov は、本当は神話創造(ニーチェの曖昧な考え方のもう一つ)であるものに客観的な報告だとの印象を与えるために、その「日記」に事実と虚偽とを混ぜ合わせた。
 彼は、ボルシェヴィキの行政官の反神話(countermyth)を創り出すために、Chapaev から神話の要素を除去した。//
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 (06) 西側の芸術と思考は、ニーチェの思想のためのもう一つの導管だった。
 政治的および文化的な結びつきは、ソヴィエト同盟を最初に承認した国家であるワイマール・ドイツとのあいだにとくに密接だった。
 表現主義(expressionism)、ニーチェが染み込んだ美学運動は、その影響力が頂点にあった。(注21)
 戦争、革命(1918-19年)、そして経済の崩壊によって政治化したドイツの表現主義には、ソヴィエトの未来主義と多くの共通性があった。
 劇作家のBertolt Brecht(1898-1956)とSergei Tretiakov(1892-1939)の二人は、親友関係と職業的関心で結びついていた。
 Meyerhold は、都市的な扇動的見せ物として、Ernst Toller の〈大衆的人間〉(Masse Mensch)を上演した。その際に、群衆の場面や彼がソヴィエトの観衆にふさわしいと考えたその他の場面を付け加えた。
 ソヴィエトの素人劇場のTRAM の監督たちは、ドイツの監督であるErwin Piscator(1896-1966)やMax Reinhardt(1873-1943)と接触した。
 Lissitzky(Lazar Markovich, 1891-1941)とニーチェの影響を受けた建築家のBruno Taut(1880-1938)は親友だった。
 1921-23年に帰国したエミグレたちは、最新のヨーロッパ思想に馴染んでいた。 
 政治的および文化的な結びつきは、ソヴィエト同盟を承認した第二の国家であるファシスト・イタリアとも密接だった。
 イタリアの文化エリートたちの中には、ニーチェに影響された者もいた。
 Jack London(ニーチェアンかつマルクス主義者だと思い出す)は、きわめて著名だった。
 ロシア人たちは容易に、凍った北部での彼の英雄たちの経験に共感することができた。//
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 (07) Oswald Spengler の〈西洋の没落〉(1922年に〈Zakat Evropy〉(ヨーロッパの衰退)としてロシア語に翻訳された)は、ゲーテ/ニーチェ的原型を発展させた。 
 Spengler は「ファウスト的文化」は「意思の文化」だと、「アポロ的文化」は「古典的文化」だと叙述した。—時代が両者を分かつ。
 Spengler の書物はソヴィエト同盟では発禁となったけれども、ソヴィエトの新聞にはこれに関する記事が掲載され、その内容はロシア語版が出版される前に知識人層に知られていた。 
 Berdiaev とFrank は(ロシアから追放される前に)、〈Oswald Spengler とヨーロッパの衰退〉と題するシンポジウムの開催に寄与した。この会合に対して、Bazarov その他のマルクス主義者たちは、〈Red Virgin Soil(Krasnaia nov')—マルクス主義の旗のもとに〉や〈プレスと革命〉(Pechat' i revoliutsiia)で反応した。//
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 (08) Spengler はボルシェヴィキ革命をディオニュソス的激変と解釈し、将来の神話がロシアで生まれるだろうと予言した。
 「この田舎びた人々が切望しているのは、自分たち自身の生活様式、宗教、歴史だ。
 トルストイのキリスト教は、誤解だった。
 彼はキリストについて語って、マルクスを意味させていた。
 だが、つぎの一千年はトルストイのキリスト教のものになるだろう。」(注22) 
 Spengler の予言は革命についてのボルシェヴィキの想定像と矛盾していたけれども、「腐りつつあるヨーロッパ」に対峙する彼らの自信を強め、自分たちは新しい文明を建設しているのだという確信を強固にした。
 彼らは自分たちを初期のキリスト教信者たちに喩え、ヒトラーが権力を掌握するまでは、決まって「一千年の支配」という語句を用いて、自分たちの支配は一千年続くだろう、と予言した。(注23)//
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 (09) こうした全ての導管を通じてソヴィエト社会に入り込んだニーチェ思想の累積的な効果は、甚大だった。
 ニーチェ思想は、党エリートたちを「文化」の重要性に敏感にさせた。また、人間の改造、階級にもとづく残虐な道徳性、ボルシェヴィキの神話創造、レーニン崇拝へと結実したカルトへの意思、といった途方もない望みを促進するのを助けた。
 新しい美学理論へと体現化されて、ニーチェ思想は、新しい芸術様式と言葉上の実験を触発した。
