秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2013/01

1164/2012.11.09朝日新聞社報道と人権委員会見解-週刊朝日橋下徹記事。

 資料・史料
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 週刊朝日の橋下徹・大阪市長についての連載記事に関する、朝日新聞社・報道と人権委員会の見解
 2012年11月9日  朝日新聞社報道と人権委員会
 委員 長谷部恭男
 委員 藤田 博司
 委員 宮川 光治

 1.当委員会の調査の経緯と見解の要旨
  当委員会に対し委員藤田博司から,本年10月20日,週刊朝日10月26日号掲載の標記記事(以下「本件記事」という。)に関して,重大な人権侵害,及び朝日新聞出版記者行動基準に触れる行為があると判断されるので当委員会で取り上げることが相当であるとする問題提起があった。また,株式会社朝日新聞出版(以下「朝日新聞出版」という。)から,10月24日,今後の再発防止策等を検討するため記事の内容や作成過程,批判を招いた事態などについて見解を示すよう要請があった。当委員会は調査を開始した。まず,朝日新聞出版より企画段階から取材・報道,連載中止に至るまでの経緯について報告書の提出を受けた。次に,本件記事の取材・報道に関わった週刊朝日編集部(以下「編集部」という。)の河畠大四編集長(以下「編集長」という。),デスク,記者,雑誌部門の責任者である雑誌統括ら及び筆者であるノンフィクション作家・佐野眞一氏から聞き取りを行った。11月3日,委員会を開催し,朝日新聞出版から詳細な説明を受けたうえで,編集長,デスクらのほか佐野氏からもあらためて説明を聞いた。そして,以上の調査の結果を踏まえて審議し,以下の通り本見解をまとめたものである。

  (当委員会の見解の要旨)
  本件記事は,橋下徹・大阪市長(以下「橋下氏」という。)についての人物評伝を意図したものであり,10回から15回を予定した連載の第1回分であるが,見出しを含め,記事及び記事作成過程を通して橋下氏の出自を根拠にその人格を否定するという誤った考えを基調としている。人間の主体的尊厳性を見失っているというべきである。そして,部落差別を助長する表現が複数個所あり,差別されている人々をさらに苦しめるものとなっている。また,各所に橋下氏を直接侮辱する表現も見られる。さらに記事の主要部分が信憑性の疑わしい噂話で構成されており,事実の正確性に関しても問題がある。
  以上は,報道を通じて差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命の一つとし,正確で偏りのない報道に努めなければならない報道機関として,あってはならない過ちである。本件記事の作成及び掲載に携わった者たちは差別に対する認識及び人権への配慮を欠いていたというべきで,編集部におけるチェック体制が的確に機能していないという問題も存在している。
  また,企画段階からタイトルの決定,表紙の作成,情報収集,原稿チェック,おわびの掲載まで編集部が主体になり,佐野氏は編集部の意向を受けて取材・執筆活動をしており,問題の責任は全面的に編集部側にある。ただし,佐野氏も人権や差別に対する配慮の足りない点があったと思われる。
  以下,企画から掲載後の対応に至る経緯を検討し,そこにおける問題点を指摘する。

