先週日曜午後のたかじん委員会(読売系)で、1993年の総選挙の際、テレビ朝日が自民党を敗北させ反自民の連立政権成立の手助けとなる報道をしようと話し合った旨を同局の椿貞良報道局長があとで述べた、という「歴史的に名を残す大事件」があったとし、マスコミの<公平・公正とイデオロギー>の問題の一つとして説明していた(但し、批判又は反省のみの素材として取り上げてはいなかった)。マスコミによる意図的な誘導をマスコミ関係者自身が認めたことがあったのだ。
今回の参院選につき、捏造番組放送等に対応して放送法上の総務大臣の権限を強化して行政処分権限などを盛り込む放送法改正案に「放送業界」(テレビ局)等のマスコミ業界が反対していたため、マスコミ業界はこの放送法改正案を潰すために自民党に不利な報道をした、との情報又は主張がある。
これが全面的にではなくとも、一部にしても正しいのだとすると、マスコミ、とくに「放送業界」は自分たちの<業界利益>を守るために(も)歪んだ選挙関係放送・報道を選挙戦期間中にしたことになる。
いずれにせよ、マスコミの報道ぶりをそのまま信用するあるいは鵜呑みにしてはならないことは確かだ。
さて、産経8/1の正論欄の岡崎久彦の論稿はほとんど私が書いたこと、書いていないが考えたこと・感じたことと同じで、心強い。
岡崎久彦は安倍首相続投表明でとりあえず「安堵した」と述べたのち、次のように書く。
1.「専門外」だが、冷戦後の日本の選挙は政策等の選挙でなく「一種のイメージ選挙」で、その「イメージ」は「風」により「振り子のように揺れる」。
2.専門の外交安保について、安倍政権に「いかなる失点もない」し「選挙戦中これが問題にされたこともない」。
3.内政は年金問題だというが、これは「行政と労組の共同責任」だ。「増税と老人負担の増加は小泉内閣の遺産」で安倍内閣は踏襲せざるを得なかった。
4.上のことは「イメージの振り子が揺れもどる」中で選挙に「大きな影響を与えたらしい」が、「私の直感では、別の理由もあった」。
5.すなわち、今回の選挙は新自民党と「古い自民党」(小沢一郎)の争いだった。安倍内閣の諸施策推進(教育基本法改正・国民投票法等々)は「古い自民党体質を持つ人々に違和感を与えた」。安倍政権は「古い自民党の体質を打ち破った」ので「古い人々の間に…陰湿な反感を生んだ」。また、安倍首相が「大新聞との対決」〔対朝日新聞だろう-秋月〕を避けなかったのは、かつての佐藤栄作首相以来だ。
6.だとすれば、「ここで引いてはいけない」。「旧自民党の体質-…旧社会党の体質でもある-に戻って安住したい」人々が「盛り返して」くる。ここで頑張れば、そういう人々は「過去の人となっていく」。安倍首相は「所信をまげず、党派を超えて、新しい日本を担う人々の希望の星となればよい」。
7.外交安保のほか、「憲法も幸か不幸か選挙の争点にならなかった」。集団自衛権問題等日米同盟を盤石にし、「懸案に正面から立ち向かって、初期の目的を追求して」ほしい。
対米国関係の問題なと私にはまだ分からない問題もあるが(その意味で岡崎久彦の諸論議に全面的に賛成しているわけではないが)、上のような分析・主張はきわめて真っ当だ。
確かに自民党の支持基盤が弱くなっている現象はあるのだろうが、策略的な「イメージ」の利用に加えて「古い体質」どおりの選挙戦をしたのは、元来はそれに反対して脱党した筈の小沢・民主党だった、と思われる。地域・業界・公務員界の利益(利権)のための「古い」集票構造を彼は民主党のために利用したのだ。
また、安倍・自民党に反対し、厳しく安倍首相を罵倒している山崎行太郎という無名の?文芸評論家のような人々で、かつ日本共産党(・共産主義)や社会民主党を支持しているわけでもないという人々は、安倍改革・安倍政治による<変化>を懼れる守旧的・保守的・既得権墨守的な人々であることが多いような気がする。
いつかも書いたが、<戦後体制からの脱却>は、私自身も含めて、何らかの<痛み>あるいは<自己否定>を伴わざるを得ないものであると思われる。その<体制>のもとでほとんどの国民が現に生きてきたのだから、こんなものだと「慣れて」しまっているからだ。
その点に気づかず、相変わらずそこそこの平等となぁなぁの意思決定に慣れてしまった人々が、日本の将来のためには必要な安倍<改革>を、国家主義的とか反動的とか強権的とかのレッテルを貼って妨げているような気がする。
表立ってこんな批判はしなかったが、マスコミ「業界」もまた、既得権的利益や新しい電波・放送法制の下での従来と同様の「利権」を守り又は獲得したいのだ。
