産経の山本雄史という記者はなかなか面白い人だ。面白い、というのは関心を惹く、という意味で、積極的・肯定的に評価する言葉として用いてはいない。
この人はこのイザ!内に記者ブログを持ち、7/30に「安倍首相はなぜ空気が読めないのか」という一文を書いている。やや遅れて読んですぐに、やや感情混じりのコメントを書いてしまったのだが、本文はもちろんその私に対する反コメントやその他の多くの対応コメントをあらためて読んでみると、その皮相さ・単純さには呆れる(多数の対応コメントの内容は殆ど同じことの繰り返しだ)。
山本は「安倍首相は空気を読めているのだろうか」と本文を終えているが、上のタイトル自体も含めて、<安倍首相は空気を読めていない>と理解又は主張していることは、対応コメント等を読んでも明らかだ。
また、<空気を読めていない>とはどうやら次の意味のようだ。すなわち、<参院選で自民党大敗という「国民の審判」結果が下ったのに、続投しようとするとは、敗因の理解も含めて、「空気を読めていない」>ということだ。つまり、彼は、安倍首相は退陣すべきだった、と主張していることになる。
見解の相違ということになってしまう部分もあるので、まずは大きな又は基本的な問題・論点から叙述してみよう。
私は「貴氏の書いていることが全部誤っているとは言わない。/しかし、些細・瑣末な問題に関心を持ちすぎている」とまずコメントしたのだったが、じつは山本氏はこの部分には何らの反論も対応コメントも書いていない(そのことを批判するつもりはない。自由だ)。
上の私の言葉は瞬時に感じた印象だったのだが、この人の精神構造・発想・考え方といったものに直接関係していると思われる。
話を大きくさせる。この人の学歴を一切知らないで書くが、新聞社に入社し政治関係の(少なくともこれも扱う)部署・支局にいるとすれば、政治・政治史・政治思想(民主主義を含む)・政治思想史・政治学・選挙・日本政治・現代政治等に関する書物を少しは読み、関係する月刊誌や週刊誌も読んで、一般人又は平均的国民以上の知識・見識を持っていると、すなわち私のような政治又は政治学の「しろうと」とは違って、基礎的な素養を十分に身に付けている(または年齢からみて少なくともその過程にある)ものと推測して当然だろう。何しろ「プロ」の政治(も)担当の新聞記者という文章の書き手なのだから。
しかし、見事にそのことを感じることができないのが山本雄史という人の文章とその内容だ。
山本記者よ。上の指摘に反論したいならば、学生時代以降現在までに読了している上に列挙した学問分野に関する書物のリストをブログ上で明らかにしていただきたい。また、近年定期的に講読し(精読とはいかなくとも普通程度に)読んでいる月刊雑誌のリストもブログ上で明らかにしていただきたい。
こんなことを書くのも、この人の考え方の幼稚さ・単純さに新聞記者としての「ただならぬ」ものを感じるからだ。
関連して書くと、この人が社員である産経新聞社は正論エクストラをたしか8号まで出し、正論という月刊雑誌も出しているのだが、この山本雄史という人は、自社のこれらの出版物をどの程度読んでいるのだろうか(上の質問と一部重なる)。
むろん社員だからといって自社の出版物を全て読む義務はない。だが、「政治」(も)担当なら、これに関係する論稿等々が掲載されている月刊正論(や正論エクストラ)等を他新聞社の出版物よりも少しは多く読んでいても不思議ではないのではないか、と世間の通常人の一人と思っている私は想像する。
しかるに、こうした出版物(むろん執筆者・論者によって論調等が一様ではないが)が基本的なところでは一致しているのではないか、と私は感じるところのある、<時代認識>、<歴史認識>そして<政治認識>と、この山本雄史という人の持っているこれらは異なっている、と断言できる。
また、産経新聞の基本的な論調(古森義久や阿比留瑠比の書く内容はこの中に含まれているだろう)とこの人の考えは違っているようだ。
このことは山本自らが認めている。例えばいわく-
「私は安倍政権について、距離を置いてきた。労働組合批判を繰り返すのは得策ではない、などと産経の論調とは異なる見解も示してきた」、「私のような記者は存在そのものが許されないようです・(苦笑)」。
あるいは、「本日の朝刊各紙のメーン見出しをみると、「自民歴史的大敗」「自民歴史的惨敗」といった見出しが踊っている。私も「歴史的惨敗」という要素こそが、最も大きなニュースと思うのだが、産経だけは「安倍首相 改革へ続投表明」の見出しが目立つようになっていた。」等。
私が関心をもつのは、なぜかかる意識・見解が形成されたのか、という点だ。少し言い換えれば、産経発行の出版物や産経新聞をきちんと読んでいれば、かかる<反安倍>心情は生まれなかったのではないか、ということだ。
山本記者よ。ほぼ繰り返しだが、月刊正論や正論エクストラをどの程度<真摯に>読んでいるか、貴氏のブログ上で明らかに又は説明していただきたい。
さて、山本はおそらくは業務命令によってイザ!上にブログを開いているのであり、自由意思にもとづくものではないと思われる。しかるに明確に産経新聞の記者と名乗りつつ、産経新聞の基調と反する主張をしている。「産経がより支持を得るためにも、多様な見方は必要だ」と明記して現在とは異なる「多様な見方」も紙面化するべき旨をも述べている。勇気はあるのだろうが、しかし、個人的に上の如く考えるのとブログ上でそれを公にするのとは質・性格が全く異なる。
産経新聞社内部の問題を話題にしようとしているのではない。私は、なぜそこまでの、自社の新聞の基本的論調と矛盾する考え方・認識を公に示すことができるだけの<基本的な歴史観>・<基本的な時代観>そして<基本的な安倍政権観>ができあがっているのだろう、と不思議に感じているのだ。
また、全く余計だろうが、この人は帰属会社との同一性感覚が乏しいか失われているために何らかのストレス又は抑圧的心理を持っているのではないか、と心配しもする。
ここまでで第一回としたい。
次回に書きたいことを少しだけ。第一、「産経新聞を10代のころから愛読している」ことが「悪しき戦後教育の影響」がないことの根拠・論拠になる筈がない。コメントとはいえ、新聞記者なら、もう少し論理的に考えたらどうか。
第二、「国民を信じることから民主主義は始まる」「私は日本人の民意を愚直に信じ」る-同旨で反復されているこのような部分にこそ、基本的な誤謬がある。民主主義(多数者の勝利)とその結果の<正しさ・合理性>は別の次元の問題だと、いつぞやすでに書いた。
また、この人の言う「国民の審判」という言葉の意味は不明確だ。かつ、その「国民の審判」結果から特定の結論(具体的には、退陣すべき)を導く論理も杜撰だ。新聞記者なら、より緻密に論理的に書いたらどうか。
さらに、「国民の審判」=選挙結果を「重く受け止める」ことは当然で、私も肯定するし、安倍首相も明言している。問題は、「重く受け止め」て、どうするか、だ。この二つの問題の論理的区別が、山本氏にはきちんとついているのだろうか。
反論したければ、とりあえずにでもどうぞ。また、とりあえずにでも、質問に答えていてただきたい。
一般ブロガーの書いていることに逐一反応しようとは思わないし、例えば朝日新聞記者のプログ内容がやはり朝日らしく奇妙であっても逐一はとりあげないだろう(朝日記者のブログがあるか否かは知らないが)。産経の記者のブログだからこそ、多少の関心をもつのだ。
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