  2.企画段階での問題
  この連載企画は,本年春頃,編集部において,編集長の提案により将来の首相候補とも言われる橋下氏の人物評伝として検討され,編集部の「目玉企画」として部数増対策の一環にも位置づけられた。編集長は外部の作家に執筆を依頼した方がよりインパクトの強い記事ができると考え,ノンフィクション作家として多くの実績があり孫正義ソフトバンク社長の評伝『あんぽん』を上梓した佐野氏が適任であると判断し,同氏と親交があるデスクに本企画を担当させた。担当デスクは,『あんぽん』と同様の手法で,橋下氏の人物を描くことはもちろんのこと,家族の視点で日本の社会史を描くというスケールの大きい作品をイメージした。
  デスクは佐野氏と話し合い,企画の狙いとして概ね次の3点を説明し,単なる人物評伝にとどまらず,各視点を総合した作品とすることに関して佐野氏の同意を得た。①橋下氏を知る多くの人たちの証言を得て橋下氏の人物像に迫り,それが彼の政治姿勢や政治思想とどう関わるのかを探る。②橋下氏の巧みなマスコミ操作を検証し,他方,メディアに今何が起きているのかを考える。③ツイッターを多用する橋下氏の手法を通じて,政治とネット社会を探る。担当デスクは,①との関連で,橋下氏の政治信条や人格に出自が投影しているであろうとの見方に立ち,出自について書くべきだと考えていた。それが差別を助長することにならないかという点に関しては,橋下氏は公人中の公人であり,知る権利,表現の自由からもその名誉及びプライバシーは制限されること,その人物の全体像を描くこととの関連で取材の対象に家系を構成する人々を入れることは必然であることから,表現することは可能であると考えた。
  6月末頃から,記者2人が取材活動を開始した。9月半ばまでに,橋下氏の親戚,各地の知人,維新の会議員,関西政界関係者,部落解放同盟関係者,郷土史家ら,60人近い人々に取材した。9月中旬には数日,佐野氏も取材に出向いた。9月20日頃,デスクは佐野氏から構想について書かれたペーパーを受領し,説明を受けた。2回目までは父親の話,3回目,4回目は母親の話,5回目以降は橋下氏の中学・高校時代,弁護士時代,知事時代,市長時代と続き,各回においてマスコミ論やツイッター社会論に触れるという構想であった。10月初め,10月16日発売の10月26日号から連載を開始することが決定した。
  以上の経緯によれば,本企画は,多様な視点を含みつつも,差別や偏見を助長する危険の伴う極めてセンシティブな内容であったことが認められる。したがって,本企画については,その狙いの当否,各視点の相互関係,手法,表現のあり方等について,社内において慎重に議論すべきであった。しかし,これらを検討する資料となる企画書はなく,レジュメもコンテもない。佐野氏が示した連載展開の概要像も編集部で検討した事実はない。本件は,企画の段階において,慎重な検討作業を欠いていたというべきである。

  3.タイトルの決定及び本件記事の問題
  9月23日頃,担当デスクと佐野氏が打ち合わせる中で,デスクは孫正義氏に関する評伝が,孫氏の通名であった「安本」からとった「あんぽん」というタイトルであることにも影響され,また,すでに週刊朝日(8月17日,24日合併号)で,橋下氏の父が「ハシシタ」姓を「ハシモト」に変えたと報じていたこともあり,連載のタイトルをもともとの呼び名である「ハシシタ」とすることを思いつき,佐野氏に提案した。佐野氏はこれを了承した。
  氏名はその人の人格を表象するものであり,氏名権は人格権の一つとされている。一般に,氏名と異なる呼称をことさらに用いることは,人格権を侵害することにもなりかねない。本件では 
,「ハシシタ」とことさら呼称することに,読者は橋下氏に対する侮蔑感情を読み取ると思われる。また,「奴の本性」というサブタイトルの「奴」「本性」という言葉にも橋下氏への敵対意識,侮蔑意識を窺うことができる。それらが大きなタイトル文字として表紙を飾っていることが,一層,敵対・侮蔑の度合いを強めている。なお,表紙の作成には佐野氏は関与していない。
  表紙の「DNAをさかのぼり 本性をあぶり出す」といった表現を含め,本件記事全体の論調から,いわゆる出自が橋下氏の人柄,思想信条を形成しているとの見方を明瞭に示している。人物像を描く際に,出自をたどる取材をすることはあり得る。しかし,極めて慎重に報道することが求められる。出自が人格と何らかの関連を有することがあり得るとしても,それは人格を形成する非常に多くの要因の一つにすぎないのであって,決定的要因とはなり得ないものである。出自と人格を強く関連づける考えは,人間の主体的な尊厳性を見失っており,人間理解として誤っているばかりか,危険な考えでもある。なお,家系図を掲載しているが,こうした流れに照らすと橋下氏が家系(血筋)に規定されているという前提での参考図と位置づけられているとも理解でき,極めて問題である。
  本件記事の主要部分は,「大阪維新の会」の旗揚げパーティーに出席していた正体不明の出席者と,縁戚にあたるという人物へのインタビューで構成されている。彼らの発言内容は,橋下氏の親族に関する話であり,橋下氏の出自につながる部分であるが,噂話の域を出ていない。前者は発言自体から信憑性がないことが明白である。後者はその信憑性を判断する手がかりが読者にはまったく提供されていない。人権に関わる伝聞事実については裏付け取材をすることが基本であるが,本件記事ではそうした裏付け取材がなされていることを読み取ることができない。
  本件記事には被差別部落の地区を特定する表現がある。朝日新聞出版記者行動基準には「報道を通じて,民族,性別,信条,社会的立場による差別や偏見などの人権侵害をなくすために努力する。」とあるほか,報道の取り決めにも「人権を守る報道」に関する基本的な考えが示されている。また,取り決めには,具体的に「被差別部落の場所が特定されないよう十分配慮する。」と明記されてもいる。本件記事は,これらに明白に違反している。

