一 稲田朋美は、渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)のp.207-8で、現憲法1条の「象徴天皇」は「成文憲法以前の不文の憲法として確立していると見なすべき」として、憲法改正の限界を超える(改正できない)と主張する(この本については、昨年に言及したことがある。但し、上の点には言及しなかった筈だ)。
また、稲田は同書p.209で、現皇室典範(法律)1条が「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めていることに注目し、ここでの「皇統に属する…」は2条以下の「皇族」に限られないとして、現在「皇族」でなくとも、「皇統に属」しているかぎりは皇位の継承資格がある(したがって、現在の法律上では「皇族」でなくとも「皇統に属する男系の男子」が存在するかぎりは皇位継承者も存在し、皇統断絶の懸念又は皇位継承者欠如の問題は生じない)旨を主張する。
これらは憲法問題でもあるが、憲法学者であるはずの八木秀次は稲田朋美のこれらの主張に何ら反応していない。
上の点はともかく、稲田朋美の主張(解釈)はいずれも成り立つ可能性がある。もっと議論されてよいだろう。
だが、いずれも現在の通説・政府解釈ではないようだ。とくに皇位継承資格者の問題は、それが「皇族」に限られることを前提として、旧宮家一族の皇族籍復活等が論じられてもいる。
かかる現在の通説・政府解釈を前提にすると、現皇太子・秋篠宮両殿下の下の世代の男子(親王)は悠仁親王しかおられないことをふまえて、「皇族」の範囲を拡大して、皇位継承者・「皇統」の安定的確保の途を早急に検討しなければならないと思われる。この問題は、現皇太子妃殿下に関するあれこれの議論よりもはるかに重要だ。
二 さて、月刊正論6月号(産経)で八木秀次はご成婚50年記者会見(4/08)での天皇・皇后両陛下のご発言を「誰よりも保守主義を正確に理解されている」とそのままに全面的に尊重・尊敬するコメントを述べている(p.44)。
結果的には大きな異存はないが、両陛下のご発言はある意味ではきわめて政治的で、あるいは非常によく準備されたものだ、という感想も私は持った。八木秀次ほどには私は単純・素朴ではないのかもしれない。
また、美智子皇后陛下が「一方で、型のみで残った伝統が社会の発展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」等と「伝統」について述べられた内容はある意味で新鮮であり、ある意味では刺激的でもあった。<保守すべき伝統>というものがあるはずなのだが、<保守>派はどちらかというと日本の<伝統>を丸ごと維持・保守しようという言説・主張に傾きやすかったのではないか。その意味で、皇后陛下が「伝統」の消極的な面・弊害も明言されたことは、注目されてよいと思われる(その内容自体に反論するつもりはない。問題は「社会の進展を阻」む「型のみで残った伝統」とは具体的に何か、になる)。
三 月刊正論同号の西尾幹二論考は、両陛下、とくに天皇陛下の発言を(八木秀次は勿論)私よりも<深く>解釈しているようだ。西尾は、「陛下の…お言葉はじつは相当に政治的であり、政治的役割を果たしておられるとも思います」と書いている。
天皇陛下のお言葉とは、簡単には、日本国憲法の「象徴」規定に「心を致」す、日本国憲法の天皇条項は「天皇の長い歴史で見た場合、天皇の伝統的な天皇のあり方に沿う」、というものだ。
西尾幹二は、十分な展開は見られないと思われるが、こうしたご発言を手がかりにして、天皇制度の将来には次の二つの方向があると主張していると見られる(天皇条項改正論でもあると思われる)。この点にも安倍晋三・中曽根康弘による日本「再占領」政策加担・追随論とともに、斬新さがある。
一つは、政治的責任をより負担する、その点を明文化した「元首」になっていただくことだ。
いま一つは、「京都にお住居をお移し下さり」、一段と「非政治的存在に変わっていく方針をおとり下さる」ことだ。
これらは天皇条項の憲法改正をほとんど不可避的に伴うものと思われる。もっとも、「国」と「日本国民の統合」の「象徴」である旨の現1条を改正する必要はない可能性はあるので、冒頭に記した稲田朋美説と完全に矛盾するわけではないかもしれない。
憲法改正は必要ではないとしても、前者の方向をとる場合、例えば、天皇の<宮中祭祀>は正式の「国事行為」(現憲法だと7条10号「儀礼を行うこと」)か、少なくとも「公的行為」としてきちんと位置づけられる必要が出てくるだろう(憲法20条と皇室の「神道」の関係についての解釈論の整理も必要だ)。
後者の方向をとる場合、西尾は言及していないが、現行憲法の大幅な改正が必要になるものと思われる。
現憲法6条・7条によると、天皇に最終的・形式的な権能があるのは、次のように幅広く、かつ重要なものばかりだ。
①内閣総理大臣の任命、②最高裁長官の任命、③法律・政令・条約の公布、④国会の召集、⑤衆議院の解散、⑥総選挙施行の公示、⑦国務大臣等の任免、⑧「全権委任状及び大使及び公使の信任状」の「認証」、⑨外国の大使・公使の「接受」、等々。
これらの行為は、天皇のお住まいが現在の皇居のように、国会・首相官邸・諸外国大使館等に近い場所にあるからこそ容易にかつ速やかに行うことが可能なものではないか。
したがって、天皇(・皇后)陛下が京都にお戻りになるということは、まさしく西尾の言葉どおりに、上のような<政治(・外交)>に関わらない、「非政治的存在」に変わることを意味することにほとんどつながるものと考えられる。例えば首相が衆議院解散を決意し記者会見等で公にしても、天皇陛下による正式の(最終的・形式的な)衆議院解散は、かりに天皇陛下が京都におられれば、その後早くても6時間程度は要するのではないか。同じことは、多数あるはずの、法律・政令等の「公布」についても言える(「公布」にはさらに官報掲載が必要な筈だが、その前提として現行憲法上は天皇陛下の御名・御璽が不可欠なのだ)。
こう見ると、天皇の明確な政治的「元首」化にしても純粋な「非政治的存在」化にしても、憲法条項の具体的内容にかかわるもので、本来、憲法改正論議のなかで丁寧に議論すべきものと思われる。
そういう問題提起を含んでいるので、西尾幹二は憲法学者・八木秀次よりも<鋭い>し、よく考えていると思わざるをえない。かりに明確な「元首」化を想定せず、「象徴」規定を維持するとしても、憲法が天皇に認める国事行為又は「公的」行為の範囲いかんによって、天皇は現在よりもより政治的にもなりうるし、非政治的にもなりうる。憲法改正をゼロ・ベースから、すなわち「白紙」の出発点から考えるのなら、この点は留意されておくべきだ。
とは言っても、今後いかほどの熱心な議論が上に示した論点について生じるかは、心もとない。ほとんど現九条二項問題だけに関心が集まる可能性は高い。また、西尾幹二のいう二つの方向(現状のままだと三つの方向)のいずれが適切かについて、既述のこと以外には、述べるほどの私見は現在のところは殆どないというのが率直なところだ。
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