〇「ハイエキアン」と自称し、「マルクス主義憲法学者」は反省すべきだ、と指摘したことのある稀有の(現役の)憲法学者が、阪本昌成(1945-)だ。
政治的・現実的な運動に関与することに積極的ではない人物なのだろうが、このような人を取り込み、論者の一人のできないところに、現在のわが国の<保守>論壇の非力・限界を見る思いがする。
阪本の憲法理論Ⅰ・Ⅱ(前者の第二版は1997、後者は1993が各第一刷)は、多くの憲法学概説書と異なっているので司法試験受験者は読まないのだろうが、憲法学・法学を超えて、広く読まれてよい文献だろう。
Ⅰ(第一版)の「序」で阪本昌成は次のようにも書く-「なかでも、H・ハートの法体系理論、F・ハイエクの自由と法の見方、L・ウィトゲンシュタインのルールの見方は、わたしに決定的な知的影響を与えた。本書の知的基盤となっているのは、彼らの思考である」。
Ⅱの「序」では、こうも書いている-「F・ハイエクは、人びとの嫉妬心を『社会的正義』の名のもとで正当化し、かきたてる学問を嫌ったという。本書の執筆にあたっての基本姿勢は、ハイエクに学んだつもりである」。
阪本昌成・憲法理論Ⅰ〔第二版〕(成文堂、1997)の特徴の一つは、ふつうの憲法学者・研究者がどのように考え、説明しているのかが明瞭ではないと思われる「国家」そのものへの言及が見られることだ。
この書の第一部は「国家と憲法の基礎理論」で、その第一章は「国家とその法的把握」、第二章は「国家と法の理論」だ。こういう部分は、ほとんどの憲法学者による書物において見られないものだと思われる。
〇上の第一章のうち、「第四節・国家の正当化論(なにゆえ各人が国家を承認し、国家に服従するのか)」(p.21-)から、さらに、「国家の正当化を問う理論」に関する部分のみを、要約的に紹介しておく(p.23-26)。
歴史上、「国家正当化論」として、以下の諸説があった。
①「宗教的・神学的基礎づけ」 (典型的には王権神授説)。
②「実力説」。近くは国家を「本質的に被抑圧階級、被搾取階級を抑圧するための機関」と見るマルクスやエンゲルスの論に典型が見られ、G・イェリネックは、この説の実際的帰結は国家の基礎づけではなく、国家の破壊だと批判的に言及した。
③「家父長説」。G・ヘーゲルが理想とした「人倫国家」論はこれにあたるが、絶対君主制を正当化する特殊な目的をもつものだった。
④「契約説」。国家形成への各人の「合意」のゆえに「その国家は正当」だとする「意思中心の理論」。ブラトンにも見られ、ホッブズははじめて「原子論的個人」を「国家」と対峙させた。これ以降の契約論は、「個々人の自由意思による合理的国家の成立」を説明すべく登場した。
J・ロックは「意思の一致」→契約は遵守されるべき(規範)→「正当な服従義務」という公式を援用したが、曖昧さがあった。
J・ルソーの「社会契約論」は、「政治的統一体の一般意思に各人の意思が含まれるがゆえに正当であり、各人は自己を強制するだけ」、「一般意思を脅威と感じる必要もない」、とする「楽観論」でもあり、「集団意思中心主義の理論」でもある。
ルソーの議論は「正当な国家の成立」・「自由保障の必然性」を見事に説いたかのごとくだが、この「社会契約」は「服従契約」でもあった、すなわち市民(個人)は、「契約によって、共同体意思に参加するものの、同時に、臣民として共同体意思に服従する」。ルソーはこれをディレンマとは考えなかった。現実の統治は「一般意思」にではなく「多数」者によって決せられるが、彼は、個々の個人のそれと異なる見解の勝利につき、「わたしが一般意思と思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているにすぎない」と答えるだけ(p.25)。実体のない「集団的意思」・「集団精神」の類の概念の使用は避けるべきなのだ。
以上の諸説のうち今日まで影響力を持つのは「社会契約論」。この論は「合理的な国家のあり方」を説いた。
しかし、「一度の同意でなぜ人々を恒久的に拘束できるのか、という決定的な疑問が残されている」。
といった欠陥・疑問はあるが、「契約の主体が、主体であることをやめないで、さらに自らを客体となる、と説く」一見、見事な論理で、法思想史上の大きな貢献をした。「契約説は、新しい国民主権論と密接に結合することによって、国家存在の正当化理由、統治権限の淵源、その統治権限を制約する自然権等を、一つの仮説体系のなかで明らかにした」(p.26)。
これはノージックやロールズにも深い影響を与えている。「社会契約論」的思考は、「方法的個人主義」に依りつつ「個々人の意思を超えるルールや秩序」の生成淵源を解明しようとする。
但し、これまでの「国家正当化論」は「抽象的形而上学的思索の産物」で、これによってしては「現実に存在する、または歴史的に存在してきた国家を全面的に正当化することは不可能である」。現実の国家が果たす「目的」によってのみ国家の存在は正当化される。かくして、「国家目的論」へと考察対象は移行する(p.26)。
以下の叙述には機会があれば言及する。ともあれ、ルソー(らの)「社会契約論」によって(のみでは)「国家」成立・形成・存在を正当化しようとしていないことは間違いない。
〇翻って考えるに、日本「国家」は、何ゆえに、何を根拠として、そもそもいつの時点で、形成されたのか?
