一 屋山太郎の発言を記録に残しておく。
8/30総選挙の投票日前、産経新聞8/27付「正論」で次のように書いた。
①「今回の総選挙の意義は官僚が政治を主導してきた『官僚内閣制』から、政治家が政治を主導する『議会制民主主義』に変われるかどうかに尽きる」。「…より熱心に脱官僚政治、天下りの根絶を主張している民主党が政権をとったときの方が期待できる、と私は考えていた」。「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
同じく投票日直前発行の月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25でこう書いた。
②「今回の選挙の最大のテーマはこれまでの官僚内閣制をやめて、正真正銘の議院内閣制を確立できるかどうかである。重ねていうが、官僚内閣制の存続を許すかどうか、議院内閣制を選ぶかの『体制選挙』なのである」。「『体制選択』のバロメーターは『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心かである」。
民主党政権成立後の産経新聞9/17付「正論」欄でこう書いた。
③「民主党政権誕生によって、明治以来続いてきた『官僚内閣制』がいよいよ終わろうとしている。官僚内閣制は官僚が良かれと思う政治が行われることで、民意を反映した民主主義とは根本的に異なる。民意を汲み上げることを日本ではポピュリズムと非難する。しかし民意とほとんど無関係に政治が行われていることを国民が実感したからこそ、自民大敗、民主圧勝の答えを出したのではないか」。「民主党の『官僚内閣制』から『議会制民主主義』へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている」。「日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ」。
同じく、月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23でこう書く。
④「鳩山政権誕生とともに…事務次官等会議が廃廃止された」。「明治の『官僚内閣制』を象徴するシステム」の存続は「日本は純然たる民主主義国ではなかったこと」を意味する。「自民党支持者のほとんどはそもそも国家経営の基本が間違っているという自覚がなかった。大衆は賢明だったというべきだ」。
二 屋山は、総選挙の最大争点は(平たくは)「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと書き、あるいは「官僚内閣制」か「議会制民主主義」かだ、と主張してきた。そして、民主党勝利・民主党政権誕生を歓迎し又は当然視し、「大衆は賢明だったというべきだ」とする。
この近視眼的な争点設定・評価に対する批判はすでに書いた。
あらためて別の書き方をすると、第一に、この人は、「政治」の一端には詳しくても<政治思想・哲学>・<社会・経済思想>に関する教養・知識は乏しいのではないか。第二に、そもそも、コミュニズム(共産主義・社会主義)あるいは中国・北朝鮮(の存在)をどう評価しているのか、不明だ。そして、第三に、この人が現在目指す最大の価値は「民主主義」になっていると見られる。それでよいのか。
屋山において、価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある、と感じる。
屋山は、だが、こう書いていた。-「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
民主党の政策には「外交・安保」等々多くの問題があるが、最優先されるべきは、「議会制民主主義」の確立だ、と言うのだ。
以下、この点に論及する。
三 民主党(政権)が自民党(政権)と異なり、「議会制民主主義」の確立に向かう、と観るのは、幻想だと思われる。
第一。この概念は議会(国会)と政治・行政の関係に関するものだ。したがって、<政治・行政>の内部でいかに「政治(家)主導=官僚排除」となっても、それは議会制民主主義の基本問題ではない。副大臣・政務官は、国会議員が同時に広義の<行政官僚>になった、と理解すべきものだ。
「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない。
第二。民主党政権下における<議会制民主主義>の軽視・無視の徴候はすでに見られる。
①「議員立法」を(民主党議員については)廃止するとか。これは、憲法に違反すると解される。
②衆議院では(参議院でも)民主党は政府に対する「代表質問」をしなかった(参議院では与党社民党の質問はあった)。これは、政治・行政(=広義の「行政)」の中に民主党議員(政治家)が入っているので無意味という趣旨なのだろうが、国会と政府(政治・行政)間の良好な緊張関係をなくすもので、国会軽視だと考えられる。
その他、<議会制民主主義>の問題ではなく、「政治(家)主導=官僚排除(脱官僚)」の問題だが、次の現象も―周知のとおり―生じている。
すなわち、屋山太郎は争点は「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと説いたが、日本郵政(株)の社長人事は、「天下り」した元(財務省)官僚の「渡り」そのものではないか?
屋山に問いたいものだ。
①「天下り」・「渡り」禁止は退官後いつまで通用するのか。まだ5年では禁止され、15年経っているともう適用されないのか?
②退官後の期間の長短にかかわらず「有能」で「適材適所」ならよいのか。客観的資料(報道)を引用できないが、鳩山由紀夫(首相)か平野博文(内閣官房長官)は「民主党の政策を支持する(=~に服従する)」元官僚ならばよい、とも述べていた。これでは、せっかくの<「天下り」・「渡り」禁止>も泣く。実質的な基本政策放棄だろう。
③日本郵政(株)はかつての公社・公団等、今日の独立行政法人等々に比べて<公的>性格の弱い会社だから、今回の人事は許されるのか? だが、民営化方針を見直し、今後は<公的>性格を高めるというのだから、この理由は成立し難いのではないか。
おそらくは、屋山太郎の期待・願望に反する事態がこれからも発生してくるだろう。
<「天下り」・「渡り」禁止>問題自体になお議論すべき余地があるが、この問題はいずれにせよ、まだマイナーな問題だ。
四 民主党政権下で生じそうなのは、<議会制民主主義>の確立・充実ではなく、国会と政府の一体化、つまりは、ますますの<行政国家>化ではないかと思われる。「行政国家」概念を屋山が知らなければ、政治学・行政学の辞典・教科書でも参照されたい。この現象は、(あいまいな言葉だが)民主党(小沢?)「独裁」につながっていく可能性がある。
あるいは、鳩山由紀夫(首相)は<市民参加>を肯定的に評価し、推進したい旨を喋っているが、これは議院内閣制=議会制民主主義=代表制民主主義とは矛盾しうる、<直接民主主義>の要素の拡大を肯定することでもある。
かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない。