昨日5/13の午後10時台に、米国下院慰安婦日本非難決議案にかかる「安倍首相等の日本政府の言動は岡崎久彦の助言が大きいのではないかと勝手に推測しているが、果たして首尾よくいったのかどうか」と書いたばかりだが、今日5/14の産経の「正論」欄で、その岡崎久彦が、要するに<首尾よくいった>旨を書いている。
決議案に関する彼の結論はこうだ。「議会の決議案審議の結果如何に関わらず、この問題は今後の日米問題から遠ざかっている」。
つまり、決議案が採択されようとされまいと、もはや今後の日米問題にはほとんど?関係がない、ということのようだ。「ほとんど?」と?を付けたのは「遠ざかっている」ということは再び「近づいてくる」可能性を否定していないと思ったからだが、この点は以下では措く。
彼によると、「全米の有権者の3分の1に近いといわれるエバンジェリカル(福音伝道派)が絶対的に主張する人権問題」であり「慰安婦制度そのものが悪」なので、どう釈明しても無意味。安倍首相の「20世紀は人権を無視した時代であり、日本にも責任がある。同情の意と謝罪の念を表明する」との発言は「特に良かった」。
さらに彼は書く。「謝罪は旧日本軍、ひいては国家としての日本の名誉を傷つけるものとして釈然としない人々は、強制の有無を問題にして事実を徹底調査して問題の黒白を付けることを主張している」が、「無用のこと」で、「常識で考えれば良い」。「慰安婦制度が女性の尊厳を傷つける人権違反の行為であったことに謝罪するのが正しいというのが昨今の道徳的基準」だ。
さて、岡崎久彦を私は信頼していないわけではないし、アメリカ有力筋にコネクション又は情報源を持ってもいるのだろう。だが、テレビでたぶん先月にも聞いたが、そもそも「全米の有権者の3分の1に近いといわれるエバンジェリカル(福音伝道派)が絶対的に主張する人権問題」で…という論拠は適切なのか、気になるところだ。
それはともかくとして、「議会の決議案審議の結果如何に関わらず、この問題は今後の日米問題から遠ざかっている」という判断が適切だとすれば結構なことだ。だが岡崎は「今後の日米問題」としか書いていない。
米国で日本首相がすでに「謝罪」しており、かりに下院で日本非難決議が採択されることとなっても、今後の中国や韓国(・北朝鮮)の間での問題は全くないと言い切れるのだろうか。
「20世紀に人権を無視」したとは全く考えていない、被害国のつもりのこれらの国は、安倍首相も謝罪した(米国下院も日本の責任を認めた)ではないか、ということで、例えば、何がしかの経済的代償(・協力)を政治的・外交的に求めてくることは十分に考えられる。また、「慰安所」を作ったことはないとするこれらの国(欧米諸国が問題なのではない)は、日本に対して、道徳的・精神的に<優位>な立場を決定的に占めてしまうことになりそうな気がする。
岡崎久彦は対米問題のみを重視しすぎてはいないか。中国の仕掛けている<情報>戦争という見方を岡崎は否定しているようだが、その根拠ははっきりしない。「エバンジェリカル(福音伝道派)」うんぬんと中国の仕掛けている情報戦争という見方は決して排斥し合わない。
「反日」勢力にとっての道具を安倍首相はすでに渡し、米下院も与えようとしている危惧は全く杞憂のものとは言えないだろう。
米国人には「河野談話の何たるかを知らない」かもしれない。だが、中国政府、韓国政府等は正確に文字通りに理解しているだろう。<河野談話の継承>とは、彼らとの関係で、歴史の捏造をそのまま承認した、ということにはならないのだろうか。
当然ながら、中国・韓国・北朝鮮に「常識」が通用するはずはない。私はなお「釈然としない」し、正確な歴史認識を持っておくことが「無用」のこととは思えない。
岡崎久彦の主張を全面的に批判するわけではない。対米関係では何とか<やりすごせた>とすれば結構なことだ(だが下院決議の帰趨は未だ解らない)。だが、とりわけ東アジア諸国に対して、正しい歴史をきちんと主張し、虚偽の歴史認識を是正させる課題はまだまだ残っている、と感じる。一段落ついた、というのは大間違いではないか。