  4.記事チェック段階での問題
  10月9日夕刻,本件記事の原稿が佐野氏から担当デスクの手元に届いた。デスクと2人の担当記者は読んだが,編集長の手元に原稿が届いたのは12日昼頃であった。遅れた理由について,デスクは「原稿には秘匿すべき情報提供者らの名前が入っており,そのままでは渡せなかった」と言っている。しかし,編集長は当然すべての情報源を知るべき立場にあり,編集部の責任者にデスクが情報源を伝えないという考えは誤りである。
  原稿を読んだ編集長は,部落差別に関連する文章上の問題点をデスクにいくつか指摘し,同時に,雑誌統括に当該原稿をメールで転送した。折り返し雑誌統括は「こんなことを書いていいと思っているのか。掲載できると思っているのか」と編集長と電話で激しくやり合った。雑誌統括からの依頼で原稿を読んだ他部門の社員からも,原稿には多数の問題があるという指摘があった。12日夕刻にも雑誌統括の依頼で原稿を読んだ雑誌編集の経験が長い社員は,「出自が悪い者はろくなやつがいないという考えそのものが誤りだ。完全な差別表現であり,これはダメだ。」という意見を述べている。雑誌統括はこうした意見を編集長に伝え,編集長は,デスクに佐野氏と交渉して直しを検討するよう求めた。佐野氏は当日,テレビのゲストコメンテーターとしての仕事があり,検討が遅れたが,締め切り日である13日夕刻,数点の修正を行った。雑誌統括は,さらに被差別部落の地区の特定その他の削除を強く求めたが訂正されなかった。最後は,編集長が「これは佐野さんの原稿です。これで行かせてください」と押し切った。表紙が12日に校了しており,この段階では掲載中止は困難であった。掲載するか雑誌自体の発行を停止するかという選択であったが,発行停止が検討された形跡は見られない。 
 こうして16日発売に至った。
 編集部内ではこれまで,このようなセンシティブな問題に関する記事掲載の際には,顧問弁護士に助言を求めるリーガルチェックを行うことがあった。しかし,締め切り間際に表現の手直しに追われたため,今回はリーガルチェックを受けることもなく,最後は「時間切れ」の状況で,掲載に至っている。出自が人格を規定しているという誤った考え方を基調とし,主要部分を信憑性が乏しいインタビューで構成していることが問題なのであって,表現の手直しでは解消できる問題ではなかった。編集部としては,その点にいち早く気づき,本件記事の掲載を止めるべきであった。佐野氏から本件記事の原稿が編集部に届いたのは9日夕刻であり,デスクが原稿を直ちに編集長に示していれば,編集長は社内の意見を聞くとともにリーガルチェックを受けることが可能であった。
 なお,社内では差別的表現や侮蔑的表現に関し多くの点が指摘されている。編集部はデスクを通じて佐野氏にすべて伝えたとしているが,佐野氏は「指摘があったところで飲めないところはなかった」といい,言い分が食い違っている。社内の指摘が担当デスクを通じて佐野氏に的確に伝えられていたかどうか疑問である。また,編集部は筆者のオリジナリティーを大切にしたいという思いがあったとしているが,そのような範疇の表現ではなく,事柄の重大性に対する認識が欠けていたといわなければならない。
 本件記事と同内容に近い記事が既に他の月刊誌・週刊誌等に複数掲載されている。編集部や記事をチェックした者たちは,それらについては橋下氏からの特段の抗議はなく,社会問題ともなっていないと即断し,こうしたことから本件記事も許されるものと考えたとしている。しかしながら,仮にそうだとしても,人権侵害を拡散し,再生産した責任を免れることはできない。

