前回のつづき。L・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014)より。p.196〜。
(9)ニーチェの言う「力への意思(意志)」には狭義と広義がある。狭義では、「周辺の軽蔑すべき弱者より高みに昇ろうとし、群衆から嫌われ孤立することを恐れない、高貴で勇敢な戦士にふさわしい精神」を示す。かかる戦士は「人間の高度な形態」を具現化し、人類の「目的」・「終着点」を実現する。この「目的」・「終着点」の意味は不明なままだが。
広義では「宇宙に働くメカニズム」で、「形而上学的な原理」と称し得る。実際には無数の「力への意志の核」の集積体であり、「われわれ一人一人」である各核が「自分の力」の拡大を目ざして格闘する。方向性・目的・意味は不明なままで。
(10)「力への意志」をもつ人間は自己の「私的利益に関心がない」が、同時に「思いやりや良心や罪」も知らない。これは「種の劣った個体に苦痛」を課したいからではなく、「単に劣った人々に無関心」だからだ。
(11)「普通の人々」への「激しい軽蔑」は、偉大さを求める「主人の道徳」とニーチェが「群衆」と呼ぶ者たちの「奴隷の道徳」との対照から生じる。ニーチェには街角の「パン屋にも靴職人」も興味がなく、その嫌悪と軽蔑の対象は主に「自由主義や社会主義に染まった教養ある」「群衆」―作家・政治家・哲学家・「多数者の権利と人間の平等」への信念を広める人々―だ。ニーチェが非難するのは、「ヨーロッパ文明を腐敗させ堕落させて」現実に向き合っていない点にある。
(12)B・ラッセルによると、ニーチェ哲学はつぎのリア王の言葉でまとめられる。―「復讐」を行う、してやる、地上の「恐るべきものに」。
(13)ニーチェの「自負」からするとB・ラッセルの軽蔑にも根拠はある。しかし、ニーチェは「ある程度正しい」。なぜなら、「20世紀はポスト・ニーチェの時代」とされ、彼は「思いやりや友愛やその他キリスト教の徳を捨て去った」のちのニヒリズム・シニシズム・無神論の描出に「ある程度成功」している。
ニーチェ像は彼を「先駆けとして持ち上げた」ナチスによって傷ついた。ニーチェは「ナチスでも反ユダヤ主義」でもないことは論証し得るが、大が小に勝つ「自然法則」にもとづき、「他民族の絶滅を伴うにしても第三帝国」の計画を是認しただろう。しかし彼は、孤独で高貴な戦士ではなく、「群衆の本能と感情」を具体化した「ナチスの群衆」を軽蔑したに違いない。その意味で、「ナチスのニーチェ主義」は半分は捏造だ。
(14)だが、ニーチェが「生を称揚して高尚で力強く偉大なものすべてを神格化」する背後にあると感じられるのは、「制御できずに揺れ動いている」「絶望」だ。存在が無意味であることを悟った精神に生じる「癒しえない絶望」だ。
我々は以下を問う。「ニーチェのレトリックによって刺激を受け人間の営みの一部で、ある種の完成を成し遂げた人」、「そうすることができないとわかりニーチェ哲学に殉じて自殺した人々」、「どちらが多数派なのか」?
(15)以下は、ニーチェが設定する「問いかけ」のいくつかだ。
①無限に細部まで人生を反復するという「永劫回帰」の理念を支持することによる見通しは「喜ばしい」ものか、「恐るべき」ものか?
②ニーチェによれば「生と力に敵対する弱さと恐怖」の宗教であるキリスト教が「世界の大部分を支配する」という成功を収めたことは、ニーチェの主張の「反証」になり得るか否か?
③ニーチェによると、「伝統的道徳律」と伝来の「善悪に関する考え方」とは無関係に「力への意志を働かせて自分自身で人生の意味を創りださなければならない」。この見方によれば「偉大な芸術家」と「大犯罪者」はどう異なるのか? いずれも「人生において望んだ意味を創り出している」ので、ともに「同等に賛美すべきなのか」?