そのようなマスメディアに曝されている日本国民は-他人事のような表現になってしまうが-本当に気の毒だ。単純にマスメディアを信用したり、彼らが醸成したイメージに追従したりしてはいけない、とまた再び、今回の初めに書いたことに戻ってしまう。
今回の参院選につき、捏造番組放送等に対応して放送法上の総務大臣の権限を強化して行政処分権限などを盛り込む放送法改正案に「放送業界」(テレビ局)等のマスコミ業界が反対していたため、マスコミ業界はこの放送法改正案を潰すために自民党に不利な報道をした、との情報又は主張がある。
これが全面的にではなくとも、一部にしても正しいのだとすると、マスコミ、とくに「放送業界」は自分たちの<業界利益>を守るために(も)歪んだ選挙関係放送・報道を選挙戦期間中にしたことになる。
いずれにせよ、マスコミの報道ぶりをそのまま信用するあるいは鵜呑みにしてはならないことは確かだ。
さて、産経8/1の正論欄の岡崎久彦の論稿はほとんど私が書いたこと、書いていないが考えたこと・感じたことと同じで、心強い。
岡崎久彦は安倍首相続投表明でとりあえず「安堵した」と述べたのち、次のように書く。
1.「専門外」だが、冷戦後の日本の選挙は政策等の選挙でなく「一種のイメージ選挙」で、その「イメージ」は「風」により「振り子のように揺れる」。
2.専門の外交安保について、安倍政権に「いかなる失点もない」し「選挙戦中これが問題にされたこともない」。
3.内政は年金問題だというが、これは「行政と労組の共同責任」だ。「増税と老人負担の増加は小泉内閣の遺産」で安倍内閣は踏襲せざるを得なかった。
4.上のことは「イメージの振り子が揺れもどる」中で選挙に「大きな影響を与えたらしい」が、「私の直感では、別の理由もあった」。
5.すなわち、今回の選挙は新自民党と「古い自民党」(小沢一郎)の争いだった。安倍内閣の諸施策推進(教育基本法改正・国民投票法等々)は「古い自民党体質を持つ人々に違和感を与えた」。安倍政権は「古い自民党の体質を打ち破った」ので「古い人々の間に…陰湿な反感を生んだ」。また、安倍首相が「大新聞との対決」〔対朝日新聞だろう-秋月〕を避けなかったのは、かつての佐藤栄作首相以来だ。
6.だとすれば、「ここで引いてはいけない」。「旧自民党の体質-…旧社会党の体質でもある-に戻って安住したい」人々が「盛り返して」くる。ここで頑張れば、そういう人々は「過去の人となっていく」。安倍首相は「所信をまげず、党派を超えて、新しい日本を担う人々の希望の星となればよい」。
7.外交安保のほか、「憲法も幸か不幸か選挙の争点にならなかった」。集団自衛権問題等日米同盟を盤石にし、「懸案に正面から立ち向かって、初期の目的を追求して」ほしい。
対米国関係の問題なと私にはまだ分からない問題もあるが(その意味で岡崎久彦の諸論議に全面的に賛成しているわけではないが)、上のような分析・主張はきわめて真っ当だ。
確かに自民党の支持基盤が弱くなっている現象はあるのだろうが、策略的な「イメージ」の利用に加えて「古い体質」どおりの選挙戦をしたのは、元来はそれに反対して脱党した筈の小沢・民主党だった、と思われる。地域・業界・公務員界の利益(利権)のための「古い」集票構造を彼は民主党のために利用したのだ。
また、安倍・自民党に反対し、厳しく安倍首相を罵倒している山崎行太郎という無名の?文芸評論家のような人々で、かつ日本共産党(・共産主義)や社会民主党を支持しているわけでもないという人々は、安倍改革・安倍政治による<変化>を懼れる守旧的・保守的・既得権墨守的な人々であることが多いような気がする。
いつかも書いたが、<戦後体制からの脱却>は、私自身も含めて、何らかの<痛み>あるいは<自己否定>を伴わざるを得ないものであると思われる。その<体制>のもとでほとんどの国民が現に生きてきたのだから、こんなものだと「慣れて」しまっているからだ。
その点に気づかず、相変わらずそこそこの平等となぁなぁの意思決定に慣れてしまった人々が、日本の将来のためには必要な安倍<改革>を、国家主義的とか反動的とか強権的とかのレッテルを貼って妨げているような気がする。
表立ってこんな批判はしなかったが、マスコミ「業界」もまた、既得権的利益や新しい電波・放送法制の下での従来と同様の「利権」を守り又は獲得したいのだ。
そのようなマスメディアに曝されている日本国民は-他人事のような表現になってしまうが-本当に気の毒だ。単純にマスメディアを信用したり、彼らが醸成したイメージに追従したりしてはいけない、とまた再び、今回の初めに書いたことに戻ってしまう。