一 月刊WiLL別冊・歴史通№1(ワック、2009春)を3月初めに買って、その翌日までにとりあえず、中西輝政「歴史は誰のものか」、櫻井よしこ「民族の物語としての歴史」、宮脇淳子「韓国人の歴史観は『絵空事史観』」、井沢元彦「歴史を『所有』しようとするのは誰か」、井尻千男・佐伯啓思の書評を読んだ。
中西輝政「歴史は誰のものか」(p.48-)は平易に歴史は戦勝国、日本政府、マスコミ・出版界、歴史研究者・歴史家、同時代人のものではないことを書いている。部分的には<すさまじい>指摘もある。途中から要約的に紹介する。
二 ・1982年の中曽根内閣誕生後、「おしんブーム」の1983年は戦後を含む近現代が「過去」になった年だったが、「本当の歴史がやっと見え始めた時」、それはもうすでに「昭和史」として「確立されてしまっていた」(p.56-57)。
・松田武・戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー(岩波)はアメリカの「左の方」の立場かもしれないが、アメリカが占領後も「いかに日本人の価値観や歴史観に細心の注意を払っていたか」、日本の再独立への時期からすでに「日本の知的エリートを系統的・組織的に”アメリカナイズ”し」、「いかにしてあの戦争の意味を忘れさせるか、または日本人の歴史観をアメリカの視点から見て許容範囲に納まるよう、日本の保守系の知識人や歴史家にいろんな働きかけをし、必死で『東京裁判史観』的な見方や価値観を日本社会に根付かせようという工作を行っていた」かが明らかにされている(p.57-58)。
・アメリカは種々の日米交流目的の財団を作り、諸学会に財政的支援もし、「フルブライト」等の奨学金制度も設け、「1950~60年代を通じ保守ないし中間的立場の親米派知識人をいかに養成するかという大戦略」を、占領終結から数十年「一貫して」行ってきた(p.58)。
ここで自然と想起したのが、五百旗頭眞(1943-)だ。「フルブライト」奨学金によるのかどうかは分からないが、この人は1977~、と2002~の二度、ハーバード大学の客員研究員で、前者は30代半ばの数年間。別の機会に言及してもよいが、五百旗頭眞・日米戦争と戦後日本(講談社学術文庫、2005)の最初の方には、<アメリカに占領されてよかった>(だからこそ日本の経済的な成功もありえた)、日米戦争「ルーズベルト陰謀説」は荒唐無稽(論証抜き)、という旨が書かれてある。
また、小泉首相の靖国参拝を批判したこと、昨秋は防衛大学校長としての立場で田母神俊雄論文を素っ気なく批判したことはよく知られている。島田洋一のブログによると、「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね。こっちは、はるかに多くの人間を強制連行しているのに」と(5、6年前に)五百旗頭は彼に語ったらしい。
五百旗頭はコミュニスト又は親コミュニストではなく<保守ないし中間的立場>だとかりにしても、「左翼」に近い<親米リベラル派>ではなかろうか。そして、彼のような学者の誕生は、アメリカの大きな戦略の産物なのではないか、とも見られる。
三 ・日本の「マスコミ・出版界」、「大手の出版社」は歴史については「一定の歴史観に沿った」ものしか出さない。「一定の歴史観」とは「東京裁判史観」、岩波新書・昭和史にはじまる「告発史観」で、吉川弘文館、山川出版、筑摩、平凡社、小学館、中央公論新社等々のものも「まだまだ圧倒的に」「東京裁判史観」だ。こうした状況はドイツと比べても異様で、「余りに一方に偏しすぎていて、公正でないだけでなく、はなはだ危険」だ(p.59-60)。
四 ・「歴史家利権」というものがある。特定の解釈に立つ研究書等を出すと、新史料の発見等があっても無視して可能な限り変更を避けたいと考える人がいる。田母神俊雄論文が問題になったとき、「自らの権威を失いたくない」という姿勢が「はっきり見え」た「一部の昭和史研究家」もいた。
ここで想起されたのは、秦郁彦。秦郁彦は月刊諸君4月号(文藝春秋)で田母神論文をめぐって西尾幹二と対談している。
秦は最初の方で田母神論文の「全体的趣旨や提言については、私もさしたる違和感はありません」と語り、細部の理由付け・論拠のみを批判しているのかとも感じたが、全体を読み終えると「さしたる違和感はありません」とは一種のリップサービスの如きだ。そして、西尾幹二と異なり自分は「昭和史」の「専門家」だという自尊心をもっていることを感じさせる。
秦郁彦は「職業的レーゾン・デートル」との言葉を用い、「現在、定説になっているのは専門家による第一次的な論証がなされたものであって、いまさら素人による議論では動かしがたい史実ばかりなのですから」とも発言する(上掲誌p.89)。
秦郁彦がいかなる「専門家」教育・訓練を受けたのか調べてみたいところだが、それはともかく、秦は、「東京裁判」は「ほどほどのところに落ち着いた、比較的、寛大な裁判だった」との「感想」を語り(p.84)、再独立(主権回復)後の日本には憲法改正(九条破棄)の機会もあったのに、それをしなかったのは「東京裁判のせいでも、GHQのせいでもない。日本人自身に責任があるというべき」と語ってもいる(p.85)。
上の後者は「左翼」がよく使う改憲論批判だ。「受容」したからこそ、形式・手続又は「正当性」に疑問があっても(機会はあったのに)改正しなかったのだ、という言い分になる。これは疑問で、また、憲法改正を主権回復後に「日本人」がしなかった背景には「東京裁判」史観というGHQが批判を許さず宣伝し、学校等で教育させた史観によって日本人に形成された「意識」もあるのであり、「東京裁判のせいでも、GHQのせいでもない」と断じることはできない(「日本人」に全く責任がないというつもりはない。例えば、GHQに迎合し「東京裁判史観」を広めた<進歩的知識人>が多数いたのだから)。
やや離れたが、もう一人は「左翼」・保阪正康。
あらためて確かめはしないが、2006年夏に、保阪正康は、小泉首相の靖国参拝を、その「歴史観」・「歴史認識」の不十分さ・欠陥を理由として批判していた。自分は正確で詳細な戦前に関する「知識」や「歴史認識」をもっているのに、小泉首相にはない、というような、傲慢さが読み取れる批判の仕方だった。
五 今回の最初の方で、中西輝政論考には部分的には<すさまじい>指摘もある、と書いたが、その<すさまじい>指摘にはまだ言及していない。別の回に譲る。
それにしても、「歴史通」とは何と工夫のないタイトルだろう。「歴史通り(どおり)」と理解する人は少ないのかもしれないが、「歴史通」という言葉はやや分かりにくく、表紙の左上にやや大きく乗っていてもインパクトが足らない。他のタイトルを考えられなくはないが、創刊した以上、簡単には変えられないのが惜しまれる、とあえて記しておく。
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