かりに大戦後に新しい日本「国家」が形成されたとして(いわゆる「非連続説」に立つとして)、そこにいかなる「社会契約」があったのか? この問題に1947年日本国憲法はどう関係してくるのか?
外国(とくに欧米)産の種々の「理論」のみを参照して、日本に固有の問題の解決または説明を行うことはできないだろう、という至極当然と思われる感慨に再びたどり着く。
2012/06
〇月刊正論5月号(産経、2012.04)の適菜収論考は「理念なきB層政治家」を副題として橋下徹を批判・罵倒している。
冒頭の一文は、「橋下徹大阪市長は文明社会の敵です」。この一文だけで改行させて次の段落に移り、「アナーキスト」、「国家解体」論者、「天性のデマゴーグ」等々と、十分な理由づけ・論拠を示さないままで<レッテル貼り(ラベリング)>をしていることはすでに触れた。
この論考では「B層」という概念が重要な役割を果たしているはずだが、これの意味について必ずしも明確で詳細な説明はない。いくつか「B層」概念の使い方を拾ってみると―。
・「B層」=「近代的理念を妄信する馬鹿」(p.51)。
・橋下徹は「天性のデマゴーグ」なので「B層の感情を動かす手法をよく知っている」(p.52)。
・橋下徹の「底の浅さ」は「B層の『連想の質』を計算した上で演出されている」(p.53)。
・橋下徹・維新の会をめぐる言説は「B層、不注意な人、未熟な人の間で現在拡大再生産されている」(p.53)。
・「B層は歴史から切り離されているので、同じような詐欺に何度でも引っかかります」(p.54)。
・「マスメディアがデマゴーグを生みだし、行列があればとりあえず並びたくなるB層…」(p.54)。
・「小泉郵政選挙に熱狂し、騙されたと憤慨して民主党に投票し、再び騙されたと喚きながら、橋下のケツを追いかけているのがB層です」(p.55)。
このくらいだが、要するに適菜のいう「B層」とは<馬鹿な大衆>を意味していると理解して、ほとんど間違っていないだろう。
産経新聞5/04の「賢者〔何と!―秋月〕に学ぶ」欄でも適菜収は、「B層」とは、「マスメディアに踊らされやすい知的弱者」、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す、と明確に述べている。「知的弱者」、つまりは「馬鹿」のことなのだ。
またニーチェのいう「畜群人間」はまさに「B層」だとし、この「B層」人間は「真っ当な価値判断ができない人々」で、「圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ」、そして、「プロの領域、職人の領域」を浸食し、「素人が社会を導こうと決心する」、「これこそがニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的な姿だ」、とも書いている。
適菜において「B層」とは「知的弱者」=「馬鹿」で、「畜群」と同義語なのだ。
そして、こうした「B層」を騙し、かつこうした「B層」に支持されているのが橋下徹だ、というのが、適菜の主張・見解の基調だ。前回に少し述べたが、決して、「伝統」か「理性」かを対置させて後者の側(「理性の暴走」)に橋下を置いているのではない。
さて、月刊世界7月号(岩波)は「橋下維新―自治なき『改革』の内実」という特集を組んでいるが、その中の松谷満「誰が橋下を支持しているのか」(p.103-)は興味深い。
松谷は、多段無作為抽出にもとづく有効回答数772のデータを基礎にして、次のように述べている(逐一のデータ紹介は省略する)。
①一部の論者が「社会経済的に不安定な人びと」が橋下を支持している、「弱い立場にいる人びと」が「その不安や不満の解消を図るべくポピュリズムを支えている」という<弱者仮説>を提示しているが、「少なくとも調査結果をみる限り、妥当性は低い」。
②橋下徹に対する支持は「若年層」で高いというわけではなく、「強い支持」は「六〇代がもっとも多い」。
③六〇才以下の男性について雇用形態・職業から5つに分類すると、「管理者職層、正規雇用者で支持率が高く、自営層、非正規雇用、無職層」で支持率が低い。
④自身の「階層的位置づけ」意識との関係では、「上・中上」、「中下」、「下」の順で「強い支持」が高い=前者ほど<強く支持>している。(以上、p.106)