 新しい理論は最初から政治的なものだった。あるいは、対抗諸集団が国家に支援される文化を目指して争っていたので、政治化されるものになった。
 つぎの二つの章では、ネップ期におけるニーチェの影響を全般的に扱うことはしない。
 全体を叙述すれば、別の一冊の書物が必要になるだろう。
 繰り返すが、この書物では、スターリン主義の一部となったニーチェ思想だけを対象とする。//
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 第三編の序、終わり。
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 試訳者追記。
 最後に出てきているOswald Spengler の著には、つぎの邦訳書がある。
 O·シュペングラー・西洋の没落/第一巻・第二巻(村松正俊訳、1989、五月書房)。
 原題、Der Untergang des Abendlandes。ゲーテ/ニーチェを継承・発展させたと自認しているらしいが、例えば第一巻第五章II<仏教、ストア主義、社会主義>の中には、ニーチェについての、批判的とみえる言及が多くある。若干の例を以下に引用する。
 「ニーチェ哲学の様式、響き、態度は、ニーチェのなかにある時代遅れのロマン主義者が決定したものである。それ以外においてはニーチェはあらゆる点で、数十年にわたる唯物論の弟子となっていた。
 ニーチェをショーペンハウエルに熱情的に引きつけたものは、ショーペンハウエルが大様式の形而上学を破壊し、その師カントを心ならずも戯画化したその学説中の要素であり、バロックのあらゆる深い概念を、具体的なもの、機械的なものに変じたことである。」(上掲第一巻訳書、p.340)
 「ニーチェとヴァーグナーとの決裂のなかに潜んでいるものは、ニーチェのその師の変更であり、ショーペンハウエルからダーウィンへ、同一世界感情の形而上学的法式化からその生理学的法式化へ、ショーペンハウエルとダーウィンとともに承認した相(すなわち生きんとする意志は生存競争と同一である)の否定から肯定への、無意識な一歩である。」(同、p.342)
 「ニーチェは自分でもそうとは知らないで、社会主義者でもあった。彼の本能は、その標語に反して、社会主義的で、実際的であって、ゲーテとカントの夢にさえも考えなかったところの『人類の救済』に向けられたものである。」(同、p.342)
 なお、より広い全体的視点からの、以下もある。
 →松岡正剛の千夜千冊・2005/04/13

2619/B. Rosenthal・ニーチェからスターリン主義へ(2002)第三編序⑤。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(2002).
 /B. G. ローゼンタール・新しい神話·新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ(2002年)。
 一部の試訳のつづき。p.179-。
 第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
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 第四節①。
 (01) ニーチェの思想は、いくつかの導管を通ってNEP 文化に入った。
 Lunacharsky、トロツキー、ブハーリン、Kerzhentsev、およびIaroslavsky (1918年に左翼共産主義者の一人)は、自分たちの文化戦略のためにニーチェを利用した。
 啓蒙人民委員としてのLunacharsky の権力は、1920-21年に減少した。だがなおも、重要ではあった。
 Gorky が執筆したものは広く知られたままで、彼はソヴィエトの仲間たちとの交際を維持した。
 Mayakovsky の詩の朗読は、多数の聴衆を引き寄せた。
 新しい美学理論の支持者は、ニーチェ主義の要素をもつ前革命期の「isms(主義)」に反応し、お互いにも反応し合った。まだ残っているニーチェ的課題(Nietzschean agenda)の諸問題を新たに解決しようとしていたので。
 1917年以降に成人になった世代にとっては、ニーチェを読んでいる者、ニーチェ思想を間接的または間々接的に知っている者、広まっているニーチェ思想をたんに取り上げているにすぎない者が誰々なのか、を知るのは困難だった。
 ニーチェの書物は人民図書館から排除されていたが、全ての図書館からではなかった。そして個人的に所持されていた本は、手渡しされた。
 新しい、または再発行されたニーチェに関する書物は、私的事業者によって出版されていた。//
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 (02) 文学は、ニーチェ思想の主要な導管だった。
 Merezhkovsky の歴史小説、Artybashev の〈Sanin〉、Verbitskaia の〈幸福への鍵〉は新しい世代の読者を魅了した。
 Merezhkovsky の〈Peter とAleksis〉は、1919年に映画化された。
