一 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)の中で、八木は、改正教育基本法が「我が国と郷土を愛する…態度を養う」ことを理念の一つと定めたにもかかわらず、今年(2008年)3月の学習指導要領改訂には法律改正の趣旨が反映されていないと批判的に指摘している(p.245-)。産経新聞の3/19「正論」欄でも、「わが国の伝統と文化を語る上で重要な天皇も、…中学校では社会科公民で『…〔略〕について理解させる』と記述するにとどまり、改善点はなく、天皇への敬愛の念についての言及もない」などと批判している。
 「日本教育再生機構」の理事長でもあるという八木は、きっと、日本という「国」の成り立ちや天皇(制度)の歴史-<古代史>ということになろう-についても該博な知識とそれらの「教育」に関する適切な見解をもっていそうだ、と言えそうだ。
 二 しかし、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP、2008)の中で、私には奇妙と思えることを述べている。
 「日本の神話を読んで『神武天皇は実在したのか』『百二十五歳まで生きるわけがない』と言っても意味がない」。「建国神話とは、建国の精神に立ち帰ることで国民がまとまればいいわけですから」(p.231)。この二つめの「」は度外視しよう。
 上の一つめの「」の、①「神武天皇は実在したのか」、②「百二十五歳まで生きるわけがない」、と言っても「意味がない」とは、いったいいかなる意味なのだろうか。ここで彼は、何を主張したいのだろうか。
 常識的には、日本(建国)神話の<真実性>を論じても(あるいはその<虚偽性>を指摘しても)「意味がない」、という意味であるように読める。「神話」は「神話」として<理解>すればよい(又は<物語>として「信じ」ておくべきだ)、というような意味だと思われる。
 八木は、①「神武天皇」の実在性と②初期の諸天皇の<生存年数>を論じても「意味がない」と発言している。そして、明言はないが、どうやら、①「神武天皇」は実在しない(つまりこの点の神話はウソだ)、②生存年数「百二十五歳」の天皇は存在しない(つまりこの点の神話はウソだ)と八木は理解しているものと推察される。少なくとも、このように解釈されてもやむをえない発言の仕方をしている。
 そうだとすると、重大な疑問が生じる。すなわち、①の「神武天皇」の実在性の問題と、②同天皇を含む初期の諸天皇の<生存年数>(又は<在位年数>)の問題とを、こうして同次元の問題として論じるべきではない、と思われるからだ。一括して議論している八木は誤っている。つまり、古代史に関する知識が十分ではない。
 ここで述べようとしていることについて、安本美典・日本神話120の謎-三種の神器が語る古代世界(勉誠出版、2006)の「はじめに」には、なかなか興味深いことが書かれている。あの、「左翼」の立花隆が、2005年に、安本美典の別の本、安本・大和朝廷の起源-邪馬台国の東遷と神武東征伝承(勉誠出版、2005)を読んでの感想を、次のように某週刊誌に書いた、というのだ。以下、上の第一の著のp.8-9の引用からさらに一部引用する。
 「この本〔上の第二の2005年の著-秋月〕を読むまでは、私も通説に従って、神武天皇などというものは、神話伝説上の人物にすぎず、リアルな存在では全くないと思っていた。/しかし、この本を読んだ後はちがう。神武天皇伝説の背景には、骨格において伝説に近い史実があったにちがいないと思っている。/…私はこの本によって、古代史にまつわる多くの謎のモヤモヤがきれいに整理され、取りのぞかれた思いがして、大筋これで結構と思っている」。
 八木秀次の古代史・日本神話・初期天皇に関する知識は、この2005年時点の立花隆以前の状態にあるのではないか。私が安本美典の諸説を知ったのはたぶんん20年程度以前のことだが(なお、安本美典・神武東遷(中公新書)は1968年刊)、神武天皇にあたる人物は実在しただろう、大和盆地への「東遷」伝承は相当に史実を反映しているだろう、と(安本美典の説得力ある議論の影響をうけて)思っている。
