一 「愚昧」とは挑発的だが、直接には、月刊正論3月号のp.58の、「保守」にかかわる論壇・政党のチャート(マップ)図表に異を唱えたい。
また、<保守とは何か> も惹句であり、これを以下で正面から論じるつもりはない。
月刊正論「編集部作成」という上記のマップは、一つは対アメリカ観に着目して「対米協調」と「対米不信」に分け、もう一つは「自尊」と「自虐」に分け、併せて四つの象限を描いている。
月刊正論編集部の頭の中を覗きみる観がある。しかし、この二つの対立軸を合成して思想・論壇・政治家等を見るのでは、適切に現在の思想・政治状況を把握できないと思われる。
まず、対アメリカの見方を重視すること自体、月刊正論編集部が「アメリカ」に拘泥していることを示している。例えばなぜ、「対中国」であってはダメなのか ?(対中国を基軸にせよとの趣旨ではない。)
つぎに、「自尊」・「自虐」という基準は、適切な基準にはならず、正確には、これを基準とすべきではない、と思われる。
同編集部によれば、産経新聞は第一象限の<対米協調・自尊>に属するらしい(朝日新聞は<対米不信・自虐>)。同編集部もまた、この立場をとりたいのだろう。
とすると、「自尊」は疑いもなく肯定的評価が与えられ、「自虐」には疑いもなく消極的評価が与えられると<信じて>いるかに見える。しかし、そのように断定することはできない、と考える。
長くなるので結論だけ書くが、「自尊」も程度による。いくつかの民族・文明を劣ったものと罵倒して、日本民族(日本人)の<優秀性、すばらしさ>だけを言い募ってはいけない。
合理的・理性的なものならばよいが、実証性の欠く叙述・主張をして、自己満足をしてはいけない。<日本の歴史・伝統>を語ることは私も好きだが、できるだけ事実に即した冷静さも必要だ。
産経新聞社の安本寿久らは、本当に日本書記の「神代」の記述、神武天皇の聖跡・東遷のルート上の言い伝えをほとんどそのまま「真実」だと思っているのだろうか。左はついでに。今年は皇紀2600+年だと「信じ」ないと<保守>派ではないのだろうか。左もついで。
二 上のマップに興味をもったのは、秋月自身が、思想・思潮(とくに政治・論壇における)の4分類というものを思い描いており、この欄に提示して遺しておきたく考えていたからだ。
それによると、共産主義に対する考え方、<自由と民主主義>に対する考え方の二つを基準として、現代日本の思想・思潮は以下のように分類できる。
<自由と民主主義>とは<欧州近代>思想と言ってもよく、liberal and democratic 又は Liberal Democracy を意味する。表向きは、日本国憲法の思想又は理念でもある。以下では、たんに「リベラル」と略記する。中島岳志のいう<保守リベラル>等と、以下の類似の言葉は同じではない。中島は<保守>界の紛れ込もうとした<容共・リベラル>だろう。
説明・コメントは、のちにも行う。
A/保守・ナショナル (産経新聞 →B ?)
B/保守・リベラル 読売新聞
C/容共・リベラル 朝日新聞・毎日新聞
D/共産主義 「赤旗」
・人文・社会系の学界・大学の教授たちは、ほとんどがCかDに属する。憲法学界は、95パーセント程度か。
・自民党はAからBに広く及ぶが、Bの方が多そうだ。かつて(今も ?)、Cに属する議員もいた可能性がある。
・<保守>イコール<反共産主義>だと、秋月は考えてきた。D/共産主義の重視しすぎだとの感想を与えるかもしれないが、きちんと残しておくべきだ。このD/共産主義が(日本には)まだあるがゆえにこそ、Cも存在しうる。
・産経新聞は、もともとは<保守・ナショナル(愛国・反反日)>の新聞だったようだ。しかし、安倍戦後70年談話を支持して以降は、先の<戦争>の理解については、読売新聞と基本的には同じになっていると見える。昭和の戦争にかかわる<歴史認識>では産経も読売も変わらなくなったのではないか。上のマップでは産経新聞は<自尊>派とされているが、何が<自尊>だ。笑わせる。また、<対米協調>とは、<歴史認識>では<対米屈服>・<対米追従>なのではないか。笑わせる。
・欧米と日本を比べると、AとDを殊更に挙げておく必要があるのが日本で、欧米の圧倒的大勢は「近代市民革命」の肯定と<自由と民主主義>支持で覆われているようだ。民族問題はその基本的理念・理想のもとでの対立だと考えられているように見える。具体的には、日本におけるような<靖国問題>も、大きな対立がある<改憲問題>も、欧米には存在しないように見える。アメリカ・トランプ大統領はBからAへの離脱までしようとしているかは、まだはっきりしない。かりにそうだとすれば、欧米的<自由と民主主義>理念の放棄まで目指しているとすれば、根本的に新しい時代に入っている、と思われる(但し、これまでの<リベラル・保守>の範囲内のものである可能性も高い)。
・A/ナショナル保守も、さらに分岐する。親米か反米かという基準は、あまり役に立たないと考えるべきだ。むしろ、「観念保守/ナショナル」と「合理的保守/ナショナル」を重要なものと考えるべきだ、と最近は思っている。また、反共産主義という場合の「反共」の程度で、この内部を分けることができると思われる。
・月刊正論上記号の櫻井よしこ論考は、「観念保守/ナショナル」丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい。
月刊正論編集部もまた、俺たちこそが<真正保守>派だとの思いは(あるとすれば)、捨て去るがよいだろう。「真正保守」の認定権がこの編集部にあるわけがない。
