一 ある本(冊子)を読んで、神宮(=伊勢神宮)に関して又は当地を奉参されて天皇陛下がお詠みになった歌のいくつかを知り、いささかの感動を覚えた。他にもメモしておきたい事項を多く含む本(冊子)だが、まずは、天皇陛下御製を紹介しておく。<左翼>や神宮(=伊勢神宮)参拝の経験のない人には何の感慨も湧かないかもしれないのだが。
 明治天皇
 「とこしへに民やすかれといのるなるわが世をまもれ伊勢の大神」
 明治天皇(日ロ戦争勝利後のポーツマス条約締結後、1905年)
 「久方のあめにのぼれるここちしていすずの宮にまゐるけふかな」
 大正天皇(皇太子時代のご結婚の報告の際、漢詩、1901年)
 「納妃祇告げて神宮を謁す/一路車を馳す雨後の風
 継述敢て忘れんや天祖の勅/但菲徳を漸ぢ窮り無し」(訓みは木下彪)
 昭和天皇(1980年5月、三重県での全国植樹祭の前)
 「五月晴内外の宮にいのりけり人びとのさちと世のたひらぎを」
 昭和天皇
 「わが庭の初穂ささげて来む年のみのりいのりつ五十鈴の宮に」
 今上天皇(皇太子時代、ご結婚報告の際)
 「木にかげる参道を来て垣内なり新しき宮に朝日かがやく」
 今上天皇(1993年の式年遷宮の翌春、1994年=平成6年)
 「白石を踏み進みゆく我が前に光に映えて新宮は立つ」(以上、p.42-44)
 二 この本(冊子)によると、天皇の神宮(伊勢神宮)ご親拝の回数は次のとおり。
 明治天皇-3、大正天皇-5(うち皇太子時代4)、昭和天皇-11(別に皇太子時代に7回)、今上陛下-3(別に皇太子時代に8回)。
 皇后の、天皇とご一緒ではないお一人でのご参拝の場合を含む回数(皇太子妃時代を含む)
 昭憲皇太后(明治天皇妃)-1、貞明皇后(大正天皇妃)-4、香淳皇后-8、美智子皇后陛下-8(以上、p.41-42)。
 三 ある本(冊子)とは、大原康男・戦後の神宮と国民奉賛(伊勢神宮崇敬会〔叢書10〕、2005年11月、400円)だ。本文、計54頁。
 伊勢神宮や天皇とは直接の関係はないが、いわゆる<村山談話>の「空虚」性、それが公的にも絶対的なものではないことは、大原康男産経新聞12/16の「正論」欄の文章がとりあえずは最もしっかりと書いていたように思う。
 四 上につづける。月刊正論2月号(産経新聞社)の安倍晋三=山谷えり子対談の中で安倍晋三は、①「侵略」概念を使った最初の首相は細川護煕、②その次の首相の<村山談話>以降、これを継承するかが(マスコミの)「踏み絵」になった。③換わる<安倍談話>を出そうとしたが、(橋本首相→小渕首相の)1998年の日中共同宣言でいわゆる「村山談話」の「遵守」を明記していることを知り、一方的に破棄できにくくなった。④国会では「継承」を表明しつつ、<政治は歴史認識を確定できない。歴史分析は歴史家の役割だ>と答弁し、野党から実質的には「継承」でないとの批判を受けた、といった苦労?話を述べている。日中共同宣言における<村山談話>(正式名称はもっと長い)の「遵守」という文言は、外務省の官僚が下準備をし、無神経になっている当時の内閣(・総理大臣)が無意識に・無自覚に了承したのではないか。
 散漫になったが、今回は以上。