佐藤優は、月刊・正論7月号(文藝春秋)に、―②の最後の「南朝精神」を取り戻せ旨の主張は私には理解不能だが(反対との趣旨ではない)―こんなことを書いている(p.214)。
 ①「女帝論という形で皇統を内側から壊す危険性がある人権思想、近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試みなどの背景には、人間の理性に対する全面的信頼を基礎として、皇室を『設計』し、『構築』しようとする思想が存在する。このような設計主義、構築主義が日本国家を内側から蝕んでいる」。
 ②「皇室を人知によって改革するなどという 合理主義に冒された発想を捨て」、「南朝精神を有識者がとりもどすことが喫緊の課題」だ。
 ①の中にある、「近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試み」とは八木秀次のそれを指しているだろう(なお、神武天皇や2代~8代天皇実在説に立っても、神武天皇から今上天皇まで「万世一系」かどうかは、安本美典の関心の外にあるテーマだが、別の議論が必要だ)。
 他に、園部逸夫らが委員として関与した、皇室の将来に関する有識者懇談会の報告書(正式名称を確認していない)を批判しているだろうことは、たぶん間違いない。
 皇太子妃問題(?)に関する最近の一部の有識者の発言も、「設計主義」、「構築主義」、「合理主義」として批判の対象としているのか(又はそうなるのか)否かを、訊ねてみたいものだ。
 なお、佐藤優が引用する南朝側の北畠親房の文章の一部は次のとおり。
 「人はとかく過去を忘れがち」だが、「天は決して正理をふみはずしていないことに気づくだろう」。何故天は現実を「正しい姿」にしないのかとの疑問を持つ者もいようが、「人の幸・不幸はその人自身の果報に左右され、世の乱れは一時の災難ともいうべきものである」。「天も神も」いかんともし難いことはあるが、「悪人は短時日のうちに滅び、乱世もいつしか正しき姿にかえる」。これは「昔も今も変わることなき真理」だ(「神皇正統記」日本の名著9(中央公論社、1971)p.445)。