これらにより松谷は、「マスコミや知識人の『空論』は、ポピュリズムを支持する安定的な社会層を不問に付し、その責任を『弱者』に押しつけているのではないか」と問題提起している(p.107)。
その他、次のような結果も示している。
⑤「高い地位や高い収入を重視する者のほうが、それらを重視しない者に比べて、橋下を支持している」(p.109)。
適菜収のいう「知的弱者」と松谷のいう「弱者」は同じではないし、無作為抽出とはいえ772の母数でいかほどの厳密な結論が導出できるのかはよく分からないが、それにしても、上のとくに③・④・⑤あたりは、橋下徹は(先に述べたような意味での)「B層」を騙し、かつ「B層」に支持されているとの、「仮説」とも「推測」とも断っていない適菜収の「決め付け」的断定が、松谷のいう「知識人の空論」である可能性を強くするものだ、と考えられる。そのような意味で、興味深い。
隔週刊サピオ5/09・16号の中の小林よしのり・中野剛志の対談とともに、月刊正論の適菜収論考は、橋下徹に対する悪罵・罵倒の投げつけにおいて、最悪・最低の橋下徹分析だったと思われる(立ち入らないが、小林よしのりは研究者ではないからある程度はやむをえないとしても、中野剛志の、学者とは思えない断定ぶり・決めつけ方には唖然とするものがあった―下に言及の新保祐司の発言も同様―。橋下徹がツイッターで中野剛志に対して激しく反応したのも―ある程度は―理解できる)。
この機会に記しておけば、佐藤優はいろいろな媒体で橋下徹に対する見解・感想等々をたくさん書いていて、批判的・辛口と見えるものもあるが、週刊文春5/17号の特集「橋下徹総理を支持しますか?」の中の、つぎの文章は、多数の論者の文章の中で、私には最もしっくりくるものだった。
「国政への影響を強める過程で……外交、安全保障政策について勉強する。その過程で…確実に国際水準で政治ゲームを行うことができる政治家に変貌する。…府知事、市長のときと本質的に異なる安定した政治家になると私は見ている。言い換えると橋下氏の変貌を支援するのが有権者の責務と思う」(p.48)。
中西輝政とは異なり、橋下徹・維新の会の政策に「殆ど賛成」とは言い難い私も、このような姿勢・期待は持ちたいと考えている。
〇だが、橋下徹を暖かく見守り、「変貌を支援する」どころか、早々と「きわめて危険な政治家」、橋下徹の「目的は日本そのものの解体にある」と(理由・論拠も提示することなく)断定したのが、産経新聞社発行・<保守>系と言われている月刊正論の編集長・桑原聡だった。
また、同編集部員の川瀬弘至は、上記の適菜収論考を「とってもいい論文です」と明記し、自民党の石破茂に読むことを勧めるまでした(月刊正論オフィシャルブログ4/04)。
ところが、何とその同じ川瀬弘至は、同ブログの5/29では、橋下徹の憲法関係発言を知って、「橋下市長、お見逸れいたしました。これまで国家観がみえないだとか歴史観があやふやだとか批判してきましたが、自主憲法制定に意欲を示してくれるんなら全面的に応援しますぞ。どうか頑張っていただきたい」と書いている。
この契機となった発言よりも前の2月中に橋下徹は現憲法九条を問題視する発言をしているし、3月には震災がれきの引きうけをしないという意識の根源には憲法九条がある旨を発言している。月刊正論4月号の編集期間中には、橋下徹は今回に近い発言をすでにしていたのだ。月刊正論5月号の山田宏論考は、橋下徹による改革の先に「憲法改正」が「はっきり見えている」と明言してもいる(p.58)。
今頃になって、川瀬弘至は何を喚いているのだろう。それに、「全面的に応援しますぞ。どうか頑張っていただきたい」と書くのは結構だが、それが本心?だとしたら、橋下徹に対する悪罵を尽くした論考だったも言える適菜収論考を「とってもいい論文です」と評価していたことをまずは反省し、この言葉を取消し又は撤回して、読者に詫びるのが先にすべきことだと思われる。
だが、しかし、この川瀬の言葉とは別に、月刊正論6月号(産経、2012.05.01)は、依然として、橋下徹を批判し罵倒する、遠藤浩一と「文芸評論家」新保祐司の対談を掲載している。<反橋下徹>という編集方針を月刊正論(産経)は変えていないと見られる。
