〇桑原聡が月刊正論(産経)の編集長になったのは、2010年12月号からだった。それから3年、古本で求めた月刊正論の11月号の末尾を見て、思わず心中で快哉を叫んだ。編集長執筆欄によると、桑原は「この号をもって編集長を退任」する。後任が川瀬弘至でなければ、安心して月刊正論の新刊本を毎月初めに購入できそうだ。

 この交代は桑原の何らかの「責任」が社内で問われたのではなく、定期の人事異動のようなものと思われる。だが、この3年間で、同じ保守派月刊雑誌・月刊WiLL(ワック)との比較において、月刊正論が販売部数=読者数で完全に負けるに至った。完全に、決定的に引き離されてしまった。正確な時期の記憶はないが、以下に紹介しておくようなコメントを書く前にすでに月刊正論の内容が何となく(違和感を感じる方向へと)変わったと感じたことがあった。その印象と桑原聡の「編集方針」は無関係ではないのではないか。

 〇桑原聡は同欄で、「保守のみなさん、…、内ゲバのような貶し合いは左翼にまかせ、おおらかに共闘していきましょうよ」、と書いている。

 この文章には甚だしい違和感を持つ。よくぞ言えたものだ、自分こそが「おおらかに共闘しよう」という姿勢でもって編集してきたのかどうかを、厳しく総括し、反省すべきだ、と感じる。
 この点の詳細は別の機会にもう一度書くだろう。きちんとした再確認を必要としない以下のことだけを、とりあえず書いておく。

 第一。私によれば、「反共」は「保守」であるための不可欠・重要な要素だ。八木秀次は橋下徹を「素朴な保守主義者」と評し、「保守」派であることをほとんど誰も疑わないだろう(但し天皇観を疑問視する者もいる)石原慎太郎は橋下徹とともに同じ政党の共同代表になっている。私の見るところでも、橋下徹は明白な「反共」主義者であり、明確に反日本共産党の立場でいる。だからこそ、二年前の大阪市長選において、日本共産党(大阪府委員会)は自党の候補を降ろしてまで、民主党・自民党(大阪市議団)等が推した当時の現役市長・平松某を支持し、その幹部は<反ファシズム統一戦線>だ、とまで言ったのだった。

 しかるに、桑原聡編集長の月刊正論は適菜収に「橋下徹は保守ではない」との巻頭論文を書かせ、自らは橋下徹を「きわめて危険な政治家」だと思うと明言し、「日本を解体しよう」としているとまで明記した。かりに適菜収も桑原も「保守」だとして、このような編集方針および編集長自身の考え方自体が橋下徹との間での<保守の中での内ゲバ>そのものであり、あるいは少なくともそれを誘発したものであることは明らかだろう。何が「保守のみなさん、おおらかに共闘しましょうよ」だと言いたい。大笑いだ。

 しかも、適菜収は別の雑誌上で、安倍晋三を「バカ」呼ばわりしたうえで(橋下徹憎さのあまり?)自民党が日本維新の会と共闘するくらいなら憲法改正に反対すると明記したのだから、少なくとも憲法改正問題に関するかぎり、適菜収は日本共産党や朝日新聞と同じく「左翼」だ。桑原聡は自らは「保守」だと意識しているようだが、そのような適菜収を重用し続けたかぎりにおいて「左翼」に加担したことになるのではないか。

 桑原聡は「自信をもって」「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、とも同欄で書いている。瑣末な揚げ足取りのようだが、<天皇のもとでの共産制>を夢想し、構想した者は戦前にもいた。

 第二。正確な確認をしないまま記憶に頼って書き続けるが、桑原聡編集長時代の月刊正論は、「保守」であると考えてよいと思われる田中卓に対して罵詈雑言を浴びせる(と評してよい)論文を掲載している。そしてそれ以来、田中卓の弟子筋だとされている所功に対しても冷たく、所功を末尾近くの「読者欄」または「投稿欄」の書き手として(素っ気なく?)遇したことがあるが、所功の論文を掲載したことはないはずだ。
 所功は「左翼」だと位置づけているのならば理解できなくはない。だが、所功を「左翼」と評することはおそらく間違いなくできない。そうだとすれば、桑原聡編集長時代の月刊正論は、「保守」の中の対立の一方に立ち、まさしく<保守の中での内ゲバ>を展開したのではないか。

 編集部員の川瀬弘至は自らを「真正保守」と考えているようだが、読者への回答欄で「日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には、我々は異見を潰しにかかります」と書いたことがあった。かかる姿勢は傲慢であるとともに、<保守のおおらかな共闘>の精神とは真逆のものだと思われる。すなわち、いかに「保守」派の者の意見でも一定の場合には「潰しにかかる」という意味を含む意気込みを示しており、<保守のおおらかな共闘>などは考えていない書きぶりだ、と感じる。そして、桑原聡編集長はこの川瀬の文章を何ら修正することなく掲載させたと見られる。

 何が「保守のみなさん、おおらかに共闘しましょうよ」だ。自らの編集方針・編集意図を冷静に振り返っていただきたい。

 〇「保守」の「おおらかな共闘」は私も強く望むところだ。しかし、桑原聡編集長時代の月刊正論こそが、これに反する編集方針・記事の構成をしていたことは、以上の二点の他にもあったと感じている。再確認のうえで、別に機会をもちたい。