一 産経新聞12/30二面右上は岡本行夫のコラムで、先月に「田母神論文は検証に耐えない論拠でつづられている」と書いたらお叱りをうけた、から始まる。
 自分も「愛国心」をもった「日本人」だ、と反論するのがこのコラムの重要な趣旨のようだ。
 従って、田母神論文は検証に耐えない論拠でつづられている」との見解は取消されておらず、叱りに対して<詫びて>もいない。開き直っている。
 問題は開き直りの仕方で、まず、朝日新聞に北岡伸一等が田母神に対する「優れた論駁をしている」ので参照をとの趣旨を述べる。
 次に、司馬遼太郎が「昭和から戦前まで」を「日本がさまよいこんだ『魔法の森』」と呼んだことを挙げる。司馬遼太郎が昭和戦前を<暗い><間違った>時代と印象認識していたことは間違いない。
 だが、ともあれ、岡本が挙げるのは上の二つのみ。ただちに気のつくのは、この人は、「朝日新聞」と「司馬遼太郎」という<権威>(又は名声)を利用している、ということだ。自らの「検証」は何も書いていない。
 それにまた、朝日新聞が選択した論者に<左翼>偏向があるのは常識だと思うが、そんな考慮を何ら感じさせずに、堂々と「朝日新聞」を見よとの旨を書いているのに驚く。
 所謂司馬史観にしても、それが妥当・適切だと何故言えるのか。司馬遼太郎は個人的な体験・感覚に重きを置きすぎ、あの戦争に関する近時明らかになった史料も含めた知識を十分には持たないままで<感覚・イメージ>で書いている可能性がある。
 上のことから続けて、岡本行夫は自分も「愛国者」で、「近代に至る日本の文化と国民には素晴らしいものがあった。世界に誇れる歴史である」と書くが、「昭和から終戦」の「時代の軍国主義を別にすれば」と明記し、「昭和から終戦」の「軍国主義」時代は「素晴らしい」ことはなく「世界に誇れる歴史」ではない、と明言している。
 つまりこの人は、村山富市元首相・元日本社会党委員長と同じく、日本は「遠くない過去の一時期」に「植民地支配と侵略」をした(村山談話による)、という<歴史認識>に立っている。
 こんな歴史認識があることに驚きはしないが、産経新聞の目立つ場所に書かれていること、かつこのような人がかつては内閣の補佐官だったということ、にはあらためて寒気を覚える。
 岡本は元外務官僚だ。外務省の職員は全員がこのような認識のもとで、戦後日本の外交を担当してきたのだろう。宮沢喜一内閣時代の天皇陛下訪中・謝罪的発言も、「従軍慰安婦」にかかる河野談話も外務官僚たちがお膳立て・準備をしたのではないか(政治家もむろん問題だが)。また、安倍晋三官房長官(当時)が同行していなければ、金正日による拉致肯定もなく、さらにはいったん帰国した拉致被害者たちは外務省官僚の意向に添って再び北朝鮮に向かっていたのではないか。外務省こそが日本国家にとって最も<弱い環>になっているのではないかとの疑問が改めて湧く。
 岡本行夫個人の見解はどうでもよいとも言える。だが、外務省で培った認識・見解は変わらないのだろうし、それが産経新聞まで侵食していることが怖ろしい。
 二 岡本行夫のみならず、朝日新聞的な、より広くは<昭和戦前日本=「侵略」国家>と見るGHQ史観・「左翼史観」の人々に是非尋ねてみたいことがある。
 <昭和戦前日本=「侵略」国家=悪>だとすれば、日清戦争・日ロ戦争(の日本の勝利)はいったいどのように<歴史認識>されるのか??
 日清・日ロ戦争の勝利があったからこそ朝鮮半島併合もあり、「満州国」への日本軍駐在もあった。<昭和戦前日本=「侵略」国家=悪>だとすれば、その決定的要因は日清・日ロ戦争の勝利だったのではないか? そして、日清・日ロ戦争も遅れた「帝国主義」国・日本の「侵略」戦争だとして断罪するならば筋がとおっているとも思えるが、岡本行夫は、朝日新聞論説子は、その他の「左翼」諸氏は、この問題をどう考えているのかが、じつにはっきりしない。
 日清・日ロ戦争は「防衛」(自衛)のための(「正しい」)戦争で<昭和戦前>の戦争は「侵略」戦争だと言うならば、いかなる基準と論拠でそのように区別するのか、ご教示いただきたいものだ。
 日清・日ロ戦争は「勝利」だったから「正しく」、<昭和戦前>の戦争は「敗北」だったから「誤り」だった、などという程度の感覚で上のように主張する(又はイメージする)のならば、それは要するに「戦勝国」史観そのものではないのか。
 さらに言えば、日清・日ロ戦争勝利を用意した<明治>という時代、そして「明治維新」についてをも、その<歴史認識>の具体的内容を仔細に述べていただきたいものだ。
 若宮啓文に対してだって、問いたい。君は、日清・日ロ戦争について、「明治維新」について、いかなる<歴史認識>をもつのか。村山富市のいう「遠くない過去の一時期」はおそらく<昭和戦前>を指すのだろう。では、日清・日ロ戦争はどうなのか?、「明治維新」はどうなのか? 岡本もそうだが、<昭和戦前>についてエラそうに断定的なことをさも疑いが全くないかのごとく書くのならば、是非、上の問いにもきちんと答えていただきたいし、答えるべきだ。言うまでもなく、<昭和戦前>は少なくとも、「明治維新」→「日清・日ロ戦争(勝利)」を前提として築かれた歴史であって、これらと完全に切り離すことはできない筈だ。
 「明治維新」を、天皇を中心とした日本的(「半封建的」な)「帝国主義」形成への出発点と(日本共産党マルクス主義的に)位置づけるのならば、それでも構わない。だが、「明治維新」や「日清・日ロ戦争(勝利)」には口をつぐんで、<昭和戦前>のみを「侵略国家」だったと自虐的に断罪するのは奇妙ではないか(冒頭の岡本コラムは、「明治維新」や「日清・日ロ戦争(勝利)」は「世界に誇れる歴史」の中に含めていると読めるが、その理由まで述べてはいない)。
 三 正月は伊勢神宮を(も)参拝したい。だが、伊勢市内にはよいホテルが全くなく、手前の松阪市か先の鳥羽市・志摩市に宿泊しないとゆっくりできないのが難点だ(神社関係者には「神宮会館」とかがあるようだが)。