御厨貴・「保守」の終わり(毎日新聞社、2004)の中に「『保守』の終わり」という計8頁の小論がある(p.72~、初出2004.07)。
 これによると、<保守>(自民党)-「改憲、安保賛成、占領改革是正」と<革新>(社会党)-「護憲、安保反対、占領改革受容」という対立が55年体制の形成過程で明瞭になり、佐藤栄作政権終焉までは続いた。その後<保守>の側に革新・変革を唱える内閣も出現し、1993・94年の細川護煕内閣・羽田孜内閣は反自民「改革」を掲げ、つづく村山富市社会党(=<保革>連立)政権と日本社会党の崩壊によって「革新」イメージは喪失する。「革新」という対抗相手を失った<保守>も内実が曖昧になる。小泉純一郎内閣以降、「改革」対「抵抗」との枠組みができたかに見えるが、与野党において「改革」・「抵抗」の双方が顕在化して実態は<保革>対立よりも複雑だ。
 「改革」に対抗する「保守」のシンボル化はもはや困難で、その意味での「保守」は終わった。
 「改革」万能の状況下で、これに対抗する議論が語られている。第一は、「改革」の基準を「グローバル・スタンダード」ではなく「新たなジャパン・スタンダード」に求めること、第二は、「改革」への怨念をナショナリズムの地平に拡げること。この二つが出逢って<新たな保守>が誕生する可能性がある。
 その場合も二つの可能性がある。一つは、感情論ではない「明快な論理」をもつイデオロギーとして<保守>が構築される。二つは、感情論に包まれた、「破壊衝動を秘めたイデオロギー」として<保守>が蘇生する。
 以上が簡単な要約だ。
 思うに、かつての「安保賛成」対「安保反対」等の<保守>・<革新>の対立軸は、親自由主義(資本主義=市場経済主義)と親社会主義の対立でもあった。また、「改憲、占領改革是正」対「護憲、占領改革受容」で示されていたのは、基本的にはアメリカとの同盟を維持しつつも対米自立性の確保(対米従属からの脱却)を目指すかどうか、という対立でもあった。
 これらが、現在でも重要かつ有力な対抗理念であることは疑いえないと思われる。第一に、共産主義に厳しいか甘いか、第二に、アメリカへの従属性を現状でよいとするかどうかは、簡単に何という概念・シンボルで表現しようとも、対立理念であり続けている、と考えられる。ついで、第三以降が、経済政策における自由主義傾斜(「自由」志向)か社会民主主義傾斜(「平等」志向)か、ではないだろうか。
 さらにまた、御厨貴は何ら触れていないが、神道や日本的仏教に対する親しみの程度、天皇・皇室に対する態度もまた、日本に独特の大きな対立軸として存在している、と思う。
 計8頁の小論に多くを期待しても無理だが、<保守>とは何かについて、議論のタネは尽きないはずだ。八木秀次のいう<保守>思想の「理論化」・「体系化」など、たかが一人でできる筈がない。