「反革命」と認定した者をかりに実力抵抗がなくとも殺戮して当然とする考え方、要するに革命の「敵」はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はフランス革命期にあったと見てよく、論議はなおありうるのだろうが、ロシア革命にも継承された。
レーニンらは、フランス革命以降19世紀の欧州の歴史をよく知っていたに違いない。フランスの革命家たちがルイ16世や王妃マリー・アントワネット等の一族を断頭台で処刑死させたように、レーニン・ロシア共産党はロマノフ朝を終焉せしめ、ニコライ2世の一族全員を殺戮した。
かかる共産党の「思想」はその後も引き継がれた。そうでないと、スターリンの粛清等、毛沢東・文化大革命による大量殺戮、金日成・金正日の粛清・思想犯の収容所送致等を説明できない。金日成は南朝鮮系・中国系等の有力な共産党員を粛清して独裁に至った。
フランスのことを考え、思いは社会主義国に巡り、そして日本に帰ってくる。日本に体制側・権力側の敵はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はあったのだろうか。あったとして、どの程度現実に実施されたのだろうか。
日本史の詳細に立ち入る知識も余裕もないが、特定の宗教のゆえに実力で弾圧された例はあるようだ(一向一揆、石山寺、島原の乱)。だが、これらは純粋に宗教のみが理由だったかは疑問だし実力による抵抗を示したから殺戮を含む弾圧を招いたとも言えるだろう。
素人の歴史談義を続ければ、徳川家康は秀吉の血を絶やしたかっただろうが、淀君らが家康に恭順の意を示していれば、大阪の陣による秀頼・淀君の死はなかったのではないか。
最大の問題は明治維新とその前後の時期だが、「思想」のゆえに殺された者たちはいたようだ。新選組は一方の「思想」の側の殺人部隊だった。しかし、その数はフランス革命期ほどに大量でなかった筈だし、暴力の行使に対抗する暴力の場合もあったはずだ。
何よりも、旧体制の頭領・徳川慶喜は新体制側に恭順の意を示したために殺されず生命を全うした。旧幕側の勝海舟もそうだった。函館まで行き武装抵抗した榎本武揚も、投獄されたのちには新政府の要職まで務めた。
日本共産党結成後の大正末に死刑付きの治安維持法ができたのは、ロシア革命成功によるロマノフ王朝一族等殺害の現実を目のあたりにした当時の日本の体制側の深刻な恐怖感によるものだっただろうが、この法律によって実際に死刑にされた者はいない。
断片的かつ粗雑な思考で結論づけるつもりはないが、わが国には「敵」はその思想のゆえに抵抗がなくとも殺しても構わないという考え方はなかったか弱かったのではないか。それは日本人の生命観であり「やさしさ」でもあって「敵との闘争」がより頻繁で深刻だった欧州諸民族と比べて、誇ってもよいのではないか。
レーニンらは、フランス革命以降19世紀の欧州の歴史をよく知っていたに違いない。フランスの革命家たちがルイ16世や王妃マリー・アントワネット等の一族を断頭台で処刑死させたように、レーニン・ロシア共産党はロマノフ朝を終焉せしめ、ニコライ2世の一族全員を殺戮した。
かかる共産党の「思想」はその後も引き継がれた。そうでないと、スターリンの粛清等、毛沢東・文化大革命による大量殺戮、金日成・金正日の粛清・思想犯の収容所送致等を説明できない。金日成は南朝鮮系・中国系等の有力な共産党員を粛清して独裁に至った。
フランスのことを考え、思いは社会主義国に巡り、そして日本に帰ってくる。日本に体制側・権力側の敵はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はあったのだろうか。あったとして、どの程度現実に実施されたのだろうか。
日本史の詳細に立ち入る知識も余裕もないが、特定の宗教のゆえに実力で弾圧された例はあるようだ(一向一揆、石山寺、島原の乱)。だが、これらは純粋に宗教のみが理由だったかは疑問だし実力による抵抗を示したから殺戮を含む弾圧を招いたとも言えるだろう。
素人の歴史談義を続ければ、徳川家康は秀吉の血を絶やしたかっただろうが、淀君らが家康に恭順の意を示していれば、大阪の陣による秀頼・淀君の死はなかったのではないか。
最大の問題は明治維新とその前後の時期だが、「思想」のゆえに殺された者たちはいたようだ。新選組は一方の「思想」の側の殺人部隊だった。しかし、その数はフランス革命期ほどに大量でなかった筈だし、暴力の行使に対抗する暴力の場合もあったはずだ。
何よりも、旧体制の頭領・徳川慶喜は新体制側に恭順の意を示したために殺されず生命を全うした。旧幕側の勝海舟もそうだった。函館まで行き武装抵抗した榎本武揚も、投獄されたのちには新政府の要職まで務めた。
日本共産党結成後の大正末に死刑付きの治安維持法ができたのは、ロシア革命成功によるロマノフ王朝一族等殺害の現実を目のあたりにした当時の日本の体制側の深刻な恐怖感によるものだっただろうが、この法律によって実際に死刑にされた者はいない。
断片的かつ粗雑な思考で結論づけるつもりはないが、わが国には「敵」はその思想のゆえに抵抗がなくとも殺しても構わないという考え方はなかったか弱かったのではないか。それは日本人の生命観であり「やさしさ」でもあって「敵との闘争」がより頻繁で深刻だった欧州諸民族と比べて、誇ってもよいのではないか。