さらに続ける。
また、<保守とは何か> も惹句であり、これを以下で正面から論じるつもりはない。
月刊正論「編集部作成」という上記のマップは、一つは対アメリカ観に着目して「対米協調」と「対米不信」に分け、もう一つは「自尊」と「自虐」に分け、併せて四つの象限を描いている。
月刊正論編集部の頭の中を覗きみる観がある。しかし、この二つの対立軸を合成して思想・論壇・政治家等を見るのでは、適切に現在の思想・政治状況を把握できないと思われる。
まず、対アメリカの見方を重視すること自体、月刊正論編集部が「アメリカ」に拘泥していることを示している。例えばなぜ、「対中国」であってはダメなのか ?(対中国を基軸にせよとの趣旨ではない。)
つぎに、「自尊」・「自虐」という基準は、適切な基準にはならず、正確には、これを基準とすべきではない、と思われる。
同編集部によれば、産経新聞は第一象限の<対米協調・自尊>に属するらしい(朝日新聞は<対米不信・自虐>)。同編集部もまた、この立場をとりたいのだろう。
とすると、「自尊」は疑いもなく肯定的評価が与えられ、「自虐」には疑いもなく消極的評価が与えられると<信じて>いるかに見える。しかし、そのように断定することはできない、と考える。
長くなるので結論だけ書くが、「自尊」も程度による。いくつかの民族・文明を劣ったものと罵倒して、日本民族(日本人)の<優秀性、すばらしさ>だけを言い募ってはいけない。
合理的・理性的なものならばよいが、実証性の欠く叙述・主張をして、自己満足をしてはいけない。<日本の歴史・伝統>を語ることは私も好きだが、できるだけ事実に即した冷静さも必要だ。
産経新聞社の安本寿久らは、本当に日本書記の「神代」の記述、神武天皇の聖跡・東遷のルート上の言い伝えをほとんどそのまま「真実」だと思っているのだろうか。左はついでに。今年は皇紀2600+年だと「信じ」ないと<保守>派ではないのだろうか。左もついで。
二 上のマップに興味をもったのは、秋月自身が、思想・思潮(とくに政治・論壇における)の4分類というものを思い描いており、この欄に提示して遺しておきたく考えていたからだ。
それによると、共産主義に対する考え方、<自由と民主主義>に対する考え方の二つを基準として、現代日本の思想・思潮は以下のように分類できる。
<自由と民主主義>とは<欧州近代>思想と言ってもよく、liberal and democratic 又は Liberal Democracy を意味する。表向きは、日本国憲法の思想又は理念でもある。以下では、たんに「リベラル」と略記する。中島岳志のいう<保守リベラル>等と、以下の類似の言葉は同じではない。中島は<保守>界の紛れ込もうとした<容共・リベラル>だろう。
説明・コメントは、のちにも行う。
A/保守・ナショナル (産経新聞 →B ?)
B/保守・リベラル 読売新聞
C/容共・リベラル 朝日新聞・毎日新聞
D/共産主義 「赤旗」
・人文・社会系の学界・大学の教授たちは、ほとんどがCかDに属する。憲法学界は、95パーセント程度か。
・自民党はAからBに広く及ぶが、Bの方が多そうだ。かつて(今も ?)、Cに属する議員もいた可能性がある。
・<保守>イコール<反共産主義>だと、秋月は考えてきた。D/共産主義の重視しすぎだとの感想を与えるかもしれないが、きちんと残しておくべきだ。このD/共産主義が(日本には)まだあるがゆえにこそ、Cも存在しうる。
・産経新聞は、もともとは<保守・ナショナル(愛国・反反日)>の新聞だったようだ。しかし、安倍戦後70年談話を支持して以降は、先の<戦争>の理解については、読売新聞と基本的には同じになっていると見える。昭和の戦争にかかわる<歴史認識>では産経も読売も変わらなくなったのではないか。上のマップでは産経新聞は<自尊>派とされているが、何が<自尊>だ。笑わせる。また、<対米協調>とは、<歴史認識>では<対米屈服>・<対米追従>なのではないか。笑わせる。
・欧米と日本を比べると、AとDを殊更に挙げておく必要があるのが日本で、欧米の圧倒的大勢は「近代市民革命」の肯定と<自由と民主主義>支持で覆われているようだ。民族問題はその基本的理念・理想のもとでの対立だと考えられているように見える。具体的には、日本におけるような<靖国問題>も、大きな対立がある<改憲問題>も、欧米には存在しないように見える。アメリカ・トランプ大統領はBからAへの離脱までしようとしているかは、まだはっきりしない。かりにそうだとすれば、欧米的<自由と民主主義>理念の放棄まで目指しているとすれば、根本的に新しい時代に入っている、と思われる(但し、これまでの<リベラル・保守>の範囲内のものである可能性も高い)。
・A/ナショナル保守も、さらに分岐する。親米か反米かという基準は、あまり役に立たないと考えるべきだ。むしろ、「観念保守/ナショナル」と「合理的保守/ナショナル」を重要なものと考えるべきだ、と最近は思っている。また、反共産主義という場合の「反共」の程度で、この内部を分けることができると思われる。
・月刊正論上記号の櫻井よしこ論考は、「観念保守/ナショナル」丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい。
月刊正論編集部もまた、俺たちこそが<真正保守>派だとの思いは(あるとすれば)、捨て去るがよいだろう。「真正保守」の認定権がこの編集部にあるわけがない。
さらに続ける。