―――
以上、邦訳書、訳者・藤田祐の訳に従っての、レシェク・コワコフスキによるF・ニーチェ「哲学」に関する簡潔な?論述。
さて、こうした要約作業を行ってみたのは、著者がL・コワコフスキであることによるのは当然として、日本の西尾幹二についての「把握」作業の一環として、L・コワコフスキの一文に関心を持ったからだ。
西尾幹二がたんなるニーチェ「研究者」であるだけではなく、ニーチェにかなり、又はある程度「傾倒している」、少なくとも「強い影響」を受けている、又は少なくともその基礎形成に影響を強く受けただろうことは明らかだ。
西尾は1970年代に40歳を過ぎてもニーチェに関する(訳書でもない)研究書らしきものを出版しているので、ニーチェに馴染んだのは20〜30歳代の「若い」時代だけではない。
西尾・全集第4巻(中身は多くは1972年。国書刊行会、2012)参照。
また、1995年(60歳の年)以降になっても、しばしば、又はときに、「ニーチェ」又はその主張・見解に言及している。
(かつまた、西尾が研究・分析の対象とした欧米「哲学者」はほぼニーチェに限られることも明らかだ。ついでながら、欧米の(その他世界に広げても同じだが)特定の「哲学者」の研究者は同時代に多くて十名もいないだろうから、日本では容易に〜に関する「専門家」、「第一人者」になれる。このことは外国(の人物・制度・理論)に関する日本の人文・社会系学問分野にほぼ一般に当てはまると思われる。)
ニーチェの文献を読むことも西尾のニーチェに関する作業に目を通すこともしないが、当然に、近年もつづく西尾による言及の仕方がニーチェの主張・見解を適切に理解したうえのものであるかは。問題になりうるだろう。
それは別としても、L・コワコフスキによるニーチェの紹介・概括は、西尾幹二を「理解」するうえでも、十分に参考になるところがある。別に書くことにしよう。
(9)ニーチェの言う「力への意思(意志)」には狭義と広義がある。狭義では、「周辺の軽蔑すべき弱者より高みに昇ろうとし、群衆から嫌われ孤立することを恐れない、高貴で勇敢な戦士にふさわしい精神」を示す。かかる戦士は「人間の高度な形態」を具現化し、人類の「目的」・「終着点」を実現する。この「目的」・「終着点」の意味は不明なままだが。
広義では「宇宙に働くメカニズム」で、「形而上学的な原理」と称し得る。実際には無数の「力への意志の核」の集積体であり、「われわれ一人一人」である各核が「自分の力」の拡大を目ざして格闘する。方向性・目的・意味は不明なままで。
(10)「力への意志」をもつ人間は自己の「私的利益に関心がない」が、同時に「思いやりや良心や罪」も知らない。これは「種の劣った個体に苦痛」を課したいからではなく、「単に劣った人々に無関心」だからだ。
(11)「普通の人々」への「激しい軽蔑」は、偉大さを求める「主人の道徳」とニーチェが「群衆」と呼ぶ者たちの「奴隷の道徳」との対照から生じる。ニーチェには街角の「パン屋にも靴職人」も興味がなく、その嫌悪と軽蔑の対象は主に「自由主義や社会主義に染まった教養ある」「群衆」―作家・政治家・哲学家・「多数者の権利と人間の平等」への信念を広める人々―だ。ニーチェが非難するのは、「ヨーロッパ文明を腐敗させ堕落させて」現実に向き合っていない点にある。
(12)B・ラッセルによると、ニーチェ哲学はつぎのリア王の言葉でまとめられる。―「復讐」を行う、してやる、地上の「恐るべきものに」。
(13)ニーチェの「自負」からするとB・ラッセルの軽蔑にも根拠はある。しかし、ニーチェは「ある程度正しい」。なぜなら、「20世紀はポスト・ニーチェの時代」とされ、彼は「思いやりや友愛やその他キリスト教の徳を捨て去った」のちのニヒリズム・シニシズム・無神論の描出に「ある程度成功」している。
