〇すでに批判的に言及した月刊正論9月号巻頭の櫻井よしこ論考(談)を、産経新聞8/21の「論壇時評」で、石井聡は、こう紹介している。
 「『菅災』が大震災や原発事故対応にとどまらず、外交面でも国益を大きく損なったと批判するジャーナリストの櫻井よしこは『希望がないわけではありません』という〔出所略〕。民主、自民両党の保守系議員らが『衆参両院の各3分の2』という憲法改正の高いハードルを2分の1に下げることを目指す『憲法96条改正を目指す議員連盟』で既成政党の枠を超えた活動を始めており、これが日本再生への起爆剤となると期待しているからだ。/同時に櫻井は『不甲斐ないのは自民党現執行部』と、菅の延命を見過ごした野党第一党の責任を問うている。谷垣禎一総裁の下で『相も変わらず、元々の自民党の理念を掲げていない』と憲法改正に取り組む熱意の薄さを批判し、民主党政権と『大差のない政策しか提示し得ていない』と言い切る」。
 以上が全文で、「時評」と掲げるわりには論評部分はない。
 この石井聡や最近に吉田茂の「軍事参謀」だった辰巳栄一に関する著書(産経新聞連載がもと)を刊行した湯浅博等々のように、産経新聞社内には、屋山太郎や某、某等々の知名度はよりあると思われる者たち以上の知見と文章力を持った論客がいると、とくに最近感じているのだが、上の後半部分、とくに櫻井よしこが自民党は「民主党政権と『大差のない政策しか提示し得ていない』と言い切」ったことについて石井聡は、あるいは産経新聞編集委員たちは、どう評価しているのかを知りたいものだ。
 産経新聞は民主党を厳しく批判してきたが、自民党を積極的に支持してきたわけでもなさそうだ。それは、産経新聞が自民党の機関紙のごとく世間的に印象づけられることが経営的にもマズいと判断しているからかもしれないが、よく分からない。
 だが、もともと産経新聞は自民党よりも「右」だという印象を持つ者も少なくはないだろう。一方また、西部邁や西尾幹二のように、産経新聞に対する批判を明言する「保守」派論者もいる。
 ともあれ、櫻井よしこに対する遠慮などをすることなく、個人名であるならば、自民党は民主党と「大差がない」という櫻井の理解が適切なものかどうかくらいにはもう少し立ち入ってみてもよかったのではないか。日本の今後にとっても基本的な論点の一つだろうから。
 〇産経新聞の8/14社説は「非常時克服できる国家を」等と題うち、菅直人政権の非常時対応について、こう書いた。
 「戦後民主主義者が集まる国家指導部は即、限界を露呈した。緊急事態に対処できる即効性ある既存の枠組みを動かそうとさえしなかったからだ。安全保障会議設置法には、首相が必要と認める『重大緊急事態』への対処が定められているが、菅直人首相は安保会議を開こうとしなかった。重大緊急事態が認められれば、官僚システムは作動し、国家は曲がりなりにも機能したはずである」。
 菅政権を「戦後民主主義者が集まる…」と規定していることも興味深い(誤りではないだろう)。さらに、菅首相(当時)の「不作為」として、安全保障会議設置法にもとづく同会議の招集の不作為のみを挙げ、一部?に見られた、①災害対策基本法による<緊急政令>発布の不作為、②武力攻撃事態等国民保護法の震災・原発事故への適用の不作為、を挙げていないのは、私と同じ適切な法的理解に立っているように思われる。このような社説(産経の「主張」)の中でこれらの①②も問責していれば、おそらく産経新聞は大恥をかいていただろう。
 さらに遡るが、但木敬一(元検事総長)は産経新聞7/27でこう論じていた(一部要約)。
 ・内閣法6条は「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」と定めるが、同法5条の1999年改正により閣議を内閣総理大臣が主宰する旨の規定に、「この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」という文言が追加された。
 ・菅直人首相が「特に7月13日、官邸に記者を集め、脱原発を提唱したのは、内閣法の精神にもとるように思われる。エネルギー政策の転換は、国民生活、経済活動に幅広く、かつ深刻な影響を与える。従来の内閣の方針に明示的に反する政策の大転換は、まさに『内閣の重要政策に関する基本的方針』そのものではないのか。各国務大臣がそれぞれの観点から複眼的に閣議で論議すべき典型的事例であり、閣議を経ずして総理が独断で口にすべきことではない」。
 このように但木は、菅による「脱原発」との基本政策の表明を、内閣法(法律)違反ではないか旨を述べている。
 首相のあらゆる言動が(浜岡原発稼働中止要請も含めて)閣議による了解(または閣議決定)を必要とするかは、上の内閣法6条「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」の射程範囲の理解または解釈にかかわる議論が必要だし、すでにあるものと思われる。「内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議」する権限が、「重要政策に関する基本的な方針」の決定・表明に関する<義務>なのかどうかも議論する余地はなおあるだろう。
 むろん政治的・政策的な検討や議論はなされてよいのだが、上で指摘しているのは「法的」検討の必要性であり、「法的」論点の所在だ。
 菅直人による(閣議を経ない)浜岡原発稼働中止要請や(閣議を経ない)「脱原発」基本政策表明がはたして法的にあるいは法律上許容されるのか、という問題があるはずなのだが、産経新聞の阿比留瑠比も含めて、どの新聞社の政治部記者たちも、そうした法的問題があるという意識自体をほとんど欠落させたままで日々の記事を書いているのではないか。これはなかなか恐ろしい事態だ、というのが先日に書いたことでもある。