一 週刊新潮12/25号(新潮社)の櫻井よしこの連載コラムは、坂元一哉の講和条約11条は「受刑中の人を日本が勝手に釈放したり減刑したりしないよう、いわば念を押したもの」との指摘を紹介している(p.148)。この欄で私が既述したことのある程度の指摘で、とくに珍しくも新しくもない。ただし、米国の原案には「…裁判(判決)を受諾し」を含む11条はなかったようであること(英国が拘泥)、中華民国との講和条約にはこの11条に該当するものはない、という坂本の指摘する内容はたぶん初めて知った。
 櫻井よしこの同コラムは最初の方で佐藤和男監修・世界が裁く東京裁判(明成社、2005)の読書を推奨しているが、私はすでに所持して、ほんの少しは見ていた。櫻井が言及する「あとがき」ではなく、付録Ⅱの佐藤和男「日本は東京裁判史観により拘束されない-サンフランシスコ平和条約の正しい解釈」を読んでみた。
 judgmentは「裁判」ではなく「判決」と訳すべき旨の指摘がここでもなされている。たしかに両者は同じではないし、judgmentの正訳は「判決」(複数形なので「諸判決」)なのだろう。だが、だからと言って、東京「裁判」を受諾したことにはならないと、(保守派の人々は)単純に理解して喜んではいけない。「裁判」の結果が、又はその重要な要素が「判決」に他ならないからだ。
 佐藤和男も言及しているように、「判決」と訳しても、「判決」とは「判決」中の「判決理由」も含むとすれば、「判決理由」部分に示された<東京裁判史観>をやはり「受諾」している、との理解又は主張が容易に成立するからだ(p.273-4参照)。
 従って、judgmentsの訳よりも問題なのは、それを「受諾し、…」ということの意味・意義を条文の文脈の中で明らかにすることだ。そして、結論的には上記の坂元のように理解すべきこととなる(佐藤和男論文は他にも興味深い論点を提出している。省略)。
 二 サンフランシスコ平和条約(講和条約)11条によって日本は公式に<東京裁判(史観)>を受諾し受容しているとの理解はひょっとして日本の<左翼>あるいは自民党国会議員の一部の一般的な理解なのかもしれない。
 この欄で既述のことだが、2年ほど前のことだったか、民主党の岡田克也は、いかに日本の国内法(法律)でA級戦犯たちを「犯罪者」扱いしないことを決めても、<条約と法律>とでは効力関係は<条約が優先する>のではないかとの質問を国会(委員会)でしていた(偶々観た)。その質問は、講和「条約」が<東京裁判>の受諾・受容を宣言している、という理解を前提にして、法的にはA級戦犯たちは「犯罪者」のままだという含意を持っていたものと思われる(さらにそのことからA級戦犯靖国合祀を問題にする趣旨だったかもしれない)。
 東京大学法学部出身・弁護士でもある岡田克也が<条約と法律>の関係に関する基礎的知識にもとづいて、上のような理解に立っているくらいだから、講和条約11条の正確な趣旨はなお広く伝えていく必要があろう。
 三 櫻井よしこの上記コラムには「騙し討ちの村山談話」にも触れている。田母神俊雄「更迭」の<根拠>?になったものだ。
 たぶん12/09だったと思うが、田母神俊雄論文<騒ぎ>を扱うNHK・クローズアッブ現代(国谷裕子)を見て、唖然とした。
 朝日新聞によるとジャーナリストは<反権力・反政府>的でなくてはならない筈だが、その基準によると、NHKの少なくとも上の国谷裕子番組はジャーナリスティックではない、と糾弾されなければならない。
 すなわち、あの30分間の番組(放送)は、「村山談話」というかつての政府=権力側が発した歴史認識に関する見解・謝罪(反省)表明を<ほんのわずかにでも>疑問視しておらず、それを100%正しい若しくは妥当なものだったとして、田母神論文の内容や防衛省の体質等を問題にしていたのだ。
 <村山談話自体に問題があったとする見解も一部にはある>との一文・一言すら、NHKの上記番組制作者は入れさせていない。異常としか言い様がない。NHKにも<左翼ファシズム>が、あるいは<同調圧力>が及んでいると、強く感じたものだった。
 問題指摘が<一部にはある>というよりも、櫻井よしこが上記コラムで述べているように、「村山談話」の成立過程自体が異様なものだった。常識的・客観的に見て、田母神俊雄や防衛省のみを問題にして、かつての政府・内閣総理大臣の言明については完全にそれを支持している=その正当性を前提にしている(としか思われない)報道(特集)番組とはいったい何だろう?? NHKもヒドいもので、受信料不払い運動を応援したくなる。
 むろんNHKは、そして国谷裕子も、<ダブル・スタンダード>に立っている。別の問題・論点ならば、遠慮なく政府・首相談話を批判したり疑問視したりしただろう。
 そして、あの「村山談話」が(<日本は道徳的にも悪いことをしました>という史観が)佐伯啓思・国家についての考察(2001)のいう(紹介していないが)「公式言説」化していて、これに抵触する発言すること、一部にせよ疑問視する(「戦後を疑う」こととなる)姿勢で番組製作をすることは、「戦後的なるもの」の<中枢神経>に接触することになるのだろう。
 <中枢神経>に触れない、本質的部分に切り込めないで、何が<ジャーナリズム>だ。
 なお、週刊新潮の次の頁の高山正之コラムによると、田母神俊雄「更迭」の<仕掛け人>は現防衛省事務次官・増田好平。次官就任の際の申し渡しに田母神が反論したことへ「報復」し(統合幕僚長への昇格を見送らさせ)、さらに今回の論文に「因縁をつけて」一日のうちに大臣に「解任(更迭)」を決定させた、という。「名は表に出ない」、「陰湿さ」(p.150末尾)。
 高山の叙述を丸まま、鵜呑みにするつもりはない。だが、増田好平、この名だけは記憶しておきたい。