 従って、第一に、「神武天皇は実在したのか」と言っても「意味がない」ということは全くなく、<実在した>と断固として主張してよいのだ(もっとも、安本説ではないが「崇神天皇」等との同一人物説等もある。だが、この説も「神武天皇」にあたる人物の実在を否定することにならない)。
 一方、初期の天皇の「生存年数」(=寿命)が記紀において異様に長く書かれていることはよく知られている。神武天皇は日本書記によると127年(古事記によると137年)、その他、開化天皇115(63)、崇神天皇120(168)、垂仁天皇140(153)等々。
 なぜこのように(神武天皇の即位が紀元前660年となるように)長くしたのかには辛酉革命説等の諸説あるが、これらの常識的に見て長すぎる寿命(生年・没年)の記載は<信じられない>・<ウソだ>と言って何ら差し支えない、と考えられる。
 従って第二に、「百二十五歳まで生きるわけがない」と言っても「意味がない」ということは全くなく、むしろ「意味がある」。
 八木はこの生存年数について、ひょっとして「神話」として<理解>すればよい、又は<物語>として「信じ」てよい、と言うのかもしれないが、そのような<公教育>をしても、小学校も高学年くらいの生徒になれば<理解>も<信じる>こともできず、「建国神話」によって「国民がまとま」ることをむしろ妨げることになるものと思われる。
 以上のとおり、八木秀次の古代史・天皇の歴史に関する知識と見解は怪しいものだ、というのが私の感想だ。
 三 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)に再び戻ると、もう一点、やや奇妙に感じたことがある。すなわち、中西輝政は日本史を学ぶ「最終目標」は「神話が体得できる」ことだと言っているが(p.228)、八木はこの指摘を「学ぶ」優先順序のごとく理解しているのではないだろうか、ということだ。
 もう少し詳しく紹介すると、八木は、「国のかたちがはっきり現れる時代」(「継体天皇から聖徳太子を経て天武天皇に行き着く流れ」)から「歴史を見て」、「学んでいった後で」、「最後は神話に行き着く」と述べている。渡部昇一・稲田朋美との上掲共著p.247では、日本の「国のかたち」が「ようやく固まった」「天武天皇・持統天皇」の時代の「建国の精神」の内容を述べており、この時期をまずは「学ぶ」ことが重要だと考えているようだ。
 「学ぶ」順序などは些細な問題かもしれないが、関心を惹くのは、「天武天皇・持統天皇」の時代又はそこまでに至った「継体天皇」の時代以前について、八木は何も語ろうとしていない、ということだ。「応神天皇」やその母とされている「神功(じんぐ)皇后」にも一切の言及がない。
 日本の「建国の精神」でもよいし、日本人の「精神」・「心持ち」でもよいが、それらを知るために、「継体天皇」の時代以前に関する記紀等の叙述をこのように軽視してよいのだろうか。仏教が伝来するまで日本(人)に特有の<心情・信条の体系>だったと思われる<神ながらの道>=<神道>に立ち入らないかぎり、日本人の「精神」・「心持ち」、そして「建国の精神」も理解できないのではないか。
 安本美典は反マルクス主義者であり、「津田左右吉流の文献批判学」の批判者であり、(私の造語だが)「反アカデミズム」者でもある。その安本・日本神話120の謎(上掲)p.21の表現によると、戦前に迫害された「津田の諸説は、第二次大戦後の、懐疑的風潮の中で、はなばなしくよみがえ」り、「わが国の史学界において、圧倒的な勢力をしめ」、そして「戦時中の、神話の全面肯定から、全面否定へと、はげしいうつりかわり」を見せた。
 八木秀次の精神世界は、今も戦後の神話「全面否定」論の影響を受けつづけているのではなかろうか。安本がいう、ギリシャ神話・旧約聖書物語よりも「日本神話へのなじみがすくない世代」(上掲書p.21)に属したままなのではないだろうか。
 ふつうの日本人、とくに若い世代であれば、上のことは珍しくもなく、批判するのは酷かもしれない。だが、「保守はいま何をすべきか」と大上段に振りかざし、「国…を愛する」態度や天皇に関する<教育>について発言している八木が、今回記した程度の「日本の神話」に関する知識と関心しか持っていないとすれば、ほとんど<詐欺>に等しいのではないか。
 なお、八木の、天皇の宮中祭祀に関する知識が不十分である(又は誤っている)と見られることについては、すでに述べた。