立花隆の月刊現代7月号上の「護憲論」批判を続ける。
第三に、立花隆は現憲法が「押しつけ」られたものであることは簡単に肯定し、「押しつけられた」おかげで「歴史上最良の憲法」を持っている、とする。そして、「この憲法のおかげで」「戦後日本というレジームは、日本歴史上最大の成功をおさめ」た、「安倍首相は、戦後レジームをネガティブに捉え、これを根本的に変革」しようとしているが、「戦後レジームこそ、数千年に及ぶ日本の歴史の中で最もポジティブら捉えられてしかるべきレジームだ」とする(p.40-41)。別の箇所から同趣旨を反復すれば、「日本国憲法、とくに憲法九条がつくりだした戦後レジームをなぜそれほどまでに高く評価するかというと、それはこの憲法が、…歴史上最も繁栄させてきたからです。戦後レジームこそ、日本の繁栄の基礎だったからです」。
さて、ここでの立花の議論の特徴は、<戦後の繁栄>←日本国憲法←とくに九条という単純な思考によっていることだ。九条関係は次に触れることとして、次のような疑問がある。
第一に、歴史を全面的に又は100%、是か非に評価することはできない。安倍首相もまた、立花が上に言うようには<戦後レジーム>を全面的に又は100%否定しようとしているとは思われない。立花隆には<戦後レジーム>がもたらした日本国家・日本社会・日本人に対する問題点・課題等々が一切見えていない(少なくとも一切記述がない)。彼は全面的に又は100%、<戦後レジーム>を肯定しているのだ。こんな大まかな議論をして、よくぞ評論家・文筆業と名乗っていられるものだと感じる。
第二に、戦後レジームと日本国憲法をほとんど同一視しているのも特徴だ。憲法の定めに関係なく、又は憲法に制約されない範囲内で、人びとの生活や国家活動がなされうることをこの人は看過している。
万が一<戦後レジーム>を全面的に又は100%肯定するとしても、そのことは日本国憲法(とくに九条)を全面的に肯定的に評価することには、論理的にも、ならない。憲法外的に又は憲法の範囲で形成されてきた<戦後レジーム>もあるのだ。
第三に、かりに戦後日本が日本の歴史の中で最も「繁栄」していた(この「繁栄」の意味を立花は詳細には述べていない)ということを認めるとしても(かりに、である)、そのことは<戦後レジーム>を維持すべきであるとの結論には、論理的にも、全くつながらない。
なぜなら、<戦後レジーム>が今日までで「最もポジティブ」に捉えられるべきレジームだったとしても、そのことは、より高い又はより大きな「繁栄」を将来において導く、<よりよいレジーム>の存在を否定することには全くならないからだ。
一般的に言って、いかなるレジームにも<賞味期限>があるだろうし、<制度疲労>も生じているだろう。<戦後レジーム>の悪しき部分又は問題点を改めて、新しい時代に対応する<よりよい21世紀レジーム>づくりを目指すべきだ。
立花隆の文章に横溢しているのは、見事な「保守的」気分だ。<戦後>は良かった、今後も維持したい、という、それだけの気分だ。
現在の日本が抱える国際・国内の具体的問題・課題を忘れて、きわめて大雑把な、きわめて大まかな議論を展開しているにすぎない。
第四に、立花隆は憲法九条のおかげで軍事費を少なくすることができ諸リソースを民生用に回せたことが、戦後の「未曾有の経済復興と経済成長による国家的繁栄をつくった」、とよく見かける議論を展開している。
この俗論が誤りであることは、すでに何回か触れたことがある。この議論によるならば、憲法九条二項のような条文を憲法に持たず正規軍を有しているドイツや韓国や、さらにはアメリカもフランスも<経済的繁栄>をしていない筈だが、立派に<繁栄>しているのではないか。軍隊をもつドイツも韓国も、「未曾有の経済復興と経済成長」を遂げた、と言いうるのだ。