この対談、とくに遠藤浩一については書きたいこともある。同号の「編集者へ/編集者から」欄への言及も含めて、再びあと回しにしよう。
月刊正論(産経)は、発売日(毎月1日)から二週間経てば、送料を含めても150-200円安く、一ヵ月も過ぎれば約半額で購入することができることが分かった。
そのようにして入手した月刊正論6月号(産経)を見て、驚き、あるいは唖然とした点がいくつかある。とりわけ「編集者へ/編集者から」という読者・編集部間のやりとりは、注目に値する。
月刊正論5月号の適菜収論考には読者からの疑問・反論も多かったようで、そのうちの一つを紹介し(p.324-5)、「編集者」が簡単に答えて(コメントして?)いる。適菜は自らの考える「保守の理想形」を提示していないという疑問(の一つ)に関して、「編集者」は以下のように書いている(p.325)。
「おそらく適菜さんは、人間の理性には限界があり、その暴走を食い止めるために伝統を拠り所としようという態度こそが保守であると考えているのだと思います。その立場から見ると、橋下氏には理性暴走の傾向が感じられませんか。」
これには驚き、かつ唖然とした。
第一。「…が感じられませんか」という質問形・反問形での文章にしているのもイヤらしい。それはさておくとしても、この読者はもっと多くの疑問・批判を適菜収論考に対して投げかけている。
それらを無視して、ただ一点についてだけ答える(コメントする)というのは、紙面の限界等もあるのかもしれないが、到底誠実な「編集者」の態度だとは言えないように思われる。紙面の関係で一点だけに限らせていただく、といった断わりも何もないのだ。
第二。月刊正論編集部は橋下徹に「理性の暴走の傾向」を感じているようだが、その根拠・理由は全く示されていない。編集長・桑原聡の前月号の末尾の文章と同じく、理由・根拠をいっさい述べないままの、結論のみの提示だ。こんな回答(コメント)でまともで誠実な対応になると思っているのだろうか。
なるほど適菜収論考の中に、橋下徹には「理性暴走の傾向」がある旨が書かれていたのかもしれない。そのように解釈できる部分が(あらためて見てみたが)ないではない。
だが、「伝統を拠り所」にするか「理性の暴走」かという対置を適菜は採っていない。従って、上の短い文章は「編集者」自身が新たに作ったもので、適菜論考の簡潔な要約ではない。
あらためて適菜「橋下徹は『保守』ではない!」の橋下徹に対する罵倒ぶりを見てみたが、適菜は橋下徹を「文明社会の敵」、「アナーキスト」、「国家解体」論者、「天性のデマゴーグ」等と断じている。
明らかな敵意・害意を感じるほどに異常な文章であり、「決めつけ」だ。何段階かの推論(・憶測)を積み重ねて初めて導き出せるような結論を、適菜はいとも簡単に述べてしまっている。
ともあれ、「伝統を拠り所」にするか「理性の暴走」か、という対立軸を立てて、適菜は書いているのではない。とりわけ、「伝統を拠り所」に、という部分は適菜の文章の中にはない。
第三。読者の(省略するが)これらの疑問に対しては、本来、適菜本人が答えるか、別の新しい論考の中で実質的に回答するのが、正常なあり方だと思われる。
しかるに、これが最も唖然としたことなのだが、月刊正論「編集者」は、「おそらく」という副詞を使いつつ、適菜収に代わって、適菜の「保守」観を述べ、読者に回答(コメント)しているのだ。適菜論考から容易に出てくる文章ではないことは上の第二で述べた。
雑誌、とくに月刊正論のような論壇誌の編集部というのは、「監督」または「コーチ」であって、自らが「プレイヤー(選手)」も兼ねてはいけないのではないだろうか。にもかかわらず、月刊正論「編集者」はプレイヤー(執筆者)に代わって、自らブレイヤーとして登場として、自らの見解を述べてしまっている。
雑誌編集者のありようについての詳細な知見はないが、これは編集者としては<異様>な行動ではないだろうか。しかも、「執筆者」の考え方を代弁して自ら回答(コメント)するという形をとりながら、上に述べたように、結論らしきものを語っているだけで、いっさいの理由づけ、論拠の提示を割愛させてしまっているのだ。
「編集者」・「編集長」に用意された短い文章の中で、特集を組んでいるような重要なテーマについての編集者・編集長自らの(特定の)「結論」を、執筆者に代わって、理由づけをすることもなく明らかにしてよいのか??
