〇先日、日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)の日本語部分を全読了。
 
 いくつか「南京大虐殺」否定論・疑問論の本を読んできたが、これが最も簡潔で、わかり易い。
 中身とは直接関係はない問題は、執筆者が必ずしも明瞭でないことだ。日本会議国際広報委員会編というからには「日本会議国際広報委員会」は編者にすぎない。また、表紙に竹本忠雄・大原康男の二人だけの名前が出ていて、本文中にも出てくるが、竹本忠雄は「序言」の、そして大原康男は「結語」だけの執筆者として氏名が記載されているのだろう。そうすると「序言」と「結語」以外の狭い意味での本文は誰が書いたのかが疑問になるが、「編集委員」として、以下の者の氏名が扉裏に記載されている。
 竹本忠雄、大原康男、椛島有三、伊藤哲夫、岡田邦宏、野間健、江崎道明、北川裕子
 おそらくこれらの人々が共同して執筆した、ということなのだろう。だが、最終的な責任者又は執筆代表者(編集代表者)が誰かくらいは特定しておいてほしかったものだ。厳密には、細かな表現まで(論旨・骨子はともあれ)八人が揃って一致するということはありえないと思われる。
 〇いわゆる「南京大虐殺」の責任をとって(とらされて)「A級戦犯」とされ、「東京裁判」の結果として刑死したのが松井石根だった。
 この「東京裁判」については現在まで、種々・多様な議論がある。だが、朝日新聞の社説子はそんなことを知らないか、知っていても無視しているようだ。
 朝日新聞8/19の社説では<無宗教の国立の追悼施設>の設置を、「政権選択選挙という絶好の機会に議論を深め、今度こそ実現させてもらいたい」と明言した。民主党(中心)政権実現のついでに(?)<反靖国>主義も徹底・完成させたい、という執念に満ちた願望をあからさまにしているわけだ。この社説の中に、つぎの文章がある。
 「靖国神社には、東京裁判で日本の侵略戦争の責任を問われたA級戦犯が合祀(ごうし)されている。」
 ここでは「東京裁判」の合法性・正当性等を問題にする姿勢を欠片も感じることができない。「東京裁判」が「侵略戦争」の「責任」を問うたことに疑問を挟まず、「A級戦犯」を(当然のごとく?)「犯罪者」扱いしているわけだ。
 上のように簡単に書いてしまえる朝日新聞の社説執筆者の神経を疑う。<狂っている>のではないか。占領史観・東京裁判史観を本当に100%「信じて」いるのだろうか。
 ついでに、上の文の次には以下の文がつづく。
 「A級戦犯が合祀(ごうし)されている。だからこそ、昭和天皇も現天皇も、その後は参拝していない。」
 敬語がないのも気になるが、このように断定してよいかはなお十分に疑問とする余地がある。いわゆる<富田メモ>が話題になったが、上のように「だからこそ」と確定的に書いてはいけないだろう。朝日新聞による一種の情報操作だ。また、かりに<富田メモ>が昭和天皇に関する真実を伝えるものだったとしても、今上天皇も昭和天皇と同一のご認識であるとの証拠はどこにもないのだ。
 短い上の文章にも、朝日新聞の<いやらしさ>は透けて見える。
 〇民主党(中心)政権誕生が確実ということで、朝日新聞は小躍りし、舞い上がっているのではないか。
 8/24の社説では、横浜市立中学校の約半数で来年春から自由社版の歴史教科書を使うことが決まったことにケチをつけている。
 横浜市で採択されたとしても、育鵬社版を含めても全国的にはまだ1%以下の採択率ではないか。ごく僅少だが、それでも朝日新聞の社説子は気にくわないようだ。
 ナチス・ファシズム、ソ連等・コミュニズム下において、<秘密警察>は猜疑心をもって、ほんの僅かな、又は小さな<反体制>言動でも調査し、弾圧(逮捕等)をした、という。発想において、朝日新聞も<左右の全体主義>も似ているところがあるように見える。
 しかも、上の社説は、特定の人物を批判・攻撃する内容のものだ。ターゲットにされているのは、前教育委員の一人で、現在の教育委員会委員長の今田忠彦。
 この欄のようなブログではない、数千万の読者をもつ新聞の社説が、<(特別職)公務員>にあたるとはいえ、首相でも大臣でも知事・市町村長でもない人物を名指しして、批判しているのだ。
 知事や市町村長ですら、その名前が朝日新聞の社説に登場して批判されることはほとんどなかっただろう。その意味では異様な社説だ。

 「新しい歴史教科書をつくる会」系列の教科書に対する、これまた執念の如き、猜疑心に溢れた、敵愾心が、朝日新聞には宿っているのだろう。

 こんな新聞社に後押しされた政権は怖ろしい。また、朝日新聞よ、慢心するな、と言いたい。