1.月刊正論5月号(産経新聞社)が表紙に掲げる「総力特集」は「民主党よ、どこまで日本を壊したいのか」。「日本」と「壊」だけは赤文字になっている。
 上の文の意味は私は解るが、少なくとも民主党・代表(首相)の鳩山由紀夫(その他の民主党の主流派の面々)には理解不可能ではなかろうか。
 「日本を壊」そうなどとしていない、とムキになって反論してくるのならまだマシだが、「日本」などという(偏狭な・排他的な)国家意識をこそ民主党は破壊して、「国民」ではない「(地球)市民」による共生の社会を目指そうしているのだから、「日本を壊し」てどこが悪いのか、むしろ「日本を壊したい」のだ、と開き直るのではないか。
 そういう人物には、月刊正論の表紙の言葉は、馬に念仏、蛙のツラに何とか、とやらで、何ら心に響かないと思われる。編集者を批判しているのでは(必ずしも)ない。言葉・文章でもって議論なり説得なりをしても、決して判らない、納得しない人々もいる、ということだ(判り、納得して<反省>する人が皆無ではない、ということを否定はしないが)。
 2.さて、最近の各号についての通例として、まず、竹内洋「続・革新幻想の戦後史」を読む(p.254~)。
 小田実が「新手の右」と思われていた時期もあった(またはそう思っていた人も一部にはいた)こと、石原慎太郎は60年安保の頃、「江藤淳や大江健三郎などと『若い日本の会』をつくって安保改定反対の行動をしていた」こと(p.256)などは、初めて知った。
 全体としては、竹内の小田実との接触(?)体験の叙述等が生々しく記憶に残る一方で、「小田実」は「鬱と躁」をかけめぐった、というまとめ方(p.254、p.263)はあまり面白くない。個人の「心理」・「情緒」の揺れに焦点を当てて、「戦後史」全体につなげられるのだろうか、と思いもする。
 ともあれ、いずれ単行本になるだろう。まとめて読んでみたい。

 3.いくつかを一部ずつ読んだあと、石川水穂「マスコミ走査線」の連載(p.162~)。多数の新聞等をすべて読むことはできないので、こういう記事(?)は重宝する。
 これによると、高校授業料無償化につき朝鮮学校も対象とするかという問題については、全国紙社説等で朝日・毎日・読売は賛成、産経のみが反対または疑問視らしい。

 これでは全国紙レベルでは(そしておそらく地方紙も)、<世論>の勝敗はほとんど明らかだろう。青木理は週刊現代4/10号で、「日本ではまたぞろ憂鬱極まりないニュースが飛び交っていた」などと述べて産経新聞(だけ?)の主張を大きく受け止めて、感情的に反発する文章を書く必要はないのではないか。
 4.前回言及した筆坂英世の本には、日本共産党機関紙「赤旗」(日刊)の発行部数は<約130万に落ちた>旨の文章がある。
 週刊現代4/10号p.54、p.56によると、「大手」新聞各社の2009年下半期の発行部数は以下のとおり(()内は前年比?)。

 ①読売1001万(+)、②朝日801万(-14000)、③毎日373万(-96000)、④産経166万(-460000)(日経の数字は紹介されていないようだ)。
 これを信じるとすると、産経新聞の166万は、日本共産党「赤旗」130万と、あまり変わらないではないか。
 新聞では産経新聞、月刊政治(総合)雑誌では月刊正論、だけを読んでいたのでは、<KY>になりそうだ(日本国民全体の<空気は読めない>)。
 もちろん、その<空気>に、産経新聞社記者・山本雄史のかつての見解のように、<従う>必要はまったくないのだが。
 今回の文章は産経新聞(社)に対する嫌味に満ちていると感じられるかもしれない。

 5.次いで、竹田恒泰「政治家が『大御心』を語る危うさ」(p.208~)。

 これに書かれている天皇陛下等の「お考え」はおそらくは事実に相違ない、と私は感じた(つまり<女系容認>というご意向を「忖度」できない)。
 タイトルでは「政治家」になっているが、この文章の最後は、「政治家や官僚、そして学者や言論人までもが自由に天皇の大御心を語り、…を正当たらしめようとすることを、国民は許してはいけない」、だ。
 小林よしのりの名は一言も出てきていないが、最近の小林よしのりの論に対する明確な批判になっている(と感じた)。