雑誌出版・編集関係者のご意見を伺いたいところだ。
第四。適菜は(おそらく)「伝統を拠り所」にする態度を「保守」と考えており、橋下徹にはこれとは異なる「理性の暴走の傾向」があるのではないか、というのが月刊正論(産経)「編集者」の見解のようだ。
このような対置が「保守」と「左翼」の間にはある、という議論・説明があることは承知している。
だが、少しでも立ち入って思考すれば容易に分かるだろう。いっさいの<変化>やいっさいの<理性>を否定しようとしないかぎり、維持すべき「伝統」とそうでない「伝統」、必要な「理性」と危険視すべき「理性の暴走」の区別こそが重要であり、かつ困難で微妙な問題でもあるのだ。
もちろん、月刊正論「編集者」の文章(p.325)はこの点に触れていない。全ての<変化>・<理性>を否定しないで、かつ「伝統を拠り所」とする態度と「理性暴走の傾向」とを明確に区別するメルクマール・基準・素材等々を、何らかの機会に、月刊正論編集部(編集長・桑原聡)は明らかにしていただきたい。
第五。月刊正論「編集者」の文章に乗っかるとして、そもそも橋下徹に「理性暴走の傾向」はあるのだろうか。
むろん「理性暴走」の正確な意味、それと断じる基準等が問題なのだが、それはさておくとしても、例えば橋下徹における次の二例は、「理性暴走」というよりもむしろ日本の「伝統」を重視している(少なくとも軽視していない)ことの証左ではないか、と考えられる。
①橋下徹は5/08に、公務員が国歌(・君が代)を斉唱するのは「当たり前」のこと、「ふつうの感覚」、「理屈じゃない」と発言している。
②橋下徹は大阪府知事時代の最後の時期、昨年秋の、大阪護国神社秋季例大祭の日に(知事として)同神社に参拝している。
推測にはなるが、上の②は、大阪府出身の、「国家のために」死んだ(そして同神社の祭祀の対象になっている)人々を「慰霊する」(とさしあたり表現しておく)のは大阪府知事としての仕事・「責務」でもあると橋下は考えたのではないかと思われる。
これらのどこに「理性暴走の傾向」があるのだろうか。月刊正論編集部(編集長・桑原聡)は、何らかの機会に回答してほしいものだ。
なお、この欄で既述のとおり、産経新聞や月刊正論でもお馴染みの八木秀次は、隔週刊サピオ5/09・16号の中で、橋下徹は「間違いなく素朴な保守主義者、健全なナショナリスト」だ等と述べている(p.16)。
八木秀次のあらゆる議論を支持するのではないが、上の指摘は、適菜収や月刊正論編集部とはまるで異なり、素直で的確な感覚を示していると思われる。
第六。そもそも、「保守」か否かの基準として、「伝統」重視か「理性」重視(「理性暴走」)かをまず提示する、という(適菜ではなく)月刊正論「編集者」の考え方自体が正しくはない、と考えられる。
上でも少し触れたように、この基準は明確で具体的なものになりえない。
「保守主義の父」とか言われるE・バークもこうした旨を説いたようだが、私の理解では、上のような<態度>・<姿勢>という一種の<思考方法>ではなく、バークは、その結果としての<価値>に着目している。つまり、フランス革命によって生じた「価値」(の変化)の中身にバークは嫌悪感を持ったのであり、たんに「ラディカルさ」・「急激な変化」を批判したのではない、と言うべきだと思っている。
「保守」か否かは、第一義的には、「伝統」か「理性」かといった<思考方法>のレベルでの対立ではないだろう、と思われる。
E・バークの時代には、まだ「共産主義」思想は確立していなかった(マルクスらの「共産党宣言」は1848年)。従って、余計ながら、いくらバークを「勉強」しても、今日における「保守」主義の意味・存在意義を十分には明らかにすることはできないだろう。
この問題は、「保守」という概念の理解にかかわる。月刊正論編集部がいかなる「保守主義」観をもっているのかきわめて疑わしいと感じているのだが、この問題には、何度でも今後言及するだろう。
