○ 前回に続ける。佐伯啓思「『天皇』という複雑な制度をめぐる簡単な考察」(隔月刊・表現者2009年9月号)はついで、元来の「すめらのみこと」を意味する「天皇」という語自体が「中国からの影響のもと」にある。しかし、中華秩序からの自立を意味したもので、中国とは異なって「世襲による王権であることを明示」したものだった、ということを述べている。
再び、左翼的な「王権」という概念が使われていることが気になるが、より気になるのは以下だ。
佐伯啓思は、「『記紀』による天皇の神格化」と簡単には叙述し、世襲の「日本の王権の特質」の一つは、「神話」による「政治的正当性」の確保だった、と述べている(p.71)。
明記はしていないし、紙数の制限により厳密な叙述はしていないと釈明または反論される可能性はあるが、まるで、記紀=日本書記・古事記全体が「神話」の叙述だという理解を前提にしているような書きぶりだ。
佐伯はむろん「単純左翼」ではないので、①「左翼的意味」で天皇の正当性は「でっちあげられた神話に過ぎない」と言っているのではない、②「神話」は歴史学者のいう「事実」ではないが、「一国の文化的事実」だ、と書いている(「不可欠でそれなりによくできた発明だったと受けとめなければならない」とも言う)。
だが、「神話」と「記紀」の二つについての正確な叙述がないので、後者全体が「神話」だと理解していると思えなくもない。
日本書記は明らかに「神代」と神武天皇以下を区別しているし、古事記の中・下巻が神武天皇以下推古天皇の時代までの叙述になっている。
むろん連続はしているのだが、「記紀」の作者または伝承者においては、神武天皇以前または古事記の上巻のみが「神話」=「神」をめぐる物語と意識されており、それ以降は少なくとも主観的には歴史的な事実だと理解されていたのだ、と私は理解している。
推古天皇(古事記)または天武天皇や元明天皇(日本書記)、そしてこれらの天皇の時代は執筆者・伝承者にとってはほとんど当時における近現代のことであり「客観的な事実」のつもりで書かれたのだと思われる。
むろん、客観的な歴史的事実とは異なる叙述も時代より古くなればなるほど含んでいるだろう(場合によっては「作為」も)。しかし、神武天皇以降の叙述は、主観的には決して「神話」ではなかったはずだ、と思われる。
上のような趣旨が、佐伯の文章からはまるで伝わってこない。「そこに神話が生じる。『記紀』による天皇の神格化である」、という部分などは、繰り返すが、記紀の全体が「神話」だと理解しているごとくだ。こんなことを書くのも戦後の歴史学・戦後教育において日本書記・古事記の全体=とくに世襲天皇を美化・正当化するための「神話」で<ウソ・でっちあげ>という言説が一部には有力にあり、そのような教育等の影響を-「神話」の理解は同じでないとしても-佐伯も受けているようにも思えるからだ。
些細なことかもしれない。だが、「日本的なるもの」という語をやたら使っている佐伯啓思の諸文章において、天皇も記紀も(いわゆる日本神話も)ほとんど言及されていないのであり、そして天皇に関する「物語」をこの人は十分には知らないのではないか、少なくとも大きな関心を持ってはいないのではないか、という疑いを持たせる。
○佐伯啓思は新潮45今年7月号(新潮社)の最後に、「本当にわれわれが支柱にすべき価値」、「日本人にとっての価値の基軸」について「今後、何回かにわたって」模索してみたい、と書いている(p.334)。
同誌の今年12月号の佐伯の連載のつづきは橋下徹と石原慎太郎批判で、この二人をそれこそボロカスに批判しているが、「日本人にとっての価値の基軸」の探求といかなる関係にあるのかは分からない。
8~11月号も所持はしているので、佐伯における「模索」の内容を別の機会に確認してみよう。
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