1.月刊正論12月号(産経新聞社)内をいくつか読んでいて、とくに中西輝政論考によってだろうか、尖閣諸島に非正規の中国実力部隊とともに多数中国人が上陸し始める、海上保安庁は、あるいは自衛隊は何をできるか、中国の正規軍(・軍艦)が(中国にとっての領海内に)入ってくる、という事態や問題が現実になりうるようで、いくぶんかの戦慄を感じざるをえない。

 2.月刊正論12月号は西部邁、中西輝政、西尾幹二、櫻井よしこの4人揃い組。これに渡部昇一、佐伯啓思あたりも加わっていれば、<保守>論者の大御所のオン・バレードだ。多少は皮肉も含まれており、似たような名前がいつも出てくるなぁ、と思いもする。

 <左翼>の側には、いろいろな戦線・分野で、いろいろな幅をもって、もっと多様な書き手、論者がいるのではないか。どうも心許ない。

 といったことを書いている余裕は本当はないのかもしれない。

 3.よく見る名前だが、<尖閣>または<9・24>をテーマとする論考に、主張内容の違いがあるのが分かる。むろん、基本的なところでは(対中国、対民主党政府等)、一致があるのだろう。だが、現在において何に重点を置いて主張したいかが論者によって同じではない。
 頁の順に、巻頭の西部邁「核武装以外に独立の方途なし」(p.33)は、タイトルに主眼があり、アメリカへの不信感を述べつつ、「自分らの国家を核武装させ、…他国への屈従から逃れてみせるしかない」と主張する。その過程で、「日米同盟の強化なしには尖閣の保守もなし」と唱える言説は、「いわゆる親米保守派」のそれで、「本当の噴飯沙汰」と明記している(p.36)。
 中西輝政「対中冷戦最前線、『その時』に備えはあるか」(p.48~)は、中国による「実際の軍事力の行使」=「危機の本番」は「年末から年明けにも」と予想する(p.50)。詳細には触れないが、具体的な想定等には、冒頭に記したように、戦慄と恐怖を覚えるところがある。

 中西によると、「日本人の精神の目覚め」を阻止するための、中国による「対日世論工作」が今後、活発化する。より具体的には、①「反米基地闘争」の「さらなる高揚」による「日米同盟」関係の「離間」、②「日本の言論界そのものに対する統制」、③与党・民主党に「親中利権派議員」を大量に作ること、だ(p.54-55)。

 ①~③のすべてがすでにある程度は、②に至ってはすでに相当程度に、奏功しているのではないか。

 中西輝政がまとめ・最後に述べるのは、次のようなことだ。

 <「民主主義」や「人権」は中国(・共産党)の「最大の弱点」なので、「同じ民主主義体制の国々」とともに中国にこれらの重視を対中政策の第一とすべき。「中国の民主化」という「人類社会」の「大義」に向かって協力するのが重要で、それは「大きな武器」になる。>(p.56)

 西部邁のいう「親米保守」派に中西輝政が入っているのかどうかは知らないが、中西輝政も憲法改正や核武装論に反対ではないだろうにせよ(むしろ積極的だ)、西部邁と中西輝政では、同じ状況・時期における具体的な主張は同じではない、と理解せざるをえないだろう。

 西尾幹二「日本よ、不安と恐怖におののけ」(p.74-)は、中国の分析、日本のマスメディア批判のあと、日本人の精神の対米従属性(+アメリカは本気で尖閣を守る気はない)を嘆いて終わっている。いわく-「この期に及んで自分で自分の始末をつけられない日本国民」をアメリカ人は「三流民族」だと見ているだろう、「否、…私も、日本国民は三流民族だとつくづく思い、近頃は天を仰いで嘆息しているのである」(p.81)。

 西尾のものは、同感するところなきにしもあらずだが、一種の精神論のごときで、最もリアリスティックなのは中西輝政の論考だ。西部邁は<核武装>に至る、または<核武装論>を議論するに至る、必要不可欠の過程を具体的に示してもらいたい。今どきのこの主張は、正しくとも、時宜にはかなっていない<空論>になるおそれが高そうに見える。

 もっとも、佐伯啓思ならば決して書きそうにない中西輝政の最後の主張も、正しくとも、やや綺麗事にすぎる、あるいは、米国も欧州諸国もそれぞれの国益を最優先するとすれば、多少は非現実的なところがあるかもしれない。「民主主義」と「人権」の主張の有用性・有効性を否定はしないが、はたして現実に<自由主義>諸国はそのように協力してくれるだろうか。

 中西輝政論考のポイントはむしろ、究極的(最終的)には<自衛隊の「超法規的」な軍事行動に期待するしかない>という想定または主張にあるように思われる(p.53-54)。

 4.上の三人ともに現民主党政府に批判的だろうが、誰もひとことも書いていないことがある。

 それは民主党(菅直人)政権を変えて<よりましな>内閣を作る、という、核武装や憲法改正よりも、現実的な論点・課題だ。

 朝日新聞の社説ですら、菅直人への首相交代時に<できるだけ早く>国民の信を問う(=総選挙する)必要性を(いちおうは)書いていた。

 尖閣問題への対応を見ても、この内閣が<左翼・売国>性をもつことは、ますます明瞭になっている。

 参加しないで言うだけするのも気が引けるが、10/02と10/16の二回の集会・デモのスローガンはいったい何だったのだろう。その中に<菅内閣打倒!>・<売国政権打倒!>・<即時総選挙実施!>などは入っていたのだろうか。

 現実的には、対中「弱腰」以上の、「親中」・「媚中」以上の<屈中>政権をこれ以上継続させず、外務大臣も官房長官も代えることの方が具体的な<戦略>だと思われる。そのためには、総選挙を!というムードをもっと盛り上げていく必要があるのではないか。

 いわゆる<政権交代>からもう一年以上経った。今の内閣が現在の<民意>に添ってはいないこともほぼ明らかだ。マスコミの主流は現内閣の困惑と混迷ぶりばかり報道しているようで、かつ産経新聞も含めて、<あらためて民意を問う>必要性を何ら主張していないのではないか。非現実的なのかもしれないし、上記の三人もそのように考えているのかもしれない。しかし、重要なこと、より現実的に必要なことは、やはり(憲法改正等と同等に)主張し続けなければならない、と考える。

 <左翼・売国>政権打倒!という表現では過半の支持は得にくいかもしれないが、形容・表現は極端に言えば何でもよい、現在の民主党政権を一日でも早くストップさせ、<よりましな>政権に変える、このことがとりあえずは日本の将来と現在の国益に合致している(もちろん国民の利益でもある)、と考えるべきだ。