なお、関連して触れておくが、月刊正論編集部が「保守」の論客だと間違いなく認定していると思われる中西輝政は、月刊文藝春秋6月号(文藝春秋)の中の橋下への「公開質問状」特集の中で、「私は橋下徹氏の率いる『大阪維新の会』が唱える政策の殆どに賛成である」と明記し、橋下の「中国観」についてのみ質問する文章を書いている(p.106-7)。
どう読んでも中西輝政が橋下徹を「保守ではない」と見なしているとは思えないのだが、中西の橋下徹観が誤っており、橋下は「保守ではない!」「きわめて危険な政治家」だと言うのならば、月刊正論編集長・桑原聡は、末尾の編集長コラム頁に書くなりして、中西輝政を「たしなめる」ことをしてみたらどうか。
いずれにせよ、上に六つ並べたように、月刊正論編集部はどこか<異常>なのではないか。今回言及した以外にもある。月刊正論6月号の上記冒頭の欄についてはもう一度言及する。
丸山真男は「自由主義者への手紙」の中で、興味深くかつ重要なことを書いている。これは月刊・世界(岩波)の1950年9月号に発表された。アメリカ、GHQが日本の敗戦後当初と異なり、反共(反ソ)へと政策転換をした後の時期だ。丸山真男全集第4巻(1995)所収、p.313以下。
丸山がいう「君」とは誰か判然としないが、一定の思想・評論の潮流なのだろう。その「君」は自分=丸山真男に対して次のような不満・批判を吐露・提出している、とまず丸山は述べる。
「君や僕のようなリベラルな知識人」は「思想を否定する暴力に対して左右いずれを問わず積極的に闘うことが必要」で、そのためには「ファッショに対してと同様、左の全体主義たる共産主義に対しても画然たる一線をひいて」自分の主体的立場を堅持する必要がある。にもかかわらず、「僕みたいな…マルクス主義者ではなく、性格的にはむしろコチコチの『個人主義者』」が「現代の典型的な全体主義たる共産主義に対してもっと決然と闘わない」のは何故か(p.316)。
同旨の疑問・批判は、より簡単には、次のようにも書かれている。
「左右いかなる狂熱主義にも本能的に反発する」はずの僕=丸山が、「共産党に対して不当に寛容であるのはおかしい」(p.333)。
これに対する丸山真男の回答・釈明・反論はこうだ。
「日本のような社会の、現在の情況において、共産党が社会党と並んで、民主化…に果す役割を認めるから、これを権力で弾圧し、弱体化する方向こそ実質的に全体主義化の危険を包蔵することを強く指摘したい」(p.333)。
共産党の日本社会の「民主化」への役割を認め、それに<寛容>であることによって、共産党を「弱体化」することによる「全体主義化の危険」を防止したい、と言うのだ。
同趣旨のことは、「政治的プラグマティズムの立場に立てばこそ」として、次のようにも語られている。
①「下からの集団的暴力の危険性」と②「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」、および①「大衆の民主的解放が『過剰になって氾濫する』危険性」と②「それが月足らずで流産する危険性」とをそれぞれ比較して、「前者よりも後者を重しとする判断を下す」(p.333)。
つまり、上の①よりも②の危険性の方を重視して、②の危険性の方を抑止したい(そのためには日本共産党に対して<寛容>であることが必要だ)というわけだ。
この論考の発表当時、日本共産党は衆議院に35議席を有するなど勢力を拡張していたが、1950年1月にコミンフォルムによるその「平和革命」論批判(のちに分裂につながる)や同年6月のGHQによる共産党員等の公職追放(レッド・パージ)があった。
のちの主流派による武力闘争まで丸山真男が支持したかどうかは確認しないが、日本共産党勢力が拡大し、かつ抑圧?を受けつつあったときに、この丸山真男論考は書かれている。
そういう時代的背景はふまえておく必要があるが、興味深いのは、丸山真男のような<進歩的文化人>のかかる<容共>姿勢というのは、少なくとも日本共産党が「平和」路線(「人民的議会主義」路線)を明確に採って以降の、日本の<左翼>に特徴的な考え方または気分だ、ということだ。
