伊勢神宮の由来又は設立年代については、日本共産党系と見られる藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書、1991)で、直木が「七世紀の天武天皇の頃に天照大神を祭る神宮が伊勢にあったこと」は「間違いない」と書くくらいだから、1300年前にすでに存在したことは「間違いない」。現代人にとっては気の遠くなるような昔だ。
七世紀後半からさらにいつ頃まで遡れるかだが、安本美典の簡単な文章に即して既述のように、記紀等によれば崇神天皇の御代に皇祖・天照大神を宮中とは別の場所に祀るために造営された。
所功・伊勢神宮(講談社学術文庫、1993)は記紀等の記述に添ったより詳しい説明をしつつ、崇神天皇朝を三世紀後半としている。但し、古代の天皇・国王の平均在位年数は約10年という安本美典説に従い、かつ崇神天皇は第一〇代ということは正しい、ということを前提にすれば、崇神天皇朝は三世紀後半ではなくもっと後だろう(所功は西暦〇年前後に神武天皇即位、三世紀後半は大和朝廷の故地・九州では「壱与」の時代だろうと推測する。安本美典とはかなり異なる)。
それはともかく、所功の上の本によっても、神宮の式年遷宮が、天武天皇の遺志を継いだ持統天皇(645-702)の時代に始まることは「間違いない」ようだ(所によると内宮の第一回は690年)。式年遷宮自体も1300年以上の歴史をもつ。2013年は第62回。前回・1993年の遷宮に至る、各祭儀についての(最重要な祭儀は「遷御」だと思われる)、昭和天皇に始まり今上天皇に継承された「御治定」の月日は、神宮司庁監修編集/伊勢神宮崇敬会発行・お伊勢まいり(2005.07改訂7版)の末尾に一覧表として掲載されている。
1320年以上で62回という回数からも判るように、式年遷宮は20年毎にきちんと行われてきたのではなかった。戦後最初のそれ(第59回)は1949年の筈だったが、財源難等があったのだろう、4年遅れて1953年に行われている。
そんな4年遅れてどころではなく、所功の上の本や高野澄・伊勢神宮の謎―なぜ日本文化の故郷なのか(祥伝社ノンポシェット、1992)によると、所謂「戦国時代」に、120~140年もの間、中断している。
式年遷宮ではなく「大嘗祭」の挙行となると、田中卓「天皇と神道の関係」同=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け(新人物往来社、1990)p.54によれば、何と「約220年」の中断があり、江戸時代初期の1687年に再挙行された、のだという。
120~140年あるいは220年ということは、停止と再開の両方を現実に知る人は一人もおらず、一般国民の一世代を30年とすると、4代から7代くらいが交替するだけの時間が過ぎたことを意味する。
そして思うのは、<天皇制度>が続いている限りは、かりに100年、200年の<中断>があり、廃止されたかの如き外観を呈した時期があったとしても、<歴史的・伝統的なもの>は<復活>している、ということだ。
多少のゴタゴタはよい。また、日本「文明」は同一ではなく変化してきたし、これからも変化はしていくだろう(固有の何かまでなくなるとの趣旨ではない)。だが、<天皇制度>とともに、自分の死後も続く「日本」の<悠久>というものを信じたいものだ。
七世紀後半からさらにいつ頃まで遡れるかだが、安本美典の簡単な文章に即して既述のように、記紀等によれば崇神天皇の御代に皇祖・天照大神を宮中とは別の場所に祀るために造営された。
所功・伊勢神宮(講談社学術文庫、1993)は記紀等の記述に添ったより詳しい説明をしつつ、崇神天皇朝を三世紀後半としている。但し、古代の天皇・国王の平均在位年数は約10年という安本美典説に従い、かつ崇神天皇は第一〇代ということは正しい、ということを前提にすれば、崇神天皇朝は三世紀後半ではなくもっと後だろう(所功は西暦〇年前後に神武天皇即位、三世紀後半は大和朝廷の故地・九州では「壱与」の時代だろうと推測する。安本美典とはかなり異なる)。
それはともかく、所功の上の本によっても、神宮の式年遷宮が、天武天皇の遺志を継いだ持統天皇(645-702)の時代に始まることは「間違いない」ようだ(所によると内宮の第一回は690年)。式年遷宮自体も1300年以上の歴史をもつ。2013年は第62回。前回・1993年の遷宮に至る、各祭儀についての(最重要な祭儀は「遷御」だと思われる)、昭和天皇に始まり今上天皇に継承された「御治定」の月日は、神宮司庁監修編集/伊勢神宮崇敬会発行・お伊勢まいり(2005.07改訂7版)の末尾に一覧表として掲載されている。
1320年以上で62回という回数からも判るように、式年遷宮は20年毎にきちんと行われてきたのではなかった。戦後最初のそれ(第59回)は1949年の筈だったが、財源難等があったのだろう、4年遅れて1953年に行われている。
そんな4年遅れてどころではなく、所功の上の本や高野澄・伊勢神宮の謎―なぜ日本文化の故郷なのか(祥伝社ノンポシェット、1992)によると、所謂「戦国時代」に、120~140年もの間、中断している。
式年遷宮ではなく「大嘗祭」の挙行となると、田中卓「天皇と神道の関係」同=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け(新人物往来社、1990)p.54によれば、何と「約220年」の中断があり、江戸時代初期の1687年に再挙行された、のだという。
120~140年あるいは220年ということは、停止と再開の両方を現実に知る人は一人もおらず、一般国民の一世代を30年とすると、4代から7代くらいが交替するだけの時間が過ぎたことを意味する。
そして思うのは、<天皇制度>が続いている限りは、かりに100年、200年の<中断>があり、廃止されたかの如き外観を呈した時期があったとしても、<歴史的・伝統的なもの>は<復活>している、ということだ。
多少のゴタゴタはよい。また、日本「文明」は同一ではなく変化してきたし、これからも変化はしていくだろう(固有の何かまでなくなるとの趣旨ではない)。だが、<天皇制度>とともに、自分の死後も続く「日本」の<悠久>というものを信じたいものだ。