経済的繁栄と軍事費の間には、ほとんどの場合は有意の関係はない。但し、旧を含む社会主義国においては、軍事費の負担が大きすぎて崩壊した国もあったし、崩壊寸前である国家もある。
立花隆は「この憲法のおかげで…平和のうちに繁栄を続けている」と述べている。但し、立花は、自衛隊という<軍隊まがい>のものがあり、それに世界各国中で上位の費用支出がなされていることには全く言及していない。まるで<実質的軍事費>が戦後一貫してゼロだったかの如き書き方だ。防衛省・自衛隊の存在を考慮せずして、軍事費のなさを経済的繁栄を簡単に結びつけることのできるとは、すばらしく大胆な論理展開だ。
上の自衛隊の点は別としても、立花隆は、日本人であるなら、次のことくらいは常識として知っておいてほしい。
戦後日本の平和は、憲法九条(とくに二項)によるのではなく、核兵器を保有してにらみ合った両大国間の冷戦体制、そして日米安保体制のおかげだった。日米安保がなかったならば、日本国憲法の条文がどう書いていても、ソ連軍又は中国軍による<侵略>を受けただろう。あるいは<間接侵略>、すなわち、ソ連共産党や中国共産党と意を通じた勢力が日本の政権を握って、<日本人民共和国>ができ、社会主義的な憲法に変わっていた可能性もある。
経済的繁栄もまた憲法九条(とくに二項)とは関係がない。ドイツ・韓国の例による反証は上に既に書いたが、「繁栄」という言葉を使うなら、日本が所謂「西側」、自由主義陣営に属して、同じ自由主義諸国に大量に良質の製品を輸出できたからこそ、経済的に「繁栄」できたのだ。むろん日本人(民族)の誠実な努力、独特の技術力や会社経営の仕方等も「繁栄」に寄与しただろう。
立花隆には戦後の歴史がきちんと「見えて」いるのだろうか。憲法(とくに九条二項)のおかげで「繁栄」した、などという謬論、いや<大ウソ>をつかないで欲しい。自らの声価を将来において決定的に落とし、侮蔑の対象となる原因になるだけだろう。
第三に、立花隆は現憲法が「押しつけ」られたものであることは簡単に肯定し、「押しつけられた」おかげで「歴史上最良の憲法」を持っている、とする。そして、「この憲法のおかげで」「戦後日本というレジームは、日本歴史上最大の成功をおさめ」た、「安倍首相は、戦後レジームをネガティブに捉え、これを根本的に変革」しようとしているが、「戦後レジームこそ、数千年に及ぶ日本の歴史の中で最もポジティブら捉えられてしかるべきレジームだ」とする(p.40-41)。別の箇所から同趣旨を反復すれば、「日本国憲法、とくに憲法九条がつくりだした戦後レジームをなぜそれほどまでに高く評価するかというと、それはこの憲法が、…歴史上最も繁栄させてきたからです。戦後レジームこそ、日本の繁栄の基礎だったからです」。
さて、ここでの立花の議論の特徴は、<戦後の繁栄>←日本国憲法←とくに九条という単純な思考によっていることだ。九条関係は次に触れることとして、次のような疑問がある。
第一に、歴史を全面的に又は100%、是か非に評価することはできない。安倍首相もまた、立花が上に言うようには<戦後レジーム>を全面的に又は100%否定しようとしているとは思われない。立花隆には<戦後レジーム>がもたらした日本国家・日本社会・日本人に対する問題点・課題等々が一切見えていない(少なくとも一切記述がない)。彼は全面的に又は100%、<戦後レジーム>を肯定しているのだ。こんな大まかな議論をして、よくぞ評論家・文筆業と名乗っていられるものだと感じる。
第二に、戦後レジームと日本国憲法をほとんど同一視しているのも特徴だ。憲法の定めに関係なく、又は憲法に制約されない範囲内で、人びとの生活や国家活動がなされうることをこの人は看過している。