決議案に関する彼の結論はこうだ。「議会の決議案審議の結果如何に関わらず、この問題は今後の日米問題から遠ざかっている」。
つまり、決議案が採択されようとされまいと、もはや今後の日米問題にはほとんど?関係がない、ということのようだ。「ほとんど?」と?を付けたのは「遠ざかっている」ということは再び「近づいてくる」可能性を否定していないと思ったからだが、この点は以下では措く。
彼によると、「全米の有権者の3分の1に近いといわれるエバンジェリカル(福音伝道派)が絶対的に主張する人権問題」であり「慰安婦制度そのものが悪」なので、どう釈明しても無意味。安倍首相の「20世紀は人権を無視した時代であり、日本にも責任がある。同情の意と謝罪の念を表明する」との発言は「特に良かった」。
さらに彼は書く。「謝罪は旧日本軍、ひいては国家としての日本の名誉を傷つけるものとして釈然としない人々は、強制の有無を問題にして事実を徹底調査して問題の黒白を付けることを主張している」が、「無用のこと」で、「常識で考えれば良い」。「慰安婦制度が女性の尊厳を傷つける人権違反の行為であったことに謝罪するのが正しいというのが昨今の道徳的基準」だ。
さて、岡崎久彦を私は信頼していないわけではないし、アメリカ有力筋にコネクション又は情報源を持ってもいるのだろう。だが、テレビでたぶん先月にも聞いたが、そもそも「全米の有権者の3分の1に近いといわれるエバンジェリカル(福音伝道派)が絶対的に主張する人権問題」で…という論拠は適切なのか、気になるところだ。
それはともかくとして、「議会の決議案審議の結果如何に関わらず、この問題は今後の日米問題から遠ざかっている」という判断が適切だとすれば結構なことだ。だが岡崎は「今後の日米問題」としか書いていない。
米国で日本首相がすでに「謝罪」しており、かりに下院で日本非難決議が採択されることとなっても、今後の中国や韓国(・北朝鮮)の間での問題は全くないと言い切れるのだろうか。
「20世紀に人権を無視」したとは全く考えていない、被害国のつもりのこれらの国は、安倍首相も謝罪した(米国下院も日本の責任を認めた)ではないか、ということで、例えば、何がしかの経済的代償(・協力)を政治的・外交的に求めてくることは十分に考えられる。また、「慰安所」を作ったことはないとするこれらの国(欧米諸国が問題なのではない)は、日本に対して、道徳的・精神的に<優位>な立場を決定的に占めてしまうことになりそうな気がする。
岡崎久彦は対米問題のみを重視しすぎてはいないか。中国の仕掛けている<情報>戦争という見方を岡崎は否定しているようだが、その根拠ははっきりしない。「エバンジェリカル(福音伝道派)」うんぬんと中国の仕掛けている情報戦争という見方は決して排斥し合わない。
「反日」勢力にとっての道具を安倍首相はすでに渡し、米下院も与えようとしている危惧は全く杞憂のものとは言えないだろう。
米国人には「河野談話の何たるかを知らない」かもしれない。だが、中国政府、韓国政府等は正確に文字通りに理解しているだろう。<河野談話の継承>とは、彼らとの関係で、歴史の捏造をそのまま承認した、ということにはならないのだろうか。
当然ながら、中国・韓国・北朝鮮に「常識」が通用するはずはない。私はなお「釈然としない」し、正確な歴史認識を持っておくことが「無用」のこととは思えない。
岡崎久彦の主張を全面的に批判するわけではない。対米関係では何とか<やりすごせた>とすれば結構なことだ(だが下院決議の帰趨は未だ解らない)。だが、とりわけ東アジア諸国に対して、正しい歴史をきちんと主張し、虚偽の歴史認識を是正させる課題はまだまだ残っている、と感じる。一段落ついた、というのは大間違いではないか。