産経新聞4/29に、渡部昇一による潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)の書評(紹介)が載っている。
 結論的に、「戦後の日本の平和が日米安保条約のおかげでなく、憲法九条のおかげだと言うのは誰にも分かる嘘である」、こうした「嘘を直視することのできる本書の出版を喜びたい」と評している。
 「誰にも分かる嘘」でありながら、立花隆呉智英はそれを信じているらしいことはすでに触れた。呉智英は、別冊正論Extra.06(産経新聞社、2007)に、「自衛隊、安保条約が平和を護ったのだと主張する人もいる。それも一理あるが、やはり中心にあるのは第九条である」と明言しつつ(p.190)、情報戦・謀略戦の重要性を説く、やや意味不明の一文を寄せている。
 それはともかく、渡部はこの潮の本を肯定的に評価していることは明らかだ。しかし、潮の本は、当然のこととして敢えて言及してもいないようだが、九条を含む現憲法が憲法として有効であること、「現行」憲法であることを前提にしている。
 一方、渡部はどうやら日本国憲法「無効」論を支持しているようで、この書評文の中でも、こう書く。
 「日本の常識が世界の常識からずれてしまった」のは「新憲法と呼ばれる占領軍政策の占領基本法を日本人が「憲法」であると考えるようになったから」だ、「憲法制定が、主権が失われた状態でできるわれがないという明白な事実を、当時の日本人はごまかし」、「そのごまかしは今まで続いている」。
 明瞭ではないが、<占領基本法を「憲法」と考えるごまかし>という表現の仕方は、私が多少の知識を得た日本国憲法「無効」論に適合的だ。
 かかる九条を含む現「憲法」無効論と九条を有効な憲法規範としたうえでそれを「諸悪の根源」とする本の「出版を喜びたい」とする評価は、両立するのだろうか。無効論・有効論に立ち入らずに、憲法としては本来は無効でも現実には通用しているかぎりで、九条が「諸悪の根源」と評価をすることもできるのだろうか。あるいは、渡部はそんな理屈あるいは疑問などを全く想定していないで書評しているのだろうか。
 というわけで、やや不思議な気がした書評文だった。
 潮匡人の本自体は、憲法制定過程には言及していないが、「憲法九条は諸悪の根源」であることを相当十分に論じており、何人かの九条護持論者を名指しで批判し、「戦後レジームからの脱却」のために(「日本の戦後」を終わらせるために)、「名実ともに、自衛隊を軍隊にすべきである」と最後に主張する、軍事問題に詳しい人の書いた、読みやすい好著だと思う。そうした「本書の出版を喜びたい」。