丸山真男は「民主化」に「しかり西欧的意味での民主化」という注記を施しているが、それはともあれ、丸山は「民主主義」(民主化)対「全体主義」という対立軸を設定している。「共産主義」が「左の全体主義」・「現代の典型的な全体主義」であることを否定していないようであることも目を惹くが、これとは区別されたものとして、日本社会の「全体主義化の危険」・「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」を語っている。
「民主主義」対「全体主義」という軸設定は今日ではそのままではあまりなされてはいないかもしれない。しかし、後者に代わって、「(日本)軍国主義」とか「戦前のような日本」ということが言われ(ときには「偏狭な(排他的な)ナショナリズム」)、戦前のような社会を復活させるな、「民主主義」を守り、拡充させよう、という論調はしばしば見られる。
それが「左翼」の主張であり、「何となく左翼(サヨク)」の気分だ。
このような主張・気分は、丸山真男の上の文章に明確に示されているように、共産主義・日本共産党に対する「寛容」さを内包している。
共産主義・日本共産党に完全に同調しないとしても、それよりも「軍国主義」勢力・「保守反動」勢力の拡大による<戦前のような日本>の復活・「戦争ができる」国家の復活の危険を重視し、そのためには日本共産党と闘うどころか「共闘」することすら容認するのが「左翼」・「何となく左翼」だ。
「左翼」の中核に日本共産党はいる。その周辺に、自覚的・意識ではないにしても、幅広く厚い<容共>層がいるのが、日本の「左翼」陣営の特徴だ。
かつて自民党政権時代に、『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズム』(1990)というおそらく唯一の研究書を刊行した上野千鶴子は、マルクス主義者または親マルクス主義の立場の者だから当然だろうが、日本共産党を含む野党の対自民党統一戦線の結成を主張していた。
上野千鶴子ほど明確にではないにしても、岩波や朝日新聞系の知識人・論壇人の中には、日本共産党よりも<保守>政党(従来だと自民党)を嫌う、共産党の力を借りてでも自民党政権を倒したいと考えていた者が多かった、と思われる。
むろん、マスコミ従事者や一般国民においても<民主主義対全体主場(=保守反動)>という何となくのイメージを持っている者が多いから(それはかつての戦争の性格を含む歴史認識・それに関する教育に深く関係するがここでは触れない)、<反自民党>気分は一気に2009年の民主党内閣の成立に結びついた。
日本共産党を批判したこともあり、そのゆえに日本共産党から攻撃されたこともある丸山真男だが、上のように、日本共産党を「民主主義」の側に位置づけ、<全体主義・軍国主義>傾向にむしろ重要な危険性を感じるという意識・気分(論者によってはイデオロギー)は、今日でもなお強く残存している。
丸山真男とはまさに戦後進歩的知識人の代表者であり、「戦後左翼の祖」の一人と言ってよいだろう。
上のような対立軸をかりに設定するとしても、共産主義・日本共産党を「民主主義」の側に位置づける、という馬鹿なことをやめ(させ)なければならない。
むしろ、共産主義・日本共産党の「反民主性」・「反自由主義性」こそを強く、いや最大の対立軸として、主張し続けなければならない。
そのような<反共>を最大・最重要の旗印として掲げるのが、私の理解する言葉の意味での<保守>だ。
こういう意味で<保守>概念が使われないとすれば、別に言葉ごときに拘泥はせず、「平等」教・「共産」教に対する<自由>主義と表現してもよい。
ともかく、<容共か反共か>、これが今日の最大・最重要の対立軸だ、と考えられる。この対立軸の設定は、決して時代遅れ、あるいは決着済みのものでは全くない。
この点が明瞭ではない論者、評論家、月刊雑誌等の論壇類は、「保守」概念をめぐっても含めて、混乱するか(あるいは混乱を持ち込むか)、少なくとも現在の日本と日本国民にとって適切な方向・指針を示すことができないだろう。
- 2007参院選
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