 5.掲載後の対応の問題
 掲載後の対応にも問題があった。橋下氏が記者会見をした10月18日前日の17日夜に朝日新聞出版が発表した「今回の記事は,公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です。」などとするコメントは,発行から2日経っていながら,本件記事の正当化とも受け取れるものである。また,18日夜に発表したおわびコメントや,週刊朝日11月2日号に掲載した編集長名での「おわびします」でも,タイトルや複数の不適切な記述に関するおわびにとどまっていた。この段階においても,問題の本質に気づいていなかった
  連載中止については,佐野氏は「1回目だけを読んで判断すべきではない。中止は言論機関の自殺行為だ」としている。また,この問題に関する新聞等の報道では,中止は読者の期待を裏切り,知る権利を損なうことを意味すると指摘する識者もいた。しかし,連載を続けるためには,この問題についての検証,編集態勢の見直し,企画の狙いや記事執筆の基本的な考え方などの再検討,タイトルの変更などが必要だった。さらに,2回目以降も橋下氏の親族を取り上げることが予定されており,過ちを繰り返さないためには一層の慎重さが求められた。以上の点を考えると,継続は困難であり,連載中止はやむを得なかった。

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 <出所-朝日新聞出版ウェプサイト。太字化・下線は掲載者>

1163/日本の中にいる「反日」・「左翼」団体・個人をこそ徹底的に批判すべき。

 一 産経新聞や月刊正論(産経)等々の(少なくとも自称)保守派(的な)メディア・雑誌類が、月刊WiLL(ワック)も含めて、中国や韓国(・北朝鮮)に対する、警戒的または批判的な論調でいたり、そのような特集を組むことに反対はしないが(但し、中国と韓国は同じではない。後者については歴史認識や竹島問題にほぼ限られるだろう)、たび重なる類似の特集類の中には、少なくとも私には、もう読むまでもない、またかと思わせるものも少なくない。
 両国に共通するところもある歴史認識等の問題についての正確な情報・見解を発信し続けていくことも重要だが、第三の(または北朝鮮を含めると第四の)「反日」国家とも言われているのは日本そのものであり、日本の中にいる(ある)「反日」勢力・「反日」マスメディア、「反日」人士の言動を読者ができるだけ正確に把握できるできるように報道し、また執拗にと言ってもよいほどに的確かつ迅速に批判または反論していくこともまた(少なくとも自称)保守派(的な)メディア・雑誌類の重要な役割だろう。少なくとも、広い意味での(例えば現憲法九条2項削除・軍の保持の明記に賛成するような)「保守」派の中に分裂・対立を持ち込むような、あるいはそのような対立を過大に重視して、主観的には「真の」保守派であるつもりで「真正保守」ではないと見なす論者・政治家等を批判・攻撃することに情熱を傾注するような編集方針は、<広く>保守派(例えば憲法改正賛成派)を結集させたいならば、採用すべきではないだう。

 二 月刊WiLL2月号(ワック)には、重要なまたは興味を惹く論考類が含まれているが、上のような観点からすると、西村幸祐の新連載らしい「メディア・スクランブル」の中の次の二つの指摘は、あえてここにも記しておきたい。これによると、次のようだ(p.29)。

 ①東京新聞は、「十月に実施した憲法九条の世論調査で、改憲派が護憲派を一〇%以上、上回っていたことをできるだけ隠していた」。韓国・朝鮮日報の「慌てふため」いた報道によって多くの日本人が自国の有力紙の世論調査結果を知った。

 ②テレビ朝日が番組「モニングバ-ド」で、「安倍総裁の経済政策を批判するように経済学者に強要していた」。これを当の学者飯田泰之がBSフジの生放送の連携動画で明らかにした。

