先週4/17(木)の午後6時頃に浅羽道明・昭和三十年代主義-もう成長しない日本(幻冬舎、2008.04)を購入し、その日のうちに一気に第一章・第二章、p.87まで読んだ。神社・皇室に関する本を読んだりしていて、現時点では第三章・p.114までしか進んでいない。それでも114/387だから、1/4~1/3は読了している。
 冒頭に全体の要約又は趣旨が語られ、要所々々にまとめもあるので読みやすい。また、昭和30年代とは1955~1965(1964)年、私のおおよそ小学生・中学生時代で、懐かしさもあり、自分なりの戦後史のまとめの参考にもなりそうだ。
 もっとも、たんなる昭和30年代ブームではない「昭和三十代主義」という<イズム>・<思想>を筆者は主唱したいらしいが、それで?(so what?)という感もある。
 また、今まで読んだ限りでは、1955~1965年とは所謂55年体制が発足し、警察予備隊・保安隊・自衛隊が順に誕生したあとの、主権回復後の安全保障に関する議論と対立があり、60年にピークを迎え(60年安保条約改定をめぐる対立)、その後に経済成長政策の優先と自主憲法制定の挫折・諦めがあった(その背景として日本社会党等の国会1/3議席以上の確保、「進歩的文化人」の跋扈)、という10年間のはずなのに、こうした基礎的な政治・安全保障環境については全く言及がない。「昭和三十代」を語る本のはずなのに、この点はいかがなものか。文学部出身かと思ったら、奥付を見ると法学部出身らしいのに。
 この人の右翼と左翼(幻冬舎新書)は面白く読めて有益だった。また、この昭和三十年代主義では、構成員の協働を「必要」とした家族の生産集団から消費集団化、前者だったがゆえの昭和30年代頃の家族の紐帯の強さ(そして前者でなくなったための、今日に至る家族の<崩壊>)といった(私の大づかみな要約だが)分析等は、なかなか面白い。少し雰囲気は違うが、映画や小説を素材に時代を描くという手法は関川夏央にも似ている(「青春」歌謡曲・映画を素材にこれを試みたのが社会学者・藤井淑禎だった)。
 だが、高度経済成長自体が一定の国際・政治・軍事環境のもとで生じたことで(決して憲法九条・<平和主義>の「おかげ」ではない)、後者の方面にも言及がないと、一面的な、ある面についてのみ言える「昭和三十年代主義」になりそうな気がする。
 残りに大いに期待することにしよう。