 Verbitskaia の〈幸福への鍵〉の映画版(1913年)は1920年代半ばに再発表され、大人気を博した。
 表象主義は、若い文筆家に有益な影響を与え、夢想的神話学に対する刺激となった。(注14)
 労働者劇場で生まれていた風刺文は、表象主義の著作から文章を具体化したものだった。
 Ilia Ehrenderg の小説〈Julio Jurenito〉(1922年)の主人公は、大まかにはツァラトゥストラ(Zarathustra)をモデルにしており、Merezhkovsky やBerdiav に倣ってモデル化された登場人物もいた。
 作家のIury Olesha(1899-1960)は、超人、重力に勝つ飛行士、張綱上の歩行者を描いた(Z, p.41,43,48)。(注15)
 歴史小説家たちは、Stenka Razin その他のコサック指導者たちを、合唱団にとどまりつつそこからはみ出し、そして言ってみれば、理性よりも本能に導かれているような、非個人的な神話的人物として叙述した。
 酔っ払いの大騒ぎや指導者と大衆の間の合唱に似た対話の情景は、反乱がディオニュソス的性格を持つことを強調した。
 Stenka Razin は、未来主義者の詩人のKamensky が好んで取り上げた主題だった。//
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 (03) 初期のソヴィエトの作家たちが好んだ主題である内戦は、動物的行動、残虐性、非道徳主義を強調する、俗悪なニーチェ的、またはニーチェ・ダーウィン的接近方法に適応したものだった。
 Boris Pilniaks の〈引き剥れた年〉(1922年、1919年刊)の中の一人物は、「強者だけを生き延びさせよ、…人間性と倫理感をもつ悪魔(devil)だけを」と宣言する。
 Isaac Babel の〈赤い騎兵隊〉は、ニーチェ的意味を読みとる文芸批評家たちに対して、力の美しさを提示した。Babel は権力に関して曖昧で、留保なしで権力を称賛することはやめたけれども。(注16)
 その書物はひどく残酷な情景を、例えば、養豚者が過去の悪事に復讐するために以前の主人の顔を踏みつける場面を、含んでいた。
 Vsevolod Ivanov の〈装甲列車 14-19〉(1922年)は、ソヴィエトの古典になった。
 当時の人々は彼を「革命+Gorky」だと見なし、Gorky はIvanov の「自然(elemental)の人間」の描写を支持した。
 Ivanov を称賛すべく使われた言葉—「愉快な」、「活力のある」かつ「新しい創造的エネルギー」—は、著者と批評者を結びつけるニーチェ的糸筋を示唆していた。
 Ivanov はニーチェの主要作品の全てを読んでおり、それらの書物のほとんどを所持していた。(注17)
 少ししか名を挙げないが、Iury Libedinsky の〈一週〉(1923年)、Ilia Selvinsky の〈鉄の氾濫〉(1924年)のようなその他の内戦小説は、(ディオニュソス的)動乱または鉄の男、またはこれら両者を描いた。//
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 (04) Katherina Clark は、自然発生性と意識性の弁証法はソヴィエトの小説にある「大筋」の構造的焦点だと見る。(注18)
 この弁証法は、アポロ的なものととディオニュソス的なものとしても叙述することができる。レーニンにおける対極性がこれらに対応しているがゆえにだけではなく。
 「アポロ的」と「ディオニュソス的」は語彙の中にきちんとした位置を占め、新しい出版物はこれらに関してソヴィエトの読者たちに説明した。
 Evgeny Braudo は〈ニーチェ、哲学者と音楽家〉(1922年)で、ニーチェの「悲劇」はニーチェの科学的関心(アポロ)とその芸術的霊魂(ディオニュソス)を均衡させようとした過ちだった、と書いた。そして、苦痛を甘受するディオニュソスの能力を強調した。これは、長く苦しんでいるロシアの民衆の最近の試練を婉曲に指摘していた。(注19)
 このBraudo の書物は、何回も再版された。
 Evreinov (芸術監督)はその書物の〈アザゼルとディオニュソス〉(Azazel i Dionis、1924年)で、ディオニュソスをイエスと微妙に関連づけた。悲劇はユダヤ人の間から生まれた、ディオニュソスはユダヤ出自だ、と論じることによって。
 Veresaev は〈アポロとディオニュソス〉で、ディオニュソスを悲観主義や頽廃主義と同一視し、彼自身の「生きる人生」(Dostoevsky の言葉)の哲学を発展させた。 
 Veresaev は、表象主義者とニーチェはアポロについて忘却したとし、「かくして我々は死ぬ」と主張した。ホメロスはギリシャ文化の頂点を代表しており、それはアポロによって象徴化されている、と。//
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 序・第四節①、終わり。
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