 これらをいずれも私は(読むまで)知らなかった。東京新聞(親会社の中日新聞)やテレビ朝日の、たんに政治的立場の違いにすぎないとは言えない<偏向ぶり>、マスコミとしての<異常さ>を、できるだけ多くの国民が(ますます)気づいていくようにしなければいけない。

 そして、別の機会に(も)書きたいが、朝日新聞も含めて、そんな媒体に広告を出していれば、その企業自体が「まっとうな」企業ではないという印象を読者・視聴者に与えるに至るまでに、同業?か同業に近い報道機関・マスメディアであっても、まっとうな人々やマスコミ・雑誌等は(産経新聞社も含めて)、勇気をもって<偏向ぶり>や<異常さ>を指弾し続けるべきだ。
 前後するが、同じことは指弾されるべき者が評論家・学者という「個人」であっても言える。日本人らしい、または日本的でもあるのだろうか、個人名を出しての(とくに現役の者に対する)批判は遠慮しがちなのが、日本の論者、評論家等の傾向ではないだろうか。主張・見解に対する批判と人物・人格全体の批判・攻撃とは同じではないはずなのだが。

 三 撃論プラス第4号(オ-クラ出版、2013)の中には、大室久志「朝日新聞の偏向報道を暴く/紙面徹底検証!朝日が殺そうとした安倍晋三」もある(p.52-)。
 新しい、最近についての有益な具体的な指摘はじつはあまりないのだが、一般論として、「仮に、朝日新聞の意向に従わない政権が存在した場合、あらゆる手段を用いてその政権を潰そうとするのが朝日新聞なのだ。全く事実に基づかない印象操作、誹謗中傷、有識者を騙る似非知識人によるプロパガンダ、『声』欄を利用した読者投稿による印象操作…」(p.56)、ということは、広く国民多数の「常識」にしなければならない。そして、そのような卑劣な新聞は広告出稿企業を失い、読者も失う(経営的・財政的に朝日新聞的メディアを消失させる)ようにしなければならないだろう。「朝日新聞とは、報道機関ではない。政治結社なのである」(p.63)。

 同誌の小川榮太郎「すでに始まっている安倍バッシング」(p.81-)の方が、昨秋以降の<安倍たたき>のマスコミの実際についてはるかに具体的で詳しい。つぎに触れる無署名「…報道分析」の方が詳細だが、フジテレビ系の小倉智弘の安倍からかい発言と安倍による批判と小倉の謝罪についても触れている(こういうのは、よほど熱心な視聴者でないと知らないままだろう)。また、とくに、週刊朝日10/16号の経済関係記事の(安倍を批判したいがための)杜撰さの指摘は長くて具体的だ。

 同誌編集部によるのか、無署名の「2012年度/テレビメディアの報道分析」(p.87-)には、「偏向」発言者等の具体的氏名が記載されている。以下、これに依拠して列挙しておく。

 まず、TBS系番組の中での、みのもんた、金井辰樹、北川正恭、テレビ朝日系番組の中での、愛川欽也、川村晃司、早野透(元朝日新聞)、前北美弥子、テレビ朝日番組等の中での、青木理。
 また、「異様なまでに安倍氏に対して『敵視政策』を続けるTBSは今も健在である」、らしい。先に少し言及したフジテレビ系番組内での小倉智弘、田中雅子。見ていないが、安倍晋三は橋下徹と同様に?、自身の「フェイスブック」10/23付で「痛烈に批判した」らしい。

 日本テレビ番組の中での、テリ-伊藤、加藤浩次。テレビ朝日系ケ-ブル局番組の中での、辛淑玉、永六輔、中山千夏、石坂啓、福島瑞穂(この5名は堂々たる「左翼」だ)。TBSラジオの中での、永六輔、外山恵理、久米宏、大橋巨泉、田中均、青木理、宮台真司。NHK深夜双方向番組の、津田大介、速見健朗、古市憲寿。この古市は、上野千鶴子の「教え子」らしい(p.96)。