万が一<戦後レジーム>を全面的に又は100%肯定するとしても、そのことは日本国憲法(とくに九条)を全面的に肯定的に評価することには、論理的にも、ならない。憲法外的に又は憲法の範囲で形成されてきた<戦後レジーム>もあるのだ。
第三に、かりに戦後日本が日本の歴史の中で最も「繁栄」していた(この「繁栄」の意味を立花は詳細には述べていない)ということを認めるとしても(かりに、である)、そのことは<戦後レジーム>を維持すべきであるとの結論には、論理的にも、全くつながらない。
なぜなら、<戦後レジーム>が今日までで「最もポジティブ」に捉えられるべきレジームだったとしても、そのことは、より高い又はより大きな「繁栄」を将来において導く、<よりよいレジーム>の存在を否定することには全くならないからだ。
一般的に言って、いかなるレジームにも<賞味期限>があるだろうし、<制度疲労>も生じているだろう。<戦後レジーム>の悪しき部分又は問題点を改めて、新しい時代に対応する<よりよい21世紀レジーム>づくりを目指すべきだ。
立花隆の文章に横溢しているのは、見事な「保守的」気分だ。<戦後>は良かった、今後も維持したい、という、それだけの気分だ。
現在の日本が抱える国際・国内の具体的問題・課題を忘れて、きわめて大雑把な、きわめて大まかな議論を展開しているにすぎない。
第四に、立花隆は憲法九条のおかげで軍事費を少なくすることができ諸リソースを民生用に回せたことが、戦後の「未曾有の経済復興と経済成長による国家的繁栄をつくった」、とよく見かける議論を展開している。
この俗論が誤りであることは、すでに何回か触れたことがある。この議論によるならば、憲法九条二項のような条文を憲法に持たず正規軍を有しているドイツや韓国や、さらにはアメリカもフランスも<経済的繁栄>をしていない筈だが、立派に<繁栄>しているのではないか。軍隊をもつドイツも韓国も、「未曾有の経済復興と経済成長」を遂げた、と言いうるのだ。
経済的繁栄と軍事費の間には、ほとんどの場合は有意の関係はない。但し、旧を含む社会主義国においては、軍事費の負担が大きすぎて崩壊した国もあったし、崩壊寸前である国家もある。
立花隆は「この憲法のおかげで…平和のうちに繁栄を続けている」と述べている。但し、立花は、自衛隊という<軍隊まがい>のものがあり、それに世界各国中で上位の費用支出がなされていることには全く言及していない。まるで<実質的軍事費>が戦後一貫してゼロだったかの如き書き方だ。防衛省・自衛隊の存在を考慮せずして、軍事費のなさを経済的繁栄を簡単に結びつけることのできるとは、すばらしく大胆な論理展開だ。
上の自衛隊の点は別としても、立花隆は、日本人であるなら、次のことくらいは常識として知っておいてほしい。
戦後日本の平和は、憲法九条(とくに二項)によるのではなく、核兵器を保有してにらみ合った両大国間の冷戦体制、そして日米安保体制のおかげだった。日米安保がなかったならば、日本国憲法の条文がどう書いていても、ソ連軍又は中国軍による<侵略>を受けただろう。あるいは<間接侵略>、すなわち、ソ連共産党や中国共産党と意を通じた勢力が日本の政権を握って、<日本人民共和国>ができ、社会主義的な憲法に変わっていた可能性もある。
経済的繁栄もまた憲法九条(とくに二項)とは関係がない。ドイツ・韓国の例による反証は上に既に書いたが、「繁栄」という言葉を使うなら、日本が所謂「西側」、自由主義陣営に属して、同じ自由主義諸国に大量に良質の製品を輸出できたからこそ、経済的に「繁栄」できたのだ。むろん日本人(民族)の誠実な努力、独特の技術力や会社経営の仕方等も「繁栄」に寄与しただろう。
立花隆には戦後の歴史がきちんと「見えて」いるのだろうか。憲法(とくに九条二項)のおかげで「繁栄」した、などという謬論、いや<大ウソ>をつかないで欲しい。自らの声価を将来において決定的に落とし、侮蔑の対象となる原因になるだけだろう。