阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(2008)-7。
 第Ⅱ部・第6章
 〔2〕「近代の鬼子? 
フランス革命
 E(p.197~199)
 マルクスは「市民社会」=「ブルジョア社会」とし、「人間の労働」は不可避的に「プロレタリアート」階級を生み出すとした。マルクス主義の影響を受けて、フランス革命の未来に「第三身分」の解放に続く「第四階級」(プロレタリアート)のそれを予想する者もいた。「人権と民主主義」は「階級対立のない、万人が自由で平等な、同質の社会」で初めて実現される、それはフランス革命の「やり残したこと」だ、とも考えられた。
 しかし、フランス革命は「恐怖政治」をもたらした。R・ニスベット(邦訳書1990年)はフランス革命のしたことは「平等の名による均一化」、「自由の名によるニヒリズム」、「人民の名による絶対的で全面的な権力の樹立」だったと書いた。「恐怖政治」を「過渡的現象」で「不可避」とする能天気な論者は、「歴史に対して鈍感すぎる」か「政治的に極端なバイアス」を持っている。ここには「ブルジョア」による統治は「寡頭的」で「農民と民衆」による統治は「民主的」だとの「決めつけ」がある。
 「均質化された大衆の権力ほど、自由にとって危険なものはない」。「実体のない国民が人民として実体化され、ひとつの声をもつかのように論じられるとき、全体主義が産まれ出」る。「自由主義と民主主義」は両立し難いとの指摘はこの点を衝いている。フランス革命の過中で現れた「一般意思、人民主権、人権思想(自由と平等…)は合理主義的啓蒙思想の産み落とした鬼子だ」と割り切った方が「全体主義」の危険に陥らないだろう。
 日本の憲法教科書での「近代立憲主義の流れ」は、①イギリスの動向、②アメリカ諸邦の憲法、③アメリカ独立宣言、④同憲法、⑤フランス人権宣言(とくに16条)、⑥フランス第一共和国憲法(立憲君主制憲法)の順で叙述されることがあるが、「一連の流れ」ではなく「断絶の歴史だった」と言うべきだ。ロックとルソー、フランス革命とアメリカ革命を「同列に並べて論ずる」のは「論外」だ。
 イギリスの立憲主義は自然発生的な「地方分権」・「国民経済の発展」を基礎にして「徐々に形成」された。これが「近代立憲主義のモデル」だとしても不思議ではない。しかし、マルクス主義の強い日本ではイギリスは「資本主義誕生の国家」だったので、それを「乗り越えようとした」フランスが「近代立憲主義のモデル」として期待されたのではないか。
 〔3〕「アメリカ革命と独立宣言
 (前款最後の「アメリカはモデルになる」か?に続けて、この〔3〕が始まる。以下、フランス革命に言及する部分のみを引用又は抜粋する。〕
 ・アメリカ独立革命は「革命」性を持たず、「独立宣言」の「革命」性も強調すべきでない。「アメリカ革命と独立宣言」は「フランス革命と人権宣言」とは別種のものだ。
 ・アメリカ革命の「独立宣言」は「個別的事実の確認」。一方、フランス革命の「人権宣言」は「普遍的原理の表明」。
 ・フランス革命はなるほど「絶対主義からの解放の成功例」だったが、革命「直後」はそうであっても、「何らかの固定した組織機構」を作らず、「別の形の絶対主義を産み出し」た。追求された「公的自由」は世界初の「徴兵制をもった中央集権的国家」をもたらし、さらに何度も述べたように「恐怖政治とナポレオン」をも生んだ。(以上、p.204)
 ・L・ハーツ(邦訳文庫1994)はこう言う。-アメリカの場合、「成文憲法の制定は、…具体化された多くの機構的工夫を含めて、…一連の歴史的経験の集積の産物」で、「政治的伝統主義の真髄」だった。欧州の場合、「その逆が真実」、つまり「成文憲法の概念は、合理主義者の恋人であり、活動しつつある解放された精神の象徴」だった。(p.205)
 ・アメリカ(の英国からの)「独立」後の<建国・統一>期の指導者は「社会契約」と「憲法制定」が別物であることを明確に認識していた。「人民主権(popular sovereignty)」の「人民(popular)」は「実在」しても「多元的存在であること」、「主権(sovereignty)」は「正当性の契機にととまるべきこと」を知っていた。
 ・アメリカの「穏健的指導者たち」は「過去の歴史」のよい点を取り入れないと「新しい国のかたち」は実現不可能であることを知っていて、「憲法制定会議は、過去と未来を結びつけるための堅実な作業に従事した」。「フランスでみられた抽象的理論は意図的に避けられ」た」。(以上、p.206)
 〔以上で、とりあえず、第Ⅱ部・第6章の(とくにフランス革命論に着目した)紹介を終える。
 「実体のない国民が…、ひとつの声をもつかのように論じられるとき、全体主義が産まれ出」る、とは、今日の日本にも当てはまる警句だろう。  <国民が主人公>、<国民の皆様…>、<国民の声>等の、政党の他にマスコミもしばしば用いる標語等は笑わせるとともに、怖ろしい。〕