 四 朝日新聞の、今年になってからの安倍晋三関係社説の「異様さ」、そもそも民間テレビ放送局は「報道機関」といえるような存在では本質的になく、戦後日本を腐らせた元凶とすらいえること(まさに大宅壮一の言葉どおり、「一億総白痴化」をもたらす最大の道具になったこと)、同じことだが民間テレビ放送局の番組制作関係者が「ジャ-ナリスト」であるなどとは大笑いの戯言であること、佐伯啓思の乱調ぶり、等々、書きたいことは他にも多いが、時間の余裕がないのは残念だ。

1162/男女平等(対等)主義は絶対的に正しいのか。

 妊娠中絶のための処置・手術が、ある種の医院・診療所にとっての重要な収入源になっている、という話がある(その数も含めてかつて読んだが、確認できない)。多くの寺院に見られる「水子地蔵」なるものの存在や一つの寺院の中でも見られることのあるその数の多さは、いったい何を意味しているのだろうか。
 不幸な流産等もむろんあるだろうが、親たち、とくに母親女性の意図による妊娠中絶の多さは、戦後日本の「公然たる秘密」なのではないか。そもそも妊娠しても出産にまで至らないのだとしたら、出産後の育児のための保育園の数的増大や男性社員・従業員の育児休暇の取得の容易化等の政策の実現にいくら努力しても、根本的なところでの問題解決にはならないだろう。
 生まれる前の将来の子ども(・人間)の「抹殺」の多さはマスメディアによって報じられたり、検討されたりする様子はまるでないが、これは(マスコミを含む)戦後日本の偽善と欺瞞の大きな一つではないかと思われる。
 望まない妊娠の原因の一つは、妊娠に至る行為を若い男女が安易にしてしまうという「性道徳」にもあるのだろう。もちろん、そのような若い男女の「個人主義」と「自由主義」をはぐくんできた戦後日本の、家庭や学校での教育にも問題があるに違いない。
 また、妊娠し(受胎し)出産することは、男と女の中で女性にしかできない、子孫をつないでいくための不可欠の高貴な行為にほかならないだろうが、そのような妊娠・出産を、男性とは異なる女性のハンディキャップであり、男性にはない女性の労苦であると若い女性に意識させてしまうような雰囲気が戦後日本には少なからず形成されてきたかにみえる。
 家庭において、学校において、そのような女性にしかなしえない貴重な営為について、その尊さについて、十分に教えてきただろうか。教えているだろうか。そのような教育を受けない若い女性が、とりわけ「少しだけは賢い」と思っている女性が、そのような労苦を<男女差別>的に理解しはじめたとしても不思議ではない。なぜ女だけが、男はしない<面倒な>ことをしなければならないのかと、とりわけ学校教育の過程で男子と対等にまたはそれ以上に「よい成績」をあげてきた(上野千鶴子のような?)女性が感じるようになっても不思議ではない。
 晩婚・非婚の背景には種々のものがあるだろうが、戦後の<男女平等(対等)主義>が背景にはあり、そして、それこそが、今日みられる<少子化>の背景でもある、と考えられる。
 まるで疑いもなく<善>とされているかに見える<男女平等(対等)主義>は、その理解の仕方・応用の仕方によっては、社会全体にとって致命的な<害毒>を撒き散らすことがありうることを、知るべきだろう。
 こんなことを感じ、考えているのは私だけではないはずで、確かめないが、林道義・フェミニズムの害悪(草思社、1999)に書かれていたかもしれないし、タイトルを思い出せないが中川八洋の本の叙述の中にもあったように記憶する。
 日本の国家と社会にとって<少子化>が問題であり、それが日本の「衰退」の重要な原因になるだろうというのは、かなり常識化しているようでもある。そうだとすれば、その解決策は表面的な(ポストの数ほどの保育所を、といった)対応だけでは無理で、より基本的な論点に立ち戻るべきだろう。
 妊娠と出産は女性にしかできない。その点で、男女は決して対等でも平等でもない。そしてそのような違いはまさに人間の本質・本性による自然なもので、善悪の問題ではまったくない。むろん「差別」でも、非難されるべき「不平等」でもない。
 このあたりまえの(と私には思われる)ことの認識に欠けている人々や、こうした認識を妨げる言論・風潮があること自体が、戦後日本社会を奇妙なものにしてきた一因だと私には思われる。

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