ニーチェ像は彼を「先駆けとして持ち上げた」ナチスによって傷ついた。ニーチェは「ナチスでも反ユダヤ主義」でもないことは論証し得るが、大が小に勝つ「自然法則」にもとづき、「他民族の絶滅を伴うにしても第三帝国」の計画を是認しただろう。しかし彼は、孤独で高貴な戦士ではなく、「群衆の本能と感情」を具体化した「ナチスの群衆」を軽蔑したに違いない。その意味で、「ナチスのニーチェ主義」は半分は捏造だ。
(14)だが、ニーチェが「生を称揚して高尚で力強く偉大なものすべてを神格化」する背後にあると感じられるのは、「制御できずに揺れ動いている」「絶望」だ。存在が無意味であることを悟った精神に生じる「癒しえない絶望」だ。
我々は以下を問う。「ニーチェのレトリックによって刺激を受け人間の営みの一部で、ある種の完成を成し遂げた人」、「そうすることができないとわかりニーチェ哲学に殉じて自殺した人々」、「どちらが多数派なのか」?
(15)以下は、ニーチェが設定する「問いかけ」のいくつかだ。
①無限に細部まで人生を反復するという「永劫回帰」の理念を支持することによる見通しは「喜ばしい」ものか、「恐るべき」ものか?
②ニーチェによれば「生と力に敵対する弱さと恐怖」の宗教であるキリスト教が「世界の大部分を支配する」という成功を収めたことは、ニーチェの主張の「反証」になり得るか否か?
③ニーチェによると、「伝統的道徳律」と伝来の「善悪に関する考え方」とは無関係に「力への意志を働かせて自分自身で人生の意味を創りださなければならない」。この見方によれば「偉大な芸術家」と「大犯罪者」はどう異なるのか? いずれも「人生において望んだ意味を創り出している」ので、ともに「同等に賛美すべきなのか」?
―――
以上、邦訳書、訳者・藤田祐の訳に従っての、レシェク・コワコフスキによるF・ニーチェ「哲学」に関する簡潔な?論述。
さて、こうした要約作業を行ってみたのは、著者がL・コワコフスキであることによるのは当然として、日本の西尾幹二についての「把握」作業の一環として、L・コワコフスキの一文に関心を持ったからだ。
西尾幹二がたんなるニーチェ「研究者」であるだけではなく、ニーチェにかなり、又はある程度「傾倒している」、少なくとも「強い影響」を受けている、又は少なくともその基礎形成に影響を強く受けただろうことは明らかだ。
西尾は1970年代に40歳を過ぎてもニーチェに関する(訳書でもない)研究書らしきものを出版しているので、ニーチェに馴染んだのは20〜30歳代の「若い」時代だけではない。
西尾・全集第4巻(中身は多くは1972年。国書刊行会、2012)参照。
また、1995年(60歳の年)以降になっても、しばしば、又はときに、「ニーチェ」又はその主張・見解に言及している。
(かつまた、西尾が研究・分析の対象とした欧米「哲学者」はほぼニーチェに限られることも明らかだ。ついでながら、欧米の(その他世界に広げても同じだが)特定の「哲学者」の研究者は同時代に多くて十名もいないだろうから、日本では容易に〜に関する「専門家」、「第一人者」になれる。このことは外国(の人物・制度・理論)に関する日本の人文・社会系学問分野にほぼ一般に当てはまると思われる。)
ニーチェの文献を読むことも西尾のニーチェに関する作業に目を通すこともしないが、当然に、近年もつづく西尾による言及の仕方がニーチェの主張・見解を適切に理解したうえのものであるかは。問題になりうるだろう。
それは別としても、L・コワコフスキによるニーチェの紹介・概括は、西尾幹二を「理解」するうえでも、十分に参考になるところがある。別に書くことにしよう。